蜘蛛
「それで、どういう状況だったのか教えてくれる?」
大津側の渡し場で舟を降りた俺達は、すぐ近くにあった茶屋に腰を落ち着けた。
「おう! その前に御主人、お団子頼んでもいい?」
「私も団子が欲しいです!」
「まあ、いいけど……」
代金が問題なのでは無く、朝食を済ませてから一時間程度しか経過していないのに、黒ちゃんと頼華ちゃんはもうお腹が減ったのか? という疑問で少し言い淀んでしまった。
「はい、お茶とお団子、おまちどう様です」
信楽辺りから、住民と思しき人達のイントネーションの変化を感じていたが、琵琶湖を渡ったここ大津では、京言葉と呼ばれる柔らかい印象の喋り方を、茶屋の店員の女性がしているのに気が付いた。
(なんとなく、物腰も江戸より優雅な感じがするなぁ)
とか思ったが、これは京都が近づいた事により、俺が雰囲気に酔っているだけだろう。
「御主人、どうかした?」
「あ、いや……じゃあ、話を聞かせてくれる?」
無意識に、茶屋の店員の女性の言葉や仕草に意識が行ってしまっていたようで、黒ちゃんに話し掛けられて我に返った。
「おう! あのね、ひとっ跳びして、あいつ……大鯰の上に乗っかって、帰れー、って言ったんだけど、なんの反応も無かったの」
「ああ、いいよ、食べてからで」
話し始めた黒ちゃんだったが、運ばれてきた団子が気になっていたみたいだから、食べるように促す。
「甘くないけどおいしいね!」
「うむ。餅では無く、団子に醤油も中々良いな!」
串に五個刺してある団子は表面がこんがりと焼かれ、表面に塗られた醤油が焦げて、実に良い香りを漂わせている。
二串皿に載った団子は、黒ちゃんと頼華ちゃんが瞬く間に食べ終わった。
「ふぅ……んじゃ続き話すねー! えっと、どこまで話したっけ?」
眼の前の団子を食べ終わって落ち着いた黒ちゃんは、話を再開しようとしたが、どこまで進めたのかを忘れてしまったみたいだ。
「帰れって言ったけど、反応が無かったってところまでかな」
「そっか。御主人ありがとう! えっと……それで、頭にきたから少し殺気を放ったんだけど、逃げ帰らずに暴れだしちゃったんだよ!」
「だから、戦いになったんだね?」
どうやら大鯰は、知性はあまり無かったみたいだ。言葉が通じない上に黒ちゃんの殺気を、恐怖では無く不快な物という受け取り方をしたのだろう。
「おう! 痛めつけたら逃げるかなって思ったから、少し背中の肉を爪で斬り裂いて、ついでに味見に齧ってやったよ!」
「その斬り裂いたっていうのが、あのお土産ってやつか?」
「おう!」
白ちゃんの質問に、黒ちゃんは胸を張って答えた。
「黒ちゃんの話を聞く限りだと、あの鯰は妖怪じゃなくて、単に大きいだけだったのかな?」
「どうもそんな感じだねぇ」
俺の言葉に、おりょうさんが同意を示してくれた。
「しかし、妖怪の中には明確な意思を持たないやつもいるから、簡単に答えをだすのは早計だぞ」
「そうなの?」
白ちゃんは、俺の考えにやや否定的なようだ。
「自分の邪魔だからと舟や人に害を為すだけならば、明確な意志など必要無いからな。もしかしたら元々棲んでいるという大鯰が、人の想念で変化してしまったのかもしれん」
「あー、そういう事もあるのか」
黒ちゃんと白ちゃんにしても、都の人々の病気や災に対する恐怖心などが凝り固まって、意志と異形の姿をを得た存在と言えるので この意見には説得力がある。
「今はまだ明確では無いというだけで、あと百年もしたらちゃんとした意志を持つ可能性もある」
「そこら辺にある物だって、百年もあれば付喪神になるしね!」
長い時を経た物が、意思を持った付喪神になるのだから、長く生きた生物が妖怪になるという事もあるのだろう。
「ところで、あの鯰の始末はどうつける? 主殿が望むのならば、ここまで引きずってくるが」
「そうだね! いくら琵琶湖が広くても、あたいと白からは逃げられないよ!」
「まあ、放置でいいかな。京に滞在中に、渡し舟の転覆とかが多発するようなら、その時に考えよう」
今回は黒ちゃんがずぶ濡れになった以外には被害がなかったので、それくらいの温情を掛けてもいいだろう。
「万が一にもあの鯰が、琵琶湖周辺の神様とかのお気に入りって可能性も……無いな」
「まあ、無いだろうねぇ」
(もしもそんな事があったら、天照坐皇大御神様が、伊勢を出る前に注意してくれただろうしな)
おりょうさんにも同意を得られたし、自分で言っていても、無いと確信した。
「ただの鯰だとしたら、あの切り身は食えるのか?」
「うっ……黒ちゃん、身体に異常は無い?」
白ちゃんからの質問を受けて急に心配になり、味見をしたという黒ちゃんに問い質した。
「なんとも無いよー! あたいの見た感じでは、気がおかしくなっていたりもしないよ!」
一応、黒ちゃんなりに、食べても大丈夫と認識してから味見をしたようだ。
「そっか……なら食べられる、かな?」
脂っこいという感想しか黒ちゃんは口にしていないし、今のところは身体に異変も出ていないので、どうやら毒性は無さそうだ。
(もっとも、毒では無い脂が、害になる事もあるんだけどね……)
深海生物などが過酷な環境で生存する為に体内に蓄える脂は、毒性は無くても消化吸収出来ない類の物があり、食べても毒にはならないが、質の悪い下し方をする事がある。
鯰が深海生物と同じとは限らないが、元々脂が多めの魚なので、体質によっては合わなくてお腹を壊す可能性はあるので、食べるにしても少量を味見してから様子を見た方が良さそうだ。
「あ、あたしは遠慮しようかねぇ……」
「わ、私も結構です!」
おりょうさんと頼華ちゃんが怯んでいるが、大きな魚というだけで気持ちが悪いというのはわからなくもないので、食べる事を無理強いする気は俺には無い。
「鯰なら、焼くか唐揚げか鍋かなぁ」
以前に読んだ本には、酒をたっぷり入れたスッポン煮という調理法が出ていたが、脂っこさを緩和するにはいいかもしれない。
「どれもおいしそうだね!」
「姐さん達が怖気づく理由がわからんが……食う時には、俺も御相伴に与ろう」
「まあ、三人いれば食べきれるかな」
黒ちゃんが持ち帰った鯰の切り身はかなり大きいが、白ちゃんも手伝ってくれるなら食べきれるだろう。
「そいじゃ、そろそろ行こうか?」
「そうですね!」
お茶を飲み干したおりょうさんが言うと、頼華ちゃんが立ち上がった。
「京に着いたら、お昼は何食べる!?」
「もう昼飯の話かい?」
俺からの言い付けを守っている黒ちゃんは、立ち上がっておりょうさんの腕を取った。
「白は私の手を、しっかりと握っているように!」
頼華ちゃんが誇らしげな顔で、白ちゃんに手を差し出した。
「頼華には世話を掛けるな」
「うむ!」
白ちゃんのリアクションが余程嬉しかったのか、手を握る頼華ちゃんは御満悦だ。
「兄上も!」
「はいはい」
茶屋の勘定を済ませた俺は、頼華ちゃんと手を繋いで歩き始めた。
景色を楽しみながら、かなりのんびり歩いて二時間程経過すると、高低差の関係で京の街並みを見下ろせる場所に辿り着いた。
「おお! なんとも風雅な街並みではないか!」
「あっ! 頼華ちゃんっ!」
「頼華っ!」
到着が待ち遠しいとばかりに駆け出した頼華ちゃんへの反応が遅れ、ほんの一瞬の気の緩みで、俺も白ちゃんも手を振り払われてしまった。
「っ!? これは……」
頼華ちゃんの後を追って駆け出そうとしたが、急に視界が霧に覆われて、一寸先も見えない状態に陥ってしまう。
「白ちゃん! 頼華ちゃん!」
返事どころか、街道沿いに生えていた木々の梢の、風に揺れる音すら聞こえなくなってしまった。
(これは……隔絶と似てる?)
神仏が降臨する際に起こる、周囲と空間が切り離される隔絶という状態に似ているが、神仏の聖なる気配は感じないので、似ているが別の現象だろう。
「おりょうさん! 黒ちゃん!」
なんらかの意志が働いての現象なので、無意味だとは思いながらも呼び掛けたが、やはりなんの反応も返ってこなかった。
(こういう時は、じっとしている方がいいのか、進んだ方がいいのか……)
山の中で遭難した場合なんかは、動かずにその場に逗まるのが正解である。
しかし、何かの目的があって俺達を巻き込んだのだろうから、この現象を起こしている存在が、なんらかのアクションを俺達へ起こす可能性は高い。
そのアクションを待つべきか、それとも行動するべきか……悩ましいところではある。
(相手の思惑通りってのも、なんか癪だな……)
待っていれば絶対に何かが起きるという結論に達したが、積極的に仲間達を探しに行かないという選択肢は、俺には無い。
「よし。動くか……」
左腰に刀の巴、右腰に鎖付き苦無の羂鎖、そして右手には戦斧を握り、俺は視界の効かない霧の中に歩を進めた。
(黒ちゃん、白ちゃん……やっぱり繋がらないか)
念話ならと思い、歩きながら時折呼びかけるが、今の所二人からの返事は無い。
(一番恐れていた状況が、発生しちゃったか……)
黒ちゃんと白ちゃんに念話が繋がらないし、俺を目標に界渡りが使えるのに合流してこない事を考えると、
空間自体になのか術の類なのかは不明だが、何か能力を阻害する要因があるのだろう。
「黒ちゃんが落ち着いてるといいけど……」
生命の心配まではしていないが、俺との繋がりが断たれた黒ちゃんが、取り乱していそうで心配だ。
しかし今回のケースでは、黒ちゃんと一緒にいるのがおりょうさんというのが不幸中の幸いかもしれない。
頼華ちゃんや白ちゃんだと、黒ちゃんを大人しくさせるのは力づくになるが、おりょうさんであれば、全ての攻撃を受け流して無力化する事が出来るだろう。
「にしても、どうなってるんだこれは?」
意識して真っ直ぐに歩くようにしているが、今の所は行き止まりに突き当たったり、道が途切れて足を踏み外したりしそうにはなっていない。
霧に包まれる前に歩いていた街道には、カーブもアップダウンもあったので、この状況は不自然極まり無いのだ。
「……ん?」
不自然な状況の中、体感で二時間くらい歩いたところで、霧の中で蠢く巨大な影が目に入った。夢で見た光景と同じだ。
「やっとお出ましか……」
(この現象を起こした張本人だとしたら、許す事は出来ないな……)
人かどうかはわからないが、おりょうさんや頼華ちゃんや白ちゃん、それに話だけであれだけ悲しんだ黒ちゃんを俺から引き離したのだ。罪は決して軽くない。
俺は外套を跳ね上げ、戦斧を持った右手を出した。
「何者だ! みんなをどこへやった!」
シルエットでは明らかに人間では無いのだが、訊ける事は訊いておきたいので、先ずは言葉を投げ掛けてみた。
「何故、我ノ同胞ヲ屠ッタ太刀ノ持チ主ガ、再ビコノ地ヲ訪レタノカ?」
「何?」
一応、人語ではあるのだが、弦楽器の弦を弾いて無理矢理言葉にしているようなそんな声で、眼の前に現れた真っ黒で大きな蜘蛛が話し掛けてきた。
(で、でかい!)
今までに遭遇したマッコウクジラや、さっき琵琶湖で見た鯰程では無いが、それでも高さにして二メートル以上、前後幅が五メートル以上はありそうな蜘蛛というのは、かなり現実感の無い大きさである。
「太刀というのは、薄緑の事か?」
蜘蛛に刀と太刀の見分けがつくのかはわからないが、俺達の持ち物の中で太刀と言えば、頼華ちゃんが頼永様から預けられた薄緑しか心当たりが無い。
「ソウダ。カツテ、異形トイウダケノ理由デ我ヲ傷ツケ、眷属達ヲ死ニ追イ遣ッタ、源ノ武者が手ニシテイタ物ダ」
(頼華ちゃんの御先祖の頼光様が斬り、薄緑の前に名付けられた「蜘蛛切」の由来の蜘蛛か……)
熱病を患った頼光様が、原因と思われる蜘蛛を斬った事により、それまでは膝丸と呼ばれていた太刀を、蜘蛛切と名付けたのだった。
実際に熱病の原因が蜘蛛だったのかどうかは不明だが、その後も頼光様とその配下の武者は、山蜘蛛や土蜘蛛と呼ばれる相手と戦ったと、物語で伝えられている。
「過去の出来事に関しては気の毒だとは思う。だが、頼光様の子孫ではあるが、今は名も変わった太刀の持ち主には関係の無い事だ!」
口で言ったところで相手が納得するかはわからないが、理不尽な事をされて納得出来ないのはこっちも同じだ。
「我ラノ安住ノ地ヲ、蜘蛛ヲ斬ッタ太刀ヲ持ツ者ニ荒ラサレル訳ニハイカンノダ」
「俺達は荒らしに来た訳じゃ無い!」
相手の言っている事はわかるのだが、どうもこちらの言う事を、理解しようとしていない節がある。
(言葉で済ませられれば思ったけど、考えが甘かったかな……)
とっとと出て行けと言うなら出て行くのだが、相手が求める結論と合致していないのを感じるので、このまま行くと最後に立ってた方の勝ち、みたいな結論になってしまいそうだ。
(出来れば穏便に済ませたいんだけどなぁ……)
敵を倒すというのと、みんなと合流、その後のこの空間からの脱出は別の話なので、色々と知っていそうな相手を痛めつけるという手段は、出来れば用いたくは無いのだ。
「戦うのは構わないが、一応は警告する。やめておけ」
(あ”あ”あ”……こ、こんな大人物みたいな物言い、したくない……)
下手すれば悪役っぽくすらある、こんな大上段から相手を見下した言い方は本当に嫌なのだが、これで引いてくれれば安い物と考えての行動だ。
「グ、グ……貴様が強イノハワカッテイル。ダガ、我トコノ者が敗レレバ、ドチラニシロコノ場所ハ失ワレテシマウノダ……」
(ん? 今、我とこの者って言ったか?)
この場にいるのは目の前の蜘蛛だけだが、話している相手とは別の相手がいるような事を言っている。
「……そういう事か」
複数の気配は感じないが、目の前の蜘蛛をじっくりと観察すると、一本の糸が繋がっているのに気が付いた。
「俺の目の前にいる蜘蛛と、話しているお前は別の存在だな?」
変な表現になるが、目の前の蜘蛛では無く、繋がっている糸から動揺した気配が伝わってきた。
「居場所はわかったから、目の前のこいつを無視して、お前を倒しに行く事も可能だぞ?」
「……」
眼の前の蜘蛛が、そう易々と俺を通してくれるとは思えないが、脅し文句としては有効だったようだ。さっきよりも、糸から伝わる動揺する気配が強まっているのを感じる。
(もしかして、最初からこいつは俺に敵わないって認識で、足止めが目的か?)
「俺だけを足止めしても無駄だぞ。仲間達はみんな強いからな」
「ッ!」
これだけ遠ざけようとしているという事は、頼華ちゃんの薄緑はこいつらには相当に有効だろうし、俺が一緒にいない事で歯止めの効かない黒ちゃんが、どれだけ暴れるのかは想像もつかない。
相手もその事はわかっているのだろう。焦る気配がはっきりと感じられた。
「クッ……ダ、ダガ……」
「俺達を無事に開放するのなら、こちらからは手を出さない事を約束しよう。無論、仲間達にもそうするように言って聞かせる」
黒ちゃんを宥めるのには苦労するかもしれないが、無事に脱出出来るのなら安い物だ。
「これだけ言ってもダメか……ならば、目の前のこいつもお前も含めて、眷属とやらも全て根絶やしにする」
相手に俺達を殺そうとまでの考えがあるのかはわからないが、目的は源氏の末裔である頼華ちゃんと薄緑な
のは間違い無いので、引き渡せとか置いていけなんて言われたら交渉の余地は無い。
「ナ! ナント無慈悲ナ事ヲ言ウノダ!」
「やかましい! 過去に傷つけられたり殺されたりしたら復讐出来るというのなら、仲間……いや、家族も同然のみんなを害そうとするお前らに対し、俺が復讐するのは当たり前だろう!」
過去の出来事については同情の余地もあるが、数代も後の子孫に復讐しようって相手に、甘い顔なんか出来る訳が無い。
(まあ日本って、何故かそういう風土があるんだけどな……)
崇徳天皇とか菅原道真みたいに、祟って神にまでなっちゃう人がいるんだから、根深く長く恨むのは当たり前、みたいな感じになっているのかもしれない。
「グヌヌ……ワカッタ。ダガ、ココニ棲マウ者達ニ手出シヲシナイト約束シロ」
根絶やしにという脅しが通じたのか、相手は俺の申し出を呑んだ。
(よ、良かった……半分くらいは本気だったけど、争いになったら双方共に益が無いからなぁ)
命までは奪われないとは思うが、大切な人達を傷つけられての痛み分けみたいな結果になったら、実質こちらの負けである。
「信用シナイ訳デハ無イガ、貴様ノ一番神聖ナ物ニ掛ケテ、棲マウ者達ヘ手出シヲシナイト誓エ」
こっちの世界で誓約は重い意味を持つし、警戒している相手に対してのこの申し出は当然であり、効果的だ。
「わかった。俺は一つだけの神仏を奉じていないので、これまでに縁のあった神仏に対して、お前との約束を守るという誓いを立てよう」
観世音菩薩様、八幡神様、天照坐皇大御神様には直接的にお世話になっているが、他にも鍛冶作業の際に金屋子様など、間接的にお世話になっている神様も考えると数え切れない。
一柱の神様だけに対して誓っても角が立ちそうな気がしたので、些か八方美人的になってしまうが、縁のあったという事で観世音菩薩様、八幡神様、天照坐皇大御神様の三柱の神様に誓いを立てる事にした。
(観世音菩薩様、八幡神様、天照坐皇大御神様、皆様の名に掛けて、今、俺が話している相手との間で、不戦を誓います)
「……を?」
誓いの言葉の内容や、やり方が合っているのか自信が無かったが、閉ざされているこの空間の中でも、誓いを立てた三柱の神様と繋がって、受け入れられたという実感が得られた。
「俺の方は誓いを立てたぞ。お前も誓うんだろうな?」
不戦を誓いはしたが、みんなの安全を確認出来ていないので気が立っているのか、言葉使いが荒々しくなっているのを自覚する。
「当然ダ。私ハ古クカラコノ地ニ棲マウ一族ト、祖先ノ霊ニ掛ケテ誓オウ」
(……ん?)
話している相手との間で誓約を取り交わしたからか、さっきの神仏との間の物とは少し違うが、何かが繋がった感じがした。
「デハ、貴様ノ仲間達ト合ワセヨウ。案内ハイラナソウダガ……ソノ者ノ後ニツイテ来ルガイイ」
「わかった」
蜘蛛というと、忙しなく脚を動かしているイメージだが、俺の少し前を進む黒い大蜘蛛は、なんかのっそりとした歩き方をする。
(なんか、意外と愛嬌があるな)
この歩き方を見て確信したのは、話をしていた相手とこの蜘蛛とは、やはり別の存在だろうという事だ。
(戦闘力は高いのかもしれないけど、この蜘蛛は色々と考えを巡らすとかいうタイプには見えないなぁ)
話していた相手が頭脳労働担当だとするなら、この黒い大蜘蛛は肉体労働担当といったところだろう。
「ん?」
敵地とも言える場所で、そんな事を考えながら蜘蛛に付いて歩いていると、霧の帳の向こうから、別の大きな蜘蛛が姿を現した。
「これは……」
「非礼を働いた事に関しては詫びよう。そして、そんな我に不戦を誓ってくれた事を感謝する」
眼の前には、本来なら八本あるはずの脚が六本しか無く、身体中が傷だらけの白い大蜘蛛が地面に伏していた。
(これは、蜘蛛なのか?)
俺を案内してきた蜘蛛は、普通の雲がスケールアップしたようなフォルムなのだが、目の前の白い蜘蛛は黒い蜘蛛以上に大きな身体の体表に、年老いた女性の顔のような物が浮かび上がり、その顔にある口から言葉を発しているのだ。
(でっかい蜘蛛ってだけでも妖怪っぽいんだけど……これが本当の土蜘蛛か)
別種の存在なのかは不明だが、人の顔があり人語を話すこの蜘蛛は、確かに妖怪なのだろう。
皺だらけの顔に見えるのに言葉使いが滑らかであり、発する声が妙齢の女性のような綺麗に澄んだ物なのが、益々妖怪っぽさを増している。
「それで、俺の連れはどこにいるんだ?」
「今、来る」
白い蜘蛛が呟くと、数匹の小さな、と言っても三十センチくらいの大きさの蜘蛛がわらわらと現れ、続いておりょうさんと黒ちゃんのペアが、更に頼華ちゃんが、最後に白ちゃんが霧の向こうから現れた。
「良太っ!」
「御主人っ!」
「兄上っ!」
「主殿っ!」
自主的な序列による物か、おりょうさんと頼華ちゃんが俺の胸に飛び込んでくるのに少し遅れて、黒ちゃんと白ちゃんも、遠慮がちに抱きついてきた。
「みんな、怪我とかは無い?」
「あたしは大丈夫だよ」
「余も平気です!」
「あたいも平気だけど、お腹減った!」
黒ちゃんのいつも通りの言葉を聞いて、短い間ではあったのだが、日常を喪失していたのだなと実感した。
「無事ではあるが……済まん、主殿。主命を果たせなんだ」
白ちゃんが深い角度で、俺に向かって頭を下げた。
「いや、俺も咄嗟に反応出来なかったから、気にしないでいいよ」
白ちゃんは頼華ちゃんと離れてしまった事を気に病んでいるようだが、それは俺もなので責められる立場じゃ無い。
「無事に合流出来て良かったけど……結局、どういう状況なんだい?」
「まあ、当然の疑問ですよね……」
みんなの無事を確認出来たのでホッとしたのだろう。おりょうさんが現状の確認をしてくる。
「どうやらこの蜘蛛達は、源氏に恨みがあるらしいんですが……」
「源家にですか!?」
まさか自分が原因だとは思っていなかったのだろう。頼華ちゃんが目を丸くする。
「うん。でも、数百年前の話なんだけどね……」
俺はみんなに掻い摘んで状況を説明する。というか、掻い摘んだ事しか説明出来ないというのが正しい。
「それは……聞け、蜘蛛よ! 先祖が行った事、恨みに思うのはわからんでも無い! しかし、他の人間を巻き込んで良いという事にはならんぞ!」
源氏に恨みがあるのなら、自分だけにしとけという事のようだ。なんとも頼華ちゃんらしいと言える。
「関係の無い者を巻き込んだ事は済まないと思っている。しかし、我もこの里と、ここに棲まう者を守ろうと必死だったのだ……」
力の感じられない声で話す蜘蛛の周りでは、擁護するように小さい蜘蛛達が動き回っている。
「この里と、ここに棲まう者達の事は、見逃してくれ……どうせ先の短いこの生命を、非礼の詫びに差し出すから」
「む? お主、死に瀕しておるのか?」
「蜘蛛を切るという名の太刀に、身体を蝕まれておるからな……」
(名前が付く事による、能力の定着か……)
現在は薄緑と呼ばれる太刀に、元々はそんな力は宿っていなかったと思われるが、蜘蛛を切ったという実績によって、能力と言うか呪いのような物が備わってしまったのだろう。
名付けられて能力や存在を確定という事なら、黒ちゃんや白ちゃんも、刀の巴もそうだ。
「黙って通していれば、生命を削る事も無かったろうに……」
「そこまでは考えが及ばなかった……やはり長くは無いのであろうな」
哀れみを含んだ頼華ちゃんの言葉に、蜘蛛は達観しているような返答をする。
「お前が死んだら、この里と呼んでいる場所はどうなる?」
俺の見立てでは、里と呼ばれるこの場所を護って戦えそうなのは、案内してくれた黒い大蜘蛛だけだ。小さい蜘蛛は弱くは無いが、ある程度以上の戦闘力のある相手には駆逐されてしまうだろう。
「それだけが心残りであるが……外部の者が侵入してもしなくても、緩やかに滅ぶであろうな」
「あれだけ必死に護ったのに?」
滅びるとわかっているのに、命を捧げてまで護ろうという考えは、ちょっと理解に苦しむ。
「我のようにある程度以上の思考が出来れば、外に行って帰ってくる事が出来るのだが、思考が出来ない者は、殆ど戻ってくる事が無いのだ」
どうやら蜘蛛は、この里と呼ばれる場所から出入り自由らしいのだが、思考能力が弱いと、帰って来るという事自体を思いつかないらしい。
「我のように長く生きていると、ある程度は眷属達に言う事を聞かせられるのだが……」
どうやらこの白い蜘蛛は、他の蜘蛛の上位に当たる個体で、司令塔のような役割を持って群れを統率出来るようだ。
「そこの黒蜘蛛が生き延びれば、役目を引き継げるのだが、それまでは持ちそうに無いのだ」
(黒い蜘蛛も子蜘蛛も身体が大きいだけで、思考能力は普通の蜘蛛程度しか無いって事か……)
琵琶湖の鯰の話でも出たが、蜘蛛も年月を経て、真の意味での妖怪へとなるのだろう。
「ふむ……おい蜘蛛。貴様、主殿の下僕になれ」
「ちょっ!? 白ちゃん!?」
なんか白ちゃんが、とんでもない事を言い出した。
「……我に、人の下に付けと?」
「そうだ。この里とかいう地と、眷属共を存続させたければ、な」
「……もしかして、俺の下に付く事で、存在を定着させるの?」
「そうだ。主殿ならば可能だろう」
黒ちゃんと白ちゃんに対して行って成功した例が、ある事はあるが……。
「でも、変質しちゃうんじゃないの?」
異形だった黒ちゃんと白ちゃんが、現在のような人間体になったという事例があるので、その点は気になるところだ。
「そこは、条件付けをちゃんと行えば大丈夫だろう」
「条件付け?」
「俺達の場合は、主殿と行動を共にしたいという願いがあったので、現在の身体を得ている」
「ああ。そうだったね」
姿を消してという手段もあったのだけど、黒ちゃんと白ちゃんは出来るだけ俺と一緒にいたいという事で、人間型になり、更に肌の色などを調整してくれたのだ。
「こいつらの場合はそうでは無さそうだ。だから例えばだが、主殿の許可無くここを出入り出来ないとかの条件を付けてはどうだ?」
「ああ。俺の配下になったら、この蜘蛛の代わりに俺の命令を聞くって条件を付けるんだね? それで、出入りに制限を掛けると」
「そうだ。そして、もしもこの場所を脅かす存在が現れたら、その時は俺達で対処する、というのではどうだ?」
思考能力の低い子蜘蛛達が、里の外に出て人に迷惑を掛けても困るし、だからと言って滅ぼしてしまえというのは、余りにも短絡だ。
「い、異形の我らを護るために、戦ってくれると言うのか!?」
「まあ、成り行きだけど、それくらいならね」
そもそも今回だって、俺達をスルーしていれば大丈夫だったはずなので、そんなに頻繁にこの里と呼ばれる場所が、外敵に脅かされる事は無いだろう。
「それと、その傷は癒せるかもしれないよ?」
「な、なんと!?」
白い蜘蛛は驚いているが、おそらくは出来るだろう。
「傷つけられているからだろうけど、根本的に気が枯渇しかかってるみたいだね」
白い蜘蛛の身体からは、脚の欠損や損傷を受けている部位の分だけ、気自体も欠損してしまっているのが、目を凝らしての観察でわかった。
「配下になるならないは別にして、身体を治しちゃおうか」
無事な姿のみんなと合流出来た事で、俺の中での怒りが急速に小さくなり、相手の事を思いやる気持ちが芽生えているというのを、自分の言葉によって自覚した。
「そんな事が出来るのならば……お願いしたい」
「わかった」
僅かな希望に縋るように、今までは弱々しかった白い蜘蛛の言葉に、少しだけ力が宿った。




