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宴会

「良太ぁ。合わせ酢の加減は、本当に江戸風でいいのかい?」


 寿司桶の中で、もうもうと盛大に湯気を上げる御飯の前で、おりょうさんが戸惑ったような表情で俺を見ている。


「構いません。あくまでも試作で、試食なんですから」

「わかったよ」


 江戸風と関西風では、寿司飯に砂糖を使わなかったりなどの違いがある。


 伊勢は位置的に関西圏になるので、おりょうさんは俺に確認をとったのだと思うが、今日のところは関東風の合わせ酢で作ってもらう。


「今日の料理を店で出すかどうかもわかりませんし、もしも出すなら、店の味になるようにしなければなりませんしね」

「そりゃそうだねぇ」


 地域によって米の味も酢の味も違うので、最終的には伊勢の味になるというのが理想的だ。


「こ、こんな量の海苔を炙るのは初めてです!」


 炭火の前で、ひたすら板海苔を炙り続けている頼華ちゃんが、珍しく弱気な声を上げた。


「頼華、代わるか?」

「ぬぅ……白の作業の方が大変なのはわかるので、気持ちだけ受け取っておこう」


 頼華ちゃんに気を遣って声を掛けた白ちゃんは、大量の鶏肉を鍋で焼いている最中だ。かなりの重量の鍋を揺すって、肉にタレを絡めている。


「あたいと代わる?」

「黒の方もなぁ……」


 黒ちゃんの方は熱い油の鍋の前で揚げ物を作り続けているのに、涼しい顔をしている。


(黒ちゃんだから平然としていられるんだろうなぁ)


 竈の前から離れていても、フル稼働している厨房内はかなりの暑さだ。その中でも揚げ物を担当している黒ちゃんの立ち位置は、普通ならば長時間は作業していられないレベルだろう。


「親方。これはもう一度掻き混ぜるんでしたっけ?」


 大きな鍋ごと冷やされて、表面を均してある固まりかけの氷みたいな物を示しながら、貞吉さんが尋ねてきた。


「ええ。底の方から起こすように掻き混ぜて、全体がザクザクした感じになるようにお願いします」


 本来ならば冷凍庫に器ごと入れて冷やし、混ぜる作業をするのだが、冷凍庫なんか無いので俺が権能で鍋を氷点下まで冷却している。


 熱気の籠もった厨房内でも、貞吉さんの扱っている鍋の周囲には冷気が漂う。


「ザクザクですね……」


 ザクザクという擬音の意味がわかったのかどうかは不明だが、貞吉さんは鍋の底から起こして掻き混ぜるという作業に没頭している。


「良太。寿司飯の用意はいいよ」

「兄上! 海苔の焼きと切る作業、完了しました!」

「御主人、揚げ物終わったよー!」

「主殿、作業完了だ」

「俺の方も、終わりだな」


 続々と届く完了報告と同時に、人任せに出来なかった自分の分の作業も完了した。


「じゃあ、出来た料理を運ぼうか」

「「「おー!」」」


 作業の疲れも見せずに声を上げるみんなと一緒に、宴会場へ料理を運び込む。



「様々な教えを請うた、本来ならばこちらがおもてなしをしなければならない鈴白様御一行に、料理を作って頂くという状況になってしまいましたが、みんな感謝の気持ちを忘れずに頂戴するとしましょう。乾杯!」

「「「乾杯!」」」


 椿屋さんの乾杯の音頭で、様々な飲み物の注がれた器が掲げられた。


「早速ですが鈴白様、これはどういう風に食べれば宜しいので?」


 卓ごとに分けて用意された、合わせ酢以外の味付けがされていない寿司飯を前に、椿屋さんが尋ねてきた。他の卓の人達も注目している。


「自由に食べて頂いていいのですが……こう、海苔の上に控えめに寿司飯を広げて、そこに刺し身や山葵なんかを載せて、くるっと……」


 俺は寿司飯と具材を載せた海苔を、円錐状に丸めた。


「くるっと、ですか」

「ええ。そうして、醤油をつけて食べればいいんです」


 おそらくはまだこっちの世界には無い、手巻き寿司だ。


「ははぁ。これも串揚げと同じで、好きな具材を巻いて食べれば良いのですね?」


 普通の刺し身とは違って、手巻き用に細長く切ってある数種類の魚介類、同じ様に厚焼き玉子を細切りにした物、胡瓜や葱などの野菜類や紫蘇の葉や漬物、細切りにした燻製肉などを、卓ごとにたっぷりと用意した。


「ええ。具材で季節感も出せますし、どうでしょう?」

「成る程……こいつは、鰻も具材に出来ますね。また巻立ては、海苔がパリッとしててうまいですねぇ」


 少し寿司飯と具材を欲張り過ぎて、不格好になっている手巻き寿司を齧りながら、貞吉さんが考えを巡らせている。


「兄上! こ、この鶏肉の焼いたの、どれも凄くおいしいですよ!」

「料理したのは白ちゃんだよ?」


 頼華ちゃんが言う鶏料理は、九州などにある串に刺さないタイプの焼き鳥だ。


「俺は本当に焼いただけで、タレの味加減をしたのと、調理法を指図したのは主殿だろうに……」

「でも、本当の事だから」


 主と呼んでくれる白ちゃんの手柄を横取りするような事は、俺はしたくない。


「この鶏のタレは、この間の挽き肉をまとめて焼いた物と似ていますね?」


 照り焼きハンバーグの味を覚えていたらしい、朔夜様に指摘された。


「基本は同じ、醤油と酒とみりんと砂糖ですよ。料理自体は簡単だけど、割とおいしいですよね」

「そんな。割となんて……」

「いや、本当に料理自体は簡単なんですよ……」


 適当なサイズに切った鶏肉を鍋で焼き、火が通ったらタレを入れて絡めるだけの、本当に簡単な調理法なのだが、これだけで焼き鳥っぽい味になるのは不思議である。


「確かに主殿の言う通りだが、一度に鍋で多く作れるのは、中々優れた調理法だと思うぞ」

「まあ、そうだね」


 本当は串に刺して焼きたかったのだが、当初の宴会の予定の十人分程度でも、数十本を用意する必要があるし、最終的な人数を考えると、串に刺す作業だけでかなりの時間が必要になってしまう。


 そこで鍋で大量に焼いてタレを絡める方式にシフトしたのだが、簡単な割には評価が高くてホッとした。


(串焼きにも、メリットとデメリットがあるから、そこでも悩んだんだよな……)


 串焼きにして焼台で焼くと、余計な脂が落ちて、特に鶏皮などはカリッと香ばしくなるのだが、脂と一緒に旨味を含んだ肉汁まで落ちてしまう。


 鍋で焼くと、脂が落ちない代わりに旨味も逃げないので、しっとりと仕上がるのだ。その上、一度の調理で大量に作る事が出来るのは大きい。


「鶏以外の、鹿や猪の内臓もおいしいね!」


 鶏肉以外にも、タレ焼きに合いそうな鹿や猪のハツやレバーを小さく切って同じように調理して出してある。勿論、鶏の内蔵もだ。


(レバーはうまいんだけど、あまり大量に食べるものでも無いんだよなぁ……)


 猪はそれ程でも無いが、鹿のレバーは巨大と言っていい程である。だがメインディッシュにするのは、肉に慣れてきてるおりょうさん達でもちょっと無理があるので、あまり消費されていないのだった。


「今までは塩を振って焼いて、七味くらいの味付けだったからね。黒ちゃんが気に入ってくれたなら良かったよ。いっぱい食べてね」

「おう!」


 黒ちゃんには是非とも、大食いの本領を発揮して内臓類の消費に貢献してもらいたい。何せ藤沢の巻狩で仕留めた頭数分の内蔵があるのだ。


(赤茄子(トマト)が手に入ったから鹿の舌は、そのうちタンシチューにでもしようかなぁ)


 内臓と並んでなかなか消費されない舌だが、猪の舌は小さいので、何度か焼き物にでもすれば消費出来るが、鹿はレバーだけでは無く舌も大きい。


(いい食材でも、量があり過ぎるっていうのは考えものだよね)


 鹿の舌の味がいくら良くても食べ飽きそうなので、味覚を変えるのにシチューや味噌漬け、塩漬けなんかを検討する必要がありそうだ。


「俺は塩焼きも好きだが、甘さのあるタレの味は飯に合うな」

「白ちゃんの真心も、料理に加わってるからね」

「な、何を言う!?」


 手伝ってくれた感謝を述べたつもりなのだが、白ちゃんは真っ赤になって箸を落としそうになっている。


「この鶏肉を揚げたのは、醤油味と……もしかして咖喱(カレー)味かい?」

「そうです。おいしくないですか?」

「表面がカリッとしてて、凄くうまいよ。この程度の風味なら、咖喱(カレー)が苦手でも食べられるんじゃないかねぇ」

「という訳で、朔夜様、どうですか?」

「な、なんで私に……」


 何故か疑問形だが、咖喱(カレー)というか辛い物が得意では無い朔夜様に確認をするのが、一番確実だろう。


「うぅ……あ、確かにこれくらいでしたら、香ばしくて少し辛めで、おいしいです!」


 恐る恐る、唐揚げを口に運んだ朔夜様だったが、今まで食べた咖喱(カレー)程の辛さは無く、香辛料の風味が鮮烈だったようだ。


「こう酒に合う物が多いと、つい進んじまうなぁ……」


 自分自身に言い訳をするように、唐揚げを口に放り込みながら松永様は酒盃を干した。


「鈴白様に免じて少しくらいは見逃すが、明日の職務に差し支えのない程度にしておくのだぞ?」

「はいはい、わかっておりますよ。あ、酒の追加を頼まぁ」


 朔夜様に言われたばかりだというのに、松永様は手にした徳利をぶらぶらさせながら、酒の追加を要求する。


「まったく……」

「まあまあ。朔夜様、この煮込みもどうぞ」


 俺は小鉢に盛られた煮込みを、朔夜様に差し出した。


「はい。ん……これは、変わった歯応えに深みのある味わいで。肉ともまた違うようですが、なんですか、この料理は」

「猪の、タレ焼きに使った以外の内蔵を煮込みにした物です」

「な、内蔵ですか!?」


 想像の範囲外の食材だったのか、朔夜様が説明を聞いて驚いている。


「ええ。胃や腸や肺なんかですね」


 胃、腸、肺を小さく切って何度も茹でこぼしを行い、根菜類とこんにゃくなどの具を入れて味噌味で仕上げた、猪のもつ煮込みだ。頼華ちゃんの労作と言える。


「鈴白様に様々な肉を食べさせて頂くまでは、もっと生臭かったり癖があると思っていましたが……」


 多分、肺だろうと思う煮込みの具を箸で摘んで眺めながら、朔夜様がしみじみと呟く。


「内臓の方は適切に処理すれば、肉ほどは当たり外れは少ないですね」


 野生動物の肉は、時期や年齢や雌雄による個体差、処理の仕方などでかなり味に違いが出る。


「そういう物なのですねぇ……」

「御主人、これって鍋? 煮込み?」


 八丁味噌の濃い色で、中の具が良く見えない鍋を黒ちゃんが指差す。


「この間、那古屋で食べた田楽を覚えてる?」

「田楽って、あの豆腐を焼いたのと、こんにゃくに味噌を塗ったやつ?」

「そうそう。これは具材を煮込んで作った田楽だよ」


 元の世界では田楽が、関東で現代の物と殆ど変わらないおでんに変化して、後に関西に広まったのだが、こっちの世界の江戸では見たおでんの屋台が那古屋では見当たらなかったので、関東と関西の行き来が活発では無い事が伺える。


 そこで提供し易い煮込みおでんを伊勢でも、と思って作ってみた。


 大根やゆで卵、鰯のつみれなどの練り物を、出汁の効いた醤油味では無く、味噌味で仕上げた。豆腐や厚揚げなどは、専門店から買い入れた物だ。


「良太ぁ。おでんなら、醤油味の方が良かったんじゃないかい?」

「そうなんですけど、ちょっと江戸のおでんには無い具が入っていまして……これを入れて、もしかしたら煮汁が濁るんじゃないかと思ったんです」


 焼き鳥を串打ちしない方式にしたが、今回作ったおでんには、串に刺してある具材が入っている。鹿のアキレス腱だ。


 今では比較的ポピュラーなおでん種である牛のスジ肉だが、出汁が良く出ておいしい代わりに、下処理をしっかりしないと、脂やアクで煮汁が濁るという難点がある。


「だったら最初から澄んで無い煮汁にしちゃえと思って……どうぞ味見を。鹿のスジ肉です」


 中華では乾物にした物を戻して煮込みにする鹿のアキレス腱だが、乾燥させる時間も無いし、戻して使う処理も面倒なので、内臓と同じく茹でこぼして柔らかくしてから、小さく切って串に刺した。


「ん……くにゃくにゃの不思議な歯応えで、とろりとしてるんだねぇ。良く味が染みてるけど、煮汁の色から想像する、辛かったり濃過ぎたりもしない。いい味だよ」

「ありがとうございます。他の具材はどうですか?」


 先ずはおりょうさんに合格点を付けてもらえたみたいなので、ホッと一息だ。


「鰯のつみれなんかは江戸でも見るもんだけど……馴染みのある醤油味の方が、あたしにはうまく感じるねぇ。でも、これはこれでいいんじゃないのかい?」


 おりょうさんの食べ慣れた、江戸風の醤油味を超えるのは無理だったようだが、つみれみたいなポピュラーなおでん種に関しても、評価は悪くないみたいだ。


「ううむ。一通りの具材を出してもいいし、客に好きな物を選んでもらってもいいのか……」

「新たな具材の開発と合わせて、この先の采配は貞吉さん次第ですよ」


 特に今回は見栄えなども考えていないので、盛り付けなどの提供の仕方も貞吉さん次第だ。


「難しいですが、色々と試す楽しみもありますなぁ」


 頭の中でおでんの具材を考えているのか、貞吉さんは小声で食材や調理法を呟いている。


「鈴白さん。この汁、以前に頂いたのもおいしかったですけど、同じかそれ以上においしいですね!」


 海老と挽き肉、二種類の雲呑が入った鶏のスープを味わって、お藍さんが笑顔を浮かべている。


「前にお出ししたのは鹿の燻製から作った物ですけど、これは鶏です。具の中身は猪と海老ですよ」

「鶏の汁だったら、貞吉さんでも作れます?」

「作り方は親方に教わっていますが、同じ味が出せるかと言われますとねぇ……」


 お藍さんに期待の籠もった視線を送られて、貞吉さんが渋い表情をしている。


「別に、俺と同じ味を出さなくったっていいんですよ?」

「そりゃそうなんですが……」

「それに今回は、白ちゃんが作ったんですから……」

「主殿、誤解を招くような言い方はダメだぞ」


 貞吉さんを慰めようとした俺を、白ちゃんが遮った。


「誤解も何も、鍋を見てたのは白ちゃんでしょ?」


 白ちゃんが丁寧にアク取りなんかをしてくれたので、今回のスープはおいしく仕上がったと言える。


「最終的に味付けをしたのは主殿だろう?」

「そうだけど……」


 料理の八割以上を白ちゃんが作ったので、俺には実感が無い。


「親方。料理の仕方を指図をするのと、作るってのは同じ意味ですよ」

「ですが……」

「部下に作らせて褒められたら、それは指図する人間の手柄です。しかし文句をつけられたら、それも指図した人間の責任なんですよ」

「……」


 椿屋という店の厨房を預かる、貞吉さんの言葉は重かった。


「貞吉は中々いい事を言う。その通りだ主殿。俺達の手柄は主殿の手柄で、俺達が間違いを犯したら、それは俺達の……」

「……白ちゃん、微妙に歪曲させないでね?」

「バレたか」


 貞吉さんの言葉が心に染み入ったので、危うくペロッと舌を出す白ちゃんの言葉を、鵜呑みにしてしまうところだった。


「……話を戻しますが、作り置きをしておけば汁に具を入れて煮立てて、浮かんできたら出来上がりですよ」


 微妙な茹で加減の難しい麺類なんかと違って、雲呑は出来上がりが目に見えるので簡単だ。


「具が小麦粉で出来てるから、お腹も落ち着きますね!」


 仕事の合間に手早く食べられるメニューはありがたいのだろう。お藍さんの雲呑への関心は大きいようだ。


「貞吉さん、お藍さん達の期待に応えてあげて下さいね」

「責任重大ですなぁ……」


 妓楼で働く人達は、下働きも含めて身体が資本とも言えるので、俺が古市に来る以前から貞吉さんの背負うものは大きかったのだが、より重みを増してしまったようだ。



「では、食後の締めを」


 まだ料理は残っているが、酒が飲めない、もしくはあまり飲まない人間は、既にお腹いっぱいな状態になっているので、一応の区切りのためにデザートを出す事にした。


「これは……かき氷とは違うようですが?」

「氷菓です。材料は入手し易い物だけで出来ています」


 適当な小鉢に盛り付けた氷菓(シャーベット)は、果汁などが入っていない。生姜の汁で作った物だ。


「むぅっ!? ど、どうしてこれは、こんなに滑らかなんですか!?」


 かき氷と似たような物を想像していたのだろうと思われるが、氷の粒を感じない滑らかな舌触りと、口の中で優しく溶けていく感覚に、椿屋さんが驚いている。


「少しの手間で、こういう風に作れるんですよ」


 水と砂糖を煮詰めてシロップを作り、冷やして混ぜればそれだけでもシャーベットになるのだが、もうひと手間掛けて、固く泡立てた卵白も混ぜてイタリアンメレンゲを作り、滑らかな舌触りのシャーベットに仕上げた。


「甘いのに、生姜のピリッとした味が、不思議な感じがします」

「生姜の味は夏でも冬でもいいですよね。季節の果物の汁なんかも、味付けに使えますよ」

「まあ! なんて素敵……」


 果汁入りの氷菓の味を想像をしているのか、おせんさんが表情を綻ばせている。やはり女性にはスイーツが喜ばれるようだ。


「もう一品はこれです。牛の乳が手に入らないと、これの再現は難しいんですが……」


 シャーベットに使った物より大きめの器に盛り付けたデザートを、人数分配った。


「むぅぅっ! こ、この濃厚で芳醇な甘さは! しかもそれが幾層にも重なって……兄上はなんて恐ろしい方だ!」

「あの……それは褒めてくれてるの?」 


 一口食べて、カッと目を見開いた頼華ちゃんの言葉は、褒められているのか判断に困るところだ。


「……今まで良太の作る菓子は色々食べたけど、これはとどめを刺された感じだねぇ」

「そ、そうなのかなぁ?」


 何故かおりょうさんは、少し深刻な感じの表情でデザートの器を見ている。


「……周囲を見てごらん」


 おりょうさんに言われて食べている人達の様子を伺うと、反応は様々だった。


「……」

「こ、こんなお菓子がこの世に……」

「お、お父さん! 今度これ、いつ食べられるんですか!?」

「寄越せー!」

「ふざけないで!」


 放心状態だったり、驚愕に目を見張っていたり、椿屋さんに確認したり、取り合ったりと、本当に様々だ。


「鈴白様、とんでもない物をお作りになりましたなぁ……」

「そこまでですか!?」


 椿屋さんの溜め息混じりの言葉を聞いて、俺は事の重大さを悟った。


「親方、こいつはちょっと凝り過ぎですぜ……」


(伊勢や那古屋で仕入れた材料で、集大成的なデザートを作っただけなんだけどな……)


 最下層にアイスクリームを盛り付け、その上に砂糖を煮詰めたシロップを染み込ませて砕いたカステラを敷き詰め、更にアイスクリーム、カステラの層を作る。仕上げに砕いた扁桃(アーモンドを散らし、ミルクとチョコレートのキャラメルを溶かしたソースを掛けて、今回のデザートの完成である。


「うーん……もっと凝った菓子もあるんですけどねぇ」


 パイの類や、クリームとスポンジの多層構造のオペラのようなケーキなどは、もっと凝った作りになっている。


「その情報は、知って良かったのかわかりませんなぁ……」


 呆れるような言葉を漏らして、貞吉さんはデザートの残りを口に運んだ。



「素晴らしい料理の数々でしたが……最後の菓子に、全てを持っていかれた気がしますなぁ」

「「「……」」」


 所々で奪い合いにまで発展していたデザートも食べ終わり、落ち着いた空気になったところで出た椿屋さんの一言に、周囲の人達は黙って頷きながら同意を示す。


「俺としては、猪と鹿を使った料理と最後の菓子以外は、材料が入手し易いというのを念頭に作りました」


 手巻き寿司に使う魚介類は言うまでもないが、雲呑に使った海老もスープや唐揚げに使った鶏も、こっちの世界でポピュラーな食材だ。


「御心遣いはわかっております。串揚げ同様、手巻き寿司も、妓女とお客様が一緒に作って食べる楽しみがありますなぁ」

「あっ!」


 もしかしたらだが、妓女であるお藍さんは気がついていなかったのか、椿屋さんの説明を聞いて、口元を押さえながら声を上げた。


「お藍……」

「お、お客様にお出しする前に、巻き方を勉強しますね!」


 渋い顔をする椿屋さんへ、お藍さんは申し訳なさそうに言い訳をした。


「お代官様、当方でも協力させて頂きますので、何卒、牛の乳の安定供給に御尽力を……」


 牛乳由来の食材を使ったデザートを食べて、必要性を再認識したらしい椿屋さんは、お藍さんへの苦言を一時棚上げして、朔夜様に深々と頭を下げた。


「「「……」」」


 デザートをもう一度味わいたいと考えているらしい椿屋で働いている人達も、店主に倣って頭を下げた。


「わかっている。まずは那古屋から伊勢への牛の移動からだ。松永、そなたの責任に於いて、早急に手配致せ!」

「わ、私がでございますか!?」


 急な那古屋への出張命令を下されて、話の最中も飲み続けていた松永様が、危うく酒盃を取り落としそうになる。


「牛という、扱う物が物だ。私が行く訳にはいかんのだから、そなたが行くしか無いであろう」

「……承知致しました」


(朔夜様は、本音では御自身が那古野に行きたいみたいだなぁ……)


 織田家の重要な資産である牛を伊勢へ、というだけでも一大事だと思えるので、交渉や移動などの手続きを考えると、朔夜様が自ら出向きたいと考えているのだろう。


 だが代官という役柄上、朔夜様自身が長く伊勢を空ける訳にも行かないのだ。


「椿屋さんと代官所の厨房で、ある程度の期間を賄えるだけ量の、牛の乳と乳酪(バター)は置いていきます」


 俺の同行者の中には、毎日牛乳を飲んだりする人間はいないので、那古野から貰った分の全量を持っていく事はしないつもりだ。


「ただ、常温での保存は出来ないんですが……」


 そろそろ梅雨から初夏という時期なので、牛乳は勿論、乳酪(バター)も常温ではダメになってしまう。


「そこまでお考え頂かなくても……この先は、我々でなんとか致します」

「ええ。鈴白様、お気遣い感謝致します」


 椿屋さんと朔夜様が、口々に言いながら頭を下げた。多分だが、自分達が使っている福袋のような保存手段があるのだろう。


「さて、無論ですが明日はお見送りをするつもりでおりますが……これは鈴白様を始めと致します、当店へ御尽力頂いた皆様への、心ばかりのお礼でございます」

「いや、椿屋さん。宿泊とかでお世話になっていますし……」


 松永様の言うお大尽遊びなんかはしていないが、快適な風呂付きの宿代わりに、椿屋でかなり好き勝手に過ごしたのだ。


「私も客商売をしている身でございます。役立つ知識や作法などを教えて頂いたのですから、それはちゃんとした対価で(あがな)わねばなりません」

「ですが……」

「それに鈴白様。今日の料理には、かなり御手持ちの物を使われておりますね?」

「う……」


 肉類に関しては使い切れない程あるので、むしろ消費を手伝ってもらったという意識なのだが、今回はデザートに使う砂糖に関しては、黒ちゃんが仕入れてきてくれた和三盆を大盤振る舞いした。


「これは、料理の指導をして下さった鈴白様、接客の指導をして下さったりょう様、作法の指導をして下さった頼華様へ。こちらは少し少ないですが、黒様と白様へも」


 俺とおりょうさんと頼華ちゃんの分と、黒ちゃんと白ちゃんの分というぽち袋を、椿屋さんが差し出してきた。


「幸いな事に、お藍を始めとする妓女達は、予約をお断りしなければならない程でして」

「それは……凄いですね」


 椿屋さんが少し話を大袈裟にしているのではないかと思ったのだが、お藍さんやおせんさん、貞吉さんが俺の視線に気がつくと、真剣な表情で頷いたので、どうやら本当に繁盛しているみたいだ。


「そうだぜぇ。そのおかげで、俺がお藍に相手をしてもらう機会が減っちまったよ」

「っ! も、もう。旦那様ったら……」


 松永様と真っ赤になるお藍さんから、更なる裏付けが取れた。


「御納得頂けましたら、どうぞお収め下さい。今後当店が儲けさせて頂く額からすれば、お礼としては少な過ぎるくらいでございますが……」

「……わかりました」


 貰うのが俺だけでは無くおりょうさん達もなので、これ以上固辞するのはやめておいた。


(あー……予想はしてたけど)


 受け取ったぽち袋の感触からして、包まれているのは硬貨が一枚で、一枚なのにずっしりとした重さから、俺とおりょうさんと頼華ちゃんの分は、間違い無く金貨だ。


 黒ちゃん達の分には複数の感触があるので、おそらくは銀貨が数枚だろう。


「椿屋、もう良いか?」

「ええ。私共からの礼金の方は、確かにお受け取り頂けましたので」

「あの、朔夜様も何か?」


 嫌な予感しかしないが、逃げ出す事も出来ないので朔夜様の言葉を待った。


「実は那古野の織田屋敷から飛脚便が来まして、鈴白様達の御活躍を知らされました」

「えっ!?」


 御活躍と言われての心当たりは、掏摸集団を捕まえたのと、その後に路地裏で仲間達を捕まえた件だろう。


「突然その事を伝えられて、何も知らずに、あやうく恥をかくところでしたよ……」

「ははは……那古野での事なので、朔夜様の手を煩わせるのはと思いまして」

「身元保証人に、私の名前をお出しになったのでしたら、一言頂きたかったのですが!?」

「は、はいっ! ごもっともです……」


 尾張一帯で一番確実な身元保証人だと思って朔夜様の名前を出して、家紋入りの小柄(こづか)を見せたのだから、わざわざ報せる事も無いだろうと報告を怠ったのは、完全にこちら側の手落ちだ。


「捕まえた連中の根城を調べ、わかる範囲で被害者へ盗られた金や物を返還しました。連中に殺されていたりして持ち主不明の分に関しては、一部を織田家が徴収して公金にしますが、残りは報奨として鈴白様に支払われます」

「……は?」


 悪党を捕まえて報奨金なんて物があるとは思わなかったので、少し間抜けな反応をしてしまった。


「困った事に、相当に荒稼ぎをしていたようでして……どうぞ、お納め下さい」


 朔夜様が懐から取り出した袱紗包みは、中々の大きさがある。


「は、はあ……」


(困ったなぁ……)


 そういうつもりでは無かったので断りたいが、おせんさんの時と同じで、受け取らないとまた一悶着あると思ったので、複雑な心境でずっしりと重い袱紗包みを受け取った。


「鈴白様がお発ちになる前で、本当に良かったです」

「重ね重ね、申し訳なく……」


 朔夜様に職務の不履行をさせてしまうところだったので、心からの謝罪として俺は頭を下げた。

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