ハンバーグ
「ぐぁぁっ!? す、鈴白さん、なんですか、この煙と匂いはっ!?」
「あ、すいません!」
香り付けをした胡麻油を、唐辛子の粉に注ぎ込んで発生した煙をまともに浴びて、たまたま近くにいた料理人の一人が涙を流している。
「あー、目に染みる……もしかしてこれを、料理に使うんですか?」
「ええ。昼食でお出ししますよ」
「そ、そうですか……」
作っている俺自身も相当に目に来たので、料理人の男性が少し怯む気持ちも、わからなくはない。
「山葵や練りからしみたいに、香りはきついけどおいしいものはありますから、出来上がった物を食べるまでは、良し悪しの判断はしないで下さいね?」
白ちゃんの咖喱のように、最初に苦手意識を持って以降は手が出なくなるというのは、普通の人間なら問題は無いのだが料理人にとっては致命的な欠点になる。
そして食べた上での好き嫌いは仕方がないが、料理人が食わず嫌いでは話にもならない。
「あー……確かに仰る通りですね。では手伝いをしながら、近くで作るところから、じっくり見させて頂きます」
「じゃあ豆腐を、賽の目に切って茹でて貰えますか?」
「わかりました」
「御主人、言われた分は全部終わったよ!」
「俺の方も出来たぞ」
丁度良いタイミングで、黒ちゃんの挽き肉と、白ちゃんの皮を延ばす作業が終わった。
「じゃあ手分けして作業しようか」
豆腐を使う料理は手順的には最後になるので、先に黒ちゃんが作ってくれらた挽き肉と、白ちゃんが作ってくれた皮を使った料理に取り掛かる。
「おう!」
「どうすれば良いのだ?」
「ちょっと待ってね……」
まだ残っていた鶏ガラから作ったスープを火に掛けて温め、殻と背わたを取った海老を荒く刻む。
隣の竈には別の鍋に水を入れて火に掛け、蒸籠を載せた。
「こう、白ちゃんの作ってくれた皮に少し載せて、しっかり包んで」
「こう?」
「ちょっと具が多いかな……」
自分が食べたい量が反映しているのか、黒ちゃんが作った物は具がはみ出しそうになっている。
「これで良いか?」
白ちゃんの作った物はお手本通りというよりは、皮の皺の位置まで同じになっている。完コピだ。
「うん。黒ちゃんも、白ちゃんくらいの量で、少し少な過ぎかな? くらいで大丈夫だよ」
「んしょ……こ、こう?」
今度は真ん中に具が少量包まれている、白い金魚のような見た目の物が出来上がった。
「うん。上手だね。その調子で、そうだな……人数掛ける四つと、お代わり分に幾つか、って感じで作ってもらおうかな」
「おう!」
「承知した」
スープとその具材に関しては任せて大丈夫そうなので、俺はもう一品に取り掛かった。
「主殿の作っているのは、俺達のとはまた別の物か?」
「うん。そっちは汁物用で、こっちはおかずだよ」
黒ちゃんの作ってくれた挽き肉に、調味料で味付けして刻んだ葱を入れ、白ちゃんの作ってくれた皮に載せて形を作っていく。
手早く数十個仕上げると、湯気が盛大に立ち昇る蒸籠に竹の皮を敷き、その上に並べて蓋をする。
「出来たよー!」
「こっちもだ」
「鈴白さん、煮上がった豆腐を上げましたよ!」
「わかりました」
全ての料理の下準備が整ったみたいだ。先ずはスープの味付けをする。
「こんなもんかな……白ちゃん、出来上がった具材を入れて、浮き上がってきたら完成だから」
「わかった。任せておけ」
醤油と酒と塩で味を整えたスープの鍋は、白ちゃんに任せる事にした。
「黒ちゃん、この蒸籠は、あと五分したら火から下ろして、そしたら一人三個ずつ皿に盛り付けてね」
「おう!」
湯気と共に立ち昇る、蒸されている料理の匂いを嗅ぎながら、黒ちゃんが真剣な表情で蒸籠を見つめる。
「じゃあ俺も仕上げを……」
鍋に潰したにんにくと生姜と葱を入れて油で炒め、香りが立ったら挽き肉を入れて更に炒める。
「ははぁ。ここでさっきのやつを……」
背後で見ている料理人の呟きを聞きながら、辣油、醤油、甜麺醤と豆板醤の代わりの八丁味噌、黒砂糖、鶏ガラスープを加えて煮立てる。
「豆腐を入れてちょっと煮て……はい、完成です」
豆腐を調味料に馴染ませ、最後に水溶き片栗粉を入れて混ぜ、皿に盛ってから葱の微塵切りを散らし、仕上げに少し辣油を垂らして多めに山椒を振ったら完成だ。
「御主人、盛り付け終わったよ!」
「こっちも出来たぞ」
グッドタイミングで、黒ちゃんと白ちゃんからの完成報告が齎された。
「じゃあ厨房の人達の分以外を運ぼうか」
「おう!」
「承知した」
俺達は手分けして、御飯とおかずと汁物を、食器と共に応接室へ運んだ。
「では、頂きます」
「「「頂きます」」」
鍛錬場で転げ回った朔夜様だったが、痕跡が残っていないところを見ると、昼食前に入浴を済ませたようだ。頼華ちゃんもさっぱりした感じに見えるので、一緒に入ったのだろう。
「なんかこの料理は凄い色で、香りからして辛そうですね……」
所々に赤い辣油が浮かぶ、有り物の調味料で再現した麻婆豆腐の皿を見て、朔夜様は手を出すのを躊躇している。
「辛さは抑えめにしてありますから、大丈夫だと思いますよ」
(辛さは、なんだけどね……)
「で、では……ん! 仰る通り、辛さはそれ程でも無くて、良い香りの調味料が挽き肉と共に豆腐に絡んで……あ、あれ? なんか口が痺れて……」
「あ、味はおいしいのに、なんか痺れて……ま、まさか兄上は、余を痺れさせて、その間に何かを……」
なんか頼華ちゃんが、俺が料理に毒でも盛ったみたいな、酷い言い掛かりを付けてきた。
「あのね……この料理は味付けに山椒を入れてあるんだ。痺れるみたいに感じるのは、その所為だよ」
「ああ。言われてみりゃあこれは、鰻に振り掛ける山椒の香りだねぇ」
鰻好きのおりょうさんには、俺の説明で香りの正体が山椒だとわかったみたいだ。
(でも、大前で使っていた物とは違うんだけどね)
今回の料理に使った山椒は、咖喱の香辛料を探しに行った長崎屋さんで購入した物で、おそらくは大陸からの輸入品だ。
江戸の鰻屋の大前で使っていた、国内で流通している一般的な山椒に比べ、香りと痺れる感じが強いので、麻婆豆腐にはこっちの方が合うだろうと思って使ってみた。
「そのまま食べてもいいですけど、御飯に載せて食べてもおいしいですよ」
「そうですか……御飯と一緒に食べると、辛さが和らいでいいですね」
咖喱の時にわかったが、朔夜様は辛い物が得意では無いので、そのままよりは麻婆丼くらいの方が食べ易いみたいだ。
「この挽き肉を蒸したのは、酒のつまみにも良さそうだなぁ。醤油と辛子が実に合う」
猪の挽き肉を使った焼売に、松永様は辛子をたっぷり付けて食べている。
「松永、それは辛子を使い過ぎだろう?」
朔夜様は黄色く彩られた焼売に、忌まわしい物でも見るような視線を送っている。
「オススメはしませんがね。ま、惚れた男の作った物を食えないお人に、食い方を言われたくはありませんが」
「っ!」
(惚れた男っていうのは……)
松永様に指摘された朔夜様の視線は、間違い無く俺の方を向いている。
「あ、あー……おりょうさん、汁物の味はどうですか?」
多少わざとらしいが、矛先を逸らす為におりょうさんへ話を振った。
「基本は、この間の麺料理と同じだと思うけど……これはすいとんみたいな物なのかい?」
木の匙で掬い上げた、小麦粉の皮で海老を包んで茹で上げた料理、海老雲呑を見ながら、おりょうさんが俺に尋ねてきた。
「同じ様な物かな? でも、すいとんって、中に具を入れたりしませんよね?」
俺の知るすいとんは、柔らかく溶いた小麦粉を流し入れるタイプと、うどんくらいの硬さの生地を千切って入れるタイプがあるが、どっちにしても中に具を入れたりはしなかったはずだ。
「ああ。そりゃそうだねぇ」
「俺の知るやり方だと、これに麺を入れたりするんですけどね」
中華系の屋台では海老雲呑麺は定番だし、海老を挽き肉に変えた物は、日本の町の中華屋さんでも定番メニューだ。
ごくり……
「ん?」
「「……」」
喉を鳴らす音の方を見ると、雲呑麺の味の想像をしているらしい頼華ちゃんと黒ちゃんが、瞳をギラギラさせている。
「あー……そのうち、機会があったら作るからね?」
「「はい!」」
(材料は比較的入手し易い物ばかりだから、なんとかなるだろう)
あまり安請け合いすると期待を裏切ってしまうが、鶏ガラスープを作る以外は、調理自体も比較的容易だ。
中華系にまとめたこの日の昼食は、そこそこ好評の内に終了した。
「黒ちゃん、白ちゃん、牛乳の方は任せるね」
「おう!」
「承知した」
昼食の片付けを終え、黒ちゃんと白ちゃんに牛乳の湯煎と、生クリームと乳酪への加工を任せ、俺はお菓子作りに取り掛かった。旅の事を考えて、少し多めに作り置きするつもりだ。
「さて、初めてだからキャラメルからやってみるか……あれ、この砂糖って?」
黒ちゃんに買ってきて貰った白砂糖は、俺の知る物とは違って粒が小さい、というよりは殆ど粉だ。
「黒ちゃん、この砂糖の産地は聞いてる?」
「良くわかんないけど、わさんぼん、とか言ってたよー!」
ガシガシと泡立て器で牛乳を撹拌しながら、黒ちゃんが答える。
(和三盆か……高級なお菓子になっちゃうな)
おやつに口の中に放り込む程度の物を考えていたが、えらくコストの掛かる物になってしまいそうだ。
(でもまあ、間違い無くうまいよな)
現代の香川県辺りで生産される和三盆は、製菓材料的には最高峰なので、あとは俺の腕前次第という事だ。
「よし。やるか」
牛乳、乳酪、生クリーム、砂糖を鍋に入れて弱火に掛け、木杓子でゆっくり掻き回す。
「かなり手応えが出てきたな……」
数分間、掻き混ぜながらの加熱を続けると、色が濃くなってとろみがついてくる。
「こんなもんかな? どれどれ……うん、キャラメルになったな」
用意しておいた水を入れた湯呑に木杓子から一滴落とし、固まった物を味見をしてみた。牛乳とクリームの香る、紛れもなくキャラメルの味だ。硬過ぎも柔らか過ぎもしない。
薄く乳酪を塗った竹の皮の上に、鍋からキャラメルを広げる。粘度があるのでそれ程広がったりはしなかった。
ごくり……
「ん?」
振り返ると、キャラメルの甘い香りに魅了されている黒ちゃんが、喉を鳴らしていた。
「ちょっとだけだよ?」
まだ熱いが、触れなくもない程度には冷えたキャラメルを包丁で小さく切って、撹拌作業を続ける黒ちゃんの口に入れてあげた。
「おおおぉ……あーんまぁーい! 口の中で溶けるぅー!」
言葉通りに、黒ちゃんの表情も甘く蕩けている。
「はい。白ちゃんも」
大鍋で牛乳の湯煎をしている白ちゃんの元へ行き、口元へキャラメルを差し出す。
「えっ!? お、俺は別に……」
自分にも言ってくるとは思っていなかったのか、白ちゃんはリアクションに困っているようだ。
「ほら。あーん」
「あ、あーん……」
直火よりは扱い易い湯煎だが、いつまでも鍋を放置する訳にはいかないので、観念した白ちゃんは目を瞑って口を開けた。
「おいしい?」
「う、うむ……俺には些か甘過ぎるが、中々味わい深いな」
「嫌いな味ではない?」
「そう、だな」
白ちゃんの好みでは無いが、食べるのに抵抗がある程でも無いみたいだ。
「じゃあ今度は、少し風味の違う物を作ろうかな」
竹の皮の上のキャラメルが、外へ流れ出したりしていないのを確認してから、今度は量を増やして猪口齢糖でフレーバーをつけた物を作る。
(もう少し猪口齢糖があればなぁ……)
キャラメル、扁桃、猪口齢糖があるので、非常食に「お腹が空いたら」なチョコバーに似た物でも作りたいところだが、生憎とそこまでの量は無い。
(猪口齢糖味のアイスクリームと、好評だった扁桃入りの猪口齢糖を作る程度かな)
手持ちの扁桃の残り半分をバターローストして、残りを猪口齢糖コーティング。猪口齢糖の残りでアイスとキャラメルの風味付けといったところで、使い切るくらいになるだろう。
「御主人、撹拌出来たよ!」
「湯煎も終わったぞ」
猪口齢糖キャラメルを作り終わり、猪口齢糖アイスの材料を混ぜ終わったくらいのタイミングで、黒ちゃんと白ちゃんへ任せていた作業が終了した。
「お疲れ様。これは冷やすだけだから……二人共、休んでくれてていいよ」
「そうは言うが、主殿はまだ何かするのだろう?」
「うん。もう少しね」
「なら、お手伝いする!」
普通の人間にとってはそれなりに重労働なんだが、二人は疲労を感じていないのか、休む気は無いようだ。
「そうだなぁ……じゃあ白ちゃんには、玉蜀黍を粉にしてもらおうかな。砕いた程度の荒い物と、完全な粉末にした物を」
「わかった。量はどの程度だ?」
「んー……荒い方を一キロくらいと、細かい方を三キロくらいお願いしようかな」
玉蜀黍の粉は、荒い方は揚げ衣などに、細かい方は小麦粉と同様の使い方をするつもりだ。
「わかった」
「道具はこの辺を適当に使ってね」
料理用のすり鉢以外に、製薬用の薬研を出した。
「あたいは?」
「黒ちゃんは俺の助手ね」
「おう!」
白ちゃんに粉にしてもらうのとは別の種類の玉蜀黍を取り出し、少量の(乳酪)バターと共に鍋に入れて蓋をし、火に掛けた。
「この鍋を、軽く揺すり続けて」
「おう!」
元気に返事をする黒ちゃんは、俺に言われるまま鍋の取っ手を掴んだ。
ぽん、ぽん、ぽん……
暫くすると、鍋の中で破裂音が聞こえ始め、カンカン、と、蓋に何かが当たる音がする。
「お、おぉー!? 御主人、何これ?」
「ああ、揺する手を止めちゃダメだよ? 音がしなくなるまで続けて」
「う、うん……」
少し不安そうだが好奇心が勝ったようで、黒ちゃんは音を立て続ける鍋を揺する。
「もういいかな? 火から下ろしていいよ」
「おう! それで、これってなんなの?」
鍋の蓋を開けると中は歪な白い物、弾けた玉蜀黍から出来上がったポップコーンで満たされていた。湯気と共に乳酪の香りが広がる。
「ふぉぉ! 黄色い粒だったのに、こんなになっちゃうの!?」
「出来上がりに、塩と、咖喱粉を振って……味見していいよ」
三枚の皿に取り分けて、一つには塩を振り、もう一つには咖喱粉を振る。最後の一皿はそのままだ。
「いいの!? いっただきまーす! ん!? カリカリしてるけど柔らかくて、面白い歯応え! ん!? こっちの咖喱味のもおいしい!」
「咖喱か……」
ポップコーンを気に入ってくれた黒ちゃんとは対象的に、白ちゃんの方は咖喱料理の一種と認識してしまったようで、少し渋い顔をしている。
「塩味の方は大丈夫でしょ? はい」
「う、うむ……黒の言う通り変わった歯応えだが、悪くはないな」
「でしょ?」
白ちゃんは酒の肴基準で食べ物を見る傾向があるので、ポップコーンは好みからは外れていなかったようだ。
「これを、更に一工夫するね」
「「?」」
黒ちゃんと白ちゃんの見ている前で、さっき作ったキャラメルの材料を混ぜて火に掛け、出来上がりかけたところで、塩も咖喱粉も掛けていないポップコーンを入れて絡める。
「出来たよー。熱いから気をつけてね」
なるべくくっつかないように、バターを塗った竹の皮の上に、キャラメルを絡めたポップコーンを広げる。
「甘くてカリカリでうまー!」
「甘過ぎない感じになって、悪くないな」
黒ちゃんにはストレートに喜んでもらえたみたいで、白ちゃんにはキャラメルそのままよりは、甘味がマイルドになった点を評価してもらえたみたいだ。
「これの粉でも、何か作るのか?」
指定した量を、粉にし終わりそうな白ちゃんに尋ねられた。
「今日のところは作らないかな。玉蜀黍を粉にする作業は旅の途中では難しいと思ったから、白ちゃんがやってくれて助かったよ」
小麦粉や蕎麦粉は比較的手に入り易いが、食材や料理のバリエーションは多いに越した事は無い。
「粉にしてないやつを、夕食の材料にするつもりだけどね」
夕食用に、玉蜀黍を水に浸けて戻している最中だ。
「ありゃ。思ったよりも時間が掛かっちゃったな……」
一通り予定していた作業を終え、昨日作った乳酪ローストと猪口齢糖コーティングの扁桃を作ったら、既に夕方になってしまっていた。
「夕食の支度をするか?」
「そうだね。早めに支度しようか」
「おう!」
白ちゃんの進言もあり、黒ちゃんもやる気みたいなので、流れで夕食の準備に突入した。
「で、何をすればいい?」
「実はさっきまでの作業で、夕食の支度は殆ど終わってるんだよね」
「そうなのか?」
「そうなの?」
「主要な食材は挽き肉だからね」
俺は好きだが猪肉程は人気の無い、鹿の挽き肉を使った料理を作るつもりだ。
「そうだな……白ちゃんにはタレを作ってもらって、黒ちゃんには大根をおろしてもらおうかな」
「料理自体の手伝いはいらないのか?」
「汁物を作ってる間に出来ちゃう程度だからね」
手伝いを申し出たのに、大した作業では無いので、白ちゃんは拍子抜けしたみたいだ。
「でもね、タレと大根おろしが料理の重要な位置を占めるから、二人の役割は大事だよ?」
「む。そうか」
「そうなの? よーし……」
白ちゃんも黒ちゃんも、俄にやる気になったみたいだ。
「それじゃ、宜しくね」
「心得た」
「おう!」
俺はスープ用の鍋を火に掛けている間に、鹿の挽き肉に刻んだ猪の脂身を混ぜ入れ、卵と塩と胡椒、醤油と酒も入れて捏ねる。
「御主人、大根おろし終わったよ!」
「えっ!? も、もう?」
「おう!」
見れば大きな鉢が、おろされた大根で満たされている。
「そっか、じゃあ俺の手伝いをお願いしようかな」
「おう!」
「こうね、まとめた肉を小判型にしてくれればいいよ」
お手本に、捏ねた挽き肉を手の平くらいの大きさにまとめて見せた。
「これでいい?」
「うん。上手上手」
やれば出来る子の黒ちゃんは、今回は一発でお手本通りの物を作れた。
「うーん。野菜が欲しいよな……」
付け合せに温野菜とかでもいいのだが、カレー用に買った材料の中から少し使って、もう一品作る事にした。
「主殿、タレが出来たぞ」
いいタイミングで、白ちゃんが作業終了を告げてきた。
「じゃあ白ちゃん、焼きを任せちゃってもいいかな? こんな感じで……」
タレを作り終わった白ちゃんへ、返すタイミングやタレを入れて絡めるやり方を説明する。
「これまでとは違う技法か……主殿が作業に掛かりっきりになるので無ければ、要所で指示してくれると助かるが」
「そうだね。作業の合間に覗きながら、指示するよ」
適時注意を入れるという点をこっちで弁えていられるので、任せておけと言われて失敗されるよりは遥かに確実だしやり易い。
「その前に、スープの味付けだな……」
鍋でじゃが芋と人参を茹で始め、その簡に鶏ガラでスープを取り、塩と酒と少量の醤油、戻した玉蜀黍を入れて煮立てる。
スープを煮ている間に自家製マヨネーズを作って、茹で上がったじゃが芋を皮を剥いて潰し、人参を小さめの賽の目切りにする。玉葱の微塵切りも作る。
「主殿、ひっくり返したが?」
「蓋をして、少し火から離して」
「承知した」
ガス台とは違うので、竈から遠ざけて火の入れ方を調整しなければならない。
「じゃあ、大根おろしを添える方は、それで完成」
「これでいいのか? 随分と簡単なのだな?」
「それを簡単っていう、白ちゃんが凄いんだけどね」
調理法としてはシンプルだが、こういう焼き物を、ただ焼くだけでは無くおいしく焼けるというのは、実は物凄い技術だ。
「もう一つは、裏返してから焼き上げる少し前に、タレを入れて全体に絡めるようにして」
潰したじゃが芋と刻んだ人参と玉葱を混ぜ、塩と胡椒を振って自家製マヨネーズで和える。ポテトサラダの完成だ。
「主殿、こんな感じでいいか?」
「うん。上出来だね。凄くおいしそうだ」
お世辞ではなく、鍋の中で水分が蒸発したタレが絡み、良い照りが付いている。
スープの仕上げに、水溶き片栗粉を入れてから、菜箸をガイドにして溶き卵を流し入れ、軽く掻き混ぜてから蓋をする。これで夕食の準備が全て整った。
「では、頂きます」
「「「頂きます」」」
いつもの如く、朔夜様の号令で食事が開始された。
「鈴白様、これはいったいどういう料理なんでしょうか?」
二種類の肉料理と、一見すると白和えのような見慣れない料理について、朔夜様が問い掛けてきた。
「焼いてあるのは鹿の挽き肉を捏ねた物で、何も掛かっていない方は醤油と大根おろしで、もう片方はそのままどうぞ」
「そ、そうですか? では……ん。肉と脂の味が濃いですけど、醤油と大根おろしでさっぱりと頂けますね!」
醤油やポン酢と大根おろしの組み合わせで食べる、ステーキやハンバーグは和風と呼ばれるくらいなので、朔夜様の口に合ったようだ。
「こっちの甘辛のタレが絡んでる方も、御飯に合うねぇ。このタレは、他の肉や魚なんかにも合いそうだねぇ」
「鶏肉なんかにも会いますよ。今度作りますよ」
おりょうさんの反応を見ていると、どうやら「照り焼き」や「焼き鳥」という呼ばれ方をする料理は、こっちの世界ではまだ無いらしい。
勿論、こういうタレを使った料理はあるし、様々な鳥を焼いた料理はあるのだが、特定の料理名として定着していないという事だろう。
「この白い、和え物ですか? 口直しにいいですね!」
芋、栗、南瓜を女性が好きという法則は頼華ちゃんにも当て嵌まったようで、ポテトサラダを気に入ってくれたみたいだ。
(そういえば、頼華ちゃんは人参とかが嫌いって言い出さないな?)
咖喱にも今回のポテトサラダ同様に人参が入っているが、特に苦手な感じには見えないので、頼華ちゃんは何でも食べる良い子みたいだ。
「ふぅ……この汁は、味噌汁みたいにはっきりとした味じゃねえが、なんかホッとする味だな。この黄色い粒はなんだ?」
「玉蜀黍と言います」
「聞いた事は無えが、粒は小さいのに甘味が強いな」
玉蜀黍の、元の世界の日本への渡来は織田信長が活躍している頃だが、本格的に全国で普及したのは明治に入ってからだ。
こっちの世界の日本にも入ってきているのかもしれないが、収穫量は少ないだろうし、食べ方のバリエーションも多くは無いだろう。
「鈴白様、申し訳ありませんが、お代わりを」
「はい」
口に合ったと思ったのは錯覚では無かったみたいで、朔夜様がお代わりを申し出てきた。
「あの、兄上。余もお代わりを」
「あ、あたいも……」
連日に渡っておりょうさんに食べ方を注意されていた頼華ちゃんと黒ちゃんは、朔夜様がお代わりをしたから大丈夫だと思ったのか、遠慮がちに茶碗を差し出しながらおりょうさんの様子を伺っている。
「……そんなにビクつかなくたって、お代わりくらいすればいいよ。あたしが気にしてたのは、汚い食べ方と食べ過ぎなんだからね」
頼華ちゃんと黒ちゃんを見ながら、おりょうさんは苦笑いする。
「は、はい!」
「気をつけます!」
お代わりは咎められなかったのだが、頼華ちゃんと黒ちゃんはおりょうさんの言葉を聞いて背筋を伸ばした。
「……」
そんな頼華ちゃんと黒ちゃんを見て、俺は笑いを噛み殺しながら、御飯のお代わりを渡してあげた。




