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辣油

「御主人、おかえりなさい!」


 白ちゃんと共に部屋に戻ると、黒ちゃんが迎えてくれた。


「ただいま。じゃあ悪いけど、白ちゃんも一緒に実験を手伝って貰おうかな」

「おう!」

「構わんが、何をするんだ?」


 俺と一緒に腰を下ろした白ちゃんが訊いてきた。


「今日買ってきた福袋……これは大袋って呼ぼうかな? 先ずはこれの共有機能を試そう」


 腕輪に収納しておいた大袋と、これまで使っていた福袋を取り出した。


「あたい達が預かってる福袋を、これに入れるんだっけ?」

「うん。じゃあちょっと預かるね」

「おう!」

「預けるぞ」


 黒ちゃんと白ちゃんから預かった物と、俺が元々所有していた福袋を、大袋に収納した。


「これで、聞いていた通りなら、収容能力が合計で千キロになったはずだけど……」


 黒ちゃんと白ちゃんに福袋を返却して、俺は自分の福袋の中身を確認する。


「おお! 本当に共有出来てる!」


 雑多に詰め込んであった物の中に、明らかに俺の福袋には入れていなかった、二人に買ってあげた着物や組紐がある。


「すごいねー!」

「これは確かに便利だな」

「じゃあ食料とかを、ある程度大袋の方に移しておくから、緊急時には使っていいからね」


 とは言え、枝肉や燻製なんかを大袋に入れると、あっという間に容量を圧迫してしまうので、移すとしても少量になるだろう。


「緊急時って事は、お腹空いたら食べていいの?」

「いや、そういう事じゃ無くてね……」


 もしかしたらと思ったが、黒ちゃんはお腹が減るのは緊急事態だという認識だったようだ。


「黒、緊急時というのは万が一主殿とはぐれて、おりょう姐さんや頼華が飢えた場合の事だ。俺達は最悪、食わないでもなんとかなるのだからな」

「あ、いや。そういう場合には、白ちゃんと黒ちゃんも食べていいんだからね?」


 さっき、おりょうさんと頼華ちゃんの福袋にも、二日程度は凌げる分の食料は入れたし、少し栄養が偏りそうだが、枝肉や燻製は一週間分程度は食い繋げる量がある。


「もしもはぐれて、大袋の中身が減っているのを確認したら、食料はどんどん追加するからね」

「おう!」

「成る程。はぐれても、食料が減るのがわかるならば、それは無事な印という訳だな」

「うん。万が一が起きたら、すぐに福袋の中を確認って憶えておいてね」

「おう!」

「承知した」


 共有機能のおかげで、最悪の場合の生存率はかなり上がったと思う。


「あ、これも万が一だけど、俺の位置を見失ったり、念話が遮断された場合も想定して、その場合はこの……石盤に現状を書いて知らせるようにしよう」


 手紙でもいいのだが、何度でも書いて消せる石盤は、伝言のやり取りをするのには最適だ。


「……御主人の居場所が、わかんなくなったりしちゃうの?」


 そういった事態を想像したのか、黒ちゃんの目の端に涙が浮かんだ。


「黒ちゃんはなんで涙ぐんでるのかな……何度も言ってるけど、万が一を考えてるだけだよ」

「黒。もしも実際にそんな事態が発生したら、俺も冷静でいられるかはわからない。お前もそうだろう?」

「う、うん……ふぇ……」


 想像しただけで悲しくなっているようで、黒ちゃんは俺の胸に顔を埋めてしまった。


「まったく。主殿が気を遣って、あれこれ考えてくれているというのに……」

「まあまあ。黒ちゃんも、そのままでいいから聞いててね?」

「うん……」


 話は聞こえているようだが不安感が拭えないみたいで、黒ちゃんは俺の背中に回した腕で、ギュッと抱きしめてくる。


「そんな物があるのかはわからないけど、念話を遮断したり、外から俺の位置をわからなくする方法があるかもしれないから、そういう場合はこの石盤でやり取りして、俺を助けに来て欲しいって話だよ」


 迷彩効果や気配を遮断する外套なんて物が存在するので、アイテムや術に念話などを遮断する類の物が無いとは言い切れない。


「あたいが御主人を助けるの!?」


 驚いたような声を上げ、黒ちゃんが涙に濡れたままの顔を起こした。


「なにを当たり前な。黒、主殿が窮地に陥るなどは考え難いし、そうならないようにするのが俺達の努めだが、万が一が起きた時に助けるのも」

「あたい達だね!」


 俺の背中に回していた腕を外し、黒ちゃんが拳を握りしめてガッツポーズをする。


「二人共、頼りにしてるからね?」

「おう!」

「先ずは予防だがな」

「それはそうだね」


 決して自分を過信はしていないが、はぐれた場合を考えると、俺よりはおりょうさんや頼華ちゃんの方が心配だ。まあ二人共、並を遥かに超えて強いんだが……。


「それじゃあ次の実験を。これを共有出来るかだけど……」

「ご、御主人ー!?」

「主殿、それはいかん!」


 俺が周天の腕輪を外そうとすると、黒ちゃんは驚愕に目を見開き、白ちゃんは必死で止めようとする。


「別に外しても、何も起きないよ?」

「ダメダメ! 危ないよ!」

「それは主殿の生命線だろう!」

「大事な物ではあるけど……」


 物品の収納機能があり、周囲から集めた(エーテル)を無限に供給してくれる周天の腕輪は、確かに高機能ではあるのだが、仮に無くても困るというだけなので、黒ちゃんと白ちゃんがここまで必死になる理由が俺にはわからない。


「絶対にそんな事は起きないし起こさせないけど……もしも御主人が瀕死の状態になっても、それがあれば治るんだから、絶対に外しちゃダメ!」

「こればっかりは、黒の言う通りだ」

「むぅ……」


 全く以て二人の言う通りなんだが、気配察知の範囲外からの超長距離狙撃でもされない限りは大丈夫だし、その狙撃にしたって通常の銃弾程度の威力では、俺には傷を追わせる事は出来ない。


「でもね。福袋じゃ牛乳の樽は入らないから、この腕輪に入れて共有機能を使えば楽に……」

「そんなの、手で持って走るよ!」

「重量の負担程度で、俺達への気遣いは無用だ」

「むぅ……」


 黒ちゃんも白ちゃんも、半ば意地になっているようだが、気の所為だろうか。


「でも、実験はしないとね……」

「「ああっ!?」」


 俺が外した腕輪を、大袋の中へポイっと投げ入れると、黒ちゃんと白ちゃんは揃って悲鳴のような声を上げた。


「あわわわわ! は、早く出して御主人に渡さないと!」

「ぬうぅっ! 主殿の危機だ! は、早く取り出して渡さねば!」

「いや、別に何も危なくないんだけど……」


 二人は必死で福袋の中から腕輪を取り出そうとするが、焦っているのでうまくいかないようだ。


「何やってるんだか……ほら、付け直したよ」


 黒ちゃんと白ちゃんよりも早く、俺自身の手で周天の腕輪を大袋から取り出して、左の手首へ装着した。


「「はぁぁー……」」


 俺が腕輪を再装着したのを確認した二人は、大きな溜め息と共に全身から力が抜け、互いにもたれ掛かって身体を支え合っている。


「そんなに慌てなくても大丈夫なのに……」

「でもでもぉ!」

「そうは言うがな、主殿」

「これからはなるべく外さないから。でも、まだ実験をするからね。そしてその実験に関しては、二人にも文句は言わせない。わかったね?」


 あまり使いたくは無いのだが必要な事なので、俺は意識して二人が逆らえないように、言葉に力を込めた。


「お、おう……」

「そこまで言うのなら……わかった」


 俺の表情と、言葉の中にある様々な物を感じ取って、不承不承という感じではあるが、黒ちゃんも白ちゃんも従う姿勢を見せている。


「じゃあ先ずは……黒ちゃんからでいいかな。これを手首に嵌めて」

「って、言ってる側からーっ!?」

「あ、主殿!?」


 俺が手渡した周天の腕輪を見て、当たり前だが二人がびっくりしている。


「早く」

「う……わ、わかったよぉ」


 渋々だが、黒ちゃんは周天の腕輪を手首に装着した。手も手首のサイズも俺とは違うのだが、マジックアイテムなので、ぴったりフィットするように自動的に調節された。


「じゃあ指で弾いて、回転させてみて」

「……主殿、いいのか?」


 (エーテル)で構成されている黒ちゃんに、無限に(エーテル)を供給してしまっていいのかと、白ちゃんが訊いてくる。


「うん。本当はもっと早く実験したかったんだけどね」


 おりょうさんや頼華ちゃんが装着した場合にも、どうなるのかが気になっているのだが、それはまた次の機会だ。


「少しくらい(エーテル)の量が多くなったって、黒ちゃんが俺を襲うなんて事は無いでしょ?」

「そ、そんなの当たり前だよ!」

「なら、やってみようか」

「うー……い、行くよ!」


 ここまで言って、やっとその気になった黒ちゃんは、軽く腕輪を弾いて回転させ始めた。


(使ってるのを見るのは初めてだな……)


 こっちの世界へ来る時にヴァナさんに使い方の説明を受けただけなので、誰かが使っているのを傍から見るのは初めてだ。


「お? おおぉ!? こ、これすっごい!」


 周囲の熱を(エーテル)に変換しているので、気温が低くなっていくのを感じる。そして腕輪を装着している黒ちゃんの身体が、内側から輝き始めた。余剰分の(エーテル)が漏れ出してきているのが、輝いているように見えるのだ。


(これは……想像していたけど、凄いな)


 黒ちゃんの身体のサイズはそのままなのだが、存在感が数段増した。内部の(エーテル)が隅々にまで満ちて、更に溢れているからだろう。


「黒ちゃん、使ってみた感想は?」

「すんごいよ! なんか滾るぅ!」


 両手でガッツポーズを取る黒ちゃんから、奔流のように(エーテル)(ほとばし)った。まるでスーパー何とか人みたいだ。


「黒、もういいだろう」

「おう! あー、面白かった!」


 腕輪の回転を止めた黒ちゃんは、装着する前とは大違いの満足そうな表情をしている。


「もうねー! 今なら界渡り使わないで、世界一周出来そう!」

「……実行しないでね?」

「おう!」


 燃料満タンという状況がそうさせているのか、黒ちゃんはいつもよりハイになっているみたいだ。


「で、では始めるぞ?」

「うん」

「おう!」


 やや緊張気味の白ちゃんが、装着した腕輪を弾いた。


「こ、これは……なんというか、恐ろしいまでの万能感があるな」


 髪の毛も肌も白いので、(エーテル)が漏れ出している状態の白ちゃんは姿が霞んで見えて、なんか幻想的だ。


「凄いな。なんか今の白ちゃんは、神様っぽいよ」


 何度か見た事のある後光を身に纏った神仏と、今の白ちゃんは似ているように見える。


(黒ちゃんは重厚になった感じだけど、白ちゃんの場合は、より鋭利になった感じがするな)


 鋭利になってはいるのだが、研がれてでは無く充填されてなので、その刃は薄いが掛けたりする事の無い、強靭さも持ち合わせているように感じる。


「神は少し大袈裟だろう。それにこれ程の万能感でも、神という存在はもっと強大なのだろうしな」


 それでも白ちゃんにも、神仏程では無いくらいの万能感はあるらしい。


「ふぅ……滾ると言う、黒の気持ちもわかるな」


 腕輪を止めた白ちゃんは、軽く溜め息をつきながら、自分の手を見つめている。


「ところで、これはどういう実験だったんだ?」


 俺に周天の腕輪を返却しながら、白ちゃんが首を傾げた。


「ん? 先ずは俺以外の人間にも、使えるのかが知りたかったんだ」


 ワンオフ品なのかは不明だが専用品である可能性はあったので、その検証をしておきたかった。


「……もしやこの腕輪は、かなり特殊な物なのか?」

「ん……売っている物を買った、とかでは無いよ」


 俺自身の事や腕輪に関して、ヴァナさんに口止めとかをされた訳では無いが、今まで誰にも話していないので、今回もなんとなく言葉を濁した。


「じゃあ拾ったの?」

「いや……ある人から貰ったんだよ」


 直接介入不可なヴァナさんから貰ったと言っても、誰もいない場面でなければ姿を現してくれないので、存在を証明出来ないのは困ったものだ。


「御主人すんげー!」

「うむ。さすがは主殿だ」

「……へ?」


 今の会話から、どうしてそういう流れになったのかがわからない。


「だって、こんな凄い腕輪を託してもいいって思われたんでしょ!? やっぱ御主人すんげー!」

「黒の言う通りだ。武人や術者であれば、この腕輪は垂涎の品だろう。それを授かるとは……」


 ヴァナさんがどういう意図で、俺に周天の腕輪を預けてくれたのかは謎だが、大人物だなんて自覚は無い。


「まあ俺の事は置いといて、これで黒ちゃんと白ちゃんが同時に怪我した場合とかに、同時に治せるのがわかったね」


 黒ちゃんと白ちゃんが外傷を負うのかは不明だが、ダメージを受けた場合に片方に腕輪を使わせて、もう片方を俺が(エーテル)を送り込んで治す事が出来る。二人同時に治療する事も、出来なくは無いだろうけど。


「じゃあ二人共。一回腕輪を使ってみたから、もう預けても大丈……」

「「それは別!」」

「むう……」


 それはそれ、これはこれだったようで、俺の二人に腕輪を使って楽をしてもらおう計画は、暗礁に乗り上げたのだった。



 翌朝。朝食を終えて、那古屋へお使いに行ってもらう黒ちゃんを部屋から送り出す。


「んじゃ行ってくるねー!」

「気をつけてね」

「おう!」


 一見すると小柄な黒ちゃんが、大きな木の樽を二個重ねて担いでいる姿は、驚きを通り越してどこかシュールだ。


「行ったな」

「うん。さて、鍛錬の時間だな。白ちゃんはどうする?」


 界渡りを使った黒ちゃんの姿が目の前から掻き消え、気配が急速に遠ざかっていくのを感じる。


「主殿の施療の結果で、朔夜がどう変わったのかが知りたいので、俺も付き合おう」

「うーん……そんなに劇的な変化が出ているかは、わからないよ?」

「何を言う。朝食の席でも、朔夜の姿は見違える程だったぞ?」


 白ちゃんの言う通り、朔夜様の座っている姿勢は見た目に安定していた。今までが極端に悪かった訳では無いが、明らかに違っていると認識できるレベルだった。


「まあ、付き合ってくれるのはいいけどね。じゃあ行こうか」

「うむ」


 俺と白ちゃんは、朔夜様と頼華ちゃんの待つ鍛錬場へと向かった。



「先ずは馬歩から始めましょうか」

「はい!」

「はい」


 俺が馬歩の構えをすると、元気に返事をした頼華ちゃんと朔夜様、白ちゃんが続く。


(そもそも、脚へ負荷が掛かっているのかな?)


 馬歩は足腰を鍛えるのを主眼にした鍛錬なのだが、(エーテル)で身体を構成されている白ちゃんや黒ちゃんの場合は、不自然な姿勢を長時間続けても大丈夫そうなので、鍛錬になっているのか自体が謎だ。


「そのまま続けて……鼻から息を吸って、身体の中の悪い物が全て出ていくように想念しながら、口から息を吐きだして」


 頼華ちゃんと朔夜様の姿勢が安定しているのを見計らって、イメージも併用して体内の(エーテル)を練っていく。


「はい。やめ」


 五分程で、馬歩のまま呼吸法を終えた。


「むぅ。また朔夜が強くなってます! きっと兄上が、何かしたに違いありません!」

「何かしたって、聞こえが悪いなぁ……」


 頼華ちゃんの言う通りなのだが、いきなり断定されてしまった。


「今度は朔夜のどこを弄ったんですか!」

「い、弄った……」

「朔夜様は、そこで顔を赤くしないで下さいよ……ちょっと身体の歪みを治しただけだよ」


 頬を染めて朔夜様が照れ顔をしているので、頼華ちゃんにいらぬ誤解をされかねない。


「歪み、ですか?」

「そうだ。俺もその場に立ち会ったのだが、朔夜は脚の長さや肩の位置がおかしくなっていて、それを主殿が治したのだ」


 白ちゃんが、ありがたい援護射撃をしてくれた。


「なんでそんな事になっていたのですか?」

「多分だけど、腰に刀を差しての生活で、無意識に重い左側を持ち上げようとしていたんだと思うよ」

「なら、余の身体も歪んでいるのですか?」

「うん? いや、頼華ちゃんの場合はそんな事無さそうだね」


 それなりに長く一緒に行動しているが、頼華ちゃんの普段の姿勢や身体の動きに、おかしな感じを受けた事は無い。


「言われてみれば、刀や太刀を携えている武人の職業病みたいなものだと思っていたんだけど……頼華ちゃんも、他の鎌倉の源家の人達も、そういう感じは無かったね」


 逆にそういう物だと認識していたので、朔夜様の身体に歪みがあって驚いたのだった。


「頼華ちゃんって帯刀していても、肩を上げるような姿勢にならないよね?」

「余は薄緑を始めとする太刀や刀を身に帯びていても、特に行動に差し支えが無いですから」

「あー……そういう事か」


 頼華ちゃんの言葉を聞いて、俺は一つの結論に達した。


「どういう事だ、主殿?」

「これは、俺の推測なんだけど……」


 首を傾げる白ちゃんに、多分間違ってない推論の説明を始めた。


「刀や太刀は、鞘なんかも入れるとそれなりの重量になるよね?」

「そうか?」

「ごめん……普通の人にはなるんだよ」


 かなりの重量の木の樽を二個担いで、意気揚々と出掛けていった黒ちゃんと同じく、白ちゃんにとっては帯刀した程度は負担にならないのだった。


「まあ順序が逆になっちゃうけど、今、白ちゃんが言ったのが答えだよ」

「ああ、そういう事なのか」

「す、鈴白様、どういう事です!?」


 理解が追い付かないらしく、朔夜様に詰め寄られた。


「そのままですよ。源の人達は帯刀していても、ほぼ重さを感じていないんです」

「だって、重くないですよね?」


 俺が朔夜様に説明すると、頼華ちゃんが可愛らしく小首を傾げた。


「えっと、どう説明すればいいかな……一般の武人が感じる刀剣類の重さは、頼華ちゃんにとっては着物の布が一枚増えた程度にしか感じていないという訳です」

「……は?」


 気持ちはわかるが、俺の説明を聞いた朔夜様は、開いた口が塞がらないみたいだ。


「ま、まあ、今は朔夜様も、それ程は重さが気になりませんよね」


 (エーテル)の滞りを治したので、出会った頃と比べれば朔夜様の身体能力は格段に向上している。


「それはそうですが……」

「なら、今後は歪みも発生しないか、してもかなり抑えられるはずですから」

「後は、刀剣を身体の一部と感じるまで鍛錬するのだ!」


 頼華ちゃんの言い方は体育会系の根性論みたいに聞こえるかもしれないが、得物までを(エーテル)で覆って一体化する事によって、身体の一部のように感じるのは大切な事だ。


 自分の身体ならば自在に動かせて重くも感じなくなるし、戦う相手との間合いも得物に合わせられる。


「ま、まだ修行の先は長いですね……」

「そうでもないんじゃないかなぁ」


 道の険しさを想像して朔夜様が表情を曇らせるが、俺の考えは違っている。


「俺はもう、朔夜様は頼華ちゃんの言ってた合格点を出せると思うけどね」

「……そうですか?」


 朔夜様が強くなっているのは認めるが、俺が言う程とは頼華ちゃんは考えていないみたいだ。


「あの、合格点と言いますと?」

闘気(エーテル)を込めない木刀による攻撃を、避けずに受けて耐える、だ」

「そ、それは……」


 まだ自信が無いのか、実際の場面を想像しているらしく、朔夜様は青褪めた顔を伏せる。


「……兄上が言うなら、試してみるか?」

「ええっ!?」

「安心しろ。被害が少なくて済みそうな、胴打ちにしておく」


 上段からの面打ちは、最悪の場合は命に関わりそうだし、袈裟斬りにすると骨が折れそうなので、腹筋で耐えれば胴打ちが一番被害が少ない気もするが、衝撃で内臓が損傷する恐れはある。


「別に焦る事は無いし、やめておきますか?」

「……い、いいえ。お願い致します!」


 決意の表情を現し、朔夜様は伏せていた顔を上げた。


「じゃあ、俺がやろうか?」

「いえ、余がやりましょう。兄上は、万が一に備えて下さい」

「わかった」


 木刀を携えた朔夜様と頼華ちゃんは、二メートル程の間を開けて対峙する。


「打つのは胴と決めているので、出来るのなら避けてもいいぞ?」

「わ、わかりました」


 頼華ちゃんの「出来るものならやってみろ」という言外の台詞に対し、朔夜様は表情からして諦めムードだ。


「では、いくぞ!」

「は、はいっ!」


 上段の構えの頼華ちゃんに対し、朔夜様は木刀を正眼に構える。


「っ!」


 残像を残しながらの踏み込みから、頼華ちゃんの胴打ちが炸裂する。


 木刀の空気を切り裂く音と、柔らかい物を叩く鈍い音、そして何かが軋む音が同時に聞こえてきた。


「ぐふっ……」


 振り抜かれた木刀による勢いを殺しきれずに、朔夜様は代官所の塀まで吹っ飛ばされた。


「しまった!」


 打撃によるダメージだけを考えていて、まさかノックバックで数メートルを宙に舞うとは思っていなかった。俺は慌てて朔夜様へと駆け寄る。


「……ひ、酷い目に遭いました」


 数メートルを吹っ飛んで、着地して数回転してからやっと塀際で止まった朔夜様は、表情は少し苦しそうだが、地面に付いた木刀で身体を支え起こした。


「朔夜様、身体に痛みは!?」

「どうやら、大丈夫のようです」


 転がったので土まみれだが、どうやら木刀による打撃は、朔夜様にダメージを与えなかったようだ。


「やりましたね」

「ええ。鈴白様や頼華殿のおかげです」


 俺が差し出した手を取って、朔夜様は立ち上がった。


「やったな、と言いたいところだが、これでやっと、基礎の基礎を習得したに過ぎないからな」


 朔夜様には残酷なようだがその通りで、この時点でやっと、(エーテル)による防御の最低ラインを満たしたに過ぎない。まだ頼華ちゃんとの実力差は、天と地程もあるのだ。


「そうなのですよね……」


 持ち上げられたり落とされたりで、朔夜様の表情は複雑だ。


「この先は、馬歩や呼吸法などの基礎を続けて、(エーテル)を蓄積しつつ技術を磨く、地道な努力しかありませんね」


 基礎を続けていけば(エーテル)に関する部分は確実に鍛えられるので、底上げをするには絶対に欠かしてはいけない要素だ。


「そうですね。積み重ねが実力に反映するのは良くわかりましたので、怠らないように致します」


(とりあえず、俺が朔夜様に出来るのはここまでかなぁ)


 俺と朔夜様が師弟関係とかなら同じ鍛錬法を教えるのだが、所属している尾張織田独自の武術や集団戦法なんかもあるかもしれない。



「ただいまー!」

「黒ちゃんおかえり」

「早かったな」

「おう!」


 鍛錬の続きを頼華ちゃんに任せ、昼食の支度をしようと白ちゃんと厨房に向かったタイミングで、黒ちゃんが那古屋から戻ってきた。


「ぎゅーにゅーとー、これがさとー!」

「ありがとう。おっ、白砂糖もあったんだね」

「おう!」


 大量の乳製品が手に入ったので、お菓子作りをしようと思い、黒ちゃんが那古屋へ行くついでに探してきてもらったのだった。


「あたいじゃわかんなかったから、ブルムのおっちゃんにおしえてもらったー!」

「そうか」


 出かける前に、わからなかったら聞くようにとは言っておいたのだが、どうやら正解だった。


「すぐ湯煎する?」

「これからお昼の準備をするから、食べ終わったら、俺も一緒にやるよ」

「おう! んじゃお昼の準備手伝うね!」

「ありがとう。助かるよ」


 帰ってきた黒ちゃんも連れて、俺達は厨房へと向かった。



「じゃあ黒ちゃんには挽き肉を作ってもらおうかな。こう、細く切った肉を、今度は横向きに切って、最後は二本持った包丁で叩いて……」


 黒ちゃんに手本を示して、枝肉にする際に大量に発生した端切れの肉を、今後の料理にも使う予定なので、多めに挽き肉にしてもらう。


「こんな感じでお願いね」

「おう!」

「白ちゃんには、粉を練って皮を作ってもらおうかな。これくらいに切って、延ばしてくれればいいよ」


 予め練っておいた生地を棒状に延ばし、包丁で切ってから短い麺棒で延ばしていく。数種類の料理に使う予定なので、かなりの枚数だ。


「わかった。こんな感じでいいか?」

「わかってはいたけど、凄いな……うん。そんな感じでお願い」


 俺がやった手順を完璧にトレースする、白ちゃんの手際に舌を巻く。


「さて、俺は俺の仕事をしようかな……」


 火に掛けた鍋に胡麻油を注ぎ、数種類の香辛料を入れて香りを移し、焦げ付く前に香辛料を取り出したら、粉唐辛子の入っている鉢へ油を入れて、綺麗なルビー色の自家製辣油の完成だ。

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