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扁桃

「あ。忘れるところだった……これ、お土産です」


 夕食を終えて食器を片付けるのにひとまとめにしている時に、那古屋で買った組紐の事を思い出した。


「へぇ。綺麗な組紐だねぇ」

「ありがとうございます、兄上!」


 それぞれ色の違う糸で編まれた組紐を、おりょうさんと頼華ちゃんは喜んで受け取ってくれた。


「大した物じゃありませんけど、これ、朔夜様にも」

「わ、私にもですか!?」


 自分の分があるとは思っていなかったのか、朔夜様が組紐を持った手を震わせている。


「お世話になっていますからね」

「鈴白、俺には何も無いのか?」


 多分本気では無いのだろうが、松永様にもお土産を御所望された。


「えーっと……あ、あれがあったな。後で、酒のつまみを用意しますよ」

「お、なんかあんのか? なら先にひとっ風呂浴びてくるから、待ってるぜ」


 期待していなかった分、何かあるとわかった松永様は嬉しそうだ。



「三分の二は乳酪(バター)にして、残りはそのまま取っておこう」

「おう!」

「承知した」


 牛乳を入れてある樽を返却する都合があるので、夕食の後片付けの後も湯煎による消毒と、生クリームと乳酪(バター)に加工する作業を、黒ちゃんと白ちゃんと手分けして行う。


 夕食の支度と同時進行の時とは違い、竈も鍋も空いているので、幾つかの鍋で湯煎を同時進行する。

 代官所の薪を浪費するのは申し訳ないので、竈は使うが燃料代わりに俺が授かっている権能で鍋を直接熱して湯を沸かす。


「湯煎はこれで終わりかな……撹拌の作業は任せちゃっていい?」

「おう!」

「構わんが、何か他にやるのか?」

「仕入れた材料で、ちょっとお菓子と酒のつまみをね」

「お菓子!」


 お菓子というワードに、黒ちゃんが敏感に反応する。


「後でちゃんとあげるから、作業の方宜しくね?」

「おう! お菓子ー……」


 どんな物なのかもわからないのに、既に黒ちゃんの頭の中は、後で貰える予定のお菓子でいっぱいのようだ。物凄い集中力で泡立て器を動かしている。


「俺は酒のつまみとやらが気になるがな」

「ああ。いっぱいあるから、白ちゃんにもあげるよ。無くなったら、またブルムさんのところで買えばいいし」

「という事は、ブルム殿のところで買った物だな? ふむ……」


 俺がブルムさんの店で買った物を思い出しながら、何を作るのかを白ちゃんは推察しているようだ。


「そんなに大した物じゃないから、あんまり期待しないでね?」


 俺はブルムさんから貰った猪口齢糖(チョコレート)の罐と、袋に入った扁桃(アーモンド)を取り出した。


猪口齢糖(チョコレート)と、木の実か?」

「そう。先ずは、つまみの方から……」


 鍋に少量の乳酪(バター)を落とし、少し溶けたところで五百グラム程の扁桃(アーモンド)を入れて炒りつける。


「ほぉ。この風味は、乳酪(バター)だけでは無く、その木の実の物か?」


 牛乳を撹拌する手は止めないが、白ちゃんは鍋で乳酪(バター)ローストしている扁桃(アーモンド)の風味が気になるようだ。


「塩を振り込んで、最後に軽く混ぜて……はい、出来た」


 金網の上に紙を敷き、その上に重ならないように扁桃(アーモンド)を広げて余計な油を吸わせる。


「お次はお菓子の方を」


 罐から猪口齢糖(チョコレート)を取り出して包丁で粗く刻み、湯煎して溶かしておく。


 今度は乳酪(バター)は入れずに、鍋に扁桃(アーモンド)を入れて空炒りし、本当は白糖がいいが黒糖を入れて溶かして絡め、ここで乳酪(バター)を落として更に炒りつける。


「甘くて香ばしい、いい匂い!」


 鍋の中が気になるのか、牛乳を撹拌しながら顔をこちらに向けている黒ちゃんが、目をキラキラさせている。


「まだ仕上がってないから、もう少し待っててね?」

「お、おう!」


 相変わらず鍋に目を釘付けにしている黒ちゃんに苦笑しつつ、俺は薄く油を塗った皿に、炒めた扁桃(アーモンド)をくっつかないように広げた。


「これで出来上がり?」


 牛乳の撹拌を終えた黒ちゃんが、飴がけの状態になった扁桃(アーモンド)を覗き込む。


「まだだよ。冷めたかな?」


 一粒摘んで、粗熱が取れたのを確認してから、溶かしてある猪口齢糖(チョコレート)扁桃(アーモンド)を入れて木杓子でかき混ぜる。


「おおぉ……粒がおっきくなってく!?」


 かき混ぜられて、扁桃(アーモンド)が纏う猪口齢糖(チョコレート)のコーティングが徐々に厚みを増し、粒が大きくなっていく様子を見ながら、黒ちゃんが目を丸くしている。


「面白い?」

「うん!」


 大好きなお菓子を見つめて、純粋な瞳を輝かせる黒ちゃんは本当に可愛い。


「こんなもんかな……出来たよ」


 仕上げには、本来はココアパウダーかパウダーシュガーでもまぶしたいところだが、無いのでくっつき防止に片栗粉をまぶしておく。


「はい黒ちゃん。味見」


 出来上がった扁桃(アーモンド)入り猪口齢糖(チョコレート)を一粒摘んで、黒ちゃんの口に入れてあげる。


「あーん……ふぉぉぉ……ちょっぴり苦くて甘くて、カリカリして香ばしくって、すっごくおいしい!」


 どうやら合格点を頂けたようだ。カリカリしているのはキャンディーコートされた扁桃(アーモンド)だろう。


「白ちゃんにはこっちね」


 油が切れた乳酪(バター)風味の扁桃(アーモンド)を、一粒摘んで白ちゃんの顔の前に差し出す。


「う、むむ……あ、あーん……」


 黒ちゃんと違って恥ずかしいのか、中々口を開けなかったが白ちゃんだが、観念したように目を瞑って、小さく口を開いた。


「お、おお……なんとも軽い歯応えで、口の中で軽快に砕けるな。良い風味と塩加減で、これは確かに酒のつまみにはもってこいだな」


 乳酪(バター)ローストされた扁桃(アーモンド)の味に、白ちゃんが目を丸くしている。


「じゃあ黒ちゃんには、夕食後だし……十粒あげるね」

「えー……も、もうちょっとだけ、ダメ?」


 残りの分の猪口齢糖(チョコレート)を見て、黒ちゃんが微かに不平を漏らす。


「大事に食べないと、すぐに無くなっちゃうんだよ?」

「うっ! そ、そうなんだけど……おいしいんだもん!」

「黒。あんまり我儘言うと、おりょう姐さんに「だったら全部無し」とか言われるぞ?」

「はぅっ! そそそ、そうだね……御主人、ありがたく十粒頂戴致します」


 最悪の事態を悟ったのか、黒ちゃんは頭を下げながら両手で猪口齢糖(チョコレート)を受け取った。


「あはは。明日以降にまたあげるから、今夜はね?」


 夜に高カロリーの摂取は良くないとか、人間的な常識は黒ちゃん達には当て嵌まらないとは思うが、ある物を無制限に与えるのに慣れてしまうとお互いに良くないので、ここは少し厳しく行く。


「おう! んじゃ、いただきまーす!」


 過ぎ去った事は気にしない黒ちゃんは笑顔になると、大きく口を開けて猪口齢糖(チョコレート)を一粒放り込み、いい音を立てて噛み砕いた。


「白ちゃん、どうぞ」


 乳酪(バター)ローストの扁桃(アーモンド)の内の一掴みくらいの量を、小皿に取って白ちゃんへ渡した。


「かたじけない。だがこんなにはいらんぞ?」

「後で福袋の中身を少し入れ替えて、白ちゃん専用の物にするから、残りは取っておけばいいよ」

「ああ。そういえば買い足したのだったな」

「うん。ちょっと実験もしたいから、後で黒ちゃんと一緒に部屋に来てくれるかな」

「承知した」

「おう!」


 俺に返事をした後で、黒ちゃんは猪口齢糖(チョコレート)を口に放り込んだ。



「こいつがつまみか……ん!? こいつは歯応えが良くて、塩味で後を引くな。確かに酒に合いそうだ」


 油を切った、小皿に山盛りの扁桃(アーモンド)を一つ食べた松永様は、白ちゃんと同様に気に入ってくれたみたいだ。


「どうぞ。用意してありますよ」

「お。気が利くな……っかぁーっ。うまいな!」


 扁桃(アーモンド)と酒の組み合わせが気に入った松永様は、無限ループに突入してしまった。


「あたしにも貰えるかい?」

「その前に、福袋を買い足したので、ちょっと中身の移動をしたいんですけど」

「手に入ったのかい? わかったよ。なら、あたし達の部屋へ行こうかね」

「はい!」


 応接室に松永様を残して、おりょうさん達が使っている部屋へと移動した。



「おりょうさんと頼華ちゃんで、一つずつを専用で使って下さい」

「んじゃ、ありがたく使わせて貰うよ」

「これで、薄緑を離さないでおけます!」


 福袋は俺と黒ちゃんと白ちゃんが、それぞれ一つずつを分担して持っていたのだが 街中では帯刀しないようにしようと、頼華ちゃんの薄緑も福袋に収納しておいた。


 結果的に、頼華ちゃんの守り刀とも言える存在の薄緑を肌身から離してしまうという状況は、俺としてもなんとかしてあげたかったので、新たな福袋が入手出来たのは僥倖だった。


「万が一の時の食料なんかは少し減らしますから、私物は自分の管理でお願いします」

「ああ、そうだねぇ。良太には散財させちまってるけど、助かるよ」


 これまでは自分で荷物を運ばないで済んでいたのだが、それよりも衣類などの私物を、顔見知りとは言え他人と共有している福袋に入れているのには、やはり少し抵抗があったようだ。


「水筒と、調理しないで食べられる種類の物を……二日分くらいかな?」


 万が一にもはぐれて、二日以上合流出来ないという事は無いだろう。もしも出来なければ、何か外的な要因によるはずなので、良くも悪くも二日以上解決に掛かる事は無さそうだ。


「これは、いつ食べてもいい食料ですか?」

「いや、非常食だからね? で、非常食とは別に……はい。新作のお菓子だよ」


 非常食の意味を理解しているのか怪しい頼華ちゃんに、扁桃(アーモンド)入りの猪口齢糖(チョコレート)を、黒ちゃんと同じ十粒渡した。


「あ、兄上っ!? これはもしや、猪口齢糖(チョコレート)では!?」

「りょ、良太っ!?」


 小皿に盛られた猪口齢糖(チョコレート)を、忌まわしい物でも見るような目つきで、おりょうさんと頼華ちゃんが凝視している。


「あの、多分ですけど、二人共食べて大丈夫ですよ」

「「なんで!?」」


 物凄いシンクロ度で、二人が俺に疑問をぶつけてきた。


「一度おかしな状態になって、耐性が出来ているはずです。おまけに、中に扁桃(アーモンド)という木の実が入っているので、一粒辺りの猪口齢糖(チョコレート)の量も少なくなってます」


 確か江戸で、媚薬のような状態異常が発生したのは、そのままの猪口齢糖(チョコレート)を十粒くらい食べたところからだ。


「……えらい目にはあったけど、猪口齢糖(チョコレート)自体はおいしいんだよねぇ」

「……兄上に迷惑を掛けないのなら、あの蕩けるような味わいをもう一度とは、余も思ってはいたのです!」


 おりょうさんも頼華ちゃんも乱れてしまうのは御免だが、猪口齢糖(チョコレート)の味自体には未練があったようだ。


「もし、またおかしくなりそうだったら、俺がすぐに治しますよ」

「ああ。それなら安心だねぇ。じゃあせっかくだから、頂こうかね」

「余も、頂きます!」


 おりょうさんと頼華ちゃんは手を伸ばし、それぞれ猪口齢糖(チョコレート)を一粒摘んで口に運んだ。


「ん……ちょい苦の甘さの中に、別の甘さ!? そ、それにカリカリの歯応えが……これはおいしいねぇ」

「カリカリで面白いです! 中の木の実が香ばしくておいしい!」

「主殿。俺も一粒いいか?」

「ああ。そういえば白ちゃんは食べてなかったね。じゃあ白ちゃんとおりょうさんにも十粒ずつ渡しておくよ」

「御主人! あたいには塩味の頂戴!」


 結局、コンパクトで栄養価も高いので、非常食も兼ねて猪口齢糖(チョコレート)乳酪(バター)ローストした扁桃(アーモンド)を、各自に配っておく事にした。


「ところで頼華ちゃん、朔夜様が随分疲れてたみたいだけど、相当厳しく鍛錬したの?」

「そうでも無いですよ。前後左右からの打ち込みを耐えるというのを続けただけです」

「……どれくらい?」

「三時間くらいでしょうか?」

「やり過ぎでしょ!?」


 嫌な予感がしたが、まったくその通りだった。


「で、でもですね、朔夜は動かないで闘気(エーテル)を維持しているだけで良いので、大変だったのは余の方ですよ?」

「……頼華ちゃんは疲れてるの?」

「いいえ。全然」

「だと思ったよ……」


 帰ってきた時の様子で、頼華ちゃんに疲労の色は見えなかったので、この返事は予想通りだ。


「朔夜の防御に弾かれない程度にしか攻撃に闘気(エーテル)は使わずに、殆どは体内を循環させていただけですので、消耗した感じは無いです! お腹は空きましたけど!」


 多少は向上したが、朔夜様と頼華ちゃんでは闘気(エーテル)の量も質も違うので、最低限の攻撃に回した程度では頼華ちゃんはガス欠にはならないようだ。


 逆に、頼華ちゃんの最低限の攻撃でも、朔夜様には闘気(エーテル)の防御をするだけでも目一杯だったのだろう。食事の時の憔悴しきった様子が全てを物語っている。


「御飯はちゃんと食べてたけど、ちょっと心配だな……朔夜様のところへ行ってくるよ」

「兄上! 夜這いはダメですよ!」

「様子を見に行くだけですよ!?」


 夜這いの意味がわかっているのかいないのか、頼華ちゃんがとんでもない事を言い出した。


「おりょうさん、なんとか言って下さいよ……」

「まあ、なんかあったらタダじゃ済まさないよ……良太も」

「俺も!?」

「ならいいです!」

「いいんだ!?」


 どうやら俺は被害者になっても許されないらしい。


「はぁ……そんなに心配なら、誰か一緒に行く?」


 差し入れと、場合によっては(エーテル)の治療をするくらいしか考えていないので、俺には何もやましいところは無い。


「ふむ。ならば俺が一緒に行こう。姐さん、いいな?」

「ああ。なら安心だねぇ」


 なんで被害者の俺に信用が無いのかと少し腑に落ちない物があるが、放置して仕事に差し支えが出るのも忍びないので、白ちゃんと共に朔夜様の部屋へ向かった。



「朔夜様。今、宜しいですか?」


 朔夜様の私室の前で声を掛け、返事を待った。廊下との仕切りの障子の向こうは明るいので、まだ寝てはいないだろう。


「鈴白様!? ど、どうぞ!」

「失礼します」


 部屋の中から慌てる気配が伝わってきたが、許可が出たので障子を開けた。


「鈴白様、と、白殿……ど、どうされました?」


(俺が何をしに来たと思ったんだろう……)


 同行者がいるとは思っていなかったのか、白ちゃんを伴っているのがわかると、朔夜様は目に見えて意気消沈していく。


「買ってきた食材で試作した食べ物があるので、少し御裾分けをと思ったんです。あと、お疲れの様子でしたので」


 俺は皿に盛った、二種類の扁桃(アーモンド)の加工品を朔夜様に示した。


「こ、この黒いのはなんなんですか!? あ、なんか甘い香りがしますけど……」


 猪口齢糖(チョコレート)の色を見てギョッとした朔夜様だが、独特の甘い風味は気になるようだ。


猪口齢糖(チョコレート)という外国の菓子です。栄養があるんですが、ちょっと刺激が強いかもしれないので、一度に五粒以上は食べないで下さい」


 コーティングしてある猪口齢糖(チョコレート)の量は、江戸でおりょうさん達が状態異常を起こした時の、予想質量の四分の一以下になるはずなので、多分大丈夫だろう。


「とりあえず、味見をどうぞ」


 皿から一粒摘んで、失礼かとは思いつつも、朔夜様の顔の前に差し出した。


「え……えぇー……で、では失礼して……はむ……ん、甘くて、ほろ苦くて……お、おいしい!」


 目を閉じていたので、わざとなのかハプニングなのかは定かではないが、俺の指ごと猪口齢糖(チョコレート)を口にれた朔夜様は、恐る恐る口を動かすと、目を開けて表情を綻ばせた。


(特に異常は……大丈夫そうだな)


 目を凝らして見ても、朔夜様の(エーテル)に異常は無かった。


 やはり少量なら、猪口齢糖(チョコレート)による状態異常は起きないようだ。慣れれば食べる量が増えても影響は出ないだろう。


「こっちはその中に入っているのと同じ木の実を、乳酪(バター)と塩で味付けした物です。酒のつまみにいいと、松永様と白ちゃんにお墨付きを頂きました」

「あ、主殿……」


 朔夜様の前で褒めると、白ちゃんが頬を染めた。


「そうですか。夕食を済ませた後ですから、これは明日以降に頂きます。お気持ち感謝致します」


 微笑んだ朔夜様は、皿を受け取った。


「それで、お身体の方はどうなんですか?」

「少し、疲れました……ちょっと午後の職務に差し支えが出る程度には」


 朔夜様が、自重するように苦笑いする。


「明日は俺もいますから、やり過ぎないように監督しますよ」

「よ、宜しくお願い致します……」


 今日の鍛錬の厳しさを物語るかのように、朔夜様が深く頭を下げてきた。


「明日に疲労を持ち越すのは良くないですから、少し治療しましょうか?」


 さっき目を凝らした時に、猪口齢糖(チョコレート)による状態異常は見つからなかったが、肩や足腰に疲労によると思われる(エーテル)のわだかまりは確認していた。


「えっ!? よ、宜しいんですか? 鈴白様も出掛けられたので、お疲れなのでは?」

「俺は全然。じゃあ中へお邪魔していいですか?」

「はい。お願い致します」


 朔夜様に促され、俺と白ちゃんは部屋の中へ入った。



「えっと、寝た方が宜しいですね?」

「そうですね。通常なら座っててもいいんですが、足腰にも疲れがあるようですから」

「そ、そんな事までおわかりに?」


 食事の時に疲れた様子を見せてしまった自覚は朔夜様自身にもあったようだが、足腰の事まで見抜かれているとは思わなかったらしい。 


「少しですけど、闘気(エーテル)を目で視る事が出来るんですよ」

「ああ! す、鈴白様は本当になんでもお出来になるのですね」

「そうだぞ。だから主殿が温厚な方だからといって、何をしても大丈夫と思うのはやめておけ」

「は、はいっ!」


 白ちゃんが言葉の中に潜ませた真意を読み取って、朔夜様がビクッと身体を震わせた。


「白ちゃん……」

「む。余計な事を言ってしまったか。主殿、何か手伝うか?」

「いや、今の所は……では、始めますね」

「お願い致します……」


 寝っ転がった朔夜様は、静かに目を閉じた。


(先ずは、淀んでいる(エーテル)の流れを治すか)


 朔夜様の足元に移動した俺は、滞りのある脹脛(ふくらはぎ)から上では無く、足の先から(エーテル)を注入し、少しずつ身体の中央へ向かって流れるようにしていく。


「あ……なんか脚のダルさが楽に……」

「痛かったりはしませんか?」

「大丈夫です。なんか脚がポカポカと温まって、気持ちいいです」

「じゃあ次は、うつ伏せになって下さい」


 朔夜様に確認して、治療が効果を現しているのを確認したところで次に移る。


「えっと、手の位置はどうすれば?」

「伸ばしても、頭の横でもいいですよ」

「はい。それじゃ……」


 朔夜様は肘を曲げた腕を、頭の脇に置く姿勢でうつ伏せになった。


「ちょっと失礼しますね」

「え……んひゃあぁぁぁ!? こ、腰の辺りが、くすぐったいぃぃ……」


 お尻から腰の当たりの滞っていた(エーテル)が、血流と共に正常化したので、直接触ったりしていないのに朔夜様が悶えだした。


「落ち着け朔夜。主殿は指一本触れてはいないぞ」

「ええぇ!? ど、どう考えても、指先でくすぐられているとしか……あ、でも、むずむずするのが鎮まってきました」


 寒さで冷え切った手を暖めると、むずむずチクチクするのと同じ事が、朔夜様の腰回りで起きていたのだ。


「大丈夫そうだな。後は肩の周りを……ん? 朔夜様、少し身体の歪みを治しますが、いいですか?」

「ゆ、歪みですか?」

「ええ。左右の脚の長さが、大分違うような……肩も左右の高さが違います」

「主殿、肩の高さの違いは、刀の所為だろう」

「ああ、そうか」


 腰に差す刀の所為で、侍の左肩が上がってしまうという話は聞いた事がある。これは拳銃を吊るしている軍人や、捜査や警護の仕事をしている人間にも当てはまる、一種の職業病だ。


「脚の長さの違いも、その辺の影響かもしれないな。でも放置は出来ないので、ちょっと治しますね」

「な、治せるのですか?」

「ええ」


 俺に本格的なマッサージの経験などは勿論無いが、どうすれば良いのかはわかる。


「朔夜様、身体を起こして下さい。白ちゃん、後ろから支えてあげてくれる?」

「はい」

「承知した」


 上半身を起こした朔夜様を、後ろに回った白ちゃんが支える。


「ちょっと失礼しますね」

「あ……」


 俺が足の先を軽く掴むと、朔夜様が小さく、なんか妙に色っぽい声を上げた。


「朔夜様、軽く膝を曲げて頂けますか?」


 足の先と、腿の付け根の辺りに気を流し込みながら、朔夜様に声を掛ける。


 ぐきき……


「はい……って、な、なんか脚から凄い音が!?」


 (エーテル)で筋肉や関節、腱などが修復され、軽く膝を曲げた事によって正常な位置に戻り、その際に思いの外大きな音が出たのだった。


「痛くは無かったですよね?」

「ええ……あ、なんか脚が、凄く楽に動く!?」


 長さの違いで不自然な動かし方をしていた脚が、自由を得て楽に動かせるようになったのだ。


「長さも……うん。揃ったな」


 動かすのをやめて伸ばされた朔夜様の脚は、見た目にも長さが揃っている。


「次は肩ですね。失礼します」


 朔夜様の左横に位置した俺は、二の腕を肩の高さに持ち上げて、肩甲骨の辺りに手を当てて(エーテル)を流し込む。


 ぐきん……


「ひぃ!? か、肩から物凄い音がしましたけど?」

「落ち着いて下さい。元に戻ってるだけです?」

「も、元に?」

「ええ……どうですか?」


 見た目にも朔夜様の肩は、変に力を入れているような感じが無くなり、自然でなだらかな曲線を描いている。


「ええっ!? か、肩が軽い!? それに、なんか目がスッキリしていますよ!?」


 左肩を治療してから目を凝らすと、右肩で滞っていた(エーテル)も正常化しているように見えるので、上半身の異常も脚の長さの違いも、左肩を庇うような使い方が原因だったようだ。


 目がスッキリ感じるのは、肩から首にかけての滞りが改善されたからだろう。


「朔夜様、ちょっと立って、馬歩をやってみてくれますか?」

「は、はあ? では……」


 立ち上がった朔夜様が腰を落とすと、まるで本来の形に戻ったみたいに、自然に馬歩の姿勢に落ち着いて微動だにしない。


「む。これは驚いたな……」


 朔夜様の馬歩の姿勢を見て、白ちゃんが驚きの声を上げる。


「し、白殿? 何かおかしいのですか?」

「そうでは無い。今までも朔夜の馬歩をおかしいとは思わはなかったが、今は恐ろしく安定しているのだ。ほら」

「えっ!?」


 白ちゃんが横から軽く朔夜様を押しても、脚に根が生えたかのように、ビクともしなかった。上半身も安定している。


「どうだ? 楽な上に、安定しているだろう?」

「え、ええ。凄く楽にこの姿勢を取れます」

「程々でやめておきましょう。まだ元に戻ろうと、身体の中で色々と働いていますから」

「は、はい。ありがとうございました!」


 朔夜様は感激の面持ちで、俺と白ちゃんに頭を下げた。


「お忙しいでしょうけど、今夜は早めにお休み下さい」

「わかりました。お言いつけに従います」


 微笑みながら素直に頷く朔夜様からは、悪い物が抜け落ちたかのような清々しさを感じる。


「じゃあ、俺達はこれで」

「朔夜、また一つ主殿の凄さがわかったろう?」

「ええ。もう劣等感も湧かないくらいです」


 多少嫌味な言い方の白ちゃんの言葉にも、朔夜様は屈託無く笑って応えた。


「ふむ。どうやら本心のようだな」

「白ちゃん、そこまで言わなくても……」

「いいのですよ、鈴白様」


 俺は言い過ぎだと白ちゃんを嗜めようとするが、朔夜様は穏やかに微笑んでいるだけだ。



「まったく主殿は、呆れるくらいになんでも出来るのだな」


 朔夜様の部屋を出て、廊下を歩きながら白ちゃんが話し掛けてきた。


「おだてでも、豆くらいしか出ないよ?」


 俺は懐から、紙に包んだ乳酪(バター)ローストの扁桃(アーモンド)の残りを取り出して、白ちゃんに手渡した。


「おや。こんなに良い物が出てくるとは、どうやら主殿は、おだてられるのが好きらしい」


 にやりと笑いながら、白ちゃんが包みを受け取った。


「ええ!? そういう事を言いたかったんじゃ……参ったなぁ」

「ふふ。それじゃあこれは、俺からのお疲れ様の御褒美だ」


 白ちゃんは包みの中から、一粒扁桃(アーモンド)を撮み出すと、俺の口元に持ってきた。


「……あむ」

「ひゃあぁぁっ!?」


 ちょっとした仕返しをと、扁桃(アーモンド)を摘んだ親指と人差指ごと口に含んだら、白ちゃんが可愛らしい悲鳴を発した。


「御馳走様。また宜しく」

「ぬぅ……主殿がそう言うのならばな」


 白ちゃんは悔しそうにしているが、どうやらお願いしたら、また食べさせてくれるみたいだ。


「……」

「どうかした?」


 黙ってしまった白ちゃんが、自分の手をじっと見ている。


「な、なんでも無いぞ! さあ、早く部屋に戻ろう」

「う、うん……」


 焦った様子の白ちゃんに背中を押され、俺へ自分の部屋へ向かって歩いた。

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