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赤茄子

「ん?」

「主殿も気付いたか?」

「んー。なんか妙な感じだね」


 遠巻きに俺達を見ている、複数の視線を感じたような気がしたと思ったら、俺だけでは無く二人も感じ取ったようだ。


「さっきの連中の仲間かな?」

「そんなところだろうな」

「御主人、やっつける?」


 白ちゃんと黒ちゃんはやる気になっているみたいだが、人通りの多いこの場所では、周囲に迷惑が掛かる可能性が高い。


(人が少なそうな場所へ移動しよう)

(おう!)

(そうだな)


 見ている連中に悟られないように念話でやり取りし、さり気ない風を装って三人で歩き始めた。すると、狙い通りに複数の気配が後を付いてきた。


(この辺ならいいかな)


 大通りから一本奥に入ると、商店の裏側や倉庫になっている区画になり、喧騒も途絶えた。


「!?」


 気がついているとは考えていなかったのだろう、俺達が振り返ると、おそらくは暴力を生業(なりわい)としている連中は、ギョッとした表情になって足を止めた。


「あの、俺達を追っている要件については見当がつくんですが、やめておいた方がいいですよ?」

「ああん?」


 リーダー格だと思われる、袖口から出ている二の腕の辺りに入れ墨が見える男が、顔を歪めて精一杯という感じで虚勢を張っている。


(まあ、俺みたいな若造に言われても、聞く耳持たないよな……)


 反応としては正常なんだが、頭の中で考えている事は、暴力による解決だけだろう。


「手前らのおかげで稼いでる連中が捕まっちまったんだ。この落とし前はつけてもらうぜ!」


(掏摸(すり)で稼いでいるって言われてもなぁ……)


 盗人猛々しいという言葉そのままだが、自分達が間違っているとは思っていないのだろう。ニヤニヤと下卑た笑顔を浮かべている。


「まあそこの綺麗なお嬢ちゃん達を置いていくってんなら、手前だけは見逃してやってもいいぜ?」

「「「ひひひ……」」」


 手下らしい連中が、同調するように声を出して笑った。


「「……」」


 男の物言いに腹を立てているらしい黒ちゃんと白ちゃんの中で、微かにだが殺気が感じられる。


(二人共。ここは俺に任せて、手は出さないで)

(えー……)

(黒。主殿に従うぞ)

(はーい……)


 ギギギ……


 渋々従う黒ちゃん以上に、実は白ちゃんも心中は穏やかでは無いようで、剥き出した歯を軋ませている。


「申し出はお断りします。じゃあこっちからは手を出しませんから、気の済むまで暴れて下さい」

「な、なんだと!?」


 黒ちゃんと白ちゃんをその場に残して、何気無い足取りで歩き出した俺の言っている事が理解出来ないのか、目の前の連中の中に動揺が広がる。


「や、野郎っ!」


 一人が短刀を脱いて突っ込んでくるが、俺は歩くのをやめない。


「っ!? な、なんで刺さらねぇ!?」


 腰溜めに構えて刃物ごと突っ込んできた男は、見えない(エーテル)の壁に攻撃を阻まれ、勢いを逆に返されて後方へ吹っ飛んだ。


「なっ!? て、手前。町人の格好をしているが、武人だったのか!?」


 眼の前で起こった事が信じられないのか、リーダー格だと思う男が目を剥く。


「いいえ。ただの町人ですよ」

「くそっ! 他の奴らもかかれっ! 同時にやれば耐えきれねえだろう! 女の方にも行けっ!」


(あー、ごめん。俺だけでなんとかしたかったけど……そっちに行ったのは、殺さない程度に適当に相手して)

(おう!)

(心得た)


 俺が動いて全部相手にしてもいいんだが、黒ちゃんと白ちゃんにも、多少のストレス発散は必要だろう。気の毒に思う相手じゃないので心は痛まないで済む。


「な、なんだこいつ!? 全然刺さらねえぞ!?」

「兄貴! どうしやす!?」


 刺したり、殴ったり、蹴ったり、掴みかかったりとあれこれ試すが、俺にはなんのダメージも与えられない。それどころか弾き飛ばされたりして逆にダメージを負ったりするので、少しずつ戦意は削ぎ取られているようだ。男達の表情に、動揺と恐怖が広がっていく。


「くっ……お、女だ! 女をやれ!」

「へいっ!」


 男達の内、黒ちゃんと白ちゃんへ向かった二人が短刀を構える。


「お、おとなしくしろ!」


 精一杯に凄んでいるが、言葉だけで動こうとしない二人の男は、どう見ても腰が引けている。


「……わっ!」

「ひっ!?」


 大人しくしていた黒ちゃんが唐突に声を上げると、驚いた男の一人が振り回した短刀が肩に突き刺さった。


「……これがどうかしたの?」

「ひぃっ!? ち、血が出てねぇ!? ば、化物だっ!」


 短刀は確かに刺さっているのだが、血の筋どころか一滴も零れ落ちたりはしない。黒ちゃんの表情からも言葉からも少しも痛痒は感じず、口の端を吊り上げて悪そうな笑顔を作っている。


(……大丈夫だとはわかっていても、黒ちゃんが刺されるのを見るのは、良い気分じゃないな)


 (エーテル)で肉体を構成している黒ちゃんと白ちゃんには、そもそも通常の武器などの攻撃でダメージを与える事は出来ない。


 予め、俺達が相手をしている連中の中に、特別な武器を持っている者や、武人のように闘気(エーテル)を身に纏ったりしている者がいないのは確認済みだったが、それでも実際に攻撃を受けて大丈夫なのがわかるまでは、ドキドキさせられた。


「くっ! ど、どうにもならねぇ」


 二人の様子を見ながら考えている間にも、俺の周囲では突っ込んで来ては弾き飛ばされるという、無駄な努力が続けられている。


「はぁ……どうやら、命令を与えているあなたをなんとかしないと、終わりにならないみたいですね」


 突っ込んでくる連中を完全に無視して、俺はリーダー格の男へ向けて歩き始めた。


「へひぃっ!? く、来るんじゃねぇっ!」


 意味不明の声を上げて、完全に腰が引けている男は、闇雲に脇差を振り回してくる。 


(直接攻撃すると危ないな……)


 手持ちの武器を使うのは威力があり過ぎるから論外で、素手の攻撃でも加減が難しいので、俺は範囲と強度を絞るように想念しながら、目の前と周囲の男たちへ向けて弱い殺気を放った。


「「「ひいぃぃっ!?」」」


 カラン、と音を立てて脇差や短刀を放り出した男達は、白目を剥いてその場に倒れ込んだ。股間と地面に黒い染みが広がっていく。


「あー……大人しくさせるだけのつもりだったけど、ちょっとやり過ぎたか」


 大通りの方や、周囲の建物から異常は感じないので、完全に失敗という訳でも無いのだが、中々調整は難しい。


「ご、御主人……ちょっと怖かったけど、痛気持ち良かったぁ!」

「ぬぅ……主殿の攻撃的な波動の、刺すように鋭い物でありながら、なんとも濃密で甘美な……」

「……へ?」


(痛気持ち良いって、マッサージみたいな物なのかなぁ……)


 江戸で徳川の家宗様に精神的に追い込まれ、無意識に最強レベルで放った殺気には、黒ちゃんと白ちゃんは正体を無くしてしまっていたが、今回のように調整をした殺気は痛みは伴うが、ある程度の気持ちよさが伴うみたいだ。


「ね、ねえ御主人! 御主人に怒られるような事はしたく無いけど……これたまにやってくれない?」

「うむ。怒らせなければやらないと言うのなら諦めるが……」

「……まあ、いいよ」


 殺気という物のどの辺が、二人のお気に召したのかはわからないが、俺は何も消耗しないので、こんなのが福利厚生になるんだったら応えてやるのが主人だろう。


「さて、織田屋敷に連絡を入れて捕まえてもらうか……悪いけど、どっちかに行ってもらって、どっちかに縛り上げるのを手伝って欲しいんだけど」

「おう! んじゃ、あたいがひとっ走りしてくるよ!」


 言うが早いか、黒ちゃんは大通りの方へと駆け出した。


「では、俺が縛るのを手伝おう。こいつらが付けている帯を使えばいいな?」

「うん。武器もひと纏めにしておいた方が良さそうだな」


 一応、旅をするのに必要だろうと考えて何種類かの紐も持ち歩いてはいるが、帯で後ろ手に縛り上げれば十分だろう。



 俺も白ちゃんも腕力があるので、様々な姿勢で失神している男達をひっくり返し照りして縛り上げるのには苦労しないが、失禁による汚れに触らないように作業するのは中々大変だった。


「ただいまー!」

「またあなたでしたか、鈴白殿……屋敷に来たのがこのお嬢さんなので、まさかとは思ったのですが」

「ははは……」


 縛り上げた男たちを一箇所に集め、少し離したところに持っていた短刀や脇差をまとめたところで、黒ちゃんに先導されて、織田屋敷で事情聴取をした役人が手下を連れてやって来た。


(同じ日に二度じゃ、またって思われても仕方ないけど)


 悪党に一日に二度も遭遇する俺の方が「またか」って言いたいが、ここは我慢する。


「さっきの掏摸(すり)達と関係があるような事を言ってました。俺達に仕返しがしたかったみたいですね」


 荷車に俺達を襲った連中が、新たに念入りに縛り上げられて積み込まれている間に、役人の男性に簡単に状況を説明した。


「わかりました。詳しくは織田屋敷で伺いますが、鈴白殿がわざわざこいつらをここへ連れ込んで、こんな状況になったとは考え難いので、形式的な物だと御理解下さい」

「わかりました」


 放置するという手もあったが、もしかしたらブルムさんと一緒にいるところを見られていたかもしれない。


この連中が悪さをしないとも限らないので、周囲に迷惑が掛からないように、けりを付けておく必要があった。



 同じ日に二度目の事情聴取なので、俺自身の事の聞き取りは省略されたから早く済んだ。


「お手数をお掛けしました」

「あの人達は、どういう沙汰を受けますか?」


 牢屋の中で意識を取り戻した連中は、最初の内は開き直ったように罪を認めなかったが、黒ちゃんが顔を見せると怯えだし、急に素直になった。


「今回は怪我を負った被疑者はいないですが、明確に武器を持って人を害そうとしましたから、組長は死罪。子分達は数年間の苦役といったところでしょう」


 役人の説明によると、どうやら連中はこの辺りを縄張りにしている任侠集団で、任侠と言いつつやっている事は、掏摸(すり)や恐喝だったらしい。


(これに懲りて、組長さんは次の世で、手下の人達は罪を償った後で、真っ当に生きてくれればいいけど……)


 今回の事が、少しでも魂の修行に役立っている事を祈るしか出来ない。


「天辺が捕まったので、もう鈴白殿に何かをしようとか思う奴はいないでしょう」


 俺が少し考え込んでいたのを、役人の男性には仕返しを恐れていると勘違いされたようだ。


「だといいんですけど」

「それでなくても、掏摸(すり)集団を捕まえた事は評判になってますから、悪い連中がわざわざ近づきやしませんよ」

「ははは……」


(評判になっちゃってるのか……)


 買い物をするのに迷彩効果のある外套を着て歩くのも変なので、熱田神宮を離れてからは普通の格好だったのだが、ちょっと軽率だったかもしれない。


「朔夜様からの書状によれば、古市でも手柄を上げたとの事ですが」

「っ!?」


 牛乳の譲渡に関する内容だけかと思っていたが、朔夜様は古市での刃傷沙汰についてを記載していたようだ。


「いやぁ、行く先々でお手柄とは見事な物です。我々としては治安が守られていないという指摘をされている


ようで、少し複雑ですがな。はっはっは」

「ははは……」


(笑い事じゃ無いんだけどな……)


 治安維持の仕事がちゃんとされていれば、確かに俺が事件に遭遇する事は無かったのかもしれない。


 だが古市の事件は衝動的な物だっただろうし、長年街に巣食っているような連中は隠蔽も巧妙だろうから、これで職責を果たしていないと言うのは可哀相だ。



「なんかどっと疲れたな……」


 一時間ほど後。数人の役人に見送られて、俺達は織田屋敷を後にした。


「どこかで休むか? それとも帰るか?」

「御主人お疲れ? どっかでおやつでも食べる?」


 二人共俺を気遣ってくれているんだろうけど、黒ちゃんの方は自分がおやつを食べたいという気持ちが含まれているようだ。


「そうだなぁ……さっと買い物を済ませて、茶店にでも入ろうか」

「おう!」

「では行くか」


 目についた店に入り、俺は無難な色とデザインの着物と袴を買い揃え、黒ちゃんと白ちゃんは好みが違うかと思ったら、同じデザインの着物一式と寝間着をセレクトした。


「違うのを買っておけば、着回しが出来るんじゃないの?」


 とか思ったりしたが、良く考えれば黒ちゃんと白ちゃんは、身長も体型もかなり違うのだ。


「まあそうなのだが、同じ物を着ていれば、主殿には中身の違いがよりハッキリとわかるだろう?」

「いや。違う着物を着ててもわかるよ?」


 どうやら敢えて同じデザインの物を着て、お互いの違いをアピールするという事のようだ。


(あー……二人が高校の制服とか着る時には、着こなしが凄く違いそうだなぁ……)


 自分が一週間だけ通った高校の女子のブレザーの制服を、黒ちゃんがギャルっぽくスカートを巻き上げたりしてちょっと着崩し、白ちゃんが一部の隙も無く着ているのを想像する。


(お、おお……似合うな! おりょうさんや頼華ちゃんも……)


 学年色の色違いのリボンを付けているおりょうさんの制服姿を想像すると、何故か着崩したりはしていないのに、どこか色気を感じさせる。頼華ちゃんの場合は想像する以前に、まだ高校生の体型に成長していない。


(でも、頼華ちゃんも私立の名門小中学校の制服とか似合いそうだよな……)


 お嬢様どころかお姫様である頼華ちゃんが、制服に身を包んで学校指定のカバンを背負っている姿は、想像するだけで可愛さ爆発だ。


「御主人。御主人。どうしたの?」

「何か考え事か?」

「……はっ!? 俺は何を!?」


 すっかり幸せな幻想の世界にトリップしていた俺は、黒ちゃんと白ちゃんの呼び掛けで現世に引き戻された。


「疲れているのだろうか? 丁度良いからそこの茶店にでも入らんか?」

「ああ、いいね。そうしようか」

「おう!」


 白ちゃんに促され、黒ちゃんに手を引かれて、俺達は茶店の空席に腰を下ろした。



「これは、羊羹とは違うのか?」


 染め抜かれたのぼりに書かれていた、白と黒の「ういろう」の載った皿を見つめ、白ちゃんが不思議そうに呟く。


「羊羹は小豆と寒天で、ういろうは確か、砂糖と米粉や小麦粉を混ぜて蒸した物だった、かな?」

「だから餅っぽいんだね! うまー!」


 柔らかいが歯応えは感じられるういろうは、なんとも例えようのない食感だ。濃厚で複雑な黒砂糖と、すっきりとした上品な甘さの白砂糖で作られていて、形と製法は同じだが、色だけではない味の違いも楽しめる。


「じゃあ一服出来たし、そろそろ……あ、ちょっと寄り道してもいいかな?」


 帰ろうか、と言いそうになって、やり残した事があるのを思い出した。


「勿論、構わんが、何があるんだ?」

「ちょっとブルムさんへ用事がね」

「ブルムのおっちゃんのとこ? じゃあ行こう!」

「黒ちゃん、慌てないでいいから!」


 立ち上がった黒ちゃんに手を引かれ、危うく勘定を払わずに茶店を出てしまうところだった。



「ブルムさん」

「おや鈴白さんとお嬢さん方。何か買い忘れでも?」


 そろそろ店仕舞いなのか、藁のむしろの上に広げていた鉢植えなどを、ブルムさんは片付けているところだった。


「買い忘れは多分無いと思うんですけど……あの、肉の手持ちがあるんですが、良かったらお譲りしますけど、如何ですか?」


 今のところは買い忘れた物は無いと思うが、ブルムさんに言われるとちょっと自信が無い。


「肉ですか? なんでまた?」

「実は、俺自身が肉が好きでして、ドランさんにも手伝って貰って、ちょっと大きな規模の巻狩りをやったんです」

「ほう? ドランの奴も一緒にですか」


 同郷の出であり、ドランさんと一緒に旅をしていたブルムさんなら、食の好みはある程度は把握しているだろうから、俺の話から状況を察したようだ」


「ええ。参加した皆で分けてもかなりの量だったので、良かったらブルムさんにも御裾分けをと思ったんですが」

「それは、ありがたいお話ですが……種類的にはどんな物ですか?」

「猪と鹿です。枝肉と内蔵と、腿の燻製があります」

「そ、それは……是非にお譲り下さい!」


 ごくり……


 肉の事を想像したのか、ブルムさんが喉を鳴らした。


「じゃあ、黒ちゃん、白ちゃん、俺とブルムさんが影になるように立ってくれるかな?」

「おう!」

「承知した」


(周りの店でも魚は扱っているけど、鶏以外の肉は目にしなかったからな……)


 迷彩効果のある外套を着た二人にカバーして貰わないと、加工してあるとは言え生々しい肉の塊は、周囲の人々を驚かせてしまうだろう。


「猪と鹿のそれぞれ半身と、腿の燻製を一本ずつ、こんなところで大丈夫ですか?」

「私一人なら数日分はありますから、十分です。いやはやこれはありがたい」

「良い物を売って頂けたので、少しでもお礼になったなら良かったです」


 それでもまだ、猪も鹿も数頭分の肉があるので、今夜は肉料理にしようかなと考える。


「いや、私は適正価格でお売りしただけで……そうだ。お礼にもなりませんが、これを差し上げましょう」

「こ、これは……」


 俺は見覚えのある、金属製の罐をブルムさんから受け取った。苦い記憶が呼び起こされ、持つ手が少し震える。


「もしやご存知ですか? 猪口齢糖(ショコラーデ)です」


(や、やっぱり……)


 江戸でドランさんに貰った猪口齢糖(チョコレート)を食べて、おりょうさんと頼華ちゃんと胡蝶さんに媚薬のような効果が出て、えらい目にあった記憶が鮮明に思い出された。


「この匂い……猪口齢糖(チョコレート)ってお菓子だね!?」


 罐は密封されている訳では無いので、漏れ出た匂いを嗅ぎ取ったらしい黒ちゃんは、中身が以前に食べた事のある輸入品の菓子だと気がついたようだ。


(そういえば、以前に猪口齢糖(チョコレート)のお菓子を作って欲しいとか言ってたな……)


 黒ちゃんと白ちゃんに猪口齢糖(チョコレート)を試食して貰った時に、他の食べ方、みたいな話をしたのを思い出した。


「ブルムさん、ナッツ類なんかは扱っていますか?」

「ナッツですか? ええ。扁桃(マンデル)ならありますよ」


 扁桃(マンデル)というのは翻訳によると、どうやらアーモンドの事のようだ。


「生なので、食べるには炒るか揚げるかしなければなりませんが」

「では買わせて頂きます。お幾らでしょう?」


 これでアーモンドチョコを作ってあげられるし、他の料理にも使えるだろう。


「二キロ入の袋で……そうですね、銅貨二十枚で結構です」

「それは安過ぎるのでは?」


 元の世界の現代の感覚でも、アーモンドはそこまで安くない。


「確かに儲けはありませんが、損もしていない価格です」


(要するに原価か……悪い事しちゃったかな)


 おまけ目的でブルムさんに肉を提供した訳では無いのだが、結果的に値引きの材料になってしまったのが、少し心苦しい。


「もし気にされているんでしたら、暫くはここで店を開いていますので、また店を利用して下さい」

「そういう事でしたら……わかりました」


 あまり遠慮しても失礼になるので、目を細めるブルムさんの申し出を受け入れた。



「ただいまー」


 界渡りで伊勢の代官所へ戻り、帰ったのを知らせるためにおりょうさん達の部屋へ顔を出す。


「おかえりなさい、兄上!」

「おかえり。首尾良くいったのかい?」


 お茶を飲んでいた頼華ちゃんと、おりょうさんに迎えられた。


「ええ。思わぬ物も手に入りましたので、今夜の食事で出します」

「なんか珍しい食材かい?」

「食べてみてのお楽しみという事で」


 先入観無く食べて貰おうと思ったので、この場では食材の事は伏せておく。


「なんか怪しいけど……そいじゃ楽しみにしてるよ」

「余もです!」


 これまでにも食べ慣れない食材を出しているので、おりょうさんには少し怪しまれてしまったが、頼華ちゃんは期待でいっぱいのようだ。


「じゃあ厨房へ行ってきます」

「主殿、牛の乳の加工を手伝おう」

「あたいもー!」


 夕食の献立を考えていて、牛乳の事が頭から抜け落ちていた。樽を返却しなければならないというのに。


「ああ、そうだね。お願いしようかな」

「任せろ」

「おう!」

「あたし達も手伝いかい?」

「余も手伝います!」


 おりょうさんと頼華ちゃんも、手伝いを申し出てくれた。


「ありがたいんですが、竈が限られるので……夕食までのんびりしていて下さい」


 厨房の竈は複数あるのだが、炊飯と汁物を作るのに一つずつ使用し、牛乳の湯煎と俺が調理をするのに使っ


てしまうと空きが無くなるのだ。


「ああ、そうだね……そいじゃ悪いけど、楽させて貰おうかねぇ」

「お待ちしています!」

「なるべく早く作りますから」


 おりょうさんと頼華ちゃんの気持ちだけありがたく受け取って、俺達は厨房へ向かった。



「では牛の乳は俺が引き受けるから、黒は主殿の手伝いをするといい」


 腕輪から取り出した樽から牛乳を汲み、竈に掛けた湯の入った鍋で湯煎をする作業に白ちゃんが取り掛かった。


「おう! で、何すればいいの?」

「黒ちゃんは、俺が用意する材料を洗ってから角切りにしてくれればいいよ。こんな感じに……」


 取り出した赤茄子(トマト)を、黒ちゃんへの見本にダイスカットにした。


「葉物も、同じ切り方をしてくれればいいから」


 赤茄子(トマト)以外に、キャベツ、玉葱、じゃが芋、人参、鹿肉の燻製を取り出して切るように頼む。


「おう! だりゃあぁーっ!」

「……急がないでいいからね?」


 気合を入れた黒ちゃんは、機械のような正確さと速さで、人数分の材料を次々と切り刻んでいく。


「……ま、いいか」


 物凄い速さだが、不思議と危なっかしさは感じない。ノッてる黒ちゃんに水を指すのも悪いので、俺は自分の作業に取り掛かった。


 猪のロースを取り出して一・五センチ位の厚さに切り、包丁の背で軽く叩いてから、醤油に酒とすり下ろした生姜を入れた物へ漬け込む。


「御主人、野菜切り終わったよ!」

「早いね。じゃあ鍋で、にんにくの微塵切りと燻製を油で炒めて」

「おう!」


 黒ちゃんが大鍋でラードを溶かし、にんにくと鹿の燻製を炒めると香りが立ってきた。


「次は玉葱を炒めて、透き通ってきたら他の材料を全部入れて炒めて」

「おう!」


 人数分なのでかなりの量だが、黒ちゃんはパワーに物を言わせて、木杓子で材料を底から返しながら炒めていく。


「後は水を入れて煮立ててくれればいいよ。味付けは俺がやるから」


 インスタントのコンソメなんかがあるといいのだが、燻製と野菜から出る味だけで十分にうまいだろう。


「おう!」


 鍋にザバーっと水を入れ、黒ちゃんがやりきったという感じの清々しい顔をしている。


「黒。この湯煎が終わった分を任せるぞ」


 一回目の湯煎が完了した分の牛乳の鍋を作業台に置き、白ちゃんは次に取り掛かった。


「御主人、これはそのまま? それとも撹拌?」


 江戸で何度か作業をしているので、黒ちゃんは牛乳の扱いは心得ている。


「これはこのまま冷やして……この樽を洗って入れておいてくれるかな?」


 江戸から持ってきた牛乳の入っていた木の樽を取り出し、黒ちゃんに指示する。


「おう!」


 大きな樽を抱えた黒ちゃんは、井戸のある場所へ向かって駆け出した。


「さて、俺の方も始めるかな……」


 漬け込んだ肉の具合を見て、俺は鍋に乳酪(バター)を落として溶かし始めた。


「こりゃあ、なんとも言えない香ばしくていい匂いですね」


 漬け込んでいた肉を焼き始めると、熱せられた醤油と生姜の香りに惹きつけられて、代官所の料理人達が周囲に集まってきた。


「作り方自体は簡単ですよ。乳酪(バター)を入れる前に鍋を熱くし過ぎると、油が真っ黒になっちゃうのと、こうやって……」


 俺は肉を裏返して少量のつけ汁を流し入れ、鍋に蓋をしてから料理人達の方を振り返る。


「蓋をしてしっかり火を通せば出来上がりです」

「いやぁ。鈴白様は簡単そうに仰いますが、そうはうまくは……」

「じゃあ隣に付いてますから、やってみましょう」


 焼き上がった肉をまな板に移し、自身無さそうに言う料理人に鍋を渡した。


「そ、そうですか? 危なそうなら手伝って下さいね?」

「勿論です。さあ」


 鍋の取っ手を握った料理人に、乳酪(バター)を示した。


「よーし……」


 俺の言った事を守り、鍋が熱し切る前に乳酪(バター)を入れて溶かしてから、慎重に肉を投入した。


「こんなもんかな……よ、っと!」

「うまいもんじゃないですか。もう出来たも同然ですよ」


 片側が良い焼け具合になったところで裏返し、つけ汁を流し入れて蓋をした料理人の手際は見事だった。


「お、俺もやってみたいんですが、いいですか?」


 見ていた他の料理人が手を挙げ、やってみたいと申し出てきた。


「いいですよ。じゃあ汁物を掛けている竈を空けますから、そこで。


 手早くアクを取って、塩と胡椒と少量の生クリームで仕上げ、蓋をした鍋を竈からどけた。


「せっかくですから、皆さん自分の分を焼いてみては?」

「宜しいんですか?」

「宜しいも何も……その方が勉強になりますよね?」


 もしかしてだが、代官所の人達は俺が料理をする邪魔をしてはいけないという意識だったのかもしれない。


「よし、じゃあ俺も!」


 空けた竈で、次の肉を焼き始めるのを見守りながら、俺は自分達の分の肉と、付け合せの野菜を焼く作業を再開した。



「お待たせしました」

「はぁ……醤油と生姜のいい匂いがするねぇ」

「御飯! 早く御飯を下さい!」


 うっとりと、匂いに目を細めているおりょうさんとは対象的に、頼華ちゃんは両手に箸を握り締めて大興奮だ。


「頼華。行儀良くしてないと、またお代わりを貰えないぞ!」

「うっ!」


 鍋を運んできた白ちゃんに指摘されて、頼華ちゃんはおとなしくなった。だが、並べられる料理への視線は鋭いままだ。


「……」


 匂いにも頼華ちゃんの声にも反応を示さないと思ったら、朔夜様は魂が抜けたような顔で、視線を虚空に放っている。


「あの、朔夜様?」

「っ!? あ、鈴白様!? 鍛錬ですか!?」

「えっ? そうじゃなくて、夕食ですよ?」


 無意識に口に出たという事は、俺達が出掛けている間の鍛錬が相当に過酷だったという事だろう。


(こんな調子で、午後の執務は大丈夫だったのかな……)


 食べる様子を見てからだが、場合によっては食後に、疲労回復を手伝ってあげた方が良さそうだ。


「で、では、頂きます」

「「「頂きます」」」


 なんとか意識を保っている朔夜様の号令で、夕食を開始した。


「ん? この汁、なんか変わった味だねぇ。ちょっと酸味が……でも、野菜たっぷりでおいしいねぇ」

「野菜主体でこんなにコクが……兄上、この人参以外の赤いのはなんですか?」

「それはね、赤茄子(トマト)だよ」

「「「赤茄子(トマト)!?」」」


 俺と黒ちゃんと白ちゃん以外の、食卓についている全員が驚きの声を上げた。


「あ、赤茄子(トマト)って、食べられるんですか!?」

「茄子と名前が付いちゃいるが、俺も食えるとは思ってなかったぜ……」


 朔夜様と松永様が、赤茄子(トマト)入の汁物、ミネストローネの器と俺を交互に見る。


「驚きました? 赤茄子(トマト)は凄く旨味を含んでいるんですよ」


 他にもビタミンやリコピンやカリウムなどの有効成分があるのだが、説明は無意味なので省略する。


赤茄子(トマト)咖喱(カレー)に入れると、おいしさが一段階上がるんです。今度入れて作りますから」

「そ、それは本当かい!?」

「今でもおいしい咖喱(カレー)が、もっと……うふ。うふふふ……」


 俺の言葉におりょうさんが目を輝かせ、頼華ちゃんが不敵に微笑む。


(こりゃ早い時期に作った方が良さそうだな……)


 思っていたよりも赤茄子(トマト)入の咖喱(カレー)への期待が大きいようなので、玉葱などの具材の心配も無くなったので、早期に作るとしよう。


「まあ咖喱(カレー)は今度という事で、この肉料理もどうぞ」


 俺は拍子木切りにして焼いた野菜の添え物付きの、ポーク(猪肉だからボア?)ソテーの皿を示した。


「「うっま!」」


 猪肉のソテーを一口頬張った、頼華ちゃんと黒ちゃんの感激の声が重なった。


「御飯を、御飯のお代わりを下さい!」

「あ、あたいも!」

「……こうなるって気はしてたんだけどね」


 文字通り目の色を変えて、頼華ちゃんと黒ちゃんが空になった茶碗を差し出してきた。


「二人共、もう少し上品にしないと……」

「「うっ!」」


 チラッと視線を送るおりょうさんに窘められて、頼華ちゃんと黒ちゃんは前のめりになっていた背中を伸ばした。


(まあ、気持ちはわからなくも無いけどね)


 濃いめの生姜醤油の味付けに、バターの風味まで追加されているのだから、間違い無く御飯に合う。しかも豚と違ってじっくり火を通しても固くならない、脂が極上の旨さの猪肉だ。


「しかし、こいつは御飯が進んじまうねぇ……良太、お代わり。あんた達も、もう一杯くらいなら食ってもいいよ」

「「はいっ! お代わりっ!」」


 行儀が良いんだか悪いんだか。おりょうさんのお許しを得た途端に、手早く御飯を口に放り込んだ二人は、


またも同時に茶碗を差し出してきた。


「あの、良太様。私にもお代わりを」

「はい」


(食欲はありそうだから、そんなに心配する事も無さそうかな?)


 苦笑しながら頼華ちゃんと黒ちゃんに御飯を盛った茶碗を返していると、朔夜様からもお代わりの声が掛かった。


「俺にも貰えるか。この汁も」

「はい。少しお待ちを」


 松永様がお代わりをしてくれたし、他の人達も敬遠している感じでは無いので、どうやら赤茄子(トマト)のファーストインプレッションは上手く行ったみたいだ。

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