オムライス
「軽い物を作っている間に、着替えついでに入浴してきたらいいんじゃないですか?」
既に着物の体を成していないボロ布で、なんとか胸を隠しているおりょうさんを見ないようにしながら問い掛けた。
「そうだねぇ……」
「転がされた朔夜様も、随分汚れてますし」
「あ……そ、そうですね」
整地はされているが剥き出しの地面に押さえつけられたので、朔夜様は着物以外に髪の毛や、肌の露出していた部分も汚れている。
「余も入ります!」
「風呂ー♪」
「勝者への敬意に、姐さんの背中を流そう」
大して汚れていない三人組も一緒に入浴をするようなので、鍛錬はここまでになった。
「さて、何を作るか……」
黒ちゃんと白ちゃんはガス欠寸前なので、ある程度はお腹に溜まる物の方がいいだろうけど、昼食へ影響が出ない程度となると、ちょっと難しい。
「まだ牛乳が残ってるから……っと、あった」
厨房の食材を物色して目的の物を発見したので、早速調理に取り掛かった。
「あ。兄上! 御飯ですか!?」
まだ髪の毛がしっとりしている頼華ちゃんが、応接室の戸を開けた俺の方へと駆け寄ってきた。
「お昼前だから、御飯と言える程しっかりした物じゃ無いよ」
「えー……でもでも、なんなのか楽しみです!」
にっこり笑った頼華ちゃんは、元いた場所へ戻って行儀良く座り直した。
「それで、何が出来たんだい?」
「はい。これです」
「これは……ぷりんかい?」
陶器の器の蓋を開けて、中を確認したおりょうさんは、ちょっとがっかりしているみたいだ。
「兄上、ぷりんは好きですが、これでは物足りないと思います!」
「さて、それはどうかなぁ」
少々わざとらしいセリフと共に、俺は思わせ振りな笑みを浮かべた。上手く出来ているかはわからないけど。
「ぷりんとはなんですか? この茶碗蒸しの事でしょうか?」
一人だけ会話に付いて行けていない朔夜様が、器を持ったまま首を傾げる。
「これは茶碗蒸しじゃなくて、牛の乳と卵と砂糖で出来たお菓子なんですよ」
「牛の乳と言いますと、先日咖喱の口直しに頂いた、あのお菓子にも使われていたのですよね?」
口の中の辛さの軽減のために出したアイスクリームを、朔夜様は憶えていたみたいだ。
「材料としてはそうなんですけど、ちょっと味わいや食感は違うんですが……どうぞ、食べてみて下さい」
中々説明が難しいので、論より証拠で食べて貰おうと朔夜様へ勧めた。
「はぁ……あれ? ツルンとした表面なのに、なんか手応えが? ん!? あ、甘くて、口の中に牛の乳の味と卵の風味がジュワッと広がって……はぁ。幸せになる味」
「口の中に、ジュワッと広がる?」
朔夜様の言葉で、今までに出した豆乳を使った物も含むプリンとは違うと思ったのか、頼華ちゃんがいそいそと木の匙でひと掬いした物を口へ運んだ。
「ええー……あ、兄上!? なんですかこれ!? 今までのもおいしかったですけど、少し頼りなかったのに、これは食べ応えがあるじゃないですか!」
「おいしくて、少しはお腹にも溜まりそうでしょ?」
「はい!」
「……これは、もしかしたら麸かい?」
「もうわかっちゃいました? おりょうさんには敵わないな」
軽い食事代わりという事で、パンプディングを思いついたが、肝心のパンが存在しないので、以前に車麩を使ってフレンチトーストもどきを作った時の事を思い出した。
猪カツのパン粉代わりにも使った麸を、底にカラメルを注いだ器に敷き詰めてから卵液を流し込んで蒸して、麸なのでパンならぬグルテンプディングという、ダイエットという言葉に真っ向から勝負を挑んだような物が完成した。
「ふぅ! ちょっとだけお腹が落ち着きました!」
「ちょっとなんだ……」
とりあえずではあるが、頼華ちゃんは昼食までは大丈夫そうだ。
「ううう……御主人、これおいしいんだけど、全然足りないよぅ」
「済まんが、俺もだ……」
「ええ……仕方ないなぁ」
洒落にならないくらいの気を使った攻撃をしたので、単純に量が必要みたいだ。
「間に合わせに、こんなもんでいい?」
腕輪に収納してあった、五キロ以上の重量のある鹿の後肢の丸ごとの燻製を、黒ちゃんと白ちゃんに一本ずつ出してあげた。
(二人共、少し俺から気を供給してもいいよ)
(御主人、ありがとー!)
(世話を掛けるな)
黒ちゃんと白ちゃんと念話でやり取りをすると、二人は俺の両サイドに移動して座った。
「やったー! いっただきまーす!」
「え……」
両手で持った大きな燻製に、直接齧り付く黒ちゃんを見て、朔夜様がちょっと引いている。
「白ちゃん、はい」
「うむ。かたじけない」
白ちゃんの方は、俺が柳刃で小さく切った物を受け取って口に運ぶ。一見上品な感じに食べているが、ペースは一向に衰える気配が無い。
「え……えええっ!?」
黒ちゃんはあっという間にバリバリと骨まで平らげ、白ちゃんも少し送れて燻製を骨だけにしてしまったのを見て、朔夜様が驚愕の表情をする。
「お、お二人のどこに、それだけ入るのですか!?」
「ははは……」
昨日の頼華ちゃんの食べっぷりも凄かったが、お腹は膨れていたので不自然さは無かったが、黒ちゃんと白ちゃんの細いウェストには全く変化が見えず、表情も平然としているのだから、朔夜様が驚くのも無理はない。
「あー、やっと元気出てきたよ!」
食事量に満足したのもあるのだろうが、俺もかなり気の消耗を感じるので、相当な量を二人に吸収されたみたいだ。
(少し身体が重く感じるけど……まあ行動には支障は無いだろう)
二人に吸収される前に、放たれた気を二度受け止めるのにも相当量を消耗しているので、多分だが圧縮されて蓄積していた分は使ってしまったと思う。しかし自然回復もするし、もうじき昼食なのでそれ程気にする必要は無いだろう。
「無茶するからだよ……」
「ご、ごめんなさぁい! でも、おりょう姐さんには勝てないってわかったから、今後は御主人の敵としか戦わないよ!」
「……もしも、おりょうさんが敵になっちゃったら?」
究極の選択ではあるが、黒ちゃんに訊いてみた。
「あはは! おりょう姐さんが御主人の敵になる訳無いじゃん! でも、もしもが起きたら、その時は……」
「あー……うん。訊いた俺が悪かった。黒ちゃん、答えないでいいよ」
考えてみれば、俺に存在を依存している黒ちゃんが、相手がおりょうさんであろうと、敵対する存在を放置する訳が無いのだ。
(ちょっと意地の悪い質問だったな……でも、おりょうさんが敵になる訳無い、って答えは嬉しいな)
「あの、ちょっと伺いたいのですが、りょう殿は、どうやって黒殿の攻撃を、躱したのか防いだのかまでは、私には見極められなかったのですが……ともかくどうやって!?」
俺達の会話に区切りがついたと思ったのだろう。朔夜様がおりょうさんに詰め寄る
「奥の手なんで、ちと答え難いんですよねぇ……」
「あっ! そ、そうですよね! 失礼致しました……」
「失礼って程の事じゃないんですけどねぇ……」
朔夜様はあっさり引き下がったが、答えられないおりょうさんも申し訳無さそうだ。
「良太ぁ、どうしようかねぇ?」
「なんで俺に……まあ教えてあげてもいいんじゃないですか?」
(説明したから出来る物でも無いし、まだ奥の手はあるんだから)
声には出さないが目で訴えた。おそらくおりょうさんには伝わっているだろう。
「う、うーん……攻撃を見切って物理的な威力を殺して、闘気の方は身体を通り抜けるのに任せるんですよ」
「……は?」
(うん。まあこういう反応になるよな)
発案者は自分なんだが、どこか他人事のように朔夜様の反応を見守った。
「あ、あんな攻防の中で、打撃を見切りながら闘気を通り抜けさせるって言うんですか!?」
「え、ええ……」
おりょうさんは、これ以上無いってくらい正直に答えているのだが、朔夜様には信じられないようだ。言葉には出さないが、表情が雄弁に語っている。
「本当に凄いですよね。勿論、俺にもおりょうさんの真似は出来ませんよ」
「鈴白様にも!?」
「俺に出来るのは、躱すか防御するかの二択ですね」
透過させるには身体を無防備にする必要があるのだが、普通は攻撃が来るとわかると身構えてしまい、気を通すのでは無く防御しようと反応する。
防御反応のままで透過させようとすると、防御した分は気の攻撃を食らうという事なので、下手をすれば防御に専念するよりもダメージが多くなってしまうのだ。
動きながら攻撃をしてくる相手の物理ダメージを相殺しつつ、気の攻撃に無防備に自分を晒すという戦闘法は、もしかしたらおりょうさんにしか出来ない、オンリーワンスキルかもしれない。
「狼狽えるな朔夜。そんなの余にも出来んぞ」
「そ、そうですよね!? はぁ……良かった。出来ない私の方がおかしいのかと思いました」
「あたいも出来ないよ! だから御主人とおりょう姐さんが凄いんじゃんか!」
「うむ。強くて優しい主殿の隣には、やはりおりょう姐さんのような人でなければ並べんな」
「!? く、黒と白! 着物がダメになった事に関しては、不問にするよ!」
おだてている訳では無くて本心だろうけど、黒ちゃんと白ちゃんの褒め殺しに、おりょうさんはやられてしまったようだ。
「でも着物は必要でしょうから、午後から一緒に買いに行きましょうか」
「おやそうかい? なら、良太に選んで貰うとするかねぇ」
「……あまり期待しないで下さいね?」
少しくらい値が張っても構わないのだが、元々俺自身がファッションには無頓着なので、選ぶセンスに関しては全く自身が無い。
「親方。こんにちは」
「こんにちは、貞吉さん。今日は店の方は大丈夫なんですか?」
昨日は顔を出さなかった、椿屋の厨房責任者の貞吉さんがやって来た。
「鰻なんかの新作の注文が入ったら呼ぶようにと、店の者には言ってありますんで、大丈夫ですよ」
「裂いたりの練習の方は?」
「欠かさずやってます。おかげさんで賄いは、毎日どじょうです」
貞吉さんは苦笑いするが、賄いは厨房の余り物とかで作る事が多くなるので、これは仕方がない。
「親方は、今から何を作るんで?」
「昼食に、卵を使った料理を作ります」
このところ、卵と肉を使った料理が多くなっているが、夜は魚介系の食材を使うつもりだ。
「よいしょ、っと……」
「あれ? 親方、この香りは咖喱ですよね?」
鶏肉の咖喱の残りが入っている鍋を取り出して、調理台に置いた。
「ええ。でもこれは、調味料に使います」
「調味料、ですか?」
怪訝な表情で見ている貞吉さんの眼の前で、油を引いた鍋に御飯を入れ、猪のカツ同様に残っていた鶏肉の咖喱を加えた。
「えっ!? この料理って、飯に掛けて食うんじゃありませんでしたか!?」
「ちょっと趣向を変えて、焼き飯にします」
「へえぇ……炒めると、また香りが強くなりますなぁ」
鍋の底から御飯を起こして咖喱と混ぜていくと、貞吉さんの言う通り、香辛料の香りが周囲に漂う。
「貞吉さん、この鍋をお願い出来ますか? 全体の色が均等になるように混ぜて、少し水分が飛べばいいので」
「任しといて下さい!」
貞吉さんが引き受けてくれたので、俺はもう一つの鍋に油を引いて、微塵切りの生姜を入れて一口サイズの鶏肉を炒める。
「そっちは何を?」
「咖喱が苦手な人間がいるので、味付けが違う物を作るんです」
苦手な人間とは、言うまでも無く白ちゃんの事だ。
「生姜に鶏肉に葱に塩と胡椒。飯を入れたら醤油に酒ですか……」
鍋を返しながら、貞吉さんが俺の手元を見つめ、使っている食材や手順のチェックをしている。
本当は玉ねぎが使いたいところだが、この間咖喱を作った時に使い果たしてしまった。御飯の方もケチャップライスにしたかったが、ケチャップもトマトも無いので醤油味だ。
「親方。言われた感じになりましたけど、これで終わりですか?」
貞吉さんに任せた鍋の中では、いい具合に水分が飛んだ咖喱味の焼き飯が出来上がっている。
「これに仕上げをします。これくらいの量に分けて、皿に盛り付けて下さい」
醤油味の焼き飯を、見本として一人前、皿に盛り付た。
「わかりました。こんな具合で?」
「ええ。じゃあ、仕上げに入ります」
割りほぐした卵に塩と胡椒と乳酪と牛乳を混ぜ入れ、焼き飯を作ったのとは別の鍋を火に掛け、乳酪を溶かす。
「焼き飯のおかずに、卵焼きですか?」
「卵焼きより、もうちょっと手を加えて……こんな感じです」
卵を鍋に流し込んで手早く混ぜ、半熟になったところで鍋の端に寄せ、皿に盛り付けられている焼き飯の上に被せる。
「こりゃあ、見た目だけなら卵料理ですが……なんて名前の料理なんですか?」
卵が被されて焼き飯が隠れたので、見た目だけで言うならプレーンオムレツだ。
「えっと……親子丼って名前の料理はありますか?」
「親子丼? いえ、聞いた事は無いですねぇ。そういう名前なんですか?」
親子丼の発祥については諸説あるが、鶏や軍鶏の鍋の締めに、御飯と卵を入れた物だという説が有力なのだが、少なくとも伊勢の辺りでは料理としては確立されていないようだ。
「えーっと……じゃ、じゃあ、親子丼は今度教えます。この料理は……焼き飯の卵とじ、かな?」
作ったのはカレー味と醤油味のオムライスなのだが、オムライス自体が造語で日本独自の料理なので、翻訳されないと思ったから、見た目そのままを貞吉さんへ伝えた。
「貞吉さんが、なんかいい料理の名前を思いついたら、それで呼んじゃっていいですよ」
「そいつは責任重大ですね……でも今は、他の皿も仕上げちまいましょう」
「おっと。そうですね」
鍋さえ温まっていれば、オムレツは作るのに時間は掛からないので、どんどん卵を流し込んで量産していく。
「後は俺がやりますから、出来上がった物を応接室へ運んで貰えますか。醤油味の物は白ちゃん、あの髪の白い子へ」
「わかりました」
四人前が出来た時点で、貞吉さんに皿を運んでもらった。厨房で働く人達の分も合わせても残りを仕上げていく。
「これで出来上がり、っと。じゃあこれは皆さんでどうぞ」
「「「ありがとうございます」」」
出来上がった料理を示し、俺は応接室へ持っていく分の残りの皿を持った。
「あ、親方。あっしが持ちますよ」
「それじゃあ、汁物の鍋がありますから、そっちをお願いします」
「わかりました」
オムライスの皿を俺が持ち、貞吉さんがスープの鍋と椀を持って応接室へと向かった。
「それでは、頂きます」
「「「頂きます」」」
いつも通りの朔夜様の号令で食事が始まるが、その朔夜様が、中々料理に手を付けようとしない。
「……」
「あの、味付けを変えた物がありますから、そっちにしますか?」
見た目には卵料理だが、漂う香りで中身がわかっている朔夜様は、匙を手に持ったままオムライスを凝視するだけだ。
「い、いえ……頂きます!」
意を決したように、匙で多めに掬い取ったオムライスを、目を瞑った朔夜様が口に放り込んだ。
「……」
苦い物でも食べているかのように、眉間に皺を寄せて目を閉じたまま口を動かしていた朔夜様は、急にカッと目を見開いた。
「ええっ!? こ、これ、咖喱の風味は凄くしますけど、全体的に味が落ち着いて、そこへとろけるように仕上げられた卵が加わって……お、おいしいっ!」
「そうですか。良かった」
辛さで咖喱を苦手そうにしていた朔夜様にも、どうやらオムライスにして味わいをマイルドにしたたら、気に入ってもらえたみたいだ。
「うまーっ! でも、白が食ってるのもうまそうだな!」
「……やらんぞ」
黒ちゃんが羨ましそうに覗き込むが、黙々と食べていた白ちゃんは、チラッと視線を送って呟いただけで、再び手と口を動かし始めた。
「うぅー……」
「黒ちゃん、まだ今度作ってあげるから、取ったりしちゃダメだよ?」
物欲しそうに白ちゃんの皿を見つめる黒ちゃんが、暴走しないうちに注意した。
「ほんと!? じゃ、じゃあ、今度は二種類いっぺんに食べたい!」
「まあ、いいけど……」
香辛料は調合すればまだあるので、スパイスミックスは作れるのだが、ベースに使う玉ねぎを使い切ってしまったので、暫くの間は咖喱を作るのは難しいかもしれない。
(ドランさんに相談するか……大坂辺りなら、もしかしたら手に入るかな?)
大きな港町の大坂や神戸辺りなら、ドランさんのような外国から来た人向けに、野菜などが栽培されている可能性はある。
「この汁も変わった風味だが、濃厚でうまいな」
松永様にお褒めの言葉を頂いたスープは、白ちゃんの食べ残した燻製の骨が勿体無いので、手頃な大きさに切って出汁の素に使った物だ。具は繊切りにした大根と人参に、燻製肉を少し。
「兄上! お代わ……」
「御主人! お代わ……」
「おやつを用意するから、今日のお昼は少し控えめにしようね?」
最近少し食べ過ぎな頼華ちゃんと黒ちゃんが言い終わる前に、お代わりのリクエストを遮った。
「えー……」
「でもぉ……」
「……あんた達、作ってくれる良太に文句言うなら、今夜は飯抜きだよ」
「「っ!?」」
チラッと視線を送りながらのおりょうさんの言葉に、頼華ちゃんと黒ちゃんが驚愕の表情のままで凍りついた。
「あ、姉上!? 余が悪かったです!」
「姐さん、ごめんなさいぃっ!」
「……謝る相手が違うだろ?」
小さく溜め息をつきながら、おりょうさんが持っていたスープの椀を置いた。
「おりょうさん、何もそこまで……」
「でもねぇ。ちょいと最近この二人は、勝手が過ぎる気がしてねぇ」
「あー……」
俺としても、料理を喜んでくれる頼華ちゃんと黒ちゃんはありがたい存在なのだが、身体に詰め込むような食べ方は、正直気になっていた。
「まあ育ち盛りなのはわかるけど……豚になったら、良太に嫌われるよ?」
「「!」」
おりょうさんの非情な言葉に、頼華ちゃんと黒ちゃんが口を開けて愕然とする。なんか背景に稲妻が走ったような錯覚を覚えた。
(おりょうさんの言うようには、頼華ちゃんはならないと思うけどなぁ……)
小柄な頼華ちゃんは良く食べる割には痩せていて、華奢に見えるほどスリムだ。女性アスリートのように体表に筋肉が浮かび上がったりはしていない。
黒ちゃんに関しては、頼華ちゃんと違って人間では無いので、俺のように食べたもののエネルギーを気として蓄積しているだけだろうから、全く心配はしていない。だが、同じ様な生命体なのに、白ちゃんと食生活にこれ程差があるのは謎だ。
「いや、俺は別に……」
「それに、朔夜様に教えている頼華ちゃんの食事の時の作法が、良いようには見えないんだけどねぇ」
「あー……」
身内しかいない場所ではうるさく言う事は無いのだが、今は朔夜様や松永様とも一緒に食事をしているので、少し厳しくした方が頼華ちゃんと黒ちゃんのためにも良いかもとは思う。
「あの、私は気にしておりませんが……むしろ今までは、国元に帰った時以外は、作法なんかとは無縁でしたので」
「俺も、偉い人との会食なんかは避けてましたんでねぇ……」
作法の話題になって、朔夜様と松永様が申し訳なさそうにしている。
「作法の事を考えると、今後は器に口を付けて食べるような料理や、麺類は控えた方がいいですか?」
「そこまでは言わないけど……少なくとも、食後にひっくり返るような無作法は直さないとねぇ」
「あ、兄上の食事がおいし過ぎるのです!」
「そうそう!」
何よりも楽しみにしている食事に関する事なので、頼華ちゃんと黒ちゃんが必死に抗弁する。
「おりょうさん、あんまり締め付けるのは……」
「でもねぇ……」
おりょうさんの言わんとする事もわかるが、常時張り詰めた生活は良くないと俺は思う。
「うーん……じゃあ俺の予定と同じ様に、三日に一度くらいは、頼華ちゃんと黒ちゃんの好きにさせてあげましょうよ」
なんと言っても頼華ちゃんはまだ幼いし、黒ちゃんも併せて妹みたいな存在なので、少しは甘やかしてあげたい。とか考えている俺自身が、まだ若輩なんだが。
「まあそんなところかねぇ。頼華ちゃん、黒。良太がこう言ってくれてるから、今回は見逃すけど、今後は少し気をつけるんだよ?」
「「はい!」」
おりょうさんに向かって、頼華ちゃんと黒ちゃんが元気に返事した。
(最初に咖喱の試食をした時に、おりょうさんもお腹がぽっこりするくらい食べたのは、黙ってた方が良さそうだな……)
滅多に無い事ではあるのだが、おりょうさんも好みの食べ物に出会った時には、我を忘れる事がある。
「と、ところで、この料理の卵の部分なのですが、卵焼きやだし巻きなどとは風味が違いますよね? 何か特別な調味料をお使いで?」
話が一段落したところで、オムライスの作り方が気になっていたのか、朔夜様が質問してきた。
「卵に入っているのは塩と胡椒と、牛乳と乳酪です」
「乳酪と言われますと?」
朔夜様が不思議そうに言う。
(そういえば、牛乳を使った料理は出したけど、バターを使った料理は、まだ朔夜様には出していなかったか?)
「乳酪は、牛の乳の中の成分が寄り集まった物でして。料理にコクと香ばしさを与えてくれます」
「乳酪で味付けした貝とか魚が、おそろしくおいしいんですよぉ」
江戸の大前で作った、乳酪使った料理を思い出したのか、おりょうさんが唇を舐めた。
「今夜は、その乳酪を使った料理を作る予定ですから、お楽しみに」
「なんと! それは本当に楽しみです!」
朔夜様が期待に目を輝かせる。
「その料理は、飯だけじゃなくて酒にも合うか?」
乳酪という物の正体がわからないが、うまけりゃいい主義の松永様の興味の対象にはなったようだ。
「ええ。ただ、出来たてに限ります」
「そうか。なら悪いが、飯の時に酒の用意も頼まぁ」
「松永……」
松永様の何気ない一言に、朔夜様が厳しい視線を送ってくる。
「あー……やっぱやめとくかな」
「朔夜様、いいじゃないですか」
「ですが、これ以上鈴白様のお手を煩わせるのは……」
俺の方はそんなに苦になっていないのだが、朔夜様は気にしてくれていたようだ。
「予めわかっていれば、手間でもなんでもありませんから」
「そ、そうですか?」
「その代わり、と言ってはなんですが、ちょっと朔夜様にお願いがあります」
「願い、ですか? なんでしょうか。松永に何か買ってこさせますか?」
「ひ、姫っ!?」
自分にお鉢が回ってきた松永様が、挙動不審になった。
「姫と言うな……それで、何を?」
「あの、織田家では、もしかしたら牛を飼っていたりはしませんか?」
織田信長が牛乳を飲んだ逸話は、本当かどうかはわからないが、珍しい物好きで外国の物を積極的に導入していたので、もしかしたら江戸の徳川家のように牛を繋養していないかと思ったのだ。
「ええ。主に物資の運搬用や開梱などに使う牛が数十頭おります」
数十頭とは、想像していたよりも数が多そうだ。
「その牛の乳を、譲ってもらう事は出来ませんか?」
江戸で徳川家から貰った牛乳と、加工品の生クリームもバターも売る程あるのだが、使えば当然無くなるので、可能ならば新たに仕入れたい。
「一部を酪にしている以外は、仔牛の生育用にしか使っていませんので、大丈夫だとは思うのですが……」
牛乳の使用状況は江戸の徳川家と同じようだが、何故か朔夜様が難色を示す。
「あの、何か問題が?」
「問題と言いますか、織田の本拠地は那古屋でして。牛は那古屋にいるのですが、ここ伊勢とは距離が……」
伊勢、那古屋間は街道を利用して約百四十キロ。直線距離でも八十キロはあると朔夜様が説明してくれた。
「鈴白様がどうしてもと仰るのなら輸送もしますが、費用の方が嵩むと思われまして……」
加護や権能を利用すれば時間の短縮は出来るのだが、尾張織田の勢力圏でそれを期待するのは難しい。
「あの、朔夜様が那古屋に行かなければ、牛の乳を譲って頂くのは難しいですか?」
「え? いいえ。書状を作成致しますので、それを持参して那古屋の織田屋敷を訪ねれば、問題はありません」
なんでそんな事を訊くのか? という表情を朔夜様がしている。
「なら、書状の方を作って頂けたら、運ぶのは俺達の方でなんとかしますから、是非お願いします」
「わかりました。でも、どうされるんです?」
「詳しくは説明出来ないのですが……」
「ああ……畏まりました。書状は明日までに用意致します」
またもや詳しく説明出来ない案件だと悟ったようで、半ば諦め気味の表情で朔夜様は承諾してくれた。
(減る一方だと思ってた牛乳が入手出来るのは嬉しいな。それに、貞吉さんに教えた乳製品を使ったメニューが、無駄にならないで済みそうだ)
牛乳を那古屋から安定供給出来るのかはわからないが、乳製品を使ったメニューがおいしいとわかれば、朔夜様が今後の輸送か、伊勢での牛の繋養に便宜を図ってくれるかもしれない。




