手合わせ
「……た……良太」
「ん……」
耳に心地良い声で名前を呼ばれ、優しく揺すられて意識がはっきりしてきた俺を、真上から優しい笑顔の女性が覗き込んでいた。おりょうさんだ。
「疲れが溜まってたのかい? 凄く良く寝てたよ」
「疲れは溜まってませんけど、枕の寝心地が良過ぎて……」
「っ!? も、もう……」
頬を染めておりょうさんが照れる。こういう反応を期待しての言葉だったのだが、どうやら作戦成功のようだ。
「うー……そ、それよりも、そろそろ日が暮れるよ?」
「ああ。そんな時間ですか……おりょうさんに、時間を無駄遣いさせちゃいましたね」
起き上がろうかと思ったが、頭を離してしまうのが名残惜しいので、もう少し粘る事にした。
「あたしは良太の可愛い寝顔を見てたから、退屈はしなかったよ」
「っ!? か、可愛いって……」
なんか子供扱いされたような気がして、俺はガバっと身体を起こした。
「うふふ。いつまでも膝枕しててあげたいけど、そろそろ腹ペコ共が帰ってきそうだからねぇ」
いたずら好きの猫みたいな笑顔を、おりょうさんが浮かべる。
「あー……そうですね。じゃあ夕食の支度をしてきます」
「黒も白もいないし、あたしが手伝おうか?」
「いいんですか?」
結局、午後が休みのはずが、おりょうさんだけ拘束してしまったので、この上何かをさせるのは気が引ける。
「遠慮するような仲じゃ無いだろ? さ、行こうかねぇ」
言うが早いか、立ち上がったおりょうさんに手を引かれるままに、俺は厨房へと向かった。
「それで、夕食には何を作るんだい?」
たすきと前掛けを付けたおりょうさんに尋ねられた。
「この間の咖喱が、辛さのせいで食べる人が少なかったので、添え物の猪の揚げ物が余ったのを、使っちゃおうかと思います」
鎌倉でカツカレーを初披露した時の記憶が残っていて、人数が多いので猪カツもかなりの量を揚げたのだが、思った程はお代わりの声が掛からなかったのだ。残ったカツは腕輪と福袋に収納してある。
「それじゃ、今夜は咖喱かい?」
どれだけ好きになっているのか、おりょうさんが咖喱という単語を聞いて目を輝かせる。
「いえ。さすがにあまり連続では……でも揚げ物そのままじゃなくて、少し手を加えて出しますから」
「なぁんだ……ま、いいけどね。それで、あたしは何をすればいい?」
メニューが咖喱じゃないとわかって、がっかりしていたおりょうさんだったが、すぐに気を取り直したようだ。
「御飯は厨房の人達に任せればいいから……おりょうさんには出汁をお願いしようかな」
「鰹出汁でいいのかい?」
「ええ。出汁に醤油と砂糖と味醂で、蕎麦つゆより少し薄め程度にお願いします」
「任しときな!」
元々蕎麦屋で働いていたおりょうさんなので、安心どころか相当に良い味が期待出来る。
「あ、汁物を作りますから、味付けしない鰹出汁だけの物も、たっぷりお願いします」
「わかったよ」
出汁の鍋はかなり大きいので、湯が湧くまでの間に材料を切り、卵を割りほぐす。
別の鍋で、小さく切った猪の肉をじっくり炒めて脂を滲み出させ、野菜を投入して更に炒める。
「良太、出汁が出来たよ」
「ありがとうございます」
味付けしていない方の出汁を鍋に注ぎ入れ、アクを取る。
「こっちの鍋は煮込んで豆腐を入れて、味噌で味を付ければ出来上がりです。仕上げはおりょうさんに任せてもいいですか?」
「うん。引き受けたよ」
おりょうさんとポジションをチェンジして、竈に小さめの鍋を置き、醤油味の出汁と斜め切りの葱を入れる。
「揚げた物を煮ちまうのかい? なんか勿体無いねぇ……」
煮立った鍋の出汁の中に、一口サイズに切られている猪のカツを載せるのを見て、おりょうさんが怪訝な表情をした。
「味の方は、出来がって、食べてみてのお楽しみという事で」
「それもそうだねぇ……って、卵!?」
再度、出汁が煮立ってきたところで、カツの周りに溶き卵を流し込み、蓋を締めて火から下ろす、という作業を何度か繰り返した。
「それは、柳川みたいなもんなのかい?」
各自の分が皿に盛られて、湯気を上げる料理を指さしながら、おりょうさんが尋ねてくる。
「そのような物です。じゃあ運びましょうか」
汁物の大鍋を俺が引き受け、おりょうさんには御飯のお櫃を運んでもらった。
応接室に行くと、既に黒ちゃん達が席についていたので、厨房から料理を運んだり、御飯を盛り付けたりする作業を分担する。
「それでは、頂きます」
「「「頂きます」」」
朔夜様の号令で、夕食が始まった。
「ん……この具材は、お肉ですか? でも、生臭さも無くて、お肉の味と脂が、鰹の出汁と味噌と良く合って……おいしいです」
「出汁はおりょうさんが取ってくれたんです。さすがですよね」
俺も一口、豚汁ならぬ猪汁を飲んだ。朔夜様の言う通り、大根、人参、牛蒡、こんにゃくと具沢山で、豚とは比べ物にならない脂と肉の旨味が出汁と味噌と溶け合って、汁物と言うよりは一品料理になっている。
「もう……おだてたって、お茶くらいしか出ないからね?」
「御飯においしいお茶なんて、最高じゃないですか」
「も、もう……」
照れ隠しをするように、おりょうさんは猪汁の椀に顔を伏せた。
「こ、この卵でとじたの、うっま! 兄上、御飯のお代わりを!」
猪肉の煮込みカツを口に入れ、頼華ちゃんが「クワッ!」と目を見開いた。続けて御飯の大きな塊を口に放り込んで、茶碗を差し出してくる。
「出汁をいっぱい吸ってるのに、衣のサクサクしたのが残ってておいしー! 御主人、御飯お代わり!」
御飯の上に煮込みカツを載せて一気に掻き込んだ黒ちゃんは、行儀悪く猪汁の椀に口を付けながら、茶碗を差し出してきた。
「わかったから、二人共落ち着いて食べようね?」
頼華ちゃんと黒ちゃんから高評価を受けるのは嬉しいが、尋常じゃない勢いで食べているので、ちょっと心配だ。
「うむ……この料理の出汁も、おりょう姐さんの手による物だな。さすがだ」
「……」
対象的に、じっくり料理を味わっている白ちゃんに評されて、おりょうさんは顔を真赤にして俯く。
「馴染みのある出汁の味に、馴染みの無い肉だが、こりゃあ飯が進むな。鈴白、この料理の方はまだあるか?」
頼華ちゃん達のようにがっついた感じではないが、松永様も大きく口を開け、カツと御飯を放り込むようにしながら食べている。
「すぐに出来ますよ。他に食べたい人はいます?」
「「はいっ!」」
「……」
頼華ちゃんと黒ちゃんが元気良く手を挙げ、朔夜様が申し訳なさそうに、そっと手を挙げた。
「じゃあすぐに作ってくるから、それまでは御飯と汁で繋いでいて下さい」
「良太、手伝うよ」
空になった皿を回収して立ち上がり、厨房へ向かおうとした俺に、おりょうさんから声が掛かった。
「おりょう姐さん、手伝いなら俺が……」
「いいんだよ。白の分も作ってくるから、もっと食いな」
「では、待っていよう」
白ちゃんの褒め言葉が、何か琴線に触れたのか、おりょうさんは嬉しそうに言い置くと立ち上がった。
「良太。卵でとじるのやってみたいから、教えてくれる?」
「いいですけど、おりょうさんなら出来るでしょう?」
蕎麦屋にも、卵でとじるタイプのメニューは幾つかある。
「そうなんだけど……褒めてくれたみんなに、よりおいしい物を食べさせたいじゃないか」
薄く頬を染めたおりょうさんは、前を見つめながら呟いた。
「わかりました。じゃあ厳しく行きますからね」
などと口には出したが、俺がおりょうさんに厳しくなんて出来る訳が無い。
「えー。優しくしとくれよぉ」
「うっ……」
少し間延びしたおりょうさんの甘え声……元より厳しくする気なんか無かったが、優しくする以外の選択肢は消滅した。
「……少しだけですよ?」
「うん!」
俺は横で見守る程度だったが、おりょうさんが失敗する訳など無く、猪の煮込みカツは絶品に仕上がった。
「うぅ……く、くるし……」
「だから言ったのに……」
おいし過ぎたのが災いし、更にもう一回煮込みカツのおかわりという暴挙に出た頼華ちゃんは、見た目にもポッコリ膨らんだお腹が邪魔して、座っている事も出来ない有様だ。
「……あれくらい食べないと、強くなれませんかね?」
「食べる量と強さが比例する訳じゃ無いですからね!?」
ボソッと朔夜様が呟いたので、慌てて制止する。
「それで、おりょう姐さんの悩み事は解決したのか?」
頼華ちゃんを部屋に運んで寝かせ、おりょうさんが様子を見ると申し出たので、応接室に戻って食後のお茶を飲み始めたら、白ちゃんに尋ねられた。
「解決って言うか……ちょっと手がつけれらないかも」
「……そんなにか?」
俺の言葉を聞いて、白ちゃんが片眉をピンと跳ね上げた。
「おりょう姐さんも強くなったの!?」
「つ、強いとは、頼華殿よりもですか!?」
黒ちゃんと朔夜様と、それぞれおりょうさんのパワーアップの内容が気になるようだが、微妙に興味を持っている部分は違うようだ。
「えっとね。多分だけど、頼華ちゃんでも勝てない」
「そ、そんなにですか!?」
実際に頼華ちゃんと戦った事がある朔夜様が、半分悲鳴のような声を上げた。
「あ、でも頼華ちゃんの斬撃みたいな事が、出来る訳じゃないんですよ」
「……どういう事だ?」
「それはね……」
自分の事では無いとはいえ、あまり戦いの手の内を晒すというのは愚かな行為なので、回避や受け流しが劇的に向上して倒し難くなったとだけ説明し、「透過」や「反射」の事は話さなかった。
「まあ口での説明は難しいから、明日の午前中の鍛錬の時にでも、実際に手合わせしてみたら?」
「……それは、主殿の了承の上という意味に取って良いのだな?」
人間を遥かに超える戦闘力の白ちゃんと、おりょうさんが手合わせをしても大丈夫なのかという確認をしてきた。
「大丈夫、かな? でも、使っていいのは体術だけだよ? あ、得物は使っても構わないけどね」
朔夜様の目もあるので、鵺の姿になったり、身体の一部を鵺の物にする部分变化などは以ての外だ。他にも、俺の知らない手段があるのかもしれないが。
「それ程か……」
「あたいも手合わせしていい!?」
「おりょうさんがいいって言ってくれたら、いいよ」
「ほんと!? よーし……」
なんか黒ちゃんが、やる気になっているみたいだ。
(多分、頼華ちゃんもやりたいって言い出すだろうなぁ……)
おりょうさんに承諾を得る前に、既に手合わせをする方向で話が進んでしまっているが、俺以外の相手とも戦って自分の実力を確認したいだろうから良い機会だ。
「なんか、えらい事になっちまってるねぇ……」
翌日の朝食後、鍛錬場でおりょうさんの前に、頼華ちゃん、朔夜様、黒ちゃん、白ちゃんが並んだ。俺からの情報を聞いて、みんな手合わせを希望しているのだ。
「ちょ、ちょっと良太……」
おりょうさんに手を引かれて、少し離れた場所へ連れて行かれた。
「昨日の実験はうまくいったけど、本当に大丈夫なのかい?」
こっちを見ている頼華ちゃん達には聞こえないようにと、おりょうさんが囁く。でも、多分だが黒ちゃんと白ちゃんには聞こえているだろう。
「大丈夫です。朔夜様をやっつけて、頼華ちゃんもちょっと天狗になってますから、おりょうさんが鼻をへし折ってやればいいですよ」
「あ、あたしが!? 出来るのかねぇ……」
昨日の事はおりょうさんには、あくまでも実験という認識なのだろう。どうにも自信の無さ気な顔をしている。
「んー……なんかおりょうさんの希望を聞いてあげたら、やる気が出ますか?」
「希望って……それはなんでもいいのかい?」
「え!? ま、まあ、命に関わる事でもなければ、いいですよ」
(新しい着物でも欲しいのかな? 懐にはまだ、余裕があるからいいけど)
「……」
何故かおりょうさんは、俺からの確認の言葉を聞くと、顔を伏せて押し黙ってしまった。
「あの……おりょうさん?」
「よっしゃーっ! 小娘共ぉ、かかってこいやぁーっ!」
拳を握りしめる、今で言うガッツポーズを取ったおりょうさんは、俺達の方を伺っていた頼華ちゃん達に向けて、ビシッと指差す。
「!?」
一方、指差された方はビクッと身を竦めた。
「お、おりょうさん!?」
「うふふ……良太、約束忘れるんじゃないよ?」
妖しく微笑みながら、おりょうさんは背を向けた。
「……」
(ちょっと、軽々しく約束しちゃったかなぁ……まあ、おりょうさんにやる気が出たみたいだから、いいか)
妙に頼もしく感じるおりょうさんの背中を見ながら、俺は苦笑した。
「で、最初は誰からだい?」
「朔夜、行け!」
「ええっ!? わ、私からですか!?」
頼華ちゃんの御指名を受けて、朔夜様がこの世の終わりのような顔をする。
「バカ物! こういう時は、一番弱い奴からと決まっているのだ!」
「まあそうだよな!」
「先ずは朔夜で様子を見るか」
「うう……」
逆らおうにも、まだまだ頼華ちゃんに実力が追いつかないので、朔夜様としては泣きそうになりながらも言う事に従うしか出来ない。
(朔夜様が負けたら頼華ちゃんが、「くくく……所詮奴は、我が四天王最弱」、とか言い出しそうだな……誰の四天王なのかは置いといて)
なんて、バカな考えが頭を過る。
「で、では、刀は使っても宜しいですね?」
「細かい事ぁいいから、さっさとかかってきな!」
(なんだかなぁ……)
熱血物の作品だったら、おりょうさんの瞳の中で炎が踊っていそうな、そんなやる気を感じる。
「主殿。おりょう姐さんは、受け流しや回避が向上しただけと言っていなかったか?」
「そうだけど、どうかした?」
「では、昨日までよりも闘気が膨れ上がっているように見えるのは、気の所為なのだろうか……」
「えっ!?」
白ちゃんに言われて目を凝らして見ると、頼華ちゃん程では無いが、輝きと厚みを増した気を、おりょうさんが身に纏っているのがわかった。
「朔夜もそうだったが、おりょう姐さんも昨日とは別人になったようだ」
「そうだね……」
「やる気」と言うだけあって、気の強さは肉体や精神の状態に影響を受けるので、昨日の経絡を広げる施術と、さっきの俺との約束が、おりょうさんの気を今の状態にしたようだ。
「なんというか……さすがは主殿だな」
「ははは……」
負けないだけなら、最初からおりょうさんには問題は無いと思っていたが、今となっては、やり過ぎないかが心配になってきた。
「では、行きます! ふんっ!」
「……」
正眼の構えから、闘気を纏った刃を朔夜様が突き込むが、あまりにも不用意な攻撃だった。
「そおいっ!」
「え……」
おりょうさんに腕を取られ、突き込んだ勢いのままに前のめりになった朔夜様は、あっと言う間に地面に組み伏せられ、刀を持った右腕を固められた。
「くっ!」
「無駄」
身体の柔軟さを活かし、固められていない左腕で朔夜様が突きを放つが、身体を少し震わせるような、動きとも言えないような動きで、おりょうさんは突きの打点をずらして威力を無効化した。
「ふん」
「ぎぃっ!? ま、参った!」
固めた腕におりょうさんが少し力を入れると、朔夜様が悲鳴を上げて、空いている左手で地面を叩いた。
経絡を開いてパワーアップしたとは言え、まだおりょうさんの関節技を振り払える程の力は、朔夜様には無かったようだ。
「ひ、酷い目に合いました……」
「朔夜様、念の為に腕を見せて下さい」
投げによるダメージは無さそうだが、目を凝らすと肘と肩の辺りの気の色が変わっている。
「自分の身に何が起きたのか、全然わかりませんでした……その後の苦し紛れの攻撃も、全く手応えを感じませんでしたし」
「おりょうさんの戦い方は、他の相手との対戦の時に、じっくり見るのが良さそうですね」
幸いな事に、肘と肩は少し気を流し込む程度で問題は無さそうだ。
「でも、頼華殿の戦いは、私には参考には……」
「そうですね……」
小柄な頼華ちゃんの敏捷性を活かした攻撃も、内包量の多い気による攻撃も、現状では朔夜様には真似が出来ない。
(でも、一年後くらいにはいい勝負になるんじゃないのかな?)
何か確証がある訳でも無く、予感めいた物ではあるのだが、朔夜様はこつこつ努力を重ねるのを苦にするタイプには見えないので、正しい方式で磨きを掛ければ大化けしそうな気がする。
(だけど、今度は別の問題が立ち塞がるから、頼華ちゃんには勝てないと思うけど……)
別の問題とは神仏からの加護の事で、これを受けているのと受けていないのでは大きな差が出る。尾張織田に所属する朔夜様にとっては難しい問題だ。
「では姉上! 今度は余が相手です!」
「ふっ。姉の貫禄ってのを、見せる時が来たようだねぇ」
少し思考に耽っていると、おりょうさんと、薄緑を抜いた頼華ちゃんが対峙していた。
「なあ御主人」
「ん? どっちが勝つか?」
黒ちゃんが話し掛けてきたので、どちらが勝つかという予想を聞きたいのだろうと振り返った。
「そうじゃなくて。あのさ、あたいが姐さんに勝ったら、御褒美くれる?」
やはり、さっきのおりょうさんとの会話は聞こえていたようで、黒ちゃんが瞳をキラキラさせながら訊いてきた。
「ま、まあいいけど。御褒美?」
「いよっしゃーっ! 姐さんには悪いけど、本気で行くぜーっ!」
「ふふふ。所詮は修羅の道か……」
「あの、黒ちゃん? 白ちゃん?」
俺の返事を聞いた途端、黒ちゃんは大興奮で叫びだし、白ちゃんは目を据わらせて舌舐めずりを始めた。
(二人共、俺に何を要求する気なんだ!?)
物凄い不安を感じるが、今はおりょうさんと頼華ちゃんの戦いに集中するべきだろう。
「うふふ。今のうちに、せいぜいはしゃいでおくがいいさね」
「姉上! 今の相手は余です!」
「ああ。そうだったねぇ。忘れてたよ」
「むっきーっ!」
今の対戦相手ではない黒ちゃんと白ちゃんまでも利用し、おりょうさんが頼華ちゃんに精神戦を仕掛ける。
(ああ、これはもう、おりょうさんの勝ちだな)
怒りは攻撃力を増すが、相手がおりょうさんでは……。
「てぇいっ!」
「そんな大振り、当たる訳無いだろ?」
頼華ちゃんの袈裟斬りの初撃は、おりょうさんが半身を開くだけで躱された。
(大振りって言ってもなぁ……)
おりょうさんの言う通り、頼華ちゃんの斬撃は確かに大振りなのだが、斬り下ろされる速度が尋常では無いので、来るとわかっていても簡単に避けられる物ではないはずだ。
「っ!?」
「おや。うまく逃げたねぇ」
走り抜けた頼華ちゃんの薄緑を持つ腕に、おりょうさんの腕が蛇のように絡みつく、と思った瞬間に、異変を感じたのか、なんとか肘で弾いて飛び退いた。
「くっ!」
「今度は逃げの一手かい?」
戦っているとは思えない穏やかな笑みを浮かべ、おりょうさんがクイクイと指を曲げ伸ばしして、頼華ちゃんを挑発する。
「い、行きますっ!」
頼華ちゃんの中で、グゥッと気が膨れ上がったと思った瞬間、目にも止まらない踏み込みから、真一文字に薄緑が斬り下ろされた。模擬戦である事などお構い無しの、致命の一撃だ。
「ら、頼華殿っ!?」
頼華ちゃんの攻撃の意味を理解した朔夜様は、理解したが故に名を呼びながら、結果を見守りつつ息を呑んだ。
「……」
身体を開いて躱すか、飛び退くのかと思ったおりょうさんは、何気無い足取りで一歩踏み出すと、頼華ちゃんの懐へ入り込んだ。
「なっ!?」
「えいっ」
おりょうさんに、頭を抱えられる形で抱きしめられ、動きを封じられた頼華ちゃんの斬撃は、最後まで斬り下ろされる事は無かった。
「まだやるかい?」
「うー……余の負けです」
観念したように、頼華ちゃんは薄緑を持っていない左手をおりょうさんの背中に回し、目を瞑って顔を胸に押し付けた。
「ら、頼華殿が、手も足も出ないとは……」
朔夜様が絞り出すように言ったように、おりょうさんは頼華ちゃんの攻撃を完全に封じた上で、少し変化球だったとはいえ退路も断ったのだ。
「で、でも、どうして私の時には、優しくして下さらなかったんでしょう……」
戦いが終わって、仲睦まじく抱き合っているおりょうさんと頼華ちゃんの姿を見て、関節にダメージを受けた朔夜様が溜め息をつく。
「よっしゃーっ! 姐さん、次の相手はあたいだぜ!」
頼華ちゃんに先に勝ちを持っていかれなかったからか、嬉しそうに黒ちゃんが前へ出る。
「おや、黒かい? そいじゃ頼華ちゃんは休んでな」
「はい!」
薄緑を鞘に収め、頼華ちゃんが戻ってきた。
「兄上ぇっ! いったい姉上に、何をしたのですかぁっ!?」
戻ってきた頼華ちゃんに、涙目で詰め寄られた。
「な、何って、朔夜様にしたみたいな、気の流れを良くする事しかしてないよ?」
「ぐぬぬ……元から厄介な体術を身に付けておられるとは思っていたのですが、まるで空気を相手にしているようでした!」
「空気か……」
頼華ちゃんの言う通り、既に暖簾に腕押しの暖簾程の手応えも、おりょうさんを相手にした時には感じないのかもしれない。
「すぅー……はぁぁー……じゃあ、いっくよーっ!」
「っ!? ま、まずいっ!」
「兄上っ!?」
体内で気を目一杯に膨らませて、黒ちゃんが何をやろうとしたのかを察知した俺は、可能な限りの速さでおりょうさん背後に回った。
「たーっ!!」
黒ちゃんは最大限にまで高めた気を、正面に立ったおりょうさんへ向けて叩きつけた。
「……」
しかし、おりょうさんは微動だにせず、少し目を細めただけだった。
「くぅぅっ!!」
おりょうさんに何のダメージも与えずに通り抜けた気を、前に差し出した両手に気込めて受け止めた。身体の芯が軋む。
「……こらっ!」
「いてっ!」
つつ、っと前に出たおりょうさんが、黒ちゃんの頭を軽く叩いた。口では痛がっているが、黒ちゃんは痛みを感じたりはしていないだろう。
「このバカっ! 良太が受け止めてくれたから良かったけど、あんた、この代官所を吹き飛ばす気かい!?」
黒ちゃんの攻撃はおりょうさんには、少しも痛痒を感じさせていないようだが、着物の胸元と背中側の布が大きく裂けている。
「ね、姐さん、ごめんなさいぃっ!」
素早く土下座した黒ちゃんはおりょうさんへ、ペコペコ頭を下げる。
「ふぅ……酷い目に合った。おりょうさん、これを」
痛みを堪えて呼吸を整え、身体の内側から腕を治した俺は、なんとか一息ついたたところで、腕輪から取り出した着物をおりょうさんへ向けて放った。
「良太、ありがと」
おりょうさんは片手で着物をキャッチし、手早く袖を通して前を合わせ、とりあえず露出していた胸元を隠した。
「あ……あぁぁ……」
「朔夜。しっかりしろ」
落ち着いたので視線を移すと、尻餅をついた朔夜様を白ちゃんが助け起こしているところだった。
「朔夜様、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫は大丈夫なのですが……鈴白様! あのお連れ様は何者なのですか!? あんな強大な闘気の攻撃は見た事がありませんよ!」
まだ土下座を続ける黒ちゃんを指差し、朔夜様が捲し立てる。目で気を視る事は出来ないようだが、かなり巨大なエネルギーだったので、何が起こったのかは十分に感じられただろう。
「えっと……聞きたいですか?」
「……え?」
わざと思わせ振りに言うと、朔夜様が少し怯んだ様子を見せた。
(よし。うまく行った)
思わせ振りな言い方をすれば、聞いたら何か不味い事になると、朔夜様が勘違いしないかと期待したのだが、どうやら思惑通りになりそうだ。
「どうしてもと言うなら説明しますが……」
「っ! な、何か御事情がおありになるのでしたら、深くは伺いません!」
深読みのし過ぎで朔夜様が自己完結してくれたみたいなので、この件は有耶無耶に出来そうだ。
「よし。最後は俺だな」
「白ちゃん、まだやる気なの?」
どうしてもという事態でも無ければ、おりょうさん相手の頼華ちゃんと黒ちゃんとの戦いを見ていれば、普通なら戦意を喪失する。
「主殿。せっかくおりょう姐さんがやる気になってくれているのだ。相手をしなければ失礼というものだろう」
「そうかなぁ……」
白ちゃんは黒ちゃん程の無茶はしないとは思うが、何か勝利に繋がる方法を考えてくるだろう。
(なんにせよ、油断は出来ないな……)
「あううぅ……お腹減ったよぉ」
などと考えていたら、お腹をさすりながら黒ちゃんが戻ってきた。
「あんな無茶な戦い方したら、消耗するのは当たり前だよ……」
「ご、ごめんなさぁいぃ……御主人、何か食べさせてぇ!」
文字通り、黒ちゃんが泣きついてきた。
「仕方ないなぁ……とりあえずこれでも食べて」
燻製にした猪の腸詰を五本取り出し、黒ちゃんに渡した。
「わはー! いただきまーす!」
「兄上! 余も欲しいです!」
黒ちゃんが笑顔で頬張るのを見て、頼華ちゃんも腸詰めを要求してきた。
「はい、頼華ちゃん。朔夜様も、良かったらどうぞ」
頼華ちゃんに腸詰めを五本渡し、朔夜様にも一本差し出した。
「あの、これは?」
「猪の肉を挽いて、腸詰めにした物の燻製です」
「では、頂きます……ん! しっとりとした肉の味わいに燻香がして、これはおいしいですね!」
「お気に召したら、猪と鹿の丸ごとの腿の燻製もありますから、少し譲りましょうか?」
正恒さんとドランさんと鎌倉の源家で分けたが、獲物の腿は前後合わせて四本あるし、他に食べられる部位もあるので、燻製も枝肉も大量に残っている。
「まあ! 是非お願い致します!」
「でも、後でですね」
朔夜様と話をしている間に、俺の着物放った着物に袴という、ちょっとちぐはぐな姿のおりょうさんの前に、白ちゃんが歩み寄っていた。
「おりょう姐さん、胸を借りるぞ」
「あんたは黒みたいに、無茶するんじゃないよ?」
「心得ている」
お互いに苦笑するおりょうさんと白ちゃんは、これから戦うという感じがしない。俺は念の為に、おりょうさんの背後の位置に移動しておいた。
「では、参る」
「いつでもどうぞ」
右腕と右足を軽く前に出した構えを取るおりょうさんに向けて、白ちゃんが無造作に歩を進める。
「白ちゃん、何を?」
頼華ちゃんのような瞬足の踏み込みや高機動戦法でも無く、黒ちゃんのような離れた間合いからの必殺の一撃でも無く、近づくという事は白ちゃんは、おりょうさんの最も得意とする密着状態での戦いを挑むようだ。
(密着したら、掴んだ瞬間におりょうさんが投げるか固めるかしそうだけど……白ちゃんには何か策があるのか?)
あれこれ考えている間に、白ちゃんとおりょうさんの間合いは、ほぼゼロになった。
「……ふん」
「……」
スッと白ちゃんが差し出した腕がおりょうさんの胸元に触れ、短い気合が口から漏れた瞬間、莫大な量の攻撃的な気が物凄い勢いで注ぎ込まれた。
(あれは……拳法で言う暗勁とか冷勁の類か!?)
小さな動作から攻撃を発するのを中国拳法で発勁というが、一尺の間合いで発するのを尺勁、一寸の間合いだと寸勁、髪の毛一本程の間合いだと毫勁、そして零距離で使う物を冷勁という。
暗勁とは、攻撃動作を悟られないように発勁を使う事を差すのだが、正に今、白ちゃんが使ったような技だ。
(日に何度もは、勘弁してよ!)
今回もおりょうさんにダメージを与えなかった、白ちゃんの放った気を受け止めた俺は、心の中で愚痴を言った。そしてまた、着物が一着ダメになっている。
「俺の負けだな」
「……昨日までなら、危なかったよ」
白ちゃんの敗北宣言に、おりょうさんは照れたような笑いを浮かべた。
白ちゃんの攻撃は狙い通りに、最大限の効果を発揮したのだが、注ぎ込まれた気は何もない空間に放出されたかのように、おりょうさんの身体を透過したのだった。
(黒ちゃんと白ちゃんに反射を使わなかったのが、おりょうさんの優しさだな)
おりょうさんには黒ちゃんと白ちゃんの攻撃を避ける事も、反射で返す事も出来たはずだが、そこまでする事も無いと判断したのだろう。
「すまん主殿。俺も腹が減った」
フラフラと少し怪しい足取りで、白ちゃんが歩いてくる。
「ええ……まだ朝ごはんから、そんなに時間経ってないよ?」
とはいえ白ちゃんの使った攻撃は、動作は静かだがエネルギーは大量に消費しているので、黒ちゃんと同程度には消耗しているのだろう。
「仕方ないなぁ。なんか簡単なの物を用意するよ」
「さすがは兄上です!」
「御主人ありがとー!」
「世話を掛けるな、主殿」
腹ペコ三人組を放置するのは危険なので、俺は何を作るか考えながら厨房へと向かった。




