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震脚

「あ、鈴白様。この咖喱(カレー)って料理、凄くおいしいですね」


 白ちゃんと一緒に厨房に入ると、食事中の料理人から声が掛けられた。


「そうですか。ありがとうございます」

「んー。俺はこっちの麺の方が好きだがなぁ。そっちは辛過ぎる」


 やはりというか、別の料理人は咖喱(カレー)が苦手らしい。評価的には今のところは半々くらいか。拉麺(ラーメン)は概ね好評のようだ。


 俺もカレーは好きだしうまいと思うが、味や香りの支配力が圧倒的過ぎだし、辛さの限界点は人によって違うので、こういう反応も当然だろう。


「まあ麺の方が万人向けだとは、俺も思います」


 俺は(かまど)で麺を茹でるための、鍋を火に掛けた。


「鶏が苦手って人間に出すのに、出汁を別の物で取る事は出来るんですか?」


 貞吉さん同様、この代官所の料理人も研究熱心なようだ。


「おいしければ、何を使っても構わないと思いますよ。この辺なら鳥羽の海産物が仕入れられるでしょうから、使ってみてもいいかもしれませんね」


 椿屋さんで使った、海老の頭と殻なんかを加えたら面白いかもしれない。


「そ、そんなに簡単に、材料を変えてしまってもいいんですか?」


 何かそんなに驚く事を言ったのかと思ってしまったが、俺の見せた作り方が、唯一の方法とでも勘違いしたのかもしれない。


「俺はそれ程、伝統を大事にする料理人では無いので」


 湯が沸騰してきたので、応接室で食事をしている人数分の麺玉を投入する。朔夜様や貞吉さんはお代わりはいらないと言うかもしれないが、残ったら俺が食べればいい。


「白ちゃん。悪いけど丼の用意をお願い」

「悪いだなどと言わずに、命令すれば良いのに……」


 ぶつぶつ言いながらも、白ちゃんが人数分の丼を用意してくれる。


「命令かぁ。緊急時以外はしたくないなぁ」


 丼に醤油と鶏油(チーユ)を適量入れて、スープを注ぐ。


「……それは、俺達が信頼出来ないからか?」

「あはは。信頼出来なかったら、料理の手伝いなんかさせないよ」


 口に入る物を人の手に委ねるというのは、信頼が成り立っているからだ。だから俺が作る側になっている時にも、絶対に裏切れないと思っている。


「主って言ってくれるけど、俺は出来れば白ちゃんと黒ちゃんとは、対等の立場でいたいんだよね」


 麺がいい茹で加減になったようなので、(ざる)で掬い取って湯切りをする。取っ手付きの玉笊(たまざる)があると便利なんだが、無い物ねだりをしても仕方がない。


「対等というのは無理な相談だ。主殿には、あらゆる物の世話になっているというのに……」


 食事や宿代、俺は意識していないが現界するための(エーテル)の補充など、白ちゃんと黒ちゃんが俺に依存しているのは確かだ。


「じゃあ、その主からの命令。今後は出来る範囲で、俺と対等に接する事」


 立てた人差し指を、鼻先にビシッと突きつけると、何事かと思って視線を集中させて、白ちゃんが寄り目になる。なんか凄く可愛い。


「なっ!? ず、ずるいぞ!」


 珍しく感情を顕に、白ちゃんが顔を真赤にして抗議してくる。元々肌が白いので、赤が鮮やかだ。


「そうそう。それでいい」

「……まったく」


 小さく溜め息を付く白ちゃんだが、顔は笑っている。


「さあ出来た。運ぶのを手伝って」

「仕方がない。手伝ってやろう」


 麺を盛り付け、仕上げに白髪ねぎをトッピングして完成した、拉麺(ラーメン)を載せた二つの盆のうちの一つを、苦笑しながら白ちゃんが引き受けてくれた。


「助かるよ、白ちゃん」

「借りはそのうち返してくれ」


 どうやらある程度スタンスを確立したようで、白ちゃんが俺の方を向いてニヤリと笑いながら言い放つ。


「そうだなぁ。なんか希望があったら言ってね?」

「考えておこう」


 楽しい会話だが、冷めてしまわないうちに運ばなければならないので、俺と白ちゃんは少し早足で厨房を後にした。



「お待たせー。一応、全員分を用意しましたけど、朔夜様と貞吉さんはお代わりいりますか?」

「頂戴します」

「あっしも頂きます。こいつは濃厚だがすっきりしているので、三杯くらいはいけますよ!」


 貞吉さんが嬉しそうに揉み手をしながら、丼を受け取った。


「ありがたいお言葉ですけど、食べ過ぎないで下さいね?」


 勘任せで作ったけど、料理人の貞吉さんに褒めてもらえたんなら上出来だろう。


(多分だけど、目に見えない料理のスキルとかが上がってるんだろうなぁ。今は何レベルくらいだろう?)


 鰻と和風中華という違いはあるが、大前の厨房での日々が、料理技能のかなりの底上げになっていると思う。


「はぁぁ……二杯目だと、汁のお味がよりはっきりとわかって……あの、鈴白殿。この麺に、猪肉を揚げた物を載せてもらっても良いですか?」

「ああ。その手もありましたね。ちょっとお待ちを」


 カレー用にカットしてあるカツを、朔夜様の丼の麺の上に載せた。排骨麺(パーコーメン)とは違って下味しかつけていないが、合わない事は無いだろう。


「む……二切れ目までは、衣が汁を吸っておいしかったのですが、少しクドさが……」

「ああ。脂の性質が違うからかなぁ。咖喱(カレー)用じゃ無ければ、もう少し肉の味付けを濃くしたんですけど、それなら合ったかもですね」


 スープを吸った衣が、互いの脂でクドくなったのと、水分でサクサク感が無くなったので、口当たりが重く感じるというのもあるのだろう。


「朔夜ぁっ! 兄上の指定した食べ方以外を試して、文句を言うとは何事だ!」

「も、申し訳ありません!」


 頼華ちゃんから雷が落ちて、朔夜様が背筋をビシッと伸ばす。なんか条件反射になってしまっているようだ。


「頼華ちゃん……あの、俺は別に気にしていませんから」

「いえ……あ、でも、この鶏を揚げた物は、別皿になっているから良く合うのでしょうか?」

「出汁の材料と同じ鶏というのもあると思いますよ。汁を猪の出汁で作っていたら、猪の揚げた物の方が合うかもしれません」


 とは言ったものの、豚骨ラーメンに豚肉のチャーシューはベストマッチだが、揚げた豚だとクドいかもしれない。


(でも、チキンカレーに猪カツがそれ程違和感が無いんだから、この辺は好き嫌いの問題かな?)


 全部をおいしく食べて貰えた訳じゃ無いけど、朔夜様の食の傾向が少し解ったのは収穫だ。


「あの材料で、こういう食感の麺になるんだねぇ……」


 箸で摘んだ黄色っぽい麺を眺めながら、おりょうさんが感心している。


「おりょうさんの口には合いました?」

「うん。おいしい。材料はそれ程変わらないのに、うどんとは違った歯ごたえで面白いよ。良太が押しつぶしていた理由も、食べてわかったし……このうねうねした形が、汁を良く絡ませるんだね!」


 材料的には中華麺というよりは、綿実油とオリーブオイルの違いはあるがパスタなのだが、調理後の完成形は間違い無く拉麺(ラーメン)になっている。


「そうですけど、うねうねって……」


 褒められて嬉しいが、うねうねって表現は俺にとっては、食べ物では無く触手とかを連想させる。


「へ、変だったかい? でも、凄くおいしいよ!」


 多少複雑な気持ちは残るが、ズズーっと、勢い良く麺を啜って笑顔になったおりょうさんを見ていると、凄く報われた感じがする。



「明日からの方針ですが、俺は食事作りと、鍛錬の方にも参加します」


 夕食が咖喱(カレー)という事で、口の中の火照りを取るのに食後に冷たい麦湯を用意して、頼華ちゃんと黒ちゃんの強い希望があったので、茶請けに陽鏡(ひかがみ) (仮)を一人一個ずつ出した。育ち盛りには逆らえない。


「余は鍛錬と、作法を教えます!」


 頼華ちゃんの元気のいい鍛錬という言葉を聞いて、朔夜様の肩がビクッと跳ね上がる。


「あたしは今まで通り、接客を教えればいいんだね?」

「ええ。ですが、椿屋さんから人が通ってくるので、これまでほどは人数が多くはならないと思います」


 これまでは場所が椿屋さんだったので、教えてもらっている時に呼び出されればすぐに仕事に戻れたが、店と代官所は遠くは無いが同じ店内では無いので、最低限の人員を残しておかなければならないからだ。


「あたい達は何すればいい?」

「うーん……実はお願いする事が無いんだよね」


 椿屋だったら従業員用のまかない作りや、鰻を捌いたりなんかを手伝って貰うというのもあったのだが、代官所ではそれ程多くの料理を作る必要も無いし、専属の料理人もいるので手は足りている。


「お休みあげるから、のんびりしてていいよ?」


 特に何も思い浮かばなかったので、全休にしてもいいなと思って、黒ちゃんと白ちゃんに訊いてみた。


「何もしないで、御主人の傍にいるのはダメ?」

「俺も黒と同じ考えだが、ダメだろうか?」


 鎌倉で出会ってから、なんとなく手伝いとかを頼んでいた黒ちゃんと白ちゃんへ休みをとか思ったんだが、どうらやこのアイディアは不発だったようだ。


「そんなので良ければ構わないけど……近くにいたら、なんか思いついたら仕事をしてもらうかもしれないよ?」


 俺としては、職場がブラックにならないようにしたいのだが……おりょうさんと頼華ちゃんにも、休める時には休んでもらうつもりだ。


「おう!」

「のぞむところだ」

「……ま、いいか」


 俺が想定していたのとは違ってしまったが、二人に不満は無いみたいだから、今回はこれで良しとしよう。


「あ、あー……その、頼華殿。鍛錬の事だが、代官としての執務もあるので、午後は時間が取れないと思うのですが……」

「そうですなぁ。本当なら午前中を全部潰すのもどうかとは思うんだが……」


 頼華ちゃんのスケジュール案に朔夜様が難色を示し、松永様も同意している。


 巡礼が多く、遊郭もある伊勢一帯の代官の朔夜様の仕事は多忙を極めるだろう。領地運営に関する職務も当然あるだろうし。


「では、朝食後から昼食までと、執務の終わる夕刻から夕食までを鍛錬に当てるという事で良いか? 作法は夕食後に教えよう」

「夕方の方は、多少は執務がずれ込むかもしれませんが」


 頼華ちゃんによる朔夜様のパワーアップ計画 (?)は、こういうスケジュールになるみたいだ。さすがに合宿みたいな、朝から晩までとかは無理だよな。


「そいじゃあたしも椿屋さんに言って、接客を教えるのは午前中だけにしようかねぇ。そしたら午後は、頼華ちゃんと一緒に、お参りに行ったり出来るし」


 伊勢には内宮と外宮以外にも多くの神様が祀られている社があるので、おりょうさんはそういった場所へ詣でたいみたいだ。


(近くに住んでる人でも無ければ、一生のうちに一度来られるかどうかという伊勢だから、おりょうさんは色々と行ってみたかったんだろうな)


 旅に出たのも俺の勝手から始まったのだが、伊勢に滞在する事を決めてからも、みんなをあまり自由にさせてあげてなかったというのを、おりょうさんの言葉を聞くまで思いつかなかった。


「あの、おりょうさんも頼華ちゃんも、適当に休みを入れて、観光とかしちゃって構いませんからね?」


 我ながら、相当に今更な事を言っている。


「ああ、気にさせちまったかい? 椿屋さんの従業員の接客はあたしも捨て置けなかったからねぇ。それに、どうせそこらを見物するんなら、その……良太と一緒に行きたいじゃないか?」


 最後の方は照れくさそうに視線を外しながら、おりょうさんが呟いた。


「余もです! 伊勢をあちこち見て回りたいとは思ってますが、兄上と一緒がいいので、余が休む時は兄上も休んで下さい!」

「あー……」


 肉体的な疲労を殆ど感じないので、休みなんかいらないと思っていたのだが、旅をする一行へのサービスが欠けていたようだ。


「わかりました。三日に一度くらいは俺も休みをもらいますから、その日は俺も出掛ける時に付き合いますよ」

「おやそうかい? こりゃあ、接客の指導に気合が入りそうだねぇ」

「朔夜! 兄上の御厚情で三日に一度は休みだ! その代わり、やる時は徹底的にやるぞ!」

「ひぃっ!? お、お手柔らかに……」


 三日に一度は休みとは言っても、朔夜様には執務があるので、鍛錬の無い日というだけで休みにはならないだろう。


(……せめて、食事だけは良い物を作ってあげないと)


 本当に俺の食事がパワーアップに貢献出来るのかはわからないが、身体に良くて疲労回復に役立ちそうなメニューを心掛けよう。



「あの咖喱(カレー)って食いもんは辛いだけあって、身体が温まるのか、汗が出るなぁ」


 冷たい麦湯を飲みながら、松永様が額に滲んだ汗を拭う。


「唐辛子以外にも、身体の中の機能を活発にさせる成分が入ってますから、その所為でしょう」

「なんか薬みたいだな?」

「ええ。仰る通り、肉とかの具材以外は、和漢薬の材料です」


 生姜やにんにくも薬効があるので、カロリーさえ気になければ、咖喱(カレー)は食べ物としては優れている。


「その薬効の所為かな、どうにも目が冴えちまって。ちっと椿屋へ行ってくるかな……」

「行くのは構わんが、勘定は自分で持てよ」

「うっ! わ、わかりました……」


 昨日も椿屋へ行って、お藍さんを疲労困憊にしたのに……松永様と江戸の家宗様の、どちらが凄いんだろう? などとバカな考えが頭を(よぎ)る。


「今の会話からすると、自分持ちじゃない時もあるんですかい?」


 おりょうさんが首を傾げて、俺も疑問に思った事を朔夜様に尋ねる。


「伊勢の代官ともなりますと、それなりに接待を受けるのですが……私はこの通り女ですから、食事以外の饗応は、この松永が代理で受けるという訳です」

「本領の方では、古市のある伊勢を納める代官が、色仕掛けに参っちゃ不味いってんで、姫を任じたんだが、まあ俺は約得って奴だ」

「成る程……」


 神仏の加護があるので、不正などは行い難い世界なのだが、商人としては感謝の意を現したり、賄賂とまではいかないにしても、取引などを有利にするという目的で接待を行うのだろう。


 朔夜様は女性なので、食事以外の接待に応じるのは難しいが、断ってばかりだと双方に益が無いので、遊郭などの接待の場合には代わりに松永様がという事だ。領主代行である代官の代わり、というのも変な話だが。


「そいじゃま俺は、自腹で行ってきますかね……鈴白。ここの風呂はいつでも入れるようになってるし、男女別だから好きに利用してくれ」

「ありがとうございます。お気をつけて」


 松永様では無くお藍さんの無事を祈りつつ、この代官所の風呂が、どういう方式で沸かされているのかが気になっていた。


(椿屋さんと同じ方式でも、二十四時間風呂だと燃料代が大変だよな……まあ風呂場に行けばわかるか)


「ちゃんと、朝の仕事までには戻ってくるのだぞ?」

「わかっております。それでは」


 朔夜様に振り返りもせずに、ひらひらと手を降って、松永様は応接室から出ていった。


咖喱(カレー)で身体が熱くなっちまったから、あたしももうひとっ風呂浴びようかね。頼華ちゃんはどうする?」

「余も行きます!」

「はいはい。朔夜様も御一緒しましょうねぇ」

「はい。またあの石鹸というのを、使わせて頂けますか?」


 どうやら昼間の対決後の入浴の時、石鹸を使って身体を洗ったのを、朔夜様は気に入ったようだ。


「ええ。朔夜様はお肌が綺麗ですから、良く磨いておきませんとねぇ」

「そ、そんな……りょう殿こそ、()きたての餅のような肌ではないですか」

「……」


 俺がこの場にいる事を忘れているのか、朔夜様とおりょうさんのガールズトークの内容は、聞いている方が恥ずかしくなってくる。


「あー……黒ちゃん達も、一緒にお風呂に行ってきたら?」

「御主人は?」

「俺も行くけど、なんで?」

「ならば一緒に……」

「湯屋とは違うし、男女別だって言ってたでしょ?」


 白ちゃんは、口調こそ男前だが中身は乙女なのに、時折こういうアグレッシブな事を言ってくる。


「あたいは気にしないよ!」

「余も気にしません!」

「無論、俺もだが……」

「多数決で決める訳じゃ無いよ!?」


 訊きもしないのに、黒ちゃんと頼華ちゃんが白ちゃんへの賛意を示してきた。


「あ、あたしは二人っきりの方が……」

「おりょうさん、混浴から離れて下さいよ……」

「い、いきなりは恥ずかしいですが、お背中を流すくらいでしたら……」

「朔夜様は、自分の疲れを取る事に専念して下さい!」


 数の暴力で混浴を迫ろうとしていた面々を、なんとか振り切って男湯へと向かった。



「ふぅ……」


 事前に聞いていた通り、代官所の風呂場は広かった。鎌倉の源家の浴場のような、半露天で風流な感じでは無いが、詰めれば八人くらい浸かれそうな浴槽と、六人くらいが同時に利用出来る洗い場で構成され、非常にゆったりとしている。


「それにしても、信仰心は薄くても、魔術の類は利用オッケーなのか……道具は道具って考え方かな?」


 椿屋と同じ様な、外釜で沸かした湯を循環させる構造なのだが、熱源は永続的に一定の温度を発し続ける、所謂マジックアイテムを利用しているそうだ。定期的に外釜に水を足しながら清掃をする事で、二十四時間の利用を可能にしているという。


「仮に空焚きになっても、風呂の適温の四十度前後なら火事の心配も少ないだろうから、安価だったら悪くない方式だよな」


 両手で適温のお湯を掬い上げながら独り言ちる。下水道とかがどうなっているのかは不明なので、排水とかが気になるところだが、コストの問題さえクリアしていれば非常に画期的なシステムだ。


(俺は(エーテル)で金貨を発熱させて、込める量で温度と時間を調整しているけど、オンオフを自在にとか、永続化って出来るものなのかな?)


 様々な権能を与えてくれる神仏には会った事があるが、考えてみれば魔術とかのある世界なのに、そういった術を行使する人物には会っていない。


(RPG的な、例えばファイヤーボールみたいな術があるのかはわからないけど、元の世界の昔に発展してた、陰陽術とかを使う人には会えそうかな?)


 陰陽術なんかを使う人は京都辺りに多そうだなとか、漠然と思っているので、大坂方面を目指す際に京都経由というのはいいかもしれない。会ってどうするんだ、というのは考えていないけど。



 一夜明けて、売る程作った鶏のスープを消費しようと思ったので、今朝の朝食メニューは決まっている。少し手抜き気味ではあるが……。


「おはようございます」

「おう。鈴白……朝飯か?」


 出来上がった朝食を運んでいると、足取りの怪しい松永様と出会った。


「そうですけど、もしかして今お帰りに?」


 昨日の夜、出かける直前は生気に満ちた顔をしていたが、今朝の松永様はげっそりと、かなり消耗しているように見える。


「ああ。俺は夜のうちに帰ろうと思ってたんだが、お藍がもっとってせがむんで……」

「いや、別に詳しく聞きたくありませんから」


 松永様とお藍さんの両方と顔見知りなので、生々し過ぎるこの手の話は聞きたくない。


「朝飯なら丁度良かったな、一眠りする前に……」

「貴様は朝食後は仕事だ!」


 パァン! 


 と、派手な音を立てて、松永様の後頭部に朔夜様の平手打ちが炸裂した。


「こりゃ代官。おはようございます。おかげさんで目が覚めました」

「おはようございます、朔夜様」

「おはようございます、鈴白様。朝早くからの朝食の支度、ありがとうございます」


 男性的な物腰だった朔夜様だが、今朝は表情も口調も穏やかだ。どちらが本来の姿なのかはわからないが。


「簡単な物なので、お礼を言われるのも申し訳ないくらいですけど……」

「何を仰います。鈴白様の食事のおかげでしょう、昨日の疲れ感じず、今朝は清々しい目覚めでした。それを、このバカが……」


 朔夜様が、苦々しげに松永様を見るが、動きも少し緩慢になっているので、確かに爽やかな朝の雰囲気は台無しにしている。


「と、とりあえず御飯にしましょう。腹が減っては、ですよ」

「そうですね」

「あー、腹が減った……」


 朔夜様が睨みつけるが、空気の読めない松永様にはどこ吹く風のようだ。



「頂きます」

「「「頂きます」」」


 この代官所の主の朔夜様の号令で朝食を開始した。


「昨日の汁が大量に残ってるから、少し手抜きの朝食ですけど、どうですか?」

「先程も言いましたが、これで手抜きなどとは……とてもおいしくて、力が付きそうです」


 昨日の夕食の拉麺(ラーメン)のスープを温め、椀に入れた丸形のおにぎりをこんがり焼いた物の上から掛ける。


 昨日のうちに出汁を取った丸鶏の肉を一口大に切って、スープに醤油とアルコールを飛ばした酒を入れた物に漬け込んでおいた具と温泉卵を載せ、葱を散らしたスープ茶漬けが今朝のメニューだ。


「うむ……卵ってのは、精がつきそうだよな。これで昨夜の疲れも……」

「貴様は黙って食え!」


 お藍さんとの行為が余程脳に焼き付いているのか、またそっちの方へ話題を持っていこうとする松永様を、朔夜様が一喝した。


「朔夜、しっかり食っておけよ。何せ今日は、兄上直々に貴様を可愛がってくださるんだからな!」

「ひぃっ!? お、お手柔らかにお願いしますぅ……」

「頼華ちゃん……」


 直前までの松永様の話題の余韻があるので、頼華ちゃんの言う可愛がるという言葉が、なんか微妙なニュアンスを持っているように感じた。


「という訳で、兄上、お代わりです!」

「何が、と言う訳なのかわからないんだけどね……」

「御主人、あたいも!」

「はいはい」


 苦笑しながら、頼華ちゃんと黒ちゃんの椀を受け取った。



「兄上。お手本に、朔夜に一手見せてやって下さい!」

「見せるって、俺に出来るのは……」

「剣術で無い物でも構いませんから!」

「そうだなぁ……」


 剣術の方は型なんか知らなくて、示現流のとんぼの構えからの切り下ろしと、完全自己流の担ぎ技だけだが、一応は見せられる武術の型はある。本やネットで調べて反復練習した、中国拳法の型だ。


「じゃあ、少しだけ」


 直角に曲げた左腕を持ち上げ、肘に握った右拳を当てる構えを取る。


「……」


 軽く膝を曲げた姿勢から右腕を水平に横に持ち上げ、左足を踏み込むながら、振り上げた右腕の肘の内側を左手のひらで受け止め、右腕を振り下ろしながら右足を地面へ強く踏み込む。震脚という奴だ。


 ズンッ……


「ひっ!?」

「ええっ!?」


 朔夜様と頼華ちゃんが息を呑むのが聞こえたが、中途半端に終わらせられないので、踏み込んだ右足を軸にし、左足を強く踏み込むと同時に肘を打ち込む。


 ダンッ!


「ひぃぃっ!?」

「な、何が!?」


 ここまでが型の最初の動作なんだが、なんか傍らから妙な声が聞こえたので動きを止めた。


「……えっと、何があったの?」


 見えない角度にいた朔夜様と頼華ちゃんの方へ視線を移すと、二人共尻餅をついてポカンと口を開けている。


「あ、ああ……」

「何が、では無いですよ!」

「いや、本当にわからないんだけど……」


 朔夜様は信じられない物を見たって表情で、相変わらず放心状態だし、なんで頼華ちゃんが怒っているのかは見当もつかない。


「も、物凄い音がしたと思ったら、地面が揺れたんですよ!」

「えー……まさかそんな」


 動いていた俺は気が付かなかったけど、タイミング良く地震でも起きたんだろう。


「あ、あ……足元……」

「足元? あ……」


 放心状態の朔夜様が、震える指で俺の足元を指しているので見ると、石敷き程では無いが地均(じなら)しされて硬い鍛錬場の地面が、俺の足の形に陥没していた。


 軸になっていた右足は、肘を打ち込む時に角度が変わっているのだが、その部分は足の軌道の形に地面が抉れている。


(軸足には、特に抵抗は感じなかったんだけどなぁ……)


「あの、後で穴は直しておきますので」

「そ、そういう事では無くてですね……ああもう。なんでこんな人に、挑もうとか考えたんだろう。でも、頼華殿よりもお強いのは間違いなく……」


 蒼白になった朔夜様は、口の中でブツブツと何かを呟いている。


「兄上が凄いのは知っていましたが、凄過ぎて一切参考になりません!」

「いや、そう言うけど……練習すれば会得出来るんだよ?」


 特に根拠は無いが、才能とかいう言葉とは無縁だった俺に出来るのだから、元々武術の素質がありそうな頼華ちゃんや朔夜様なら、出来るようになりそうな気がするんだが……それにしても、言われるままに型を見せたのに、怒られるとは理不尽だ。

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