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実休光忠 VS 薄緑

 椿屋さんが渋々ながらも承諾したので、まかないを食べていた従業員の一部がそそくさと出ていき、朔夜様が厨房の一角に陣取った。


「おお! これはうまい! うむうむ……鈴白、次の料理を持てぃ!」

「は、はい……」


 そのまま鰻の串焼きを一通りと、白焼き、うざく、うまきを出す傍から平らげ、今はひつまぶしに取り掛かったところだ。


「あ、あの、朔夜様? ここに来る前にも、松永様のお土産の串焼きをお食べになっているのですよね?」


 串焼きは一本の量はそれ程でも無いが、白焼きは丸ごと一匹なので、既に総量はかなりの物になっている。


「うむ! 土産の串焼きは冷めていてもうまかったが、やはり焼き上がったばかりの物は格別だな!」


(そういう事を言いたいんじゃ無いんだけど……)


 ほっそりした身体のどこに入るのか、食べ方自体は上品だが、ペースは一向に衰える気配がない。


「この出汁を掛けたのも良いな……しかし、昆布出汁が加われば、もっとうまいのではないか?」

「申し訳ありません。昆布が切れておりまして……次回からは使うように致します」


 出汁は俺が取ったのだが、試食の特に味については誰からも指摘されなかったので、この辺は尾張織田の人達と伊勢の住民の食文化的な違いかもしれない。



「実にうまかった! 椿屋、良い料理人を捕まえたな!」


 ひつまぶしの最後の一杯まで綺麗に平らげ、朔夜様は実に満足そうな笑顔になっている。


「ありがとうございます。ですが、鈴白様には客分としてお泊り頂いて、教えを請うているだけでございます」

「……」


 言っている事に嘘偽りは無いのだが、椿屋さんに雇われている訳では無いと朔夜様に知られてしまったので、俺にとっては良くない状況だ。


「おお。それであれば、余が召し抱えるので代官所の、いや、余の専属の料理人になるが良い!」

「ご!」


 黒ちゃんが、多分「御主人」から始まる何事かを言おうとするのを、口の前に持っていった手で制した。


「申し訳ありません。まだ旅の途中であり、連れもおりますので、大変名誉な事ではありますが、お断り致します」


 出来るだけ丁寧に頭を下げて、朔夜様へ辞退を申し出た。


「ふむ……では待っているから、旅を終えたら我が元へ身を寄せるが良い」

「いえ、ですから……」

「それとも、帰らねばならぬか? 鎌倉に」

「っ!? そ、それは……」


 身元保証の話の時に出た、鎌倉の源家との繋がりを探ったのだろうか? しかし、ここまでのやり取りだけでは、朔夜様の言葉の真意は読み取れない。


「わかった。料理人というのが不満なのだな? では、我が夫として迎えようではないか」

「「「えっ!?」」」

「……」


 朔夜様の爆弾発言に俺と椿屋さんと貞吉さんの驚きの声が重なり、隣りにいる黒ちゃんの中で、少しずつ殺気が膨らんできているのを感じる。


(黒ちゃん、ダメだよ?)

(で、でも、御主人!)


 念話で話しかけると、黒ちゃんは縋るような表情で俺を見てくる。


 黒ちゃんとは出会った時から友好な関係になったので、本気は知らないのだが、大妖怪の鵺の殺気を放たれたら、この場にいる俺と朔夜様以外の人は動けなくなるか、下手したらショック死だろう。


(とは言ったものの、どうするか……)


 おそらくだが、ある程度の素性はバレており、話の内容から頼華ちゃんを撃退したのも、俺だと推測しているのだろう。


「逃げるか? であれば、地の果てまで追いかける。尾張織田の情報網はバカに出来んぞ?」


 大きな領地を持っている織田なら、子飼いか専属かはわからないが、諜報専門の忍びなどは抱えているのだろう。


「す、鈴白様!?」

「お、親方を夫に!?」

「……料理人の件も、夫になるのもお断りします」


(俺はどういう人間に思われちゃったんだろうなぁ……)


 椿屋さんと貞吉さんが驚いているが、朔夜様の言葉のどの辺に対しての驚きなのかが気になる。それどころじゃ無いのだが。


「断るか? ならば余を力づくで叩き伏せて、この地を後にするが良い」

「それじゃあ、朔夜様の婿候補の条件を満たしちゃうじゃないですか……」


 正式な立会をすれば勝敗についてはハッキリとするだろうけど、命を奪うのも奪われるのも嫌だ。しかしお互いの生命があっても、勝てば婿候補、負ければ料理人にされてしまうだろう。


「話は全て聞きました!」

「ら、頼華ちゃん!?」


 厨房と廊下の仕切りの暖簾を跳ね上げ、最初に出会った時と同じ、袴に佩刀した姿で頼華ちゃんが入ってきた。


「白ちゃん、どうして!?」


 頼華ちゃんに続いて、おりょうさんと一緒に入ってきた白ちゃんに、見守るように言っていた事について問い質す。


「すまん主殿。俺もその女の暴言に我慢出来なかった」

「あー……」


 おそらくは黒ちゃんが、俺と朔夜様の会話の内容を白ちゃんに念話で伝えて、頼華ちゃんとおりょうさんも聞かされたのだ。


「ふふん。貴様程度の者が、兄上の嫁などとは笑止千万! 先ずは側室主席候補の余を倒してから、でかい口を叩くと良い!」


 いつの間にか、誰かの側室主席候補の肩書が出来たらしい頼華ちゃんが、朔夜様をビシッと指差して言い放った。


「おりょうさん……」

「あ、あたしは良太に任せとけって言ったんだよ!?」


 この場合、おりょうさんは何も悪くないのだが、どういう結末になるにしろ、椿屋さんを始めとするこの場にいる人達への説明が面倒な事になった。


「小娘……余が誰だかわかっていて、そんな台詞を吐くのだろうな?」

「当たり前だ。兄上ならば貴様如きは小指でも相手にならん! だから余が可愛がってやろうというのだ!」


(あー、会った時の頼華ちゃんは、こんな感じだったなぁ……)


 最近はすっかり聞き分けが良くなって、言葉遣いも少し変わっていたので、頼華ちゃんの姫モードとでもいう面を忘れていた。


「す、鈴白様が、そのような……」

「織田の朔夜様を、小指で!?」

「いやいやいや。俺はそんな、怖い人じゃ無いですから……」


 椿屋さんと貞吉さんが、頼華ちゃんの言う事を額面通りに受け取ってガタガタ震えているので、自分でフォローを入れておいた。


「くっくっく……良かろう。この織田朔夜に対して無礼な振る舞いをした事への後悔を、その身に刻みむが良い!」

「ふっふっふ……地方代官風情に、身の程を教えてやろう!」


 既に俺の事は関係無しに、朔夜様と頼華ちゃんで盛り上がってしまっている。


「では、代官所の鍛錬場所まで来い!」

「望むところだ!」


 頼華ちゃんが俺の代理というのは構わないのだが、万が一負けたら……という心配は、実はあまりしていない。



 鍛錬場は塀で囲まれた代官所の中の、五十メートル四方程の区画で、塀際の方に弓術用の射場がある。


 中央に二十メートル四方の地面が均された場所があり、対人戦闘の訓練に用いられているらしいが、立会にはそこを使うという。


「……鈴白よ。なんでこうなった?」

「こっちが聞きたいですよ……」


 代官所で、お藍さんとの熱戦の疲れから寝ていたところを叩き起こされ、立会の審判役を仰せつかった松永様がぼやくが、決して俺がこうなる事を望んだ訳では無いのだ。


「はぁー……ったく。怪我でもさせた日にゃ、俺の首が飛ぶかもしれねぇってのに」


 眠気覚ましの茶を飲みながら松永様がぼやき続けるが、そもそも今回の件は、この人が俺の所在を朔夜様に話した事に端を発しているので、あまり擁護も出来ない。


「怪我もですが、ここの建物が無事で済むかどうか……」

「なん、だと……!」


 頼華ちゃんの能力を知っている俺の呟きに、想定外だったのか、松永様が驚愕の表情をしている。


「朔夜様だって、闘気(エーテル)による戦闘法を使えば、それくらいは出来ますよね?」

「そりゃそうなんだが……」

「わ、私は観に来なかった方が、良かったでしょうか!?」

「椿屋さん達は、俺が護るので安心していて下さい」


 頼華ちゃん相手に直接やりあったら俺もタダでは済まないが、流れ弾程度の攻撃を防ぐだけなら問題無いだろう。


「ちょいと良太ぁ。頼華ちゃんは大丈夫なのかい?」


 当たり前だが心配そうに、俺の服の袖をツンツン引っ張りながら、おりょうさんが尋ねてきた。


「多分ですが、大丈夫ですよ」

「頼華が負ける訳無いよ!」

「そうだな」


 黒ちゃんと白ちゃんには何か根拠があるのかはわからないが、頼華ちゃんの勝利を疑ってはいないようだ。


「いざとなったら、俺が止めに入りますから」

「そうかい?」


 一応は俺の言葉を信じてくれたようだが、それでも心配そうにおりょうさんが呟いた。


「頼むぜぇ、鈴白……では、始めます!」


 松永様は唸るように言うと、向かって右手に朔夜様、左手に頼華ちゃんが立っている中間の位置へと歩いた。


 朔夜様が手にするのは、織田家伝来の「実休光忠(じっきゅうみつただ)」だという。元の世界では本能寺の変の際に信長が所持し、後に豊臣秀吉の手に渡って焼け跡から発見され、打ち直されたという刀である。


 対する頼華ちゃんが手にするのは、かつては「膝丸」と呼ばれたが、源頼光によって土蜘蛛を切った事により「蜘蛛切」と名付けられ、更には「吠え丸」、そして「薄緑」と呼ばれるようになった遍歴の太刀だ。


「……それでは、始めっ!!」

「……」

「……」


 松永様の開始の合図で、双方共に後方へと飛び退った。現在は五メートル程の間を開けて対峙しているが、闘気(エーテル)で強化される武人にとっては一足飛びの距離である。


「っ!」


 無言の気合と共に朔夜様が実休光忠で袈裟懸けに斬りつけるが、頼華ちゃんは身動(みじろ)ぎもしない。


「なっ!? ば、バカな!?」

「……まさかとは思うが、それが貴様の全力なのか?」


 どうやら、頼華ちゃんは敢えて動かずに朔夜様の斬撃を受けたようだが、着衣にも本人にも、斬撃によるダメージは見受けられなかった。


「くっ!」


 状況が理解出来ない朔夜様は、慌てて飛び退って間合いを空けた。


(今の一撃が朔夜様の全力では無いと思うけど……それにしても頼華ちゃん、強くなったなぁ)


 目を凝らして見ると、実休光忠の刀身が闘気(エーテル)を纏って輝いているのがわかるが、厚さは無いが眩い程に輝く頼華ちゃんの身体を包む闘気(エーテル)が、朔夜様の斬撃の全ての効果を受け止めたのがわかる。


「ふふふ……斬撃が通用しないので、逃げの一手か?」

「ほ、ほざけ!」


 不敵に微笑む頼華ちゃんに言い返すが、朔夜様は動けないでいる。


「あー……やっぱりこうなったかぁ」

「りょ、良太、どういう事だい?」

「実はですね」


 最初に出会って戦った時点でも、頼華ちゃんの剣術の腕前は尋常では無かった。父親の頼永様に匹敵するというのは、大袈裟でもなんでもない事実だろう。


 そして頼華ちゃんは(エーテル)の保有量と質も高かったのだが、俺との相性が良かったのか、それとも何か他の要因があったのかはわからないが、行動を共にするようになってどんどん強化されていったのだ。


 浦賀からの船での移動の際には、船上で俺や黒ちゃんや白ちゃんを相手に戦闘訓練を行って、更に剣術や体術を洗練させていったので、仮に今の頼華ちゃんと戦ったら、出会った頃の頼華ちゃんは秒殺されるだろう。


それくらいのパワーアップを遂げている。


「……もしかして、良太の作った御飯を食べてるのが、頼華ちゃんが強くなってる原因なんじゃないのかい?」


 頼華ちゃんと朔夜様のパワーバランスの説明をすると、おりょうさんから思わぬ指摘を受けた。


「えっ!? う、うーん……」


 ジト目のおりょうさんに言われて考えるが、否定しきれないのがなんとも……。


 ギィンッ!


 甲高い、金属同士がぶつかる音が響いた。


「くっ!」

「この程度は受けるか。では、これはどうかな?」


 すれ違いざまに横薙ぎの一閃を放った頼華ちゃんは、朔夜様が振り返る前に背後で急制動を掛け、顔の横で太刀の柄を保持するという独特の構えを取った。


「あれは!」

「ふんっ!」


 まさかの示現流とんぼの構えからの、鋭い呼気を伴っての切り下ろしだった。


「ぐぁっ!!」


 辛うじて振り返るのが間に合い、頭上に刀を構えるのが間に合った朔夜様だったが、最初の攻撃の時よりも強い闘気(エーテル)を使って防御しているにも関わらず、手首から肘に掛けて明らかにダメージを受けている。


(うわぁ。骨は大丈夫そうだけど……いや、(ひび)くらいは入ったか?)


 衝撃による相当な痛みと痺れに耐え、それでも刀を放り出したり転倒したりしない朔夜様は、賞賛に値するだろう。


「御主人の御飯食べたら、強くなるのは当たり前だよな!」

「うむ。主殿の言う「食は全ての基本」という言葉が、正しかった事の証明だな」


 仙術なんかでは食事も修行の一環なのだが、俺自身は身体に良くてうまい物を食べたかっただけで、(エーテル)の強化なんか考えていなかったが、結果的には黒ちゃんと白ちゃんの言う通りになってしまったみたいだ。


「も、もしかして、あたしもなのかい!?」

「えーっと……出会った頃よりは、少し」

「な、なんだってーっ!?」

「お、落ち着いて、おりょうさん! 少しだけですよ。少しだけ!」


(防御面や、普段の生活でも疲労し難くなってたりするはずなんだけど、元々鍛えてるから差に気が付かないのかな?)


 おりょうさんの体術は、頼華ちゃんのように(エーテル)を攻防にダイレクトに使うようなタイプの戦闘法をでは無いので、それ程パワーアップを実感出来ないのかもしれない。


「なぁんだ……でも、良太の作る食事は、色んな意味で恐ろしいねぇ」

「恐ろしいって……」

「主な恐ろしい理由は、うますぎて、つい食べ過ぎちまうところだけどねぇ」


 怖がったかと思ったら、一転して微笑みながらのお褒めの言葉。恐るべきおりょうさんの飴と鞭だった。


「おりょうさん、今夜は何を食べたいですか?」

「はわっ!? も、もう……じゃあ、咖喱(カレー)。辛いやつ」

「……わかりました」


 俺に切り替えされるとは思っていなかったようで、頬を染めて挙動不審になったが、おりょうさんはしっかりとリクエストを伝えてきた。


(おりょうさんのリクエストなら仕方ないけど、咖喱(カレー)だと白ちゃんがなぁ……)


「お二人さん。お熱いところ悪いんだが、決着が付きそうだ」

「お熱いって……」


 松永様に言われて戦闘に目を戻すと、縦横無尽に動く頼華ちゃんに翻弄され、朔夜様は全く付いていけないようだ。


「くぅっ!」

「受け流しは中々だが、それだけだな」


 釘付けにされて防戦一方の朔夜様の着物はボロボロになり、焦燥感の濃い顔には、汗が幾筋も流れている。


 対象的に、動き回っている方の頼華ちゃんは涼しい顔で、着物の裾を翻しながらの打ち込みは、優雅な舞を見ているようだ。


(あー。これはもうダメだろうな)


 腕のダメージは戦闘不能になる程では無いが、攻撃にも防御にも支障が出る深刻な物で、朔夜様が身に纏っていた闘気(エーテル)も、戦闘開始と比べて輝きや厚みが明らかに衰えている。


「そろそろ決めるか」


 峰を左肩に載せるという独特の構えを取った頼華ちゃんは、普通の人間には捉えられない程の瞬足の踏み込みから、柔道の一本背負いのように「薄緑」を一閃させた。驚いた事に、俺が鎌倉でやってみせた担ぎ技だ。


「ひっ!?」


 ドンっ!


 地面を穿つ鈍い音がすると同時に、巻き上げられた土砂がカーテンとなって、朔夜様と頼華ちゃんの姿が見えなくなった。


「ひ、姫っ!?」

「松永様、大丈夫ですよ」


 松永様が慌てて駆け寄ろうとするのを静止して、土煙が収まるのを待った。


「あ、あぁ……」

「余の勝ちだな。何か異存はあるか?」

「……ま、参った」

「うむ」


 頼華ちゃんの斬撃は、尻餅をついて呆然としている朔夜様の両脚の間の地面を、大きく陥没させていた。履いている袴もボロボロになっている。


「ふん。この程度で兄上の嫁になろうとは……まあ精進すれば、側室四席くらいにはなれるであろう」


 項垂れる朔夜様に向けて、薄緑を鞘に戻しながら鼻息も荒く、頼華ちゃんが言い放った。


「四席ってどういう事!?」


 頼華ちゃんの中では、俺の側室の主席から三席までは確定しているらしい。


「頼華ーっ! あたいと白が次席と三席って事でいいのか!?」

「うむ。既に余は黒と白とも、姉妹のようなものだしな!」

「頼華……」


 白ちゃんが頼華ちゃんの言葉で涙ぐんでるけど、そんな感動の場面みたいにしないで欲しい。


「姫っ!」

「くっ……姫と言うんじゃない」


 なんとか実休光忠を鞘に収めた朔夜様は、苦痛に顔を顰めて腕を抑えながら、それでも松永様に反論するのを忘れない。


 殆ど半裸と言っていい朔夜様に近づいた俺は、取り出した外套を被せた。


「松永様、治療しますからお退きを」

「む。済まん。任せる」


 松永様へ実休光忠を渡し、俺が腕を持つと、朔夜様は痛みを堪えて眉間に皺を寄せるが、気丈にも声は出さない。


(腫れてないから、骨折はして無さそうだな……)


 腕の骨の(ひび)と、手首の捻挫に数箇所の打撲というところか。もしかしたら衝撃が逃げなくて下半身にもダメージがあるかもしれないが、この場では両腕の治療を優先した方が良さそうだ。


「あ……痛みが、和らいで……」


 俺が腕に向かって(エーテル)を送り込むと、すぐに効果が現れたようで、朔夜様は苦痛を表情に訴えなくなった。


「おいおい。なんつー闘気の量と質だよ……」


 俺の手から放たれる(エーテル)を視る事が出来るのか、目を見開いた松永様が唸る。


「ふぅ。これで腕は大丈夫だと思いますが、他に痛む場所とかはありますか?」


 凝らした目で見る限り、朔夜様の指先から肘までの範囲でダメージ箇所は無い。


「そ、その……お、お尻が」

「お尻?」

「う……尻餅をついた時に、その……」

「あー……」


 殆どの人には視認出来なかったようだが、最後の頼華ちゃんの担ぎ技を、朔夜様受け止めはしたのだ。


 だが、やはり完全には耐えきれなかったらしく、ひっくり返りこそしなかったが、地面に尻もちをついてダメージを負ったという訳だ。


「お尻だと、この場では……松永様、場所をお借り出来ますか? それと、汚れてしまっているので、頼華ちゃんの分も水かお湯と手拭いを」

「お、おお。こっちへ」

「……」

「……姫、どうされました?」


 松永様が歩き出そうとしたので、俺は治療のために取っていた手を離して立ち上がったのだが、当の朔夜様が立ち上がろうとしないのだ。


「……姫言うな。そ、それと……立ち上がれんのだ」

「姫?」

「姫言うなと……こ、腰が抜けたようだ」

「……ぷっ! あっははははは!」


 朔夜様本人以外は、一瞬、何を言っているのか理解不能だったのだが、吹き出し、続いて大笑いする頼華ちゃんによって静寂が破られた。


「なぁっ!? しょ、勝者だからといって、敗者を鞭打つ事はあるまい!?」

「っくくくく……」

「っ……」

「ま、松永!? 椿屋まで!? き、貴様らぁっ!」


 顔を真赤にして頼華ちゃんに抗議する朔夜様に背を向け、松永様と椿屋さんが身体を震わせて必死に笑いを堪えている。


「いやぁ。姫も身体だけじゃなくて、本当に女だったんですなぁ」

「し、失礼を……っ……」


 ここぞとばかりに、松永様が心中を口にすると、謝罪しようと思ったのか、椿屋さんは朔夜様に向き直ったのだが、姿を見た途端に笑いを堪えながら再び背を向けた。


「松永ぁ! 椿屋ぁっ! 貴様ら憶えてろよっ!」

「まあまあ。松永様、案内を頼みます。朔夜様、失礼します」

「っ?! す、鈴白!?」


 腰が抜けて立てない朔夜様を、横抱きにして立ち上がった。外套に包まれているので、肌の露出は顔と腕先と足先だけなので、密着してもあまり意識しないで済む。


「兄上ぇっ! そ、それは勝者の権利ですよっ!?」


 なんでこれが勝者の権利なのかはさっぱりわからないが、言葉と表情からすると頼華ちゃんは本気で言っているようだ。

  

「あのね……武士の情けくらいは掛けてあげなよ。頼華ちゃんには、後で何か考えるから」

「言質は取りました!」

「はいはい……松永様どちらへ?」


 拳を握りしめて天を仰ぐ頼華ちゃんは、元気そうだからバトルダメージは大丈夫だろう。


「あ、ああ……こっちだ」


 松永様の先導で、すぐ近くの建物の、開け放たれた縁側に向けて歩く。


「……」


 言葉も無く、少し憂いを含んだ顔を薄紅色に染め、朔夜様が呆然と見つめてくる。俺が戦ったんじゃ無いのに、何故かフラグが立った気がするのが怖い。


「下ろしますよ?」

「う、うむ……」


 一度縁側に朔夜様を座らせて、やはり下半身の自由が効かないのが確認出来たので、おりょうさんと頼華ちゃんに支えてもらいながらうつ伏せに寝かせてもらった。


「失礼しますね」

「……」


 顔を伏せたまま無言なので、朔夜様への了承は得られたという事と考えて、羽織っている外套の裾を引き上げて、腰の辺りまでを露出させた。破れた袴のそこかしこから白い素肌が見える。


(意識しないように、意識しないように……)


 頭の中で念じながら、事務的な視線で観察を続ける。


「この辺か……」


 目を凝らすと、腰から両足の付け根辺りにかけて、(エーテル)の色が変化している。ダメージ部位だろう。


 これまで使っていて気が付かなかったが、この外套には景色に溶け込む迷彩効果以外に、身に纏う(エーテル)の放散を遮蔽する効果もあるようだ。羽織っている時と今では、目を凝らした際の見え方が全く違う。


 衆人環視の状況であり、ダメージを受けている場所が場所なので、直接身体には触れないようにしながら、三センチ程浮かせた手のひらから(エーテル)を送り込む。


「ん……」


 すると、身体の状態の変化を感じたのか、朔夜様が小さく声を上げた。


「こんなもんかな? もう大丈夫だと思いますが」


 ダメージ部位の(エーテル)の色が、身体全体を覆っている物と同じになったので、送り込むのをやめて朔夜様に訊いてみた。


「う、む……世話を掛けた」


 床に手をついて起き上がり、脚を動かして座り直せたので、どうやら朔夜様の身体にあったダメージは癒えたようだ。軽い打撲程度だったようで、腕の怪我と比べれば、送り込んだ(エーテル)の量は遥かに少なくて済んだ。


「着替えてくるので、その後でこの外套を返す」

「その着替えですが、ついでにひとっ風呂浴びてきちゃどうです? お客さんも御一緒に」


 立ち上がって退出しようとした朔夜様だったが、松永様の一言を聞いて立ち止まった。


「む。しかしな……」

「うむ。水と手拭いよりは、余もその方がありがたいぞ!」


 ノーダメージではあるが頼華ちゃんも、着衣と身体共々、砂埃でかなり汚れている。主な原因は最後の担ぎ技による一撃だろう。


「だそうですが?」

「うむ……ではこちらへ」


 尚も少し躊躇していたが、負かされた相手である頼華ちゃんからの申し出なので、朔夜様も渋々ながらも受け入れた。


「あたしも行きますよ。まだ身体が効かないかもしれませんからね」


 朔夜様を気遣うような事を言うおりょうさんだが、実際には頼華ちゃんの一人での入浴と、その前後の着替えに不安があるので付き添ったのだろう。 


「……さて、鈴白。詳しく聞かせて貰うぞ。色々と、な」


 三人の姿が見えなくなると、待ってましたとばかりに松永様が、ジロリと睨みながら問い詰めてきた。


「私も、是非とも伺いたいですな」


 椿屋さんも、真剣な表情で俺に向き合った。


「ははは……いいですけど、ここだけの話にしておいて下さいね?」


 既に松永様も椿屋さんも当事者なので、変に隠し立てするよりは伝える事は伝えた方が、誤解を受けたりはしないだろう。


「じゃあ、頼華ちゃんと出会った時の話からしましょうか」

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