観世音菩薩様
夜明けと共に起きて行動したが、品川宿から浅草までは結構な距離があり、店でもそれなりに長い時間を過ごしてしまったので、既に昼時になっていた。
「そろそろお腹が減ってきましたね。おりょうさん、どこかオススメの店とかありますか?」
「……えっ!? な、なんだいっ!?」
靴の箱が入った風呂敷包みを抱えてボーっとしていたおりょうさんは、俺に声を掛けられて不意打ちを受けたような反応をした。
「いや、だから、ご飯食べるのに、いい店は無いかって」
「あ、ああ! そ、そうだねぇ。この辺なら……どじょうなんかどうだい?」
「どじょうですか……」
元の世界ではあまり一般的とは言い難いどじょうは、俺は食べた事が無かった。
「どじょうは嫌いかい?」
「あんまり馴染みは無いんですけど、食べてみたいです。案内をお願いします」
「うん! 任しときな!」
俺の気が進まないと思ったのか、一瞬表情を曇らせたが、一転しておりょうさんは明るい笑顔になると、風呂敷包みを片手に持ち直し、俺に腕を絡めて店へと歩き出した。
「……鍋の中は、結構凄い感じですね」
「『丸』の方は、まあそうだねぇ。『抜き』の方は、そうでもないだろう?」
「まあ……」
驚いた事に、元の世界の俺の居た時代にもあったどじょうの名店が、こっちの世界にもあったのだ。
ちょっと興味を持ってネットで調べてみたんだが、暖簾を垂らした店構えや、広い座敷の内装なんかも同じっぽい。
「そろそろ煮えたかね? ここに刻み葱を乗っけて……出来上がり」
おりょうさんの前の、炭火が熾っている小さな箱火鉢の上の鉄鍋の中では、頭も骨もそのままに、どじょうが姿のまま煮えている丸鍋と、俺の前の、開いて頭と骨を取った抜き鍋に、木の箱に用意されていた刻み葱をたっぷりと盛りつける。
見た目には少し抵抗があるが、濃いめの出汁のいい香りに刻んだ葱の香りが合わさって、なんとも食欲を刺激する。
「さ、おあがりよ」
「いただきます」
おりょうさんの許可が出たので、俺は抜き鍋に箸を伸ばした。思っていたような生臭さは無く、濃厚ではあるが、塩気がきつくない割り下で煮込まれたどじょうは、思いの外うまかった。
「へぇ……うまいもんだなぁ」
「気に入ったかい?」
「はい」
「良かったら、『丸』の方にも手を伸ばしな」
「じゃあ、少しだけ」
葱の山を少し崩して、姿のままのどじょうを箸で摘み取る。改めて見直しても生々しい感じなのは拭えない。
「それでは……ん、こっちもうまいですけど、骨が気になりますね」
「まあ、そういうもんだからねぇ」
意を決して口に運んでみると、味に関しては裂かずに骨がそのままなので、どじょうの独特の風味と歯応えを感じはするが、それ程違いがあるようにも思えなかった。
姿のままでも食べられのは確かめられたが、骨の口当たりが良くない。やはり好みで言えば抜き鍋の方になるだろう。
「そろそろ食べ終わりそうだけど、足りるかい?」
「うーん……言われてみれば、少し物足りないですね」
どじょうを味わいながらご飯を食べて、少し腹は落ち着いたが、鍋自体が小さめなので、満腹には程遠い感じだった。
「なら、もう少し追加しようかね。あたしの好みでいいかい?」
「ええ。お願いします」
おりょうさんは店員を呼び止めると、追加で料理を頼んだ。
「お待ちどお様。柳川になります」
鍋の残りを食べ終わった頃に、追加の料理が運ばれてきた。
「牛蒡の香りが良くて、卵で綴じられた見た目も綺麗ですね」
「さっきまでの鍋とは、大分味も変わるんだよ。さ、おあがりよ」
どじょうの煮汁と卵が溶け合い、牛蒡の風味と歯応えが加わって、全く別物の料理のようになっている。
「お待ちどお様。割いたどじょうのタレ焼きです」
続けて出てきたのは、元の世界で言う蒲焼きのどじょうだった。もしかして、蒲焼きって言葉も調理法も、まだ無いんだろうか?
「おりょうさん、これは蒲焼きですよね?」
「あんた、蒲焼きってのは、鰻を筒切りにしたのを、串に刺して焼いたやつじゃないか。食べたいなら、その辺の露店で売ってるよ?」
蒲焼きの由来は諸説あるが、筒切りを串に刺して焼いたのが蒲の穂に似てるから、って説があったんだっけ。
「それに、これは醤油ダレだけど、鰻の蒲焼きは脂っこいし、味噌か、たまり醤油の濃い味で、あたしはあんまり好きじゃないねぇ」
おそらくは鰻の強い脂を、たまり醤油や味噌の濃い味で誤魔化す調理法って感じなんだろう。
そういえば関東風の、裂いて蒸すという調理法はは関西からの導入らしいから、あまり地域間の交流が無さそうなこっちの世界では、もしかしたらまだ発明もされていないのかもしれない。
「成る程……あ、これは鍋とはまた違って、香ばしくて、適当に脂が落ちてて、うまいですね」
「そうだろう? 昼間っから呑みたくなっちまう味だけ……さすがに、お天道様の高い内は控えようかねぇ」
「俺が一緒なのを気にしてるんだったら、遠慮なくどうぞ」
「……いや、やっぱり控えておこうかね」
少しあった間が気になるが、おりょうさんは酒は注文しないようだ。その代わりと言わんばかりに、焼いたどじょうや鍋で、猛然とご飯を食べ始めた。見ているこっちの気持ちよくなるような、見事な食べっぷりだった。
どじょう屋の勘定は、おりょうさんが全額出すと言い張った。どうも靴の事で引け目があるようなので、ここはありがたく御馳走になっておくことにした。
「せっかく浅草まで来たんだから、観音様でも詣でて行かないかい?」
店を出たところで、おりょうさんがそんな事を言い出した。
「観音様というと、浅草寺ですか?」
「そうだよ。近いとは言えないから、あたしもあんまりこっちの方までは足を伸ばさないからねぇ」
確か、漁師が網に掛かった観音様を祀ったのが、浅草寺の始まりだったっけ?
「いいですよ」
「それじゃあ行こうかね。浅草寺の観音様は、御利益があるって評判なんだよ。もっとも、悪さすると罰も当たるみたいだけど」
「へぇ……」
どうも無神論者の現代人の感覚だと、お参りとかをするのに抵抗は無いけど、御利益とか言われても眉唾に思ってしまう。
でも、ヴァナさんの説明からすると、神様の影響のある世界らしいからなぁ……少しは真面目にお祈りしておこう。
おりょうさんに腕を引かれて、どじょう屋からそれ程離れていない浅草寺の門前まで歩いた。
現代の日本の雷門の、大会社の会長が奉納したという大きな提灯は無いが、門を潜った仲見世の様子は、入っている店の種類は違うが、賑わいはあまり変わらないように見える。
手水舎で身を清めてから、おりょうさんと共に賽銭箱の前まで行き、参拝をする。
「……っ!?」
手を合わせて願いを思い浮かべようとした時点で、唐突に周囲の音が消え失せたのに気がついた。
慌てて隣で手を合わせているおりょうさんを見ると、お祈りをする姿勢のままで固まっていた。
「これは、どういう……」
文字通り、おりょうさんも、その他の周囲の全てが固まっていた。人も、飛んでいる鳩まで空中で静止している。
「驚かせてすまんな」
「っ!?」
自分以外の全てが止まっていると思った中で、俺に語り掛けてくる存在がいた。
「あなたはいったい……」
「信じるかどうかは任せるが、我は観世音菩薩という」
柔らかな後光を纏っているので、その姿をはっきりと見ることは出来ないが、容姿にしても声にしても中性的で、それでいて慈愛と魅力に溢れているように感じられる。
「いえ、信じますが、でも、そんな凄い存在が、俺なんかに何か御用ですか?」
「……もっと驚くかと思っていたが、中々に肝が太いようだな。善哉善哉」
「は、はぁ……」
お気に召したんだかそうでないんだか、良くわからない反応だが、とりあえず怒らせてはいないようだ。
「それでじゃな、お主さえ良ければ、少しこの世界で役立つ力を与えてやろうかと思うが、どうだ?」
「え、そういうのって、そんなに簡単に貰えたりするものなんですか?」
我ながら、菩薩様なんて存在に対して率直過ぎる物言いだとは思うが、後で後悔するよりはマシだろう。
「まあ簡単では無いがのぅ。だが、こちらの方が、お主と縁を結んでおきたいと思ったんじゃよ」
「光栄ですけど、何かそちらの方に見返りがあるんでしょうか?」
神様相手にギブアンドテイクも無いだろうけど、明らかにこちらに利があり過ぎる交渉内容なので、訊かずにはいられない。
「お主がどう思っているかはともかくとして、向こうの世界から自覚を持ったままこちらの世界に来た時点で、既に特異点とでも呼ぶべき存在なのだよ」
「要するに、危ない存在に鈴を付けたいと?」
「そういう事ではな無い。仮にお主が力をつけて、我に対して神殺しとなったとしても、それはそういう理だという事で、なんの問題もありはしない」
「ではいったい?」
「簡単じゃよ。この世界の地方領主達がそうしているように、力を持つ者を自陣営に取り込んでおきたい、それだけじゃ」
もっと深遠な考えからの行動かと思ったら、意外なほど即物的だった。
「それは、あなたの手足になって働けと?」
「そうしてもらうのが我にとっては最良だが、無理に入信しろとは言わんよ。先程も言ったように、まずは縁を結ばせてもらい、その気になれば入信してくれても良いし、嫌になれば他の神を奉じれば良い。そういう約束がされた世界であるしな」
そういえば神様が直接介入するのは御法度な世界だったな。なら、目の前に現れて話してる今の状況は、反則スレスレだよなぁ。
「だからあくまでも、優遇するからお試しはどうじゃ? という話じゃよ」
「はぁ……まあそういう事でしたら」
「おお! その気になってくれたか。では、どういう力が欲しいか申してみよ」
「あ、いや、ちょっとその前に」
「ん? なんじゃ?」
なんか思ってたよりもずっと気さくだな、観世音菩薩様……思わず身を乗り出しそうなのを踏みとどまってもらい、俺は切り出す。
「確認なんですが、俺は言いなりになる必要は無いんですよね?」
「うむ。たまに困り事が発生した場合に依頼をするかもしれんが、その気が無ければ断ってくれて構わんぞ」
断っても構わないというのは以外だった。優遇する代わりにという事で、厄介に巻き込まれる覚悟も少ししていたが、考え過ぎだったようだ。
「さっき言ったように、こちらから依頼がある時は夢の形で告げるので、目が覚めて気が向いたら、別にこの寺ではなくても、我を祀ってある寺へ詣でてくれれば、ちゃんとした内容を伝える。緊急時には、何か使いを送るかもしれんがの」
この条件なら、特に受け入れても問題は無さそうだな。むしろこちらに一方的にメリットの有る申し出と言ってもいいくらいだ。
「あとはたまにでいいので、詣でて少しの賽銭でも入れてくれれば、それで良い」
「そういう事でしたら、わかりました。お受けします」
「うむ。では、望む力を申してみよ」
「……どうお願いして良いのか、結構難しいですね」
「まあ、目的があって修行している人間でもなければ、そういうもんかもしれんの……」
観世音菩薩様にも、こちらの戸惑いは伝わったようだ。そうなんだよな。いきなり怨霊を調伏する力を与えてやるとか言われても、積極的にエクソシストなんかになる気は無いし……。
「お主、この世界での目的とかはあるのか?」
「いえ、特には。あちこち見て回ろうかとは思ってますが」
「ふむ……それでは旅回りに役立つような力ではどうじゃな?」
「それはどういう?」
「不動明王の権能の一部じゃよ」
不動明王は、密教では大日如来の化身で、剣を持ち、炎を纏っている、だったか? その力を持って、仏敵を調伏する守護神のような存在だったはずだ。
「あの、観世音菩薩様と縁を結ぶのに、他の神様の力を頂いちゃっていいんですか?」
「ああ、そんな事を気にしていたか。信仰形態によって少し違いはあるが、不動明王は我であり、我以外の存在でもあるのだ」
「それはもしかして……相というものですか?」
不動明王が大日如来の化身というのと同様に、慈悲で人を救うだけではなく、仏敵を調伏するために戦うための姿を持つ場合がある。これが普段とは別の相という物だ。
「おお、理解が早いな。その通りじゃ。我の場合は、わかりやすいもので三十三の相があるのじゃが、神などと呼ばれとる身なので、権能の種類や姿を変えて、同時に複数の場所、次元に顕現するなどという事も出来るんじゃよ」
「成る程。凄いものですね」
「それでわかったとは思うが、先程話した、我を祀っているというのは、我の他の相を祀っている寺でも同じ意味なので、この国の中では詣でる寺を探すのに、それ程苦労する事はあるまい」
要するに、全部が全部かはわからないが、こういった力で神様は不滅の存在になっているのだろう。仮に観世音菩薩様という存在を神殺ししても、全ての次元の他の存在を滅ぼさない限りは不滅なのだから。
「という訳で、使い勝手の良い不動明王の権能を授けよう。具体的には簡単に起こせる火、灯るだけで熱くない火、悪さをする存在を中に入れない護りの火、わかりやすく基本的なのはこんなところじゃ」
「簡単に火を起こせるというのは、凄く助かりますね」
「向こうの世界から来たお主には、特にじゃろ?」
「ええ」
マッチもライターもガスのグリルも無い世界だから、非常にありがたい。慣れれば火打ち石でも短時間で火を起こせるらしいけど……。
「わかりやすいと言ったのは、お主に与えた権能は、あくまでも力の一端だという事じゃ」
「それはいったい?」
「お主という扉を通して権能を顕現させる訳じゃが、力の形と方向性が炎になっているというだけで、実際にはお主次第で変化するという事じゃ。例えばな……」
観世音菩薩様の手の平に、小さな炎が灯った。
「これは、わかりやすく熱い炎を顕現させた。これにお主らの言う『気』や『エーテル』を込め、頭の中で形と動きを想像すると……」
手の平に灯った炎が吹き上がるように伸びると、その姿を龍のように変化させ、観世音菩薩様に巻き付いた。
「とまあ、こんな具合じゃ」
「……形や威力は、ある程度操作出来るという事ですか?」
「そういう事じゃ。幸い、お主は少しくらい力を使っても、早々に衰弱する事もあるまい」
そう観世音菩薩様が呟くと、手品のように炎の龍は一瞬で消え失せた。
「多分じゃが、お主に必要なのは、威力を抑える訓練であろうな」
「そう、でしょうか……?」
スリに遭った時や、おりょうさんからの投げ銭を防御した時の事を考えると、例えば炎を攻撃に使った場合、やり過ぎになる可能性が多分にありそうだ。
「うむ。力加減をせずに使えば、例えば熱い炎で鍋に穴を開ける……いや、溶かすくらいはやりそうな気がするのぉ」
「……せっかく頂いた権能なので、有効に使わせて貰いたいと思います」
なんとなく、脳裏にやり過ぎて失敗する光景が浮かんだ。
「そうじゃな。さて、ここでは時の流れを気にする必要は無いんじゃが、こちらの用事は済んだ。お主が品川宿に現れたので、泉岳寺の盧遮那仏に先を越されないかと気を揉んだが、無事に縁を結べて何よりじゃ」
言いながら、観世音菩薩様は愉快そうに笑い声を上げた。
「良くわかりませんが、こういうのって早い者勝ちなんですか?」
「まあ、そうじゃな。でもな、お主が我の申し出を受け入れるかどうかはまた別問題じゃしのぉ。だが、お主をここへ誘ったそこの娘には、感謝しておるよ」
「それでしたら、そこのおりょうさんにも、何か力とか御利益を与えて頂く訳にはいきませんか?」
目を閉じて祈る姿勢のままのおりょうさんを見ながら、俺は観世音菩薩様にお願いしてみた。どう考えても、俺よりは熱心に祈るおりょうさんの方が、御利益を得るのに相応しい。
「ふむ。この娘、お主との仲の進展を熱心に祈っておるが、応えてやってはどうじゃ? お主には恋仲の相手が出来て、我は縁結びで娘に感謝される。三方良しというやつじゃな」
「いや、その、まだ昨日知り合ったばかりですし……」
神様だから嘘は言わないだろうけど、おりょうさんが自分の事をそういう風に想ってくれているとは……今後の行動に影響が出そうな情報が入ってきてしまった。
「それとも、案内の娘の方が好みか?」
案内の娘っていうのはヴァナさんの事だろう。そりゃあ美人だとは思うけど……。
「と、とりあえずは、その辺の問題は今後の成り行きで……何か御利益とか祝福とか、お願いできませんか?」
「男ならこう、二人とも引き受けるくらい、言ってみてはどうじゃ?」
「なんか神様がとんでもない事言い出した?! そ、そういうのって、窘める立場じゃ無いんですか!?」
「強姦や、人の女房を奪うんじゃなければ、お互いの倫理観に任せるわい。別に性欲に逆らうのが貞節という訳では無いでの」
仏教だとこの辺の考え方はどうだったっけ……でもまあ、目の前で神様が言うのなら、そういう事なんだろう。
「今は崇められとるが、盧遮那仏なんぞは、若い頃はそれはやんちゃでなぁ……それに、お主なら数人囲ったとしても、平等に扱ってやれるじゃろ?」
凄い人というか、神様を比較対象に持ってきたな!
「そんな甲斐性、俺には無いですよ……」
異世界物の定番の、ハーレム主人公設定が来ちゃったみたいだが、清い男女交際程度の経験しかない俺には、観世音菩薩様の言う事は無理ゲー過ぎる。
「お主の方でも、憎からず想っておるじゃろうに……人の心とは難しいのぉ」
「いや、まあ、そうですね……」
好意を貰って嬉しいのは確かだ。なんたっておりょうさんは、美人で気風もいいし。でも少しミステリアスな部分もあるんだよな。そこも魅力だけど。
ヴァナさんも勿論、美人だけど、あの人が俺に対して仕事以上の感情を持ってくれているのかどうか……うん、無いな。
「まあ話を戻すか。我が何もせんでも、この娘は比較的運勢は悪くない方じゃぞ」
「そうなんですか?」
「うむ。わかりやすく言えば、五等まであるクジを引けば、必ず一等を引くとまでは言えんが、絶対に末等は引かないくらいには運気が良い」
観世音菩薩様の言葉の内容は、思ってたよりも微妙な感じがする。でも、おりょうさんはサバイバルになった時には、必ず生き延びるタイプって事かな。悪運の底が浅いんだろう。
「神様にこんなことを言うのも悪いとは思いますが、そのおりょうさんの運の良さで、俺はいい買い物を出来て、ここに連れて来て貰ったんですから、何卒、お願いします」
もう一度、俺は観世音菩薩様に丁寧に頭を下げた。
「ならば勿体ぶらずに、魔除け、厄除けの祝福を授けよう。これが本来の我の、観世音菩薩としての権能であるしな」
観世音菩薩様は、祈りの姿勢のおりょうさんの額に、梵字と思われる物を指先で描いた。
「ふん」
観世音菩薩様が一声発すると、指先から光が迸り、おりょうさんの額の梵字に吸い込まれ、やがて梵字も消え去った。
「これで、クジならば必ず三等くらいは引けるじゃろうし、揉め事に巻き込まれたりする事も減るじゃろう」
「そうですか。ありがとうございます」
祝福を授けて頂けただけでもありがたいんだが、なんか微妙な感じはするな。
「そうがっかりした顔をするでない。これ以上は世の理を崩すゆえ、相当に熱心な信者にでも無ければ、それ程与えることは出来んのじゃよ」
「あ、そういう事ですか」
これがヴァナさんの言ってた、信者へ分割して与える恩恵の量というやつか。それにしても、そんなにがっかりした顔をしていたんだろうか? 神様に対して不敬過ぎるな。
「ご無理を言いまして、申し訳ありません」
「なに。確かにお主の言う通り、この娘の手柄は大きいからな。何もせずに返しては、我が名が廃るというものよ。では、そろそろお互いに、本来の時の流れに戻るとするかの」
「はい」