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どら焼き(仮)

 どじょう鍋用の出汁を調合し、串揚げの具材と衣と、つけ汁、つけダレの用意を終えた俺は、ついでとばかりにもう一種類用意を始めた。


「御主人、蕎麦粉の衣出来たよ……って、何してんの?」


 俺が木の泡立て器でかき混ぜている物が気になったのか、黒ちゃんが手元を覗き込んできた。


「ここは若い女性が多いから、喜ばれるんじゃないかって思ってね。お菓子だよ」

「お菓子!」


 相変わらずこのワードに敏感な黒ちゃんは、声を上げて表情を緩ませた。


「ちゃんと黒ちゃん達の分も作るから、つまみ食いはダメだからね?」

「うっ! わ、わかってるよ!?」


(多分、わかってなかったな……)


 どうも甘い物には黒ちゃんは歯止めが効かないようだから、少し注意しないと危ない。


「ふむ……黒ちゃん、白ちゃん。これあげるから、食べる間ちょっと休憩してて」


 江戸から旅に出た日から消費していないので、まだまだ数があるアイスクリームを二つ取り出して、黒ちゃんと白ちゃんに示した。


「おう!」

「承知したが、主殿、俺は別に疲れていないが……」


 黒ちゃんは嬉々として受け取ったが、白ちゃんは素直に受け取りはしても、少し不本意そうだ。


「黒ちゃんと白ちゃんの、どっちも同じくらい役立ってくれたって事で、報いてあげたいんだけど、ダメ?」

「っ! そ、その言い方は、ずるいぞ……」


 なんでか、顔を赤くした白ちゃんは、誤魔化すように大きく口を開けてアイスクリームに齧りついた。


「? まあ、食べながら休憩しててね」


 俺の方でも白ちゃんへのリアクションに困ったので、生地をかき混ぜる作業に戻った。



 夜のまかないにも少し早い時間なので、各種の料理の仕上げをする前にお菓子作りを始めた。


「親方。そいつは?」

「お菓子なんですけど。あ、貞吉さん、小豆餡なんかは手に入りますか?」


 少量の生地を鉄板に流し込んで、次々に焼いているのを覗き込んできた貞吉さんに尋ねた。


「ここには無いですが、出来合いで良ければ買ってこさせますよ?」

「ああ、出来合いもあるんですね。なら、代金は俺が出すので、そうですね……買えるようなら十キロ程、買ってきて下さい」


 茶屋か菓子店にでも売っているのだろうか。少し手元にもあったらと思っていたので、良い機会なので多めに買っておこうと、俺は相場がわからないので銀貨を五枚取り出して手渡した。


「お、親方!? こいつは多いですぜ。一枚でもお釣りが来ますよ」

「そうなんですか?」


 砂糖が高価なので比例して小豆餡も高いのかと思ったが、それ程では無かったようだ。


「お釣りは、使いに出た人へのお礼って事で」

「俺が行きます!」

「いや、俺が!」


 修行中なので給金も多くは無いのだとは思うが、俺が言った途端に複数の希望者の手が上げられた。


「てめえら……行く野郎は駄賃が貰えるが、修行が疎かになるってのはわかってんのか?」

「「うっ!」」


 手を上げた人達はお金は欲しいみたいだが、決して楽をしようとかいう意図で手を上げたのでは無かったらしく、貞吉さんの指摘に声を詰まらせた。


「はぁ……最初に手を上げた、お前が行って来い! だが戻ったら、出掛けてた時間の分の修行もするんだぞ!」

「へいっ!」


 少し呆れ気味の貞吉さんの指示で、若い料理人が外へ駆け出した。


(走らなくてもいいんだけどな……)


 本人がやる気になっているみたいなので声には出さなかったが、特に急ぎで必要な訳でも無い小豆餡のおかげで、椿屋の厨房の結束の高さを垣間見る事が出来た。


「小豆餡が届く前に。貞吉さん、ちょっと味見をお願いします」


 焼き上がった物を鍋から取り出し、そのままでは熱いので小皿に載せて貞吉さんへ渡した。


「わかりやした。これは、なんとも甘い香りで……」


 貞吉さんは菓子の見た目や香りなどを、熱心に観察している。物凄く研究熱心だ。


家主貞良(カステラ)というお菓子を、俺なりに作り易い形にした物です。冷めてもおいしいんですが、先ずは焼き立てをどうぞ」

「頂きます……こりゃあ口の中いっぱいに、卵の風味と焼けた部分の香ばしさが。それに、こんなふわふわと柔らかい食感は初めてです……あっしは甘い物は、あまり好きじゃないんですが、これならたまに食べたいと思いそうです」


 言われてみれば、こっちの世界の日本ではまだパンが一般的では無いので、カステラのような食感の物は無いかもしれない。


 ごくり……


「ん?」


 貞吉さんの試食する姿を、黒ちゃんと厨房の人達が、文字通り垂涎の的にしていた。


「お前ら……」

「貞吉兄さん、親方の作る物がうまそう過ぎるんですよ……」


 見つめる視線に貞吉さんが呆れているが、俺としては褒められたので悪い気はしない。


「実際にうまいからな!」


 黒ちゃんがこう言ってくれるのは嬉しいのだが、今は火に油状態なので、少しだけ自重して欲しかった。


「親方! 小豆餡買ってきましたよ!」


 その時、お使いをお願いした若い料理人が、大きな鍋を肩に担いで戻ってきた。


「ありがとうございます。あの、この鍋は?」


 受け取って調理台に置いた鍋の木蓋を開けると、こし餡がぎっしりと詰まっている。


「餡餅を扱っている茶屋に売ってもらいに行きましたら、適当な容れ物がないので鍋ごと持って行けと言われまして。鍋は明日、返却すればいいとの事です」

「わかりました」


 言われてみれば、ビニールやプラスチックなんか無いので、こっちの世界の包装材はそれ程多様では無かった。


(どっかで適当な鍋を調達するか? 後で黒ちゃんか白ちゃんに買ってきてもらおう)


 思い出せば、当初は俺と黒ちゃんと白ちゃんの三人の旅の予定だったので、元から持っていたり買い足した調理器具程度で間に合うと考えていた。


 ここへ、おりょうさんと頼華ちゃんが増えて五人旅になったし、道中でイレギュラーが発生する可能性も無きにしもあらずなので、少し大きめの鍋なんかは必要だ。



「じゃあこれで仕上げをして、試食しましょう。黒ちゃん、はい。白ちゃんも」


 少し味見をしたこし餡は、青福で食べた物と同じような、黒砂糖の濃厚な甘味とコクがある。もしかしたら、青福から買ってきたのかもしれない。


「わはー! 待ってました! 頂きまーす!」

「頂きます」


 小さく焼いたカステラ生地で小豆餡を挟んだ、現代では、どら焼きとか三笠と呼ばれている物の再現品だ。


「んまーっ!」

「ふむ。甘さに甘さでも、意外に合うものだな……濃いめに入れた茶を飲む時に良さそうだ」


 白ちゃんは通常営業だが、黒ちゃんの激しい反応を見ると、出来は悪く無さそうだ。


「貞吉さん、どうぞ」


 黒ちゃん達の物よりは控えめに餡を挟んで、貞吉さんにも手渡した。


「頂きます……むぅ。こ。こいつは、うまいんだとは思うんですが、あっしにはどうも……」


 甘さに甘さは、どうやら貞吉さんの口には合わなかったようだ。


「やっぱり甘過ぎましたか?」


(生地の方に使っているのも黒砂糖だから、かなり口当たりも重めだしなぁ)


 甘さのダブルというよりは重層なので、苦手だという貞吉さんには、かなりきつそうだ。


「ええ。ですが、女子供の好きそうな味なのは、間違いないと思いやす。姐さん、あっしの食いかけで良ければいりますか?」

「おう!」


 貞吉さんから受け取ったどら焼き (仮) を、食べかけというのを全く気に留めた風も無く、黒ちゃんはモグモグと幸せそうに食べている。


「主殿、これは確か、以前に鎌倉でやってみると言っていた物だな?」


 源の奥方、雫様との会話を覚えていたらしい白ちゃんが、試食しながら呟いた。


「覚えてた? うん。ここなら女性が大勢いるから、大量に小豆餡があっても大丈夫だろうと思ってね」


 自前で餡を煮るんじゃなくて買ったのだが、作るにしたって少量にはならなかったと思うので、試作にも試食にも良いタイミングだったろう。


「あっしには甘過ぎですが、こいつは箸なんかを使わなくても、餡で手が汚れたりしないのはいいですね。中に挟む餡も、白餡とかに変えられますし」

「あー……そこまでは考えていませんでしたけど、そういう利点もありましたか」


 手掴みで食べること自体が下品と取られる場合もあるし、衛生面を考えると少し問題なのだが、簡単、手軽というのも悪い事ではない。


(でも白餡か……枝豆をすり潰したズンダ餡とかも良さそうだな)


 手持ちには生クリームもあるが量が限られるので、ちょっと使うのが勿体無い。


「この菓子は、働いている女連中は喜ぶと思いますぜ」

「作り方自体は難しくありませんから、後で粉の分量なんかを教えますね」

「ありがとうございます」

「それじゃ、焼き上がった分だけ、完成させちゃいますかね……」


 試食分を除いて、完成させると数十個あるが、どうやら余る事は無さそうだ。



「お藍さんのお客様、蘭の間に入られました。お酒とお食事、お運びします」

「はい」


 事前に椿屋さんとお藍さんにコンセプトを説明して、俺が作った料理をお客さんに試してもらおうと言う事になった。少し注意が必要なので、俺も運ぶのを手伝う。


「失礼致します」

「失礼致します」


 給仕を担当するおせんさんに続いて俺も部屋に入り、料理のセッティングを始める。


「む? これは油か? 今日は、何を食わせてくれるんだ?」


 お藍さんの相手は、身なりからすると武家のようだ。あまり見ないようにするが、声はまだ若い感じだ。


「今日は新しい料理をお出しするのですが、旦那様にもお手伝い頂きたいのですよ」


 聞き慣れたお藍さんの声は元々、高く澄んで耳通りが良いのだが、仕事モードに切り替わっているからか、目に見えないしっとりとした艶が含まれているように感じる。


「何? 俺が手伝うのか?」


 もてなされる側の客が手伝いをと言われたので、少し声に驚きが混じっている。


「あいあい。兄さん、ちょいとやって見せてくれますか?」

「はい」


 申し合わせていた通りに、お藍さんが俺に話を振って来たので、料理の手本を見せる。


「こちらの容器に衣になる物が入っていますので、この串に刺した具を浸けまして、その後で油に入れて下さい」


 現代でも卓上コンロなどを使って、同じ様に串揚げを行うが、元の世界の江戸時代以前は、火事になる恐れがあるので屋内で火を扱うのを嫌い、屋台で行われる事が多かった。


 こっちの世界でもその常識は当てはまるのだが、鍋物程度なら箱火鉢などで座敷でも出すし、今回は俺が不動明王の権能を使って、鍋自体を発熱させるので火災の心配は無いから、鍋をひっくり返したりしなければ問題は起きないだろう。


「ほほぅ……海老に貝に魚か。刺し身や焼き物には飽きていたが、串に刺してあって食い易そうだし、好きな具だけ追加も出来るな。これは良い」

「それだけじゃございませんですよ」

「ふむ?」

「はい。あーん」


 鮑の串揚げに抹茶塩を付けた物を、お藍さんが客の口元に差し出した。


「む……あ、あーん……うむ。うまいな。揚げたてだが、一口大だから火傷などは大丈夫なのか?」


 最初は熱さに驚いて表情を変えたようだが、次の瞬間には衣の歯応えと火が通って旨味が増した、鮑の味への驚きへと変わったようだ。


「そうでございますよ。さ、もっとお召し上がりになりますか?」

「うむ、その前に。お藍、お前も食え」


 客は白身魚の串揚げを天つゆに浸し、お藍さんの口の前に差し出した。


「ま。お優しい事。それでは頂きますね。あーん……ああ、旦那様の手から食べていると思いますと、一層おいしく感じますわぁ」


 演技などでは無さそうに、串揚げを食べたお藍さんの表情が柔らかく(ほころ)んだ。


「そ、そうか?」

「ええ。とっても」


 客もお藍さんも、狙い通りの効果ががあったのを確認して微笑み合っている。

 

「それでは、料理の追加などございましたら、お呼び下さい。失礼致します……」


 客とお藍さんにはいい雰囲気の、俺にとっては甘々で居心地の悪い雰囲気になった部屋を、おせんさんと並んで頭を下げて後にした。


(とりあえず、感触は悪く無さそうだったな……)


 おせんさんと一緒に厨房へ向けて歩きながら、俺は出した料理の手応えを、少なからず手応えを感じていた。


 多めの油という取扱いの難しい物ではあるのだが、客と遊女の料理という共同作業は、雰囲気作りに良いのではと申し出て、椿屋さんとお藍さんの承諾を受けて実験的に出してみたのだ。


 お藍さんの絶妙な客あしらいもあって、俺の見た目には味以外にも、雰囲気作りのツールとして料理が機能していたように映った。


(でもまあ、味の方も良くなくっちゃ、話にならないけどね)


 雰囲気作りのツールとは言っても、客に見向きもされないような料理は、少なくとも俺は出したくないと思っている。


「鈴白様、どうでございましたか?」

「親方、どうでした?」


 厨房に戻った俺とおせんさんを、椿屋さんと貞吉さんが待ち構えていた。料理の反応が気になって仕方がないのだろう。


「料理自体も、女性と一緒に作って食べるというのも、悪く無い感じでした」

「そうですか……」

 

 信頼をしてくれているし、ある程度以上の勝算を感じたので椿屋さんも出す事を承諾してくれたのだろうけど、やはり実施して結果が出るまでは心配だったようで、今は心底ホッとした表情をしている。


「ええ、本当に。お藍さんもお客様も、とっても良い雰囲気になっていらして」

「まあ、親方が考えた物なので、あっしは心配はしていませんでしたがね」


 おせんさんの報告を聞いて、貞吉さんが調子のいい事を言う。


「お客さんに飽きられないように、今後は具材の研究は貞吉さんがして下さいね?」

「こいつは手厳しい。ですが親方、何か少しだけ、具材に関しての助言を貰えませんかね?」


 江戸で食べたかき揚げや、魚のすり身を揚げた物以外は、天ぷらやフライという調理法ははまだ発達していないみたいなので、少しくらいのヒントは必要だろうか。


「んー……季節ごとの魚介類は一通り試して見た方が良いと思います。後は山菜とか茸とか」


 穴子やイカなどの定番の例を上げてもいいのだが、元の世界には無い発見があるかもしれないので、ここは最低限のヒントだけにしておく方が良さそうだ。


「成る程。山菜かぁ……」

「つけ汁やつけダレの方も、考えて下さいね?」

「むぅ……親方、もういっその事、伊勢に定住して下さいよ」


 貞吉さんは手っ取り早く新メニュー開発を解決する方法を、俺に依存しようと考えたようだ。


「ダメですよ。お世話になっている身ではありますけど、俺はあくまでも客分ですから」

「ダメですかぁ?」


 仕事は出来る人なのは間違い無いのだが、貞吉さんが情けない声を出す。


「貞吉が言うように、私には跡継ぎがいないので、鈴白様がこの地に留まって、跡を継いで下さるのが一番なのだが……」

「あの、何言ってるんですか?」


 新メニューどころか、椿屋さんは店そのものを俺に押し付ける気だったようだ。


「いや、旦那。鈴白の親方は、料理人や遊郭の主人に収まるって器じゃござんせんよ」

「それはそうなのだが……」

「綺麗な姐さんを何人も引き連れて、料理も上手いし腕っぷしも強い。今日なんざ買い物に出した奴に、ちゃんと駄賃まで渡すって気風の良さでさぁ」


 一応、貞吉さんは事実に基づいて俺の評価をしてくれているのだが、なんか時代劇の主人公のように言われてしまって、非常に居心地が悪い。


「お料理済んだので、下げてくださいな!」


 パンパンと手を叩く音の後で、お藍さんの良く通る声が聞こえてきた。


「油が熱いでしょうから、俺が行ってきます」


 お藍さんの声を渡りに船とばかりに、俺は厨房を後にした。



「失礼致します」


 頼華ちゃんに教わって最低限だけ覚えた、作法を思い出しながら礼をして入室し、衣や揚げ油の入った器を盆の上にまとめる。


「鰻の串焼きを一通りとひつまぶし、お酒のお代わりをお願いね」

「畏まりました」


 串揚げは量自体は多くないが、続けて串焼き一通りにひつまぶしとは、相当に健啖家な客のようだ。


「ちょっと待て」


 退出しようと立ち上がりかけたところで、客から声が掛かった。


「何か?」


 付け焼き刃の作法なので、何か失礼な事をしたのかと思い、客の方へ向き直って軽く頭を下げた。


「うむ。いつもの代わり映えしない焼き魚や煮物などと違って、今日は趣の違う料理で味も良かった。少ないが取っておけ」


 客が頭を下げる俺の前に、ポチ袋を差し出してきた。いきなり成果が出るとは思わなかったが、どうやら良い評価を頂けたようだ。


「ありがとうございます。料理人も喜ぶでしょう」


 料理人は俺なんだが、この料理に関しては下拵えだけで、実質はお藍さんと客の手で作られているので、おいしい成分の大半は共同作業の分だろう。


「それでは、失礼……」

「む? もしやそなた、鈴白とかいう者か?」


 頭を下げて、今度こそ退出、と思ったら、不意に名前を呼ばれた。


(この伊勢で、武家で、俺を知っている……となると)


 来てから日の浅い伊勢で武家の知り合いは、女性は織田の朔夜様。男性は……。


「もしや、松永様でしょうか?」

「おお。やはりそなたであったか。奇遇であるな」

「まったくでございます」


(うわぁ……朔夜様の関係者に、見つかっちゃったか)


 平静を装ってはいるが、内心では凄く焦っていた。


「この店で働いていたのだな?」

「は。主人を助けました縁で、少しの間だけですが」

「そうか。俺は時々ここを利用しているので、働いている間にまた来る機会があったら、宜しく頼むぞ」

「はい。畏まりました」


 体感では物凄く長く感じた短い会話を終え、廊下に出てから室内に聞こえないように気をつけて、長い溜め息をついた。


(自分が遊郭に通っているのを、松永様が朔夜様に言うとは思えないが……考えても仕方がないか)


 頼華ちゃんを負かした相手が俺とはバレていないので、所在がわかったところで問題は無いと思いたいが、今日、松永様と出会った事で、妙な縁を感じずにはいられない。


(……場合によっては、明日にでも逃げ出す事を考えよう)


 我ながら消極的ではあるが、負けたら大怪我、勝ったら朔夜様と……こんな分の悪い賭けは願い下げだ。



「同じタレの味付けなのに、小さく切って串に刺しただけで、味が変わるものですなぁ」


 接客や作法の指導を終えたおりょうさん達と共に、鰻の串焼きを口に運んだ椿屋さんが目を細めた。


 貞吉さんを始めとする厨房の人達には、試作がてら味見をしてもらったが、実験的に客である松永様に出すのが先になってしまい、何故か店主の椿屋さんの味見が後回しになるという、不思議な現象が起きてしまっていた。


「すいません。本来でしたら、椿屋さんの許可を得てからお出しするべきだったのでしょうけど……」


 新しい事が必ずしも良い事だとは言えないので、もう少し慎重になるべきだったのだが、接客を受け持つお


藍さんに、新メニューを試してもらうにはもってこいの客だと言われ、松永様へ出す事になってしまったのだった。


「本来でしたら確かにそうなのですが、お客様には御満足頂けたようですから、構いませんよ」

「そう言って頂けると……」


 今回はうまく行ったが、事後報告で結果オーライというのは決していい事では無いので、今後は気をつけよう。


「それに、お藍と厨房の方を叱るにしても、お客様である鈴白様には、なんの責もございません」

「だ、旦那。申し訳なく……」


 貞吉さんが謝罪の言葉を口にしながら、椿屋さんへ深く頭を下げる。


「新しい事を試したいお前の気持ちはわかるが、今度だけですよ?」

「は、はいっ!」


 客商売は信用第一なので、ある程度まで保守的になるのは、仕方のない事なのだろう。


「それでは、夕食を兼ねた試食の続きをしましょうか」

「では次は肝焼きとうざく、それとうまきをどうぞ」


 どうやら椿屋さんも、これ以上は苦言を呈する気は無さそうなので、ホッとした俺は串焼きの皿を下げて、新たな皿と小鉢を差し出した。


「ほう。肝焼きはほろ苦く、うざくはさっぱりと、どちらも酒の肴や、味覚を変えたい時には良いですな。そしてこのうまきという料理の、とろりと溶けるような味わい……どれもうまいですなぁ」


 機嫌も直ったらしい椿屋さんは、うまきを口にしてニッコリと笑った。


「うまきはおいしいですよねぇ。あたしも大好物なんですよ」

「余もです!」

「あたいも!」


 ひつまぶしを食べて、鰻の味を懐かしんでいたおりょうさん達だったが、特に好きなうまきが出ると、本当に嬉しそうだ。


「主殿のうまきは、味が良いだけでなく、焼き方も素晴らしいのだ」

「わかります。味加減も良いですが、この焦げ目が無く、ふんわりとした焼き上がりに出来るのは、相当な腕前でなければ……」

「いや、そんな……」


 白ちゃんの言葉を継いで、椿屋さんが過分な評価をしてくれたが、今日までにかなりの数を作っているので、綺麗に焼けるようになっているのは単に慣れの問題だろう。



「この菓子は、なんとも茶に合いますなぁ……」


 一通りの試作品の味見を終えて、どら焼きを食べながら椿屋さんが、しみじみと呟いた。


「甘過ぎたりしませんか?」

「ええ。私は酒も甘い物も、両方大丈夫な口でして。これ貞吉。今後、私の茶請けにはこれを出して欲しいから、きちんと作れるようになっておくれ」

「へいっ!」


 気に入ってくれたのは嬉しいが、貞吉さんに指図した椿屋さんが、激太りしないかが心配になった。


「お父さん。このお菓子、姐さん達の休憩の時にも良さそうですね」

「そうだな。ある程度は腹持ちも良さそうだし、忙しい時の食事代わりにも使えるか」


 おせんさんの言葉に椿屋さんが相槌を打つが、俺としては聞き流す事が出来なかった。


「いや、お菓子を食事代わりには……せめて、ひつまぶしの時の出汁茶漬けのような物をですね」


 どら焼き (仮) は栄養価は高いし、手で持ってサッと食べられるのは確かだが、個人的には食事はちゃんとした物を食べて欲しい。


「身体の事がございますので、私としても出来るだけ食事はちゃんとさせたいのですが、座敷が重なってしまう時などがございまして……」

「ええ。俺の方でも出来るだけと、思っているだけですから」


 江戸の大前で働いている時にも、昼の営業の終了時間ぎりぎりに来店する客などで、まかないの時間がずれ込んだり、夜の営業時間には酔っ払っていつまでも帰らない客がいたりしたので、従業員に皺寄せが行くというのが良くあるのはわかっている。


「ところで鈴白様。この菓子は、なんという名で?」

「えっ!?」


 当たり前といえば当たり前の質問を椿屋さんにされたが、言葉に詰まってしまった。


(どら焼きは確か、ジャーン! と鳴らす銅鑼が由来らしいから、そのまま使っても大丈夫そうだけど……三笠という名称は、山の形に似てるからだっけ? 山が丸いのか?)


 生地を焼いて餡を挟むという菓子は古くからありそうだが、カステラやホットケーキのような甘い生地を焼いた物に餡を挟んだのは、どう考えても古くからは無くて、ネーミングされたのも近代以降だろう。


(江戸の安産祈願の神社の門前町の名物お菓子は、生地は同じだけど製法はたい焼きに近いからなぁ)


 元の世界にも存在する焼き菓子は様々な形があるが、地名や神社由来のネーミングなどにはなっていないので、参考にならない。


「実は、まだこの菓子に名前は無いんですよ」

「ほう? では、何か名前を付けて、伊勢の名物にしてしまっても大丈夫でしょうか?」

「それは……大丈夫、かな?」


 何気無く作った物が、江戸の大前の看板に書き込んだ「元祖鰻蒲焼」のように、一人歩きを始めようとしている。


「伊勢の名物だから「伊勢焼き」ってのは、ちょいと安直かねぇ」

「悪くはないと思いますよ」


 おりょうさんのネーミングはストレート過ぎる気はするが、名物ならば覚え易さも重要だろう。


「兄上が考えたから、「鈴白焼き」が良いと思います!」

「おお、名案ですな!」

「いや、それは……」


 他の人がやるのは気にしないが、商品名や社名に自分の名字をつけて、いい気になるような趣味は俺には無い。


「それじゃ、ごしゅ……」

「うん。黒ちゃんはちょっと黙ってようね」


 御主人に焼きと続けようとした黒ちゃんの口の前にどら焼き (仮)を持っていくと、嬉しそうにかぶりついた。


「伊勢神宮に祀られている神に、由来するような名が良いのではないか?」


 非常に建設的なアイディアを、白ちゃんが出してくれた。


「伊勢神宮といえば、豊受大神(とようけのおおかみ)様と、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)様ですね」

「豊受大神様の象徴といえば、稲穂です」


 椿屋さんが言うには、豊受大神様は産業の中でも農耕、特に米作りや酒造りといった産業を守護する神様で、象徴が稲穂なのだそうだ。


「食生活に欠かせない物を守護して下さっている神様ですが、このお菓子との関連は低いですね」

「「稲穂焼き」って名前をつける訳にもいかないしねぇ……」


 おりょうさんの言う通り、稲穂焼きというネーミングでは菓子というよりは、何やら農法のようだ。


「となると、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)様に由来する物ですね」

天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)様といえば……御神体でもある三種の神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)ですね」


 元の世界では、伊勢神宮の物、皇室にある物の他、数箇所の神社などに八咫鏡(やたのかがみ)と呼ばれる物が存在しているが、内宮で御本人 (神?) に出会ったのだから、伊勢神宮にあるのが本物なのだろう。


(あ、全部本物で、現世に顕現するための通路みたいになっている、なんて事も考えられるのか……)


 些かSFちっくな考え方な上に、今はどうでもいい事なので、頭の隅に追いやった。


「菓子の形が丸いから、鏡ってのはいいんじゃないのかい?」

「「鏡焼き」ですか?」


 おりょうさんに言われて、そのままの名称を口に出したが、どうなんだろう。


「「八咫焼き」では、少々不遜な感じがしますね……あ、八咫鏡(やたのかがみ)の事を宝鏡。神鏡などとも呼びますが」

「「宝鏡焼き」か、「神鏡焼き」ですか?」


 椿屋さんが新たな候補を出してきたが、これは俺だけが感じているのかもしれないが、どうにも神器を焼くというネーミングに抵抗がある。


「「鏡焼き」「宝鏡焼き」「神鏡焼き」どれも甲乙つけがたいですね」

「……そうですね」


 観光地で売っている土産物のネーミングなんてこんなもんかな? とも思わなくもないが、俺は積極的に賛同する気にはなれない。


「……いっそ、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)様御自身に、お伺いを立ててみましょうか?」


 正直なところ、どのネーミングでも失礼になる気がするので、絶対にダメな物を指摘してもらうだけにでも、参拝して現物の奉納をして、お伺いを立てるのが正解な気がしてきた。


「し、しかしそれはっ!」

「もしも、参拝しても何も無ければ、逆説的に問題が無いという事でもありますし」


 椿屋さんは、神様を煩わせるのに抵抗があるようだが、さっきの試食のように見切り発車をして、後々になって面倒が起こるよりはいいと俺は思っている。


「作った張本人の俺が参拝してきますから、バチが当たるにしても俺だけで済みますよ」


 バタフライエフェクトの怖さを感じるが、俺自身がやってしまった事なので、俺が始末をつけるのが筋と言うものだろう。

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