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番付

「お味はどうですか?」


 椿屋さん、お藍さん、おせんさんに、試食用に作ったひつまぶしの感想を尋ねた。


「鰻は酒に合うと思っていましたが、御飯にも合うのですなぁ。タレの染みた御飯が実にうまい」


 鰻の味と香りに、椿屋さんが目を細める。


「次は、薬味を載せた物をどうぞ」

「ん……葱と海苔の風味が良いですね。お父さん、あたしはこっちの方が好きです」

「そうかい? 私は、そのままの方が良いけどねぇ……」


 おせんさんは薬味を載せた方が気に入ったようで、どうやら椿屋さんとは好みが分かれたようだ。


「次は出し掛けです」

「ああ、お出汁の良い香りに、鰻の香りと脂が溶け出して……これ、急いで食事をする時にも良さそうですね」


 味もなのだろうが、出汁を掛けた鰻は、実用的な部分でお藍さんに気に入られたようだ。


「ゆっくり食べられるに越した事は無いんでしょうけど……確かにそうですね」


 急いでお客さんの前に出なかればならない事もあるだろうから、お藍さんの言う事もわかるのだが、食事は全ての基本だと思うので、出来れば疎かにはして欲しくは無い。


「椿屋さん、この店を利用する人の、飛び込みと予約の比率はどれくらいですか?」

「お目当ての娘が他の客についているという事が無いように、予約が大半ですね」


 無論、電話なんかは無いので、客か代理が直接来るのだろうが、その気で来店して肩透かしを喰らわないように、ちゃんと考えている客が多いみたいだ。


「でしたら、食事がいるお客さんには事前に好みが訊けるし、時間的な余裕も出来ますね?」

「それはまあ、そうですね」


 余程の緊急事態にでもならない限り、この手の店の予約のキャンセルは無さそうだし、料理で客の好きな物を出す事が出来るので、更に喜んでもらえるだろう。


「鰻は調理の時間が長めなので、今お出ししている料理は、江戸では酒を呑むのを主体で来るお客様への献立でして、昼は手早く食べられる丼だけをお出ししていたんです」


 とはいえ、串焼きなどの比較的提供の早い料理も用意して対応はしていた。


「ははぁ。仕事の後で酒を呑むお客様は、時間的にも余裕があると……そこも、お客様の立場でお考えになったのですね」

「そういう事です」


 昼の部で、鰻の味を知ってもらって夜も、というのも目的だったのだが、ここ椿屋は既に人気の店舗なので、客寄せは考えないでもいいだろう。


「江戸と同じで最初は鰻に抵抗があるお客さんが多いでしょうけど、お藍さんを始めとする女性達が試すだけでもと言えば食べて下さるでしょうし、一度食べてもらえれば」

「気に入って、また御注文下さるお客様は、多いと思います!」


 力強く言ってくれたところを見ると、お藍さん自身が相当に鰻を気に入ってくれたようだ。


「それに、鰻は精がつくっていいますから、ここのお客さんにはもってこいの食べ物かもしれませんねぇ」

「ほほぅ?」

「ま……」


(おりょうさん、何故そこで俺を見るかな……)


 椿屋さんが興味深そうに一言発し、おせんさんが頬を赤らめて俯く中、発言主のおりょうさんは、意味ありげに俺に視線を送ってきた。


「夕食には、他の鰻料理を作って出しますから、期待していて下さい」


 気にはなるが、おりょうさんの視線は無視して話題を変えた。


「「「はいっ!」」」


 言ったのは俺なんだが、相当に期待されてしまったようで、椿屋さん、お藍さん、おせんさんの大きな返事が重なった。


「ところでおりょうさん、接客の指導の方は順調ですか?」

「ん……まだまだだねぇ」


 さらさらと、出汁を掛けたひつまぶしをおいしそうに掻き込んでいたおりょうさんの手が止まり、表情が曇った。


「そ、そんなにダメな状況でございますか?」


 おりょうさんの微妙な反応に、椿屋さんが慌てた様子で問い掛ける。


「どうもねぇ。客の目的は決まってるんだから、接客なんかどんなでも関係無いって考えが、抜けないみたいなんですよねぇ」

「そ、そうですか……」

「あたしゃ江戸では蕎麦屋をやってたんですけどね、給仕に気持ち良く迎えられて食べて帰ったら、また来てやろうかって、思ってもらえるんですがねぇ」


 現代でも味で勝負をするという愛想の無い店はあるが、媚びる必要は勿論無いのだが、商売や仕事を客本位で考えないのは。個人的には問題があると思う。


「まあ最初からこうなるって思ってたから良いんだけど、ここで真面目にやっておくと、いずれはお客からの心付けとかで、差が出るんだけどねぇ」


 気分を変えるように、おりょうさんは淹れてあった少し冷めたお茶を一気に飲み干した。


「あ! おりょうさん、それです!」


 真面目に働いた人が報われて、やる気を出す。おりょうさんに良いヒントを貰った。


「そ、それって、良太、何がだい?」


 何の事かわからず、おりょうさんがキョトンとしている。真面目な話の最中だが、こういう表情も可愛いなとか思ってしまう。


「いま説明しますけど、その前に。椿屋さん、下働きの人達の給金は一定ですね?」

「え? ええ。努めている年数などに応じての金額ですね。お客様から頂く心付けなどは、各自の物にしていいと申し付けております」


 現代企業とかと違って定期昇給でも無さそうだし、多分だが、たまの気持ち以外のボーナスなんかも無いのだろうけど、そこら辺は椿屋さん以外の店でも同じと思われる。


「接客が良かった人へ、少しだけ給金を上乗せする事は出来ませんか?」

「えっ!? そ、それは考えてもみませんでしたが……あ、成る程。鈴白様の言わんとする事がわかった気がします。ですが、良し悪しの判定を、どのようにすれば宜しいので?」


 椿屋さんはサービスの評価システムをどうするのかと考えているようだが、実はそれ程難しく考える必要も無いのだ。


「そんなの、店を利用したお客様に訊けばいいんですよ」

「……あっ!」


 どうやら椿屋さんは、俺の思いつきを理解してくれたようだ。


「あの、鈴白様、お父さん、どういう事です?」

「わ、私にも、良くわからないのですが……」


 労使間の差だろうか、雇われている側のお藍さんとおせんさんは、表情からして俺の話を聞いてもピンと来ていないのが見て取れる。


「簡単ですよ。お客様が店から出る時に、こう訊くんです。「本日は御利用ありがとうございます。ところで、接客の方は行き届いておりましたか?」と」

「「あ!」」


 俺の説明で、お藍さんとおせんさんも理解してくれたようだ。


「この、お客様からの意見を椿屋さんの方で把握して、例えばですが、評判の良かった人には特別手当を出すとか、お休みをもらえるとかにしてはどうでしょう? そうすれば、競って接客を良くしようと考えるんじゃないかと」


 今のところは机上の空論だし、実行するかどうかは椿屋さんの裁量だ。


「お父さん。鈴白様のいま仰った特別手当、私が出しますよ」

「お藍?」


 お藍さんの思わぬ申し出に、椿屋さんが目を見張った。


「案内や給仕が良ければ、私も助かりますしね」


 客を相手にするお藍さんにとっては、給仕や案内が良く働いてくれると、自分も楽で快適になると判断したようだ。


「いや。それはやはり、店主である私が出すべきだろう」


 しかし、この辺はさすがに大店の主人というところだろうか、椿屋さんは多少の出費よりも実利を取りに来た。


「お父さん、それじゃ……」

「うむ。鈴白様は、面白い事をお考えになりますなぁ」

「面白い、ですか?」


 微妙に椿屋さんに褒められている感じがしないので、思わず首を捻ってしまった。


「下働きや厨房、遊女にも、これからは毎月、番付を決めましょう」

「「ば、番付!?」」


 椿屋さんの言葉に、戸惑いを隠せないお藍さんとおせんさんのが驚きの声を上げる。 


「そうだ。良い給仕で褒められた者や、良い料理を出したり、新しい料理を考えたりした者というのもありだ。無論、どれだけお客様を満足させたかというのもな」

「ああ、そう来ましたか……」


 俺は単に成績トップを優遇した方がいいという意見を出したのだが、椿屋さんは相撲のように番付を決めて、序列に応じて優遇しようと言うのだ。


「ふふふ。お藍、お前は古市では三本の指に数えられているが、さて、この店の中で一番で居続けられるかな?」

「うふふ。お父さん、働いている間はこの店……いいえ、伊勢で一番の座は、誰にも渡しませんよ」


(うわぁ……お藍さんの笑顔、一瞬前までとは別人みたいに艶っぽいな)


 椿屋さんの言葉にプロフェッショナルな部分を刺激されたのか、お藍さんが妖艶な微笑みを浮かべる。


「あの……競争が主体じゃなくて、あくまでもお客様の気持ち良く利用して頂くのが目的ですからね? それと、あくまでも公平で公正にですよ?」


 下手をしたら、番付上位を狙うためだけに客が利用されかねないので、手段と目的が入れ替わらないように、念を押しておく。


「大丈夫でございますよ」

「ええ。大丈夫です」

「そうですか? えっと、頼華ちゃんの指導の方は、大丈夫だった?」


 椿屋さんとお藍さんの不敵な笑顔は気になるが、大丈夫だと信じて頼華ちゃんへ話を振った。


「ちょ、ちょっとお待ちを……ふぅ。余の指導の方は、皆が真面目に受けてくれているのですが、根本的に何も知らなかったのは、大きな問題ですね」


 何度目かのお代わりのひつまぶしを手早く食べ終わり、一息ついた頼華ちゃんの言葉の内容は結構、深刻な物だった。


「何もというのは?」

「言葉通りです。丁寧な対応というだけで、歩く時の相手との位置から襖の開け閉めまで、これまで客が怒らなかったのが不思議なくらいです」

「そ、そんなに!?」

「ええ」


 俺の驚きを余所に、頼華ちゃんはおいしそうに食後のお茶を飲んでいる。


「そ、それ程にダメでございましたか?」

「多分ですが、無作法ではあるが失礼な行いは無かったので、客は怒り出さなかったのでしょう」


 気分を害する程じゃ無いから怒らなかったというだけで、仮に虫の居所が悪かったりしたら……ちょっと怖い想像になってしまった。


「やっぱり、俺も作法を教わった方がいいかなぁ……」

「兄上は良いのですよ。先程も言った通り、失礼な事はされていませんし。それに、強い者に従うのが世の摂理です!」

「そういう物なの!?」


 頼華ちゃんの言う通りだとすると、俺の作法が滅茶苦茶でも、強いから源家でも徳川家でもスルーされていたという事になるのだが……その辺に寛容だっただけだと信じたい。


「まあ、良太はねぇ……」

「おりょうさん!?」


 何故か、諦めた感じの溜め息混じりに、おりょうさんが呟いた。


「まあ、鈴白様なら……」

「椿屋さん!?」


 礼儀作法を身に着けているおりょうさんから見れば、俺の行動は酷く映っているかもしれないが、椿屋さんの前では横暴な態度なんかはせずに、普通に振る舞っていたはずだ。


「鈴白様程お強ければ、確かにと思ったので」

「力で従わせた事なんて無いですよ!?」


 刃傷沙汰を起こした男を捕縛した時にしても、それ程荒っぽい手段をは使っていない。


「え!? 余や、白は……」

「うん。頼華ちゃん、ややこしくなるから、その話は後でしようね」


 頼華ちゃんとは最初に出逢った時に戦ったが、従わせたというのは……違うよね? でも、白ちゃんの場合は、力で従わせたという事になるのだろうか……。


(あー……でも、頼華ちゃん愛用の『薄緑』の柄を、粉々にして使えなくしちゃったから、シチュエーション的には腕力で従わせた感じ、なのか?)


「鈴白様の言う事に、逆らう気はございませんが」

「お藍さん!?」


 刃傷沙汰があった場面にも遭遇していないお藍さんに、こう言われるのは正直心外だ。多分だが、椿屋さんが武勇伝のように誇張したからだと思われる。


「す、少しくらい、命令して下さっても……」


 おせんさんのは俺が強いからとかじゃなくて、恩返しをしたいという気持ちの現われだろう。


「料理の合間に時間が取れたら、俺も頼華ちゃんに教わりに行くよ」


 伊勢に滞在している間に教わる事が出来なくても、旅の道中でいくらでも機会は作れるので、あくまでも時間が出来たらだ。


「兄上なら大歓迎です! ただし、手加減はしませんよ?」

「ははは。そこはお手柔らかに……あ、言い忘れるところでした。椿屋さん。江戸の大前の店主、嘉兵衛さんから、蒲焼という名称で商売をする許可が下りました」

「本当でございますか!?」


 俺の言葉を信じられないと言わんばかりに、椿屋さんが目を見開いた。


「ええ。これが書状です」

「おお……な、なんという。鈴白様、この通りです……」


 一応、事前に知らせておいたのだが、かなり荒唐無稽な話なので完全に信じていなかったのだろう。椿屋さんが俺の前に膝をついた。


「いや……もう、そんなに何度も頭を下げられなくてもいいんですが」


 椿屋さんの気持ちはわかるのだが、俺の事を良く知らない人も周囲で食事をしているので、若造相手になんで店主が頭を下げているのかわからず、ざわめきが起こっている。


「俺よりも、急がなくても構いませんので、いずれは江戸の大前にお礼を。お金はいらないと言ってますが、気は心ですから」


 商売人の椿屋さんには言うまでも無いとは思うが、こういう事はきっちりとさせておいた方がいいだろう。


「勿論でございます。鈴白様には江戸での興味深い物のお話も伺っておりますし、私自身が行くのは難しいかもしれませんが、最低でも名代を行かせる事はお約束致します」

「そうですか。宜しくお願いします。さあ、顔を上げて下さい」

「はい……」


 色々と問題点が浮き彫りになったが、最後は和やかな雰囲気で昼食の時間を終えた。



「さて、午後からは蒲焼以外の料理をしようかな」


 食事を終えて、それぞれが持ち場に戻ったので、俺と白ちゃんも調理を再開しようと立ち上がった。


「御主人。あたいは何すればいい?」


 午前中は江戸へのお使いだったので、黒ちゃんには椿屋の中での仕事が割り振られていなかった。


「休んでてもいいよ?」


 一度付き合った俺は平気だったが、界渡りという特殊な移動法が、どれくらい使用者の負担になっているのかは不明なので、出発前から黒ちゃんは午後は全休でも構わないと考えていた。


「全然疲れてないから、なんかやらせて!」


 見た目には黒ちゃんは元気いっぱいだ。少し目を凝らして(エーテル)の状態を見ても、特に異常は無さそうだ。


「うーん……あ、だったら、どじょうの調達を頼もうかな。厨房の人達の練習用に要るんだ」


 料理長の貞吉さんは明日の朝から分担してと言っていたが、予め用意しておけば練習時間が増える。


「おう! よーし……」

「そんなに気合を入れなくていいからね?」


 妙にやる気の表情になった黒ちゃんに注意した、下手に張り切ると、この辺のどじょうが根絶やしになりかねない。


「この桶に、活かしたままで持って帰れる程度でいいからね」


 厨房にあった手近な木桶を渡しながら、黒ちゃんに指示した。活かしたままと言っておけば、桶に目一杯に獲ってくる事は無いだろう。


「おう! それじゃ、いってきまーす!」

「……大丈夫かな?」

「大丈夫だろう。だが、すぐに戻ってくると思うぞ」


 白ちゃんの言葉を聞いて、素早いどじょうでも、黒ちゃんの視界に入った瞬間に掴み取られそうだと考えてしまった。


「……まあ、深く考えても仕方が無いな。じゃあ捌く方の指導は白ちゃんに任せて、俺は調理の方をやるよ」

「うむ。任された」


 俺から鰻裂きを受け取った白ちゃんと共に、調理台の方へと歩く。



「こう、一口大に切った串焼きと、細長く切った身を蛇行させるように串に刺した倶利伽羅焼き。切り落としたヒレを巻きつけるようにしたヒレ焼きに、数匹分の肝を集めて串に刺した肝焼きです。やってみて下さい」


 捌かれた鰻の身や、内臓やヒレなどの調理見本を見せて、各自が練習している間に、俺の方は丸のままの鰻を焼き上げる。


「親方。こんなもんでいいですかい?」


 貞吉さんが、串に刺された鰻を大きな皿に並べて持ってきた。パッと見には問題無さそうだ。


「串に隙間も無いし、いいんじゃないですか。では、焼きは任せますね」

「わかりました」


 部位によって焼き時間は違うが、本職の料理人の人にとって、串に刺した物を焼くのはそれ程難しくないと思うし、仮に失敗しても串の単位なら損失は少ないので、実際にやってもらう。


「主殿。捌く方は全て完了したぞ」


 鰻裂きが二本しか無い状況だが、白ちゃんの腕前が急速に上昇しているし、元々が料理経験のある人達なので、残っていた鰻を裂き終わるまでに、それ程の時間は掛からなかった。


「ありがとう。うん。少し教えただけで、皆さん凄い上達ですね」


 まだ少し、切り口が真っ直ぐじゃ無かったり、表面が荒れている物があるが、あとは数を重ねて上達するしか無い。


「それじゃ白ちゃん、俺はもう一匹焼くから、こっちを任せていいかな?」


 焼台にある鰻を示して、白ちゃんに尋ねた。


「うむ。引き受けた。これは蒲焼にすればいいのか?」

「うん。焼き上がったら、それはうまきにする」


 白ちゃんに任せている間に、俺は裁かれた鰻に串を打って、新たに焼き始めた。


「親方。串焼きそれぞれ上がりました!」

「主殿。蒲焼上がるぞ」

「こっちもいいな。白焼きの出来上がり、っと」


 白焼きを切って皿に盛り付け、おろした山葵を添える。


「山葵醤油で白焼きと、串焼きの味見をしながら、見ていて下さい」


 白ちゃんの焼いてくれた蒲焼を適当な大きさに切り分け、卵を割りほぐしながら俺は言った。


「おお。肝焼きの濃厚でほろ苦い味は、酒が欲しくなるな。白焼きは、山葵の香りが鼻に抜けて……親方は、まだ何か?」


 山葵が効いたのか、貞吉さんが目に涙を浮かべながら、作業の手を止めない俺に尋ねてきた。


「もう一品作ります」


 割りほぐした卵に出汁と塩と砂糖、ほんの少し醤油を入れて混ぜて鍋に流し込んで、火が入って固まりかけたところで切った蒲焼を載せ、巻き込んでから新たに卵を流し込み、更に巻き込む。


「見事なもんですな。卵焼きを見れば料理の腕前がわかるが、やっぱ親方は凄えや」

「おだてないで下さいよ……さあ、焼き上がりです」


 普段はそのままだが、客に出す料理の見本なので、巻き簾で形を整えてから切り分け、皿に盛り付けた。


「どうぞ味見を。うまきです」

「「「頂きます」」」


 作業を見守っていた人達が、一斉に箸を伸ばす。


「こりゃうまい! 出汁の加減が絶妙で、鰻と一緒に口の中で溶けるようだ」


 見た目だけじゃなく、味の方も貞吉さんに合格点を頂けたようだ。


「こいつは客だけじゃなくて、店の姐さん達にも喜ばれそうな味ですなぁ」

「江戸でも、女性はこの料理が好きでしたよ」


 最初の試食の時に、女性陣の食いつきが一番良かったのが、うまきだった。


「後は、細かく切った鰻をきゅうりとワカメと混ぜて酢の物にしたうざくで、俺の知っている鰻の料理は全部ですね」


 知識としては、せいろ蒸しや、大きなだし巻きがのっかった鰻丼などもあるのだが、この辺は店ごとの創意工夫の産物だと思うので、もっと何かという事なら、椿屋の独自の物を考えた方が良いだろう。


「御主人! どじょう獲ってきたよー!」


 試食を初めて間も無く、勢い良く木戸を開け、木桶を抱えて黒ちゃんが戻ってきた。


「おかえり黒ちゃん。試食を始めたから、黒ちゃんも食べるといいよ」

「おう! うまそー!」


 いそいそと、黒ちゃんが試食の席に加わった。


「どれくらい獲って……凄いなこれは」


 どういう方法をとったのか、桶に隙間無くどじょうが詰め込まれているというか、重ねられていた。驚いた事に、口がパクパク動いているので、全てのどじょうが生きているようだ。


「と、とりあえず、別の桶に……」


 今は大丈夫でも、このままでは死んでしまうので、幾つかの水を入れた桶に桶にどじょうを分けた。


「む! うまきと白焼きはおいしいけど、串の方はイマイチだな!」


 どういう訳か、俺と白ちゃんが調理した物とそれ以外を、黒ちゃんの舌は判別したようだ。


(見た目にはそこまでの差は無いのに、どうやって……)


 本気で身体から、何か妙な成分でも出ているのではないかと疑ってしまう。


「姐さん。串焼きはあっし達が焼いたんですが、そんなにダメですかい?」

「うむ! ダメでは無いが、隙間があって串が焦げてたり、ヒレ焼きのような巻きつける形の物は、火の通りが悪い物があるぞ!」


 俺と白ちゃん以外の料理が感覚的にわかったのでは無かったみたいで、黒ちゃんは悪かった点を的確に指摘している。


(それにしても、見た目は問題無さそうだったけど、焼いて縮むのを計算に入れて、強めに串に刺していなかったんのか……悪い事しちゃったな)


 俺が合格のように言ってしまったので安心していたのだろうけど、焼き上がりを食べた黒ちゃんに不合格にされてしまったのだから、本当に悪い事をした。


「そ、そうですか。次から気をつけます!」

「うむ! 気をつけろ!」


 傍から見たら、完全に黒ちゃんが料理長になっている。


「黒。お前偉そうに言っているが、料理は出来ないだろう?」

「出来なくたって、おいしいかそうでないかはわかるよ!」


 白ちゃんが言わんとする事もわかるのだが、料理番組なんかでコメントする人も、必ずしも作れる訳では無いので、あんまり黒ちゃんの腕前は問題では無い。


「まあまあ白ちゃん。黒ちゃんも、教えれば出来るんだよね?」

「おう! 多分!」

「多分か……それじゃ、夜のまかないの分は、一緒にやろうか」


 少し不安もあるが、白ちゃんと同じ様に経験が足りないだけだと思うので、教えれば黒ちゃんにも出来るだろう。


「おう! でも、もう鰻は無いみたいだよ?」


 作業台に並んでいる開かれた鰻を見て、黒ちゃんが尋ねてくる。


「うん。だから獲ってきてくれた、どじょうを料理しよう」


 捌かれた鰻だけでも、椿屋さんで働いている人達のまかないには十分な量に思えるが、どじょうを使った練習は必要だ。いざとなったら、俺が滞在している間は腕輪や福袋の収納しておけばいい。


「おう!」

「あ、貞吉さん。試作と試食で忘れてましたけど、お客様に出す料理の準備とかは大丈夫ですか?」


 椿屋は休業とかになっている訳では無いので、普通に客は出入りしている。


「普段は決まりきった料理を出しているだけですんで、盛り付けるだけですぐに用意出来ますから、大丈夫です。あっしとしては、今日からでも鰻を試して欲しいくらいなんですが……」


 鰻は積極的に客に出して、試して欲しいとは思うのだが、無理強いは出来ないので、今日のところはそれ程の数は出ないだろう。


「うーん……俺がちょっとした物を作って、それを試しに出してもらうというのも可能ですか?」

「そ、それは、旦那様に聞かなけりゃなんとも……」

「それはそうですよね。とりあえす鰻以外に少し作ってみるので、貞吉さん達に試食してもらって、大丈夫そうなら椿屋さんにお伺いを立ててみましょう」


 昨日と同じ材料は見えるので、椿屋さん達に試食してもらった揚げ物を何品か、今度は貞吉さん達に試してもらおう。


「その前に、黒ちゃんが獲ってきたどじょうをみんなで捌きましょうか。鰻裂きは二本しか無いから、俺には小出刃を貸してもらえますか」


 手持ちの柳刃でも出来なくはないが、小さなどじょうを捌くには刃渡りが長過ぎる。


「わかりました。これを」

「ありがとうございます」


 ごく普通の物だが、手入れの行き届いている小出刃を貞吉さんから受け取った。鰻と同じ様に目打ちをして、骨と内臓を抜く。


「こいつは……扱い難いところまで、鰻とどじょうは似てますね」

「そうですね。小さい割には掛かる手間はあまりかわらないので、もしかしたらどじょうの方が労力は大きいかもしれませんけど」


 捌く際の手順は鰻もどじょうもそれ程変わりが無いが、可食部の大きさが段違いなのだ。


「違えねぇ。だが、確かに練習にはもってこいですな。おう。次はお前がやれ」

「へい!」


 五匹程捌いたところで、貞吉さんは傍らで作業を見ていた人と交代した。


「主殿、どじょうはどう料理するのだ?」

「そうだなぁ……鰻の練習だから蒲焼は外せないとして、抜き鍋と柳川かな」

「わかった。串打ちは、どじょうの場合は江戸の蒲焼と同じで良いのだな?」


 小さなどじょうに、地焼きのように長い金串を使わないと察したのだろう。白ちゃんは既に竹串を用意している。


「うん。俺は鍋の方を準備するから、蒲焼の方は白ちゃんに任せるよ。黒ちゃんはこっちを手伝って」

「承知した」

「おう!」


 味加減をどうしようかと少し考えたが、抜き鍋に関しては江戸風の濃いめの味付けに決めた。卵でマイルドになる柳川があるし、いざとなったら抜き鍋の方も卵で閉じてしまえばいい。ちょっと乱暴な考え方だが。

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