土下座
「ここにある食材や調理器具は、好きにお使い下さい」
「ありがとうございます。さて、何があるかな……」
椿屋さん自体が大店なので、大きな宴席などもあるのだろう。厨房もかなりの規模だった。
「鮑は数もかなりあるな。これはトコブシか……ん? これは」
何やら木箱に入った茶色い粉のような、正体不明の物が置かれている。
「ああ、それはですね……」
椿屋さんが粉の中に手を突っ込んで動かし、何かを掴み出して俺に見せてくれた。
「それは……海老ですね?」
「ええ。上物の車海老です」
元の世界でも高級品の車海老だが、それはこっちの世界でも変わらないようだ。そして保存、運搬法も同じく、茶色い粉、おがくずに入れて行われていた。
「甲殻類は好みがありますのでお出ししなかったのですが、お好きでしたか?」
「ええ。それじゃあ、この海老も使わせてもらいますね」
頭の中で料理の段取りを考えながら、俺は腕輪の中から柳刃を取り出した。
「お待たせー……って、おりょうさん、頼華ちゃん、その格好は!?」
出来上がった料理を運んで部屋に戻ると、いつもは頭の後ろで束ねている髪を、高く結い上げて幾つもの簪や櫛で飾り、華麗な着物を身に纏ったおりょうさんと頼華ちゃんが待ち構えていた。
「……に、似合わないかい?」
「どうですか、兄上?」
元々和風美人のおりょうさんは、化粧も相まって店の雰囲気に完全に溶け込んでしまっている。それが良い事なのか悪い事なのかは悩ましいところだが。
頼華ちゃんの方は、本来兼ね備えているお姫様っぽい雰囲気が、着物や装飾品と実にマッチしていて、化粧の効果もあって、少し迫力を感じるくらいだ。
「お二人供、店の者の着物などに興味を示されましたので、宜しければと着付けてみました。お綺麗な方達だとは思っておりましたが、まさかこれ程とは。はぁー……」
着付けや化粧をしてくれたらしいおせんさんは、二人への羨望の眼差しを隠そうともせず、大きな溜め息を漏らす。
「これは、なんとも美しい。うちのお藍も形無しですな」
しきりに頷きながら、椿屋さんが感心している。
「二人供、良く似合ってますよ。おりょうさんは良家の奥方みたいだし、頼華ちゃんは、本当にお姫様みたいで」
良家の奥方というのが褒め言葉になっているのかは、我ながらわからないが、見た時に感じた印象をそのまま伝えた。頼華ちゃんの方の感想も、見たまんまだ。
「お、奥っ……あ、ありがと……」
奥方という言葉の作用か、おりょうさんは真っ赤になる。俯きながらの御礼の言葉の最後の方は、消え入りそうに小さな声だった。
「お褒め下さったのは嬉しいですが、姫と言わないで下さい」
頼華ちゃんは少しだけ嬉しそうに微笑んだ直後に、姫という言葉へ反論しながら唇を尖らせた。
「本当にお二人供、お藍どころか、織田の朔夜様に勝るとも劣らない美しさでございます」
「朔夜様って、あの代官の?」
朔夜様の名前を聞いた瞬間、条件反射的にビクっとなってしまった。
「ええ。三国一とも言われる美貌の持ち主ですが、御自分よりも強い方とで無ければ、婚姻はなさらないと仰っているそうです」
どうやら市民の中にも、朔夜様の話は知れ渡っているようだ。
「そういえば関東は鎌倉の源の姫も、幼いながらも大層美しいが朔夜様と同じ様な気性だと聞き及びます。確か名前が……」
「さ、さあ、夕食ですよ! あ、ところで黒ちゃん達は?」
頼華ちゃんの顔までは知られていないようだが、噂の方は伊勢まで伝わっているみたいだ。俺は椿屋さんの言葉を遮って話題を変えた。
「黒達も、あたし達の後で風呂に行ったけど、そろそろ戻ってくるんじゃないのかい?」
「たっだいまー♪」
「戻ったぞ」
「ふ、二人共、その格好は!?」
あまり高級そうには見えない薄手の生地の着物を身に纏い、黒ちゃんの方は髪型はそのままだが、白ちゃんの方は解かれた三つ編みを束ねて、右肩から体の前の方に垂らしている。
「この格好楽だな! 御主人、似合う?」
「うむ。浴衣と大差無いので、座るにしても動くにしても楽だ」
(これはなんというか……下手したら裸よりもエロいな)
言葉通りに動き易そうな二人の着物は生地が薄いのと、見栄え良く着付けるための詰め物などが入れられていないようなので、ピッタリと身体に貼り付いてボディラインが浮き上がっている。
(正直、下品になる一歩手前くらいで踏みとどまってるけど……この格好で旅をするとか言い出さなければいいけど)
おりょうさん達の格好が太夫とか花魁のような高級な遊女だとすると、少し胸元が開かれたような、ゆったりとした着付けの黒ちゃん達の格好は、あまりお高くない部類の遊女の物だ。
「あの、お二人供、窮屈な格好は嫌だと申されまして……なんかすいません!」
黒ちゃんと白ちゃんの面倒を見てくれたらしいお藍さんが、俺と椿屋さんに向かって深く頭を下げた。
「お藍、お前ね……」
「いやいや。椿屋さん、なんでこうなったのかは予想が付きます。きっとこちらの方の問題ですので」
多分だが、あれこれ着物や装飾品を勧められたが、黒ちゃんは立ったり座ったりする時の窮屈さを嫌い、白ちゃんはいざという時の動きが妨げられるとでも言ったのだろう。そして、目についた楽そうな着物をと言い出して、お藍さんが必死で止めても聞かなかった……こんなとこだろう。
「しかし……」
仮に、ちゃんと着付けをしたとしても、黒ちゃんの場合はセミロング程度の髪の長さなので、高く結い上げたりする事は出来ないのだが、逆にこの少し着崩した感じには、今の髪型が不思議とマッチしている。
白ちゃんの方は、髪の毛は長いが白いし、腰高のプロポーションが日本人っぽくないので、芸能人のステージ衣装のような感じになっているのだが、それでいて和の雰囲気を損なっているという感じでもない。
(黒ちゃんと白ちゃんは、それぞれ違う意味で現代風な顔立ちだから、ちゃんとした着付けの方がコスプレみたいに見えるかもな)
着付けのために詰め物や化粧をバッチリ施すと、黒ちゃんや白ちゃんの持ち前のプロポーションや顔立ちといった魅力を覆い隠してしまうだろうと思うので、これだからファッションというのは難しい。
(でもまあ、おりょうさんは、現代的でラフなファッションとかも似合いそうだけど……)
洗いざらしのジーンズに、ごく普通の白いブラウスみたいな格好で、コーヒーカップを傾ける現代的な姿なんかも、おりょうさんの場合は容易に想像出来る。
「わはー、御主人の料理だ! 早く食べたい!」
「黒。世話になっている椿屋殿の前で、騒ぐんじゃない」
「あ、ごめんなさい!」
格好は変わっても、いつも通りの黒ちゃんと白ちゃんのやり取りで、俺は現実に引き戻された。
「ははは。お嬢様方も私のお客様です。騒いで下さっても構いませんよ」
「白。ほら見ろ!」
「黒。お前が騒ぐと、主殿が恥をかくと言っているんだ」
「まあ二人共、その辺にしておいて、御飯にしようか」
険悪な雰囲気では無いが、口論に発展しそうなので、二人の意識を食欲に誘導した。
「御主人の御飯♪」
「手間を掛けた上に、騒がしくて済まない」
スキップしそうな足取りで部屋に入っていく黒ちゃんをちらっと見ながら、俺と椿屋さんに白ちゃんが謝った。
「もういいから。さ、白ちゃんも座って。御飯にしようね」
「うむ」
「それでは鈴白様、我々はこの辺で……」
「あ。待って下さい」
先程のように給仕の必要が無いので、俺達だけにしようと立ち去る気配を見せた椿屋さん達を停めた。
「何か、足りない物がございますか? 食後のお茶などは、お呼び頂ければ後程お運びしますが」
呼び止められた理由がわからないのだろう、椿屋さん達が表情に疑問を浮かべている。
「いえ。そうではなくて。この後、何か用事とかが無いようでしたら、良ければ御一緒に如何ですか?」
「「「えっ!?」」」
俺の申し出は思わぬ物だったのだろう。椿屋さん、おせんさん、お藍さんの驚きの声が重なった。
「し、しかしですね。お客様の食事にお邪魔するといいますのは……」
「そう仰らずに。素人料理ですが、食べられない物は作っていませんから」
「鈴白様の腕を疑っている訳ではございませんが……」
椿屋さん、おせんさん、お藍さんが、互いに目配せする。
「はぁ……固辞しますのも失礼ですね。では、おせん、お藍。お前達も一緒に御相伴に預かりなさい」
「「お父さん!?」」
おせんさんもお藍さんも、椿屋さんが承諾した上に、自分達を同席させると言い出すとは思わなかったようだ。
「おせん。鈴白様が、そうなさりたいと仰っているのですよ?」
「う……はい。わかりました」
「お藍。今日は座敷の予定は無かったね?」
「で、でも……はい。わかりました」
何故か、俺が反対する権利を奪って一緒に食事の席に、みたいな感じになっているのだが、まあ良しとしよう。
「じゃあ皆さん、中へどうぞ」
黒ちゃんと頼華ちゃんが、待ちきれないと言わんばかりに、うずうずと身体を揺すっているのが気になる。
そろそろ限界が近そうなので、出来る限りの速さで料理の配膳をした方が、色んな意味で良さそうだ。
「では、頂きます」
「「「頂きます」」」
見苦しくない程度に配膳を急ぎ、しきりに恐縮する椿屋さん達と一緒に食事を始めた。
「あ、兄上! なんですか、この鮑の料理は!? うまっ!」
「ステー……乳酪で焼いた鮑に、タレを絡めた物だよ」
鮑のステーキと言いそうになって、通じないと思って言い直した。翻訳されるかもしれないので、そのまま言ってみても良かったのかも。
ステーキにナイフとフォークを添えられないので、格子状に切れ目を入れてバターで焼いた鮑をスライスして、潰した肝に醤油と酒とみりんを加えたソースを作って掛け回した。
「な、なんですか、このコクのある味わいは!?」
一口食べて、椿屋さんの顔が驚愕に歪んだ。
「乳酪と言いまして、牛の乳から採れた油脂分を加工した物です。おいしくなかったでしょうか?」
「牛の乳!? そ、そのような物で、こんな味が!? あ、失礼を……大変結構なお味です」
バターなんか食べ慣れてないだろうから、悪い意味で驚いているのかとも思ったが、椿屋さんの口にも会ったようだ。
(黒ちゃんの一言を聞いてバターを使ってみたけど、正解だったな)
綿実油などでも良かったんだろうとは思うが、帆立や浅蜊と同じ貝類の鮑にも、バターはマッチする素材だった。
「海の物と陸の物なんですけど、面白いですよね。他の料理もどうぞ」
「あの、この揚げ物、鈴白様のお連れ様方のと違いますよね? あ、あちらの方がいいとか、そういう事では無くてですね……」
おせんさんが、自分達とおりょうさん達の食膳の上の料理の内容が、少し違っているのに気がついたようだ。
「気が付かれました? このお店の方、特に接客をする女性の化粧が崩れないように、小さく口を開けただけで食べられるようにしたんです」
蕎麦粉で衣を作った鮑の天ぷらと、砕いたお麩をパン粉代わりにした車海老のフライを作ったのだが、おりょうさん達の分は、鮑は大きな一口大で海老の方は尾頭付き。椿屋さん達の分は、小さな一口大に切った物を串の先に刺して揚げた。
京都のお茶屋さんの近くでは、客である芸者さんの化粧崩れを防ぐために、一口サイズの料理を出す洋食屋さんや、匂いの強いにんにくを使わない中華料理を出す店があると聞いた事があったので、実験的に作ってみた。
揚げ物は食材のサイズで火の通る速さが違うので、提供する際の事を考えると、揚げ油に投入する順番なども考えなくてはならない。試しにやってみただけだなのだが、今後経験が役立ちそうだ。
「衣が違うのがわかるでしょうけど、表面が滑らかな方は天つゆか抹茶塩で。表面がザラザラの方は、白っぽいタレを付けて召し上がって下さい」
天つゆは鰹節と醤油と味醂で、ややあっさりめの物。白っぽいタレというのは、自家製マヨネーズに刻んだタクアンを混ぜ混んだタルタルソースだ。
「この白いタレは、正恒の旦那の家で食べたやつだね?」
「そうです。良く覚えてましたね」
おりょうさんが、食べる前の見た目だけで指摘したのに驚いた。
「そりゃあ、うまかったし、良太が作った物だから……」
「あ、どうも……」
おりょうさんのお褒めの言葉は嬉しいが、照れる。
「御主人! この白いやつ凄くおいしい! この白いの、もっとある?」
「あるよ。黒ちゃん達には、これを出してあげるのは初めてだったっけ?」
少し記憶が曖昧だが、猪や鹿の肉が比較的豊富にあるのと、大前で働いている時には鰻やどじょうが多かったので、個人的には生野菜に合うと思っているマヨネーズや、魚介類のフライに合うと思っているタルタルソースは、ここ最近は作ってなかったかもしれない。
「白いのだけじゃなくて、海老を揚げたのもまだあるけど、そっちもいる?」
「おう! 白いのは、てんこ盛りで!」
「兄上、余にも!」
「はいはい」
頼華ちゃんは、正恒さんの家で食べた魚のフライにタルタルソースが気に入っていたが、エビフライもお気に召したようだ。
「主殿。この、鮑の天ぷらはまだあるか?」
ガツガツと、そんなに慌てないでもと思う食べ方をする頼華ちゃんと黒ちゃんとは正反対の、正座で上品に料理を口に運んでいた白ちゃんから問い掛けられた。
「あるよ。もっと食べる?」
「お願いする。この、抹茶塩というのか? これを付けながら食べるのは、焼いたのとはまた違った歯応えで、たまらんうまさだ」
苦手な咖喱以外では、食べ物に対しての反応が薄い白ちゃんだが、鮑の天ぷらは実においしそうに食べてくれている。
「それじゃ、はい」
普通に揚げた鮑の天ぷらと、椿屋さん達に出した串に刺して揚げた鮑と海老も一緒に、白ちゃんの皿に盛り付けた。
「主殿、これは……」
自分がリクエストした物以外を俺が皿に乗せたので、白ちゃんが戸惑った表情を浮かべている。
(内緒だよ?)
(っ!? か、かたじけない……)
小さな声で囁くと、俺の考えを察してくれた白ちゃんが、真っ赤になりながら、素早く海老の串揚げを口に運んだ。どうやら証拠隠滅をしてくれたようだ。俺は白ちゃんへの感謝に、下手くそなウィンクをした。
「お父さん。この鮑と海老のお料理、うちでもお客様にお出ししましょうよ」
鮑の天ぷらの串を手に持ちながら、お藍さんが椿屋さんへ話し掛けている。
「ううむ。小さく切ってあって食べやすいし、盛り付けにも工夫できそうだな……」
どうやら、ちょっとした工夫の方も、椿屋さん達に評価してもらえたみたいだ。
「もう少し種類と数を増やして、口直しの野菜なんかと一緒に、大根なんかに刺して出しても面白いかもしれませんね」
デコレーション風にすれば、見栄えも良さそうだ。
「な、成る程っ!」
思いつきで言っただけ意見なのだが、椿屋さんが膝を打った。
「やっぱ御主人の御飯うまーっ! お代わり!」
「黒。行儀が悪いぞ。主殿、俺にもお代わりを」
「あ、給仕は私が……」
「大丈夫ですから。おせんさんも、お代わり如何ですか?」
黒ちゃんと白ちゃんの茶碗に、濃い目に味をつけて煮たトコブシをスライスして、煮汁と一緒に炊いた御飯を盛り付けながら、おせんさんに尋ねた。
「あ……い、頂きます」
「はい」
もしかしたら我慢していたのだろうか、おせんさんが遠慮がちに茶碗を差し出してきた。
「あたしにも貰えるかい?」
「兄上、余にも!」
「あの、私も宜しいですか?」
茶碗を受け取るおせんさんに続いて、おりょうさん、頼華ちゃん、椿屋さんからもお代わりの声が掛けられた。
「御主人、この汁もお代わり!」
「はいはい。ちょっと待ってね」
「この汁は具が何も入っていないのに、濃厚な海老の風味がしますね?」
上品な仕草で椀を持ったお藍さんが、不思議そうに首を傾げている。
「海老の頭と殻を炒めて潰した物で、出汁を取ってあるんです」
椿屋さん達の分の車海老の頭と、残った殻を、みじん切りにした人参と蕪と共に炒め、潰して濾してから塩と胡椒で味付けして、仕上げに生クリームの代わりに豆乳を入れてコクと深みをプラスした、ビスクもどきスープだ。
「味噌汁では無くて、塩と胡椒だけなのですね。そこへ豆乳ですか……」
料理の内容を聞いても、お藍さんはまだ不思議そうな顔をしている。
「ふぅむ。見事な物ですな。これはお嬢様方が、鈴白様の料理を食べたがるのも無理はないです」
椿屋さんが、感心したように何度も頷く。
「いや、俺のはただの素人料理で……」
「あったりまえだい! なんたって御主人は、江戸の鰻屋で腕を……」
「く、黒ちゃん!」
「あ! ご、ごめんなさい!」
やたらと個人情報を話さないようにと、これまでにも注意をしていたのだが、俺が椿屋さんに褒められたので調子に乗ってしまったようだ。
(うーん……それ程深刻な事態じゃ無いけど、こう度々なのは問題だなぁ。何かペナルティとかが必要かな?)
出来れば罰を与えるとかはしたくないのだが、頼華ちゃんの事なんかは、話題に出されると不味い事態が発生する可能性もある。
「鰻、で、ございますか?」
俺が今後の対処を考えていると、椿屋さんがポツリと言葉を漏らした。
「ええ。少しだけですが……」
(やっぱり、まだ鰻は下魚ってイメージなのかなぁ。江戸では市民権を得つつあるんだけど)
鰻と聞いて椿屋さんが、少し表情を変えたようなので、その理由を推察した。
「鈴白様。失礼ながら、その鰻の料理を作って頂く事は出来ますでしょうか?」
「……へ? あ、失礼。出来ますけど」
鰻に対して否定的だと思った椿屋さんの、思わぬ言葉に驚いて、間抜けな受け答えをしてしまった。
「では、一つ何かお願い致します」
「あの、出来上がっている物が幾つかありますので、それで良ければ今お出ししますけど」
俺も含めて旅の一行は鰻好きなので、数種類の料理をストックしてある。
「おお。それは良いです。その分の代金はお支払いしますので、是非お願い致します」
「はぁ……」
曖昧な返事をしながら、俺は蒲焼、白焼き、うまきを、皿ごと取り出して並べた。福袋に収納されていたので、当然ながら出来立ての状態だ。
「こ、これは……鰻とは、このような良い匂いがするものでしたか!?」
「タレに少し工夫をしてまして。白焼きは、山葵と醤油で召し上がって下さい……ん?」
ゴクリ……
喉が鳴るのが聞こえたので視線を移すと、おりょうさん、頼華ちゃん、黒ちゃん、白ちゃんが、鰻料理に熱烈な視線を送っていた。
「……みんな、江戸で散々食べたでしょ?」
「で、でもぉ……もう五日も御無沙汰なんだよ?」
「たった五日じゃないですか……」
大前で出してた鰻には、妙な習慣性があるような物は混入していなかったはずだが……それにしても、遊女姿のおりょうさんのおねだりは反則だ。
「でもですね、兄上。ほぼ毎日食べていたような物なので、既に懐かしく、そして口が恋しくなっております!」
「そんな自慢げに言われてもね……」
格好が変わっても、中身はいつもの頼華ちゃんなので、ギャップが凄い。
「かばやき……しらやき……うまき……」
「よせ、黒。そんな風に料理名を並べられると、俺まで……」
白ちゃんが、呪文のように料理名を唱える黒ちゃんの涎を拭いてあげながら、自分の口元を抑えている。
「もう、仕方ないなぁ……はい。二人で一皿ずつね」
おりょうさんと頼華ちゃん、黒ちゃんと白ちゃんの二人に一皿ずつ、蒲焼と白焼きとうまきを取り出して渡した。
「やったっ! 良太、愛してるっ!」
「お、おりょうさん!? そういう事は、軽々しく言わないで下さい!」
「えー。でもぉ。本心だしぃ……」
言葉ではそう言いながら、頼華ちゃんが見守る中、鰻を等分する作業をやめようとはしない。
(俺への愛っていうのは、鰻の次なんですね……)
心の中で呟きながら視線を移すと、黒ちゃんと白ちゃんが言い争っていた。
「白ーっ! あたいも白焼き食べたいんだってば!」
「だから、うまきは譲ると言っているだろう。それとも、本当に半分ずつでいいのか?」
「えっ!? う、うーん……」
争っていると言うよりは、等分にしてもトレードにしても葛藤する黒ちゃんが、騒いでいるだけだった。
「黒ちゃん……あんまり騒ぐなら、下げちゃうよ?」
「ご、ごめんなさいっ! うー……じゃあ白焼きは、白にあげるよ」
「では、蒲焼は等分でいいな?」
「おう!」
本当は白ちゃんもうまきを食べたかったんだろうに、黒ちゃんに譲ったんだろう。
(このところ白ちゃんの気遣いには助けられてるし、昨夜、黒ちゃんとだけ行動したのも気にしてるみたいだから、今度何か御褒美をあげないとな)
信賞必罰とまで言うつもりは無いが、褒めたりお礼をしたりするのは悪い事では無いし、こういうのは意外と、気付いた時に行わないと忘れてしまう。
「鰻とは、こんなにうまいものでしたか……」
「お、お父さん。このうまきってお料理、口の中で溶けてく……」
「山葵で食べる白焼きは、お酒の好きな方には良さそうですね」
椿屋さん、お藍さん、おせんさん、それぞれが料理を味わいながら分析している。
「……鈴白様。物は相談ですが、この鰻の料理を、店の料理人にお教え頂けませんか?」
「えっ!?」
居住まいを正した椿屋さんが、真剣な表情で俺に問い質して来た。
「この料理は、全て鈴白様がお作りになったのですよね?」
「え、ええ……」
しらばっくれてもいいのだが、天照坐皇大御神様のお膝元で、あまり嘘を言うのも気が引ける。
「先に頂戴した物も、素人料理などと仰っておりましたが、とんでもないございません」
「いや、そんな……」
椿屋さんの瞳と言葉が熱を帯びてきている。助けてもらおうと、おせんさんとお藍さんの方を見るが、なんか椿屋さんと同じ様な瞳で俺を見てくる。
(なんだかなぁ。褒められて悪い気はしないが、教えるという事はここに留まるのか? ここって遊郭なんだが……)
職業差別はしたくないが、江戸でも色街には近づかなかったので、こういう場所にも働いている人にも免疫が無い。
「お、お願いでございます! 何卒、ここへお留まりになって、教えを……」
「ええっ!?」
三大遊郭の中でも大きな、お藍さんという三本の指に数えられる女性を抱えている店の主人が、見事な土下座をしてしまっている。
「お、お願いでございますっ!」
「お願いでございます……」
お藍さんとおせんさんまでが、俺に土下座してきた。さっきまでは和やかな雰囲気だったのに、今は居心地が悪い事この上ない。
「な、なんで急いそんな事を言いだしたんですか?」
最初は珍しい料理を食べたので驚いたくらいだったが、鰻の話題が出た辺りから、椿屋さんの反応が劇的に変化したように思う。
「そ、それは……うちは今は繁盛しておりますが、それはこの、お藍が稼ぎ頭になってくれているからです」
「それはそうなんでしょうけど、椿屋さん御自身の努力あってなのでは?」
いくら女性が美人揃いでも、店の雰囲気が悪ければ客足は遠退くだろう。
「努力は惜しんでいないつもりでございます。ですが、この古市でも大きな店という驕りがあったのでしょう。でなければ、あのような騒動に見舞われるはずが……」
「あー……」
椿屋さんは自分や店の至らなさが、昨夜の騒動への経緯になっていると考えているみたいだ。
「それで、どこから俺に料理をって話になるんですか?」
接客態度なんかを改めるというならわかるが、ここまでの話の流れで、俺に鰻料理をというところへ繋がらない。
「うちはお藍を始めとする娘達の評判は、手前味噌ですがすこぶる良いのです。しかし、座敷で出す料理は、良くも悪くも話題に上りません」
「あの、こういうところの料理って、言っては悪いですが、添え物的な感じなのでは?」
遊郭に来る客にとっての主目的は……言うまでも無いだろう。
「それは間違いではございません。ですが、客にしても娘達にしても、食べる物がおいしければ、それだけで雰囲気作りになりますし、娘達にとっては毎日の物ですから」
「あー……」
「その日の仕入れや盛り付けなどでの差はありますが、この辺りの店で出す料理は、どれも似たような物で、特色などは殆ど無いのです」
この手の店で出される料理というのは見栄え重視な物が多いし、地域性で味付けも似たような感じになってしまうのだろう。
「先程、鈴白様のお作りになった料理は、おいしいのは勿論ですが、見栄えや食べ易い工夫もされておりますし、何よりも、鰻という素材をこれ程洗練されるとは……」
実際に洗練させたのは、元の世界の数多の鰻の職人さんなんだが、ここは褒められたと思っておこう。
「極端な話ですが、食事だけを目当てに客が来るような店に出来ればと、私は思っております。勿論、娘達を蔑ろにする気はございませんが……」
土下座しながら語る、椿屋さんの決意は強固なようだ。
(現代でも店の自慢の一品、スペシャリテを求めて来店するお客もいるしな。そして、おいしい料理を食べれば、客も働いている人も幸せになれる、か……)
江戸の大前はうまい料理と美人の接客で繁盛したのだが、椿屋さんは逆のアプローチ、美人の接客にうまい料理を組み合わせようとしているのだろう。
「良太ぁ……」
「う、うーん……」
あまりの状況に、おりょうさんが俺の名を呼ぶ。
「兄上。別に旅を急ぐ訳では無いのですよね?」
「頼華ちゃん? そうなんだけど……」
親しくなった人達に惜しまれて江戸を出たのに、伊勢で同じような事をするというのが、少し割り切れない理由だ。
(教えるのは、正直構わないが、伊勢に滞在すると、朔夜様がなぁ……)
伊勢は天照坐皇大御神様と共に、代官である尾張織田の朔夜様のお膝元でもあるのだ。そして代官所は、古市の目と鼻の先である。
「なあ御主人」
「黒ちゃん、どうかした?」
「こういうのって、なんて言うんだっけ……御主人があたい達や、おりょう姐さんや頼華と出会ったのと同じなんじゃないの?」
黒ちゃんが核心を突いてきた。
「運命、かな?」
「そう! それ!」
「黒は主殿に助けられて、俺は調伏される代わりに主殿に仕える事となった」
「そうだけど……」
「では、主殿が助けて、椿屋殿やおせんとも縁が出来たのではないのか?」
「んー……」
実はこの地へ誘導したのは天照坐皇大御神様なのだが、となると、これも神の思し召しという事か。
「椿屋さん。お手をお上げ下さい」
「で、ではっ!?」
まだ土下座の姿勢を維持したまま、椿屋さんは俺の答えを待っている。
「本当に俺は素人なので、基本は教えます、ですが、凝った盛り付けなんかは自信がないですよ?」
「そ、それでは!?」
「ええ。暫く御厄介になります」
この決断が後々どういう方向へ転ぶのか、それは神仏にもわからない事だ。




