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尾張織田

「日付が変わるまで、あと一時間くらいかな?」

「そんなもんかなぁ?」


 俺の何気ない呟きに、黒ちゃんが即座に返答してきた。退屈なのだろう。


 俺と黒ちゃんは今、伊勢神宮の内宮と外宮の間の丘陵地帯にある、古市という遊郭が密集している場所の、比較的大きな店の屋根の上に座っている。


 二人共迷彩効果のある外套を着込んで、俺が座った脚の間に黒ちゃんが座っているというポジションだ。


「なあなあ御主人」


 会話が途切れたところで、黒ちゃんが頭を巡らせて俺の方を向き、話し掛けてきた。


「何かあった?」


 俺も注意は怠っていないが、人では無い存在である黒ちゃんが、何かを感じ取ったのかもしれないと思い、少し緊張感を強めた。


「御主人は、ああいうの好き?」

「ああいうのって?」

「ほら、あれ」


 黒ちゃんの指差す先では、高く結い上げた髪に何本もの簪を挿し、派手な着物に高下駄を履いている、多分だが花魁(おいらん)と呼ばれる女性が、独特の足取りで通りを歩いていた。


(あれ? 花魁(おいらん)は吉原だけの言い方だったっけ? 太夫(たゆう)が正しかったか? テレビや映画なんかの知識程度しか、俺には無いからな……)


 黒ちゃんの質問に答える前に、頭の中の記憶を呼び覚ます方に気を取られていた。


「あたいがああいう格好したら、御主人嬉しい?」

「黒ちゃんが? うーん……一度くらい見てみたい気もするけど、嬉しいっていうのとは違うかな」


(黒ちゃんの芸妓コスプレねぇ……)


 頭の中で想像してみたが、色んなファッションなんかは見てみたいと思うが、そういうのが好きかと訊かれれば、答えはNOだ。


「今は女の子の姿だけど、元の鵺の姿でも、黒ちゃんは黒ちゃんだからなぁ」


 これは別に、俺の脚の間に座っている可愛い子の正体が、実は妖怪だから見たくないとかいう事では無く、出会ってから今日まで一緒に過ごしてきた相手の、本質的な部分の個に好意を持っているので、既に外見は関係なくなってきているという意味だ。


(んー……漠然とした言い方になっちゃったけど、黒ちゃんには通じてるかな?)


「っ!」

「わっ!?」


 俺の言葉を聞いて、何故か黒ちゃんのお尻から蛇の尻尾がピョコンと飛び出した。驚いて声が出てしまったが、日付が変わりそうな時間だというのに賑わっている、不夜城のような古市の喧騒に掻き消された。


「えっ? えっ!? 黒ちゃん、どうしたの?」

「ご、御主人……あ、あたいが醜い姿でも、嫌いにならないでいてくれるの?」

「醜い姿って、鵺の姿の事? 嫌いになんかならないよ」


(鵺、キメラなんて見た事が無いから、びっくりはしたけどね)


 最初に黒ちゃんと白ちゃんを見た時に驚いたのは確かだが、特に嫌悪感なんかは感じなかった。


「あ、あたいや白はぁ、人に見られたら、醜いとか怖いとかしか言われてこなかったからぁ……」


 どうしてこうなったと言いたいが、黒ちゃんが涙ぐみながら、身の上話を始めてしまった。


「んー、黒ちゃん達は、主に夜に活動してたから、それも原因なんじゃないのかなぁ」


 元の世界の江戸時代と違って、行灯や蝋燭以外の照明もあるのだが、それでも現代に比べれば街灯などは整っていないし、何よりも妖怪が現実にいるので、正体不明の存在を目にしただけでも、恐怖感は感じるだろう。


「俺だって、夜歩いてて、猫が横切っただけでも驚くよ」

「御主人が!?」


 そんなに意外だったのか、黒ちゃんの目が驚愕に見開かれている。


「で、でもね、驚くんじゃなくって、あたい達の本当の姿って……醜いでしょ?」

「醜いっていうのとは、ちょっと違うんだよなぁ……」


 醜いとか怖いというのは、かなり個人の主観が入ると俺は思っている。例えばドラゴンにしたって、強くて格好いいと思う人と、醜くて怖いという人とかに意見が分かれると思う。


 実は思いっきり興味本位で、黒ちゃんと白ちゃんの生物的特徴を、一度じっくり観察したいと思っているのだが、怒らせたり悲しませたりする可能性が高いので、今のところは黙っている。


「ちょっと変わってるのは間違いないけど、黒ちゃんも白ちゃんも、俺は醜くなんて思ってないよ」

「ふ、ふぇぇぇぇぇ……」


 何故か、黒ちゃんが俺に縋り付いて泣き始めた。


「えええっ!? なんで泣くの!?」


 号泣とかでは無いので、潜伏しているのを発見される恐れは低いと思うが、それでも泣き出した理由に思い当たらないので焦る。


「ご、御主人は、今の姿になったから、あたいや白を傍にいさせてくれてるんだと思ってた……」

「今の姿なら、街中で目立たないとは思ったけどね。黒ちゃん達が気にしないのなら、街中以外、例えば山道を歩くときとか、あとは宿の部屋とかでなら、鵺の姿でいてくれても構わないよ?」


 これは街に住む人を驚かせたくないというだけの理由だが、ドランさん達のような外国人のように、慣れれば受け入れられるのでは? と、思わないでもない。


(日本の固有種の以外の犬、例えばセントバーナードなんかは住民には珍獣、猛獣の類に見えるだろう。だとしたら、外見的なハンデはそんなに無いんじゃないのか?)


 もしかしたら人懐っこい分だけ、黒ちゃんの方が受け入れられて街の人気者に……って、ここまでくると妄想である。


「ううん! 御主人と同じ人の姿だったら、どこでも一緒にいられるし、御主人もこの姿の、その……胸とかお尻とか、好きでしょ?」

「……は?」


 いきなり何を? と思ったが、つい視線が、俺に押し付けられて変形している部分に向いてしまった。


「この間、一緒に風呂に入った時に見てたよね? あ、いくら見ても、いいんだよ?」


 この間というのは、鎌倉で白ちゃんも交えて入浴した時の事だろう。


「いや、その……うん。見てたね」


 黒ちゃんも白ちゃんも、それぞれ魅惑の肢体だった。ここで嘘をつく必要も無いので正直に答える。


「触りたい? 触るだけじゃなくて、好きにしてくれていいんだよ?」


 挑発気味な言葉と共に黒ちゃんからの圧力が強まって、双丘が複雑に形を変えている。


「あー……触りたくないって言ったら嘘になるけど、今は天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)様から与えられた任務があるしね」


 黒ちゃんの吸い込まれそうな黒い瞳に見つめられて、思わず着物に包まれている、たわわに実った膨らみに手が伸びそうになったが、なんとか理性がブレーキを掛けてくれて思い留まった。


「じゃあじゃあ、任務が終わったら、好きにしていいからね?」

「あ、ありがとう?」


 今というのを回避出来たが、もしかしたら一時凌ぎにしかならなかったかもしれない。


「……ん?」


 その時体表を、チリチリという感覚に撫でられたような気がした。


「御主人も気がついた?」

「黒ちゃんもか。なら、間違い無さそうだな……」


 古市という場所には似合わない、チリチリという明確な殺気を感じ取り、俺と黒ちゃんは立ち上がった。


「念の為に、最初は俺一人で対処するから、黒ちゃんは周辺に気を配ってて」

「おう!」


 俺達は潜伏していた店の屋根を蹴って、殺気を感じた方向へと身を躍らせた。



「ひ、人殺しーっ!!」


 何軒かの店の屋根を飛び移ると、とある一軒の遊郭の前で、乱れた着物を直そうともしない地面へ蹲った若い女性が、左手を抑えて悲鳴を上げていた。


 俺と黒ちゃんが屋根の上から見下ろすと、近くには脇差だろう、血が滴る短い刃物を持った、二十代くらいの荒事とは無縁そうな感じの男が、無表情で立ち尽くして女性を見ている。


 周囲には悲鳴を聞き付けて集まった野次馬が、男女問わず数人いるのだが、危険を感じているのだろう、誰も一定の距離以上には近付こうとしない。


「……」

「ひっ!?」


 小さく悲鳴を上げた女性を無視して、男は刃物を携えたまま、遊郭の中へ入って行こうと歩き出した。


「黒ちゃん、女の人をお願い!」

「おう! 任せといてっ!」


 声を掛けると同時に屋根を蹴ると、以心伝心で黒ちゃんも俺の後に続いた。


「むっ!?」


 頭上を飛び越えて店との間に降り立った俺に、男の顔に僅かに驚きの色が浮かんだが、すぐに表情を消すと、無造作に刃物を突き込んで来た。


 俺は半身を開いて躱しながら、鎖付きの苦無、羂鎖に(エーテル)を流して操り、男に巻きつけて捕縛する。


「くっ!? は、離せぇっ!!」


 地面に転がった男は、それでも刃物を握りしめたままなので、俺は近づいて軽く額の辺りを撫でるような一撃で、男を昏倒させた。


(う、うまくいったよね? 死んでない……よね?)


 骨が砕けるような音なんかはしなかったから大丈夫だと思うが、どうも微妙な力加減がわからないので、昏倒した男の口元に羂鎖の苦無の部分を近づけて、吐息で曇ったのを確認してホッとした。


「えっと、どなたか番所、で、いいのかな? ここの警備なんかをしてる人を呼んで貰えますか」

「お、おう。兄ちゃん、ちっと待ってな!」


 ここで働いている人なのか、客なのかはわからないが、着流しの若い男性が俺の言葉で走り出した。


「御主人っ! この人、指が……」

「っ! 今行く!」


 黒ちゃんが身体を支えている女性に近づくと、良く見れば近くの血溜まりの中に、二本の指が見える。どうやら男の刃物で切断されてしまったようだ。


「間に合うか……」


 幸いにというか、刃物による傷は切断面が滑らかだから、うまくすれば繋がる可能性がある。


 俺は血溜まりの中から指を拾い上げ、腕輪に仕舞ってあった荷物の中から竹の水筒を取り出し、血と汚れを洗い流してから手のひらに置いて、組織が壊死してしまわないように(エーテル)を馴染ませる。


「あの、痛いでしょうけど、手を開いて下さい」


 俺は怪我を追っている、二十代半ばくらいの女性に話し掛けた。


「で、でも。手を離したら、血が流れちゃう……」


 見た目にもかなりの出血なので、女性は傷口から手を離すのを躊躇っている。


「早く! 一刻を争うんです!」

「っ!? はっ、はいぃっ!!」


 急ぐあまり、無意識に声に(エーテル)を込めてしまったようで、怪我をしているにも関わらず、女性が驚愕の表情で俺に手を差し出した。


「ひぃっ!? ご、ごめんなさいぃ!!」


 どうやら声に巻き込んでしまったらしく、何故か黒ちゃんまで俺に謝ってきた。


「ああ、ごめんね黒ちゃん……後で謝るから、とりあえずこの人を、後ろから抑えててくれるかな」

「お、おうっ!」


 女性の脇で支えてくれていた黒ちゃんが背中側に移動し、腕を持ってくれた。


「あ、あの……」

「大丈夫です。痛くはしませんから」


 自分の手の状態を見て顔が蒼白になっている女性に、出来る限り優しく語り掛けた俺は、位置を間違えないように女性の指を切断面同士でくっつけると、慎重に(エーテルを流し込み始める。


(肉体が傷つけば、周囲を取り巻いている(エーテル)も傷つく。ならば、(エーテル)を修復すれば、肉体も……)


 目を凝らして、既に別々の存在になってしまっている手と指の(エーテル)を、傷ついて血と共に流出してしまった分を補うと同時に、一つに繋ぎ戻すイメージをする。


「あ……な、なんか痛かった場所が、むず痒い感じに……」


 苦痛に顔を歪めていた女性が、戸惑い気味に言葉を漏らした。


(腕輪を使えば楽なんだけど、これ以上目立ちたくは無いしな……)


 周囲の(エーテル)を集めて、無限に俺に供給してくれる周天の腕輪の力を使えればと思うくらいには、人の部位の欠損の治療に必要な(エーテル)の量は多かった。


「んんっ……」


 女性が僅かに身震いすると、無意識の行動のようだが手に力が入り、繋がった指が動いた。


「ふぅ……もう大丈夫そうですね。黒ちゃん、もう離していいよ」

「おう!」


 外見的には傷らしい傷は確認出来ないし、凝らした目でも、手と指の(エーテル)は一体化したように見えるので、後は流出した血液の分を食事などで補えば、遠からず完治するだろう。


「「「おぉぉ……」」」

「……え?」


 女性の手を離すと、周囲から溜め息のような声が上がった。手の治療に夢中で気が付かなかったが、いつの間にか俺達は人垣に囲まれていた。


「あ、ありがとうございますっ!」


 苦痛による物では無さそうだが、涙を流した女性は髪や着物の乱れを直す前に、俺に向かって平伏した。


「あ、いや、そんな……」

「凄ぇな兄ちゃん!」

「そうだ! 御主人は凄いんだぞ!」

「ちょっと黒ちゃん、やめて……」


(これ以上目立ちたく無いんだってば!)


 思わず叫びそうになったが、今度はそれが原因で目立ったしまうので、グッと言葉を飲み込んだ。


「ほんとに! ちょいと、この後うちの店にどうだい?」

「勘定は俺が持つからよ、お嬢ちゃんも一緒に、パーッと行こうぜ!」


 客や遊郭の主人らしい男性や、下働きや遊女らしい女性から声を掛けられたり背中を叩かれたりする。


「済まぬが、歓迎は少し待ってくれるか」


 俺と共に、周囲の人達が声に振り返ると、そこには羽織袴姿で十手を持った中年の男性が、手下と思われる刺股を持った男性二人を伴って立っていた。


「松永の旦那ぁ! このお人は、騒動を鎮めて、怪我人まで助けてくれたんですぜ!」

「そうだよぉ! この人に酷い事したら、旦那でもタダじゃおかないよっ!」

「ああ。わかってるよ。でもな、事情聴取はしないとよ。おい、お前さんのとこの店主はいるかい?」


 松永というらしい十手を持った男性は、俺が手の怪我を治した女性に問い掛ける。


「は、はい。店主は中に……」

「一体、何事でございますか?」

「あ、旦那様……」


 タイミング良く、女性が旦那様と呼ぶ、店主らしい初老の男性が出て来た。言葉からすると、どうやら騒動には気がついていなかったようだ。


「お宅んとこのこの人が、そこで転がってる野郎に襲われたのを、こちらの兄さんが助けてくれたんだとよ」

「そ、それは誠ですか!?」

「旦那様、本当です。それに、斬り付けられて千切れたあたしの指を、繋いで下さって」

「な、なんとお礼を申し上げれば良いか……この通りでございます」

「あ、いや……」


 店主の男性まで俺の前に平伏してしまったので、居心地が悪い事この上ない。


「店主、礼は後にしてくんな。先ずは聞き取りをしたいんで、代官所に」

「は、はい」

「兄さんの事は疑っちゃいねえが、これも仕事なんでな」

「わかりました。あの、この子も一緒じゃないと不味いですか?」


 俺が周囲の人に持て囃されているので、腰に手を当てて鼻高々な感じで微笑んでいる黒ちゃんを指差した。


「ん? いや、兄さんが来てくれりゃ、構わねえよ」

「そうですか。黒ちゃん、俺はちょっと話をしてくるから、先に宿に戻って、白ちゃんに心配無いって伝えてくれる?」

「おう! でも、あたいが一緒にいないで大丈夫?」

「うん。終わったらすぐに帰るから、大丈夫だよ」

「わかった! 早く帰ってきてね!」


 ひらひらと手を振りながら、黒ちゃんはあっという間に走り去った。


「それじゃ行きましょうか……っと、あの人を縛り直しますか?、それとも、このまま俺が?」


 現状は羂鎖で捕縛しているので、万に一つも逃げられる事は無いが、職務上、俺が連行するのは不味いかもしれないので確認した。


「あー、そうだなぁ。おう! そいつに縄を打ちな!」

「「へいっ!」」


 刺股を持っていた手下の男性達が、手慣れた様子で倒れている男の腕から身体に縄を打った。俺は羂鎖を回収する。


「それじゃ兄さん、行こうか」

「はい」


 十手を持った松永という男性の後に続いて、俺は店主の男性と被害者の女性と共に歩き出した。捕縛された男は気を失ったままなので、戸板に乗せて手下の男性たちが運んでいる。



 代官所で、座卓を挟んで座った羽織姿の男性、この一帯の見回り役だというの松永様に事情聴取を受けると、困った事態に直面した。


「生まれは江戸で、両親とは死別。仕事は料理屋で、身元を証明してくれるのは……おいおい兄さん。いくらなんでも鎌倉の源の頭領が、身元を証明してくれるってのはねえだろう」


(両親と死別と言っても、死んだのは俺の方なんだが……さてどうしよう)


 江戸の蕎麦屋、竹林庵に間借りしていたのだが、明確な住所というのが無い俺には、身元を証明できる手段が無いので、娘の頼華ちゃんを預かっているから頼永様の名を出したのだが、どうやら信じて貰えなかったらしい。


 連絡を取って貰えれば頼永様に身元を証明してもらえるのだが、当たり前だが電話のような手段は無い。


(まあ、見るからに武家っぽく無いから、当たり前か。頼永様に身元保証の書状でも頂いとくんだったかな…………あ)


 身元を証明出来る物を持っているのを思い出したが、もしかしたら源家よりも信じて貰えないかもしれないので、ちょっと出すのが躊躇われる。


「あの、これで保証になりますか?」


 このままでは埒が明かないので、俺は懐から出したと見せかけて、腕輪から鞘に入った刃物を取り出して、代官所の座卓の上に置いた。


「こ、これは!? 兄さん、あんた徳川の縁の人かい?」


 俺が置いた、徳川の家紋が入った立派な拵えの懐剣を見て、松永様が目を見張った。


「あ、いや。俺は商売でお屋敷に出入りしてまして、これは通行証代わりにと頂いた物です」

「おいおい。嘘言っちゃいけねえよ。家紋入りのこいつは、一族の者でも無けりゃ持てないもんだぜ?」

「本当なんですけど……」


(家宗様は江戸以外にも、あちこちに子供が居るらしいから、その内の一人くらいに思われたのかな?)


 もしかしたらだが、徳川の傍流の人間とでも勘違いされてしまったのかもしれない。


「おい。その者の言っている事は本当だ」


 突然、聴取を受けていた部屋の扉が開き、羽織袴姿に帯刀している若い女性が入って来た。


 女性は年齢は二十代になるかどうかくらいで、二十代後半と思われる松永様よりは下だろう。綺麗な長い黒髪を束ね、凛々しい顔立ちそのままの口調と立ち居振る舞いをしている。


「代官、本当ですかい?」

「松永。貴様……私の言う事が信じられんのか?」


 眼光鋭く、代官と呼ばれた女性は松永様を睨みつけながら、どっかりと、俺の前の空いている椅子に腰を下ろした。


「そういう訳じゃ無いんですが、源と徳川が身元保証している人間なんているんですか?」


 物理的な威力がありそうな眼光を気にも留めず、松永様は涼しい顔で女性を見返す。


「現にそこにいるだろう。その方、お手柄なのに不便を掛けてすまんな。だがもう少し、話を聞かせてくれ」

「あ、はい」


 領主に命じられて所領を管理する、代官という役職に相応しい風格や威厳を女性は持っているが、どことなくおりょうさんに似ている線の細い美貌は、お姫様と言われても違和感が無さそうだ。


「昨晩な、神託があったのだ。天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)からな」


 驚いた事に、目の前の女性は天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)様に、様を付けなかった。


「その神託ってのは、どんな内容で?」

「古市で騒動が起きるかもしれないなんて、はっきりしない内容だったが、それを解決した人間の言う事は、全て真実だという物だ」


 代官とその部下という感じでは無い口調で男性が話しかけるが、いつもの事なのか、女性の方も意に介した感じでは無い。


「へへぇ。じゃあこの兄さんは、源と徳川だけで無く、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)とも(ゆかり)があると?」

「そういう事なんだろうな。む。我らが神を軽んじているような物言いをするので驚いたか?」

「ええ、まあ……」


 少しは織田の信仰に対するスタンスを知ってはいるが、ここまで徹底しているとは思わなかった。


「勘違いしないで貰いたいが、我々とて神の存在は信じておるし、蔑ろにはしておらん。なにせ、伊勢参りの旅人と、旅人相手の商売のお蔭で、領内の経済は潤っておるからな」


 女性はくっくっくと、含み笑いを漏らした。どうやら女性を含めて織田の人達は非常に考え方がドライのようだ。


「ところで、事情聴取自体はこれで終わるが、もう少し話を訊きたいのだが、構わんか?」

「構いませんけど……」


 綺麗な顔に人の悪そうなニヤニヤとした笑顔を浮かべ、女性は座卓に身を乗り出して俺を覗き込んで来た。


「あーあ。姫に気に入られちまったか。可哀相に……」

「姫と呼ぶんじゃない」

「……」


(……なんか既視感(デジャビュ)?)


 最近はあまり聞かなくなったが、似たような口癖がある少女を思い出さずにはいられない。


「兄さん、この人はな、この伊勢の代官であり、尾張織田のお姫様、朔夜様だ」

「えっ!?」


 俺の驚きは、目の前の女性、朔夜様が織田の姫だという事では無く、また妙な縁が出来てしまったのか? という物だった。


「そんなに驚く程、私は姫とか呼ばれるような感じでは無いか?」


 姫と呼ぶなと自分で言っていた朔夜様だが、俺の反応を見て少し傷ついたような表情をする。


「け、決してそんな事は! 凄くお綺麗です」


 職務上なのか、朔夜様には化粧っ気が無いし、長い髪も無造作に結んであるだけだが、女性用の着物に着替えて微笑んだ姿を想像するだけでも傾城レベルでなので、俺の言葉はお世辞などでは無く本心からの物だ。


「ほら見ろ。私はその気になれば夫にする男など、よりどりみどりなのだぞ」


 朔夜様は、エッヘン! と、胸を張る。


「ですがねぇ。姫よりも強い男じゃなきゃ嫁にならないなんて、無茶もいいとこですよ」

「ほっとけ!」


(あれ、今の言葉にも、なんか既視感(デジャビュ)が……こっちの世界のお姫様って、みんなこうなのか?)


 どうやら武家の息女は、似たようなメンタリティを持つみたいだ。


「ところで噂に聞いたのだが、なんでも源の鬼姫を退けた強者(つわもの)がいるようなのだが、その方、知っておるか?」

「……そ、そんな人がいるんですか?」


(はい。私です……なんて、言える訳ねぇーっ!)



 普通なら言ったとしても信じてもらえないはずだが、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)様の神託に関係する者という時点で、話を受け入れられてしまう可能性が高い。


「うむ。まだ幼いが頼華姫は、関東有数の猛者である、父の頼永殿に匹敵するという剣の冴えだと聞く」

「奥方が、これまた強いんでしたね?」

「頼華姫は太刀、奥方の雫殿は薙刀と得物は違うがな。だが、雫殿の薙刀の腕前は、あの巴御前にも比肩するものだそうだ」

「……」


 楽しげに話す朔夜様と松永様だが、頼華ちゃんとは同道してるし、頼永様とも雫様とも面識のある俺は、なんとも居心地が良くない。


「伝説の武人と並ぶような腕前の奥方と同等の頼華姫を退けたなんて、流言飛語じゃないんですか?」

「いや、そうでも無いようだ。相手の正体は不明なんだが、この話自体の出処は、他でもない源の頼永殿かららしいからな」


(頼永様ーっ!?)


「そうなんですか?」

「うむ。鎌倉を訪れた客を相手の宴席などで、「やっと娘にも相応しい相手が現れたようです」などと、実に楽しそうに語られたそうだ」


 思わぬところから、俺の計り知れない距離の外堀から、頼永様が埋めに掛かっているという情報が(もたら)された。


「という事は、本当にそんな輩がいるって事ですね」

「ふふふ。是非とも一度、手合わせを願いたいのぅ……」


 松永様の言葉を受けて、怪しくも美しく、朔夜様が微笑んだ。


「姫に限って遅れを取るような事は無いと思いますが、負けたら本当に嫁に行くんですか?」

「嫁に行くのか婿に入ってもらうのかは相手次第だが、絶対に逃さんよ。それと、姫と呼ぶんじゃない」

「……」


(もう尾張織田の領地内では、下手な事は出来ないな……)


 俺の正体がバレたら、間違い無く朔夜様に一騎打ちを申し込まれてしまうのだ。


(朔夜様は美人だけど、殴り合いから始まる恋愛ってのはなぁ……)


 勝っても負けても、面倒事にしかならないのが頭が痛い。


「そういえば兄さん、えっと……鈴白良太だったか? あの野郎を捕縛した手際は見事だったな」

「ふむ。その上、襲われた娘の切断された指を繋げて癒やしたと言うではないか。どのようにやったのだ?」


 朔夜様も松永様も、興味津々な顔で俺に尋ねて来た。


「えっと……旅をするのに、多少は捕縛術に覚えがありまして。指を治したのは、これも少しですが、気功治療を学んでおります」

「そうか。それならかなり消耗しているだろう」

「ええ。疲れましたね」


 かなりの量の(エーテル)を流し込んだ自覚はあるが、それは消耗を感じる程では無い。勿論、総量としては減ったのだが、時間経過による回復もあるので、軽く食事でもすれば全快するだろう。


 完全に口から出まかせでも無いのだが、とりあえずは朔夜様と松永様を納得させる事は出来たようで、俺は心の中でホッと溜め息をついた。


「では、これにて終わろうか。もしもなのだが、追加で聴取をする事があるかもしれん。その場合は、宿屋へ連絡を入れれば良いか? それとも、明日には出立してしまうか?」

「明日、もう一度参拝をする予定ですので、少なくとも午後一杯は宿に居ると思います」

「然様か。御苦労であった。騒動を穏便に鎮めてくれた事、領民に代わって礼を言おう」

「あ、そんな……」


 朔夜様と部下の男性が、立ち上がって深々と頭を下げてきたので、俺も慌てて立ち上がり、頭を下げた。


「悪いのは下手人だが、奴へも生きて沙汰を出す事が出来るのだ。これも皆、そなたのおかげだ」

「いえ。それでは俺は、これで失礼します」


 再び軽く頭を下げて、俺は代官所を出た。



「おお! お待ちしておりました!」


 聴取されていた代官所から一時間くらい経ってから出た俺を、遊郭の店主と助けた女性が待っていた。


「鈴白様というお名前だそうですね。本当にお世話になりました」

「ありがとうございます……」


 店主と女性は並んで、俺に深々と頭を下げてくる。


 椿屋という遊郭の店主は清右衛門さんという名で、店で下働きをしているらしい女性の方は、おせんさんという名だそうだ。


「お手を上げて下さい。あの、指は大丈夫ですか?」


 動くのは確認したが、今までのように出来なかったり、違和感を感じたりしていないのかが気になった。


「お気遣い頂きまして……諦めておりましたが、おかげさまで、斬りつけられる前と何も変わりがありません」

「そうですか……」


 大丈夫だろうとは思っていたものの、おせんさん自身の言葉を聞いて安堵の溜め息が出た。


「本当に、奇跡のようでございます。鈴白様、お礼をして差し上げたいので、御足労ではありますが、私の店までお出で頂けませんか?」

「え……」


(この人の店というと、間違い無く遊郭……で、お礼?)


「あ、いや。もう宿は決めてあるし、連れもいますので」

「そんな事を仰らずに。お世話になった方を疎かにするようでは、客商売はやっていられません。それに、鈴白様の武勇伝は、店の周辺では知れ渡っておりますし」

「!?」


 なんかとんでもない情報を聞いたが、現場での野次馬の事を考えると、椿屋さんが嘘を言っている訳では無さそうだ。


(武勇伝って……また悪目立ちしちゃったかなぁ)


 人助けをしたのは後悔していないが、場所が遊郭というのは全く自慢出来ない。


「お連れ様がいらっしゃるというのでしたら、その方達も歓迎致します」

「連れもって、俺以外は女性なんですけど」

「ええ、ええ。女性でも、歌や踊りで楽しんで頂けますし、料理も酒も振る舞わせて頂きますので、是非に」


 なんか椿屋さんが必死で、おせんさんの方も、俺を見ながら涙ぐんでいる。


「はぁ……わかりました。明日は午前中は参拝をするので、午後から伺わせて頂きます」


 黒ちゃんと白ちゃんの労をねぎらいたいから、料理と、俺は飲まないけど酒でもてなしてくれるというなら、敢えて断る事も無いだろう。


「あの、くれぐれも言っておきますが、俺には女性によるもてなしは不要ですので」

「わかっております。お連れ様が女性でしたら、必要ございませんね」


(そういう事じゃ無いんだが……まあいいか)


 少し誤解されたようだが、とりあえず余計な接待と、女性に興味が無いという勘違いをしないでくれただけで満足しておこう。


「それでは、明日のお越しをお待ちしております」

「今日は本当にありがとうございました」


 口々に礼を言いながら頭を下げる、椿屋さんとおせんさんに見送られて、俺は皆の待っている宿に向けて歩いた。

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