伊勢参り
「あれがそうなのかな?」
鳥羽の港から三時間ほど歩くと、行き来する人の密度や食事処などが増え始めた。どうやら浅草と同じ様な門前町のようで、凄く賑わっている。
「……あれは内宮だね。お参りは、まず外宮からしなけりゃいけないんだよ」
「内宮と外宮、ですか?」
伊勢神宮が大小様々な宮社の集まりだというのは知っていたが、お参りの順番みたいな物があるのは知らなかった。
「いつか来る時のために、調べておいたのさ。さあ、こっちだよ!」
えっへん! と、言わんばかりに胸を張るおりょうさんの先導で、俺達は内宮を通り過ぎて五十鈴川を超え、豊受大神が祀られている外宮、豊受大神宮へ向かって歩いた。
手水舎で身を清めて、一礼してから鳥居をくぐると、豊受大神宮は外界と隔絶されているかのような、微かな小鳥の囀りと、参拝客の足音くらいしか聞こえてこない静謐さだ。
「なんというか……荘厳な気持ちになりますね」
何度か詣でた浅草寺の境内も、清浄な空気に満たされていたが、すぐ近くの仲見世や門前町の賑わいを身近に感じられた。
「こういうところなら、本当に神様が住んでそうだねぇ……」
俺の何気ない呟きが聞こえたのか、おりょうさんも境内を眺めながら、溜め息のようにそんな言葉を漏らした。
そんな外宮は、おりょうさんが言うには左側通行と決まっているそうだ。
「豊受大神は、産業と衣食住の神様だよ。さ、お参りしようか……っと、ここで注意があるんだよ」
他の参拝客の邪魔にならないように参道の脇に寄って、俺達はおりょうさんの言葉を傾聴する。
「ここだけじゃなくて内宮の方でもなんだけど、お伊勢さんでは、個人的なお祈りはしちゃいけないんだよ」
「姉上、それでは、どういう事をお祈りするんですか?」
皆の疑問を代表するように、頼華ちゃんがおりょうさんへ問い掛けた。
「いいかい? あたし達はこうやって、無事に暮らしてこのお伊勢さんまでやって来たんだ。そういう平穏な日常を維持出来ている事への感謝なんかをお祈りするのさ」
平穏という言葉に、最近の生活を振り返って疑問を感じずにはいられなかったが、おりょうさんが気持ち良さそうに話しているので、ここは口を挟むような野暮はやめておこう。
「なんか良くわかりませんが……いつもありがとうございます、とお祈りすれば良いのですね?」
「そうそう。あんまり難しく考えないで、神様に日頃のお礼を言えばいいんだよ」
おりょうさんの説明は簡潔明瞭、と言うよりはザックリし過ぎだが、逆に非常にわかり易い。
「なあなあ、御主人」
「黒ちゃん、どうかした?」
「あたい達が御飯食べられるのも、ここへ来たのも、御主人のおかげじゃないのか?」
「そこは黒と同じく、俺もそう思うのだが」
頼華ちゃんと違って、黒ちゃんと白ちゃんは、おりょうさんの説明に納得が行かないようだ。
「あのね、二人と出会ったり、俺が色々な材料を買ったり貰ったりして料理を作れるのも、神様の思し召しって事なんだよ」
こっちの世界に来てからの様々な出来事を考えると、神様の思し召しを感じずにはいられない。まあ思し召しどころか、実際に神様と対面したりしてるんだが。
「んー……まあいいか。御主人と会わせてくれたんだから、神様にも感謝しておこう」
「俺は神様の思し召しというよりは、主殿とはもっと運命的な物を感じているのだが……まあいい」
まだ腑に落ちないようだが、黒ちゃんと白ちゃんも、お参り自体を拒否す気は無さそうだ。
「あ! 産業の神様って事は、ドランとーちゃんの商売がうまくいきますように、なんてのは祈っていいのかな!?」
「ふむ……世話になった大前や、長崎屋、正恒の事などなら良いのだろうか?」
「それは……おりょうさん、どうなんでしょう?」
「うーん……個人って事なんで、江戸や鎌倉で知り合った人達の商売繁盛、てのならいいのかねぇ?」
この辺は、おりょうさんにもはっきりしないようだ。
「ま、まあ、ダメなら神様も聞いちゃくれないだろうし、少しくらいの間違いなら、お許し下さるさ」
「そうですね。それじゃお賽銭を……黒ちゃん、白ちゃん、はい」
俺は小銭入れから自分の分と共に、黒ちゃんと白ちゃんの分の賽銭用に銀貨を一枚ずつ取り出した。
「兄上、余にも」
「黒と白の分だけかい?」
「いや、お賽銭は自分のお金で入れましょうよ……」
同行している皆の分の基本的な飲食や宿泊代金の支払いは俺がすると決めたが、賽銭とはお参りする人間の気持ちの問題なので、自分の財布から出すべきだろう。
「それを言ったら、黒も白も給金を貰っていただろう?」
「心付け以外の給金は二人共、俺に全額渡してくれてるんですよ。お金には変わりませんけど、心付けってその名の通りお客さんの気持ちなので、賽銭にはどうなのかなって……」
大前で働いている時に貰った黒ちゃんと白ちゃんの給金は、俺が全額預かっているが、勝手に使う予定は無い。二人共お金に執着は無いけど、今後もしも何かに使いたいと言い出した時を考えて、取っておいてあるのだ。
客受けの良かった二人は心付けも、塵も積もってかなりの額を貰っていたが、こっちは俺が預からないで、自由にして欲しいと言ってある。黒ちゃんの場合は買い食いで、殆ど残っていないようだが……。
「それもそうかね……そいじゃ頼華ちゃん、はいお財布」
「はい!」
賽銭箱は無く、他の参拝客が白い垂れ幕の下へ賽銭を投げ込んでいるのが見えたので、俺達も同じようにした。予めおりょうさんに指導されていたので、二礼二拍手一礼する。
「……んっ!?」
あまり覗き込む物では無いとわかっているのだが、お祈りをして目を開けると、垂れ幕の下に積もっている賽銭に、それまで無かった金色の輝きが見えたので、思わず声が出てしまった。
「も、もしかして……頼華ちゃん!?」
「兄上、どうかされましたか?」
俺が何に対して質問しているのかがわかっていない頼華ちゃんが、首を傾げる。
「お、お賽銭に……金貨!?」
「ええ。兄上や姉上にお会い出来た事の感謝には、これくらい当然でしょう!」
「そ、そんな風に思ってくれてたんだねぇ……」
おりょうさんは笑顔ではあるが、頼華ちゃんのあまりの浮世離れした行動に、少し顔が引き攣っている。
(賽銭で百万円って、どこの大企業の社長だ……)
お金持ちの寺社への寄進の話は聞くが、それ程金に執着がない俺でも、頼華ちゃんのような真似は難しいなと思う。
「なんか、急に疲れが出たね……」
「参拝も終わったし、内宮にお参りに行く前にお昼にしますか?」
鳥羽の港に上陸して朝食をとったのが早朝だったし、それなりの距離を徒歩でも移動して時間も経過していた。
「そりゃいいね」
「余も、お腹が減りました!」
「あたいも!」
「俺もだな」
「よし。それじゃ行こうか、いい店があるといいけど……」
外宮での参拝を終えた俺達は、左側通行に従って参道を歩き始めた。
「あの、おりょうさん」
「なんだい?」
「あそこら辺って、門前町でも無いのに、妙に賑わってませんか?」
内宮を素通りして外宮に向かう時にも気になったのだが、食事処や土産物を扱う店などで賑わっていた門前町とは違う、独特の雰囲気がその一帯にはあった。
「良太、あれは……精進落しをするところだよ」
「精進落し?」
(俺の知ってる精進落しは、葬儀の後にお坊さんなんかを労うための食事の席、みたいな場だったけど、この時代に葬祭場みたいな物でもあるのか?)
しかし、伊勢より栄えている江戸や鎌倉で葬祭場なんか見た事が無いので、俺の想像しているのとは違うんだろう。
「ああもう! ちっと耳貸しな!」
「え、ええ……」
何故かおりょうさんが、顔を真赤にして俺を呼び寄せた。
「まったく。頼華ちゃんには聞かせらんないってのに……あのね良太、精進落しってのはね……」
おりょうさんが言うには、全国各地から伊勢に巡礼に来る人達は、個人差もあるのだが、旅の間中は慎ましい行いを心掛けている。だから参拝後に精進落しとして称して、俺の気になった賑わっていた場所、遊郭へ繰り出すのだそうだ。
「あそこは……江戸の吉原、京都の島原と並ぶ、日本三大遊郭って呼ばれている古市さ」
「そ、そうでしたか……どうもすいません」
(そういうのにも、日本三大とかあるんだな……)
などと考えながら、こんな事の説明をおりょうさんにさせてしまったのを反省する。
「りょ、良太が、内宮の参拝の後で精進落ししたいって言うなら、あんなとこに行かなくても、あたしが……」
おりょうさんが色っぽい流し目を送ってきながら、俺の服の裾を引っ張る。
「いや、そんな……それに、そういう儀式的におりょうさんと、というのは思っていませんし」
もしかしたら、その古市の遊郭の利用まで含めての伊勢参りなのかもしれないが、今の所俺にはそういう気は無い。
「っ!? そ、そうかい? まあ、他の連中もいるしねぇ……」
少し恨めし気に、おりょうさんは後について歩いてくる頼華ちゃん達をジト目で見ている。
「姉上、どうかされましたか?」
「いや、何でも無いよ。さて、良さそうな食べ物屋さんはあるかねぇ」
「……あ、うどんの暖簾」
「良太は、うどんがいいのかい?」
「あ、いや、そういう訳じゃ無いんですけど」
縁台のある茶屋のような店が目に入ったのだが、軒先に「うどん」の文字が染め抜かれた、短いのぼりが出ていたのだ。
(伊勢といえば伊勢うどんだけど、まだ食べた事が無いんだよな)
噂には聞いていた伊勢うどんだが、高校に入学したばかりの俺の行動圏には、扱っている店が無かった。
「久々にうどんも悪くないね。頼華ちゃんはどうだい?」
「いいですね、うどん!」
「食べた事無いけど、あたいもうどんでいいよ!」
「俺も構わんぞ」
言われてみて、江戸ではうどんは食べてないし、黒ちゃん達に作ってもあげていなかった。
「そいじゃ、うどんにしようかね」
「ええ。すいませーん! 五人なんですけど!」
「空いてる席にどうぞー!」
店の中に呼び掛けると、威勢のいい女性の返事が返ってきた。
(伊勢の、おりょうさんだな)
出会ってすぐに竹林庵で注文を取ってくれた時の、おりょうさんを思い出すような、元気のいい返事だった。
「御注文は?」
店の中から返事をくれた、着物にタスキを掛けた女性が小走りに近づいてきて注文を取る。
「うどんを五人前と、お茶をお願いします」
「あいよっ! うどん五つ!」
「はいよっ!」
女性の注文に呼応して、店の奥からも威勢のいい男性の声が聞こえてきた。
「なんか、竹林庵と雰囲気が似てますね」
「言われてみればそうかね。おや、もう来たみたいだよ」
「はい、お待ち!」
大きな盆でうどんの丼が運ばれてきて、縁台に座っている俺達の空きスペースに、それぞれの分が置かれた。
「では早速……って、なんだいこれ!? うどん、太っ!」
「兄上、この、江戸の蕎麦つゆよりも、更に黒いつゆは……」
「いー匂い!」
「ふむ。具は葱だけなのだな……」
おりょうさんと頼華ちゃんが驚いているが、俺は知識だけはあったので、それ程の衝撃は受けていない。
「でも、現物は結構凄いな……」
うどんは直径が一センチくらいある極太で、真っ黒なつゆ、と言うよりは分量的にもタレと呼ぶのが相応しい液体が僅かに掛かっていて、他には薬味の刻んだ葱が少量だけである。
「まあ食べてみましょうよ。他のお客さんは、おいしそうに食べてますよ」
俺達の周囲で勢い良くうどんを啜り込んでいる客は、ほぼ例外無く笑顔だ。
「食わず嫌いは良くないね……そいじゃ、頂きます」
「「「頂きます」」」
おりょうさんの号令で、箸で数本摘んで食べてみると、見た目に反して塩辛くは無いどころか、むしろ甘さを感じさせる、まろやかな味わいだ。
「太いけど、硬いどころか柔らかいうどんに、このつゆ……うまいもんだねぇ」
「ぷはーっ! 兄上、姉上、おかわりいいですか?」
「御主人、あたいも欲しい!」
「俺もかな。おりょうさんと白ちゃんはどうします?」
空腹なのもあるが、この柔らかいうどんとつゆの味は後を引く。
「あたしも貰うよ」
「俺もだ」
「了解。すいません! うどんを五つ追加で!」
「あいよっ!」
何気無く入った店だが、うまいうどんと気持ちのいい接客で、俺達はすっかりいい気分になっていた。
「さて、内宮の参拝ですね……あれ?」
「何かあったのかい?」
うどんの丼を置いた俺の視線が、ある店に釘付けになっているのに気がついて、おりょうさんが問い掛けてきた。
「大した事じゃ無いんですけど、あの店の名前が気になりまして」
「店の名前? あの『青福』って、のぼりの出てる茶屋かい?」
「ええ」
元の世界では有名な伊勢の名物で、餅をくるんでいる餡に独特の形状の筋が付いている。あっさりした甘さで俺の好物なのだが、日持ちがしなく土産には向かないので、あまり何度も食べた事はない。
「入るかい?」
「お昼を食べたばかりですしね。参拝した後でもいいと思います」
「そうだねぇ。じゃあ内宮のお参りに行こうか」
おりょうさんというツアーコンダクターの先導で、俺達は天照坐皇大御神の祀られている、内宮へと歩いた。
「ここも外宮と同じで、神域って感じがしますね」
大勢の参拝客が参道を歩いているのだが、外宮と同じく喧騒とは無縁の空間だった。
「ここでは右側通行だよ」
外宮と同じく、内宮でもこういったしきたりがあるようなので、みんな黙っておりょうさんに従って、他の参拝客もしているように参道の右側を歩く。
「これが正宮だね」
礼をして一の鳥居、二ノ鳥居をくぐって、伊勢神宮が宮社の集合地帯だと知らない人間にとっては、これがイメージしている伊勢神宮である場所、正宮までやって来た。
「……意外と質素なんですね」
知っている初詣などで賑わう神社仏閣は、少し派手なヴィジュアルなので、正宮もそうなのかと思っていたら、茅葺き屋根の木造建築である。
しかし質素ではあるが、木造の重厚さを感じさせる作りであり、ここが神様の住まいと言われれば、納得は出来る雰囲気を醸し出している。
「ここには太陽神であり、農耕の神でもある天照坐皇大御神様、怪力の神の天手力男様、織物の神の栲幡千千姫様が祀られているんだ」
天照坐皇大御神だけが祀られているのではない、というのは知らなかったので、おりょうさんの説明は俺にとっては軽く衝撃だった。
「姉上、三柱の神様が祀られているのですが、ここでも個人的なお祈りはしてはいけないのですよね?」
「そうだねぇ」
「あの、江戸や鎌倉が、いい気候に恵まれますように、というのは大丈夫でしょうか?」
鎌倉で始めた塩の生産は、水分を蒸発させるのに晴れた方が都合がいいので、一応は個人の祈りでは無いと思うが、おりょうさんに確認してみた。
「それくらいなら良いんじゃないのかい? 多分だけど、みんなが望んでいるだろうし」
「それじゃあ、お参りしましょうか」
外宮と同じく、この内宮の正宮にも賽銭箱は無いので、垂れ幕の下へ投げ入れてから二礼二拍手一礼する。
「……ん?」
何度か経験している、俺の周囲の音が途絶える現象が起こっていたのだが、元が静かな場所なので、少し反応が遅れた。
「良くぞ参られました。鈴白良太様」
柔らかな後光を身に纏っているので顔はハッキリとは見えないが、それでも分かる範囲だけで、鎌倉の雫様とイメージが重なる和風美人という感じの容貌の、ほっそりとした肢体の女性が、鈴が鳴るような声で語り掛けてきた。
「もしや……天照坐皇大御神様ですか?」
「然様です。供の方達には済みませぬが、あなただけと話すために、この様に隔絶させて貰いました」
観世音菩薩様や八幡神様の時にも起きた、この自分と神様以外がの世界が停止してしまう現象を、隔絶と言うのだろう。
「それで俺……私に一体何を?」
「自分から話すために出向いたのに申し訳ないのですが……我にも詳しくは話せないのです……」
「……は?」
多分、今までの傾向からすると俺に何かをしろという事なのだろうけど、詳しく話せないとは……。
「おそらくは今夜、日付が変わる時分だと思いますが、古市で騒動が起きます。それを、あなたになんとかして頂きたいのです」
詳しくは話せないと前置きはあったが、それににしたって天照坐皇大御神の依頼内容はザックリし過ぎだ。
「古市とは、あの遊郭のある?」
「そうです。方法はあなた、鈴白様に一任しますが、出来る事ならば死者が出ないようにして欲しいのです」
天照坐皇大御神様の言葉の裏を返せば、死者が出そうな騒動が起きるかもしれないという事になる。
「人が死ぬのは俺も嫌なので、協力させて頂きますが、詳しい説明は伺えないのですか?」
「ええ。神であるこの身ですが、僅かであっても未来は読めません。そして我らは地上の出来事には、直接介入は出来ないのです」
この辺は俺自身も、妙なバタフライエフェクトを発生させてしまって、少しの出来事から未来が変化してしまうというのを実感しているので、非常に納得出来る天照坐皇大御神のお言葉だ。
「あの、俺じゃなくても、天照坐皇大御神様の信者のどなたかに申し付ければ良いのでは?」
協力を断る気は全く無いのだが、これだけの参拝者がいる神様なので、もっと適役がいるんじゃないのかと思ったので訊いてみる事にした。
「むぅ……この辺りは、尾張を中心とした織田の勢力圏なのですが、あ奴らは信心が足らぬ不届き者共でして……」
「ええっ!?」
ここまで物腰が低く丁寧だった天照坐皇大御神様が、織田については余程腹に据えかねるのか、言葉の中に苦々しい物が含まれている。
それにしても、直接的にでは無いが明確な現世利益があるこの世界で、織田の人達の神仏への信心が足りないというのは、完全に俺の理解の範疇を超えている。
「別の世界から来たあなたにはわかると思いますが、魂の修行という意味では、神仏に頼らずに生きるという織田の者達の考え方は、間違いでは無いのです」
「言われてみれば、そうですね……」
俺の元いた世界とこっちの世界で、何度も転生を繰り返して魂の修業をする訳だが、織田の人達は神仏に頼るという甘えを捨てているとも言えるのだ。
「でも、神仏に頼らないのは大変ですよね?」
「ある程度以上の技術などには、制限が掛かりますからね。ですが、織田の者達も領民が神仏に祈ったり加護を得たりするのまでは、否定はしていませんので」
話を聞くと、織田の人達は神仏を奉じない罰当たりでは無く、加護や権能に頼らないというストイックな考え方をしている集団のようだ。
「質問にお答え頂き、ありがとうございます。今夜の件は、自分に出来る限りの事はしますので」
「はい。お願い致します。ただ、先に申し上げたように何も起こらないかもしれませんが、その場合でも、騒動が発生した場合でも、お手数ですが明日になったら、時間はお任せしますので、もう一度ここへお出で下さい」
「わかりました」
(しかし、遊郭か……)
人の命に関わりそうな事なのだが、それにしても場所が遊郭というのは、なんとも頭が痛い。
「そいじゃ良太、さっきの茶屋で一休みするかい?」
動き出した世界で最初に聞こえてきたのは、耳に心地良い、おりょうさんの声だった。
「そうですね。行きましょうか」
最後に軽く一礼してから、皆と連れ立って正宮を後にした。
「こういう味になるのか……」
参拝を済ませた俺達は「青福」のぼりのある茶屋の縁台で、餡に包まれた餅を食べながらお茶を飲んで一休みしていたのだが……見た目は知っている物と同じなのだが、味が明らかに違うのだ。
「餡に妙な形が付いてるけど、中々おいしいじゃないか。でもまあ、形以外は取り立てて、変わったとこは無いけどね」
おりょうさんの言う通り、江戸で食べられる餅や団子などに付けられている餡と、味が変わらないのだが、これは当たり前といえば当たり前で、現代では主に白糖を使うところを、黒糖が使われているからだ。
(どっちの方がおいしいとかの問題じゃなくて、頭の中で知っている物との乖離で混乱してるんだな……)
ミネラル分が多い黒糖もおいしいと思うが、味の記憶として覚えている物と見た目が同じなのが、ギャップを感じて戸惑う理由なのだろう。
「ところで、今夜の宿はどうしましょう?」
「特に贅沢は言わないさね。あたしゃそれよりも、風呂に入りたいねぇ」
「余も風呂に入りたいです!」
今朝まで船に乗って全身で潮風を浴びていたのだから、おりょうさんと頼華ちゃんの気持ちは良く分かる。
「宿は歩いて目についたところで、適当に決めましょうか」
「それで良いんじゃないのかい」
「では行きましょう!」
お茶を飲み干して勘定を済ませると、風呂が待ちきれないのか、頼華ちゃんに手を引かれた俺は、門前町を歩きながら宿の物色を始めた。
「そいじゃ行ってくるね」
「兄上、行ってきます!」
見た感じ悪く無さそうな宮一という宿に入った俺達は四人部屋と、一人だと相部屋になると言われたので、少し勿体無いが二人部屋を借りた。
宿代には近くの湯屋の入浴券みたいな物が含まれていたので、おりょうさんと頼華ちゃんが早速行く事になって、俺と黒ちゃんと白ちゃんが留守番だ。
「なあなあ、御主人?」
「どうかした?」
現在俺は、二階にある宿の部屋の、通りを見下ろせる窓の辺りに背中を預けて、足を伸ばして座っている。その俺の隣に白ちゃんが座り、黒ちゃんは俺の投げ出してある脚にもたれ掛かって、寝っ転がっている。
「今夜の御飯はどんなのかな?」
「……もう御飯の話?」
昼にうどんをお代わりして、その後で餅も食べて、まだそれ程時間は経っていない。
「今までは大前の仕事とか、御主人からのお使いとかがあったから、何もする事が無いと退屈で……」
「そこは俺も、黒と同感だ」
ワーカホリックという訳では無いのだろうけど、確かに俺も、手持ち無沙汰な感じがあるのは否定出来ない。
「考えてみれば、船に乗ってる時も、何かしら動いてたからな……」
十蔵さんを始めとする船乗りの人達が、親切に色々な事を教えてくれたので、退屈だろうと思っていた船の旅は非常に充実していた。
「それと、宿の食事も楽しみなんだけど、御主人の作る料理が食べたいな……」
「黒、主殿に手間を掛けるような事は」
「むー! じゃあ白は、食べたくないのか?」
「む。それは……」
黒ちゃんを嗜めようとした白ちゃんだったが、本音では俺の料理を御所望のようだ。
「俺達だけなら、山の中とかで野営でもいいんだけどね」
天照坐皇大御神様から申し付けられた件があるので、今日宿を取った事については話が違うのだが、おりょうさんと頼華ちゃんに屋根のないところで寝させるような真似は、出来ればしたくはないと考えている。
「どこかに長く滞在するとかじゃ無ければ、当分は料理は無理かなぁ」
自炊出来る宿もあるのだが、俺自身が新たな料理とも出会いたいので、宿泊などでそういう機会を逃したくないのだ。
「うー……わかった。でも、旅の途中のお昼ご飯とかに、茶屋とかじゃなくて御主人の作ったのを食べたいけど、それもダメ?」
「それくらいならいいよ」
「ほんと!? やったー!」
タイミング良く休憩出来る場所に茶屋なんかがあるとは限らないので、黒ちゃんと約束するまでも無いだろう。
「あ、そうだ。黒ちゃん、白ちゃん、ちょっとお願いがあるんだ」
「御主人のお願い?」
「なんでも言ってくれ」
黒ちゃんが跳ねるように起き上がって居住まいを正し、白ちゃんは俺に正対して座り直した。
「ああ、そんなに大袈裟な事じゃないんだけど。えっと、一緒に来て貰うのは……黒ちゃんにしようかな」
「っ!?」
「あの、白ちゃん、そんな死にそうな顔しないで欲しいんだけど……」
いざという時に連絡役が必要だなと思ったので、それを黒ちゃんに同行して貰ってお願いしようと思ったのだが、自分が選ばれなかった事が、白ちゃんにとってはかなりのショックだったようだ。
「白ちゃんにはここに残って、俺の代わりにおりょうさんと頼華ちゃんを護る役割をお願いしたいんだよ」
天照坐皇大御神様の言葉では騒動が起きるのは古市という場所だが、騒動が飛び火しないとも限らないので、いざという時の備えを白ちゃんにお願いしたいのだ。
「あ、主殿の名代だと!? 俺に任せてくれ!」
間違っていはいないんだが、妙に使命感に燃え始めた白ちゃんの期待に応えられるような事態は、おそらくは発生しないと思われる。
(真面目な白ちゃんなら気を抜く事は無さそうだから、安心感は抜群だな)
黒ちゃんの場合は退屈すると注意が逸れてしまう事がありそうなので、俺が指示をして動いて貰った方が良さそうだ。そういう意味でも今回は適材適所だろう。
「それで、具体的には何するの?」
「うん。それがね……」
俺は参拝の最中に、天照坐皇大御神様から依頼された内容を二人に話した。
神仏の信仰が生活に根付いている世界ではあるが、その宗教に帰依しているのでもない俺が、神様からお告げがとか言っても、普通の人なら眉唾に思うだろうけど、この二人は俺を全面的に信じてくれているので、話がし易い。
「成る程。しかし色街とは……どこで見張るのだ?」
「それは俺も考えてるんだけどね……」
場所が場所なので、店に入らずに立っているだけでも歩いているだけでも目立ってしまいそうだし、その上女性である黒ちゃんを同行させようというのだから、何か手段を講じる必要がある。
「少し早めに行って、考えてみるよ」
今から色々考えても思い通りに出来ない場合があるので、先ずは古市という場所に行ってからだ。
「おう! あたいも一緒に考えるよ!」
「そうだね。俺だけだといい考えが浮かばないかもしれないから、頼りにしてるよ」
「おう!」
こういう時に、心を軽くしてくれる黒ちゃんの底抜けの明るさは、俺にとっては非常にありがたく、そして貴重な物だ。
「俺は、頼りにはしてくれないのだな……」
「そんな事は無いよ。白ちゃんがここを護ってくれていると思うから、留守に出来るんだ」
おりょうさんや頼華ちゃんは戦闘力も高いのだが、なら皆で、という場所でも無いのが困り物だし、俺と違って睡眠は必要だ。
(頼華ちゃんの場合は攻撃力は疑う余地が無いけど、今回みたいに出来れば死傷者を出さないようにというのは、難しそうだしな)
簡単に事情は話すつもりだが、おりょうさんと頼華ちゃんには留守番してもらって、白ちゃんには護ると同時に二人が出歩かないように見張って貰う、というのが実質的な役割になりそうだ。




