貝殻構造
二ヶ月近くお待たせしてしまいましたが、なんとか更新です
「あたしゃ建築なんてのは良くわからないんだけど、幾ら硬いったって、間に板を一枚差し込んだくらいで、そんなに変わるもんなのかい?」
現状の里の建物の住心地に特に不満が無いからか、おりょうさんが俺のやろうとしている事に疑問を挟んで来た。
「その疑問は尤もだと思います。でも、ただこの素材を差し込んだり、置き換えたりするだけって訳じゃ無いんですよ」
「ん? そんなら、どうするんだい?」
「具体的には……こんな感じに」
俺は手の上の土を圧縮した板に更に気を流し込み、頭の中で思い描いた形にした。
「こいつは……蜂の巣かい?」
「その通りです」
おりょうさんが言ったように、俺が造ったのは薄い板で六角形が並んだ蜂の巣の様な形状の格子を挟み込んだ、所謂ハニカム構造体だった。
「……なんか大して、丈夫じゃ無さそうに見えるんだけどねぇ」
俺が手にしている構造体は、挟み込んでいる板も格子状の部分もそれ程の厚さがないので、おりょうさんには大した強度は無さそうに見えるようだ。
「まあ一見するとそうかもしれませんけど、これで強度はかなりあるんですよ」
「そうなんだねぇ」
軽量化をしつつ強度を高める事が出来るのがハニカム構造であり、挟んである板の間は中空になるので断熱にも優れ、外壁と内壁の温度差で発生し易くなる結露を防止する効果も期待出来る。
「ただ、これは壁の内側に使う素材で、外壁にはこっちを使います」
俺は手の中で、ハニカムとは違う構造体の板を造った。
「なんだいこの、薄い層が幾つも重なってるのは? なんか向こうで食った菓子の、ぱいとかみるふぃーゆってのと似てるねぇ」
「確かにパイやミルフィーユにも似てますけど、これは貝殻構造って言います」
「貝殻?」
「ええ。この間食べた、岩牡蠣の殻に似てるでしょう?」
「ああ!」
俺の説明を聞いて、おりょうさんがポンと膝を打った。
「でもぉ、なんかこいつも強く無さそうに見えるんだけどねぇ」
「確かに、そう見えるかもしれませんね」
薄い板の積層体にしか見えないので、おりょうさんには強度が低そうに思えるのだろう。
「でも牡蠣の殻だって、割って中身を取り出そうと思ったら大変ですよね?」
「そう……なのかねぇ」
牡蠣の身を取り出そうと思ったら、専用の器具か千枚通しを用意して隙間に突っ込んで、貝柱を切って開けるというのが通常のやり方だ。
強引に殻を砕こうとしたらハンマーでも使って、かなりの力で叩かなければならず、その場合には成功したとしても、牡蠣の身が台無しになっているであろう事が容易に想像出来る。
尤も里の住人の中には牡蠣でもサザエでも、素手で殻を割って中身を取り出せる剛の者が多いのだが……。
「叩けば表面の一部を欠けさせる程度は簡単ですけど、牡蠣の殻を完全に割って身を取り出すのは、意外に難しいですよね?」
「そうなのかい?」
「そうなんですよ。この複雑な形状が一部だけ割れさせて、他の部分にまで被害が及ぶのを防ぐんです」
「へぇ」
微妙に理解が追いつかないのか、おりょうさんからは話を聞きながらもイマイチ興味が無さそうだ。
「そいで、こいつを建物の外壁に使うと、なんか良い事があるのかい?」
「夏場の日差しを浴びても、建物の屋根や壁の内側が熱くなるのを防いでくれて、冬は逆に温かい室内の空気を外に逃さないんです。それに凄い力が掛かって一部が壊れたとしても、被害を最小限に食い止めてくれるんですよ」
一般的に貝殻構造といえば、コンクリートなどで薄く曲面を描くような方式を言うのだが、俺がおりょうさんに説明したのは、牡蠣などの貝類が自己防衛に用いている多層構造の事だ。
「そいつは、良い事ずくめじゃないか!」
「そうなんですよ」
興味が無さそうな表情から一転して、おりょうさんが瞳を輝かせている。
「あれ? でも、暑さや寒さに強くなるのは良いとして、今のままの建物だって決して弱かぁ無いんだろ?」
「それはそうですね」
里の建物は天沼矛という神様の授けてくれたシステムで造られているので、詳しい構造や建築法などはわからないのだが、木造なのに今のところは階段の上り下りの際などに軋み音が発生したりというのは確認されていないので、おりょうさんが言うように現状でもかなりの強度があるのは間違いないだろう。
「本音を言えば敢えての改良も必要も無いかとは思うんですけど、ちょっと手早く木材を手に入れたいので」
「ん? 木材だったら、その辺の山の中から調達すりゃあいいんじゃないのかい?」
「ついこの間、狼の風花さんと、あまり伐採をしないという約束をしてしまったんですよね」
「あー……」
説明を聞いて、おりょうさんも風花との約束を思い出したらしい。
「でも、そんなに急ぎで木材なんて、なんに使うのさ?」
「それが……」
お朝ちゃんとお夕ちゃんに木刀を造ってあげる事になった経緯を、おりょうさんに説明した。
「ははぁ……そういう約束をしちまったから、木材が必要になったって訳なんだねぇ。そいで、里の中の建物に使われている材料を置き換えて、手っ取り早く調達って事かい?」
「そういう事です」
「理屈としちゃわかるんだけど、良太にしか出来ない強引なやり方だねぇ」
「ははは……」
かなり強引なやり方だというのは自覚しているので、おりょうさんの指摘を受けても曖昧に笑うくらいしか出来ない。
「山の中を歩いて朽ちた木を探すとか、落ちている枝を探すとかしても良いんですけど、ちょっと量が……」
「子供達の人数分……か、それ以上にともなりゃ、量もそれなりに必要って訳だねぇ」
木刀を造るとなるとリクエストをくれたお朝ちゃんとお夕ちゃんの分だけでは無く、子供達全員の分どころか、頼華ちゃんや黒ちゃん達の分も必要になるかもしれないという事を、おりょうさんは瞬時に理解してくれた。
「よっしゃ。今度から里に住んでる連中は山ん中を歩く時には、出来るだけ多く枝とかを持ち帰るように言っておこうかねぇ」
「それは助かりますけど……大変なのでは?」
里では炎に関連する加護や権能、それに術を使える者が多く住んでいるので、煮炊きをするのに山を歩いて焚き木などを調達する必要がほぼ無い。
だから、里の周囲の山の中には拾われていない枝などが多くある筈だが、それは人が足を踏み入れていない、歩くには不向きな場所が広がっているという事を意味する。
今後も木材は様々な用途で必要になるとは思うのだが、伐採を抜きにした調達は中々大変なのである。
「山ん中を歩くのは良い鍛錬になるし、そん時には必ず年長者が一緒なんだから」
「そうなんですけど……」
「それに、こいつを持っている人間が一緒なら、拾った後で重荷になるのを気にしないでも良いだろ?」
「それもそうでした」
(気が急いていたからか、要らない心配をしていたみたいだな)
集めた木の枝などは嵩張るし重いので、運ぶのに背負子でも用意する必要があるかとも思ったが、おりょうさんが左手首のドラウプニールを示したので、無用の心配をしていたのに気がついた。
「黒と白は山ん中だろうが気にしないだろうし、それは戦乙女の人達もだろ?」
「夕霧さんも天さんも大丈夫そうですね」
黒ちゃんと白ちゃんは元々が人間では無いのだが、その点を別にしても抜群の運動神経の持ち主なので山歩きを苦にする事は無いだろうし、日本よりも自然環境が厳しい北欧を中心に活動していた戦乙女達もそれは同じだろう。
元々は忍びだった夕霧さんは里の近くの山中で暮らしていたのだから、この辺は庭みたいな物だろうし、天も本来の姿は山に棲む狐の妖であり、その上で全員がドラウプニールを装備しているのだから、山中の行動や採集への態勢としてはまず万全だと言っても良さそうだ。
「山ん中で枝なんかを集めるのはそれはそれとして、里の建物が頑丈になるってのは悪く無さそうだねぇ」
「建物を強くするついでに、少し各自の部屋を広くしようとも思ってます」
「ん? 今のまんまの広さでも、別に困っちゃいないだろ?」
「そう言ってくれるのは有り難いんですけど、新たに入れた寝台が、明らかに室内を圧迫しているので」
単に寝るだけの部屋だと割り切ってしまえば、各自の部屋はそのままでも良い気はしなくも無いのだが、それは寝台を入れるまでの話だ。
「あたしゃそんなに、狭苦しさとかは感じてないんだけどねぇ」
「おりょうさんはそうなのかもしれませんが、少し大きめの寝台を入れた雫様の部屋と、天さんと志乃ちゃんの部屋はちょっと……」
「そうなのかい?」
雫様や天や志乃ちゃんの部屋の中を見た事が無いらしいおりょうさんは、俺の言葉を聞いて首を傾げた。
「寝台の事を別にしても、雫様は頼永様と御一緒、天と志乃ちゃんも同じ部屋で女の子と
「あー……」
通常サイズを入れた部屋や、少しサイズが小さめの寝台を入れた子供達の部屋は問題が無いと思えるのだが、セミダブルサイズを入れた雫様、それに天と志乃ちゃんの部屋に関しては、俺には狭苦しく感じたのだ。
「広くするってぇと、どんくらいなんだい?」
「畳で二畳分くらいですか」
標準的な寝台が専有している床面積がそのくらいなので、同じ分だけ部屋の奥行きを広げようかと考えている。
「後は、来客用の館の部屋数を、少し増やそうかと」
「ん? 正恒の旦那が鍛冶の小屋で寝泊まりしてるんだから、部屋の数なら足りてるだろ?」
来客用の館の部屋数は応接室を除くと十五あるのだが、おりょうさんが言う通り、現状の住民の分だけであれば足りている。
来客用の館で生活をしているメンバーの内訳は、俺、おりょうさん、頼華ちゃん、雫様と頼永様で一部屋、夕霧さん、天と女の子で一部屋、志乃ちゃんと女の子で一部屋、大裳、太陰、天后の式神達、ブルムさんと週末に訪れるドランさんがそれぞれ一部屋を使っている。
「そうなんですけど……京の沖田様と、アーサー王がここに来たいと言っていたので」
「そいつは……それでも、部屋数的には大丈夫なんじゃないのかい?」
確かに、おりょうさんが言うように、現状で部屋数的には問題が無いように思えるのだが。
「沖田様は御一人かもしれませんけど、王様ともなると一人での行動はしないかもしれません。もしかしたら従者とかの身の回りの世話をする人達とかも一緒かも」
「あー。確かに身分の高い人ってのは、そうだねぇ……頼永様や雫様が仰々しくお供を連れていたりしないから、すっかり忘れてたよ」
一国どころか広大な版図を治めている、皇帝と呼んでも差し支えの無さそうなアーサー王くらいになると、随員はかなりの数になってもおかしくは無いのだ。
実家が武家であるおりょうさんならば、この辺は百も承知だと思うのだが、身近に居る身分の高い人物が頼永様と、その奥方の雫様であり、身の回りの世話をしているのが娘である頼華ちゃんと、ごく親しい関係の夕霧さんという事もあって、感覚が麻痺していたらしい。
「具体的には、どれくらい部屋数を増やす積もりなんだい?」
「そうですね……一階に一部屋、二階と三階にそれぞれ二部屋ずつってところでしょうか」
建物全体が横に引き伸ばされる状態になるので、各階層の部屋数が二つずつ増えるのだが、一階に関しては個室が一つしか増えない代わりに、応接室の面積が倍に拡張される。
「そいつは……結構な大仕事なんじゃないのかい?」
「そうでもありませんよ。建材の置き換えで壁とかの厚みが変わりますから、内部が広がる割には外からの見た目はそれ程は変わりません」
建材の置き換えで構造を強化しつつ外壁などを薄く出来るので、おりょうさんが心配する程には大工事にはならないで済むだろうと思う。
各建物の大きさ自体も、パッと見では少し違和感がある程度では無いかと思う。
「そっか。そんなに大変じゃ無いんだねぇ……」
「ん? おりょうさん、何か?」
俺の負担がそこまで大きくないとわかると、おりょうさんが何やら思案気な顔をした。
「ちょいとね、里で育てたい作物があるかな、なんて……」
「ん? おりょうさんにも里の管理権限は渡してあるんですから、新しい畑なんか好きにしても良いんですよ?」
里の管理権限はおりょうさんと頼華ちゃんにも渡してあるので、『天沼矛』システムを使って新たな作物の栽培に着手したり、拡張その他を行う事は可能だ。
かなり初期の段階で『天沼矛』の使い方は教えてあるので、おりょうさんにやり方がわからないという事も無い筈なのだが。
「その、畑の作物を増やした良太にぼやいた、あたしがやっちまうのはちょっとって、ね……」
言葉の内容と様子から察すると、おりょうさんは何か畑で新しい作物の栽培をやりたいのだが、俺への遠慮で躊躇っていたらしい。
「そんな事を気にしてたんですか?」
「そりゃぁ、ねぇ?」
調子に乗るとやり過ぎてしまうのは自覚があるので、おりょうさんが何を気にしているのかがわからない。
「俺は全然気にしてない……って言うと、おりょうさんにされた注意を聞き入れていないみたいになっちゃいますね」
「あはは……良太がその辺をちゃんと聞き入れてくれていないとかは、思っちゃいないさ」
俺の言葉を聞いて、おりょうさんが苦笑する。
「あのね……葱なんだよ」
「葱? 栽培するのは構わないと思いますけど、葱ならその辺で買えますよね?」
(何を言ってくるのかと思ってたけど、葱とは意外だな)
里の畑は常識外れではあるのだが、それでも栽培となると世話や収穫をいう手間が発生する。
そう考えると葱は決して高い物では無いので、京の野菜売りなどから買っても良いかなと思ってしまう。
「ほら、京を含むこの辺りで売ってる葱は、青葱だろ?」
「そうですね」
京で買える青葱は、ニラの代わりに使えるくらいに柔らかく香りが良い。
「青葱も旨いんだけど……あたしにとっては葱って言えば根深、白葱なんだよねぇ」
「あー……」
ここまで聞いて、おりょうさんの言わんとする事が理解出来た。
「こっちの味噌とかの味には慣れちまったんだけど、週に一回くらいは、朝飯には根深汁が欲しいなって」
「成る程」
「それに、鍋物なんかにゃ青葱よりは、あたしは白葱の方が合ってると思うんだよねえ」
頬に手を当てながら、おりょうさんがしみじみと語った。
(俺も関東人だから、おりょうさんの気持ちはわかるな)
おりょうさんの言う根深汁や鍋物にというのもなのだが、蕎麦やラーメンなどに薬味として使われる葱についても、関東人である俺には薄切りにした白葱を解した物というのが常識になっている。
澄んだつゆに青葱という、関西風のうどんの食べ方とかも決して悪くは無いのだが、生の状態だと独特の風味と辛味のある白葱の方がおりょうさんや俺の口には馴染んでいるのだ。
この辺は生まれ育った地域や家庭の問題であり、白葱と青葱のどちらが良いとか悪いとかいう話では決して無い。
「おりょうさんだけじゃ無く、葱は他のみんなにも親しい食べ物ですから、良いのでは」
自分が小さな頃は少し風味や歯応えなどが苦手だったが、子供達を含めた里の住人達には今のところは好き嫌いが無く、勿論だが葱も喜んで食べている。
「確か根深は、高い畝を造って栽培するでしたね?」
「そうだよ。畝の中お日さんに当たらなかった部分が、白くなるって寸法さね」
根深というくらいなので、葱の白い部分は根っこだと思われがちだが、実は葉鞘と呼ばれる葉の一部なので、根っこでは無かったりする。
「どれくらいの作付けをします?」
「んー。他の作物の畑の隣に、畝を一つでいいと思うよ」
「まあ、そんなもんですか」
根深汁や鍋などには欠かせない葱だが、それだけを大量に食べる事は少ないので、おりょうさんが言うように畝が一つあれば確かに十分だろうと思える。
それに、里の作物の発育は異常とも言えるので、収穫した葱を食べ切る前に、次が生えて育つ方が早いくらいかもしれない。
「じゃあ早速ですけど、畝を増やしましょうか」
「えっ!? あたしが言い出した事だけど、そんなに直ぐにかい?」
「ええ。これまでの里の作物の生育具合からすれば、上手くすれば数日後には根深が収穫出来るようになるでしょうから」
(フレイヤ様の言う愛の波動とやらを使えば、明日にでも収穫出来るんだろうけど……いや、無し無し)
里の作物をこれまで以上に劇的に生育させた、俺とおりょうさんの愛の波動なのだが、発生させるには当然ながら愛情のある行為、平たく言えば接吻をする必要がある。
おりょうさんとの接吻が嫌な理由など無いのだが、作物の収穫という代償を得る為にというのはなんか違う気がするので、俺の方から申し出て行ったりするつもりは無い。
勿論、おりょうさんの方から求められれば、拒否するどころか喜んで応じるが。
「さ。行きましょう」
「あ……うん!」
少し躊躇していたおりょうさんだが、俺が差し出した手を笑顔で握り返してきた。




