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鳥羽の港

「有耶無耶になる前に、情報の摺り合わせをしましょうか」


 船内に俺達の居場所を割り当てられたところで、俺はおりょうさんと頼華ちゃんに問い掛けた。


 俺達が割り当てられたのは、船底の船倉と甲板の間の区画の、天井の低い六畳間くらいの広さの空間だ。周囲には、所狭しと荷物が積み上げられている


 今は床に輪になって座っているが、寝る時には柱や梁の間に人数分張られた吊床、要するにハンモックを使う。床で寝ると、船の揺れの影響で転がったりするからだ。


「摺り合わせって、何をだい?」

「お話の前に、余はお腹が空きました!」

「……おりょうさんは?」

「あたしも、朝はバタバタしてたんで抜いちまったんだよ」

「わかりました」


 おりょうさんと頼華ちゃんに、作り置きしてあったおにぎりと唐揚げとだし巻きを、福袋から取り出して配った。


「……」


 すると、さっき食べたばかりの黒ちゃんが物欲しそうにしているので、燻製にした腸詰めを白ちゃんの分も取り出して渡した。


「やったー! いただきまーす♪」

「かたじけない」


 手持ち無沙汰なので、俺も腸詰を一本取り出して齧った。


「それで、おりょうさんと頼華ちゃんは、俺が旅に出るのを誰から聞いたんんですか?」

「あたしは、なんか良太の動きが怪しかったから、黒と白を問い詰めたら、あっさり白状したんだよ」


 おにぎりを食べ終わったおりょうさんは、唐揚げを指で摘んで口に放り込んだ。


「……は?」

「御主人に、黙っていろとは言われなかったよ?」

「何か不味かっただろうか?」


 腸詰を食べ終わって、手をペロペロ舐めている黒ちゃんと白ちゃんが、不思議そうな表情で俺を見てくる。


(言われてみれば、特に黒ちゃんと白ちゃんへ口止めはしていなかったか……)


「余は、鎌倉からの早馬の伝令で知りました!」

「あー……」


 俺が黒ちゃんと界渡りで鎌倉に行った後で、頼永様が手を回したのだ。


「計画を知ったから、後はドランの旦那と長崎屋の旦那、それと嘉兵衛の旦那から聞き取りをして、江戸を出港するこの船に、長崎屋の旦那に頼んで乗り込ませてもらったって訳さ」

「余は、夜明けと共に伝令の馬を駆って、父上達と合流してから浦賀まで来ました!」


 持ち方が悪かったのか、食べてるうちに崩れてしまったおにぎりの、手にくっついた飯粒を、頼華ちゃんは舌で舐め取っている。なんか妙に扇情的だ。


「……状況はわかりました」


(黒ちゃんと白ちゃんなら、ちゃんと言い付けていれば、何があっても外部に情報は漏らさなかっただろうけど……俺のミスだな)


 自分では万全だと思い込んでいた計画は、まったくのザルだったという訳だ。


「しかし、嘉兵衛さんには気の毒な事をしちゃったな……」

「あー……その点に関しちゃ、あたしも悪いと思ってる」


 俺と黒ちゃんと白ちゃんが辞める事は、予め相談していたが、今風に言うならフロアチーフのおりょうさんと、盛り付けや接客を担当してくれていた頼華ちゃんが一気に居なくなるのだ。


「ま、まあ、残してきた胡蝶達には、馬車馬のように働けと申し付けてきましたので」


 おりょうさんと同様に責任を感じているのか、頼華ちゃんが冷や汗を浮かべている。


「純粋に人数の問題なんだけどね」


 厨房の方は、忠次さんと新吉さんの腕前の進歩が目覚ましいので、特に問題は無いと思うが、二階の座敷にまで客が入ると、胡蝶さん、初音さん、夕霧さん、若菜さんの四人では、どうしても接客に滞りが出そうな気がする。


「その辺は嘉兵衛の旦那が考えるさ。もしかしたら、徳川の頭領が力を貸してくれるかもしれないしね」

「そうですけど……」


 元々、嘉兵衛さんは口入れ屋という、今で言う人材派遣会社のようなところに求人を出す予定だったのだが、俺、頼華ちゃん、胡蝶さん経由で人材が集まったのだった。黒ちゃんと白ちゃんは例外。


「徳川の家宗様に頼るのは、ちょっと不安が……」

「どういう事だい?」

「頼永様から、家宗様の女性関係の話を聞いたものですから」

「あー……」


 江戸に住んでいたおりょうさんにも、家宗様の絶倫は知れ渡っていたようで、顔と声に、俺の言った事への納得が見て取れる。


「で、でもまあ、胡蝶さん達が徳川様のお手付きにでもなったら、玉の輿だよ?」

「その辺は、当人同士で自由にやってもらえばいいとは思いますけどね」


(家宗様が絶倫なのはわかったけど、正室である奥方は許容しているのかな?)


 そんな事を考えてしまうが、自分の事もなんとも出来ない俺に、人の事情に口を出す権利は無い。


「ところでおりょうさんと頼華ちゃんは、旅支度はどの程度してきましたか?」


 この船に至るまでの経過はわかったので、次は現実的な問題に対処しなくてはならない。


「あたしは、菅笠に杖に、良太に買ってもらった外套。後は着替えが二着と路銀くらいだね」

「余は、いま着ている物と、兄上に買ってもらった外套。後は路銀と薄緑(うすみどり)を」

「うん。頼華ちゃん、なんかさり気なく、とんでもない事を言ったね?」


 源家伝来の宝刀の一振りを、頼華ちゃんは持って出奔してきてしまったのだ。


「今から返してきなさい!」

「なんでですか兄上!? それに、海の上ですよ!?」


 捨て猫を拾ってきた子供に言い聞かせるような俺に、頼華ちゃんが困惑気味に切り返す。


「良太、さすがにそれは……」

「いや、普通なら持ち出すだけでも大問題なんじゃないですか? それを、もう帰るかもわからない頼華ちゃんに……」


 鎌倉を国と考えれば、薄緑は国宝級の、しかも伝説に登場するような太刀なのだ。


「あの、兄上、薄緑は父上が持たせて下さったのです」

「頼永様が?」

「ええ。旅先とは言え、武家の者が佩刀せぬのもと申されまして。それに、普通の太刀や刀では、余の斬撃には……」

「あー……」


 この日何度目かの、間抜けなセリフが口から漏れた。


(闘気(エーテル)で身体能力が強化されている頼華ちゃんの本気の斬撃には、正恒さんのような名工クラスの打った太刀や刀じゃないと、耐えられないんだった)


 失念していた事を思い出し、出奔する娘に持たせるにしてはヤバ過ぎる太刀を選んだ頼永様の判断は、仕方が無いのかとも思った。


「納得は出来ないけど理解はした」

「納得はして下さらないのですか!?」

「うん。無理」


 複数のはてなマークが頭の周囲に浮かんでいるような、不思議そうな表情で頼華ちゃんが見てくるので、もしかして俺の方がおかしいのか? なんて考えてしまう。


「薄緑は、当面は俺が預かるよ」


 頼永様の思惑とは外れてしまうが、偉い人と会う時にそれなりの格好を整える必要が出来た時とかくらいしか、佩刀する事なんか無いだろう。


「えー……」

「別に、取り上げる訳じゃ無いよ?」

「それはわかっているのですけど……特に帯刀、佩刀は制限されておりませんよ?」


 確かにこっちの世界では、特に武器の所持に制限は無いのだが、江戸でも佩刀なんかしていなかったのに、何故か頼華ちゃんが拘っている。


 元の世界の江戸時代でも、許可証を発行してもらえれば所持、帯刀は許されていた。ただし、刀の長さの規定などは藩によって違ったらしい。


 旅に出る場合などは町人でも、護身用として脇差や、女性は懐剣などを持ち歩いている人は多かったようだ。


「俺や黒ちゃん達に護られるのは嫌?」

「っ! め、滅相も無いです!」


(滅相って……)


「そうそう。この旅では、あたしと頼華ちゃんは護られる立場なんだから、荒事は良太達に任せればいいんだよ」

「むー……納得は行かないけどわかりました」

「ぬぅ……」


 渋々と薄緑を俺に渡してくる頼華ちゃんに、まさかやり返されるとは思わなかった。


「……しかし困ったな。荷物は分散して持って、必要な物はその都度調達するのはいいけど、おりょうさんと頼華ちゃんの分も、福袋を買っておくんだったかな」


 おりょうさんと頼華ちゃんが旅に同行するというのは計算外なので、これは完全な愚痴だ。


(もっとも福袋が欲しくても、ドランさんの店に在庫があるとは限らないんだけどね)


 嘉兵衛さんへ贈った葛籠(チェスト)タイプの物を含めて、二つも在庫があったのは多かったくらいだろうと思う。


「全体としては俺が面倒を見るけど、黒ちゃんはおりょうさん、白ちゃんは頼華ちゃんを、それぞれ見守るようにしてね」

「おう!」

「心得た」

「良太、あたしだって、少しは腕に自信は……」

「兄上、余は自分の身は自分で……」

「ここは譲れません、言う事を聞いてくれないのなら、寝ている間に江戸まで送り返します」


 おりょうさんの体術や、頼華ちゃんの剣術、弓術の技量は良くわかっているが、飲食物を俺と黒ちゃんと白ちゃんで分散して所持しているので、常に俺達と一緒に居てくれないと、緊急時に困った事になってしまう。


「な、なら、あたしの事は、黒じゃなくて良太が……」

「余の事は、白ではなく兄上にお護り頂きたく……」


 おりょうさんと頼華ちゃんが、同時にそんな事を言い出した。


「むー。確かにあたいじゃ、御主人の代わりは荷が重いな……」

「この身に代えても護るつもりではあるが、頼華が主殿にと申すのも無理はないな……」


 そして黒ちゃんと白ちゃんは、おりょうさんと頼華ちゃんの言葉に納得しそうになっている。


「あの、俺にも物理的な限界という物がですね……」


(ゲームみたいに敵を惹き付けたり、広域をディフェンス出来るスキルなんて無いからなぁ……集団戦の練習なんかも必用か?)


 どれだけ周囲に気を配ったとしても、隙や不意を突かれる事はあるので、その分を黒ちゃんと白ちゃんにカバーして貰おうと思ったのだが、早くも計画は暗礁に乗り上げたようだ。


「えーっと……おりょうさんに頼華ちゃんの面倒を見てもらって、その二人を黒ちゃんと白ちゃんに護ってもらって、その上で俺がみんなを護る、って感じかな? で、黒ちゃんが持ってる福袋は、おりょうさんが持って管理するという事で」


 旅に胡蝶さんが同行していないので、必然的におりょうさんに、頼華ちゃんの身の回りの世話をお願いする事になるから、福袋を一つ共用にしてもらった方が使い勝手が良いだろう。


「後で荷物を少し入れ替えてから福袋を渡しますから、おりょうさんと頼華ちゃんの荷物はそれに入れて、共同で使って下さい」

「わかったよ」

「わかりました」


 俺が薄緑を預かると言ったが、これなら頼華ちゃんの手元に無いというだけで自由に取り出せるだろうし、おりょうさんが管理するなら問題は起きないだろう。多分。


「おりょうさん、ちょっと……みんなはこれでも食べてて」

「これは……新作ですね!?」

「お菓子!?」

「かたじけない」


 俺はこの間、黒ちゃんに味見してもらったチョコ味のアイスを取り出して三人に渡し、おりょうさんを手招きして、狭いスペースの端の方へと移動した。


「なんだい?」

「後で渡す荷物の方に、いざという時のためのお金を入れておきますから、福袋ごと、おりょうさんが管理して下さい」

「そりゃいいけど、なんでわざわざ?」

「頼華ちゃんが頼永様に持たされた、路銀というのが気になりまして……」

「あー……」


 おりょうさんも気がついたようだが、旅立つ娘に国宝級の太刀を持たせる人なので、怖くて頼華ちゃんに財布の中身を「見せて」と言えないのだ。


「宿や買い物の支払いは、基本的に俺の手持ちからします。おりょうさんや頼華ちゃんの個人的な買い物は、その限りでは無いですが」


 とは言え、預ける財布が空になったところで、別に文句を言う気は無い。


「頼華ちゃんが自分の買い物をする時以外には、頼永様の持たせてくれた路銀は使わせないんだね? わかったよ」

「宜しくお願いします」

「でもさあ、良太も旅の準備なんかで、随分とお金を使ってるんじゃないのかい?」

「否定はしませんが、まだ余裕はありますから、大丈夫です」


 おりょうさんに言われて頭の中で計算してみたが、嘉兵衛さんに貰った給金や餞別などがあったので、多分だけど使用金額は金貨で七枚くらいだ。


 一番高い買い物が鵺の靴二足と福袋二種。次が迷彩効果のある外套が五着。金額で考えるとかなりの散財だが、性能を考えると全く高いとは感じていない。それにまだ、金貨で九十枚以上、金貨百枚相当の砂金が手付かずだ。


 他は細々とした食材などだが、高価な香辛料が、たまたま手に入れた竜涎香と相殺なのは助かった。


「多分ですけど、食事と宿泊を極端に豪華にしなければ、数年は大丈夫……かな?」

「……知り合ったばかりの頃にも言ったけど、あんたって本当に金持ちなんだねぇ。そうは見えないし、暮らし向きも質素……でも無いか」

「ははは……」


 高価な香辛料や砂糖の使い方が自分でも大雑把だと思うので、そういうところがおりょうさんには質素に見えないのだろう。


「あ……どうでもいいと言えばどうでもいいんですが、俺、部屋におりょうさんへの書き置きと、置き土産をしたんですけど……」


 袱紗に包んだ置き土産の中身は、俺の手元にあった最後の竜涎香だ。


「ああ、あれね。あたしのと一緒に、店の者に預けたよ。店は続けても続けなくてもいいし、もしもの時には長崎屋さんが買ってくれるから、退職金にしなって言ってきたけど、不味かったかい?」

「いえ……おりょうさんに任せて良かったです」


 竹林庵の人達にも随分と世話になったのに、その辺の配慮を全く考えていなかったので、おりょうさんの心遣いには本当に頭が下がる。


「や、やだ……その、良太に持参金にしろって言われたけど、こんな使い方しちまったんだよ?」


 六畳程のスペースの片隅で身を寄せ合っているので、必然的に密着しながらの会話になるのだが、間近にあるおりょうさんの顔は真っ赤で、指先で俺の胸にのの字を書いてくる。


「持参金が必用な時は、言ってくれれば俺がなんとかしますから」

「んもうっ! そうじゃないだろう!!?」


 強打すると弾かれる事を学習したからか、おりょうさんは握った手で、打撃とも言えないような強さで俺の胸をポカポカと叩く。


「ああ、はい。何が悪かったのかわかりませんけど、俺が悪かったです」

「その、何が悪いのかわかってないのが、悪いんだよぉっ!」

「わかった。わかりましたから」


 納得がいかないらしいおりょうさんは、俺の胸ぐらを掴んで前後に激しく揺さぶる。


「兄上、姉上、お話は終わりましたか? 余は少し眠いのですが……」


 ぼんやりした表情の頼華ちゃんが、手で目元を擦っている。


「あ、ああ。話は終わったから、寝てもいいよ。おりょうさんも眠くないですか?」

「……朝からばたばたしてたから、少しね」


 片や早朝から馬を飛ばし、片や出港する船に間に合うように動き出したのだから、寝不足も疲労もあるだろう。


「船に乗っている間は特にする事も無いですから、寝てて下さい。食事の時間になったら起こしますから」

「それでは、休みます」

「ちょいと寝ようかね……」


 慣れないので少し手間取ったが、俺達が手伝って上がった吊床(ハンモック)に横になると、おりょうさんも頼華ちゃんもすぐに安らかな寝息を立て始めた。


「御主人は何をして過ごすんだ?」

「俺は特には……とりあえずは甲板に上がってみようかな」


 黒ちゃんに問われて少し考えたが、船の上で好き勝手は出来ないけど、甲板に上がって、邪魔にならないように景色を眺めるくらいは大丈夫だろう。


「俺達も同行していいか?」

「構わないけど、特に何もしないよ?」

「別に何かを期待している訳では無いぞ? では行こうか」

「あたいも一緒に行くぞ!」


 左右から腕を取られて、俺は連行されるような形で甲板へと上がった。



「気持ちがいいもんだな……」


 空は晴れ渡り、波も穏やかで、強くは無いがしっかりと帆が風を孕み、船足はそこそこ出ているようだ。


「そうか? 俺ならもっと早く、主殿を運べるぞ?」


 俺の何気ない一言に、白ちゃんが妙な事を言い出した。


「いや、何かと比較するって事じゃ無くてね……」


 さっきは海に落ちるのを助けられただけだったが、どうやら白ちゃんの飛行能力はなかり高いようだ。


「あたいも、御主人を背負って馬よりも早く走れるよ!」

「だから、対抗心を燃やさなくてもいいからね?」

「御主人よりも遅いから、ダメ?」

「そういう事じゃなくてね。そもそも、黒ちゃんや白ちゃんに乗るとか考えないし」


 黒ちゃんと白ちゃんのパワーに不安は全く無いのだが、女性に乗っての移動というのは純粋にイメージが悪いと俺は思う。


(俺を乗せて移動って、肩車か? いやいや……かといって、元の鵺の姿でっていうのもなぁ……)


「まあそれはそれとして……荷物の入れ替えをしようか」


 バカな想像を打ち切って、俺は必用な作業を開始した。


「おう!」

「承知した」


 と言っても、入れてある飲食物と野営用品の割合を少し減らして、おりょうさんと頼華ちゃんの私物を入れるスペースを開けて、余剰分を俺の腕輪に移動するだけだ。


「お金は……金貨と銀貨を十枚ずつくらいでいいかな」


 金貨を使う機会は多分無いだろうけど、いざという時の備えだ。


「鈴白様、船旅は如何ですか?」


 操船の作業が一段落したのか、船長の十蔵さんが近づいて話し掛けてきた。


「快適です。思っていたよりも早くて、気持ちがいいですね」


 贅沢を言うつもりは無かったのだが、割り当てられている区画も含めて船全体が、思っていたよりも清潔で、特に不快な匂いとかもしない。


(技術面も衛生面も発達していないだろうけど、この辺は信仰による加護や権能のおかげだろうな)


 水に関連する神仏の加護や権能を得ていれば、航海中に水不足に悩まされる事は無くなるだろうし、福袋のような道具で食料品の積載量や保存の問題も、ある程度は解消出来るのだ。


「おや、あと御二人、お嬢さんがいらっしゃっいましたよね?」


 おりょうさんと頼華ちゃんの姿が見えない事を、十蔵さんは言っているようだ。


「二人共寝ています」

「それは、船酔いですか?」


 この場に居なくて寝ていると答えれば、十蔵さんがそう思うのも無理はない。


「いえ。ただの寝不足です」

「そうですか。大したおもてなしは出来ませんが、何かありましたら遠慮無く申し付けて下さい。作業の邪魔にならなければ、御自由にお過ごし下さって構いませんので」


 安心したような笑顔を十蔵さんが見せた。


「わかりました。ありがとうございます」


 踵を返した船長である十蔵さんの機嫌が良さそうだから、航海は順調なのだろう。


「あ、十蔵さん。少しお願いがあるのですが」

「お願い、ですか?」

「ええ。航海や操船に関する知識や技術を教えて貰えませんか?」


 風任せ、人任せの旅で、俺に出る幕は無いのだが、せっかくなので、この場でしか出来ない事をやってみたくなっていた。


「そりゃまあ、構いませんが。お客様に手伝いをさせるのは……」

「その点は気にしないで下さい。それに、こう見えて腕力は結構あるんですよ」

「力仕事なら、あたい達も出来るよ!」

「俺は目に自信があるから、見張りも出来るぞ」

「……鈴白様?」

「この子達も見た目通りじゃないので、必要なら試しに使って下さい」


 十蔵さんが、思いっきり怪訝そうな表情で俺を見てくるが、曖昧な笑顔を返すくらいしか出来ない。


「そういう事でしたら……じゃあそっちの黒髪のお嬢さんは、奴らに混じって荷物の整理と甲板の掃除をお願いします」


 十蔵さんの指差す方では、江戸や浦賀から積み込まれた荷物を、甲板に固定したり、船倉に運び入れたりと、忙しく働いている船員達の姿があった。、


「おう!」

「黒ちゃん、あんまり張り切らないでいいからね?」

「わかったー!」


 本当にわかっているのかは定かではないが、黒ちゃんは元気良く積み荷の方へ走り出した。


「白い髪のお嬢さんは……帆柱の上に登れますか?」

「登れば良いのか?」

「なっ!?」


 外国の帆船のように、登るための縄梯子状の横静索(シュラウド)が無いので、帆柱を支える綱から登るだろ


うと思っていたが、手掛かりが殆ど無いのにスルスルと登った白ちゃんは、帆を張っている横木の帆桁ではなく、その上の帆柱の天辺まで登って立ち上がったので、十蔵さんが目を見張って驚いている。


(白ちゃん、大丈夫?)

(うむ。脚を部分变化(ぶぶんへんげ)させているので、安定しているぞ)


 どうやら白ちゃんは、足先を猛禽の爪のような形状に变化(へんげ)させて、ガッチリ帆柱の先端を掴んでいるようだ。


「あ、あの、鈴白様? お嬢さんは大丈夫なんで?」

「大丈夫みたいですから、何か指示があったら言ってあげて下さい」

「……わかりました。お嬢さん! 船影や、天気の変わり目なんかが見えたら言って下さい!」

「承知した!」


 信じられない状況よりは実利を取った十蔵さんは、白ちゃんへと指示を与えた。


「うおりゃー!」


 声を聞いて振り返ると、他の船員が二人掛かりで運んでいる大きさの荷物を、黒ちゃんが両肩に一つづつ担いで甲板を縦横に走り回っている。


「……鈴白様には、遠慮する必要は無さそうですね。では、操船の仕方を教えながら、天測と結索を教えましょう」

「えっ!? そんなに同時に?」

「ええ。役に立ちますよ」


 海の男っぽく、ニヤリと不敵に微笑んだ十蔵さんの後について、俺は船の舵を操作する舵柄のある場所へ歩いた。



「もやい結びは、もう目を瞑っても出来るようになりましたね」

「ええ」


 風向きによる帆の向きや舵の取り方を教わりながら、様々な結索、今風に言うとロープワークを教わった。もやい結びはその名の通り、もやい綱を使って船を係留する事に由来する、非常に便利な結び方だ。


 他にも十蔵さんからは、太陽や星の位置から現在位置を割り出す方法なども教わった。此等の技術は航海の時だけでは無く、野外での行動をする時に大いに役立つだろう。



「鈴白様、どうもいけません」


 充実した順調な航海が続いていたが、三日目の朝になって船長の十蔵さんが、渋い表情で俺に話し掛けてきた。


「どういう事ですか? 俺は船には詳しく無いですけど、晴れて風も順調に見えるんですけど」


 悪天候で波が荒い訳では無く、しっかり帆が風を孕んでいるのが見えるから、凪で帆走出来ないという事でも無さそうなので、何に対して十蔵さんが渋い顔をしているのかがわからない。


「それが……南へ進みたいんですが、風向きがころころ変わって、どうにもうまくいかないんです」

「風向きが、変わるんですか?」


(船って転進を繰り返せば向かい風にも進めると聞いた事があるけど……何が問題なんだ?)


「帆の向きを変えると、狙いすましたように風向きが変わりまして……もしかしたら、何かに導かれているのかもしれません」

「あの、南へ向かえないって、進路はどこへ向いてるんですか?」

「陸側です。風に逆らわなければ、鳥羽の港への向かう航路ですね」


 沖合では無く陸側へ向かうというのなら、大きな問題は無さそうだ。


「じゃあ鳥羽の港に寄港ですね?」

「そうなりそうです。本来は無風にでもならなければ、寄港はしないんですが……」


 十蔵さんは非常に不本意そうだ。ここまでが順調だったので尚更だろう。


「鳥羽ですか……俺は詳しくないんですが、近くに名所とかはありますか?」


 日本地図の全てが頭に入ってるなんて事は無いから、鳥羽と聞いてもピンとこないので、十蔵さんに尋ねた。


「名所ですか? 内陸に十キロほど入れば、お伊勢さんが……」

「そうなんですか? でしたら、俺達は鳥羽で降ります」


 どうやら諦めかけていた、伊勢神宮の参拝が叶いそうだ。


「長崎屋さんからはそう聞いておりますが、大坂までは行かれないので?」

「いえ。当面の目的地は大坂ですけど、さっき十蔵さんが言っていたように、何かのお導きかもしれませんから」


 何気無く言ってしまったが、口に出してから何かがありそうだなと、俺は予感した。


「わかりました。それでは浦賀のように沖に停泊では無く、我々も水と食料の補充をするのに寄港しましょう」

「それって、俺達のためじゃ無いんですよね?」


 港の使用料ととかがあるのか詳しくは知らないが、俺達のためがメインの理由で寄港するというのなら、それは申し訳無さ過ぎる。


「そういう訳ではございません。ここまでもかなり順調でしたし、一日休養しても、予定内には大坂に着きますので」

「なら良いんですけど……」


 丁寧な態度からも、長崎屋さんが余程言い含めてくれたんだろうとは思うが、海運にはお金が掛かっているので、自分のせいで損害が発生するとなれば見逃せない。


「ははは。鳥羽の港は私も部下達も気に入っているので、実は通り過ぎるのは残念に思っていたのですよ」


 十蔵さんは嘘は言っていないように見えるが、全てが真実という訳では無さそうだ。


「もしですけど、何か問題が起きるようでしたら、俺が寄港するように言ったからという事にして下さいね」


 状況的には俺が寄港を促したので、仮に神仏の前で確かめられても、十蔵さんが咎められる事にはならないだろう。


「そこまで気を遣って頂かなくても……鈴白様は、良い人ですね」

「よして下さい……じゃあ、俺は連れに、鳥羽に寄港する事を伝えてきます」

「わかりました。朝食は船で? それとも陸に上がってからになさいますか?」

「せっかくですので、上がってからにします」

「わかりました」


 十蔵さんと別れた俺は、おりょうさん達の元へと向かった。



「鳥羽の港にかい?」


 房楊枝での歯磨きと洗顔を終えたおりょうさんが、顔を拭きながら俺に確認してきた。


「ええ。なんかどうやっても、船を南進させられないらしいです」

「そいつは……何かの意図を感じるねぇ」

「そうなんですけどね。でも、そろそろ陸が恋しくなってませんか?」

「恋しいてのとはちょっと違うんだけど……風呂に入りたいねぇ」

「風呂に関しては、余も姉上同感です!」


 誰も船酔いになったりせずに、思ったよりも快適な船旅だったが、大型客船のようにバスルームの設備なんか無いので、水は後で補充すればいいやと、おりょうさんと頼華ちゃんには、たらいで行水をして貰っていた。この程度でも、かなり贅沢な行為なのは間違い無いのだが。


 俺は服に防汚の機能がついているので、剥き出しになっている場所を洗ったり拭いたりする程度で済ませ、黒ちゃんと白ちゃんには、たまに非実体(エーテル)化する事で済ませて貰った。


「朝食は寄港してからという事にしてありますが、大丈夫ですね?」

「あたしゃ構わないよ」

「余もです! 鳥羽には何か美味しものはありますか?」

「俺はんまり詳しくないけど……」


 十キロも内陸に入れば伊勢神宮という事は、元の世界で言う伊勢志摩国立公園の範囲だと思うので、魚介類は間違い無さそうだ。


(現代の三重県だけど、さすがに松阪牛は無いだろうな……仮にあったとしても、俺と違っておりょうさんや頼華ちゃんは、牛肉は食べようとしないか。黒ちゃんと白ちゃんは例外だけど)


 船の食事も描いていたイメージよりはずっと良く、海が穏やかだったのもあって、毎回炊きたての御飯が出て来た。設備のスペースが限られるので、おかずは焼き魚などの簡単に作れる物や、漬物や佃煮が主体だったが、粗末という感じでは無かった。


「航海が予定よりも長引いたり、料理が出来ないくらい海が荒れたら、(ほしい)や麦こがしと水だけ、なんて事もありますがね」


 とは十蔵さんの弁。


 (ほしい)とは、煮たり蒸したりした米を干した保存食だそうだ。通常は水か湯で戻して食べるが、緊急の時にはそのまま食べるらしい。考えただけでもぞっとするが、そういう事態に直面しないで良かった。



「それじゃ、お世話になりました」

「鈴白様もお連れ様達も、この先もお気をつけて」

「ありがとうございます。あの、これ、良かったら貰って下さい。もしもの時にと用意しておいたんですが、出番が無かったので」


 俺は大きな猪の腿の燻製を一本、十蔵さんへ差し出した。


「随分と立派な物ですが、宜しいんですか?」


 十蔵さんは驚いているようだが、両手で受け取ってくれた。


「ええ。燻製なので、航海には向いているでしょうから、何かの役に立てば」

「ありがたく頂戴します」


 腿の燻製は、正恒さんが持たせてくれた物が、猪と鹿を取り混ぜて数十本あるので、実のところ十蔵さんが受け取ってくれたのでホッとしていた。


「では、また御縁がありましたら」

「ええ。良い旅を」


 俺達は十蔵さんと船員さん達に見送られて、鳥羽の街中へ向けて歩き出した。



「おいしかったねぇ」

「はい! とっても!」


 港のすぐ近くで目についた飯屋に入ったのだが、蛤の入った湯豆腐と、蛤の時雨煮がうまかった。


「さて、お腹も膨れましたけど、これからどうします?」

「良太はどうしたいんだい?」


 食後のお茶の湯呑を置きながら、おりょうさんが俺に問いただしてくる。


「俺はお伊勢参りに行ってみたいですが、おりょうさんも頼華ちゃんも疲れてるでしょう?」


 別に差別する気は無いが、黒ちゃんと白ちゃんには聞くまでも無いだろう。


「あたしも、お伊勢さんには行ってみたいと思ってたんだよ」

「余もです! そもそも輿入れ以外で、鎌倉から出られるとは思っていませんでしたので!」

「あー……」


 お姫様という物が華やかなイメージとは裏腹に、極端に自由を制限されるものだというのを、頼華ちゃんの言葉で実感させられた。


「じゃあ、みんなで行きましょうか。宿は伊勢神宮の近くで探しますか?」


 現在地の鳥羽も思ったよりも賑わっている。ここで宿を決めるのもありかもしれないので、みんなの意見を訊いてみた。


「参拝客を見込んでる宿が何軒もあるだろうから、お伊勢さんの近くでいいんじゃないかい?」

「余は、姉上に賛成です!」

「御主人に任せる!」

「主殿に従おう」


 黒ちゃんと白ちゃんは俺に投げっぱなしみたいなので、おりょうさんと頼華ちゃんの意見を採用という事で良さそうだ。


「じゃあ伊勢神宮の近くで宿を探しましょう。お参りは、到着時間次第で」

「そうだねぇ。そいじゃ行こうか」


 勘定を済ませて、俺達は伊勢神宮へ向かって出発した。

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