黒犬
「あれ? ですが陛下。そのカヴァスは、まだ生きているのですか?」
「あー……それがな」
「?」
トリスタン卿に皮肉を言われている時以外は泰然としていたアーサー王が、妙にはっきりとしない態度を示している。
「私がアヴァロンから帰還した時に、何故かカヴァス達はそのままの姿で迎えてくれたのだ」
「そうですか……って、達?」
アーサー王はカヴァスがでは無く、間違い無くカヴァス達と言及した。
「うむ。カヴァス以外にも数頭の犬達と、これも数頭の我が愛馬達だ」
「そ、そうですか……」
アーサー王物語のマビノギオンにはカヴァス以外にも、グウィドリトとグウィディン・アストリス他数頭の犬が登場している。
馬に関しては有名なドゥンとラムレイ以外にも、アーサー王は数頭の馬を所有していたと言われている。
「その犬達や馬達は、本当に普通の動物なのですか?」
アーサー王が所有していて、しかも様々な場面で活躍した猟犬も軍馬も相当に優秀だったのだとは思うが、千年以上を生きてきた説明にはならない。
「私もどういう切っ掛けであいつらを手に入れたのかは、良く覚えていないのだが……」
「陛下もお年ですからね。まあ犬も馬も、どう見ても人の言葉がわかっている様子ですから、普通で無いのは確かです」
「……」
補足をするトリスタン卿を、アーサー王が苦々しい顔で睨む。
「お話を伺う限りでは、妖精とかっぽいですけど」
「そう、かもしれんな」
「これは私見ですが、黒犬の類では無いかと思います」
「あー……」
(成る程。黒犬ってのは如何にもブリテンっぽいし、長生きなのも納得出来る、か?)
中世から近代に掛けて、イギリス各地に真っ赤な目で口から血を滴らせている、不吉な雰囲気を纏う真っ黒い犬の伝承が数多くある。
呼び名は見た目そのままに黒犬であり、ファンタジーRPGのエネミーの定番のヘルハウンドは、この黒犬の別名だったりする。
(でも、人の言葉がわかるって言っても、風花さんみたいに喋れる訳じゃ無いんだろうな)
同じイヌ科の狼である風花は、発声期間がどうなっているのかは不明だが人語を操る事が出来る。
トリスタン卿の説明の感じでは、命令を与えるとそれに従って動くので、犬も馬も人の言葉を理解しているように見えるという事なのだろう。
「そういう犬でしたら、気を操って転移門も使えるという理解で良いのでしょうか?」
「詳しくは私にもわからんし説明も出来ないのだが、そういう事で良いと思う」
「わ、わかりました」
(これで転移門を使おうとして、やっぱり出来なかったってオチは勘弁して欲しいけど……)
転移門を通過出来ないとかなら良いのだが、通る事は出来て、その上で龍脈の気の流れに飲み込まれて、とかいうパターンは勘弁して欲しい。
最終的にゴーサインを出すのはアーサー王なので、あまり強く止める事も出来ないのだが……。
(御主人! これから戻るねー!)
(黒ちゃん?)
(おう!)
アーサー王と話している最中だが、里に居る黒ちゃんからの念話が届いた。
(連絡しようと思ってたから丁度良かったよ。新しい形代は出来たの?)
(おう! ちゃんと御主人が作ってくれたお守り袋に入れたよ!)
(そう。良かった)
早速役立ってしまった形代を黒ちゃんが作り直したという報告を受けて、心底ホッとした。
(ん? も、もしかして御主人はぁ、あたいが居なくて寂しくなっちゃった?)
(ま、まあね……)
(おう! くふふふふ)
本当は違うのだが否定するとややこしくなりそうな気がするので、黒ちゃんに話を合わせておいた。
(そ、それでね、黒ちゃん)
(ん? 他にも何かあるの?)
(うん。ついでにお願いが少しね)
実はこっちの要件の方がメインなのだが、そこは言わぬが花である。
(厨房に置いてあるパンを焼く時に使う酵母を少し、別の容器に移して持ってきて欲しいんだ。容器は一度、沸騰したお湯で茹でるか、割れない程度の炎の術で綺麗にしてからね)
黒ちゃんに殺菌と言ってもわからないだろうから、実際のやり方を説明した。
(それともう一つ。今朝の御飯に出した緑色の野菜、松葉独活って言うんだけど、畑に植えてある物を一本、根っ子ごと掘り返して適当な何かに植え替えて持ってきて欲しいんだ)
何か手段を講じなければ、アスパラガスも転移門を使っての移動には耐えられないだろうし、里と同じくらいにブリテンでも育つかはわからないのだが、一応の誠意をアーサー王に見せておく必要があるので黒ちゃんに頼んだ。
(わかったー。ところで御主人)
(ん?)
(もう、お昼御飯は終わっちゃった?)
(えっと……うん)
(そっかー……献立はどんなのだったの?)
(この間作った鱪を揚げて白いタレを掛けたのと、干し鱈とじゃが芋を練った物を焼いた料理だよ)
既に食べ終わってしまっているのだが、黒ちゃんは昼食のメニューが気になるらしい。
お互いの顔は見えないが、念話でも黒ちゃんの残念そうな気持ちは俺に伝わってくる。
(お昼は主に魚だったんだねー。じゃあ晩御飯は、肉がいいな!)
(あはは。わかったよ。晩御飯は肉料理にしようね)
(やったー!)
鱪のフライとかに未練もありそうだが、黒ちゃんは俺や子供達に気を使って、食材が重ならないようにメニューのリクエストをしてくれた。
(それじゃ御主人。言われた物を持って、京に向かうね!)
(うん。待ってるよ)
(おう!)
最後に元気良く返事をして、黒ちゃんとの念話が途切れた。
「御主人来たよー!」
「は、早かったね……」
念話が終わって殆ど間を置かずに、黒ちゃんが応接間に障子を開けた。
里を出た直ぐの場所で界渡りを使い、笹蟹屋の蔵まで移動をしてきたのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
「御主人、はいこれ!」
周囲に人が居るのもお構い無しに、身体を擦り寄せながら小さな湯呑に布で蓋をしてある物と、布で土を包み込んである根付きのアスパラガスを黒ちゃんが渡して来た。
「黒。騒々しいぞ……戻ったぞ、主殿」
「おかえり、白ちゃん」
一応は応接中なので、はしゃぐ黒ちゃんの姿を見た白ちゃんは眉間に皺を寄せている。
「陛下。こちらの黒ちゃんが、パンを焼くのに使う酵母と、松葉独活を持ってきてくれました」
黒ちゃんと白ちゃんのそれぞれの行動に苦笑しながら、俺はアーサー王に頼まれた物が揃った事を告げた。
「おお。黒とやら。迷惑掛けたのに、更に世話になってしまって済まんな」
「んー。別にいいよ。御主人の為だから」
「黒ちゃん……」
王様に対する態度としては如何な物かと思うのだが、黒ちゃんの健気な言葉を聞いて嬉しくなり、頭に手を伸ばして撫でた。
「ではトリスタン。頼んだぞ」
「陛下、そう仰られましてもね……鈴白殿、育て方やパンの焼き方などで気を付ける点を教えて頂けますかな」
「松葉独活の方は生命力が強いので、日当たりの良い場所に植え替えれば大丈夫だと思いますけど……説明を書いちゃいますので、少しお待ち下さい」
里という場所が特殊過ぎるので、説明をしても全く無駄になる可能性は高いのだが、俺は紙と墨とガラスペンを取り出して、アスパラガスの育て方と天然酵母を用いたパンの焼き方を書いた。
「ほほぅ。その筆記具は使い易そうだな」
「陛下。あれはペンの先がガラスで出来ているのです。そうですよね、鈴白殿?」
「ええ、まあ」
(そういえばケイ卿の前では、使った事があったんだっけ)
俺が説明をする前に、以前に使っている場面を見ていたケイ卿によって、ガラスペンの事がアーサー王に伝わった。
「……凄い物だな、そのガラスのペンは。最初の一度しか墨を付けずに、そこまで書けるとは」
「そうですね。これくらいの文字数でしたら」
「それに、凄くペンの運びが滑らかだ」
流石に武に秀でる騎士王は、筆記しているのを見ていただけでガラスペンの本質を見抜いたらしい。
「予備が幾つかありますので、良ければお譲りしますよ」
「おお。それは有り難い!」
「では、これをどうぞ」
(ガラスの原料は幾らでも手に入るから、いいよね?)
ガラスを入手出来て、形状を把握すればブリテンでもガラスペンの生産は可能だろうから、見本として渡してしまっても問題は無いだろう。
俺はアスパラガスの育て方と天然酵母のを使ったパンに焼き方を記した紙の上に、ペン先だけのガラスペンを三つ載せ、座卓の上を滑らせてアーサー王の方に押し出した。
「むむ……酵母を使ったパンというのは、随分と手間の掛かる物なのだな」
「まあ、そうですね」
説明の書かれた紙を見てアーサー王はこう言うが、書き記したのは型に入れないので二次発酵の必要が無い分だけ、手間の掛からない方式だったりする。
「ブリテンで手に入る粉とかの性質によっては、上手く膨らんだりしないかもしれませんが」
「その辺は、キャメロットの料理人が試行錯誤するでしょう。少なくともこれを培養……でしたか? して使えば、妙な酸っぱさは感じなくなるのですよね?」
「ライ麦を使うと少しすっぱさは感じると思いますけど、小麦だけならその点は大丈夫だと思います」
ローマ伝統のパンの種というのも、発酵している事に由来して酸っぱいのだと思うが、里で作っているパンは材料をライ麦にした場合にだけ、僅かに酸っぱさを感じる程度なので、トリスタン卿の危惧しているような事にはならないと思われる。
「ではそろそろ御暇するが……鈴白殿。グラスなどの代金は後日支払うが、これは些少だが今日の迷惑賃と、このガラスのペン先他、諸々の骨折りへの礼だ」
――ゴトッ
アーサー王が革袋にを座卓に置いたのだが、容積と比べてかなり重そうな音を立てたので、中には相当数の金貨が詰まっていると思われる。
「そんな……」
「そう言わずに受け取ってくれ」
「……わかりました。では、陛下からのお気持ちとして、有り難く頂戴致します」
「そうしてくれ」
立場的に出した物を引っ込めそうに無いと思ったので、俺はアーサー王に頭を下げて感謝の意を示した。
「私もそろそろ御暇するか……って、その前に。鈴白よ」
「なんでしょうか?」
アーサー王一行と一緒に腰を浮かしそうになる直前に、沖田様から声を掛けられた。
「うむ。少し言い難いのだが……」
「はぁ」
いつも物事をはっきり言う沖田様にしては、珍しく言い澱んでいる。
「このところ暑いであろう?」
「まあ、そうですね」
(今の俺は、色んな意味で暑さを実感し難いんだよな……)
こっちの世界に来る時に再構築された身体は、かなりの肉体的や精神的な負担が掛からない限り、あまり汗をかかなくなっている。
その上、普段から身に着けているフレイヤ様から貰った作務衣にも、防熱や防寒の効果が付与されているので、湿気や熱の籠る京であっても、それなりに快適に過ごせているのだった。
「鈴白がくれたこの衣類のお陰で、他の隊士達とは比べ物にならないくらいに楽に過ごせているのだが……」
「な、何か問題が起きましたか?」
(むむ……オールシーズンを意識したから、少し通気性が良くなかったか?)
沖田様の新選組の隊服を作った時点では、まだ文字による付与を思いついていなかったのだが、それでも当時としては目一杯の気を込めて作ってあるので、自分で言うのも何だが性能的にはかなりの物になっている筈である。
だが、基本的には和装である隊服は重ね着になっているので、春や秋を基準にして作られていると、京の気候では暑いのかもしれない。
「すまん。言葉が足りなかったな。隊服の方は全く問題は無いのだが、それでも着替えが欲しいのだ」
「ああ、成る程」
言われてみれば、沖田様に渡す時には不都合があると拙いと思って、羽織を含む一式しか渡していなかった。
隊服事態が頑丈であっても一式しか無ければ、非番の日以外は同じ物を着続け無ければならない。
「隊服の方は、なるべく早く替えを御用意しますので、お時間が出来た時に取りに……こちらからお届けに上がりますか?」
京の守護をしている人を待たせる訳にも行かないので、夕食の支度が終わった後にでも、一度里に戻って作業をしよう。
「急がせて済まんな。こちらから取りに出向くので、あまり気を使わんでくれ」
「わかりました」
沖田様は、申し訳無さそうに照れ笑いしている。
「それと、だな……」
「まだ何か?」
いつも通りに戻ったのかと思った沖田様だったが、またもや歯切れの悪い態度になってしまった。
「うむ。この隊服が快適とは言え、動けばそれなりに汗をかいたりするのでな。出来れば昼と夜に……下着を替えたいと思ってな」
「あー……」
沖田様には上下セットの下着と、月のもの用の赤い下着を五枚ずつ渡してある。
一日に一セットず着替えるのならば、洗濯をしている間も十分に保つのだが、昼と夜に替えるとなると天気によっては乾くかが不安なのだろう。
実際には沖田様に渡してある衣類には、防汚の付与もされているので気分的な問題を除けば清潔は保たれるのだが、やはり生乾きかもしれない衣類を身に着けるのは、その気分が良くないのだろう。
(……ちょいと良太)
(は、はい……)
俺に目配せをするおりょうさんから、念話が送られてきた。
(そのお武家様に、下着を作ってやったのかい?)
(えーっと……動き回るお役目の方なのですけど、胸が邪魔なのでと相談を受けまして……)
(ふぅん……随分と親切にするんだねぇ?)
(そ、それは、お世話になってますから……)
別に疚しい事は一切していないのだが、なんとなくおりょうさんに対して後ろめたい気分にはなってしまう。
「ふむ……鈴白殿」
「な、なんでしょう?」
アーサー王が興味深そうな表情で話し掛けてきたのだが、嫌な予感しかしない。
「その下着とやらは、男性用はあるのか?」
(や、やっぱり……)
どうやら又、自分が使う以外の男性用下着を作るという、虚しい行為をする機会が巡ってきてしまったようだ。
「この京よりは多少はマシなのだが、ブリテンも場所によっては湿気が多くてな」
「成る程」
季節にもよるのだが、フランスよりも北にあるのでブリテンは日本と比べればかなり寒冷な気候の筈だ。
しかし、北大西洋海流と偏西風の影響で緯度の割には温暖であり、沿岸地域は湿度も高かったりするのだ。
「それに、国元を殆ど動かない私はともかく、ケイはこれからも暫くの間は旅の空だ。少しでも快適な衣類で過ごさせてやりたくてな」
「陛下……」
アーサー王の言葉に、ケイ卿が感激の面持ちだ。
「そんな事を仰ってますけど、この国を旅するケイ卿に託けて、御自分の分を捩じ込もうって魂胆ですよね?」
「トリスタン、貴様……」
「へ、陛下。少し抑えて下さい」
(俺はともかく、おりょうさん達が気分悪そうだな)
さっき厨房で聞いていたので皆の様子を確認すると、ケイ卿とトリスタン卿、そして俺とブリュンヒルド以外のこの場に居る面々は、総じてアーサー王の剣呑な気配を浴びて居心地が悪そうにしている。




