竜の騎士と魔女
「新大陸との交易は、あまり盛んでは無いと仰ってましたけど……」
「いえいえ。別に陛下とアトリア様の仲が関係している訳ではありません。純粋に距離と、冬場の航海は危険なので、取引量が制限されるという事です」
もしかしたら兄妹の不仲の所為で交易がと思ったのだが、俺の考えを察したらしいケイ卿が先手を打ってきた。
「念の為に言っておくが、私は妹のアトリアと仲が悪い訳では無いのだぞ」
「そうなんですか?」
「良くも無いですけどね」
「トリスタン……」
俺の疑問にトリスタン卿が答えると、アーサー王が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「そ、それにしても妹のアトリア様は、広い新大陸を治めるのは大変なんでしょうね?」
気不味い雰囲気になったので、俺は咄嗟に思いついた話題を振った。
「それなりに大変だとは思うが、特に先住民を支配したりする意図は無いのでな。アトリアがやっているのは貿易の窓口としての役割と、入植したが厳しい自然の中では生きられない者達の住む街の統治だ」
「では、王国とかでは無いのですね」
「そうだな。族長会議みたいな物を定期的に開いて、様々な対処をしているらしい」
「ははぁ……」
恐らくは俺が元居た世界のアメリカと同じで、それぞれ風習を持つ違うネイティブな先住民が大勢居るのだろう。
先住民には独自の信仰形態もあるから当然ながら加護も受けている筈なので、入植者達が武力や疫病などで攻めようとしても、元の世界と同じ道を辿る事は考え難い。
一応はアトリアという王が君臨しているようだが、実質的には先住民の部族長などの代表による議会制っぽい形になっているのは、ある意味当然であり、合理的だとも言える。
「それにあいつには、ちゃんと補佐役がおるしな」
「補佐役ですか?」
「そうだ。さっき、コーンウォールの騎士に拾われて、その家の長女と長男が妹として面倒を見てくれたと言ったであろう」
「そうですね」
俺の知識だと、アーサー王統治時代のコーンウォールはフランス寄りで、形式的にはアーサー王に臣下の礼を取っていたが、虎視眈々と反逆の機会を伺っていたという。
「どういう訳か、そのアトリアの面倒を見た姉弟がまだ生きていて、二人で補佐をしているのだ」
「えっ!? アトリア様には剣の鞘の加護がありますけど、その二人はどういう……本当に人間なのですか?」
こっちの世界にはドワーフやエルフのような、長命の亜人も暮らしていたりするので、その姉弟がそういう種族だとしたら納得が出来る。
「いや。信じられん事に人間だ」
「その信じられない人間の一人が、陛下なんですけどね」
「トリスタン、貴様……」
(トリスタン卿の言ってる事は尤もなんだけど……王様相手に物怖じしない人だなぁ)
俺も心の中で考えはしたが、トリスタン卿のように口に出したりはしなかった。
「……まあ良い。話の続きだが。本人の言うのを信じるとするならば、アトリアの兄代わりの男は竜の加護を受けているらしい」
「ど、竜ですか?」
「うむ。竜の騎士と名乗るその男は、二つ名に恥じぬだけの強さを持ち、しかも私というかブリテンにとってドラゴンは、憎むべき仇敵である」
(アーサー王が言ってるのは、あの伝承か……)
アーサー王伝説に引用されている作品の一つにブリタニア列王史があるが、その中で赤い竜と白い竜が争っている場面が登場する。
ブリタニア列王史の中で赤い竜がブリトン人で白い竜がサクソン人であり、白い竜を猪が踏み潰すまでこの争いは終わらないと言ったのは、他ならぬ魔法使いマーリンだ。
サクソン人である白い竜を踏み潰す猪とは、すなわちアーサー王で、これは後にブリテンの王になる人物を予言しているのだった。
(こっちの世界には一神教は無いけど、それでもドラゴンは敵なんだな)
一神教の伝承の中にはゲオルギウスを筆頭に、聖人がドラゴンを調伏する逸話が非常に多い。
何故かと言えばドラゴンは、様々な種類の動物の特徴を併せ持った合成生物であり、これは一神教の教えに従わない他の宗教の神々を、纏めて一つの敵の形にしたのだと言われている。
元の世界の伝承ではアーサー王は多神教を受け入れつつも、一神教の旗頭となって巨人などを討ち倒して行くので、当然ながらドラゴンとは相性が良くないのだろう。
「ところで、コーンウォールには多数の巨人が棲み着いていて、都市や市民にも被害を及ぼしていたのだが」
「そうらしいですね」
コーンウォールには多数の巨人が徘徊し、暴れる事によって相当な被害が出ていたのだが、それをなんともしてくれないアーサー王の統治に不満を持って、対岸のフランス寄りになったらしい。
しかしコーンウォールを悩ませていた巨人を、フランスがどうにか出来たのかと言うとその辺は怪しいので、これはアーサー王に従わない為の言い訳だと思われる。
「そのコーンウォールの巨人をな。一部とは言えアトリアの姉代わりの女、魔女が率いていたのだ」
「きょ、巨人をですか? それに魔女?」
「うむ」
アーサー王がローマへの遠征の途中で、フランスの山中に棲み着いた巨人を退治したエピソードがあるが、魔女が率いていた巨人とは別の存在なのだろう。
「魔女はアトリアと新大陸に渡る際に、巨人達を連れて行ったらしくてな」
「それは戦力としてですか?」
「そうでは無い。戦うだけならばアトリアと、兄代わりの竜の騎士だけで事足りるからな。巨人は建造物や道路などを造る際の労働力として連れて行ったのであろう」
「そ、そうですか……」
(アーサー王の結婚祝いの武術大会で優勝したって話だけど、竜を冠するだけあって、相当に強そうだな)
竜の騎士もだが、反アーサーの旗頭にされそうになったアトリアに関しても、想像の域を出ないが、かなりの強さであると考えられる。
俺が元居た世界でも、中世くらいまででは王が先陣を切って戦うというのは珍しく無かったので、当然ながら政治力以上に強さが要求されていた。
反アーサー勢力にとっては、相討ちになるというのが結果としては最良なので、アトリアか、又は竜の騎士には、担ぎ出すだけの実力が有ったと思われる。
「そんな奴等が影に日向に護っているのだから、アトリアの新大陸の統治は、先ず万全だと言えるだろう」
「そうみたいですね」
数こそ円卓の騎士よりも少ないが、恐らくはアーサー王と同等の実力を持つアトリアと竜の騎士に、巨人を従える魔女まで居るのだから、もしかしたらこっちの世界で一番の軍事力を保有しているのは新大陸なのかもしれない。
「鈴白殿は、新大陸に興味を持たれたようですね?」
「それはまあ。でも、新大陸だけじゃありませんけどね。ブリテンにも興味があります」
トリスタン卿への返事は、別にお世辞では無く本音であり、元居た世界ではまだ高校生だったので、海外旅行などには縁が無かったから、出来るだけ世界を見て回りたいと思っているのだ。
「ふむ。それ程に興味があるというのならば、来るか?」
「来るかって……ブリテンにですか?」
「うむ。鈴白殿には大きな借りもある事だし、歓待するぞ?」
「そんな簡単に行ける距離じゃ無いと思うんですけど……」
現代でも飛行機を利用してイギリスまで行くのには、決して短くない時間が掛かるので、アーサー王の言うような隣の家に行くような気楽な感じでは無い。
「そんなのは、転移門を使えば良いではないか」
「あの、俺はこの国で高い地位に就いているとかでは無いんですけど?」
転移門を使えるのは気を操れる者だけなので、その時点である程度限定されてしまうのだが、友好国との直通路という特殊な移動手段なので、そう簡単に使って良い物でも無い。
「鈴白殿は私を負かす程の剛の者であろう? 政治的や領土的に高い地位になぞ居なくても、私個人としてもブリテンという国家としても、無視は出来ない存在なのだがな?」
「そう仰られても……」
持ち上げられているというよりは、アーサー王は自分を負かした相手である俺が、あまり低いポジションに居るのは体面が悪いと言っているように聞こえる。
「「「……」」」
アーサー王が俺を無視出来ない存在だと評してくれた瞬間に、おりょうさん達の感情が昂ぶったのを気配として感じた。
どうやら大国の王に俺が評価をされたのを、喜んでくれたようだ。
「転移門は新大陸にも通じているので、鈴白殿が行きたいのであれば便宜を図るぞ?」
「それは……」
ブリテンも遠いが、新大陸も同じかそれ以上に遠いので、転移門を使って行けるというアーサー王の申し出は、俺にとってはかなり魅力的だ。
しかし、ブリテンと新大陸に移動する間に通過する国を訪れられないのは、取らぬ狸の皮算用とは言え、少し残念な気はするが。
「鈴白殿が新大陸に行く時には、妹のアトリアにも紹介しよう。兄の私が言うのもなんであるが、美人だぞ」
「それはまあ、陛下に似ていらっしゃるんでしたら」
ビキッ!
アーサー王が美人の妹を紹介しようと言った途端に、今度は女性陣の周囲の空気が一気に硬質化したのを感じた。
幸いな事に俺に対して妙な感情が込められたりはして来ないが、おりょうさん達はアーサー王を射殺しそうな視線を送っている。
「陛下、陛下。鈴白殿に想いを寄せていらっしゃる皆様が、ブリテンを滅ぼしかねないような顔をなさってますよ」
「む? 良い縁談だと思ったのだが、余計な世話であったか?」
「そりゃそうですよ。そもそも持ち込まれる縁談に一番うんざりしているのは、他ならぬ陛下ではありませんか」
「む……」
(大国の王様だったら、そりゃ縁談の話も多いか)
グウェネヴィアを妃に迎えてから後は、千年以上も独身らしいアーサー王だが、王家との縁組などを狙って見合いなどの話は多く持ち込まれるのだろう。
「済まぬな。また先走って迷惑を掛けるところであった。まあ縁談はさて置き、鈴白殿がその気ならばブリテンでも新大陸でも、行けるように配慮をしよう」
「それは、過分な御配慮を考えて頂き、有り難く存じます」
直ぐにブリテンや新大陸に行く気は無いが、転移門は非常に便利な移動手段ではあるので、使えわせてくれるという事ならば有り難い話だ。
「でも俺よりも、ブルムさんが使わせて頂いた方が良いのでは?」
「む? 何故ここで私の名が?」
「ブリテンからではまだ少し遠いと思いますけど、海路や陸路を使うよりは、ブルムさんの故郷に近いですよね?」
「それは……」
ここまで話してブルムさんは、遥か遠くの故郷に帰れる手段として、転移門が使えるのでは無いかという事に気がついたようだ。
「何か故郷に帰りたくない理由とかが、ある訳では無いんですよね?」
「そりゃ、そんな物はありませんが……」
もしかしたらとは拙い事を言ったかと思ったが、ブルムさんは苦笑しながら否定した。
「ほう。店主殿はブリテンの近くの出身であったか」
「近くも無いのですが……黒森はご存知ですかな?」
「おお。黒森か。行った事は無いが知ってはおるぞ」
現在のドイツに存在する黒森だが、内陸に位置していているのでブリテンからはかなり遠くになる。
それでもアーサー王が黒森知っているのは、それなりに有名な土地だからなのだろう。
「御厚意は有り難いのですが、仮に転移門を使わせて頂いたとして、ブリテンから海路で大陸に渡り、そこから更に陸路を長く進まなければなりません。行って帰るだけでも相当な日数が掛かりますし、その間、この店を空けるというのも……」
「あー……」
ブルムさんは笹蟹屋の経営と、他の店との取引などにも責任があるので、長期間休業にする訳に行かないというのは当たり前だ。
もしも本当に里帰りとなったら、様々な商取引に滞りと不都合が出ないように、かなりの準備期間が必要になりそうだ。
「まあ、さっき申した通行証は手配しておくので、その気になったら使って貰って構わん」
「有難うございます」
「一応、安全面などを考えて、転移門を使う前には色々と約束事があるので、今日行って今日使える訳では無いのだがな」
日本の転移門のは御所の中にあり、ブリテン側では王宮であるキャメロット中にあるのだろうから、出入りに関しては相当厳しくチェックされているのだろう。
アーサー王が使わせてくれると言っても、御所の方に使用申請とかを出さなければならないと思うので、実際にはそこそこ面倒な手続きなどを踏む必要がありそうだ。
「陛下。色々御配慮頂いた御礼という訳ではございませんが、宜しければ昼食を御一緒して下さいませんか」
大国の王に対して失礼な話だが、この場に居る時点で今更だろう。
既にブリテンの国務長官であるケイ卿と食事をしているので、アーサー王に対しても失礼ついでに話を振ってみたのだった。
「む。実はこの国の料理、と言うよりはケイが話してくれたそなたの料理に興味はあったのだ」
「でも、自分から所望する訳には行きませんしね」
「むぅ……」
横からトリスタン卿に口を挟まれて、アーサー王が面白く無さそうに唸っているが、明確に否定をしないところを見ると、どうやら本当らしい。
「ただ、特に用意をしていないので、御期待されているような料理をお出し出来るかは……」
肉類とその加工品に、里で収穫された野菜の一部、米や小麦粉などはドラウプニールに常備されているのだが、味はともかく上等な料理の素材とは言い難いかもしれない。
自分から話を振っておいてなんだが、洒落たコースみたいな料理は作る自信が無い。
「良ければなのだが、魚を使った料理を出して貰えれば有り難いな」
「魚ですか? 失礼ながらブリテンも島嶼国家ですから、魚は食べ慣れているのでは」
「そうなのだが、キャメロットはそれなりに内陸にあるのでな」
「成る程。そういう事ですか」
ブリテンでも海に面している地域や、テームズ川などの近郊ならば魚介類は豊富に手に入るのだと思うが、鮮度を保ったままの輸送手段が皆無では無いとは言え、内陸にあるキャメロットには食べられる量や種類が限られるという事なのだろう。
「承りました。ですが、あまり過度な期待はなさらないで下さいね?」
「ははは。わかった」
(……本当にわかってるのかな?)
鷹揚に笑うアーサー王から、真意は読み取れなかった。
「「「はああぁ……」」」
「おりょうさん!? それにみんなも、どうしたの?」
店の方は天后に、応接間での接客の方は天に任せて、俺達は昼食の準備をする為に厨房へと移動したのだが、廊下との仕切りの暖簾をくぐったところで、おりょうさん、頼華ちゃん、黒ちゃん、白ちゃんが、長く尾を引く溜め息をつきながら膝から崩れ落ちた。
「どうしたのって……やっぱ良太は特別だねぇ。それに、ぶりゅんひるどさんも」
「どういう事なんでしょう?」
「さ、さあ……」
言われてみればブリュンヒルドだけは平然と立っているのだが、問い掛けてもみても当の本人は戸惑いを見せるだけだ。
「あの、あーさーという輩が変な気配を周囲に撒き散らすので、気が休まらなかったのですよ」
「妙な気配?」
疲れ切ったという表情で、頼華ちゃんが言葉を絞り出している。
「お、おう……御主人や、とりすたんとかいう奴に突っ込まれる度に表情と一緒に、殺気混じりだったり探るような気配を周囲に放ってたんだよ」
「主殿は気が付かなかったのか? それに、ぶりゅんひるども」
黒ちゃんと白ちゃんは、なんでわからないんだと、言葉だけでは無く表情でも俺達に問い掛けてくる。
「表情が豊かな人だなとは思ったけど……ブリュンヒルドさんはどうでして?」
「確かに、皆様が仰るような感じは受けましたけど、神々には及びませんので」
「あー……」
ブリュンヒルドはフレイヤ様やオーディンという、アーサー王以上の覇気の持ち主である神々の配下として働いているので、おりょうさん達が暴風くらいに感じていた気配も、そよ風程度にしか思わなかったのだろう。
「それに、長く生きているという事なのでそれなりではありますが、良太様の気に比べましたら」
「いやぁ。アーサー王は凄いと思いますよ」
ブリュンヒルドが俺を評価してくれるのは嬉しいが、長い時を生きているだけあってアーサー王の戦闘技術と蓄積、そして気の使い方のセンスは抜群なので、今回勝てたのは純粋に運が良かったのと、樹君の助勢のお陰だと思っている。
「あ、そうだ。さっきはおりょうさん達のところに早く言って貰おうと思ってたから、確認してなかったんだけど。黒ちゃん」
「ん? あたい?」
「うん。お守り袋の中を確認してみて」
「おう! ありゃ? な、なんか真っ二つになってる!?」
「やっぱりか……」
左腕を斬り落とされた事にばかり目が行ってしまっていたが、実はお守り袋に入れておいた形代が無ければ、アーサー王の斬撃は黒ちゃんを死に至らしめていたのだ。




