フェアリーサークル
「特に何も無いという事であれば、詫び金を渡そう。一番使い勝手は良いであろう?」
「それはそうかもしれませんが……」
別に清貧を尊ぶとかいう主義では無いので、くれるというのなら貰うが、ちょっと金額が怖い。
「ではケイ。宜しく頼む」
「は」
ケイ卿が言葉少なに、顔を上げたアーサー王に応じた。
「そちらの娘にも、済まない事をしたな」
「おう! でも御主人がこれで許すって言うなら、もういいよ!」
「そうか。そなたとそなたが主人と呼ぶ鈴白殿の寛大な心に感謝する」
黒ちゃんに斬りつけて、その後に俺と戦った時とは別人のように、アーサー王は穏やかな表情で再び頭を下げた。
「さて鈴白よ」
「はい?」
話が一段落したところで、沖田様が俺の名を呼んだ。
「陛下の行った件に関しては、落着したという事で良いのだな?」
「だと思いますけど」
最も被害を受けた黒ちゃんが納得しているし、金額は不明だが詫びを入れてくれるという話になったので、こちらとしてはこれ以上望む事は無い。
「では今度は、そなた達の事を話して貰おうか」
「……わかりました。ですがその前に、これから話す事を口外しないと、誓いを立てて下さいますか?」
「なんと、それ程の事なのか?」
「はい」
俺が別の世界から来た事や神仏と関わりがあるなんて内容は、そもそも戯言と取られても仕方が無いレベルなので、他者に聞かせても笑い話で済まされる可能性が高い。
しかし、出奔しているとは言え頼華ちゃんが、鎌倉の源家の息女である事が知られてしまうと拙い事になるし、人間に迫害された蜘蛛達の里とその住人に関しても知られてしまうと、周囲に要らぬ混乱を招く可能性がある。
「私は誓いを立てるぞ。なんと言っても敗者であるからな」
「あ、有難うございます」
(実は結構、根に持ってるな)
特に強調する必要も無いと思うのだが、アーサー王は敗者である事を全面に押し出してくる。
「陛下が仰るのですから、当然ですが我等も従います」
「ええ」
ケイ卿とトリスタン卿も、あっさりと誓いを立てる事を承諾した。
「これまで誠実な対応をしてくれた鈴白がそう申すのだから、必要なのであろう。わかった。私も口外しない事を誓おう」
「有難うございます。では話を……その前に」
「「「?」」」
応接間に居並んでいる者は、俺が話を始めなかったので首を傾げている。
「先ずは全員、座りませんか? この人数だと少し手狭ですけど」
「「「あっ!」」」
里から来たおりょうさん達は、応接間に来た当初から立ったままでアーサー王達を睨みつけていたので、そのポジションが当然だと思っていたのだ。
「とりあえず、全員分のお茶を淹れましょうね」
「そ、そうだねぇ」
謝罪を終えて客になったアーサー王一行と沖田様は客という扱いになったので、そういう相手に立ったまま応対をするのは失礼だと気付いたおりょうさんは、少し頬を赤くしている。
(ブリュンヒルドさんは、着替えという事にして鎧とかを仕舞ってきて下さい)
(か、畏まりました!)
アーサー王や沖田様にある程度俺達の事を説明する気ではあるのだが、相当にやばい性能のドラウプニールに関してまで教えるかはわからないので、ブリュンヒルドにこの場で武装の収納や着替えまでして貰う訳には行かないので、念話でやり取りをした。
「湯と急須は用意してあるので、湯呑を追加でお願いします」
「わかったよ」
「あ、りょう様。お手伝い致します」
「すいませんねぇ」
「わ、私は着替えに行って参ります!」
おりょうさんと天が厨房に、ブリュンヒルドが着替えに空いている部屋に向かったので、その間に先に用意しておいたアーサー王達の分のお茶を淹れた。
「どうぞ」
「ふむ……良い香りだが、この茶器は随分と小さいのだな?」
「大陸のお茶と茶道具になります」
「ほう」
(……俺が毒を入れるとかは、考えないのかな? まあそんな事はしないけど)
身分が上の者になる程毒殺を恐れるので、自分の屋敷や城で出る食事であっても、毒味をさせないで口にするというのは相当に豪胆に見える。
(まあアーサー王に、毒は効かないだろうけど)
アーサー王にはエクスカリバーの鞘があるので、恐らくは毒からも身体を護ってくれるのだろう。
だからこそ戦いになった時に、俺は真っ先に鞘を狙いに行ったのだが……。
「茶請けにはこれをどうぞ」
「おお。陛下、この茶請けは我等の国でも食べられているショートブレッドですが材料が違うのです。旨いだけでは無く非常に身体に良いという事なので、航海中の食事用にと鈴白殿に発注してあるのですよ」
「そうなのか? では頂いてみるとするか」
アーサー王は茶の時と同じく無造作に、米糠のショートブレッドを口に運んだ。
「む……確かに我が国の物とは違って素朴な風味ではあるが、旨いな。しかしケイよ、お主はもうそんなに長い事、航海はせんであろう?」
「そうなのですが……乗組員の体調管理は必要ですし、少しでも旨い物を食べさせてやりたいではありませんか」
「まあ、そうであるな」
(ん? どういう事だ?)
ケイ卿は京から伊勢神宮に向かい、そこから鳥羽の港経由で海路で江戸に行き、ブリテンに戻ると思っていたのだが、今の会話からすると船を使わずに帰るように聞こえる。
「沖田殿。鈴白殿が我等の話の内容がわからずに困っているようなので、説明してしまっても良いか?」
「そ、それは……一応は貴国と我が国での秘中の秘なのですよ?」
「そう言うが、友好国の幾つかとは既に使っているのだぞ?」
「そう言えばそうでしたな。ふむ……鈴白、そしてこの場に居る者達よ。さっきとは逆になるが、これからする話は口外無用だ。大丈夫だな?」
「「「はい」」」
「ん? なんか難しいお話かい?」
「?」
場の空気が少し硬くなったところに、茶器を持ったおりょうさんと天が帰ってきた。
「全員揃ったのなら丁度良いな。おりょうと申したな。そなた達も聞け」
「「はい」」
おりょうさんと天は、良くわかっていないっぽいが、沖田様に返事をした。
「実はな。陛下が治めるぶりてんと国交を締結した我が国との間には、龍脈を利用した直通路が開かれたのだ」
「「「龍脈?」」」
俺達サイドの中で、こういう方面にあまり明るくないおりょうさんと頼華ちゃん、そしてブリュンヒルドが声を上げた。
「龍脈というのは、世界中に張り巡らされている気の道とでも言えば良いのか。この京も四神配置以外にも龍脈によって繁栄するように設計されているのだ」
(でも、その設計には根本的な誤りがあったんですけど……)
沖田様は少し得意気に京の事を話しているのだが、その京の結界の問題を解決させられた当事者の俺としては少し複雑な心境だ。
だが、他国の王とその家臣に自慢したい気持ちが沖田様にはあるだろうから、俺は言葉を飲み込んだ。
「その龍脈ってのを利用すると、ぶりてんって国と行き来が出来るってんですか?」
「流石は鈴白の婚約者、察しが良いな」
「ま……」
沖田様の言葉を受けて、おりょうさんの嬉しそうな顔を赤く染めた。
「だが、龍脈を使うとは言っても制約があってな」
「制約でございますか?」
「うむ。龍脈は鍛えた武人と比べても遥かに多い気が駆け巡っておるので、気で我が身を護れる物で無ければ利用出来ず、利用する者が身に付けられる程度の物しか運ぶ事が出来ないのだ」
「成る程」
(『界渡り』と、似てると言えば似てるのかな?)
移動の時に身体を護る分以外に消費する気が必要が無さそうなのと、移動出来る距離が段違いではあるが、龍脈を利用する移動と『界渡り』には類似点が多いように思える。
「……あ。もしかして、陛下がここにいらっしゃるのと、ケイ卿が程無く航海を終えられるというのは?」
「そうだ。本当にここだけの話であるが、御所の中に我が国と龍脈を繋いだ出入り口があるのだ。この後の交渉が上手く行くようなら、江戸の徳川屋敷とも繋ぐ予定である」
「ははぁ……」
アーサー王の説明で、こっちの世界の日本とブリテンが、かなり親密な関係だという事がわかった。
(何故か国土を縦断するように龍脈が通っている、日本だから出来るんだろうな)
以前に戯れにネットで調べたら、世界のどの辺に龍脈が通っているのかが描かれている地図があった。
その地図によると日本は、古くから現在に至るまで栄えている都市の殆どの下を龍脈が通っている。
日本の南の端まで行って龍脈は途切れるのだが、北の方は現在のシベリアから中国、インドから中東、そして北欧を経由してイギリスまで至る。
「お話中にすいませんねぇ。みんなの分のお茶を持ってきましたんで」
「りょう殿。気にせんでも良いぞ」
「そいじゃ、遠慮せずに」
おりょうさんは優雅な所作で腰を下ろすと、俺が淹れていた分以外のお茶の用意を始めた。
「座卓をもう一つ持って参りましたので、これで全員が席に着けますわ」
「有難うございます、天さん」
無理に全員で卓を囲む必要も無いのだが、天が気を利かせて座卓を持ってきてくれたので、応接間の物とくっつけてから、それぞれの茶器を前に置いて全員が着席した。
「そちらの話を訊きたいのだが、途中まで進んでしまったのでこちらの話を先に終わらせよう」
「ええ。お願いします」
「うむ。この国と龍脈で結ばれている出口の事を、我が国では精霊輪と呼んでいる。この国ではわかり易いように、単に転移門と呼ぶ事にしたようだが」
「この国では妖精というのはあまり馴染みが無いのでな」
アーサー王の言葉を沖田様が補足した。
(遠く離れた国と繋ぐ龍脈の出入り口がフェアリーサークルっていうのは、かなり洒落が利いてるな)
フェアリーサークルというのは、ヨーロッパの妖精伝承に登場する事が多い、草や石などで形成される不思議な環状の現象の事だ。
フェアリーサークルに入ると妖精たちの不思議な世界に迷い込み、とんでもなく遠い場所に移動してしまったりする。
フェアリーサークル中の時間の流れが通常とは違い、浦島太郎のような目に合った者も居ると伝えられている。
日本の場合にはこの手の伝承は妖精では無く妖怪が関わっていて、代表的なのは迷い家であり、蜘蛛達の里もその一種だ。
「その龍脈が開通したのはわかるのですが、友好国とは言え君主である陛下がいきなり来るというのは、ブリテンでは普通の事なのですか?」
「あー……」
「……」
「っくくく……」
俺の質問に対して、ケイ卿はなんとも気不味そうな、アーサー王はむっつりと面白く無さそうな表情をしたのだが、何故かトリスタン卿だけは含み笑いを漏らしている。
「それがですねぇ、聞いて下さいよ鈴白殿」
「はぁ……」
「「……」」
実に愉快そうにトリスタン卿が話し出すのだが、逆にケイ卿とアーサー王の機嫌は下降の一途を辿っている。
「ケイ卿があまりにもこの国の料理の旨さと、工芸品の素晴らしさを語るのでね。龍脈が繋がったのをこれ幸いと、ケイ卿がこっちに戻ってくる時に陛下も便乗してやってきたという訳なんですよ」
「それは……色々と問題があるのでは?」
こっちの世界のブリテンの統治方法はわからないが、基本的には絶対君主であるアーサー王が国家の運営を決めている筈だ。
千年以上も治世が続いているし、かなり広い版図も保有しているので、地方の代官とかに丸投げしている部分も少なくは無いと思うのだが、それでも王による決済が必要な案件は山程あるだろう。
「問題はあるのですが、どうせ陛下の治める国ですので。国が荒れたら復興するのも陛下の役割ですから」
「トリスタン。気軽に申すな」
「気軽に他国まで来てしまっている陛下には、言われたくありませんなぁ」
「ははは……」
歯を剥き出しにして、忌々しそうにトリスタン卿を睨むアーサー王を、ケイ卿が苦笑い市長あ見ている。
「……そんな事よりも、今度はそちらの番だ。話してくれるのだろうな?」
「はい」
戦況が悪いと悟ったアーサー王は、俺の方に水を向けてきた。
(おりょうさん。それにみんな)
(あいよ)
(はいっ!)
(おう!)
(うむ)
((はい))
話をする前に、ブルムさん以外に念話を送った。
(基本的には俺が説明をするから、みんなは話を振られても黙っていて欲しいんです。勿論、俺の方から話してくれるように求めたりもするかもしれないけど、その時にも必要最低限に留めるようにお願いします)
(わかったよ)
(わかりました!)
(おう!)
(承知した)
((畏まりました))
「では、先ずは俺自身の事からお話します」
皆の了承したのを確認してから、俺はこっちの世界に来た経緯を話し始めた。
「……成る程。鈴白をこの世界に導いたのは、北欧の蛮人共が崇めている神か?」
「そうですけど……どうしてそれを?」
フレイヤ様との関わりについては特にばれても問題無いかと思い、正直に話した。
「何。そこの女戦士がさっきまでしていた格好に、見覚えがあったのでな」
「見覚えですか?」
アーサー王の言う女戦士とは、ブリュンヒルドの事だ。
「最近はとんと見なくなったが、過去にはブリテンに覇を唱えようと、似たような格好の女戦士を含む蛮人共が暴れておったのでな」
「あー……」
北欧からブリテンに流入してきた、ヴォータン(オーディン)を主神として崇めるサクソン人は、現在のイギリスの主要民族であるアングロサクソン系の源流になる。
サクソン人は大柄で金髪や赤毛を持っている者が多く、ブリテンの騎士の殆どが男性だったのに対して、女性でもワルキューレの姿に倣った装備に身を固め、戦場に赴いたと言われている。
「その神様に導かれて辿り着いた江戸で、現在の婚約者であるおりょうさんと出会い、その後に向かった藤沢で、もう一人の婚約者の頼華ちゃんと出会ったんです」
「何? 鈴白には婚約者が二人居るのか?」
「えっと……はい」
「……」
おりょうさんだけを紹介して、頼華ちゃんを紹介しない訳には行かないのだが、自分の事ではあっても婚約者が二人というのは、説明していて少し気恥ずかしく感じる。
そんな俺の心中には気付いていないと思うが、自分の事を説明された頼華ちゃんは得意気な表情でアーサー王達に軽く頭を下げた。
「頼華? 鈴白、今そう申したか?」
「ええ」
それまで黙っていた沖田様が、頼華という名前に反応した。
「もしやそなた……いや、貴方様は、源の?」
「多分、沖田様の想像通りなのですが、この事は内密にお願いします」
新選組は元は江戸で活動していたらしいので、頼華という名前と、そんなに遠くない鎌倉を治める源家の息女の名前が一致したようだ。
「その源の治める鎌倉での事なのですが……」
俺はダイジェストで、黒ちゃんと白ちゃんと出会った時のエピソードを語った。
無論だが、白ちゃんが鎌倉に害を為そうとしていたところは省いた。
「なんと? その娘達が、元は数百年前にこの京で暴れていた怪物だと申すか?」
「ぬ、鵺だとっ!?」
アーサー王にとっては鵺でも墓場を飛んでいる人魂でも大差無さそうだが、この国で暮らしている沖田様にとっては、かつて源頼政と家来の猪早太によって討伐された鵺というのは、畏怖するべき存在なのだろう。
「だ、だがっ、どこからどう見ても可愛らしい娘だぞ!? そちらの初対面の娘もらしいが、俄には信じ難い」
沖田様は黒ちゃんを相当に可愛がっていたので、簡単に信じて貰えないだろうというのは、ある程度予想の範囲だった。
細身で怜悧な美貌の白ちゃんに関しても、空を飛ぶ方の鵺だとは信じられないらしい。
「まあ、無理もありませんけど。黒ちゃん、白ちゃん、部分变化をして見せてあげて」
「おう!」
「承知した」
作務衣の袖を捲くり上げて、黒ちゃんは右腕を虎の物に、白ちゃんは鳥の翼に、それぞれ部分变化させた。
「な!? さ、触っても良いか?」
「御主人?」
「いいよ」
「おう!」
沖田様に言われて黒ちゃんが許可を求めてきたので、俺は頷いて見せた。
「むむ……これはなんとも良い毛並みで、触り心地の良い」
「にゃあぁぁ!?」
「あの……沖田様?」
部分变化をしている腕の確認をするだけなのかと思ったが、沖田様は黒ちゃんの毛並みを存分に撫で回した後で、顔を近づけて頬擦りをし始めた。
そこまでされるとは思っていなかった黒ちゃんが、猫みたいな声を上げる。




