茸
「良太。珈琲を淹れてきたけど、どこに行くんだい?」
洗い物を済ませ、茶器や湯気の上がるコーヒーの入ったマグカップを持ったおりょうさんが戻ってきた。
「この子達の移動時に使う外套の用意を忘れてまして」
「あー……わかったよ」
「そんなに時間は掛かりませんから」
「うん。行っといで」
「ここでいいか」
食堂を出て、すぐ隣の建物であるサウナ小屋に移動した俺は、新たに設けられたシャワー用のブースの影に入ると、水を浴びない位置で左手首のドラウプニール弾いて回転させた。
「おお……意外に消耗してたのか?」
週末の材料集めやガラス器や磁器造り、それに伊勢を往復する『界渡り』で、自覚するよりは気を消耗していたらしく、身体から溢れた気で輝いた状態になるまでに少し時間が掛かった。
「さて、と……」
万全の状態になったので、糸を操って子供達用の外套の製作を開始した。
認識阻害の効果は言うまでも無いが、ワルキューレ達の鎧に施した外的な力に対する防御力アップの付与も施す。
尤も、一般的な幼児よりは多いと言っても、里の子供達もそれ程は気の容量が多くないので、外套の付与は数回の攻撃を凌ぐくらいの効果しか発揮されないだろう。
しかし、その数回の防御効果が明暗を分ける可能性も否定出来ないので、こうやって準備をしているのだが……。
「ついでに大裳さん達の分も作っちゃいたい気もするけど……今日は仕方が無いな」
目立たないようにドラウプニールを使える場所は限られるので、大裳を含む三人の式神達の分の衣類も作ってしまいたいのだが、今日のところは時間が無いのでそういう訳にも行かない。
「これで良し、っと」
子供達用の外套なのでサイズが小さいから、五人分でもそんなに時間が掛からずに完成させる事が出来た。
俺はドラウプニールの回転を停めると、右腕で外套を纏めて持って食堂へと向かった。
「おかえりぃ」
「戻りました」
食堂に戻ると、おりょうさんが微笑みながら迎えてくれた。
「ブルムの旦那。珈琲を一杯飲むくらいの時間はありますかねぇ?」
「ははは。ゆっくりで構いませんよ」
「すいません。急いで頂きます」
少し時間が経っているので淹れたての熱さは無いのだが、逆に飲み易い温度に冷めているので、ブルムさんをそんなに待たせないで済むだろう。
「っと、その前に。みんな、移動中はこれを着てね」
「「「はいっ!」」」
さっきのお守り袋以上に、子供達が瞳を輝かせながら外套を受け取ってくれている。
「主人。これ、今直ぐ着てもいいですか?」
「構わないよ」
「有難うございます!」
「お、俺も!」
「あたしも!」
お夕ちゃんが先頭を切ると、他の子も次々と追随して立ち上がって自分の外套を着始めた。
「わぁ♪」
笑顔で外套を着たお夕ちゃんは、その場でくるっと回って裾を翻らせたりしている。
(小さいけど、女の子だなぁ)
時代というか世界が違っていても、女の子はファッションへの関心が高いようだ。
「その外套には、攻撃とかに対する付与をしてあるから、いざという時には気を込めるようにしてね」
「「「そうなんですか!?」」」
「う、うん……」
京に行く五人の子達が、俺の言葉を聞いて一斉に振り返った。
(お洒落着を貰ったくらいにしか思ってなかったのかな?)
ゲームなんかのパラメータに換算すれば、布製なのにかなりの壊れ性能に仕上がっている外套なのだが、子供達の目にはそういう風には映らないらしい。
「そういう時が来ない方がいいんだけど、忘れないでおいてね?」
「「「はい!」」」
里の子供達は本当に聞き分けが良い。
「話もいいけど、良太は少し急いだ方がいいんじゃ無いのかねぇ」
「そうですね」
俺は苦笑しながら、コーヒーのカップに口を付けた。
「あ。そうだ、おりょうさん」
「ん?」
「以前に里で栽培しようと思っていて、断念した物があるんですけど、俺が居ない間に試しにやってみてくれませんか?」
「……今度は何を栽培しようってんだい?」
最近の俺の行動が目に余るのか、おりょうさんがジト目で見てくる。
「椎茸ですよ」
「椎茸? でもあれは……良太の世界じゃ普通に売ってたんだっけねぇ」
「そうなんですよ」
日本における椎茸栽培の発祥については諸説あるのだが、最初の頃は原木に菌がつくのには偶然の要素に頼らざるを得ない状況だった。
味や香りも良く、干した物は出汁としても使われる椎茸は、栽培に成功して広く出回るようになるまでは、松茸よりも高価で人気があったと言われている。
しかしこれは、主に関西で採れた松茸を江戸に運ぶ際に塩漬けにしていたので、食べる頃には味も香りも飛んでしまっていたのが原因だと考えられている。
「椎茸が採れるようになったら、おりょうさんも出汁や蕎麦の具材に使ってみたいと思いませんか?」
「う……」
椎茸は蕎麦の出汁に使うと味が喧嘩してしまうかもしれないが、具材として使うには申し分の無い食材だ。
そのまま食べてもおいしく、他の野菜などと一緒に煮染めにしたりすると互いに味を高め合う椎茸は、あると非常に便利だったりする。
「はぁ……確かに椎茸がありゃあ、料理の幅が広がるのは間違い無いしねぇ。栽培の方は例の画面で出来るのかい?」
「ええ。椎茸以外の茸も出来ますよ」
菌床の衛生管理などが大変なので、一度は考えたが断念した里での茸類の栽培であり、元の世界から持ち込む事もしなかった。
しかし、ブリュンヒルドの依頼で葡萄を植える際に調べたら、新たな作物の項目に幾つかの茸も並んでいたのだった。
(でも、正式名じゃ無かったんだよな……)
現在スーパーなどで販売されている茸の中には、本来とは違う名称の物があったりする。
代表的なのはホンシメジで、販売されている物は殆どの場合は、近縁種のブナシメジやヒラタケだ。
わかり易さを考えてくれているのか、何故か天沼矛の栽培出来る茸の候補名は、ブナシメジやヒラタケでは無くホンシメジになっている。
「ただ、椎茸はどっかから楢の木を拾ってくれば、そこに楔を打ち込んでの原木栽培が出来るんですが、他は菌の苗床になる器を作らなければなりませんね」
「そりゃ仕方が無いねぇ」
向こうの世界の行った時に、季節外れの舞茸がスーパーで売っているのを目にしたおりょうさんに、どういう事なのかを調べて説明したので、これだけの会話で理解をしてくれている。
「茸もあると便利だねぇ。ナメコは味噌汁なんかももいいし……」
季節になって山に生えた物を探して、採って来て食べるのが一番おいしいというのはおりょうさんもわかっているのだが、椎茸を筆頭に茸というのは様々な料理に使えるので、栽培を真剣に考え始めたようだ。
「外国の茸だけど、まっしゅるーむってのも、悪くなかったねぇ」
「パスタなんかには定番ですね」
マッシュルームも日本で菌床栽培が開始されていて、中には直径が二十センチを超えるような巨大な物もある。
熱を加えると色が変わってしまうのだが、マッシュルームは味も歯応えも良いおいしい茸で、特にイタリアンなメニューには欠かせない。
「むぅ……とりあえず椎茸と、他に幾つか栽培を考えとくよ」
「お任せします。あ、それと黒ちゃん」
「ん? あたい?」
おりょうさんに作って貰ったのか、牛乳たっぷりのカフェ・オレを飲んでいた黒ちゃんが、俺の呼び掛けで近づいて来る。
「少し相談があってね。ちょっと向こうに行こうか」
「おう!」
人が少なくなっている食堂の中の、端の方の空席に黒ちゃんを誘うと、俺の後について歩いて来た。
「でも、どうしたの? 京に行く間に、幾らでも話す時間なんかあるのに」
大きな瞳で俺を見つめながら、黒ちゃんが尋ねて来た。
「それがね。夢の話なんで、ちょっと曖昧なんだけど」
俺は夢で見た内容を特に端折ったりしないで、少し声を潜めながら黒ちゃんに伝えた。
「白ちゃんが鎌倉を襲おうとした時とかにも、多分だけど俺がこれまでに関わった神仏が、夢で知らせてくれたんだ」
「おお!? だから御主人は、白を待ち伏せ出来たんだね!」
「そうなるね」
どういう方法で鎌倉の源屋敷を襲うのかまではわからなかったが、それでも前の晩に何かが起きるというのを知っていたので、白ちゃんを迎撃出来たのだった。
「でも、恐らく京で襲われるのが確実だとしても、それが俺に対してなのか、それとも黒ちゃんや子供達なのかまでは、今回はわからないんだよね」
新選組が市中警護をしている昼日中の京に、通り魔的な相手が現れるとは考え難いし、殺気を放ってくれば察知は可能な筈なのだが、どうにもシチュエーションがはっきりしない。
とりあえず出来る事と言えば、普段はしないが外套の下に巴を予め帯びておき、いつでも抜けるようにしておくくらいだろう。
「念の為に俺は両手を空けておきたいから、悪いんだけど黒ちゃんが二人くらい引率して欲しいんだけど」
これも、いつでも巴を抜き放てる用意のためだ。
「おう! あたいに任せといて!」
「うん。頼んだよ」
黒ちゃんが二人引き受けてくれて、ブルムさんと天后で他の子供三人を手分けし貰い、俺が先頭を歩けば、ほぼ万全の態勢と言えるだろう。
「ところで。ブルムのおっちゃんと天后には、話しておかないでいいの?」
「ブルムさんも天后さんも戦えそうなんだけど、武人とかが相手になるとちょっと厳しいと思うんだよね」
大陸からの長い旅路を経てこの国までやってきたブルムさんは、野生動物や盗賊が相手ならば遅れを取る事は無いと思うのだが、戦闘に気を使える武人レベルが相手になると、太刀打ち出来るかどうかはちょっと怪しいと思っている。
天后は安倍晴明が創り出した式神の中でも、四神のような伝説の生物をモチーフにした戦闘に向いたタイプは無いと思うので、あまり戦力としては期待しない方が良いだろう。
「まあブルムさんと天后さんには、何かがあったら戦うよりは逃げて欲しいから、京への道中で軽く説明だけするよ」
「おう!」
予め説明をしておかないと、いざという時に動けなくなる可能性が高いので、もしもの場合には逃げる事と、躊躇せずにドラウプニールを使う事だけは打ち合わせておく必要があるだろう。
「じゃあ、これで話は終わり。行こうか」
「おう!」
潜めていた声を元のレベルまで戻した俺は立ち上がると、黒ちゃんと一緒におりょうさん達が座っているテーブルの方に向かった。
「うーん。えのきも使い途はあるし、舞茸は天ぷらや炊き込みご飯にしても……」
おりょうさんが唸りながら、里で栽培する茸の選定をしている。
原木や菌床による栽培は畑で野菜を育てるよりは手狭な場所でも出来るとは言え、里の住人が食べるだけの量となるとそれなりの数を用意する必要があるので、多くの種類を育てるのは難しい。
向こうの世界で様々な茸を知ったおりょうさんとしては、取捨選択がかなり悩ましいようだ。
「おりょうさん。茸も他の野菜とかと同じくらい育つかどうかもわからないんですから、先ずは椎茸と他に一種類くらいから始めたらいいんじゃないですか?」
水耕栽培でトマトも育て始めたし、異様を通り越して異常に成長の早いアスパラガスもあるので、ここに多くの種類の茸をとなると、手が足りなくなるかもしれない。
「そうだねぇ。椎茸を育ててみて成長が早けりゃ干して、他はシメジ辺りかねぇ」
「いいんじゃないでしょうか。シメジは肉類とも相性がいいですし」
炊き込みご飯やパスタの具にしてもおいしいシメジは、肉類と相性が良いので炒め物などにも向いている。
冬場になれば鍋の具にも使えるシメジは、椎茸と同じくらいに使い勝手が良い食材だ。
(個人的には舞茸もと思うけど、おりょうさんを悩ませるのはやめておこう)
菌床栽培の物だと香りに乏しいシメジよりは舞茸の方が好きで、一緒に漬け込むと肉の酵素を分解して、柔らかくする効果がある。
以前に家宗様から貰った老牛の肉を柔らかくするのに舞茸があればと思ったのだが、その時は塩水から重曹を抽出して事なきを得たのだった。
「みんな。出掛ける準備をして、里の端っこに集合ね」
「「「はい!」」」
形代が出来上がった、京に行く子供達に告げると、一斉に立ち上がって自分達の部屋に向かった。
「おりょうさん。俺達はそろそろ出掛けますね」
「おやそうかい? なら送るよ」
「いいんですか?」
悩んでいるくらいなので早速、茸の栽培の方に取り掛かるのだと思っていた。
「あんたの見送り以上に大事な事なんざ、ある訳無いだろ?」
「そ、そうですか……」
何気無い一言だが、愛されている事を実感する。
「そいじゃ、行こうかねぇ」
「はい」
「おう!」
当然のようにおりょうさんが俺の右腕に自分の腕を絡めてくると、空いている左腕の方には黒ちゃんが腕を絡めてきた。
「松葉独活と茸の事は、あたしに任しときな」
「お願いします。菌床の器の方は、夕霧さんと天さんに相談すれば大丈夫だと思いますから」
菌床を入れるのは陶器で十分だろうから、ガラス器や薄い磁器を造るのに比べれば夕霧さんも天も苦労はしないだろう。
「良太様。私達は御一緒しないでも良いのでしょうか?」
「いざとなったら呼びますから、その時は駆けつけて下さい」
まだ試してはいないが、俺はブリュンヒルドを始めとするワルキューレ達を召喚する事が出来るらしいので、ピンチに陥ったら助けて貰うつもりではある。
「畏まりました。喚び出されないのが一番良いのではありますが、その時が来ましたら立ち塞がる相手を悉く退けてみせます!」
「た、頼りにしてますね」
「はい!」
ブリュンヒルドが必要以上にやる気を出している感じがして、ちょっと危うい。
「良太殿。お気をつけて」
「わざわざのお見送り、有難うございます」
「……」
身重の身体の雫様が、顔を真赤にして羞恥に小刻みに震えているオルトリンデを連れて見送りに来てくれた。
(明るいところで立っている姿を改めて見ると、凄いインパクトだな……)
食堂でも見ていたのだが座った状態だったので、メイドルックのオルトリンデの全身像を見る事は出来なかったのだが、雫様の隣に立っているので俺が誂えた服も靴も身に付けたフル装備の状態が視界に入る。
そんなオルトリンデの姿を時折見ながら、雫様が表情を引き攣らせている。
「主人! お待たせしました!」
「「「お待たせしました」」」
「別に待って無いよ」
永久君を先頭にした子供達全員が、同じくらいのタイミングで駆けながらやってきた。
「鈴白さん。お待たせしました」
「お待たせ致しました、主様」
ほぼ同時に、ブルムさんと天后も来客用の館から出て来た。
「ではみんなの荷物は、私が預かろうね」
「「「はい!」」」
ドランさんが呼び掛けると、子供達は行儀良く順番に自分の荷物を手渡していく。
受け取ったドランさんは、子供達の荷物を次々にドラウプニールに収納する。
「ん? 樹君。それは手で持っていくの?」
「だ、駄目ですか?」
「駄目では無いけど……まあいいか」
樹君に尋ねたそれとは、俺が作ったブーメランだ。
「京までの道中は誰かと手を繋いで移動するけど、もしも転んだりしたらそれを手放して、ちゃんと地面に手を付くんだよ?」
「はい! 絶対に転びません!」
「えーっと……」
樹君は転んだ時に危険になるのなら、転ばなければ良いという方針のようだ。
「兄上! お見送りにしに来ました!」
「主殿。俺は一緒に行かんでもいいのか?」
そろそろ出発というところで、頼華ちゃんと白ちゃんもやってきた。
頼華ちゃんは飛び掛かるようにして俺に抱きついてくる。
「見送り有難う頼華ちゃん。白ちゃんは……それじゃ行きだけでも一緒に来て貰おうか」
極力いつも通りを崩したくは無かったのだが、拭いきれない不安要素があるのも確かなので、白ちゃんにも同行をお願いした。
「兄上。何なら余も御一緒に」
「有難う。でも大丈夫だよ。白ちゃんにも念の為に付いてきて貰うだけだから」
「そうですか。ですが、もしも何かが起きた時にはお呼び下さい。直ぐに駆けつけますので!」
「うん。何も無いのが一番良いんだけどね」
内心の不安を隠すよう少しだけ無理をして微笑みながら、頼華ちゃんの頭を撫でた。
「良太。気をつけて」
「はい」
頼華ちゃんが離れるのを待って、おりょうさんがそっと抱きついて別れを惜しんでくれた。
「それでは、行ってきます」
「「「行ってきます」」」
「「「行ってらっしゃい」」」
挨拶を交わした俺達が霧の結界の中に入って姿が見えなくなるまで、おりょうさん達は見送りを続けてくれた。




