フレンチトースト
「ん……こいつはパッと見は卵焼きだけど、食ってみると柔らかくて甘くてぷりんに似てて、うまいもんだねぇ」
「そうなんですよね。でも多分なんですが、意図的にこれを作ろうとしても難しいんじゃないかなって思うんですよ」
「そうなのかい?」
「ええ。と言うよりも、これを作る為にパンの欠片とかを、わざわざ作ったりするのも……」
「あー……」
パンプディングのように、スライスしたパンを敷き詰めてプリン液を流し込んで固めるとかは簡単なのだが、いま食べている物のように程良い滑らかさには出来ないのだ。
そして確かにおいしいのだが、味として普通のプリンとかが劣っている訳ではないので、おりょうさんもわざわざこれを作る為の工夫とかをしないでも良いと気がついたのだろう。
「うわぁ……余り物で作ったとは思えない程、おいしいですね!」
「捨てちゃうのが勿体無いから作っただけなんだけど、お糸ちゃんが喜んでくれたのなら嬉しいよ」
「そ、そんなぁ……」
お糸ちゃんの照れている姿は、幼い中にも女性を感じさせる。
「おはようございます、兄上っ!」
「御主人おはよー!」
「おはよう頼華ちゃん、黒ちゃんも」
朝から元気良くと言うには少し騒々しく、頼華ちゃんと黒ちゃんが厨房にやってきた。
「ああっ! 姉上とお糸が何か食べている!?」
「ほんとだー!」
「あんたら……これは朝の支度を手伝ったあたしとお糸ちゃんへの、良太からの御褒美だよ」
「ら、頼華姐様、黒姐様。良ければあたしの分をどうぞ!」
頼華ちゃんと黒ちゃんの反応に呆れているおりょうさんの隣りに居たお糸ちゃんは、反射的に自分が持っていた皿を二人に差し出した。
「おお! 良いのか、お糸?」
「は、はいっ!」
「良い訳無いだろ。はぁ……頼華ちゃん、お糸ちゃんはあんたの妹も同然なんだよ?」
「うっ……」
お互いに当然の事のように皿の受け渡しをしそうになっていた二人を見て、おりょうさんが悩ましげに頭を手で抑えながら言うと、言葉を詰まらせて頼華ちゃんが伸ばしていた手を止めた。
「それじゃ、あたいが……」
「黒っ! そうじゃないだろ!」
「ひいっ! ね、姐さん、御免なさい!」
目の前の食べ物に目が眩んでいるのか、頼華ちゃんが注意されている意味を理解していない黒ちゃんが、ならば代わりにと手を伸ばしたので、おりょうさんの雷が落ちた。
「まったく……謝るんならあたしにじゃ無いだろ?」
「うぅ……お糸、御免」
「そ、そんなぁ!」
「おりょうさん。お糸ちゃんが困ってますから」
年齢的にも里での立場的にも上の存在である黒ちゃんに頭を下げられて、お糸ちゃんが慌てふためいている。
「ああ、済まないねぇ。頭の悪い二人の所為で、お糸ちゃんが気不味い思いをしちまうなんてねぇ」
「い、いえ。あたしは気にしていませんから」
おりょうさんが抱き上げて優しく頭を撫でると、お糸ちゃんも幾分は落ち着いたようだ。
「それよりもあんたら……姐と慕ってくれているお糸ちゃんに、自分達の物を分け与えるとかじゃ無くて、貰おうとするってのはどういう考えなんだい?」
「「う……」」
頼華ちゃんと黒ちゃんはおりょうさんに言われ、自分達の行いを顧みて俯いている。
「人の貰った御褒美を羨むくらいなら、早起きして良太の手伝いでもするんだねぇ」
「「はい……」」
流石に懲りたのか頼華ちゃんも黒ちゃんもおりょうさんに返事はしたが、声には全く力が入っていない。
「反省したかい? だったら、余り物で作った御褒美も旨かったけど、同じかそれ以上に旨い朝飯を良太とお糸ちゃんが作ってくれてるから、有り難く頂きな」
「「はいっ!」」
すっかり意気消沈していた頼華ちゃんと黒ちゃんだが、おりょうさんから朝食の情報を聞いくと、背筋とビシッと伸ばして元気良く返事をした。
「そ、そんな! あたしは主人と姐さんのお手伝いをしただけで!」
「そんな事は無いよ。お糸ちゃんは良くやってくれたからねぇ」
「そうですね」
「はぅぅ……」
おりょうさんの腕の中のお糸ちゃんは褒められて嬉しがるよりは、恐縮してしまってどういう反応をすれば良いのか困っている。
「さあ。ぼちぼちみんなが来るから、配膳しちまうよ。頼華ちゃんと黒も手伝いな」
「「「はい!」」」
おりょうさんの号令で、出来上がった料理や食器を食堂に運び始めた。
「それでは、頂きます」
「「「頂きます」」」
里の住民全員が揃ったところで、雫様の号令で朝食を開始した。
「良太殿。これは卵焼きですか?」
皿の上で湯気を上げるフレンチトーストを見ながら、雫様が尋ねてきた。
「先日食べて頂いたパンを、卵と牛の乳と砂糖を混ぜた物に漬け込んで焼いた物です」
「まあ。それは随分と手間が掛かっているのですね」
「前の晩に用意しておいたので、実際にはそれ程でも無いですよ」
工程だけを聞くと大変そうに思えたのか、雫様に驚かれてしまった。
「パンは日を置くと硬くなってしまうんですけど、こうすると柔らかくおいしく頂けるんです」
「成る程。では……ああ、なんて甘くそして蕩けるような味わいなんでしょう。これは離乳食などにも良さそうですね?」
「冷ましてあげるには、良いと思いますよ」
まだ生まれていないのに、雫様は赤ちゃんの離乳食の事まで考えているらしい。
「ん? この緑色の野菜は、少し変わった風味がするな」
「口に合わなかった?」
「いや。そういう訳では無いのだが」
スープに入っているアスパラガスを食べて、白ちゃんが首を傾げている。
「これは外国の物か?」
「うん。松葉独活って言うんだけど、探せば里の外にも観賞用の物があると思うよ」
アスパラガスもトマトなどと同じく、日本に伝わってきた当初は食用では無く観賞用だったらしい。
「嫌な風味では無いし、牛の乳と燻製肉には良く合っていると思う」
「他にも色んな料理に使えるんだよ。おりょうさんとお糸ちゃんに教えておいたから、試してみるといいよ」
「天ぷらにしてもいいらしいから、今度、蕎麦に合わせてみようかねぇ」
「それはいいな」
蕎麦の風味とアスパラガスの味が合うと思ったのか、白ちゃんが薄く微笑んだ。
「それは俺も食べたいなぁ」
「わかってるよ。そいじゃ天ぷらは蕎麦と一緒に、次の週末にでも作ろうかねぇ」
「楽しみにしてますよ」
おりょうさんの蕎麦と里のアスパラガスの天ぷらならば、旨いに決まっている。
週末に里に戻ってくる時に楽しみが、一つ増えた。
「それにしても……」
自分で言うのも何だが、フレンチトーストもアスパラガスを入れたスープも旨くて、良い朝食のひと時なのだけど、視界の隅に映る人物のお陰で時折、凄く落ち着かない気分にさせられる。
「おるとりんでお姉ちゃん、なんでそんな格好してるのー?」
「そ、それはねぇ……」
「ひらひらの服、凄く綺麗ー」
「あっ!? そ、そこは捲っちゃ駄目!」
食事をしながらも子供達はオルトリンデのメイド服に興味津々で、短いスカートの裾を無邪気に持ち上げて見たりしている。
子供の無邪気な行動なので、力づくで止めたりも出来ないオルトリンデは、真っ赤に染まった困り果てた顔でスカートの裾をなんとか死守している。
「……実際に見てみると、凄い格好ですわね」
「ははは……似合っているとは思いますけどね」
眉根を寄せた雫様を宥めようという意図は別にしても、オルトリンデのメイド姿は意外にと言うと失礼だが似合っているように思える。
(オルトリンデさんはスタイルがいいからなぁ)
些かスカートが短過ぎるのだが、背が高く引き締まった肢体のオルトリンデがメイドコスチュームを着た姿は、造形家が心血を注ぎ込んだフィギュアが等身大になって、そのまま動き出したようなバランスをしている。
(オルトリンデさんが罰を受けるのは仕方が無いにしても、付き合わされる雫様は気の毒だな……)
身の回りの世話をオルトリンデにされる雫様は、落ち着かない一日を過ごす事になるのだが、メイドの格好で畑仕事とかをさせる訳にも行かない。
「えっと、まだ食べている人も居ますけど、そのままで良いので聞いて下さい」
話題を変える意味も込めて、俺は立ち上がって少し大きな声で皆に呼び掛けた。
「朝食を終えたら、俺と一緒に京に移動する子達と黒ちゃんは、形代と言うお守りを作って貰います」
「「「お守り?」」」
昨日の夜に形代を作ったメンバー以外の者達が、食事の手を止めて俺の方を見た。
「京に行かない人達にも、里から外出する時までには作って貰います。これを作らない人の外出は基本的に認めません」
「「「はい」」」
かなり一方的な俺の物言いだが、特に不満などが出る事は無かった。
「その事と合わせて、今後は里からの外出の際には必ず、二人以上の人数で動くようにして下さい」
「ん? それは俺が江戸に使いに行く時とかもか?」
ここで初めて、白ちゃんが疑問を呈した。
「勿論。同行者は誰でも構わないけど、江戸とかの遠い場所に行くなら年長者だね」
近場での買い物とかなら同行者が子供達でも構わないと思うのだが、江戸や鎌倉に行く際には単独で『界渡り』が使える者か、ワルキューレの誰かと一緒で無ければ、いざという時の対処が難しい。
「成る程。主殿が考え無しにこんな事を言いだしたりはしないだろうから従おう」
「うん。そうして。我ながら少し神経質だとは思ってるんだけどね」
正直、里の年長組が窮地に陥ったとしても、逃げの一手ならばどうにでも出来るとは思っているのだが、だとしても出来るだけ確実に且つ傷を浅くしたいのだ。
「形代を完成させたら、俺が作っておいたお守り袋を渡すので、その中に入れて常に……って言っても風呂に入る時は無理だろうから、それ以外の時には首に掛けておいて下さい」
「「「わかりました」」」」
「という訳で、京に向かう子達以外の分は、おりょうさんに預けておきますね」
京に向かう子達は形代が出来上がり次第移動するので、他の者達は別に慌てる必要も無いので、おりょうさんに監督して貰えば良い。
「確かに、預かったよ」
「ええ。お願いします」
里の管理権限はおりょうさんと頼華ちゃんも持っているので、形代を作っていない者が不用意に外に出てしまうのを制限出来る。
「えっと。今回京に行くのは誰かな?」
「「「はい!」」」
俺が呼び掛けると、五人の子が元気良く返事をしながら手を挙げた。
「じゃあ君達は御飯を食べ終わったら、俺のところに集合してね」
「「「はい!」」」
「別に慌てて食べなくてもいいからね? って、行儀悪く食べちゃ……ああ、熱いのを無理して飲み込まなくてもいいから」
食べ終わったら集合と言ったのが良くなかったのか、猛然とスプーンを動かし始めたり、熱いのに無理してスープを飲み干そうとしている子も居る。
「そんなに慌てないでも、お守り袋は逃げないよ」
「「「は、はいっ!」」」
決して恫喝するような物言いでは無いのだが、おりょうさんが言うと京への移動組の子達は慌てるのをやめて、背筋を伸ばして行儀良く食事をし始めた。
(流石はおりょうさん。俺ももう少し厳しくしないとな)
元居た世界では一人っ子だった俺は、下の兄妹が欲しかったのでつい甘く接してしまうのだが、時には厳しくしないとお互いの為にはならない。
おりょうさんのように上手く出来るかはわからないが、自分なりに少し見直す必要は感じる。
「「「御馳走様でした!」」」
「はい。良く出来たねぇ。そいじゃ器を片付けたら、良太のとこに戻ってきな」
「「「はい!」」」
おりょうさんの指令で京行きの子達は、見事に統制された動きで使い終わった食器を厨房に運んでいった。
「それじゃ俺も……」
「食後の飲み物はあたしが用意するから、あんたはここに座ってあの子達を待っててやんな」
「わかりました」
自分の食器を片付けるついでに、お茶やコーヒーでもと立ち上がろうとした俺だったが、おりょうさんに機先を制された。
(敵わないなぁ……)
自分の分と俺の分の食器を纏めて持ち、厨房に向かうおりょうさんの後ろ姿を見送りながら、内心で苦笑した。
「今回はお夕ちゃん、凛華ちゃん、永久君、樹君、お結ちゃんだね?」
「「「はい!」」」
俺の周囲に集まった子達が、相変わらずの元気の良さで返事をした。
「五人とも、気を操る事は出来るようになってる?」
「ま、まだ上手くは出来ませんけど……」
「「「……」」」
永久君が言うと、他の四人も少し自信の無さそうな顔をする。
「畑の世話をする時に、野菜に気を送ったりしてるんだよね?」
「それは……はい」
「だったら、十分だよ」
「そうなんですか?」
「うん。この紙に名前を書いて、そこに気を送り込むだけだから」
「だったら、出来そうです!」
説明を聞いて、お結ちゃんの表情が明るくなった。
「みんなに紙と筆記用具を渡すから、いま言ったように名前を書いてね」
「「「はい!」」」
人の形に千切った紙とガラスペンを渡すと、子供達は一斉に自分の名前を書き始めた。
(うーん。墨をもう少し調達した方が良さそうだなぁ)
里でも京でも子供達の読み書きや算術を教えているのだが、筆やガラスペン、それに硯はそれなりに長く使えるから良いとしても、紙と墨の方は消耗品なので、使い切ってしまったら新たに入手する必要がある。
紙の方は植物に含まれている繊維質を、漂白と言うか脱色して紙に加工する事が出来るし、蜘蛛の糸で作った布でも用は足りる。
しかし墨は、今の所は外から買ってくるしか無いのだ。
(確か墨は煤を作って、それを集めて膠で固めた物だよな……)
墨はざっくり分けると三種類あって、松を燃やしてその煤を使う青味掛かった松煙墨、菜種油を燃やした煤で作った光沢のある油煙墨、石油や石炭などの鉱物質の物を使った光沢の無い重たさを感じさせる洋煙墨がある。
現代で使われている墨は安価な事もあって、殆どが洋煙墨だと言われている。
(作れない事も無いのかな?)
松や菜種油は入手するのも困難では無いし、膠に関しては牛や猪の骨から抽出した物がある。
材料を練り合わせて型に入れて乾燥させれば、書家が使うような質の物は出来ないにしても、普段使いする程度の墨は作れそうな気がする。
(とは言っても、煤を作るのはちょっと問題があるか……)
煤は油が燃える際に出る黒い煙に含まれているので、油を燃やすという工程が先ず危険だし、黒い煙を出しても周囲に迷惑が掛からない場所で行う必要がある。
(まあ、なんでも作ろうって考えるのは良くないか……京で買えるんだし)
体験として墨を作るというのをやってみたい気もするのだが、手間や労力に見合うだけの物が出来上がるとは限らないし、高価な部類に入る油を燃やして煤を得るというのも、少し気が引ける行為だ。
(それに、おりょうさんに怒られたばっかりだし……)
やり始めるとのめり込んでしまう傾向があるのを俺も自覚しているので、恐らく墨を作り始めたら練って型に入れるところまでノンストップになってしまいそうだ。
そうなると食事の支度など、周囲に迷惑を掛けてしまう事になるのは目に見えているので、やめておくのが無難だろう。
「主人、出来ました!」
「あたしもー!」
「俺も」
「どれどれ……うん。みんな良く書けてるね」
里の子供達は普通の幼児とは違って自分の名前を漢字で書けて、しかも俺よりも達筆だったりする。
俺は小学校の二年生くらいで、やっと自分の名前を下手くそな漢字で書けるようになったので、里の子供達は世間的に見れば天才までは行かなくて秀才レベルだろう。
「それじゃ自分の名前に、気を込めてみようか」
「「「はい!」」」
返事をした子供達は、食堂のテーブルに置いたそれぞれの形代に手をかざし、気を送り始めた。
(おお。みんな見た目に似合わず、強い気を出してるな)
どうやら子供達は剣術や体術以外にも、練気の基本の馬歩などもしっかりと行っていたようで、目を凝らして見ると中々の輝きを勢いで気が手から出ているのがわかる。
「もういいよ」
「「「はい」」」
だがしかし、まだ気自体の容量はそれ程多くないので、形代にかざしていた手を引っ込めた子供達には、僅かにではあるが消耗した感じが伺える。
「じゃあこれの中に出来上がった形代を入れて、お風呂の時以外は首から吊るしておいてね」
「「「はいっ!」」」
俺がお守り袋を出すと、気の消耗など無かったように、子供達が瞳を輝かせて返事をした。
「あ。しまったな……みんな、ちょっとだけ待っててくれるかな?」
「「「はい?」」」
「ブルムさん。少しだけ出発を待ってて貰えますか?」
「構いませんが、どうされました?」
「子供達用の外套を作るのを忘れていました」
週末にガラス器や磁器なんかを造っていたのに、週明けに必要になる子供達用の認識阻害効果のある外套の準備をするのを、すっかり忘れていたのだった。
里の外を出歩く時に危険が無いようにと形代をみんなに作らせたのに、移動中の安全を護る為の外套を忘れていては片手落ちも良いところだ。




