お守り袋
「天さん。形代に使う紙は、何でも大丈夫ですか?」
「ええ。文字がはっきり書ければ問題ございません」
「それじゃこれとで」
俺はドラウプニールから、元居た世界で買ってきた和紙の束を取り出した。
「文字の方は、細くても?」
「ええ。しっかりと書けていれば」
「ならこれだな」
小筆とセットになっている墨壺を取り出したが、実際に文字を書くのに使うのはガラスペンだ。
「主様。丁度良く筆記具を取り出されましたが、宜しければ依頼されました収支の記帳用に、少し頂けませんでしょうか?」
「あ。そう言えば頼むだけ頼んでおいて、書き込む紙や筆記具をお渡ししていませんでしたね……ではこれと、こっちもどうぞ」
「あの、この硝子製と思われる筆記具は、高価なのではありませんか?」
特に数えないで数十枚の和紙と、先端部分だけのガラスペンを差し出すと、大裳が少し慌てた様子をしている。
「硝子を手に入れられるようになったので、大丈夫なんですよ」
使い切りのつもりで元居た世界から買ってきたガラスペンなのだが、材料であるガラスがほぼ無制限に無料で手に入るようになった。
「そうだ。皆さんにも幾つか渡してきますね」
原材料を自前で調達出来るようになったので、ペン先だけのタイプや軸まで全てガラス製の物も、順次造るつもりだから、手持ちの分をこの場に居る人達に渡しておいても問題は無い。
「これは墨を何度も付けずに、細かな文字をかなりの数書けるので、凄く便利なのですよ」
「ブルムさんには既に、笹蟹屋で使って貰ってますね」
「ええ。壊れたらどうしようかと思っておりましたが、追加で鈴白さんお造り出来るのでしたら安心ですなぁ」
「確かに。一度慣れた物が無くなってしまうと、困りますよね」
小筆とガラスペンでは、一枚の紙に書き込める文字数が桁違いだし、墨やインクの補充回数が少なくて済むので、疲労の軽減にもなるし記帳に集中出来る。
元々はこっちの世界に持ち込む技術などを書き込む為に購入し、ちょっとお洒落な筆記具という事でお土産にもして壊れたらそれまでと考えていたのだが、確かに一度使って良さを実感すると、ブルムさんのように帳簿に使った人は、無くなってしまったら困り果ててしまうだろう。
「鈴白さん。この硝子の筆記具こそ、笹蟹屋で売り出してはどうでしょうね? 私のように商売をしている者ならば、多少高くても買うと思いますよ」
「成る程。手持ちの材料で幾つかは造れますから、そうしてみましょうか。売り方や売値は、ブルムさんにお任せします」
出来上がったガラスペンを店頭に並べるのか、それともブルムさんの知っている人に売るのかはわからないので、その辺は価格も含めてお任せにしておく。
「ところで先程、材料が手に入れられるようになったと言っていましたが、手に入れるのに時間や手間は掛からないのですか?」
「ええ。調達するのに二時間、加工するのに一時間も頂ければ、先端だけの物なら数百個は造れます」
仮に京の笹蟹屋でガラスペンが新規に欲しいと言われた場合、石切り場に移動して材料の採取をして、ガラスとペンに加工をしてから戻るのに合計で三時間もあれば余裕だろう。
「価格の暴落を招くので、大量に手に入っても店頭に並べたりはしませんが、それを聞いて安心しました。申し分のない商品になるでしょう」
恐らくはガラスペンも大坂のガーリンさんの店と相談をして、輸入品みたいな扱いのするのだろうから、当然ながら流通量は限られて、やや高価な商品となる。
それでも流通する数が多くなれば低価格化をするのは避けられないので、ブルムさんはある程度意図的に、その辺を調整するのだろう。
「良太。その辺の話は後でするとして、身代わりになる形代ってのを、早いとこ作っちゃどうだい?」
「そうですね」
すっかり筆記具の方に話題が移ってしまったので、おりょうさんに言われて形代製作の方に軌道修正した。
「それでは貴方様。これにお名前をお書き下さい」
天が器用に指で人の形に千切ってくれた和紙を、俺の前に差し出した。
「有難うございます。では……」
こういう物はなるべく真剣に取り組んだ方が良い結果が出るので、俺は背筋を伸ばし人の形の紙に向き合い、意識を集中して自分の名前を書き込んだ。
「とってもお上手です。既に貴方様の気がかなり込められているようですが……念の為にお名前の文字の方に、少し気を注ぎ込んで下さい」
「わかりました」
俺の字が上手というのは天の社交辞令だとは思うが、それでもちょっと気分的に嬉しくなりながら、俺は形代に気を注ぎ込んだ。
「はい、もう結構でございますわ。それではこれを水で濡らしたりしないようにお気をつけ頂きながら、肌身離さずお持ち下さい」
「えーっと……こういうのに入れておけばいいですね?」
俺は手早く小さな巾着のような袋を作り、その中に形代を入れた。
巾着はお守り袋のように、形代を入れた口の部分を絞れるようになっていて、そこから長く紐を伸ばして首から掛けられるようにした。
巾着袋は折を密にしてあるので、雨に降られた程度では中の形代が濡れてしまう心配はしないで良いだろう。
「一見しただけでは袋が目立ちませんし、懐や袂に入れているのとは違って、激しく動いても落としたりはしませんわね。非常に良いと思います」
お守り袋方式は、天に高い評価を貰えた。
「有難うございます。良い機会ですからおりょうさんも他の皆さんも、御自分の形代を作って身に付けて下さい」
「わかったよ」
「良さん。手間を掛けて悪いんだが、俺の分のその袋を作ってくれるかい?」
おりょうさんが自分用のガラスペンをドラウプニールから取り出して作業に取り掛かったところで、正恒さんから声が掛かった。
「お安い御用なんですが……」
「なんかあるのか?」
「さっきブリュンヒルドさんにも相談したんですが。正恒さんやブルムさん、それに他の皆さんも、俺達と同じ能力を使えるようになるんですけど、どうします?」
「「「えっ?」」」
既に能力を使えるようになっている天と、相談をしたブリュンヒルド以外のこの場に居る人達から、驚きの声が出た。
「良さんが使える能力っつーと、炎の術と蜘蛛の糸を操るのだったか?」
「ええ。他に身体の一部を变化させたりも出来るんですけど、どちらかと言えば戦闘に使う術なので、正恒さんには要らないかもしれませんね」
「ふむ」
使える能力の確認をして、正恒さんは腕組みをしながら考え込んでいる。
「金属や硝子なんかを扱うやり方も、良さんから使えるようにして貰えるのかい?」
「そっちは術という訳では……でも、気を使うから術なのかな?」
材料を集めるのは、その素材をイメージしながらドラウプニールを使うのであって術とは違う。
しかし集めた材料を気を送り込んで加工するのは、術と言えるかもしれない。
「材料の集め方と加工のやり方は、後で教えますよ」
「ああ。その前に蜘蛛の糸とかか……まあ使えりゃ、便利ではあるな。でも、いいのかい?」
「いいのかと言いますと?」
「世話になっちゃいるが、俺は蜘蛛の里の人間って訳じゃ無いからよ」
「そう思ってるのって、正恒さんだけでは?」
「ん?」
「「「……」」」
本人が意外そうな顔をしているが、俺も含めた他の人間は、正恒さんに視線を送りながら苦笑を噛み殺している。
「正恒の旦那は、子供達や戦乙女さん達の鍛冶の師匠なんだろ? もう立派に里の人間じゃないか」
「こいつは参ったな……」
笑顔のおりょうさんに諭されて、正恒さんは里で自分がどういうポジションなのかと再認識したようだ。
「貴方様。正恒様には私の方から貴方様に教わったやり方を、明日以降にお伝え致しますので」
「ああ。それは助かります」
俺はどれだけ夜更しをしても大丈夫だが、教えるからと言って正恒さんを付き合わせるのも悪いので、既にガラスや陶器や磁器に関しての扱いを習得している天が、明日以降に教えてくれるのならば安心だ。
「良太。術の類はあたしや頼華ちゃんが教えとくから」
「おりょうさんと頼華ちゃんが教えてくれるのなら安心ですね」
最初に俺の能力の譲渡をしたのがおりょうさんと頼華ちゃんなので、理解度や熟練度は一番高いだろうから、任せてしまっても全く問題は無い。
「じゃあ今回は俺が正恒さん達の分の袋を作っちゃいますから、形代作りの方を進めて下さい」
「ああ」
「っ!? あ、あの、良太様。その袋と申されますのは……わ、私の分もなのでしょうか!?」
「え、ええ……」
凄い勢いで立ち上がったブリュンヒルドが、声を裏返らせながら訊いてきた。
「良太。あたし達が形代を作ってる間に、ここに居る以外の連中の分の袋も、作ってやっちゃどうだい?」
「それもそうですね」
大して凝った構造とかでは無いので、この程度の巾着は糸を操れる能力を身に付けていれば簡単に作れるのだが、この場に居る者と居ない者で差が出るような事をするのは良くないので、おりょうさんが言う通りに住民全員分を俺が作るのが正解だ。
「あの、主様」
「大裳さん、何か?」
早速糸を操って巾着を作ろうと思ったところで、少し表情が硬い大裳に話し掛けられた。
「主様のお気持ち、この上なく有り難いのですが。我らには身代わりになる形代は意味を為さないのです」
「そうなんですか?」
「ええ」
「「……」」
返事をする大裳に同意するように、天后と太陰も小さく頷いている。
「我等は主様にお造り頂いた形代が本体で、今のこの姿は見せ掛けだけの物です。ですので、身代わりが効果を為さない代わりに、本体である形代が壊されない限りは存在は保てるのです」
「成る程」
式神という創られた存在である大裳達は、人間ならば命に関わるようなダメージを受けても、核になっている形代さえ無事ならば大丈夫だという事だ。
「ってぇと、黒達もそんな感じなのかねぇ?」
「いえ、りょう様。黒様達は我等のように見せ掛けでは無く、実体の身体を構成しておられますので。ただそれでも、大きな怪我を負ったとして命に関わるのかは……」
「そ、そうですか」
おりょうさんの疑問に答えた大裳の分析によれば、鵺である黒ちゃんと白ちゃんは式神達とは違う方式で身体を構成しているらしいが、それでも詳しくはわからないらしい。
「まあ安心材料として、作っときゃいいんじゃないのかい?」
「それもそうですね」
身代わりになる形代の効果があるのかどうかが不明だが、危険過ぎて実験をする訳にも行かない。
もしかしたら黒ちゃんと白ちゃんに形代の効果は無いのかもしれないが、念の為に持たせておく方が絶対に良いだろう。
「大裳さん達には、次の週末までに衣類を作っておきますから」
「それは……大変有難い事でございまずが、宜しいのですか?」
「ん? どういう事です?」
大裳達は俺の配下という事になっているので、幾らか遠慮をするというのは予想出来ていたが、少し反応が違っている。
「我等はいま見えている衣類まで含めて、気で見せ掛けてるに過ぎません。それなのにわざわざ、主様が気を消耗して頂いてまで、お作り下さるというのは……」
「「……」」
「成る程」
式神達は気で衣類に見える部分までを構成しているので、俺が気を使って着替えを作るというのが、無駄な行為だと思っているらしい。
「でも、大裳さん達は形代が身体の中に入っているので、いざとなったら黒ちゃん達みたいに、非自体化して逃げたりとかも出来ませんよね?」
「それは……」
京の一条戻り橋に形代が埋め込まれている以前の状態だと、行動範囲の制限とかはあったのかもしれないが、形代が体内に入っていなかったので、戦っていて分が悪くなれば非実態化して逃げる事も出来ただろう。
現在は形代が体内にあって行動範囲がほぼ無制限になった代わりに、非実態化をして逃亡という手段は使えないのだ。
「蜘蛛の糸の衣類を身に着けていれば、身体も形代も護れると思うんですけど」
「主様。そこまで我等の身を……」
「「……」」
(あれ? なんでこんな感じになっちゃってるんだ?)
単に式神達の分の防御力も上げておこうと思っただけなのだが、大裳を始めとする式神達が尊敬の眼差しで俺を見て来る。
そして何故だかはわからないが、この場に居る他の人達が、温かさの込もった視線で俺と式神達を見守っている。
「と、とにかく。俺が衣類を作って渡すのは決定事項ですから。明日、京に出る時までに要望を伝えて下さるなら、追加の衣類も作りますので。っと、一緒に京に行く天后さんは、後からでも受け付けますから」
「「「畏まりました」」」
今度はあっさりと、式神達が返事をした。
「鈴白さん。私には笹蟹屋の方で、使わせて貰える能力の扱い方を教えてくれますか?」
「ええ。夕食の後の時間にでも少しずつ練習しましょう」
ブルムさんの場合は日中は笹蟹屋の業務があるので、少し長めに時間が取れるのは入浴と夕食を済ませた後くらいだ。
ブルムさんが晩酌を楽しむ時間を割いてしまうのは、少し心苦しいが……。
「出来た、っと。良太、袋をおくれ」
「あ、はい」
相変わらず達筆なおりょうさんは、形代への書き込みも速やかに済ませて容れ物待ちの状態だ。
「じゃ、これを」
「うん」
「……」
(あー……当たり前だけど、こうなるんだよな)
俺から巾着を受け取ったおりょうさんは、名前を書いて気を込めた形代を中に入れると、当然のように作務衣の胸元を少しはだけさせて、そこに巾着を落とし込んだ。
周囲の誰も何も言わなかったし、おりょうさん自身も平然と行っていたので俺も黙っていたのだが、中々に刺激的な光景だ。
「良太様。私の分も頂けますか」
「私の分もお願いします」
見慣れない文字だが授かっている翻訳機能のお陰で、ブリュンヒルドとジークルーネが形代に書いているそれぞれの名前が読めた。
「はい、どうぞ」
「「有難うございます」」
ブリュンヒルドとジークルーネは、捧げ持つようにしながら俺から巾着を受け取った。
(……やっぱり、こうなるよな)
二人も俺が渡した巾着を受け取ると形代を入れてから、おりょうさんと同じように全く躊躇せずに大きく合わせを開くと、抜けるような白さの胸元に落とし込んだ。
「ちょいと」
「っ!?」
小声で囁きながらおりょうさんが、俺の頭を両手で挟んで自分の方に向けた。
「そ、そんなに見たいんなら、あたしが後で幾らでも……」
「あ、はい」
自分ではチラ見のつもりだったのだが、おりょうさんからすると俺は完全にガン見していたらしい。
「ま……遠慮なさらないでも宜しいのに」
「御覧になりますか?」
「いえ。結構です」
ブリュンヒルドは露骨な流し目を送ってくるし、ジークルーネは相変わらずの無表情なのに胸元を大きく開こうとするのだが、おりょうさんの方に顔を向けたままの姿勢で二人に遠慮する事を伝えた。
「良太様。これは御礼にもなりませんが、戦う時にお役に立つかと思いますので、良ければお持ち下さい」
「これは……」
なんでも無い事のように言うブリュンヒルドがドラウプニールから取り出したのは、磨き抜かれているのに全く光沢が無い、周囲の光を全て吸収しているかのように見える一振りの剣だった。
剣身にはルーンが刻まれていて、それが更に禍々しさを増している。
「ブリュンヒルドさんが使うのでは?」
「私は小型ではありますが盾を持って戦いますので。それにこの剣は私には、少し大き過ぎますので」
(少し、かなぁ……確かにブリュンヒルドさんだと、持て余しそうだけど)
幅はそれ程広くないのだが、ブリュンヒルドが持っている剣はかなりの長さで、恐らくは百五十センチくらいはあるだろう。
軽々と剣を持っているように見えるブリュンヒルドではあるが、確かに扱うのは難しそうだ。




