身代わり人形
「良太様。ジークルーネは自室に居ると思いますので、私が連れて参ります」
なんとなく気不味さを感じる無言での入浴を終え、衣類を身に着けて浴場を出ると、ブリュンヒルドが真っ直ぐに俺を見ながら言ってきた。
「わかりました。飲み物でも用意しておきますから、ゆっくり来て下さい」
「ま……なんてお優しい。では、行って参ります!」
「あ……」
紅くなった頬に手を当てて微笑んでいたブリュンヒルドだが一転して表情を引き締めると、ゆっくりで良いと言ったのに、ワルキューレ達の寮に向けて凄い早さで駆け出した。
「……酒盛りが始まっちゃってるんですね」
「おや良太。いい風呂だったかい?」
「ええ、まあ」
酔にほんのりと頬を染めて機嫌の良さそうなおりょうさんは、正恒さんと天、式神の大裳と天后、それにブルムさんと酌み交わしていた。
子供達や他の住人は既に風呂上がりの休憩を終えて、それぞれの部屋に戻るなりしたらしい。
「丁度良かった。天さんと、大裳さん達にもちょっと相談があるんですよ」
「わたくしにでございますか?」
「主様からのお頼みとは。して何でしょうか?」
「もう少ししたらジークルーネさんが来るので、話はそれからにしましょう」
天と大裳が興味深そうに訊いてきたが、二度手間を省く為にジークルーネを待つ。
「おりょうさん。厨房で飲み物を用意して来ますけど、何か要るものとかありますか?」
「今のところは足りてるから、大丈夫かねぇ」
「わかりました」
相変わらず御機嫌なおりょうさんに苦笑しながら、俺は厨房に向かった。
(とりあえず、お茶の支度でもしておくか)
酒とつまみの皿は並んでいるが、茶などが注がれた湯呑とかは見えなかったので、自分達の飲み物以外にも用意しておく。
自分のコーヒーと、ブリュンヒルドの分の蜜柑・オレを夕霧さんが造ってくれたグラスに注いで氷を浮かべ、食堂で飲んでいるメンバープラス、ジークルーネの分の茶器を用意してから厨房を出た。
「良太様。ジークルーネを連れて参りました」
「良太様。お呼びという事ですので参上しました」
「早かったですね」
厨房から食堂に入ったタイミングでブリュンヒルドと、いつも通りに表情に乏しいジークルーネがやって来た。
「話を始める前に飲み物をどうぞ。ジークルーネさんはお茶じゃ無い方が良かったですか?」
「いえ。お茶で結構です」
(まだジークルーネさんの表情の変化は、読み取れないな)
遠慮しているのか本心なのか掴み難い表情で、ジークルーネが軽く頭を下げた。
「では話なんですけど。ブリュンヒルドさんに呪いなんかへの対策をしておいた方が良いと提案されたんですが、俺には魔法円を使うくらいしか知識が無いんです。天さんや大裳さん、それにジークルーネさんなら、その辺に詳しいんじゃないかと思っての相談なんですが」
各自の前に飲み物の器を置いたところで、回りくどい言い方はせずに、ずばり核心を口に出した。
「呪いでございますか……」
「一言で呪いと申されましても、様々な種類がございますなぁ」
「もう少し、具体的に仰って頂けますと」
助言を貰おうと思った三人共、難しい顔をしてしまった。
「単に恨みを持って呪う程度であれば、良太様はビクともしないと思います。例えば術や、武器などに強力な呪いが施されていて、それが即死系とかだった場合の対策です」
俺の代わりにブリュンヒルドが、どういう助言を必要としているのかを説明してくれた。
「ああ、そういう事でございますか。確かに強力な呪いの掛かった妖刀などの場合は、貴方様にも通用してしまう事も有り得るかもしれませんね」
「成る程。後は戦っていた相手が死ぬ間際に、自らの命と引換えにするような呪いなども考えられますか」
「術者自身の実力が高かったり、信仰している神の格によっては、或いは……」
天も大裳もジークルーネも思案顔になりながら、それぞれの考えを口にした。
「色々と可能性があるみたいですね。俺はそこまで考えが及ばなかったな……」
俺自身は気の保有量とドラウプニールで、物理以外の攻撃にも対抗出来るつもりでいたが、即死系の呪いや、そういった術を施されている武器などによる攻撃の場合には、防御を突破されてしまう可能性もあるようだ。
「決死の覚悟をした者とは、有象無象であったとしても馬鹿に出来ません。そこまで貴方様が誰かに恨みを買うとも思えないのですけど……」
「まあ、逆恨みとかも有り得ない訳じゃありませんから」
(でもなあ。那古野の任侠集団とか、伊勢でおせんさんを襲った暴漢なんかには恨まれてる気もするし……)
天に言われて、那古野で掏摸を咎められて捕まった連中や、その掏摸達を手下にして稼いでいた任侠集団などの事が思い浮かんだ。
ああいう連中は悪事に手を染めている事を自覚して行動していたのだから、当然ながら捕まえた俺や黒ちゃん達を恨んでいるだろう。
伊勢でおせんさんの指を切り落とした医師だという下手人も、自分の考えに基づいて行動していたので、人を傷つけたのに悪い事をしたという自覚すら無いだろうから、やはり止めた俺を恨んでいるのだろうと思える。
(そう言えば、確実に俺を恨んでる人間が一人居るなぁ……)
それは頼華ちゃんに思いを寄せていた北条の頭領の時頼で、源家に戦を吹っ掛けて婚姻を無理強いしようとしたくらいなのだから、それを阻止した俺に対して恨みを持たない訳が無いのだ。
時頼はただ負けただけでは無く、戦の後で往生際の悪さを大勢の見物人の前で晒した上に、女性である縹さんに叱責を受けて引き摺られていくという、北条の頭領としての面目が丸潰れになる目にもあっているのだから、恨みの矛先が俺に向くのは当然かもしれない。
尤も、時頼に関しては戦う時に覆面をしていたので、謎の対戦相手の正体が俺だとはバレていないと思うのだが……。
「そういう呪いとか即死系の攻撃とかに対して、有効な手段というのはあるんでしょうか?」
一箇所に留まるのならば、魔法円を描いてその中に居れば良いのだとは思うが、動き回る戦闘時などには有効な方法とは言えないだろう。
「そうですわね……身代わりの形代でしょうか」
「身代わりの符ですな」
「身代わり人形でしょうか」
「殆ど同じ物という認識でいいんですよね?」
「「「はい」」」
アドバイザーをお願いした三人の答えは、微妙な差はあっても概ね同じだった。
「形代と言うと、俺が大裳さん達のを金で造ったあれですよね?」
「ええ。大変立派な形代をお造り頂いて我ら一同、大変光栄に思っております」
「「……」」
大裳の言葉を聞いて、天后と太陰が大きく頷いて同意を示した。
「金属なども使いますが、形代の最も簡易な物は紙を人の形に切った物で、木や草を編んだ物とかもございます」
天が具体例の説明をし始めた。
「確か雛人形も、形代なんでしたよね?」
「ええ。元々は子供の成長を願って人形に穢れなどを代わりに受けさせ、それを川に流すという風習が変化した物です」
人が迷信深かった時代から続く風習というのは、呪術的な意味を持っている事が多いのだが、現代でその辺を知っている人間は少ない。
「何かの術を使う場合に形代を手元に置いて、返された場合に自らの身を護ったりするのにも使います」
「成る程」
呪詛返しという、使った術を返されるカウンター攻撃があるのだが、その場合の自分の身代わりとしても形代は役立つらしい。
「紙でも作れるって事ですけど、そんなに簡単な物でも効果があるんですか?」
「ははは。主様。仙術で使う呪符は紙で作られた物が殆どですよ」
「そう言えばそうでしたっけ」
大裳の言う通り、奉納されている木などで作られた物を除くと、仙術で使われる呪符は紙に文字や図形を描いた物だ。
「結局は術をどれくらい理解しているのかと、その物に込める気の問題です」
「材質は関係無いと?」
ジークルーネが淡々とした口調で話す。
「はい。術を返されたり即死系の攻撃を受けた場合には、身代わりは破壊されてしまいますので、壊れる前提で材質を選ぶという考え方もあります」
「どうせ壊れるのだから高くも頑丈でも無い、そこら辺にある物を使うという事ですね」
「そういう事です」
俺の質問に、ジークルーネがこっくりと頷いた。
「金属で造るってんなら、俺の出番もあるかと思ったんだがな」
「有難うございます。お気持ちだけ受け取っておきますよ」
「ああ」
先に形代を金で造った話をしていたので、もしも金属で造る場合には職人である正恒さんが力を貸してくれるつもりだったようだ。
「気をつけなければいけませんのは、身代わりになる形代は、一人について一つしか効果が無いのです」
「ん? 複数を作っておいても意味が無いという事ですか?」
「ええ。どういう訳か予備を用意しておいたりしても効果が無く、一度身代わりになった後で作り直さないと駄目なのです」
「ふむ……」
一度だけでも呪いや即死系の攻撃を無効化してくれるというのは確かに凄いのだが、天の説明によると複数を用意して効果を多重化させる事は出来ないらしい。
(それでも作っておくべきだよな。俺だけじゃ無く、おりょうさんや里の皆の分も)
誰でも無意識に恨みを買ったり、事件等に巻き込まれる可能性はあるので、そういう場合に備えておいた方が良いだろう。
そして防御面で言えば俺よりも、おりょうさん達の方が不安があるので、一度限りだけ有効な物とは言っても確実に即死を回避してくれるのだから、絶対に用意しておくべきだ。
「天さん。具体的にはその形代は、どういう作り方をすれば良いのですか?」
明日の朝食を済ませたら京に移動するので、聞いておくなら今の内だ。
「先程申し上げましたように、人の形に切った紙に名前を書き込んで、そこに気を込めれば良いのです」
(本当に簡単なんだな)
呪符のように複雑な図形とか呪文みたいな物を書き込んだりするのかと思ったが、凄くシンプルだ。
「込める気の量は、どれくらいですか?」
「形代を呪いや攻撃から本人だと誤認させれば良いだけですので、量は左程必要とはしませんわ」
「そうなんですね」
(込める気の量次第では、子供達には作れないかとも思ったけど、それなら大丈夫そうだな)
本人と誤認をさせるという事は、俺が子供達の代わりに気を込める訳には行かないので、少量でも大丈夫と聞いて安心した。
「形代を作った後は、どうすれば?」
「呪詛返しへの対策の時には術の行使の邪魔になるので、その他の対策も施した上で身体から離れた場所に置いたりもしますが、基本的には肌身離さずというのが望ましいですわね」
「素肌に触れていなければなりませんか?」
命に関わるのでそれくらいは許容しろと言われてしまいそうだが、紙で作った形代常に肌に触れていると、色々と問題が出そうだ。
「懐や着物の袂に入れておく程度でしたら効果は発揮しますわ。ただ、この腕輪に入れておいても、恐らくは効果を発揮しないかと」
「そうでしょうね」
天が指し示すドラウプニールは異空間に物品を収納するので、形代と本人のリンクが切り離されてしまうのだろう。
「それにしても、なんで急にこんな事を言い出したんだい?」
「それはですね……」
発端はブリュンヒルドと入浴の時に交わした世間話程度だったのだが、会話を進めていく内に危機感が募り始めたので、どうせなら詳しい人間に聞いておこうと思ったと、おりょうさんに説明した。
「良太……」
「大丈夫ですよ。そういう時の備えをする為に、皆さんに話を聞いてるんですから」
説明にはフレイヤ様から聞いた、死ぬ事によって俺の魂に影響が出る事や、おりょうさんや頼華ちゃんにも少なからず悪影響が出る事もちゃんと含めた。
見る見る内に表情を曇らせたおりょうさんは、不安そうに俺の作務衣の裾を手でギュッと掴んできたので、俺はその上から自分の手で包み込んだ。
「もしもの話だが、良さんが死んじまったら悪い影響が出るのは、姐さんや姫さんだけじゃ無いと俺は思うがなぁ」
「え? そんなに大袈裟な事にはならないでしょう?」
自分の死を残念だと思ってくれるのは嬉しく思う気持ちはあるが、出来れば長い間嘆かずに、直ぐにいつもの日常に戻って欲しいと考えている。
「いやいや。黒と白の姐さんに、紬と玄を筆頭に慕ってるガキ共を慰める方法を、俺は思いつかねえよ」
「あー……」
(そうか。黒ちゃんと白ちゃんは魂が直結しているみたいな感じだから、俺が悪影響を受けたら当然だけど、二人も受ける事になるんだな)
俺がこっちの世界で天寿を全うするか元の世界に戻る時には、どういう形になるかはわからないが、黒ちゃんと白ちゃんの魂も引っ張られるという話なので、当然ながら同じように悪影響を受けてしまうのだろう。
「でも紬と玄や、子供達はそんなには……」
行きがかり上、配下という事になっているので、紬も玄も悲しんでくれるとは思うが、魂に影響が出るまでとは考え難いし、それは他の子供達にも言える。
「あいつらも見た目相応に腕白な面を見せたりする事もあるが、良さんの名前を出すと途端に聞き分けが良くなるんだぜ?」
「そんなに厳しくはして無いんですけどね……」
怖がって欲しく無いので、子供達に対してあまり大声を出したり出来ないのだが、場合によっては頼華ちゃんや黒ちゃんのように、少し厳しくした方が良いのかと思う事もある。
だから俺の名前を出すと聞き分けが良くなると言われても、ちょっと心中は複雑だ。
「おいおい、勘違いすんなよ。奴らは良さんを怖がってるんじゃ無くてよ、迷惑を掛けたら悲しませると思って、聞き分けが良くなるんだよ」
「そうなんですか?」
「「「……」」」
主に子供達の面倒を見てくれている、おりょうさん、天、天后、太陰が、俺を見ながら頷いている。
「黒様達や子供達だけではございませんわ。貴方様にもしもの事がございましたら、わたくしはその相手を決して許しませんし、仇討ちを遂げましたら、その後は喪に服します」
「そこまでしなくても……」
(もっと軽い感じで俺を好いてくれてるのかと思ってたけど、想像以上に重いな……)
悠久の時を生きる中で、偶々出会ったちょっとおもしろい相手、くらいなだろうと思っていたが、流石にこういう場で冗談を言わないだろうから、天は結構本気だと自覚させられた。
「天様と同じく、我らは主様に害を成した者を、自らの存在が消えようとも追い詰めて滅してくれますぞ」
「「……」」
「そこは御自分達の方を大事にですね……」
大裳も、そして黙っている天后と太陰も険しい表情で、仮想の敵に対して闘志を燃やしている。
(大裳さん達も、黒ちゃんと達とは別の意味で俺と魂が繋がってるから、別の対策も考えておかなきゃな……)
俺が元の世界に戻る気になった時には、三人の式神との契約を見直さなければと思っていたが、突発的な出来事の際の行動を決めていないので、その辺も改めて考える必要がありそうだ。
「申し上げるまでもございませんが、もしも……もしもの事が良太様に起きましたら」
俯いたブリュンヒルドは、もしもの部分を繰り返してから決意の漲った顔を上げた。
「我らワルキューレ一同は持てる力の全てを使い、最後の一人になっても憎き敵を葬り去ってくれましょう!」
「お気持ちは嬉しいですけど……」
(そこまで復讐に執念を燃やされると、ワルキューレと言うよりは『ヴァーリ』になっちゃうな……)
ヴァーリは北欧神話に登場にする神で、ロキに騙されて兄であるバルドルを宿木で殺してしまった『盲目のホドル』に復讐する為に、オーディンと巨人であるリンドとの間に生まれた。
生まれてから一夜にして成長をしたヴァーリは、ホドルを倒してバルドルの仇を討ったと言われている。
「良太様の為ならばきっと、フレイヤ様もフレースヴェルグやヴェドフォルニルくらいなら使わせて下さるでしょう」
「仮定の話だとしても、それはやり過ぎですよ!?」
ジークルーネの言うフレースヴェルグとは、北欧神話に登場する世界中の風の発端になると言われている、鷲の姿をした巨人の事だ。
ヴェドフォルニルは全ての風を打ち消す者と言われている鷹であり、フレースヴェルグと同じように自然に多大な影響を与える存在だ。
まさかフレイヤ様が許可を出すとは思えないが、そんな連中が出てきて暴れだしたら終末みたいな状況になってしまいそうだ。
バルドルでも無い俺の死が切っ掛けで終末なんて、冗談にしたって出来が悪すぎる。




