再利用
「さて、俺も風呂にと思ったけど、困ったな……」
「良太様。どうかされましたか?」
小さな声で呟いたつもりだったが、既に俺とブリュンヒルドしか居ない食堂での事なので聞こえてしまったようだ。
「オルトリンデさんが持って帰ってきた牛の乳なんですが。放置をするのも俺が持って移動をするのもちょっと……」
家宗様のところから持ち帰られた牛乳は、無論だが殺菌処理などされていないだろうから、このまま放置する事は出来ないし、かと言って明日は京に移動するので、俺が持ちっぱなしという訳にも行かない。
「まあ! まったくオルトリンデは、こんな事でまで良太様のお手を煩わせて……」
「あ、いや。この場合はオルトリンデさんが悪い訳じゃ」
牛乳の処理に悩まされているのは確かなのだが、別に持ち帰ったオルトリンデが悪い訳では無い。
「とりあえず、火にだけ掛けるかな」
生乳をそのまま飲むのは衛生面で問題があるので、元居た世界で市販されている牛乳の大半は、高温で短時間熱処理をされている。
こっちの世界で俺が入手した牛乳に関しては、湯煎をして少し低めの温度で長い時間を掛ける処理を施していたので、持ち味を生かしたままで飲んだり料理などに用いられるようにしている。
「んー。術を使えば大丈夫だろうけど、放置するのは危ないか」
炎の術を用いて鍋を加熱するだけなら、一定の温度を保ったままで牛乳の処理が出来ると思うし、直火では無いので入浴の間くらいは放置をしても大丈夫だとは思うのだが、逆に火が見えないので不用意に誰かが触ってしまうかもしれない。
牛乳を殺菌する温度はそれ程高くは無いから、鍋に触っても火傷はしないと思うが、万が一にも中身を浴びたりすれば相当に熱い思いをする事になるので、やはり放置をするのは危険だろう。
「熱処理してる間に、明日の朝食の仕込みでもすればいいか。さて、何を仕込むかな……」
鍋の傍を離れられないのならば、その時間を有効に使えば良いと頭を切り替えて、俺は明日の朝食のメニューを考え始めた。
「良太様。その仕込みというのは、私にもお手伝い出来ますか?」
「ん? 朝食ですからそんなに凝った献立にはしないので、別に難しい事は無いと思いますけど。ブリュンヒルドさんなら出来ると言うか、手伝ってくれるなら助かりますが」
何度かブリュンヒルドの料理の腕前は見て確かだとわかっているし、知らない技法でもそのまま覚えるので、非常に教え甲斐もある。
「でしたら、是非とも私にもお手伝いをさせて下さい!」
「え。でも、ブリュンヒルドさんも入浴をするでしょう?」
今の時点で人の気配は浴場に集中しているので、恐らくだが俺とブリュンヒルドが今夜最も遅く入浴する事になるだろう。
「良太様のお手伝いと入浴など、比べるまでもございません!」
「そ、そうですか……」
頬を紅潮させて俺に詰め寄るブリュンヒルドの瞳は、炎が燃えているよう錯覚させる程に強く輝いている。
「じゃあ先ずは竈に鍋を置いて、そこに牛乳を入れて低温で茹でます」
「はい。お任せ下さい」
朝食のメニューは作業をしながら考える事にして、俺は大鍋に樽に入っている牛乳を注いだ。
(どうせなら牛乳を使ったメニューがいいかな? となると、ポタージュとかシチューとかがいいか?)
蜜柑・オレで大分消費したのに補填されてしまったので、出来る事なら朝食は牛乳を使うメニューが望ましい。
となるとポタージュやシチュー、そしてホワイトソースなどが良いかと思うが……。
「ブリュンヒルドさん。小麦粉って残ってますか?」
「っ! そ、その……実はライ麦の粉と一緒に、殆どをパンを作るのに使ってしまいました」
「あー……」
ちょっと気になったのでブリュンヒルに訊いてみたのだが、良くも悪くも予想通りの答えが返ってきた。
(そうなると、料理の選択肢が限られてくるな……)
小麦粉を軽く振り込む程度の量しか使わないポタージュならば大丈夫だが、少し多めに使うシチューやホワイトソースの類だと、住民全員の食事の量を考えると厳しいかもしれない。
挽いていない小麦はライ麦と共に相当な量があるのだが、流石にこれから製粉を行う訳にも行かない。
「た、大変申し訳無く……」
「いや、本当に気にしないで下さい。ブリュンヒルドさん達がそれだけ一生懸命にパンを焼いたって事なんですから」
製粉から始まるパンを焼く工程は非常に重労働だし、手間も時間も掛かるのはわかっているので、パンが好きだからという理由を別にしても、率先して作業を行ってくれているブリュンヒルドを始めとするワルキューレ達に感謝をしても、責めるような気は一切無い。
「……あ」
「な、何か!?」
「そんなにびくびくしないでも……牛乳をいっぱい使って、それでいて小麦粉を使わずに、しかもブリュンヒルドさん達の作ったパンを使う献立を思いつきました」
「まあ!」
おどおどしていた態度を一変させて、ブリュンヒルドの表情が期待に満ちている。
「そ、それはどのような?」
「どのようなって言われる程の料理じゃ無いんですけどね。でも、味の方は期待して下さい」
「はい!」
「それじゃこの鉢に卵を割り入れて、掻き混ぜて解して下さい」
「畏まりました!」
ブリュンヒルドが頼んだ作業をしている間に、俺の方は牛乳が入っていた樽を再利用する為に洗い始めた。
「良太様。これくらいで宜しいでしょうか?」
「ええ。十分です」
ケーキとかを作る訳では無いので、黄身と白身がしっかり解れていればオッケーなのだが、ブリュンヒルドは気合が入っているのか、かなり滑らかな感じに混ざっている。
「俺は味の調整をしますから、ブリュンヒルドさんはパンを切って貰えますか」
「どれくらいの大きさと厚さにすれば宜しいでしょうか」
「そうですね……型に入れて焼いたパンは八等分くらいで、他も大体で構わないので、同じくらいの大きさと厚さになるようにお願いします」
型に入れずに丸めて焼いたパンは大きさに少しバラツキがあるので、ある程度の違いには目を瞑るしか無い。
「パンは小麦にライ麦、それに大麦の物もありますが、どれに致しましょうか?」
「んー……出来上がりは多少違いますけど極端な味の差は無いので、三種類とも使ってみましょうか」
今回の調理法だと、そのまま食べたりするよりは粉による味の差は出ないので、敢えて三種類のパンを使ってみる事にした。
「畏まりました。出来る限り、大きさを揃えますので!」
「程々でいいですからね?」
少し融通を利かせて欲しいと思うが、リカバリーは出来るのでブリュンヒルドに任せよう。
「仕上げに使うから蜂蜜じゃなくて、ここは砂糖にしよう」
ここ最近は甘みを付けるのに蜂蜜を使う事が多かったが、今回は仕上げに使うので敢えて砂糖をセレクトする。
「良太様、出来ました!」
「早いですね……あの、ブリュンヒルドさん。それは?」
「こ、これはですね。大きさを揃えようとしましたので……」
「あー……」
型に入れて焼いたパンとの統一感を考えたブリュンヒルドは、丸く焼かれたパンの上下左右をトリミングして、半ば無理矢理大きさを整えたのだった。
(一掴み分くらいはあるか?)
ブリュンヒルドが行ったトリミングによって丸いパンの大小の端切れが、決して少なくない量になってしまったという訳だ。
「えーっと、人数分は切れてるんですよね?」
「そ、それは勿論です!」
「なら、これは再利用しましょうね」
(とは言ったものの、小麦のパンの端切れはパン粉に使うとして……)
ライ麦と大麦のパンは水分を含有する性質が低くて少し色があるので、フライを作る時にパン粉として使うと、仕上がりの色が濃くなり過ぎる可能性が高いので、使わない方が良さそうなのだ。
「……あ。そのまま使えばいいのか」
「な、何か思いつかれましたか?」
「ええ。ブリュンヒルドさん。卵をもう一つ割り解して下さい」
「か、畏まりました!}
一度ビシッと直立して返事をしたブリュンヒルドは、速やかに作業に取り掛かった。
(さて、俺はその間に……)
以前に作った金属製のバットや少し深めの皿などを作業台の上に用意して、そこに牛乳その他を混ぜ合わせた調味液を流し込んでから、ブリュンヒルドが切ってくれたパンを並べた。
「りょ、良太様。牛の乳にブロートを漬けこまれてしまうのですか?」
重なったりしないようにしながらパンを並べる俺を見て、ブリュンヒルドが眉根を寄せている。
「ええ。こういう料理なんですよ」
「そうですか……」
(ブリュンヒルドさんは、パンの食べ方に独自のスタイルでもあるのかな?)
スライスしたり、硬い部分を切り落としたりするのは構わないみたいだが、ブリュンヒルド的にはそのまま食べるのが決まった流儀のようだ。
「そのまま食べるパンもおいしいんですけど、こうすると固くなったパンも柔らかくして食べられるんですよ」
「言われてみれば、固くなったパンを汁に浸して食べたりはしますね……」
以前に北欧の薄焼きのパンは、時間が経つと石のように固くなると聞いているので、そこまで行くと正に歯が立たなくなって、スープなどに浸して柔らかくするしか無いのだろう。
ここまで話してブリュンヒルドは、俺が目の前でしている調理と自分が食べる時にスープに浸すのとが、ほぼ同じ事だと気がついたのだった。
「良太様のお言葉が間違っている訳がございませんのに、自分の考えを押し通そうとするなどと、お恥ずかしい……」
「まあ御飯の食べ方も人によって結構流儀があるので。それにそういう拘りは、生活に潤いを与えてくれると俺は思いますよ」
世の中には御飯は白いまま食べたいので、カレーや丼モノは一切否定という人も居たりする。
変わり種は俺の友人で、食パンの四辺の耳を先ず食べて、最後に残った白い部分を折り畳んで一口で食べたりする。
「良太様、なんてお優しい……今後は良太様が仰るのでしたら、形の変わったブロートでも毒でも食べてみせますわ!」
「毒なんて食べさせませんよ……」
ブリュンヒルドの意気込みは伝わってくるし、ワルキューレの身体に毒は効かないと思うのだが、そんな物を料理として出す気なんかこれっぽっちも無い。
「これは冷やしておいて、明日は焼くだけで朝食の完成です」
ラップなどは無いのでパンを漬け込んだ容器の上から蜘蛛の糸の布を被せて、冷蔵庫に仕舞った。
「材料は豪華ですが、仕込んでおけば簡単ですね」
「そうですね」
(確かに、こっちの世界では豪華な朝食なんだよなぁ)
砂糖もそうだが、こっちの世界では卵も安くは無いので、元居た世界の朝食の定番である目玉焼きを人数分作って出すとかは難しかったりする。
今回使った卵は天が持ち込んでくれた鶏の生んだ物なので仕入れ料金は無料なのだが、数の方は揃えられないので牛乳と混ぜて使う形になったのだ。
「まだ時間は掛かるな……」
朝食の仕込みを終えても、牛乳の殺菌をするにはまだ二十分くらい掛かるので、その間にパンの端切れの再利用を行う事にした。
「あの、良太様。まだ作業があるのでしたら、お手伝い致しますが?」
「これは手伝ってくれたブリュンヒルドさんへの御褒美……って言うと、ちょっと子供っぽいですけど、そういう物ですから。座って休んでいて下さい」
「……」
俺がそう言うと、ブリュンヒルドは薄く唇を開けたままのポカンとした表情になり、返事もしないで椅子に腰を下ろした。
「……良太様の、御褒美。うふ……うふふふふ」
「……」
(き、聞こえないふりをした方が良さそうだな)
作業をしている背後で、ブリュンヒルドの押し殺したような笑い声が聞こえてくるのだが、下手に何かを言うとやばそうな気配がぷんぷんするので、料理に集中する。
「はい、どうぞ」
「これは……お菓子なのですか?」
「まあ、そんなところです」
俺がブリュンヒルドに出したのは、明日の朝食用に仕込んだフレンチトーストの余りの材料から作った、プリンのような物だ。
「冷やしてもおいしいんですけど、良ければ出来たてをどうぞ」
「頂きます。ん……ふわふわの甘い卵の中に、とろとろのパンという不思議な食感ですね。凄く優しい味わいで、おいしいです!」
「それは良かった」
元居た世界で両親が不在の時に、固くなったバゲットを処理する為にフレンチトーストを作ったのだが、牛乳と卵を混ぜ合わせた調味液の分量を間違えて、かなり余ってしまった事があった。
その卵と牛乳と砂糖と、漬け込む際に落ちたパンの欠片が入って混ざった調味液を、勿体無いので焼いたら、甘いプリンともオムレツともつかない物が出来上がったのだった。
今回ブリュンヒルドに出したのは、端切れのパンを調味液に漬けた物で作ったので、かなりフレンチトースト寄りなのだが、使われているパンが小さかったり粉だったりするので、食感としてはパンプディングの方に近い感じになっている。
「明日の朝食にも、これと同じ物をお出し頂けるのですか?」
「似てはいますけど、少し口当たりは違うかもしれませんね」
使われている材料は同じなのだが、調味液に漬け込んで焼かれたスライスされたパンと、端切れを纏めるようにして焼いた物とでは、表面の焼け具合とかも変わってくるので、実際に食べるとかなり印象は違うかもしれない。
「……うん。端切れを再利用した割には、良く出来たかな」
俺も味見をしたが普通のプリンよりは柔らかく、パンが入っている分だけ食べ応えがある。
しかし端切れが勿体無いからと作ったのだが、食後なので食べ応えは要らなかったのでは無いかと今更ながらに思ってしまった。
「ああ! 兄上とぶりゅんひるどが、何か食べています!」
「頼華ちゃん?」
パンプディングっぽい物を食べていると、髪の毛がしっとりしている頼華ちゃんが厨房に入ってきた。
「御主人ずるい! あたいには!?」
「黒ちゃんも来たの?」
頼華ちゃんの声を聞きつけたのか、黒ちゃんも顔を出した」
「何時まで経っても風呂に来る気配が無いと思ったら、まだここに居たんだねぇ」
「そんなに時間が経ってましたか」
牛乳の低温殺菌を始めてからそれ程経っていないつもりだったが、おりょうさん達が入浴を済ませるくらいの時間は経過していたらしい。
「良太が風呂上りの飲み物を用意してくれたからみんなで来たんだけど、何をしてたんだい?」
「オルトリンデさんが持ち帰ってくれた牛の乳の、熱処理をしてました」
「ああ。いつもやってるあれだねぇ」
既に何度か行っている作業なので、おりょうさんはこの説明で理解してくれた。
「それとついでに、明日の朝の食事の仕込みをブリュンヒルドさんに手伝って貰ったので、そこで出た食材の切れ端で作った物を、お礼に出したんですよ」
「ん? そいじゃ明日の朝は支度しないでもいいのかい?」
「ええ。焼けば出来上がりです」
とは言え、里の住人の数だけ焼くと考えれば、それだけでも結構な手間なのだが。
「っと。飲み物を用意しましょうね」
「そうだねぇ。追って子供達も来るだろうし」
なんておりょうさんと話をしていると、食堂の方が少し騒がしくなってきた。
どうやら入浴を終えた子供達を含む、里の住人達が食堂に集まってきたようだ。
「兄上。その食べ物は頂けないのですか?」
「余り物で作ったから、そんなに量が無いんだよね」
「えー……」
「そう言われてもね……」
予定外に出た余り物で作っただけなので、頼華ちゃんに振る舞う程の量は無いのだ。
「ら、頼華様。良ければ私の分を」
悲しそうな顔をする頼華ちゃんを見ていて、自分が食べているのが申し訳無くなってしまったのか、ブリュンヒルドが器を差し出してきた。
「ブリュンヒルドさん。それはいけません」
「え……何故なのですか?」
俺が止めると、ブリュンヒルドが不思議そうな顔をした。
「ブリュンヒルドさんは手伝いをして、その結果として食べているんですから」
「でも、その私がお譲りしても良いと思っているのですけど……」
「その分を頼華ちゃんだけが貰うと、結局は不公平になってしまうんですよ」
「あ」
ここまで言って、ブリュンヒルドは状況が飲み込めたようだ。
「まあ明日の朝になったら食えるんだから、それまで我慢するんだねぇ」
「うう……わかりました」
(食べさせてあげたいけど……仕方が無いな)
ブリュンヒルドがしようとしたように、俺も自分の分を頼華ちゃんにあげたかったのだが、それをすると結局は住民全員の分を作らないと収まりがつかなくなってしまう。
頼華ちゃんが我慢をしたのでここは俺も我慢をして、手早くパンプディングを片付けた。
「良太。飲み物を配るのと洗い物はあたしがやっとくから、さっさと風呂に入ってきちまいな」
「それくらい、俺がやりますけど?」
「今日は一日出掛けてて、色々と器を造ってから料理までしただろ? そんくらいじゃ良太は疲れないかもしれないけど、いい加減にのんびりしな」
「はい……」
何かをやり始めるとのめり込む癖があるのは自覚しているので、ここはおりょうさんの言葉に甘えて風呂に向かうとする。
「ほら。ぶりゅんひるどさんも、行った行った」
「え? あの、私もですか?」
「余計に働いてくれたからねぇ。良太、ついでに背中を流してやっちゃどうだい?」
「「えっ!?」」
おりょうさんの思わぬ言葉に、ブリュンヒルドだけでは無く俺も驚いて声を出してしまった。




