鰻のコース
「椿屋さん。これ、大した物では無いのですが、宜しければお使い下さい」
応接間に通されて腰を落ち着けたところで、俺はガラス製の小さな酒盃を二つと徳利を取り出して座卓の上に置いた。
以前に訪問した時のは蜘蛛の糸の衣類を持参したのだが、今回は何も用意していないので、山の中で調達した材料で造った物ではあるが、手ぶらよりはましだろうと思ってガラスの酒器のセットを出した。
「これは……繊細ながらも重厚感もあり、なんという透明さ。鈴白様。いきなり値段の話をするのは野暮でございますが、これはさぞやお高いのでは?」
「そんな事はありませんよ。俺が造った物ですから」
「……は?」
そんなに信じ難いのか、椿屋さんが声を発するまでに少し間があった。
「こ、これを鈴白様が? 料理に衣類と続いて硝子器までとは……いやはや、本当になんでもお出来になりますなぁ」
「そんな事は無いんですけどね」
ガラスがそれ程普及していないからだとは思うが、椿屋さんの言い方は少し大袈裟だ。
「御謙遜を。これ程の品でしたら一組で、そうですな……軽く金貨一枚くらいにはなりましょう」
「幾ら何でもそれは……」
「「……」」
それは無いだろうと思い、夕霧さんと天の方を見たのだが、二人は気不味そうにさっと視線を逸した。
(こっちでは、それくらいしちゃうのか……)
ガラスの製法の歴史自体は結構古いのだが、実は融かすのに鉄よりも高い温度を要求されるので、かなり高い技術を要求される。
国家でガラスの工房を管理して、製法を門外不出にしたりしていたヴェネツィアのような例もあるので、近代以降になって大量生産が可能になるまでは、俺が想像するよりも遥かに高価だったのだろう。
「ま、まあ。遠慮なさらずにお受取り下さい」
「そうでございますか。それでは固辞するのも失礼ですので、遠慮無く」
椿屋さんは酒盃と徳利を手元に取ると、座布団から畳に降りて深々と頭を下げた。
「あのぉ。良ければぁ、これもお使いになりますかぁ?」
「夕霧さん?」
夕霧さんの方を見ると、ガラス製のコップを取り出して置いていた。
「良太さん。良いですよねぇ?」
「構いませんよ」
元々、ガラス器は里には無かったので、ここで幾つか数が減ったところで問題にはならない。
ガラスの材料のある場所はわかっているし幾らでもタダで手に入るので、また採集して新たに造れば良いだけだ。
「あら。ではこちらも、宜しければお一つ」
夕霧さんと同じで食事を頂く礼のつもりなのだろう、天も脚付きのガラスのワイングラスを取り出して置いた。
「むぅ……鈴白様がお出しになったこちらの一揃えの酒器も素晴らしいですが、夕霧様と天様のお出しになった杯もまた素晴らしい。失礼ですが、こちらも鈴白様が?」
「そちらはそれぞれ、夕霧さんと天さんが造った物ですよ」
「なんと!? 御二人ともりょう様達と同様に、お美しいだけでは無く他の才能もお有りなのでございますな」
「そ、そんなぁ……」
「ま……」
椿屋さんにおりょうさんと並び称されて、夕霧さんと天は照れながらも実に嬉しそうだ。
『失礼致します』
「どうぞ、お入り」
部屋の外から掛けられた声に、椿屋さんが応えた。
「お茶をお持ち致しました」
「鈴白様がお見えとお聞きしまして、御挨拶に参りました」
襖を開けると、茶器の載った盆を横に置いたおせんさんと、いつも通りに綺麗に着飾ったお藍さんが頭を下げている。
「おせんさん、お藍さん、お久しぶりです」
「「おひさ……」」
顔を上げて挨拶を返してくれる途中で、おせんさんとお藍さんは大きく目を見開いて言葉を失った。
多分だが、天の姿が目に入ったのが原因だろう。
「お藍。おせん」
「「し、失礼致しました」」
椿屋さんに声を掛けられて我に返ったお藍さんとおせんさんは、羞恥に頬を染めながら謝罪をすると、少しぎこちないが上品な物腰で部屋の中に入ってきた。
「ど、どうぞ」
「有難うございます」
お藍さんは椿屋さんと並んで座り、おせんさんが俺達の脇に回って茶と茶請けを給仕してくれている。
茶請けは俺も開発に加わった、カステラの生地で餡を挟んだ『陽鏡』だ。
(ちょっと硬いな)
硬いと言っても菓子の出来では無く、天に見惚れていた事を椿屋さんに指摘された事による動揺が抜けていないのか、普段は優雅さを感じるおせんさんの給仕が非常にぎこちないのだ。
「有難うございますぅ」
「……」
俺の次に夕霧さんの前に茶と茶請けを置いたおせんさんが、礼の言葉を受けてまた動きを停めてしまった。
(……ん? 天さんの時とは反応が違うのか)
少しの間、笑顔に見入っていたおせんさんだが、夕霧さんの持つ柔らかな雰囲気を受けてリラックス出来たのか、妙な緊張感が抜けていつもの動きを取り戻した。
「ささ。どうぞお召し上がり下さい」
「「「頂きます」」」
給仕を終えたおせんさんが座ったところで、椿屋さんに促されて俺達は茶碗に手を伸ばした。
「おいしいです。これは貞吉さんが?」
「そうです。他の者達も大分腕を上げましたが」
茶を飲んでから口に運んだ『陽鏡』は、単品では俺には甘過ぎるように感じるが、茶請けとしてが非常に良い味加減に思える。
「良太さぁん」
「夕霧さん、何か?」
何やら夕霧さんが表情を曇らせ、もじもじしながら俺の方を見てくる。
「あのぉ、他所様でお茶を頂いているのにぃ、不躾だとは思うんですけどぉ」
「夕霧様。何かあるのでしたら、手前共の事はお気になさらずに仰って下さい」
「そ、そうですかぁ? だったらぁ……」
椿屋さんの許可が出たので、夕霧さんは意を決するような表情になった。
「このお茶請けにぃ、さっき頂いてた紅茶をですねぇ、合わせたいなぁ、って」
「……は?」
どうやら夕霧さんはもてなしてくれている椿屋さんの手前、紅茶と『陽鏡』を合わせてみたいと言い出し難かったらしい。
「も、もぉう! だからぁ、言おうかどうか悩んでたのにぃ!」
「あ、はい」
深刻な内容じゃ無くてホッとしたのだが、正直、他愛が無さ過ぎて俺は拍子抜けしてしまったのだった。
しかし夕霧さんにとっては、俺の反応はあまり好ましく無かったらしい。
「夕霧様。鈴白様さえ宜しければ、どうぞ御遠慮無く」
「そうですか?」
「ええ。良ければその紅茶とやらを、手前共にも頂けると有り難いですな」
「そういう事でしたら。少しお待ち下さい」
俺達三人の分だけなら、ドラウプニールに仕舞う前に入れた分の湯で足りるのだが、この場に居る全員分となると少し足りない。
(それに、どうせだったら……)
造ったばかりの白磁のティーセットがあるのだから、椿屋さん達にも使って貰おう。
俺は中座をする断りを入れて、紅茶の準備をする為に厨房に向かった。
「お待たせしました」
温めたカップと湯を注いで蒸らし中のティーポットを盆に載せて、俺は厨房から応接間に戻ってきた。
「おお……なんという白さの器なのですか。もしやそちらも?」
「ええ。俺が造った物です」
相変わらず大袈裟に驚いてくれる椿屋さんに苦笑しながら、俺は座卓の上のソーサーごとカップを並べた。
「まあ。白い茶器に、鮮やかな紅い色のお茶が映えて……鈴白様。これは?」
「大陸の南方で多く飲まれているお茶です」
カップに注がれる鮮紅色の茶を、お藍さんが溜め息を漏らしながら見つめている。
紅茶の主な産地は確かに大陸南方のインドなのだが、ここで出しているのは元の世界の中国の雲南産だ。
しかし、元の世界から持ち込んだ事は椿屋さん達には明かせないので、この場では大陸南方という事で済ませておく。
「どうぞ。そのままでもおいしいですが、お好みでこちらの砂糖と、クリームという牛の乳の加工品を入れてお飲み下さい」
カップとソーサーのついでに造ったシュガーポットと、クリームを入れたミルクピッチャーを取り出して座卓に置いた。
これで洒落たスプーンでもあれば良かったのだが、生憎とカレー用に造った少し大き目の物しか無いので、こっちの世界の日本でも一般的な木の匙を出して添えた。
「では、先ずはそのまま頂きましょうか」
「私は砂糖を入れて頂きます」
「鈴白様が仰るのでしたら、私は両方を入れてみます」
椿屋さん、お藍さん、おせんさんは、それぞれの好みで紅茶を口にした。
「これは、なんとも香り高い。煎茶とも玉露とも抹茶とも違う味わいですな」
「お茶請けが合うのだから当たり前なのかもしれませんけど、お茶にお砂糖って良く合うのですね」
「まあ……このくりーむという物のお陰でしょうか? 凄くコクを感じますね。そこに砂糖が加わって、まろやかで優しい味わいに」
三人共飲み方は違うのだが、概ね紅茶の評価は悪く無さそうだ。
「それではぁ、あたしもお砂糖とクリームを入れてぇ……んー。甘くてとろっとした味わいでぇ、これだけでお菓子みたいですねぇ」
「夕霧様の仰る通りですわ。それに、お菓子にも良く合いますわね」
ストレートでもおいしいと言ってくれていた夕霧さんと天だが、砂糖入りのミルクティーもお気に召したようだ。
「お茶も大変結構なのですが、この茶器が素晴らしい。なんという軽さと薄さ……鈴白様。これをお譲り頂く訳には参りませんか?」
「えっ? それは自分達で使う為に造った物でして、ちょっとお譲りするのは……」
「そこをなんとか。曲げてお願い出来ませんでしょうか? この気品溢れる造りは、お得意様にお出しするのに相応しいのです」
「うーん……」
(ここまで椿屋さんが食い下がられちゃうとなぁ……)
元々、紅茶やコーヒーを気に入っているおりょうさんと頼華ちゃんのメインの使用を考えて、現代風のカップとソーサーなどを造っただけなので、他者に譲るなんて考えは無かったのだ。
(まあ今日まで無かった物だし、里に戻って直ぐに使うとも限らないから、いいのかな?)
里でコーヒーを飲む時に湯呑ではあまりにも風情が無いと思ったのが、カップ類を造ろうと思った発端なのだが、磁器のティーセットが無くなったとしても、今は他に造ったマグカップがある。
椿屋さんには散々お世話になっているので、ここはこっちが折れても良いかもしれない。
「……わかりました。ではこちらの茶碗と受皿、それと砂糖とクリームの器もお付けしてお譲りします」
シュガーポットとミルクピッチャーだけ持ち帰っても意味が無いので、セットという事で全てを椿屋さんに譲る事にした。
「おお! 鈴白様。この通りでございます……」
「おやめ下さい、椿屋さん」
椿屋さんが素早く座布団から下りて手を付いたが、俺の作品を譲った事に対して、そこまでして欲しく無い。
「見た目の薄さに比べてそれなりに強いですけど、もしも割れてしまっても修理出来ますから、その場合は京の笹蟹屋に連絡下さい。そちらの硝子の酒器も直せますから」
「わかりました。修理と仰りますが、金継ぎでもなさるのでしょうか?」
「まあ、その様な物だと思っておいて下さい」
陶磁器を漆や金属で修繕する『金継ぎ』とも『金繕』とも呼ばれる伝統的な技法があるが、勿論そんな手の込んだ事をする訳では無く、俺が気を送り込んで元通りにするだけだ。
「鈴白様。我儘ついでに申し上げますが、この酒器類も、もう少しお譲り頂く訳には参らないでしょうか?」
「いいんですけど……それは今直ぐにじゃ無ければ駄目ですか?」
徳利と酒盃は数を造ってあるのだが、それでもこれ以上渡すと里で酒を飲む人に行き渡らなくなってしまう。
マグカップがあるのでティーセットの方は譲歩したが、これ以上はちょっとという気分になってしまっている。
「無論、後日で結構でございますよ。無理を言っているのはこちらの方ですので」
「そういう事でしたら必要な数を言って頂ければ、後日納品致します」
ガラスの酒器を今夜使うのは天も楽しみにしていたので、その楽しみを奪う事にならないでホッとした。
「鈴白様。宜しければ食事と一緒にお酒をお出ししますから、必ずお返し致しますので、酒器を幾つか使わせて頂けませんか?」
「いいですよ」
給仕をするおせんさんは飲まないだろうし、こちらサイドでは俺が飲まないので、夕霧さんと天の分という事で、ガラスの徳利を一つと酒盃を二つ取り出した。
「では、お借り致します。おせん」
「はい」
椿屋さんに促されたおせんさんは徳利と酒盃を盆に載せて一礼すると、応接間を出ていった。
『旦那。お待たせ致しました』
「どうぞ、お入り」
「「失礼致します」」
襖が開くと、食事の載った大きな盆を脇にして頭を下げた貞吉さんと、厨房に酒の用意に行ったおせんさんが控えていた。
「これはまた……随分と色々作って下さったんですね」
「なんてったって親方が相手ですからね。気合も入ろうってもんですよ」
貞吉さんは笑顔で、串焼き、肝焼き、ニラと一緒に巻かれたヒレ焼き、白焼き、うまきの皿を並べた。
俺はてっきり鰻丼か、少し凝ってひつまぶしくらいが出てくると思っていたのだが、貞吉さんは鰻のコースみたいに何品も作ってくれたのだ。
串は各種が一本ずつで、白焼きや鰻は一人分を少なめに盛り付けをしてあり、一度に色んな鰻の料理を楽しめるようにと、貞吉さんが気を遣ってくれている。
「飯物はお出ししたのを食べ終わるくらいにお持ちしますが」
「有難うございます。楽しみにしてます」
「はい。それじゃ」
貞吉さんは一礼すると、厨房に戻って行った。
「どうそ、お召し上がり下さい」
「はい。頂きます」
「「「頂きます」」」
椿屋さんのお許しが出たので、俺達は箸を手に取った。
「まあ。鰻というのはこんなにおいしい物だったのですね」
山葵の添えられた白焼きを一口食べ、天が呟いた。
「天さぁん。まだ大半の店ではぁ、こんなにおいしく無いんですよぉ」
「そうなのでございますか?」
「そうですよぉ。この裂いて焼くやり方はぁ、良太さんが江戸で始めたんですからぁ」
「まあ!」
(俺が考えたって訳じゃ無いんだけどな……)
現代の知識で鰻の調理法を洗練させただけなのだが、夕霧さんの説明だと俺の発明のように聞こえる。
しかし、この場には椿屋さんたちが居て、俺が別の世界から来た事は聞かせられないので、とりあえず黙っておいた。
「天様。この辺でも鰻と言えば、筒切りにした物に味噌やたまり醤油を塗って焼いただけの、料理とは言い難い物でございますよ」
「鰻と言えば、そんな物でございますよねぇ」
やはり天の常識でも鰻は、脂っこい下魚に雑な調理をした物という認識だったようだ。
「鈴白様に教えて頂いた、裂いてじっくり焼いて脂を落とすという調理法で、別物のようにおいしくなったのです。ささ、タレで焼いた物の方もお試し下さい」
「はい」
白焼きを食べ終えた天に椿屋さんが、タレで焼いた物を勧めるところを見ると、どうやら貞吉さんの腕前は相当に上がり、タレの方も熟れてきていると思って間違い無さそうだ。
「うぅーん。やっぱりうまきはおいしいですねぇ。良太さんの味とはぁ、少し違ってますけどぉ」
「それはこの土地の鰻とか、醤油とかの違いでしょうね」
元になっているのは江戸の大前から譲って貰ったタレなのだが、椿屋の厨房で新たに作ったタレや焼いた鰻の脂が溶け込んで独自の味に変化しているのを、鋭敏な味覚の持ち主である夕霧さんは気がついたのだった。
「貞吉の腕前も、中々でございますでしょう?」
「ええ。凄くおいしいですよ」
雇っている貞吉さんの成長が嬉しいらしく、椿屋さんが相好を崩している。
「この後で飯物も出ますが、鰻には酒も良く合います。鈴白様はお飲みにならないという事ですが、お嬢様方は御存分にどうぞ」
「うーん。それじゃぁ、少しだけ頂きますぅ」
「そうでございますか? それでは遠慮無く頂戴します」
夕霧さんの方はお世話になっているので義理でという感じだが、天の方は飲むのに積極的だ。
「どうぞ」
「失礼致します」
夕霧さんと天の酒盃には、それぞれ食事を中断したお藍さんとおせんさんが酒を注いでくれている。
「ではぁ、肝焼きを頂いてからぁ。ん……はぁ。ちょっと辛口のこのお酒がぁ、良く合いますねぇ」
「おわかりになりますか? それは伏見の銘酒でございます」
今日出してくれたのは、おりょうさんも気に入っている伏見の辛口の酒だったようだ。
「ん……甘辛なタレのお味だけでは無く、このお酒は山葵の味にも良く合いますわね」
「天様はいける口でございますな。ささ、遠慮なさらずに、もっとお飲み下さい」
「そうでございますか? ではもう少しだけ」
椿屋さんが座卓越しに徳利を差し出すと、口では遠慮がちにしながらも、天の方も酒盃を差し出した。
「それにしても、この硝子の酒器は良い物ですなぁ」
「そう言って頂けると」
注がれて中の酒が減った徳利を眺めながら、椿屋さんが呟いた。
「そうだ。良ければこんな物があるんですが」
俺はドラウプニールから、店で酒を買う時などに使う大徳利を取り出した。
「これは……酒でございますか?」
「ええ。蜂蜜から造った酒です」
大徳利の中身は、里の蜂蜜で造った蜂蜜酒だ。
「蜂蜜の酒でございますか? 何やらお高そうな……」
「自前で調達した蜂蜜で造ったので、そんな事は無いんですよ」
旅先での非常時を考えて、ドラウプニールには常に食料品をストックしてあるのだが、この蜂蜜酒もその一つだ。




