妖精
「いっぱい出来ましたねぇ」
ズラッと並んだ完成したグラスとワインボトルを見て、夕霧さんが嬉しそうに言った。
「そうですね。陶器の酒器も悪く無いですけど、涼やかな硝子器も良いですからね」
陶器や漆塗りの木製の酒器にも良さはあるのだが、外側からも注がれている物の色が見えるのはガラス器の強みだ。
「今宵は早速、この硝子の器でお酒を頂きたいですわねぇ」
「買い置きの清酒と蜂蜜酒なら御存分に。他はおりょうさんに相談して下さい」
グラスを眺めながら呟く天は、実に嬉しそうだ。
「ところで夕霧さん、天さん。この後はどうしましょうか?」
「どうってぇ、どういう事ですかぁ?」
「?」
俺の質問の意図が掴めずに、夕霧さんと天が首を傾げる。
「最初は陶土と陶石を見つける為に、もっと琵琶湖の近くか信楽辺りにまで出る予定でしたけど、里からそんなに離れていない場所で調達出来てしまって、しかも器への加工も終わっちゃいました」
「良い事じゃ無いんですかぁ?」
「そうなんですけどね……」
目的の物が里の近くで見つかったのだから、良い事だと言う夕霧さんは決して間違ってはいない。
「昼食を出掛けた先で済まそうかと思っていたんですけど、まだ里の目と鼻の先くらいの場所に移動しただけなので、どうしようかな、と……」
「「あー……」」
ここまで言って、夕霧さんと天は理解してくれたようだ。
「里に戻っても良いですし、御二人に試して貰いたい事があるので少し遠出しても構いません。この場で食事っていう手もありますが」
里に戻っても俺達の分の昼食は考慮されていないと思うのだが、その場合には俺が適当に何か作る。
そもそも今日、夕霧さんと天を誘った理由の一つが『界渡り』を試す事なので、俺が知っている場所まで移動して、そこで食事を済ませるのも良い。
俺達が今居る場所は殺風景だが、岩棚の上の方に移動すれば見晴らしも良いので、ピクニック気分で食事が出来るだろう。
「えっとぉ……『界渡り』とかいうのを試す場合にはぁ、どこに行くんですかぁ?」
「俺が行ける場所ですと……江戸と鎌倉、それと那古野と伊勢ですね」
俺が行った事がある場所以外にも、古刹などには『界渡り』で移動出来る筈なのだが、周囲の状況がわからないと『界渡り』で通過する世界からこっちの世界に復帰する時に人に見られてしまうかもしれないので、知らない場所は避けた方が無難だろう。
「伊勢ですかぁ!?」
「えっ!? え、ええ……」
伊勢という単語を聞いた、夕霧さんの反応は劇的だった。
「りょ、良太さぁん! 伊勢ですぅ! 是非とも伊勢に行きましょおぉ!」
「は、はぁ……」
瞳をキラキラ輝かせている夕霧さんが、大きな胸を俺に押し付けながら詰め寄ってきた。
「天さんもいいですよねぇ? ねっねっ?」
「は、はぁ……」
俺から身体を離さない夕霧さんに、顔だけ向けて問い掛けられた天は困惑している。
「そ、そんなに伊勢に?」
「それはそうですよぉ! この辺から伊勢まではそんなに遠く無いですけどぉ、いざ行くとなると大変ですからぁ」
「鎌倉や江戸に行く時に、立ち寄る事とかは出来なかったんですか?」
伊勢は東海道からは微妙に離れているのだが、江戸の方面に向かうのに桑名や四日市から船を使うという手段もあるので、その場合には伊勢の近くを通過する事になるので、立ち寄るのは難しく無い。
「良太さん。お仕事で移動するのにぃ、ついでにお伊勢さんに寄るなんて出来る訳が無いじゃないですかぁ」
「それもそうですか」
夕霧さんが棲んでいた忍びの集落と鎌倉の往復の移動にしても、必要な経費として扱われているのだから、天候が荒れるとか事故とかの理由が無ければ、脇道に逸れたり遅延したは許されないのだろう。
「俺は構いませんけど、天さんは?」
「わたくしは特に参詣とかの必要は感じておりませんが……」
「まあ、そうでしょうね」
悠久の時を生きる天は、どちらかと言えば拝まれる側の存在なので、夕霧さんが伊勢参りに熱心になっている姿を見てもピンと来ないのだろう。
「だ、駄目ですかぁ?」
「ああ、勘違いなさらないで下さいませ、夕霧様」
「天さぁん?」
伊勢行きを反対されると思ったのか、瞳を潤ませていた夕霧さんだが、天の言葉に首を傾げている。
「別にわたくしは伊勢に行きたくない訳でも、お参りをしたくない訳でもございませんので、夕霧様が行きたいと仰るのでしたら反対は致しませんわ」
「で、でもぉ。天さんがそんなに乗り気じゃ無いのでしたらぁ……」
天が夕霧さんを気遣っているのと同じように、夕霧さんも乗り気では無い天を無理矢理伊勢に行かせるのは気が進まないのだろう。
「わたくしは眷属達が開放されるまで、あまり京の周辺から動けませんでしたので、別の土地に行くというのは楽しみなのですよ」
「ほ、本当ですかぁ?」
夕霧さんとしては、天が自分に話を合わせてくれているだけなのではないかと疑っているようだ。
「ええ。本当でございますわ。霧の結界で近くなったというお話ですから、そのうち折を見て江戸や鎌倉にも行きたいと思っておりましたし」
「ああ、それはいいですね」
京の結界が破壊されるまでには何百年も掛かったのだが、天は眷属達の事が心配で、あまり出歩いたりはしなかったのだろう。
(そう言えばワルキューレさん達の休みに関しては話をしたけど、天さんや夕霧さんとはその辺の話をしてなかったな……)
度々、長距離の移動をして貰っているワルキューレ達は働かせ過ぎだと思ったので、交代で休みをとお申し合わせたのだが、里の他の住人にはそういう話をしていない。
こっちの世界だけでは無く俺が元居た世界でも、少し昔になると一部の宗教の安息日以外には休みという概念が無かったりするので、何もしない日というのを説明するのが難しいのだが……。
「天さんだけじゃ無くて、夕霧さんも数日に一度くらいの割合で休んで下さいね?」
「え? でも畑やぁ、今度始めた苺や赤茄子の世話もあるじゃないですかぁ」
「それは毎日面倒を見ないでも大丈夫ですから」
霧の結界の内部の里が、天候などの影響をどれくらい受けるのかは今の所不明だが、現時点での生育状況を見る限りでは、あまり神経質になる必要は無さそうに思える。
「夕霧さんが休む時には、おりょうさんや天さんに面倒を見て貰えばいいんですから」
「そうですわ夕霧様。それに夕霧様がお休みにならないと、わたくしが休み難くなってしまいますし」
「う……わ、わかりましたぁ」
かなり渋々ながらという感じではあるが、自分が休まないと天が休めないと言われてしまっては、夕霧さんも応じない訳には行かなかった。
「休みに関しては皆さんで話し合って下さいね。それでは伊勢に行きますけど、その前に……」
「「?」」
話が終わったので移動なのかと思ったのだろう夕霧さんと天が、まだ何かああるのかと首を傾げる。
「夕霧さんには少し練習をして貰います」
「練習ですかぁ?」
「ええ。こういうのを」
俺はさっき岩棚の上に上がるのに使った、部分变化の翼を再び背中から出した。
「伊勢にはお空を飛んで行くんですかぁ?」
「空は飛ぶんですけど、使い方としてはちょっと違うんですよ」
「?」
「説明は後でしますから、とりあえず翼を出してみて下さい」
「はぁい。うーん……」
状況が良くわからないながらも、夕霧さんは唸りながら背中に純白の翼を出した。
(これは……おりょうさんとも頼華ちゃんとも違って、妖精みたいだな)
翼を出した姿のおりょうさんは凛々しい女神のようであり、可憐な頼華ちゃんは天使のようだ。
その二人とは違って夕霧さんは、醸し出している柔らかな雰囲気から妖精のように俺の目に映る。
「む。貴方様。夕霧様に見惚れるのは結構ですけど、ここにもう一人女が居る事をお忘れ無く」
「わ、忘れてなんかいませんよ?」
(見惚れちゃってたか……)
可愛らしく頬を膨らませている天に言われるまでも無く、婚約者が居る身なのに他の女性に見惚れるというのは宜しく無い。
この場におりょうさんと頼華ちゃんが居なかった事だけが不幸中の幸いだ。
「じゃ、じゃあ夕霧さん。俺が誘導するので一緒に飛びますよ」
「は、はぁい。上手く出来るかなぁ……」
「大丈夫ですよ。先ずは翼から少し気を出して、浮かび上がりましょう」
「わわっ!? う、浮きましたぁ」
(気のコントロールは上手だな)
足が地面から離れて夕霧さんは焦っているが、俺は強過ぎず弱過ぎずの絶妙な気のコントロールの上手さに感心していた。
いきなり急上昇をしたおりょうさんや頼華ちゃんと比べると、夕霧さんの気のコントロールはかなり巧みだと言える。
「むむぅ……貴方様に手を取って教えて頂けるのでしたら、眷属になる事を真剣に考えなければなりませんね」
「あの、そんな事くらいで決めちゃうんですか?」
恐らくは狐の妖の頂点の存在である天が、俺の眷属になると色々と拙い気がするのだが、その理由が手を取っての教えとかになると、他者に説明を求められた時に困る事になるだろう。
「そ、そんな事と貴方様は仰っしゃりますけど、りょう様や頼華様の手前、あまり積極的に近づく訳にも行きませんし……」
「それもそうですね」
(一応、天さんなりに気を遣ってくれてるんだな)
この辺は年の功、と言うと怒られそうだが、時々ストッパーが外れるブリュンヒルドと比べると、天の行動は非常に理性的だ。
「むぅ! 良太さぁん。真面目にやって下さぁい」
「あ、はい」
まだ低高度ではあるが確かに夕霧さんが言うように、真面目にやらないと怪我をする。
「天さん、少し待ってて下さい」
「畏まりました。貴方様、夕霧様、お気をつけて」
高度を上げるのを察したのか、天は俺と夕霧さんを気遣う言葉を掛けてくれて、丁寧に頭を下げた。
「夕霧さん。少しずつ気の量を増やして下さい」
「わかりましたぁ。おぉー。結構高く上がりましたねぇ」
「そうですね」
上昇速度はそれ程でも無いのだが、既に地上から十メートルくらいの高度に達している。
「気の制御に関してへは大丈夫そうですね」
「翼を出して飛ぶのがぁ、『界渡り』っていうのに必要なんですかぁ?」
「絶対に必要という訳では無いんですけどね」
夕霧さんに『界渡り』で通過する空間では法則が違っているので、部分变化のの翼から気を噴出させると移動速度が大幅にアップするという事を掻い摘んで説明した。
「成る程ぉ。気の消費量は増えるけどぉ、時間の短縮になるのならありですねぇ」
「理解が早くて助かります」
状況によって即応が求められる忍びという職業だったからか、夕霧さんはおっとりとした物腰に似合わず、頭の回転はかなり早いと思う。
「『界渡り』を始めたら俺が指示を出しますから、無理のない程度に気を使って下さい」
「わかりましたぁ」
(夕霧さんなら、心配は無いと思うけど……)
多分だが里の住人で、気の保有量が一番多いのは天だと思われるのだが、それに匹敵しそうなのが夕霧さんだ。
(もしかして夕霧さんは、いずれは神様になるのかな?)
俺程度でも犬神様の使いの風花に土地神と同じレベルだと言われたのだから、夕霧さんは将来的に神様とまでは行かないにしても、信仰対象になる存在なのかもしれない。
夕霧さんの持っている五行の土の能力は、農業などに従事している人にとっては十分に信仰するに値すると思うので、全く有り得ない話でも無さそうな気がする。
「じゃあ下に降りますけど、降りる時には完全に足が地面に着くまで油断しないで下さいね」
「はぁい」
夕霧さんの翼での気のコントロールは申し分無い事がわかったので、天の待つ地表に向けてゆっくりと降下を開始した。
「きゃっ!」
「おっと!」
予め注意をしておいたのだが、短い間でも足が地に着かない状況だったので脚を縺れさせてて転倒しそうになった夕霧さんを、軽く手を引いて受け止めた。
「大丈夫ですか?」
「はいぃ。良太さんがぁ、しっかり受け止めてくれましたからぁ」
「そ、そうですか」
(……柔らかいな)
両手を俺に掴まれたままの夕霧さんなので、当然ながら豊かなバストがノーガードで押し付けられる形になっている。
強靭な蜘蛛の糸ではあるが決して厚みは無いので、内側から布を押し上げている夕霧さんのバストが複雑に形状を変化させて、柔らかな感触がダイレクトに俺に伝わってくる。
「こほん……いつまでそうなさっているのですか?」
「「っ!」」
なんとなくタイミングを逸していた俺と夕霧さんは、天のわざとらしい咳払いを聞いて慌てて身体を離した。
「ところで貴方様。お昼は移動先の伊勢でという事になるのでしょうか?」
「そうですね。心当たりとしては門前のうどんと……」
「何か?」
言葉を切った俺の顔を、天が覗き込んできた。
「伊勢でお世話になった店で、料理も頂けるんですけど、ちょっと場所が……」
「内宮や外宮から遠いという事でございますか?」
内宮と外宮以外にも神社が点在しているので、かなり広い範囲が伊勢神宮だと言える。
天はその範囲の外縁くらいの場所に、俺が言っている店があると思ったようだ。
「そんな事はありません。むしろ近いくらいで」
「それでは、何が問題なのですか?」
「それがその……古市なんですよ、店の場所が」
「……あ。そ、そういう事でございますか」
「……なんで良太さんがぁ、遊郭と関わりがあるんですかぁ?」
古市という言葉の意味を察して天は頬を赤らめ、何故か夕霧さんは詳しい説明も無いのに遊郭だと気付いて、ジト目で俺を見てくる。
「それがですね……」
俺は伊勢で天照坐皇大御神様からの神託を受け、古市の遊郭で働くおせんさんの事を助けて、それが縁で大店である椿屋に暫くの間滞在していた事を話した。
「そうでございましたか。神託を受けて人助けを……流石は貴方様ですわ」
「流石かどうかはともかく、命を救えたのは良かったと思ってます」
痛い思いをさせてしまったが、それでもおせんさんを救えなかったら悔いが残っていただろうから、最高の結果では無いが最悪でも無かったとは思える。
「……」
「どうしました夕霧さん? やっぱり遊郭とかは気が進みませんか?」
伊勢での経緯を説明してる最中から、夕霧さんは少し俯いて黙り込んでいる。
「あ、そ、そうじゃ無くってですねぇ……そのぉ、良太さんがそういう場所に行っているのにぃ、あたしに手を出してくれないんだぁ、って思っちゃいましてぇ」
「古市のお店では、俺は料理をしていただけで……」
「お、お話を聞いてぇ、それはわかってますぅ。あたしが勝手に思い込んじゃっただけでぇ……」
涙ぐんだ夕霧さんは、また俯いてしまった。
「夕霧様は貴方様の相手をしたと思っていた妓女に、嫉妬なさったんですわ」
「あー……」
天の言葉を信じるのなら、夕霧さんは早とちりして居もしない俺の相手に嫉妬していたという事になる。
「それにしても夕霧様は、古市が遊処だと御存知でしたのですわね」
「えっとぉ……実は遊郭で働いている人の中にはぁ、忍びをやめた人達が結構居るんですよぉ」
「ああ、そういう事ですか」
元の世界でも徳川幕府の治世なって、雇い主が居なくなった忍びが遊郭で働いていたという話は聞いている。
箱根に集落が合った風魔の忍びが、江戸の吉原で働いていたという説もあるくらいだ。
(良く考えたら、忍びが遊郭で働くっていうのは適材適所とも言えるのか)
忍びの中でもくノ一は、色仕掛けで情報を収集する事に長けているので、妓女としての能力も高かったのだろう。
遊郭では酔っ払いや難癖をつけてくる客に対してや、店同士での荒事も多かっただろうから、そういう時には忍びの男衆の出番となるのだ。
「あたしも良太さんに見受けして貰わなければぁ、もしかしたらって事もあったんですよねぇ」
「えっ!?」
照れ笑いを漏らしながら、夕霧さんがとんでもない事を言いだした。




