酔っぱらい
「ところでドラン様、ブルム様」
「む? 何か、大裳殿」
「我等に御用ですかな?」
「我等のような者に丁寧に接して下さって、有難うございます」
「「……」」
人間では無い式神という存在に敬意を払ってくれたドランさんとブルムさんに、大裳だけでは無く太陰と天后も頭を下げた。
「ははは。貴方達は鈴白さんの為に働いてくれているし、それに私が義理の娘として扱っている白と黒も、人間ではありませんからなぁ」
「そうだな。親父殿には大事にして貰っている」
白ちゃんは微笑みながら、当然の事のように語るドランさんに向けて酒盃を掲げて見せた。
「それで話を戻しますが。我等が主である良太様に金銭の管理を任されましたので、ドラン様とブルム様、それと源の頭領様には明日にでもお話を伺いたいと思っております」
「ああ、そういう事ですか。鈴白さんは人が良いが、財布の紐が緩過ぎるというのが数少ない欠点ですからなぁ」
「ゆ、緩いですかね?」
自分でも多少の自覚はあるのだが、ドランさんに面と向かって言われると少し心が痛んだ。
「緩いですねぇ。今にして思えば、許嫁であるりょう殿や頼華殿、白や黒の為の買い物ではあったのですが、それにしたって高価な物でも気にせずに、惜しみ無く金を使ってましたしねぇ」
「う……」
(言われてみれば……そうだな)
ドランさんの店で通常では入手し難い迷彩効果のある外套や、見た目の数倍の容量のある福袋、こっちの世界の日本では流通量が少ない野菜などを購入しているのだが、その為に支払った額の合計は一般的な職業の人の年収を超えているかもしれないのだ。
江戸に滞在して時期の生活では、特に贅沢をしていた自覚は無いのだが、必要に応じてだったとは言ってもドランさんの店での買い物に関しては、財布の紐が緩かったと指摘されても反論は難しい。
「特に訊かれないので話さなかった私も悪いのですが、鈴白さんは糸の製品や盤上遊戯に関しても、現状の確認などはされませんでしたね?」
翻訳されたのでわかったが、シュピールというのはドランさんとブルムさんの母国語でゲーム全般を表す単語のようだ。
「それは……商売の事をお任せしている上に、店の方に子供達と一緒にお世話になっている身の上ですから、これ以上煩わせるのはと思いまして」
大人数で店の方に世話になっている状態で、商売の状況まで訊くのは心苦しかったので、ブルムさんには少なくとも京に居る間だけでも、店の業務に専念して欲しいと俺は考えていた。
実際は江戸の鰻屋の大前で働いていた時のように仕事に応じての給金などが無いので、子供達を飢えさせないだけの収入が得られるのかと、少し不安に思ってはいたのだが。
「大坂行きからこっち、バタバタしていたのでお渡しする機会を逸していたのですが……あの場では私が受け取りましたが、鈴白さんこれを」
ブルムさんがドラウプニールから金貨を取り出し、テーブルの上に積み上げた。
「ブルムさん、これは?」
「お忘れですか? ケイ卿に衣類とショートブレッドの代金としてお支払い頂いた分です」
「ああ、成る程」
言われてみれば金貨の枚数は二十枚で、それはケイ卿から衣類一式とアーサー王のマント、そしてショートブレッドの制作依頼を受けた分の料金だ。
「ケイ卿の依頼に関しては笹蟹屋で材料の仕入れ等も行いませんから、これは全て鈴白さんの上げた利益です」
「実際にはそうなんですけど、これって俺が受け取っちゃって、取引とか帳簿の上では大丈夫なんですか?」
ブルムさんの言う通り、衣類の製作は一から十まで俺の手で行うし、ショートブレッドの材料の砂糖や米糠のなどの仕入れの方も白ちゃんに協力して貰ったので、笹蟹屋を経由していない。
しかし、ケイ卿と沖田様に発注を受けたのは笹蟹屋という店なので、帳簿上だけでも金銭が出入りしたという形を作らないでも良いのかと、商売人では無い俺でも考えてしまう。
「ははは。そこは御安心を。仕入れに関しては海外の良くわからない国から行っていると、大坂のガーリンに形式を整えさせています」
「そんな事に!?」
何やら俺の知らないところで、壮大な偽装工作が行われていた。
「鈴白さん。私は悪どく儲けたりする気はありませんが、誰かから仕入れや帳簿に関して突っ込みを入れられた程度で、屋台骨が揺らぐような商いはしませんよ」
「はぁ……」
(やっぱりこれくらいじゃ無いと、世界を股に掛けての商売なんて出来ないんだろうな……)
笹蟹屋の取扱品で、ゲーム類は木工職人などに依頼を出して作って貰っているので、こちらは取引上も帳簿上も問題が無い。
しかし蜘蛛の糸の製品に関しては、今回のケイ卿の依頼分だけでは無く仕入れ代金はほぼゼロで、納品時の発生する送料を除くと百パーセントに近い粗利が出るという驚異的な商品であるのだが、仕入先は蜘蛛の里という秘中の秘であり、元から様々な偽装が必要になっているのだ。
そういう偽装工作にガーリンさんという、つい先日知り合った人を巻き込んで大丈夫なのかと考えてしまうが、そこは俺などよりも様々な経験をしてきているブルムさんが判断したので、信用するしか無いのだが。
「ブルム殿が出したので、私も」
「頼永様?」
何故か頼永様も、ドラウプニールから金貨を五枚出して積み上げた。
「頼永様、これは?」
「お忘れですか? これは源家の戦に助勢をしてくれた、良太殿と戦乙女殿達への礼金です」
「あー……」
「枚数は倒した相手の人数分です。ですから良太殿に二枚、戦乙女の方々には一枚ずつです」
「そ、そうですか」
(そう言えば北条の時頼と刀の身代金以外に、下さるって言われてたな)
俺としては義理の父親になる予定の頼永様から、こういう形で金銭を受け取りたくは無いのだが、俺が受け取らないとワルキューレ達が受け取りを拒否するかもしれないと言われてしまえば、断る訳にも行かない。
「でも頼永様。これは少し多いのでは?」
報奨の相場というのは知らないが、頼永様が積み重ねた金貨は五枚あり、戦が始まってから終わるまで一時間も掛かっていないのに、相手を一人倒して現代の価値で百万円以上というのは、ちょっと多過ぎな気がする。
「何を仰っているのですか良太殿。戦の勝利で源家というか鎌倉は大きな経済的な利益を得たのです。それはおそらくは良太殿が考えているよりは、遥かに大きな額です」
「そうなのですか?」
確かに鎌倉で生産する塩を、北条の言い値で売るという事態は避けられたので、それだけでも少なくない鎌倉の経済的損失を阻止出来たと言えるが。
「ええ。那古野や大坂、瀬戸内の先の九州まで、江戸は大きな取引相手です。その江戸を行き来する廻船が年間に運ぶ船荷の量は莫大です」
「それはそうでしょうね」
元の世界の江戸程は開かれていないが、それでも那古野や大坂、そして京に比肩するだけの人口を抱え込んでいる。
鎌倉で生産を始めたので流通量と利益は少し下がると思うが、江戸に持ち込まれる瀬戸内の十州塩田の塩だけでも、年間で考えればとんでもない量になるというのはわかる。
関東よりも関西の物が良いとされている樽廻船で運ばれる清酒も、江戸との重要な交易品だ。
「ちなみにですが、北条が水先案内の料金として提示している額は、積んでいる船荷の一割相当です」
「それはまた……」
(北条と同じ水先案内を瀬戸内でしていた村上水軍も、莫大な利益を上げてたんだよな)
瀬戸内で活動をしていた村上水軍は水先案内や警固をする代わりに、北条と同じく船の利益の一割を徴収していたと言われる。
動力船が現れる前の時代でも大量輸送に使われるのは船舶なので、その利益の一割と考えると、北条が水先案内で得ていたのはかなりの額だというのが想像出来る。
しかし村上水軍の場合には、複雑な海流で航行の難所でもある瀬戸内で活動していたので、金額が妥当だった言えるかは別として、必要な集団だったとは考えられる。
北条の行っていた水先案内は江戸湾への入り口の目と鼻の先の下田沖の事であり、天候不順などが起こらなければ必要が無いのに要求をして、拒否をすれば強制的に取り立てるという悪質なやり方だったのだ。
戦の勝利によって少なくとも一年間は北条へ払う水先案内の料金が必要が無くなるというのは、廻船に携わる人々と寄港先の鎌倉や江戸などに取っては、確実に利益が増えるという事に直結するので、頼永様が言っている事が決して大袈裟では無いというのはわかった。
「北条に放棄させた水先案内に関しては、急に鎌倉の利益に繋がる訳ではありませんが、権利を行使出来る一年の間は、相当に潤う事になるでしょう」
「鎌倉が潤うのは、俺も嬉しいですよ」
鎌倉は領主である源家の統治が良いので、領民との関係が非常に良好だ。
街中を歩いている領主の娘である頼華ちゃんに、領民が気軽に声を掛けている場面を目の当たりにしているので、俺の錯覚では無いだろう。
「その鎌倉が潤う分の利益は、助勢をして下さった良太殿と戦乙女殿達のお陰なのです。源家に入る税収の全部はお渡し出来ませんが、何割かは要求されても良いのですよ?」
「いやいやいや。税収って事なら、鎌倉の為に還元しませんと」
現代の軍隊のように維持するだけで莫大なコストが掛かったりはしないと思うが、それでも治安や領内のインフラなどの維持をする為に源家が抱えている家臣の数は決して少なく無いと思う。
「確かに、源家に入る税収は鎌倉の為に使うのが良いでしょう」
「そうですよね」
まさかの事態を考えてしまったが、頼永様があっさりと言い切ったのでホッとした。
「では、その増えた税収から正恒殿が開発してくれている風車と、良太殿とりょう殿が提案して下さった酒造りと、領内の農作の改革を行います」
「成る程」
風車を利用した塩の精算と、杜氏の経験を用いない酒造り、そして加護や権能を持たない一般人による農作を頼永様に提案したが、どれも予算と人員が無ければ取り掛かれない。
北条との戦での勝利によって税収が増して、とりあえず予算だけでも捻出が出来るというのならば、本当に助勢をして良かったと思う。
「と言う訳ですから、北条から入る予定の時頼殿の身代金と、鬼丸国綱の返還による礼金は、全て良太殿にお渡しします」
「そ、それは。以前に酒造りに使って下さいと」
酒造りには広い建物と、雑菌の繁殖を防ぐ為に内部の気温を低く保つ為の処置が必要だ。
当然ながら土地も建物も高く付くので、酒造りなどの提案をした当人が一銭も出さないという訳には行かないから、時頼の身代金と鬼丸国綱の返還で得られる礼金を充当してくれるようにと、頼永様には話した筈だ。
「良太殿」
「は、はい」
真剣な表情の頼永様が、真っ直ぐな視線で俺を見てきた。
「北条との戦に勝って得られる税収を鎌倉の為に使う。これは正しいですね?」
「はい」
俺を諭すような口調で、頼永様が語る。
「では、この里の代表である良太殿が得られる利益は、誰の為に使うべきですか?」
「う……」
(これは参ったな……)
頼永様の話す内容は正論過ぎて、全く反論の余地が無い。
「今はまだ余裕があるかもしれませんが、子供達が独り立ち出来るまでには、それなりの額が必要になってくるでしょう」
「はい……」
一般的な父親とは違うが、それでも頼華ちゃんという娘を育てている頼永様の言葉は、非常に重い。
「であれば、この私が出した礼金に関してだって、少し額を吊り上げる努力くらいはしても良い筈ですよ」
「お言葉、ご尤もです……」
俺だけの事ならば別に良いと思うのだが、受け取りを拒んだり、値上げの交渉を行わなかったばかりに、後々になって子供達に皺寄せが行かないとも限らないのだ。
逆に少し暗い自分がガメつい人間だと思われる事には目を瞑って、得られる収入を多くするくらいはしなければならなかったのだと、頼永様の言葉を聞いて思い知らされた。
「そうだねぇ。そもそもが戦にしたって、鎌倉の人達や海運に携わる人達の利益を護る為に頭領様が受けて、そこに良太達が助勢をしたんだから、良太達に利益が無いって話になったらおかしくなっちまうよ」
「りょう殿の申される通りですよ、良太殿」
「そうですね」
北条から支払われる金に関しては、なんとか上手い事を言って頼永様に鎌倉の為に使って貰おうかと思っていたが、素直に受け取ろうという気になった。
これまでも、そしてこれからも金に執着をする気は無いのだが、自分の懐具合に余裕が無ければ、いざという時に誰かの為に金を出す事も出来ないのだ。
「とまあ、色々と厳しい事を申し上げましたが、どうぞ御心配無く」
「え? それってどういう……」
引き締まったいた表情を崩した頼永様が、笑いを噛み殺しながら俺に言った。
「もしも良太殿やこの里で必要な時が来ましたら、私は鎌倉の領民が路頭に迷わないくらいには、投資は惜しまないつもりですから」
「それは……有難うございます」
「鈴白さん。私も同じですよ」
「私もです」
「ドランさん、ブルムさんも……」
笑顔のドランさんとブルムさんが、俺に向かって酒盃を掲げた。
「ははは。娘達が好いている人の為ですからなぁ。そこを別にしても、私は鈴白さんを信頼しておりますし」
「然り然り。それにこの里の子供達は、既に我等の孫みたいなものですからなぁ」
「有難うございます」
照れ臭いのか、ドランさんもブルムさんも笑顔に少し苦い成分が加わっている。
「でもまあ、頼永様。あんまり良太をいじめないでやって欲しいんですけどねぇ」
「いや、りょう殿。別に良太殿をいじめている訳では……」
「何せ良太は、こっちの世界じゃ元服を迎えている年齢ですけど、元の世界じゃ働きにも出ていないんですからねぇ」
「なんと? 元の世界の良太殿の生活を詳しく伺った事は無かったが、剣術や料理の修行をされていたのでは無いのですか?」
「えーっと……」
どうやら頼永様は、俺が元の世界で剣術の道場にでも住み込んで修行をしていたとでも思っていたらしい。
「……気を鍛える修行はしていましたが、料理は手習いですし、剣術の方は実は型を二つしか知りません」
「な!? 料理が手習いで、剣術があの強さですか……なんとも良太殿の、恐るべき才ですな」
「ははは……」
(あんまり余計な事は言わない方が良さそうだな)
頼永様の言うような才能が俺にある訳では勿論無く、こっちの世界に来る際にフレイヤ様に再構築して貰った身体が、脳からの指令でダイレクトに動くいてくれているお陰だ。
「良さんは鍛冶の腕前も大したもんだがなぁ」
「それは正恒さんの指導が良かったからですよ。後は込められる気が多いくらいで」
これは本心から思っている事であり、正恒さんに教わらずに実行に移していたら『巴』の完成を見る事は無く、単に熱した鋼を打ち延ばしただけの物しか出来上がらなかっただろう。
「この際その辺は置いといてですね……良太は偶に凄いとこ見せますけど、まだまだ人生経験が足りないんですよ。ですから叱るだけじゃ無くって、皆さんで教え導いてやっちゃくれませんかねぇ?」
「おりょうさん……」
自業自得ではあるのだが、かなり打ち拉がれている状況なので、おりょうさんの気遣いが身に沁みる。
「ははは。わかっておりますよ。なぁに良太殿ならば、りょう殿と頼華と婚儀を挙げる数年後には、立派に成長しているでしょう」
「そうですなぁ。鈴白さん、立派になられたら、りょう殿と頼華殿の次で構いませんから、白と黒も娶ってやって下さい」
「な!? お、親父殿!?」
ドランさんの爆弾発言に、顔を真赤にした白ちゃんがポロリと酒盃を落とした。
「白。りょう殿と頼華殿を気遣っているのはわかるが、自分の気持ちを押し殺してはいけないよ?」
「う……」
真剣な表情でドランさんに言われて、白ちゃんが言葉に詰まった。
「りょう殿、頼永殿。この子と黒ならば立場を脅かすような事はしないと思うので、少しだけ鈴白さんに情けを掛けてやって欲しいのですよ」
「情けって……」
「白と黒に関しては、あたしと頼華ちゃんは気にしちゃいませんよ」
「うむ。頼華からもそのように聞いていますので、後は良太殿の気持ち次第という事に……」
「……」
(わかりました、なんて言える訳が無い)
俺にドランさん、おりょうさん、頼永様、そして俯き加減の白ちゃんの視線が集中するが、皆の前で浮気宣言なんかするのは無理だ。
「あ、貴方様。白様と黒様の後で結構ですから、わたくしにもお情けを!」
「えー……」
「あ! 夕霧様と紬様の事を失念しておりましたわ!」
「いや、そういう事じゃ無くてですね……」
天は順番や序列を守れば良いと考えているらしい。
「いいじゃねえか良さん。養ってやれるくらいの金は入ってくるんだろ?」
「正恒さん……他人事だと思って」
(落ち着け俺……この場に居るのは俺以外は、全員が酔っ払いだ)
酔いで少し顔が赤い正恒さんがニヤニヤしながら言ってくれたので、逆に冷静になる事が出来た。
頼永様とドランさんとブルムさんが言った経済面の事以外は、話半分くらいに聞いていた方が良さそうだ。
「天さんみたいに綺麗な人が良太に言い寄ると、ちっとばかし危機感を感じちまうねぇ」
「そ、そんな! りょう様。愛されているのは実感されていますでしょう?」
「あ、愛!? そ、そりゃあ、ねぇ……」
(実はおりょうさんも、相当に出来上がってるのかな?)
おりょうさんと天は話をしながらも互いの盃に酒を注ぎ合って、急ピッチで干している。




