アーモンドクリーム
「ぱんを菓子のようにと申されますと、もしや、じゃむですか?」
「残念。それもいいと思ったんだけど、生憎とジャムに使えるような果物も無いからね」
頼華ちゃんが言うようにパンにジャムは定番の取り合わせなのだが、里でジャムに適した果物は育っていないし、買ってきてもいない。
それにジャムは元々が保存の目的の為の食品であって、砂糖をかなり多く加える必要があるので、さっきまで話していたドーナツと同様に気楽には作れないのだ。
「むむむ……そうなると余には、もう想像がつきませんね」
「そんなに難しい物じゃ無いよ。材料は……これを使う」
俺はドラウプニールの中から、まだ中身がかなり詰まっている麻袋を取り出した。
「これだよ」
「それは……扁桃ですか?」
「うん、そう。これでパンに塗って食べるクリームを作るんだ」
酒のツマミと少し菓子に加工した程度で一キロ程が使わず残っているのだが、元の世界でアーモンドを使ったスプレッドがテレビなどで取り上げられていたのを思い出したのだ。
物としてはピーナッツを使ってある方がポピュラーだが手元に無いし、味や栄養面で言えばアーモンドもかなり優秀だ。
「おお! そういえば向こうでぱんを食べる時に、落花生くりーむというのがありましたね!」
「覚えてた?」
「はい! あれはおいしかったですから!」
頼華ちゃんはパンを食べる時にバターやチーズも好んでいたが、それ以上にフルーツを使ったジャム、そしてピーナッツやチョコレートなどのクリームを塗る事を好んだ。
「良太ぁ。くりーむったって、こいつはカラッカラなんじゃないのかい?」
「見た目にはそうなんですけど、結構油分を含んでいるので、軽く煎ってから擂り潰すとクリーム状になるんですよ」
「「「へぇ」」」
俺の説明を聞いておりょうさんと、他に聞いていた者達も納得顔になった。
「そいじゃ良太が煎って、あたしが摺るかい?」
「いえ。摺るのは力が要りますから、そっちを俺が。おりょうさんと頼華ちゃんは手分けをして煎る方をお願いします」
この際なので残っているアーモンドは全部クリームにしてしまうつもりだ。
一キロ程のアーモンドは一人でも煎る事が出来る量だが、あまり多いとフライパンの上で重なってしまうので、おりょうさんと頼華ちゃんには半分ずつを別々のフライパンで作業をして貰う。
「わかったよ」
「わかしました!」
おりょうさんと頼華ちゃんがフライパンを手にして、早速アーモンドを煎り始めた。
「御主人! あたいが擂り鉢押さえてるね!」
「うん。頼んだよ」
「おう!」
擂り鉢は脚で抱え込んだりしても良いのだが、黒ちゃんのお言葉に甘える事にした。
「くっ。先を越されるとは……でも、相手が黒様では」
何やら悔しそうに歯噛みしながら、ブリュンヒルドが俺と黒ちゃんの方を見てくる。
「良太様。及ばずながら私も、摺る作業をさせて頂きます。ロスヴァイセ、押さえるのをお願い」
「畏まりました」
直ぐに気分を切り替えたらしく、ブリュンヒルドが毅然とした表情で俺に申し出てきた。
「そうですね。ブリュンヒルドさんならお任せしても大丈夫でしょう。でも、大変ですよ?」
「お任せを」
アーモンドをクリーム状にするには最初に硬い粒を砕くのが大変だし、潰れて油分が出てくると、今度はその粘りで抵抗が大きくなるので、滑らかになるまでにはかなりの労力が必要で、元の世界ならばフードプロセッサーとかで行う作業だ。
「ほい、良太。煎り終わったよ!」
「こっちもです!」
フライパンで香ばしく煎られたアーモンドが、俺とブリュンヒルドの前の擂り鉢に落とし込まれた。
「有難うございます。頼華ちゃんもね」
「どうってこたぁ無いよ」
「これくらいは軽い物です!」
おりょうさんと頼華ちゃんはフライパンを振るった後なのに、元気いっぱいだ。
「それじゃ始めましょうか。最初はこう、押し付けて砕くように」
「はい」
握った擂り粉木でアーモンドを砕く俺を見ながら、ブリュンヒルドも手を動かし始めた。
「御主人! 凄くいい匂いがしてきた!」
「香ばしさに加えて、甘い匂いもしてきてるね」
手を動かし続けて大分粒が少なくなったアーモンドは香りが増し、出てきた油分で次第にペースト状になってきた。
「うん! 早く食べたい!」
アーモンドのおいしさ自体は黒ちゃんは知っているので、作っているクリームへの期待も大きいようだ。
「良太様。これで大丈夫でしょうか?」
機械のように同じ動作で擂り粉木を動かし続けていたブリュンヒルドが、ここで始めて手を止めて俺に訊いてきた。
「うん。良く出来ていると思いますけど、もう暫く続けて下さい」
「畏まりました」
(やっぱりワルキューレの身体は、普通の人間とは違うみたいだな)
擂り鉢で擂り粉木を連続で動かすのはかなりの重労働なのだが、ブリュンヒルドは疲れた様子も見せずに作業に戻った。
戦いに身を置く女性ではあるが、ブリュンヒルドの腕はやや筋肉質ながらも細いので、普通ならばこれだけ連続で擂り粉木を動かせば疲れくらいは感じる筈だから、やはりワルキューレの身体は普通の人間とは違うのだろう。
「良太。これで出来上がりかい?」
「ちょっと待って下さいね……うん。こんなもんかな」
かなり手を早く動かした甲斐があって、おりょうさんが第二弾を煎り上げる前になんとか粒の無い状態にアーモンドを摺り潰す事が出来たので、匙で少量掬って味見をしてみた。
口に入れても粒っぽさは感じられず、砂糖を入れていないのにアーモンド由来の香ばしさと一緒に甘さがある。
「ブリュンヒルドさんの方も、そこまででいいと思いますよ」
「そうですか?」
見た感じではブリュンヒルドの方も十分に滑らかになっているので、手を止めても大丈夫そうだ。
「御主人。味見していい?」
「いいよ」
黒ちゃんにはお手伝いの御褒美として味見をさせたあげたいので、擂り鉢の方はなんとか俺一人でやってみよう。
「おりょうさんと頼華ちゃんも、味見どうぞ」
「そうかい? どんな味になってるかねぇ」
「香りからしておいしそうです!」
おりょうさんと頼華ちゃんは、うきうきとした声と表情でクリームを匙で掬っている。
「へぇ。酒のツマミにしても旨いもんだったけど、擂り潰すとこんなに甘さが出るんだねぇ」
「むむ! 甘さは穏やかですがとろりとして、ぱんに塗って食べると更に旨くなりそうですね!」
「そうだね……」
「む? 兄上、何か出来に御不満でも?」
浮かない表情になっていたのか、頼華ちゃんが心配そうに俺を見てくる。
「味はいいと思うんだけど、みんなで食べるにはちょっと量が少ないなと思ってね」
「そ、それは味見が多かったからですか?」
「いやいや。流石にそんな事は」
「「……」」
(もしかして、多めに掬ったのかな?)
俺が否定の言葉を口にすると、頼華ちゃんと黒ちゃんがサッと視線を逸した。
どうやらアーモンドクリームを掬う時に控えめにでは無く、匙で目一杯の量を取ったのが後ろめたいようだ。
「なんか他の材料で、くりーむを追加で作るのかい?」
「いえ。これに少し増量しましょう」
「増量って、何を?」
「クリームには、クリームを足します」
おりょうさんの質問に対して、俺はドラウプニールから生クリームを取り出して見せた。
「どうせだから泡立てるか……」
「ん? 良太。蜂蜜も入れるのかい?」
「生クリームを入れると薄まりますから、それを補う分だけ足します」
俺は鉢を術で冷却しながら、竹製の泡立て器を縦に動かして生クリームに空気を含ませ始めた。
アーモンド自体の甘さを活かすクリームを作りたかったのだが、手元にある分だと一人が小さなスプーンに一杯分くらいしか行き渡らなそうなので生クリームで増量して、甘さなどを補う為に蜂蜜を加える。
「良太に掛かったら、あっという間だねぇ」
「流石は兄上です!」
かなり急いで手を動かした甲斐があって、直ぐに液状だった生クリームはふわふわな状態になった。
「これをアーモンドの方に足して、っと」
重量比で言えば圧倒的にアーモンドのクリームの方が多いのだが、見た目には同量程度の生クリームが加わったので、食べられる量としては倍くらいになった。
「これでいいかな? おりょうさん。味見どうぞ」
「そうかい? そいじゃ……うん。扁桃の風味もちゃんと残ってて、ふんわりと蜂蜜も香って、こいつは旨いねぇ」
「そうですか。それは良かった」
かなり適当な上に急なアレンジだったので、ちょっと出来上がりが心配だったのだが、どうやら一発で味が決まったようだ。
味見と評価が舌の確かなおりょうさんなので、非常に信頼出来る。
「兄上! 余も味見をしていいですか?」
「あたいも!」
「「「……」」」
ずっと機会を伺っていた頼華ちゃんと黒ちゃん、そして声には出さないがワルキューレ達が、味見をしたいと視線で訴えてくる。
「えーっと……そろそろ昼食の時間だから、味見じゃなくて普通に食べれば?」
「そうだねぇ」
「「「ぐっ……」」」
俺とおりょうさんに言われた全員が、正論過ぎて言葉に詰まった。
「さあさあ。とっとと出来たもんを運んで、飯にするよ」
「「「はい!」」」
(いつもながら見事な統率力。おりょうさんには『指揮』とかの系統のスキルでもあるのかな?)
おりょうさんの号令一下、出来上がった料理や食器類を運ぶ頼華ちゃんと黒ちゃん、そしてワルキューレ達の姿をみていると、そんな事を考えてしまう。
普通に考えればワルキューレのリーダーであるブリュンヒルドに、里の住人の中では一番そういうスキルがありそうな気がするのだが、当のブリュンヒルドが率先して従っているので、どうやらおりょうさんの方が命令系統の上位という事になりそうだ。
(おりょうさんの場合は、天性の物っぽいけど)
詳しい事は聞いていないが、おりょうさんは武家の出身という事なので、もしかしたらある程度の『指揮』とかに関する教育は受けているのかもしれない。
しかしそれだけでは、状況によっては相手が神様であろうと注意をして、言う事を聞かせるなんて真似は出来ないから、やはり天性の物なのだろう。
「それでは、頂きます」
「「「頂きます」」」
里で年長者という事になると色々と議論が巻き起こりそうなので、滞在している『人』の中で一番地位が上という事で、頼永様に食事の号令をお願いした。
「今日の昼は何時に無く盛り沢山ですね」
「みんな、あまりパンは食べ慣れていないから、おかずや付け合せの方を多めに用意してみました」
源氏の頭領である頼永様のような人物ならば、三食全てを豪華にする事も出来るとは思うが、一般的にはこっちの世界の日本の食事は、元の世界の江戸時代と殆ど変わらず、昼食ならば主食に主菜、汁物に漬物、あともう一品付けばそれなりに豪華という感じだろう。
但し、食卓が質素と言うか素朴な内容なのは、領主によって重税が課されているからでは無く、純粋に手間の問題で料理に手を掛けるのが難しいだけだ。
その手間の問題を解決する為に、ミンサーや製麺機を元の世界から持ち込んだので、少しでも改善に活かされればと思う。
「この魚を揚げた物は昨晩も出て、旨かったのを覚えておりますが。良太殿のオススメはどれでしょうか?」
「そうですね。それは上から掛けるタレの味が少し濃いですから後にして、先ずはこれでしょうか」
「これは? 何やら魚の身のような物が練り込まれておりますが」
「これはブランダードと言う外国の料理でして、御推察の通りに戻した干鱈のほぐし身を、じゃが芋と混ぜ合わせた物です」
「ほう。では早速」
「では私も」
頼永様の隣で、雫様もスライスされたライ麦パンにブランダードを薄く塗りつけて口に運んだ。
「む。少し油分とにんにくの風味を感じますが、言われなければまるでこの国の料理のように、口に馴染みますね」
「本当に。何故か懐かしい感じすらします」
ブランダードは頼永様と雫様の口にはあったようなのだが、不思議そうに首を傾げている。
「そいつは干鱈から出た、出汁っぽい味のお陰なんでしょうねぇ」
「ああ。成る程」
「言われてみれば、鰹節とは違いますけど、魚の出汁を感じますね」
おりょうさんの説明を受けて、頼永様も雫様も納得している。
「後は燻製肉と乾酪を一緒に挟んだりして、お腹の具合と相談をしながらお好きに食べて下さい。最後に食べるのは蜂蜜か、この扁桃を擂り潰した物がオススメですよ」
アーモンドのクリーム以外にも、里の蜜蜂が集めてくれた絶品の蜂蜜も用意してある。
「目移りしてしまいますなぁ。では先ずは、良太殿の言った燻製肉と乾酪を」
「私は腸詰と乾酪を挟んでみますね」
組み合わせを自分で決められるのが楽しいのか、頼永様も雫様も笑顔で具材をパンに挟み込んでいる。
「あ、兄上! このくりーむは凄いです!」
「御主人! これ最高っ!」
「二人共、甘い物から食べてるの?」
味見でお預けを食らったからか、頼華ちゃんと黒ちゃんは小麦の白いパンにアーモンドクリームを塗って食べている。
「向こうでは、甘い朝食も作って下さったではありませんか!」
「そうだけどね」
頼華ちゃんはフレンチトーストの朝食の事を言っているのだろう。
「でも、これから他の物も食べるんでしょ?」
「無論です! 甘い物としょっぱい物を交互に食べると、味覚が切り替わって幾らでも食べられるのです!」
「おお! 頼華は天才だな!」
「……程々にね」
俺の感覚だと、回転寿司で最初にデザート系から食べているのと同じ様も思えるのだが、頼華ちゃんも黒ちゃんも気にしている様子は無い。
「良太。こっちの黒いぱんの方が、白いのよりも扱いが低いんだったっけ?」
「そうですね。酒の原料になる大麦を使って焼いたパンもですけど」
「ふぅん。食べ比べても、こっちも旨いと思うけどねぇ」
「そうなんですよ。固くはなり易いんですけどね」
小麦の白いパンが柔らかくておいしいのは百も承知なのだが、ライ麦や大麦で作ったパンが必ずしも味で劣事が無いというのは、実際に口にしたおりょうさんが言っている通りだ。
だが、ライ麦や大麦は時代や国によっては下等な食べ物どころか、人では無く家畜が食べる物だと認識されていた。
「あ。このくりーむを見てて思い出したけど、牛の乳から作る時に余った水が酒に出来るんだよねぇ?」
「そうですね。取ってはありますけど」
おりょうさんが言っているのは、生クリームやチーズを作る時に出る乳清の事だ。
「じゃあ、酒にしちまってもいいかい?」
「いいですけど……」
(人類と言うか、おりょうさんの酒への探究心は凄いな……)
既に里には蜂蜜酒もあるし、外部から買ってきたりもしているのだが、おりょうさんは準備中の大麦を使った酒では飽き足らずに、他の種類の酒の醸造にも前向きなようだ。
「そいじゃあたしは、午後は酒の仕込みをしようかねぇ。ん、おいし」
楽しそうに呟いたおりょうさんは、鱪のフライを挟んだパンを頬張った。
「俺は午後は、畑の拡張をしようと思います……っと、その前に」
みんなに話しておく事があったのを思い出したので、俺はチーズとソーセージを挟んだパンの残りを口に放り込んで、控えめに咀嚼してから飲み込んでから立ち上がった。
「ちょっと聞いて下さい。要望があった戦乙女さん達と、顔を会わせた人には伝えていますが、各自の部屋に寝台兼用の箪笥を設置してあります」
「「「……」」」
この時ばかりは頼華ちゃんと黒ちゃんも食事の手を止めて、他の里の住人と滞在者と一緒に俺の話に聞き入っている。
「設置をしたので部屋の自由に使える空間が狭くなっているので、窮屈だとか不要だとか感じた場合には相談に乗るので、申し出て下さい」
「「「わかりました」」」
大人も子供も、全員が返事をしてくれた。
「良太殿。その寝台と言いますのは、大きさの変更は可能なのでしょうか?」
「可能ですよ」
俺が座り直した途端に、雫様からの質問が来た。
「大きくも小さくも出来ますよ」
雫様の身長は目測で百五十センチそこそこなので、ワルキューレ達を基準にして設置した大人用のベッドよりも小さくしても窮屈では無さそうだ。
「では私の部屋の物は、大きくして頂けますか?」
「大きくですか?」
てっきり、自分の体格に合わせて小さくという相談なのかと思ったが、逆だったようだ。
「その……頭領と、床を一緒にしたいと思いまして」
恥じらいながら言った雫様は、俺から頼永様に視線を移すと、ポッと頬を染めた。
「雫……皆さんの前で」
「よ、宜しいじゃありませんか。夫婦なのですから」
「そうだが……」
「えーっと……それじゃ部屋は狭くなってしまいますが、御二人でお休みになっても窮屈じゃ無い程度の大きさにしますね」
「宜しくお願い致します」
「良太殿。お手間を掛けます」
雫様はしれっとした態度で頭を下げるが、頼永様は居心地が悪そうだ。




