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旅の計画

「この、レープクーヘンというお菓子は、なんか変な味がしますね……」


 俺に割り当てられている部屋で、ドランさんからの貰い物のレープクーヘンを一口齧って、頼華ちゃんが神妙な表情で首を捻っている。どうやら香辛料の風味が気になるようだ。


「口に合わなかった?」

「そういう訳では……甘いのですが、お菓子というよりは料理のような風味で、別の食べ物を同時に口に入れているような感じが」

「ああ、なんとなくわかる。色んな風味が一気に来るから、混乱しちゃうんだね」

「それ! そういう事です!」


 急須から湯呑へ、これもドランさんから貰った紅茶を注ぐ。厨房で沸きたてのお湯を入れて、この部屋まで移動して腰を下ろした時点で、丁度良い蒸らし加減になっていた。


「どうぞ」

「ありがとうございます。いい香りですね……」


 和風な湯呑に鮮紅色のお茶が注がれているのが、個人的には凄く違和感を感じるが、ドランさんの店のように欧風なティーセットなんか無いので仕方がない。


(壊さずに運搬出来る手段があるのだから、購入を検討してもいいかもな。あ、もしかして、アウトドア用の調理器具とか食器なんかもあるかな?)


 街でも野外でも生活を豊かにする工夫は必要なので、食材や必需品以外の物も、懐や運搬手段に余裕があるうちに考えておかなければならない。


(それ程国土が広くないから、何日も人里から離れた場所ばかり旅をする事は無いと思うけど)


 鎌倉での事業を提案したばかりなのに、無責任だと言われてしまいそうだが、俺はそろそろ江戸を離れて旅に出ようかと考えていた。旅に出る理由は特に無いのだが、江戸に留まる理由も無い、というのが理由といえば理由だ。


(大前の営業も大分落ち着いてきたから、もう俺がいなくなっても大丈夫だろうし)


 一般的には串打ち三年裂き八年、焼きは一生、なんて言われている鰻の修行だが、この世界では技術は使えば使うほど習熟していくので、真面目に取り組んでいる忠次さんと新吉さんは、串打ちと裂きだけなら既にそれなりの腕前になっていた。


「兄上、このお茶は香りが良くて色鮮やかですけど、少し渋いですね」


 考えに沈みそうになったところで、頼華ちゃんに現実に引き戻された。


「そう? 俺には気にならない程度だけど……あ、だったら、これを食べながらお茶を飲むといいよ」


 角砂糖や牛乳なんかの持ち合わせは無いし、厨房にも無いだろうから、俺は、これもドランさんの貰い物の金平糖を瓶から一粒取り出して、頼華ちゃんに手渡した。


「これは、さっきの焼き菓子とは味が違うのですか?」


 頼華ちゃんには初見らしく、小さな手のひらに置かれた金平糖をまじまじと見ている。


「金平糖っていう、殆どが砂糖で出来たお菓子だよ。さっきのレープクーヘンみたいに香辛料は入ってないから」

「砂糖ですか。頂きます……ん、あまぁ~い」


 紅茶の渋みがそのまま表情に出ていた頼華ちゃんだったが、金平糖を口に入れて味わった途端に甘く蕩けた。俺も一粒摘んで食べてみた。


「おいしいね。色からして精白してあるんだろうけど、原料自体も違うのかもしれないな……」


 普段口にしている黒糖と金平糖では、根っこにある味自体が違う気がした。原料がサトウキビと甜菜とかの違いがあるのかもしれない。


「金平糖の甘さで、お茶の渋味が気にならなくなりました。お代わりを頂けますか」

「だったら、今度はちょっと贅沢に、こうしてみたらどうかな」

「えっ!?」


 俺は湯呑に金平糖を一粒置いて、そこへ紅茶を注いだ。残りは自分の湯呑へ注ぎきる。


「むー。甘くておいしいですけど、金平糖をそのまま味わうのと、どちらが良いかと言われると……」


 ダイレクトに口の中で金平糖を味わうのと、甘くするのに紅茶に溶かしてしまうのと、どちらが良いかで頼華ちゃんが葛藤している。


「兄上、塩のように、この地で砂糖は作れないのでしょうか?」

「砂糖? うーん……」


 記憶を探ると、サトウキビは元の世界の沖縄や奄美で栽培されていて、既に伝わっているのかは不明だが、甜菜は北海道で栽培されていたはずだ。


 多分だが、どちらの種類にも気象条件が関係して、南と北の両極端な地域で栽培され始めたのだろう。


「原料になる農作物の栽培条件次第なんだろうけど、無理に生産をするよりは、米や麦から水飴を造る方が良さそうかなぁ……」


 砂糖の生産が始められる前は、料理や製菓に代用品として水飴が使われていたと聞く。


「水飴も好きですが……砂糖の甘さは、なんというか、果物とかの甘さとも違うのです」

「頼華ちゃんの言いたい事も、わかるんだけどね」


 使い過ぎると下品にも感じる砂糖の甘さだが、そういう味に魅力があるのも事実だ。どうやら砂糖は、頼華ちゃんの魂に訴える物があるのだろう。って、そこまで大袈裟な話じゃ無いのかもしれないけど。


(だから、焼いたカステラ生地で小豆餡を挟むという物を想像しただけで、喉が鳴ったんだろうとは思うんだけど)


 この辺は男女差なのか、それとも現代の様々な菓子を知っているので感動が薄いのかは不明だが、俺は甘味への欲求がそれ程無い。


(でも、数日肉が食えなかっただけで欲求が高まったんだから、同じような物か)


 こっちの世界の料理はどれも口に合って満足出来るのだが、それでも肉や、現代風の濃い味付けが無性に恋しくなる事はある。


「砂糖の件は、ドランさんに相談してみるよ」


 砂糖の原料作物の栽培となると、土地の問題も発生するから俺の手には負えなくなるので、ドランさんに相談して仕入先を分散出来れば、ある程度は状況が改善するのではないかと思う。


「鎌倉産の塩と砂糖、というのは無理なのですね……」

「塩は手間が掛かるけど、近くの海から汲み上げて生産する物だから。砂糖は作物の栽培から始めないと出来ないからね」


(こっちの世界には、スーパー農夫と呼べる存在がいるから、不可能では無いのだろうけど……他の農作物との兼ね合いもあるだろうから、さすがに無理だろうなぁ)


 塩の生産は頼永様は即断即決してくれたけど、話が砂糖となるとどうなるのかはわからない。新たに畑を開墾したり、他の作物の代わりに栽培したりという程、砂糖の需要があるのかどうかも不明だ。


 頼華ちゃんの期待に応えられないのは心苦しいけど、最初からわかっている事だが、俺は万能では無いのだ。



「兄上、おやすみなさいです」

「うん。おやすみ」


 朝からの巻狩りで疲れたらしい頼華ちゃんが眠そうなので、部屋まで送り届けた。


 自分に割り当てられた部屋に戻ったが、隣の部屋に人の気配が無いので、おりょうさんはまだ戻っていないようだ。という事は、酒宴は継続中である。


「そういえば、まだ風呂に入ってなかったな……」


 巻狩りから移動、食事の後はカステラもどきの試作で今に至るので、丁度良いと言えば丁度良い。俺は浴場へ向かった。



「ふぅ……」


 一人でいる時間がめっきり減ったので、落ち着くと同時に今の静けさが、少し淋しい感じもする。


(でも、今はこの時間を満喫しよう)


 少し長めに湯に浸かってから、洗い場で石鹸を泡立てて身体を洗い始める。自分では気が付かないが、獲物の解体の時の血の匂いや汚れが残っているかもしれないので、念入りに洗おう。


「ん?」


 と、思ったところで、背中に唐突に気配を感じた。


「御主人! 背中流すよ!」


 耳元で黒ちゃんの声が聞こえたと思ったら、背中にムニュっと、温かい物が押し付けられた。


「く、黒ちゃん!?」

「黒だけではないぞ、主殿。では俺は前を受け持とう」


 何も存在しなかったはずの俺の前に、白ちゃんが腰に手を当てて立っている。全裸で。


「前はいいから! って、そもそも、なんで二人がここにいるの!?」


 俺は慌てて手拭いで身体の前を隠して、白ちゃんの裸身から目を逸らす。


「主殿の姿が部屋に無かったので、探したらここから気配を感じた」

「だから、背中流しに来たよ! 他の人の気配も無かったから、いいんでしょ?」

「うっ……」


 そういえば、そんな事を言ってしまっていたのを思い出した。


(唐突に現れたという事は、さては界渡りを使ったな?)


 便利だが制御が簡単では無い界渡りだが、俺を目標に出来るので、ごく短距離でも失敗せずに使えたのだろう。


「で、でも、誰か入ってくるかもしれないし……」

「ここは客用だろう? 親父殿は、まだ頭領と奥方と飲んでいるぞ」

「おりょう姐さんもだよ!」

「……なんで二人は付き合わなかったの?」


 ドランさん達がまだ飲んでいるという事は、酒が尽きた訳では無さそうなので、黒ちゃん達が切り上げた理由がわからない。


「とーちゃんが後から出した透明な酒は、あたいの口には合わなかった!」

「うむ。親父殿は『これくらい強くないと飲んだ気がしない』とか言っていたが、どうも口当たりが刺々(とげとげ)しくてな」


 話を聞く限りでは、ドランさんが後から出した物は蒸留酒のようだ。


「強い酒を飲んだところで、どうという事は無いのだがな」

「最初のは、甘くてうまかったけどね!」


 やはり肉体の構造が人間とは違うのか、味の好みというのはあるようだが、アルコールは二人にはそれ程影響を与えないみたいだ。


「という訳で、背中流すね!」

「……じゃあ、お願いしようかな。背中だけね」


 どうやら状況的に言い逃れは出来そうにないし、乱入者に期待してドサクサ紛れに脱出というのも出来そうに無いので、俺は諦めた。


「そんな……俺には何もさせてくれないというのか?」

「なんで白ちゃんは死にそうな顔してるの!?」

「それじゃ洗うよー♪」


 死刑宣告されたみたいな顔をしている白ちゃんとは対象的な、明るい黒ちゃんの声が聞こえてきて、押し付けられていた身体が離れると、俺が持っていた手拭いが奪われた。


「こんな感じでいーい?」

「うん。凄く上手だよ」

「えへへー。よーし!」

「……あんまり張り切らないでいいからね?」


 意外な事に、力任せかと思っていた黒ちゃんの背中の洗い加減は絶妙だった。自分では洗い難い肩甲骨の内側なんかを、丁寧に擦ってくれる。


「く、黒、俺も……」

「御主人、終わったよ!」


 白ちゃんの絞り出すような言葉は、無情にも黒ちゃんの終了宣言に遮られた。


「黒ちゃん、ありがとう。凄く綺麗に洗ってくれたのがわかったよ」

「ほんと!? えへへー♪」

「……」


 笑いながら黒ちゃんが湯を掛けて、石鹸の泡を流してくれた。白ちゃんの方はどんよりと落ち込んだ表情で、黙って立ち尽くしている。


(困ったな。でも、白ちゃんにも背中を流して、って言うのもなぁ……だからって、前は無しだ)


「御主人、頭洗ってくれる?」

「いいけど、自分で洗えないの?」


 背中側から俺の隣に移動した黒ちゃんが、腰を下ろしながら言った。大きな双丘がプルンと揺れるのが目に入る。


「なんかね、ぎゅーって目を閉じて洗ってると、だんだんどこを洗ってるのかわかんなくなっちゃうんだ。だから、いつもは白に手伝って貰ってるんだけど……ダメ?」

「いいよ」

「やったー!」


 満面の笑顔でバンザイした黒ちゃんは、俺に向かって頭を下げた。


「流すよ?」

「うん!」


(非実体(エーテル)化すれば洗わなくてもいいんだろうけど、ま、いいか)


 桶からお湯を流して馴染ませてから、俺は石鹸を泡立てて黒ちゃんの髪の毛を洗った。


「流すよ?」

「うん!」

「……もう一回かな? まだ目を閉じててね」

「うん!」


 石鹸が目に染みたりするのかという疑問もあるのだが、俺はきつく目を閉じている黒ちゃんの髪の毛の泡が無くなるまで流した。


「……」


 そんな俺達を、白ちゃんが呆然とした表情で立ち尽くして見つめている。


「えっと……黒ちゃん、お酢を髪の毛に馴染ませて流すのは、一人で出来るかな?」

「おう!」

「そっか。じゃあ白ちゃん、おいで」

「えっ!?」


 俺に呼ばれると思っていなかったのか、白ちゃんは驚いた声を上げたが、その場に立ち尽くして動かない。


「頭洗ってあげるから、おいで?」

「……か、かたじけない」


 まるで武人のような返事に思わず笑いそうになったが、なんとか堪えていると、黒ちゃんとは反対側の隣に白ちゃんが歩み寄った。丁度目の高さになった引き締まったウェストと、切れ長の綺麗なおへそが目に入る。


「……」


 ちょこんと腰を下ろした白ちゃんが、無言で俺の方に頭を下げる。


(白ちゃんって大人っぽいけど、こういうところは黒ちゃんと同じで小さい子みたいだな。人間のする事に慣れてないだけかもしれないけど)


「御主人、お酢馴染ませて、流したよ!」


 白ちゃんの後頭部を眺めながら少し考え込んでいたら、黒ちゃんから声が掛かった。


「身体は自分で洗える?」

「おう! あ、でも、背中流してくれる?」

「いいよ。じゃあ自分で出来るとこまで洗っといて」

「おう!」


 良い返事をした黒ちゃんは、手拭いと石鹸で身体を洗い始めた。


「白ちゃん、流すよ?」

「う、うむ……」


 なんか物凄い緊張感が白ちゃんから伝わってくるが、あまり気にしない方が良さそうなので、俺は平常心で桶の湯で髪の毛を流した。


(妹とかがいたら、こういう風に風呂で世話してあげたりする事もあったのかな……)


 黒ちゃんも白ちゃんも、たまに見せる幼い仕草や表情以外は女性らしい容姿なのに、不思議とエッチな方向には考えが及ばない。


「ん……」


 微かに声を漏らした白ちゃんの髪の毛は、三つ編みを解くとかなりの長さなので、根元から先端まで洗うのは中々大変だ。


「流すから、まだ目を開けないでね」

「承知した……」


 黒ちゃんの前例があるので、連続してお湯を掛けると、俺の見た目では三回目で泡が全部流れた。


「はい、出来たよ」

「あ、ありがとう……」


 なんで洗髪でと思うが、白ちゃんは恥じらう乙女のような表情で、もじもじしながら俺に視線を送ってくる。


(……鵺とかの妖怪の風習で、髪の毛を洗うのがプロポーズ、って事は無いよね?)


 存在を固定させた主人の俺に、黒ちゃんと白ちゃんが好意を寄せてくれているのは自覚しているが、これ程までに慕われる理由には思い当たらない。


「それじゃ白ちゃんも、お酢を髪の毛に馴染ませてね。その後は身体洗って」

「はい……」


 いつもの凛とした雰囲気は全く感じさせずに、白ちゃんは俺の言う事に従って髪の毛の手入れを始める。


「御主人、背中流してー!」

「はいはい。ちょっと待っててね」


 かなり豪快に石鹸を使ったらしい黒ちゃんが、泡まみれで俺を呼ぶ。


「痛かったら言ってね?」

「おう!」


 手拭いで、黒ちゃんの滑らかな背中を洗うが、汚れが落ちているのか、ただ泡立っているだけなのかは見た目ではわからない。


「はい、終わったよ。流したら湯船に浸かっておいで」

「おう!」


 石鹸の使い方と同じで、豪快に桶に汲んだ湯を被ってから、羞恥心ゼロで立ち上がった黒ちゃんは、バタバタと湯船へ駆け出した。


「あ、黒ちゃん。危ないから、お風呂では走っちゃダメだよ! それと、飛び込んだりするのもダメだからね?」

「ご、ごめんなさい!」


 ちゃんと俺の言う事を聞いた黒ちゃんは、走るのをやめて歩いて湯船まで行き、脚から浸かった。


「あ、主殿、自分で洗える範囲は、洗った……」


 上目遣いの、妙に期待の籠もった視線を白ちゃんが向けてくる。


「痛かったら言ってね?」

「……痛くしても、いいぞ?」

「うん。何言ってるのか、わからないから」


 白ちゃんが何を期待しているのかは俺にはさっぱりわからないので、あくまでも丁寧にではあるが、作業的に背中を洗う。


「はい、終わったよ。白ちゃんも、湯船に浸かっておいで」

「かたじけない。主殿の手を煩わせてしまって……」

「あはは。何言ってんの。こんなの、いつでもしてあげるよ」

「誠か!?」

「本当に!?」


(……しまった、か?)


「今日みたいに、他に誰もいない時なら、ね」

「おう! あたい達だけの方が、あたいも嬉しい!」

「俺と黒と、御主人だけ……ふふ……くふふふふふ……」

「白ちゃん、なんか怖いから……」


 妙に足取りが軽くなった白ちゃんが、笑い声を漏らしながら湯船へと歩いていく。笑顔だが、何か凄い悪企みをしているように見える。


「……やっと自分の身体を洗える」


 身体を洗って頭、という風に、普段は流れ作業的に入浴を済ましているので、ここまで滞るとは思わなかった。既に面倒になりつつあるが、洗い残しの無いように気をつける。


「……ふぅ」


 頭を洗って酢を馴染ませて流し、やっと一息つけた。


「ごしゅじーん! はやくおいでよー!」

「ま、待っているぞ?」

「あー……わかったよ」


 背中を流してもらうという約束は果たしたし、スルーして出てしまおうかという考えも一瞬頭を(よぎ)ったが、なんとなく二人に対して意地悪っぽい気がしたので、絞った手拭いで前を隠して湯船へ歩いた。


「はやくぅー! こっちこっちー!」

「黒ちゃん、引っ張ったら危ないから……」

「あ、ごめんなさい!」


 強引に俺の事を湯船に引き摺り込もうとしていた黒ちゃんだったが、少し注意したらあっさり引き下がった。


(何度か行動と言動を咎めたら、黒ちゃんは本当に聞き分けが良くなったなぁ)


 そんな事を考えているうちに、俺は黒ちゃんと白ちゃんに挟まれたポジションで、湯船の中に腰を下ろした。


「えへへー♪」

「……」


 笑顔の黒ちゃんと、恥じらった表情の白ちゃんが、左右から俺に腕を絡めてくる。当然ながら服を着ていないので、ダイレクトに胸が押し付けられる。


(こ、これは! 平常心、平常心……)


 エチケットとして、湯船に手拭いは浸けられないので頭に載せた俺は、両腕を封じられて隠す事の出来ない部分が、二人の身体の柔らかな感触に反応しないように、自己暗示を掛けるしか出来ない。


「ずーっと、御主人とこうやっていられたらいいなぁ」

「ずっとお風呂?」

「それもいいけど、出来る限り一緒にいたいな!」

「それは、俺もだ……」


 二人が俺に絡めてくる腕に、少し力が入った。


「二人共、俺が旅に出るって言ったら、どうする?」

「どうって、一緒に行くに決まってるよ?」

「そこに留まっていろという命令でなければ、聞かないぞ」


 二人は同時に俺の顔を覗き込んで、「どうしてそんな、わかりきった事を訊くんだ?」とでも言うように、不思議そうにしている。


「江戸の街の生活や、ドランさんやおりょうさんや頼華ちゃんなんかの、知り合った人達との生活には未練は無いの?」

「おいしい物がいっぱい食べられる、街の生活も嫌いじゃないけど、あたいは御主人がいればそれでいい!」

「親父殿や、おりょうや頼華は良い奴らだが……主殿と比べるのは無理だ」


 黒ちゃんと白ちゃんの表情や言葉からは、迷いや躊躇いは微塵も感じられなかった。


(本当にこの二人は、死ぬまで……いや、死んでも俺を逃してくれそうも無いな)


 改めてその考えに至って、思わず苦笑してしまうが、そういう連れ合いが出来たという事が、俺には無性に嬉しく感じられた。


「そっか……あのね、もう少ししたら、旅に出ようかと思ってるんだ」

「どこに?」

「もう、江戸には戻ってこないのか?」


 二人からの疑問は、不安とかそういう類では無く、単純に行き先が気になっているだけのようだ。


「目的地は無いんだけど、そうだな……とりあえずは南の方かな。また江戸にも鎌倉にも来たいけど、決めてないんだ」


 関西経由で九州を目指して、その先はノープランだ。なんで九州なのかというのにも、特に理由は無い。


「道中の主殿の安全は、俺達が護る。何処へ也と、好きに進むと良い」

「おう! 旅先でも、おいしい物が食べられるといいな!」

「二人共……」


(未知への不安とか、この二人には無いんだろうなぁ……確かに黒ちゃんと白ちゃんがいれば、滅多な事にはならないと思うけどね)


 胸のつかえ、という程の物でも無いが、計画を打ち明けて黒ちゃんと白ちゃんからの同意を得て、俺はどういうルートで南下するのかを考え始め……その前に、色々と落ち着くために、風呂から上がろうと思った。



「黒ちゃんと白ちゃんは都にいたんだっけ?」

「おう! なんでかわかんないけど、東三条院ってところから出現してた!」

「しゅ、出現!?」


 東三条院という場所は良く知らないが、そこに棲んでいたとかじゃなくて、出現ポイントだったらしい。


「そうだ。何故なのかは俺達にもわからんのだが……主殿、界渡りには、俺達が行った事のある場所以外に、いくつかの目印になっている場所があると説明したのを覚えているか?」

「うん。覚えてるけど」


 目印の話は覚えているのだが、具体的にどういったところなのかは聞いていなかった。


「東三条院の森の中は、元々俺達が棲んでいた世界からの出入り口の一つで、特に条件が無くても使用出来るのだ」

「という事は、条件付きで使用できる出入り口っていうのもあるの?」


 ちょっと脱線してしまうかとも思ったが、重要そうに感じたので白ちゃんに質問してみた。


「あるぞ。瘴気や魔力のような物が、ある程度集まったら使用出来る場所、儀式などを行って、意図的に出入り口を開いたり出来る場所などだ」


 東三条院の森という場所は、そういう制限無しで使えるらしい。


((エーテル)が集まり易い土地というのがあるんだな。でも、瘴気とか言ってたから、普通の人間には良くない性質かも)


「あたい達は、非実体(エーテル)化して元の世界へ行くのは制限無し。だけど、こっちの世界へ顕現出来るのは行った事のある場所と、土地の鎮守になっているような大きな寺社。人里離れた山の中とかにもあるけどね」


 黒ちゃんや白ちゃんの移動速度を考えると、山の中とかでも関係無いのかもしれないけど、寺社とかに比べるとあまり実用性は無さそうだ。


(大きな寺社って、風水なんかで考えた土地に建てられている場合もあるから、さっきの(エーテル)が集まり易いっていうのと同じ意味なのかもしれないな)


 霊脈やレイラインなどと、同じ考え方の場所が界渡りの目印になるポイントなのかと推察出来る。


「あとはー、御主人のいる場所だよ♪」


 説明してくれた黒ちゃんは、笑顔で俺に抱きついて頬を擦り付けてくる。


「む……あ、主殿、俺も、その……黒みたいにしても……いいか?」

「……え?」

「そ、そんなに嫌なのか!?」

「あ、いや、そうじゃなくて……」


 黒ちゃんみたいに唐突にやられると、拒否する間も無かっただけなんだけど、面と向かって許可を求められて、「いいよ」と返答するのもどうなんだろう? とか思ったのだった。


(両サイドに美女と美少女を(はべ)らせるというのも、滅多に無い機会ではあるが……)


「えっと、それじゃ白ちゃん、お願いしてもいいかな?」

「な、なんなりと言ってくれ!」


 思案した結果、俺は白ちゃんにある事をお願いしたのだった。


「……これは、その、何か俺だけがいい思いをしてしまっている気がするのだが、これでいいのか、主殿?」

「うん。今日は色々あって、ちょっと疲れたからね。良い寝心地だよ」

「そ、そうか……なら、俺も嬉しいぞ」


 現在俺は、白ちゃんに膝枕されて、着物に包まれた胸越しに、薄紅に染まった顔を見上げながら話をしている。


(それにしても、俺を膝枕している白ちゃんがいい思いをしているというのが理解出来ないが……本人がそう言っているんだから、いいのかな?)


 スリムで当然のように細い白ちゃんの脚は、印象とは裏腹に柔らかく、それでいて弾力もあって、俺の頭をしっかり支えてくれている。


「あたい、なんか眠くなってきちゃった……」


 黒ちゃんは、白ちゃんに膝枕された俺の腕枕に頭を載せて寝っ転がっている。傍から見たら、母親に膝枕されて寄り添っている兄妹みたいに映るだろう。


「あはは。俺もこのまま眠っちゃいたいくらいだけど、それはさすがに白ちゃんに悪いからね」

「別に構わないのだが……ど、どうせなら俺も、主殿と並んで眠りたい……ぞ?」


(んー……他所様の家というのは問題があるかもしれないけど、珍しく白ちゃんが積極的に甘えたがってるし、いいかな?)


「……あれ、黒ちゃん、本当に眠っちゃったのか?」

「くー……」


 目を閉じた黒ちゃんは、微かな規則正しい寝息を立てている。


「やれやれ。主殿よりも先に眠るとは、臣下の礼を欠いているな」

「いや、別に二人の事を、臣下とか思って無いんだけど……」

「お、俺達には、主殿に仕える資格が無いと!?」

「そうじゃなくて……んじゃ白ちゃんに命令。黒ちゃんは俺が運ぶから、布団を敷いてくれる?」


 また面倒な事になりそうな予感がしたので、俺は白ちゃんの望み通りに、主人としての権利を振りかざす事にした。


「承知した」


 俺が膝枕から頭を浮かすと、白ちゃんは押入れに向かった。


(俺も時々、上からな感じで注意とかしちゃってるから、ある程度は主従として立ち回るしかないのかな……)


 黒ちゃんと白ちゃんとは、身内として接したいと思っていいるのだが、俺自身の行動も、上手く行っているとは言い難い。


「主殿、布団が敷けたぞ」

「ありがとう。よ、っと……」


 腕枕していたまま頭を支え、膝の裏に腕を入れて黒ちゃんをお姫様抱っこして立ち上がった。


「……」


 黒ちゃんをお姫様抱っこしている俺を、白ちゃんがじっと見つめている。


(白ちゃんもやって欲しいのかな……訊くのが礼儀か?)


 とりあえずは黒ちゃんを布団に運んで寝かせた。


「白ちゃん、ちょっと手伝ってくれる?」

「しょ、承知した」


 別の事に意識が行っていたらしい白ちゃんは、一瞬遅れて反応して、慌てたように俺の横に来た。


「黒ちゃんを着替えさせるのは難しいから、帯と着物だけ外そうかなって」

「そうだな。では、それは俺がやろう」

「頼んだよ」


 白ちゃんが黒ちゃんの着物を脱がせている間に、俺は布団を二組敷いた。


「……なんか猫みたいだな」


 白ちゃんに着物を脱がされて襦袢姿になった黒ちゃんは、猫のように膝を折り畳んで丸まって眠っている。


「それじゃ俺達も寝ようか?」


 黒ちゃんに掛け布団を被せて、俺は自分の布団へ入る。


「あ、主殿。その……俺と並んで、眠ってくれるのでは無いのか?」

「え? 隣に布団を敷いてあるけど……もしかして、並んでって、一緒の布団で?」

「……」


 顔を真赤にしながら視線を逸した白ちゃんは、こくりと頷いた。


(ま、いいか……)


「それじゃ寝ようか。おいで」

「う、うむ……失礼する」


 衣擦れの音を立てて着物を脱いで、襦袢姿になった白ちゃんが、俺の横に寝て掛け布団を被った。


「……白ちゃん、なんで脚を絡めてくるのかな?」


 仰向けに寝ていた俺の脚に、横向きに寝た白ちゃんが、自分の脚を絡めてきた。


「っ! だ、ダメだろうか?」

「ダメって事は無いんだけど……」


 体勢的に、俺に白ちゃんが抱きつく形になるので、身動きが取れなくなるのだ。


「……」

「……このままでいいよ。おやすみ、白ちゃん」


 横を向いたら、俺の返答待ちの白ちゃんの目がウルウルしてるから、眠れない程では無いので折れた。


「おやすみ、主殿……」


 就寝の挨拶を返して、更に身を寄せてきた白ちゃんの温もりを感じながら、俺は眠りの世界へ入っていった。

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