カレーパン
「ねえねえ良太。そいつの味見はしないのかい?」
「そうですね。してみましょうか」
おりょうさんが出来上がったブランダードを見て、味見の催促をしてきた。
(見てる時には、乗り気じゃ無さそうだったのに)
牛乳で煮込んでいる時にはイマイチっぽい反応だったのだが、完成品を見て味見をしようと言ってくるおりょうさんに、内心で苦笑する。
「あ、でもその前に。これは祠にお供えしようと思ってたんでした」
フレイヤ様に約束してあるので、試食の前に祠にパンをお供えしなければならない。
「良太様。それは私が行って参りますので、残りのお料理の方を進めて下さい」
「助かります、ヘルムヴィーゲさん」
お供えの代行を、ヘルムヴィーゲが申し出てくれた。
「それじゃ、パンとブランダードと蜂蜜酒……でいいな。これをお供えしてきて下さい」
「畏まりました」
大きめの皿にスライスしたパンとブランダード、小さな酒盃に注いだ蜂蜜酒を載せたセットを作り、それを里で祀っている四つの祠の分だけ用意した。
「では、行って参ります」
「宜しくお願いします」
ヘルムヴィーゲはお供えのセットをドラウプニールに仕舞うと、一礼して厨房から出て行った。
「おりょうさんとブリュンヒルドさんの分を焼いて、俺の方も揚げましょうか」
「へるむゔぃーげさんが戻ってくる間に、やっちまおうかねぇ」
「焼き上がりが楽しみです」
おりょうさんはヘルムヴィーゲが戻ってくるまでの時間潰しという感じみたいだが、ブリュンヒルドの方は配下のワルキューレ達がパンを焼き上げているのを見ていて自分の番が待ち遠しかったらしく、期待感が表情に表れている。
「それじゃ、暫く待ってて下さいね」
おりょうさんとブリュンヒルドが仕込んで二次発酵させたパン生地が入っている型を、上下の段に分けて石窯の中に入れて蓋を閉じた。
「焼き上がりが楽しみだねぇ」
「そうですね、りょう様!」
(元々、仲が悪かった訳じゃ無いけど、おりょうさんとブリュンヒルドさんの距離が縮まってきたのかな?)
俺の婚約者であるおりょうさんと、それを承知で俺に想いを寄せてきているブリュンヒルドとは微妙な関係な筈であり、二人共美人だが東洋系と北欧系という大きく見た目も違うのに、こうしていると凄く仲が良さそうに映る。
ブリュンヒルドは無理矢理迫ってきたりはしないし、フレイヤ様に命じられた通りに俺の配下というポジションを受け入れて、おりょうさんや頼華ちゃんの指示にも従ってくれている。
その辺を見ているからか、俺がブリュンヒルドの愛馬に同乗しても、おりょうさんは特に何かを言ってきたりはしないので、色々と弁えてくれているのだと思うが、本音を言えばもう少しヤキモチを焼いてくれたりしてもいいかな、とか思っていたりする。
(おっと。熱い油を使うんだから、集中しないと)
カレーを包み込んだパンを溶き卵にくぐらせてパン粉をまぶしたので、油の中に投入する。
「うわぁ。見るからに膨らんでるねぇ」
「面白いですよね」
油を吸って温度も上がった事により、カレーを包んでいる生地の表面が色づいてがパンパンに膨らんでいるのを見て、おりょうさんが目を丸くしている。
「よ、っと」
裏返して全体に綺麗な色に揚がり、表面もカリッとしたので、菜箸で摘んで油を切って調理用のバットに置いた。
「良太。今度こそ味見だね?」
「えっと……せめてヘルムヴィーゲさんが戻るまでは待ちませんか?」
「うっ! そ、それもそうだねぇ」
(まあ、おりょうさんの気持ちもわからなくは無いけど)
昼食の直前に時間帯に、焼きたてのパンや揚げ物の香りを嗅がされているのだから、おりょうさんじゃ無くても食欲が爆発しそうになるのは当たり前だ。
これが頼華ちゃんや黒ちゃんなら、宥めるのに一苦労するところだと思うので、催促をした事を恥じているようだが、おりょうさんは相当にマシな方だと俺は思う。
「兄上っ! ぱんが焼けたのですかっ!」
「御主人っ! 御飯出来たのっ!?」
その時、もしかしたら匂いを嗅ぎつけてきたのか、それとも俺の心の声を聞きつけたのか、厨房の扉を勢い良く開けて頼華ちゃんと黒ちゃんが入ってきた。
「……頼華ちゃん、黒。少しお行儀が良くないねぇ」
「うっ! あ、姉上。申し訳ありません!」
「ね、姐さん。御免なさい!」
パン作りは俺とワルキューレ達だけで行っていると思っていたのか、苦言を呈するおりょうさんの姿を確認すると、バツの悪そうな表情になった頼華ちゃんと黒ちゃんは、バネ仕掛けのようにペコペコと頭を下げながら謝罪の言葉を口にした。
「……」
(二人がここに来たのは……そういう事か)
頼華ちゃんと黒ちゃんの後ろから、ヘルムヴィーゲが申し訳無さそうな顔をしながら厨房に入ってきた。
どうやら二人はヘルムヴィーゲが祠にお供えをしているのを見て、パンの焼き上がりを察して厨房に突入してきたようだ。
「全く。子供達のお手本になるべきなのに、困ったもんだねぇ」
「うぅ……あ、姉上、兄上。お許しを」
「姐さん、御主人、御免なさいぃ……」
自分達の行為が拙かったという事はわかっているらしく、頼華ちゃんも黒ちゃんも謝りながら涙ぐんでいる。
「まあまあ。おりょうさん、その辺で」
「あたしゃ許しても構わないけどねぇ。でも頼華ちゃん、御両親が揃って里に滞在中だってわかってるのかい?」
「そ、それは……」
礼儀に関しては頼永様も雫様も厳しい人なので、おりょうさんの言葉を聞いて頼華ちゃんの顔がさーっと青褪めて行く。
「あ、姉上。これからは心を入れ替えまして、礼儀正しく生活させて頂きますので! あ、兄上からもお執り成しをお願いします!」
すっかり萎縮してしまった頼華ちゃんの表情には、恐怖まで浮かんでいる。
「おりょうさん。礼儀に関しては俺も少し怪しいですから、これくらいで勘弁してあげましょうよ」
「うーん……良太がそう言うんなら」
「「……」」
仕方無くといった感じで俺の申し出を承諾してくれたおりょうさんを見て、頼華ちゃんと黒ちゃんが思いっきり安堵している。
「二人共、おりょうさんが赦してくれた事を忘れないでね?」
「はい!」
「おう!」
「返事はいいんだけどねぇ」
あっという間に明るい表情になって返事をする頼華ちゃんと黒ちゃんを見て、おりょうさんが苦笑する。
「さて、それじゃ味見を……と思ったけど。カレーパンは八個しか無いんだよな」
厨房には俺とおりょうさん、そしてワルキューレが六人なので、味見用のカレーパンが八個だから丁度良いと思っていたのだが、頼華ちゃんと黒ちゃんの乱入によって数が足りなくなってしまった。
「他の味見もあるんだし、あたしは良太と半分こでいいよ」
「おりょうさんが我慢をする事は……」
「いいんだよぉ」
(カレー好きなおりょうさんが……今度何か、スペシャルな物を作ってあげよう)
笑顔での申し出ではあるが、食事がカレーの時にはおかわりをするおりょうさんが遠慮をするというのは、俺からすれば異常事態に思える。
「頼華様。私の分をどうぞ♪ 宜しいですよね、良太様?」
「構いませんけど……いいんですか、ヘルムヴィーゲさん」
頼華ちゃんを歌と踊りの師と仰いでいるからか、ヘルムヴィーゲが自分の味見用のカレーパンを譲ると言い出した。
「む……貴様の申し出は有り難いが、姉上に叱られたばかりで、ぱんを作っていた者の権利を取り上げる訳には、な」
「でも……」
「気遣い感謝する。余は姉上にお譲り頂いた分を、黒と半分にして頂くとする。黒もそれで良いな?」
「お、おう?」
反省は本当にしていると思うのだが、厨房を満たすパンや料理に心を奪われていた黒ちゃんは、頼華ちゃんの言う事は話半分くらいしか聞いていなかったようだ。
「じゃあ切り分けましょうか」
「良太様。私の分も半分に切って頂けますか?」
「ブリュンヒルドさんの分もですか? それは構いませんけど」
味見で丸ごと一個食べても良いのに、何故かブリュンヒルドが半分に切ってくれと言い出した。
「お作りになった良太様が半分だけなどとは、良くありません。その分、私のをお食べ下さい」
「いや、俺はそこまでは……」
カレーパンの味見はしたいと思っていたが、本当に味が見られればくらいしか考えていなかったので、別に丸ごと一個食べられなくても構わなかったのだ。
「良太様。でしたら私のも半分に」
「「「私も」」」
「えーっと……」
(これはあれだよな。最後に『どうぞどうぞ』ってオチの奴じゃ無いんだよな?)
リーダーであるブリュンヒルドの半分譲るというのを、結局ワルキューレの全員が言い出してしまった。
「なら、全部を半分に切りますから、それを一人一個ずつ味見して、残りは適当に食べるって事にしましょう」
こうしておけば最低でも全員が半個分の味見を出来るし、頼華ちゃんや黒ちゃんが少しくらい多く食べたとしても、おりょうさんも何も言わないだろう。
「兄上。父上と母上、それと夕霧に持っていっても良いでしょうか?」
「ああ、それはいいね」
数が足りないので考えていなかったが、頼永様も雫様もカレー好きだ。
「良太様。正恒様の元にもお持ちして宜しいでしょうか?」
「構いませんよ」
「それじゃあたいは、とーちゃんとブルムのおっちゃんに」
「いいよ」
俺が許可を出すと、頼華ちゃん、ロスヴァイセ、黒ちゃんは、自分の分以外に名前を上げた人の分をひょいひょいと手に取った。
「では行って参ります! 兄上達は味見をしていて下さい!」
「いってきまーす!」
「行って参ります」
慌ただしく、三人が厨房から出て行った。
「今度こそ、味見をしましょうか」
「そうだねぇ」
「とりあえず、飲み物はこれで」
味見なので昼食用のスープは飲めないから、今日も大量に煮出してあるカモミールのお茶を各自に注いだ。
「そいじゃ……こいつは、この間の付けて食べるのとも違って、カリッとした歯応えがあっていいもんだねぇ」
「今みたいな揚げたてもいいですけど、これは冷めてもおいしいですよ」
時間が経過すると油を吸ってしまうのだが、生地の方に味も染み渡るので、カレーパンは冷めても旨いと思う。
「はぁぁぁ……カレーという料理は、どういう形にしてもおいしいものですねぇ。無論ですが、良太様がお作りになったからなのですが!」
「ははは……おいしかったのなら、何よりです」
料理を褒められるのは嬉しいのだが、ブリュンヒルドの反応は熱烈過ぎてちょっと引いてしまう。
「次はライ麦のパンを……うん。昨日、大坂で食べた物よりも柔らかく焼き上がりましたね」
型に入れずに焼いたライ麦パンをスライスして、千切って口に入れてみたのだが、密度と歯応えはあるが小麦をブレンドしたのと酵母のお陰で、大坂の店で食べたパンと比べると柔らかく、酸味も穏やかだ。
「お次はブランダードを付けて……もう少しにんにくを入れても良かったかもしれないけど、悪くないな」
量が少なかったからか、口に入れると軽く香るくらいでにんにくの味は主張して来ないが、全体としては鱈とじゃが芋と生クリームで味が纏まっている感じになっている。
「へぇ。くりーむも入れてたし、もっと外国風な味にになるのかとおもってたけど、意外にそういう感じにはなっていないんだねぇ。これなら飯のおかずにもなりそうだよ」
「鱈の出汁っぽい風味が、なんとなく懐かしい感じの味にしてくれてますね」
おりょうさんが言うように、ブランダードはフランス料理なのに和の感じが風味に出ている。
恐らくは戻した棒鱈の出汁の味が、生クリームを使っているのに和の感じを醸し出しているのだろう。
「これは……干し魚に芋の組み合わせなど、平凡な味になってしまいそうなのに。良太様の手は魔法の手ですか!?」
「なんでそんな事に……」
ブランダードが相当に好みの味だったのか、ブリュンヒルドがとんでもない事を言い出した。
「これは俺が元居た世界に実際にある料理を、作ってみただけですよ」
「良太様のいらっしゃった世界では、こういう料理は多かったのですか?」
好奇心旺盛なヘルムヴィーゲが、一口齧った跡のあるブランダード載せのライ麦パンを指差しながら訊いてきた。
「んー。それは元の世界のフランスっていう国の料理ですけど、ポルトガルっていう国にも干した鱈の料理は多いって聞いていますね。勿論、日本にもありますけど」
大きく分けて太平洋と大西洋に棲息している二種類に分類される鱈は、世界中で食べられていて料理の種類も多い。
今日作ったブランダードはフランス料理だし、ポルトガルにも数多い干鱈を使った料理があり、日本にも京都に芋棒という料理がある。
「まあ! それは是非とも、食べてみたいですね!」
「棒鱈と炊き合わせる芋類が秋に出回るようになるので、それまで待ってて下さい」
「ああ、待ち遠しいです!」
「ははは……」
(俺は嫌いじゃないけど、芋棒にそんなに期待されてもなぁ……)
芋棒はあくまでも京の家庭料理であって、素朴でホッとする味ではあるが、果たしてヘルムヴィーゲを感動させられる程かどうかはわからない。
(確か干鱈のコロッケなんてのも、あるんだったっけ? 今度作ってみてもいいな)
干鱈を戻して解して潰したじゃが芋と混ぜて具にして、衣をつけて揚げたコロッケはポルトガルではポピュラーな料理だ。
ブランダードが思いの外、日本人である俺やおりょうさんの口に馴染んだのだから、ほぼ同じ物に衣をつけて揚げたコロッケは、きっとおいしい筈だ。
里芋や海老芋が出回る季節になる前に、ヘルムヴィーゲの口に合いそうな洋食のコロッケを作ってみるのも良いだろう。
「兄上! 戻りました!」
「御主人、ただいまっ!」
「良太様、お待たせ致しました」
「お届けお疲れ様。はい、味見をどうぞ」
味見用を届けて戻ってきた三人を労ってから、カレーパンの載った皿を差し出した。
「「「頂きますっ!」」」
ここまでお預けの上、カレーパンを持って届けてきた三人の中では相当に期待感が高まっていたみたいであり、辛うじて食べる前の言葉を口にはしたが、勢い良く手を伸ばすと待ちきれないと言わんばかりにかぶりついた。
「おおー! 流石は兄上に手製! 向こうの市販品も良く出来ておりましたが、さすがに役者が違います!」
「表面カリカリで熱々でうまー! 手で持って食べられるのもいいね!」
「……」
「ロスヴァイセさん、おいしくなかったですか?」
頼華ちゃんと黒ちゃんが大喜びで食べ終わっている横で、ロスヴァイセだけは一口食べて動きを停めていた。
「っ!? い、いえ、決してそうのような。大変おいしく頂いております! 先日頂いた薄焼きパンを添えたカレーとは、似て非なる物だと考えておりました」
「ああ。焼いたのと揚げたのでは、大分印象が違うでしょうね」
同じ素材でも調理法で味も印象も相当に変わるので、ロスヴァイセはその辺に驚いていたようだ。
「良太様。こういう揚げたパンというのは、他にも種類があるのでしょうか?」
「ありますよ。ドーナツとか」
「ドーナツ? それはどのような?」
また聞き慣れない単語が出てきたので、ロスヴァイセが食いついてきた。
「小麦粉に砂糖と卵と重曹を入れて練って油で揚げた、料理と言うよりはお菓子ですね」
「それはおいしそうですね!」
極端にお菓子好きでは無いと思うが、ドーナツの説明を聞いてロスヴァイセの瞳が輝いた。
「おお! 兄上、どーなつも是非食べたいです!」
「うーん……偶にならかなぁ」
ドーナツを食べた経験のある頼華ちゃんも食いついてきた。
「偶にとは、何故ですか?」
「あれは砂糖を多く使うから、ね」
「あー……」
重曹があるので作るのは容易なのだが、ドーナツには生地にも出来上がってからまぶすのにも砂糖を使う。
砂糖は元の世界から大量に買い込んできているのだが、それでも頻繁に菓子類を作っていればあっという間に無くなってしまう。
砂糖が貴重品だというのは承知してくれているので、頼華ちゃんは残念そうにしながらも納得もしてくれている。
「でもまあ、蜂蜜もあるし、近い内に一度作ろうか」
生地に砂糖の代わりに蜂蜜を使えば、節約にもなるし風味の良いドーナツが出来るだろう。
里で製粉した粉と蜂蜜を使い、子供達に生地を色々な形に作らせてから揚げれば、楽しい思い出になるだろう。
「……まだ時間はありますよね?」
多少の問題はあったのだが、想定していたよりも朝からの風車やベッドの設置に時間が掛からなかったので、まだ昼食までは余裕がある。
「こんだけ作ったのに、まだなんか作るのかい?」
今日は普段の昼食と比べて格段に手間が掛かっているので、おりょうさんが呆れている。
「頼華ちゃんにドーナツの事を言われて、少しお菓子っぽくなるようなパンの付け合せをと考えたんですよ」
「おお! 兄上、何をお作りに!?」
「御主人! それって旨い!?」
お菓子っぽいと聞いた途端に、頼華ちゃんと黒ちゃんが瞳を輝かせた。




