にっこにっこ……
「良太様っ♪ 帰りは私と御一緒しましょう♪」
「えーっと……」
「ヘルムヴィーゲぇっ!」
「?」
大坂に到着して、歩きながら歌わされた時からずっとテンション高めのヘルムヴィーゲが、里への帰りの同乗の相手に、俺を指名して来た。
当然ながらブリュンヒルドが激昂しているが、そういう方面に鈍いのかそれとも天然なのか、ヘルムヴィーゲはどうして自分が怒鳴りつけられたのかが、わかっていない様子だ。
「りょ、良太様は当然、私とですね……」
「どうしてですかぁ?」
「ど、どうしてって……」
(ヘルムヴィーゲさんは……天然か)
ヘルムヴィーゲは命令された事には素直に従うが、今回の場合は明確な言い方をブリュンヒルドがしていないので、純粋に疑問に思っているだけなのだろう。
全く悪意の感じられないヘルムヴィーゲに対して、ブリュンヒルドは強気に出られないでいる。
「私は、良太様にお歌をいっぱい教えて頂きたいのです♪」
「俺は構わないんですけどね」
「うぅ。で、でもですね……」
黒ちゃんから、帰りはヘルムヴィーゲと同乗はしたくないと言われているので、俺と乗り替わりになるのは別に問題は無い。
「まあまあ、ブリュンヒルドさん。ほんの短い時間だけの事じゃありませんか」
「そうは仰っしゃりますが、せっかくの良太様との幸せなひと時を……」
「ぶりゅんひるど。兄上が良いと仰っているのだ。言う通りに致せ」
「は、はっ……」
少し抵抗の構えを見せたブリュンヒルドだったが、頼華ちゃんに言われるとあっさりと引き下がった。
俺に想いを寄せてくれているとは言っても、ブリュンヒルドは俺と頼華ちゃんとおりょうさんの関係、そして自分のポジションを認めたくは無いが、ちゃんと弁えているのだろう。
「そいじゃあたしが、ブリュンヒルドさんの世話になろうかねぇ」
「はっ……」
何か言い聞かせるつもりなのか、俺と黒ちゃんの乗り替わりでは無くブリュンヒルドのグラーネには、おりょうさんが乗るらしい。
「それでは……来なさい、グラーネ!」
話が纏まったところで、ブリュンヒルドを始めとするワルキューレ達は、各々の愛馬を喚び出した。
「良太様っ♪」
「なんですか!」
林の中からワルキューレ達の愛馬で空に駆け出して直ぐに、ヘルムヴィーゲが満面の笑顔で話し掛けてきた。
「最初に聞かせて下さった歌も、お食事の時の歌も素晴らしかったですが、もっともっと色々と教えて下さい♪」
「構わないんですけど、俺が知っているのは歌はこっちの世界では、相当に異端だと思いますよ?」
多分だがこっちの世界には、まだジャズもロックも無いと思うので、俺が知っている現代の音楽は斬新過ぎて、殆どの人には受け入れるのが難しいだろう。
「それでも構いません。是非是非お教え下さい♪」
「わかりました。けど、どういう歌がいいのかな……」
俺が知っているのは基本的にアニメなどの主題歌や、元の世界で流行していた歌謡曲程度だ。
クラッシックやロックなどと比べると、アニソンも歌謡曲も音楽ジャンルとしての統一感が無いので、ヘルムヴィーゲに漠然と歌をと言われても困ってしまうのだった。
「それではですねぇ、良ければなのですけど、男性から女性に愛を語るような歌を教えて下さい♪」
「あ、愛ですか……となると、あの辺かな」
アニメの主題歌や歌謡曲は、恋愛を題材にしていない方が珍しいくらいなのだが、それを他者、それもヘルムヴィーゲのような綺麗な女性、しかも恋仲では無い相手に対して歌うのは、少しでは無くかなり気が引ける。
「……笑顔も涙も――」
だがここはヘルムヴィーゲの要望に従って割り切る事にして、俺は数年前に放映されたロボットアニメのオープニング曲を歌い出した。
特に意図した訳では無いのだが、昼食の時に歌った作品と同じくこのオープニング曲の作品も、宇宙からの侵略者と戦う内容が題材になっている。
(しかし、キーが高いな……)
以前にカラオケで何度か歌った事はあったのだが、自分の本来の声とは違ってかなりキーが高い。
外套の効果で周囲からは見えないと思うが、同乗しているヘルムヴィーゲには、俺がかなり無理をして声を出している様に見えるだろう。
「――いつか、君を照らすよ」
「……」
「あの、ヘルムヴィーゲさん? これで終わりですけど」
良かったのか悪かったのか、何れにしてもヘルムヴィーゲからは全く反応が無い。
「……す」
「す?」
「素晴らしかっったです!」
「わっ!?」
俯いていたヘルムヴィーゲが突然顔を上げたので、少し仰け反ってしまった。
「ああ、なんて感動的な……『全て、君に出会う為の理由だった』なんて、自分に向かって言われたら、身も心も任せてしまいそうですわ! あ、勿論ですが先程の良太様の歌が、私に向けられていないのは承知しておりますので♪」
「は、はぁ……」
俺の歌はそれなりにヘルムヴィーゲの心に響いたのか、感想を一方的に捲し立てられた。
しかし、闇雲にハイテンションになっている訳では無く、ヘルムヴィーゲは歌詞を分析出来るくらいの冷静さは保っているようだ。
「良太様っ! もっとお願いしますっ!」
「うーん……」
「だ、駄目なのですか!? もしや私の良太様への貢献度が足りないから……」
「いやいやいや。と言うか、俺への貢献度ってなんですか?」
シミュレーションゲームじゃあるまいし、俺にはそんなパラメータは存在しない。
「俺が教えられるのって、基本的には男性の歌い手の物なので、ヘルムヴィーゲさんにはどうなのかなって思ったんですよ」
「そ、そういう事でございますか。確かに、良太様の歌声は素晴らしいですが、女の私の声とは違いますわね」
「素晴らしいって……」
(音痴では無いと思ってるけど、素晴らしいとか言われる程はなぁ……)
音楽の授業でもカラオケの採点機能でも、ヘルムヴィーゲが言ってくれているような高評価を受けた事は無いので、嬉しい反面少し言葉を疑ってしまう。
「おりょうさんと頼華ちゃんも、色々と俺の世界の歌を覚えてきているので、二人に教えて貰えばいいんじゃないですか?」
「まあ! なんて素晴らしいお言葉! 良太様のお言葉は、私にとっては神託に等しいですわ!」
「そんな大袈裟な……」
実際に神様に仕えているヘルムヴィーゲが、こんな事を言ってしまっていいのだろうかと疑問に思ってしまう。
「でも、それはそれと致しまして。まだ里に到着するまでは少しありますから、もっと良太様のお歌をお聞かせ下さい♪」
「えぇ……まあ、いいですけど」
「この子、マーニファクシは頭が良いので、特に指示を与えなくても里までまっしぐらですから♪」
「マーニファクシっていう名前なんですね」
ヘルムヴィーゲの愛馬はマーニファクシという名前らしいが、ヴァルトラウテのアルファクシとオルトリンデのヤールンファルシに名前が似ているので、兄弟か姉妹なのかもしれない。
「マーニファクシ。挨拶が遅れたけど、宜しくな」
驚かさないように軽くだが、ヘルムヴィーゲの愛馬のマーニファクシの首を撫でながら挨拶をした。
ヒヒィン……
かなりの風切り音がする中での移動中だが、マーニファクシには俺の声が聞こえたのか、返事をするように小さく嘶いた。
「マーニファクシにまで、御丁寧に有難うございます♪ それでは良太様、お歌をお願いします♪」
「わかりました。髪をほどいた――」
今度は月曜の九時の定番ドラマ枠の主題歌である、スローテンポの曲をセレクトした。
(さっきのヘルムヴィーゲさんのリクエストの時に、こっちにすれば良かったな)
こっちの曲は伸びやかに歌わなければならないので息継ぎが難しいのだが、さっきの曲程は俺の地声とキーが離れていないので、無理して声を絞り出す感じにはならないのだ。
「ああ、夢のようなひと時でしたわ……」
「そ、そうですか……」
(照れるなぁ……)
結局、里の近くに着陸するまでの間に、ヘルムヴィーゲのリクエストで十曲程を歌わされた。
現在はワルキューレ達の愛馬を労ってから送喚して、里に向けて歩いている最中だ。
(まあ俺の方も、退屈しのぎにはなったけど)
空中からの展望は中々素晴らしくはあるのだが、行きと比べてそれ程の変化は無いので、帰りは感動も大分薄れていた。
そんなところにヘルムヴィーゲからの歌のリクエストが来て、しかも風切り音のお陰で少しくらい声を張り上げても周囲に迷惑は掛からないので、ストレス……は特に無いから解消は出来なかったが、気分転換にはもってこいだった。
「くっ……」
両頬に手を当てて幸せいっぱいという感じのヘルムヴィーゲを見て、ブリュンヒルドが歯噛みしている。
「お、おりょうさん、頼華ちゃん」
「なんだい?」
「なんでしょう?」
ブリュンヒルドに掛ける慰めの言葉が思い浮かばなかったので、とりあえず俺はおりょうさんと頼華ちゃんに歩み寄った。
「ヘルムヴィーゲさんが、おりょうさんと頼華ちゃんに歌を教わりたいと言うので」
「あ、あたしからかい?」
「ええ。ほら、俺じゃ女性歌手の歌を教えるのは厳しいので」
「あー……あんまり上手く無くても良けりゃだけどねぇ」
(あれだけ歌えるのになぁ……)
俺からするとおりょうさんは、歌唱力も声量も凄いという認識なのだが、本人はあまり人前で歌う事は好んでいない。
向こうの世界でもカラオケに誘ったのだが、結局はおりょうさんの気が進まないというのが主な理由で行かなかったのだ。
今日は俺のピンチを見て取ってデュエットを申し出てくれたのだと思うが、おりょうさんにしてはかなり珍しい事だと言える。
「そんな、りょう様。御謙遜をなさらなくても」
「別に謙遜はしちゃいないんだけどねぇ……」
昼食の場でおりょうさんが歌うのを聴いていたので、ヘルムヴィーゲは謙遜しているだけだと感じているようだ。
(歌が上手いとか下手とか以前の、おりょうさんの慎ましさだろうな)
おりょうさんはきっぱりとした物言いをする事もあるが、基本的には古風な気質の女性らしく、変にでしゃばった態度を取らない。
請われれば披露をしてくれる事があっても、おりょうさんから積極的に歌おうとかは、生来の性格的に出来ないのだろう。
「頼華様も、是非ともお願いします♪」
「うむ。それは構わんが……」
何故かはわからないが、頼華ちゃんはヘルムヴィーゲと、周囲を歩く他のワルキューレ達を見回している。
「どうかされましたか?」
「兄上に教わって色々と歌を覚えてきたのだがな。その中には女子が二人組や三人組、それどころか七人や九人、終いには数十人で歌って踊るような曲もあってな」
「まあ!」
(……なんか嫌な予感がするな)
頼華ちゃんが言う女子の数十人組とは、合唱みたいな物の事を言っているのでは無いのだろう。
何時の頃からか大人数によるアイドルグループというのが流行現象になり、漫画やアニメなどでも題材として取り上げられるようになった。
当然ながらリリースされる楽曲も数多く、その内の幾つかを頼華ちゃんが振り付きで俺に披露してくれた事が何度かあった。
「貴様らと同じ戦乙女とかいうぐるーぷもおったが」
「まあ! 良太様の世界でも、我等の仲間が活動を?」
「そうでは無く、架空の作品に登場していただけだ」
(あれの話か)
頼華ちゃんが言っているのは、歌とロボットが主題のとあるアニメ作品に登場する、女性だけの戦闘集団の事だ。
「丁度良い具合に貴様らは九人だから、別の作品の楽曲を教えてやろう」
「丁度良いって、も、もしかして……」
女性九人のグループで主題歌と聞き、俺は頼華ちゃんが観ていた、廃校になりそうな学校を救う為に、アイドル活動をして新入生を増やそうと奮闘するアニメ作品の事を思い出した。
「よし。それでは後で余が、貴様らに歌と一緒に踊りも教えてやろう」
「まあ! それはなんて素晴らしいのでしょう!」
「えー……」
どうやら頼華ちゃんはワルキューレ達に、アイドルアニメの歌を振り付きで教えるらしい。
「本当は金髪は一人だけなのだが、他は髪型を変える事でなんとかしよう」
「そこまでする必要があるの!?」
なんか頼華ちゃんがとんでもない事を言いだした。
「兄上。こういう事は髪型とか衣装とか、形から入るのも重要ですよ?」
「衣装まで!?」
「無論ですが何か?」
頼華ちゃんは平然と言い切った。
「へるむゔぃーげは、そうだな……後で余が直々に髪の毛を結ってやるので、歌と踊りの前にこれを覚えろ」
「はいっ!」
(なんか嫌な予感が……)
頼華ちゃんの形から入るという言葉と、歌と踊りの前に髪を結って覚える事というのが凄く気になる。
「へるむゔぃーげは少し背が高いが、そこは目を瞑ろう。こう、頭の横で手を構えてだな、にっこにっこ……」
「頼華ちゃん、それ以上いけない」
頼華ちゃんがアイドルアニメの登場人物の一人の、決め台詞と決めポースを実演し始めたので、慌てて制止した。
「仕方が無い。兄上程に上手く再現は出来ないと思うが、へるむゔぃーげの衣装は余が用意してやろう」
「頼華様、有難うございます!」
「ははは……」
(なんかすっかり、師弟みたいになっちゃってるな)
アイドルアニメのキャラクターのコスチュームを作ってくれと頼華ちゃんに言われたが、実用的な物以外の女性の衣類を造るのは、俺にとってはハードルが高いので勘弁して貰った。
すると頼華ちゃん自身の手でコスチュームを作ると言い出したのだが、そういう個人的な物まで止めようとは俺は思わっていない。
「でも頼華ちゃん、あんまり変な事は教えない方がいいと思うんだけど」
「変な事とは?」
「さっきの台詞とか、かな?」
形から入るのはありだと思うが、歌と振り付け以外のキャラクターの個性みたいな部分を覚える必要は無いと俺は思う。
「むぅ……生真面目なぶりゅんひるどには、髪の毛を頭の後ろで結って纏めて、『ハラショー』と言わせようと思っていたのですが」
「えーっと……」
(はまり役なのは間違い無いけど……)
アイドルグループのメンバーの中の、生徒会長をしていて生真面目であり、大人っぽい容姿と金髪の持ち主のキャラクターは、確かにブリュンヒルドのイメージと重なる部分がある。
「……無理矢理なのだけは駄目だからね?」
「心得ております!」
「なら、好きにするといいよ」
(このまま行くと、ワルキューレ全員が餌食になるんだろうなぁ……)
頼華ちゃんが無理矢理にワルキューレ達にコスプレと歌と踊りをやらせるとは思っていないが、逆に相当に理不尽な事じゃ無ければ従うだろうとも思っている。
(ワルキューレの皆さんは武術の心得があるから、キレッキレのダンスになりそうだな)
全員が人並み外れた身体能力の持ち主なので、アイドルグループのダンスなのに恐ろしく切れのある仕上がりになりそうな気がする。
「ただいまー」
「おう、良さん。おかえり」
霧の結界を抜けて里の領域に入った俺達を迎えてくれたのは、ブーメランを手にした正恒さんだった。
「あ、主人! おかえりなさい!」
「「「主人ー! おかえりなさい!」」」
「みんな、ただいま」
どうやら俺が白ちゃんに持たせたブーメランで、みんなで遊んでいる真っ最中だったようだ。
子供達は一人が俺を見つけると、揃って出迎えの言葉を掛けてくれた。
「良さん、こいつは中々面白いな。ほら、返すぞ」
「はい!}
正恒さんが手にしていたブーメランは、どうやら鉄君から借りていたらしい。
「白い姉さんから、金属で作って欲しいと言ったら良さんから駄目出しがあったって聞いてな」
「な!? ま、正恒。その事は駄目っていてくれと言ったではないか!」
他の子達と遊んでいた白ちゃんが、自分が話題になっているのを聞きつけて駆け寄ってきた。
(まだ諦めて無かったんだな)
金属で造っブーメランは白ちゃんが投げると威力があり過ぎて、戻ってきたのを掴み損ねると危ないという話をしたのだが、どうやら諦めきれていなかったようだ。
「俺は苦無とか手裏剣みたいな、投げっ放しの武器の方がいいんじゃないかって言ったんですけどね」
「良さんとか白い姉さんが使うんなら、そうだろうな」
木製のブーメランを試した正恒さんには、白ちゃんの腕力で投じた時の危険性は認識されていた。
「投げっ放しの武器なら、戦輪って言うのもあるけど」
「む? それはどういう武器なのだ?」
「これは覚えてる?」
俺はドラウプニールから、狼の風花とその眷属と遊ぶ為に造った、木製のフライングディスクを取り出した。




