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「他には何かあるかな……」

「ちょ、ちょっと良太ぁ。少し買い過ぎじゃないのかい?」


 岩牡蠣を大きな箱で二つ買い込んで、更に俺が何かを買おうとしているで、おりょうさんがブレーキを掛けてきた。


「自分でもそう思うんですけど、さっき妙な収入があったので、出来るだけ早く使っちゃいたくて」

「あー……まあ気持ちはわからなくもないから、そういう事なら良太の好きにすればいいさね」


 妙な収入というのは、形式的に吟遊詩人の男性に売った事になる歌の代金の事だ。


 俺は好きな作品のエンディング曲を歌って、その歌詞を記述しただけなので、それが収入になってしまったのがなんか心の中でモヤモヤしているのだった。


 おりょうさんは俺の気持ちを察してくれたみたいで、一度は掛けたブレーキを掛けようとしたが、苦笑しながらもリリースしてくれた。


「でも岩牡蠣って見た目はごつくて大きいですけど、可食部を考えるとこれで一人に一個くらいしか行き渡らないんですよね」

「言われてみりゃあ、そうだねぇ」


 木箱に無造作な感じに積まれている岩牡蠣だが、貝柱を切って中身を取り出してしまえば体積は激減する。


 取り出した身はそれなりの大きさだとは思うが、大人なら一口で食べられる程度であり、味は良いと思うが食事としてお腹を満たすには量が少ないのは確実だ。


「岩牡蠣は焼くか揚げるかするとして……ん? あれは、(シイラ)だな」


 遠くの漁場にまで行っていたのか、今頃の時間になって寄港した船から陸揚げされているのは、ずんぐりとした頭の形と独特の全体のフォルムからすると、(シイラ)だという事がわかった。


(シイラ)って言うのかい? あんまり聞かない名前の魚だねぇ」

「兄上、もしや(シイラ)とは、シビトクライの事ですか?」

「「シビトクライ?」」


 魚と言うよりは妖怪のような、なんとも不気味な感じ満載の名前を聞いて、俺とおりょうさんが声を重ねながら頼華ちゃんを見た。


「浦賀の海峡を挟んだ対岸の辺りではそういう風に呼ばれていると、以前にあの魚を献上してくれた漁師が言っておりました」

「そうなんだ。それにしてもシビトクライって、なんか名前の由来があるのかな?」


 頼華ちゃんが浦賀の海峡を挟んだ対岸とは、房総半島の事だろう。


「あの魚は、海を漂流している物の下に集まる性質があるそうで、波間を漂っている土左衛門の下にも集まるのがその名の由来だそうです」

「そ、そうなんだ」


 シビトクライという(シイラ)の異名は、俺が思っていた以上にストレートなネーミングだったようだ。


「しかしその漁師が言うには、人でも動物でも土左衛門になったら、シビトクライ……(シイラ)でしたか? その魚で無くても肉食ならば、食いに来るだろうとの事です」

「まあ、そうだろうね」


 どう考えたって生きている動物よりは、既に死んで動かない方が餌食になり易いのは当然だ。


 (シイラ)にとっては不名誉なネーミングかもしれないが、海上を漂流する物の下に集まる魚の中では、大型なので目立っていたのだろう。


「献上された(シイラ)は、土左衛門の下を泳いでいた物では無いと漁師が言っていました」

「そりゃあ、わざわざ死体の下を泳いでいた魚を献上はしないよね」


 縁起が悪いとか以前に死体を食べていたかもしれない魚を、漁師が源家に献上するとは思えない。


「それにしても(シイラ)ってのは、随分とでかいんだねぇ」

「そうですね」

「すっごくおっきいです!}


 船から陸揚げされている(シイラ)も、平均して一メートル前後のザイズの物が多く見える。


 お糸ちゃんは(シイラ)見ても気持ち悪がったりはしていないが、その大きな魚体に驚いている。


「頼華ちゃんは、その(シイラ)は食べたの?」

「屋敷の料理人が焼いて出してくれたのですが、ちょっと味が淡白過ぎまして……正直、おいしいとは思えませんでした」

「ああ、わかるよ」

「兄上も、お食べになった事が?」

「うん。それどころか、あれを捌かされたんだよね……」


 その時の事を思い出して、思わず苦笑が漏れた。


「あんなにでっかいんじゃ、捌くのは大変だっただろうねぇ」

「そうなんですよ。それを五匹も捌かされまして」

「「「五匹!?」」」

「大変だったんですよ……」


 驚くおりょうさんと頼華ちゃんとお糸ちゃんに、溜め息混じりに呟いた。


「友達で釣り好きの奴が居て。そいつが仲間と一緒に海に行ったら、偶々だけど群れに遭遇したらしくって」


 さっき頼華ちゃんも言っていた通りに(シイラ)は群れる習性があるので、船で沖に出て一匹釣れると次々と当たりが出るのだった。


「自分の母親は捌けないから、俺にやれって……自分で出来ない事を俺にやらせるんですよね」

「「「あー……」」」


 メートルサイズの魚を捌くという状況を想像して、おりょうさんと頼華ちゃんとお糸ちゃんは、凄く気の毒そうな顔で俺を見る。


「あ、あたしも少し大きな鯛と鰹くらいなら捌いた事があるけど、あの大きさは……もしかしたら、お糸ちゃんよりも大きいのもいるんじゃないのかい?」

「その例えはどうかと思いますけど……」


(でも、横に並べてみたい気持ちにはなるな)


 写真などで大きさの比較用に煙草の箱を置く事があるが、小さなお糸ちゃんを横に並べても、(シイラ)の大きさは伝わるだろう。


 何よりも大きな魚と並んだり抱えたりしている姿のお糸ちゃんは、想像するだけでも可愛らしい。


「頭を落として三枚に下ろすだけでも一苦労でしたよ。その後で流しを片付けるのも大変でしたけどね」

「「「あー……」」」


 三枚に下ろして残った(シイラ)の頭、中骨、内蔵、それと引いた皮だけでも、元のサイズが大きいので、一般家庭では有り得ないような量になった。


 (シイラ)を下ろす際に出た血とかと合わせて、キッチンの流しは惨劇の後だと勘違いされそうな状態になって、後始末と掃除をしながら憂鬱な気分にさせられた。


 幸いな事に俺の自宅は、ゴミはダストシュートで即時に廃棄出来るので、翌日まで収拾を待つとかはしないで済むのは救いだった。


「それだけ苦労して捌いた(シイラ)を、その日の晩に母親が料理してくれたんですけど……」

「ん? 良太のお母様なら、きっとおいしい料理にしてくれたんだろう?」

「母親も(シイラ)は初めて見る魚だったんですが、パッと見で淡白そうな身だというのは見抜いたので、乳酪(バター)をたっぷり使って焼いてくれたんですよ」

「おお! 流石は兄上の母上!」


 自分が食べた料理を思い出しているのか、頼華ちゃんが母親の調理法を少し大袈裟に褒める。


「でもね、それだけしても味気の無い料理にしかならなくてね」

「そ、そうなのですか!?」

「良太のお母様でも……」


 俺の母親の料理の腕前をかなり高く評価してくれているので、頼華ちゃんとおりょうさんの驚き方が半端じゃ無い。


(実際、相当に念入りに調理してたんだけどなぁ)


 フライパンにバターをたっぷり溶かし、焼きながら何度もスプーンで身の上から掛け直す事を繰り返していた母親を見ていたし、少し多めの塩と胡椒での濃いめの味付けで万全だと思われた。


 しかし、それだけしても(シイラ)の淡白さを旨さに変える事は叶わずに、俺の母親の腕前を持ってしても不味くは無い料理しか出来上がらなかったのだった。


「そ、それでは兄上。あれはおいしく食べられる料理法は無いという事なのですか?」

「良太のお母様でも駄目となると、難しいのかねぇ……」

「主人……」


 頼華ちゃんとおりょうさんだけでは無く、腕の中のお糸ちゃんも俺に不安そうな顔を向けてくる。


「ああ、大丈夫。あれは凄くおいしくなりますから」

「「「……へ?」」」


 ここまで(シイラ)のネガティブな部分ばかり説明したからか、おりょうさんも頼華ちゃんもお糸ちゃんも、拍子抜けしている。


「そのまま食べても、咖喱(カレー)に合わせてもおいしい料理になりますよ」

「そ、そうなのかい?」


 前置きが良くなかったからか、おりょうさんが確認をしてきた。


「ええ。それに、あの大きさですから、里の全員にも十分に行き渡るだけの量になります」

「ああ、そりゃそうだねぇ」


 (シイラ)を三枚に下ろした半身だけでも数十センチの長さであり、重量にしてもキロ単位だ。


 俺が考えている料理は切り身にして使うので、(シイラ)が二匹もあれば里の全員に行き渡る。


「絶対にみんな気に入るだろうから、多めに買って帰りましょう」

「良太が言うなら、そうしようかねぇ。幸いにも、高く無さそうだし」

「そうですね」


 他の魚とは違って見た目が良くないその姿形からか、(シイラ)はあまり人気が無いようで、漁港の価格ではあるが大きな一匹に、銅貨五枚とかの安い値段が付けられている。


 外海かその近辺に行かないと(シイラ)は回遊していないだろうから、そこまで苦労をしての獲物がこの値段で売って大丈夫なのかと、他人事ながら気になってしまう。


「すいません」

「あいよっ! もしかして買ってくれるのかい?」

「簡単に捌いてくれるんでしたら」


 (シイラ)は大きいが、三枚に下ろすだけならば難しくは無い魚だ。


 しかし、捌いた後に残る頭や中骨や内蔵の事を考えると……。


「そんくらいは任しといてくんな。どうだい兄さん、安くしとくから、良けりゃ全部買ってってくれよ」

「全部ですか?」


 運良くか悪くか、漁師の男性が運んでいた木箱には、大きな(シイラ)が十匹以上見える。


(ドラウプニールがあるから、駄目にはならないけど……)


 見た目とは違って可食部が少ない岩牡蠣とは違って、(シイラ)は三枚に下ろした状態でもかなり食べられる身が多い。


 そんな(シイラ)が十匹以上となると、里の住民全員でも食べ尽くすには数回掛かるだろう。


(まあ、いいか)


「それじゃ全部買いますけど、少しおまけしてくれますか?」

「ほ、本当にいいのかい?」

「ええ」


 一匹で銅貨五枚の時点で既に破格だと思うが、まとめ買いするからおまけしてくれというのは常套句だ。


「おう、聞いたな? こちらの旦那が全部買って下さるって事だから、直ぐに捌くぞ!」

「「「へい!」」」


 客になるとわかった途端に兄さんから旦那に昇格した俺の為に、漁船の乗り手が総出で(シイラ)を捌いてくれる事になったようだ。


 乗り手全員がかなり年季の入っている感じの包丁を握り、俎板では無く横長の木の板に海水を掛け、その


上で次々に(シイラ)が頭を落とされたり内蔵を取り出されたりしていく。


「旦那、おまけなんだが。実は金額的にはこれでぎりぎりで、俺の船では今日は他の魚は獲れて無いんだよ」

「ああ、でしたら……」

「そこでだ。干物で良かったら持って行ってくれ」

「え?」


 そういう事なら別におまけはいいと言おうとしたが、漁師の男性に言葉を遮られてしまった。


「おう! 誰かひとっ走りして、棒鱈を持って来い!」

「へーい!」


 手際良く(シイラ)を捌いていた一人が、包丁を置いて走り去った。


(棒鱈か……そういえばまだ食べてなかったな)


 棒鱈はカチカチに硬いが、戻して海老芋と一緒に炊いた『芋棒』は、京の伝統的な料理だ。


 京の店に居候をしている割には、俺はまだ名物的な料理をそれ程食べていない。


(かしら)! 持ってきやした!」

「おう。旦那、こんなもんで良けりゃ、持ってってくれ」

「こんなにいいんですか?」


 こんなもんと言って漁師の男性が差し出す棒鱈は、かなりの大きさの物が五匹分もある。


 どうも売り物っぽく無いので、もしかしたら漁師の人達の酒のつまみとかなのかもしれない。


「漁師としちゃ、本当は活きのいい魚を渡したいところなんだが、今日はこれが精一杯でな」

「そういう事でしたら、遠慮無く」


 申し訳無さそうに苦笑いしているのを見ると、鮮魚を渡せないというのは漁師としては凄く不本意なのだろう。


 あまり遠慮をすると漁師という職業に誇りを持っているらしい男性のプライドを傷つけてしまいそうなので、ここは有り難く頂戴しておく。


「ちょ、ちょっと良太ぁ。(シイラ)だけでも凄い量なのに、そんなにいっぱい貰っちまって、どうるすんだい?」

「まあ干物ですから。長持ちしますよ」


 (シイラ)程では無いが、干物の状態で五十センチくらいはある大きな棒鱈を見て、おりょうさんが困惑している。


 棒鱈は水分が抜けているだけあって、煮物にする為の下拵えに水で戻すと体積が倍近くに膨らむ。


 例えば棒鱈を芋棒に調理すると、当たり前だが芋棒になると海老芋も加わるので、タダで貰った棒鱈は相当に食べ応えがあるという事だ。


「色々と食べ方は考えているので、食べきるのに問題は無いと思いますよ」

「なら、いいんだけどねぇ」


 おりょうさんが心配しているが、棒鱈は叩いて身をほぐしてそのまま食べたも出来るし、ワルキューレ達の口に合うような洋風の食べ方も考えているので、持て余してしまう事は無いだろう。


「旦那、お待ち遠様! 量が多いんでこの箱ごと持ってってくんな!」

「有難うございます」


 こっちの世界には魚を運ぶ為の、トロ箱と呼ばれるスチロールの容器なんか無いので、笹の葉を敷いた木箱に捌いた(シイラ)の身が置かれている。


「それじゃこれ、代金です」

「毎度……って旦那、これじゃ多いぜ?」


 俺が差し出した銀貨を見て、漁師の男性が口元を歪めている。


「捌いてくれた手間賃込みです。受け取って下さい」

「そいつぁ……お気持ち、有り難く受け取っておくよ」


 吟遊詩人の男性からの臨時収入もあったから、少し気が大きくなっているのもあるが、普通に考えて(シイラ)十匹以上に棒鱈が五匹分では、銀貨一枚でも安いくらいだ。


 面倒な捌く作業と、取り除いた部分の処理までやってくれるのだから、まだこっちの方が十分に得をしている状況だと言える。


「旦那、また来てくれよな! 今度はもうすこしいい魚を獲ってくるからよ!」

「ええ。楽しみにしています」


(そんなに大坂まで来る機会が、あるかどうかわからないけど……)


 心の中でそう呟きながらも、ワルキューレの愛馬に移動の協力を頼むと意外に時間が掛からなかったのと、ほぼ要望通りの物を買い揃えられた事もあって、何かの切っ掛けがあれば俺はまた大坂に来る気になっている。


「さて、それじゃ帰りま……おりょうさん、頼華ちゃん、お糸ちゃんも、何か他に買いたい物とかはありますか?」


 俺自身は十分に満足の行く買い物をしたが、危うくそこで完結してしまうところだった。


 港から少し歩いて人の流れが少なくなったところで、その事に気がついて立ち止まった。


「あたしゃ、珍しい食いもんと酒を飲み食いしたし、良太が色々と買ってくれた分で大丈夫だよ」

「余は既に、今日の夕食の事で頭がいっぱいです!」


 おりょうさんは昼食と買い込んだ分で満足しているらしく、頼華ちゃんはカレーと、俺が(シイラ)をどう調理するのかを楽しみにしてくれているらしい。


「あたしはあの、おっきなお魚をお料理するのを、お手伝いしたいです!」

「そっかぁ。頼りにしてるよ、お糸ちゃん」

「は、はいっ!」


 嬉しい事を言ってくれたので、お糸ちゃんの頭を撫でる。


「黒ちゃんと戦乙女(ワルキューレ)さん達も、何か欲しい物とかは?」

「あたいは特に無いよ。今日買った物で、御主人が何作ってくれるのかが楽しみ♪」

「我等も特に欲しい物というのはございません」

「「「……」」」


 ブリュンヒルドが言うと、他のワルキューレ達も一斉に頷いた。


「あたしは良太様が買ったライ麦で、ブルートを焼いて下さると嬉しいんですけどね」

「オルトリンデ!」

「ひゃっ!?」


 軽い口調で言うオルトリンデを、大きな声では無かったがブリュンヒルドが鋭く叱責した。


「まあまあ、ブリュンヒルドさん。最初からそのつもりでライ麦を買ったんですから」

「そ、そうなのでございますか?」

「ええ」


 パンを焼くのは以前からの約束だったし、小麦以外にも色々と粉を試してみたかったので、今回ライ麦が手に入ったのは良い切っ掛けと言える。


「俺もパン焼きを手伝いますけど、俺が里に不在の時でも、ライ麦を自由に使ってパンを焼いてくれて構いませんよ」

「ほ、本当でございますか!?」

「ええ」


 里の石窯は(エーテル)で熱する事が出来るので、ワルキューレ達が使うのに特に支障は無いだろう。


 実際問題として、俺は里に戻っている間でも何かと動き回っているので、ワルキューレ達が自発的にパンを焼いてくれるのなら、こちらとしては大助かりだ。


「たまに食事がブロートになると、私も嬉しいですねぇ」

「ブルムさんもこう仰ってますから、逆にお願いしたいくらいです」

「そういう事でしたら、承りました」


 手に入ったライ麦のお陰で、里の食事のバリエーションが増えそうだ。

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