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吟遊詩人

「へるむゔぃーげお姉さん、凄い声ですね!」

「そうだね」


 瞳を輝かせてヘルムヴィーゲの歌声にお糸ちゃんが驚いているが、普段から歌が好きと言っているだけあって、確かに凄い声量のソプラノだ。


 いつの間にか店内の客達も、吟遊詩人の伴奏で歌うヘルムヴィーゲの声に聞き惚れて、食事の手が止まっていた。


「――お粗末様です」

「「「おおぉ!」」」


 まるでミュージシャンのコンサートの時のように、歌い終えたヘルムヴィーゲに万雷のような拍手が沸き起こった。


 中には拍手しながら立ち上がり、涙を流している客も居る。


「……ん?」


 自分の演奏で歌ってくれた事に礼を言っているらしく、握手を求めている吟遊詩人の男性は、笑顔で応じるヘルムヴィーゲと何やら会話を交わし、彼女が指差す方向、俺達の座っているテーブルを見た。


(まさか……)


 嫌な予感しかしないが、食事に誘ってくれたガーリンさんの事を放って席を立つ事も出来ないので、俺は成り行きを見守るしか出来無かった。


「失礼します」

「えーっと……な、なんでしょうか?」


 案の定と言うか、革の帽子にマントという旅装の吟遊詩人の男性は、微笑を浮かべたまま俺達のテーブルまでやって来た。


 楽器には詳しくないのだが、吟遊詩人の男性が持っている全長の短い弦楽器は、おそらくはリュートと呼ばれる物だろう。


「あちらの素晴らしい歌声の女性が、『私などはあちらにいらっしゃる、良太様の足元にも及ばない』と仰っておりまして」

「は、はぁ……」


(ヘルムヴィーゲさーん!)


 余計な事をと叫びたいのをグッと我慢したが、全く邪気の無い笑顔で小さく手を振るヘルムヴィーゲを見ると、再びイラッとさせられる。


「宜しければ私の伴奏で一曲、御披露願えませんでしょうか?」

「悪いんですけど……」


 俺達だけならともかく、ガーリンさんに招かれての食事中なので、あまり非礼な事はしたく無い。


「えっ!? 主人、歌って下さらないんですか!?」

「お糸ちゃん?」


 無自覚に俺を追い込もうとしているのは主犯のヘルムヴィーゲだけかと思っていたが、思わぬところにお糸ちゃんという伏兵が居たのだった。


「あの、俺は歌はあんまり……」

「あんなにお上手なのにですか!?」

「えーっと……」


 お糸ちゃんに悪意が皆無なのはわかるのだが、現実的には怒涛の勢いで俺の外堀を埋めている状況だったりする。


「ほほぅ。お嬢さんのお兄さんなのですか? そんなにお歌が上手なのですね?」

「お兄さんではありませんが、はいっ!」


(お糸ちゃーん!)


 お糸ちゃんが小さな胸を張って、俺の歌を我が事のように自慢する。


 再び叫びたくなったが、本当に叫んだとしても、多分だがお糸ちゃんは何が理由なのかもわからないだろう。


「良太。お糸ちゃんがここまで楽しみにしてるんだから、ちっとばかし歌ってやっちゃどうだい?」

「おりょうさん?」


 遂には味方だと思っていたおりょうさんにまで、裏切られてしまった。


「無責任に良太だけを歌わせようとは思っちゃいないよ。あたしも付き合うからさ」

「おりょうさんもですか?」

「うん。ほら、あの男女で歌う曲をどうだい?」

「男女で歌う曲っていうと……ああ、あれですか」


 最初、おりょうさんが何を言っているのかと思ったが、向こうの世界に行った時に聞いた男女のヴォーカル曲を気に入って、何度か一緒に歌った事があったのを思い出した。


「まああれなら、速い曲調じゃ無いし……」

「ほぅ? それではどういう曲かのかを教えて頂ければ、伴奏致しますが」

「えっと、俺は専門家じゃ無いので、ちょっと説明が難しいので……」

「そうですか。それは残念ですが、そう仰るという事は、この国で良く聞く曲では無いのですね?」

「ええ、まあ……」


(この国どころか、他の世界の曲です、なんて言えないしなぁ……)


 内心で苦笑しながら、無論だが吟遊詩人の男性には伝えなかった。


「じゃあ、いいですか、おりょうさん?」

「うん」


 おりょうさんとお互いの顔を見ながら、タイミング合わせた。


「「……摩天楼、蒼く――」」


 父親がリアルタイムでは無く再放送で視聴したという、とあるアニメ作品のエンディング曲なのだが、エピソードの端々に音楽が盛り込まれているとは言え、基本的にはロボットとパワードスーツによるアクションがメインに作品だったりする。


 物語は異星からの侵略者によって制圧された地球を、主人公が所属する地球奪還軍の降下作戦から始まるという中々に重厚な物なのだが、その重厚さ故か、それとも放送時間が良くなかったのか、クオリティは高いのに打ち切りになってしまったという残念な作品だ。


 アクション満載のアニメに合わせて、パワフルな男性ヴォーカルのオープニング曲だが、エンディングは一転して男女のデュオで、情感の込もったスローテンポの曲を歌い上げている。


(摩天楼って調べたら、一応はこっちの世界でも通用する言葉なんだよな)


 おりょうさんと頼華ちゃんに、摩天楼という言葉の意味を訊かれて、俺も詳しくは知らなかったので調べえみた。


 その結果わかったのは、一般的には摩天楼というと、ニューヨークの高層ビルが林立する風景を思い浮かべるが、意味的には『天に届くような建造物』を指すという事だ。


 この摩天楼(スカイスクレーパー)の語源には、十九世紀後半に建てられ始めたマンハッタンのビル以外にも、同じ時期に建てられたエッフェル塔のような、ビルでは無い建造物も含まれる。 


 こっちの世界の日本には高層ビルや、おそらくはエッフェル塔も無いが、平屋ばかりの中に存在する高層建築物、例えば五重塔なんかも摩天楼と言えるのだ。


土瀝青(アスファルト)に咲く――」


(いい声だなぁ……)


 曲の中の女性のソロパートを目を閉じたおりょうさんが、綺麗に通る声でしっとりと歌い、思わず聞き惚れる。


(アスファルトも、調べたら相当に古くから使われてるってわかったんだったな)


 石油精製品のアスファルトを道路の舗装に利用されるようになったのは最近になってかららしいが、天然アスファルトを接着剤や防腐剤のような使い方をするのは、古代メソポタミアやエジプトの頃かららしい。


 日本でも縄文時代の遺跡から、天然アスファルトで鏃が接着された矢が出土されているし、日本書紀に記述のある『燃える土』も、天然アスファルトだろうと推測されている。


「RAIN IN MY SOUL――」


 曲に出てくる単語を調べた事や、おりょうさんと練習をした時の事なんかを思い出しながら、最後まで歌い切った。


「「「……」」」

(……失敗だったかな?)


 おりょうさんセレクトであり、俺も良い曲だと思って、主にお糸ちゃんを失望させない為に歌ったのだが、店内はシンと静まり返ってしまった。


 無論だが、ヘルムヴィーゲの美声に敵うとは思っていなかったが、俺はともかくおりょうさんの声の良さと歌の上手さは受けると思っていたので、この反応は正直予想外だ。


「「「……おおおぉっ!」」」

「「っ!?」」


 数瞬遅れて、突如として店内から津波のような歓声が押し寄せてきたので、盛り上がる中を俺とおりょうさんだけがビクッと肩を震わせ、何が起きたのかと周囲を見回して確認して、最終的にお互いの視線が絡み合った。


 見知らぬ利用客だけでは無く、別のテーブルで食事をしていた頼華ちゃんや黒ちゃんは大はしゃぎしているし、何故かブリュンヒルドとヘルムヴィーゲは涙を流しながらこちらを見ている。


「とりあえず、そこそこは受けたみたいですね」

「そうだねぇ」


 俺とおりょうさんは、未だに鳴り止まない拍手と歓声に苦笑しながら呟きあった。


「主人も姐さんも、凄くお上手でした!」

「お糸ちゃん、有難う」

「おやそうかい?」


 客からの歓声も恥ずかしいが嬉しいのだが、お糸ちゃんからの真っ直ぐな褒め言葉が何よりも胸に響き、それはおりょうさんも同じみたいだ。


「素晴らしかったです! 宜しければ今の歌を、私に伝授願えればと思うのですが!」

「えーっと……」

「まあ、いいんじゃないのかい」


 俺が悩んでいると、おりょうさんから苦笑混じりに了承の言葉が出た。


「歌詞だけで良ければ、わかりました。食事を終わらせてからでも構いませんか?」


 途中で食事をやめるのはガーリンさんに失礼だし、何よりもお糸ちゃんの食事も済んではいないのだ。


「これは気が付きませんでした。無論、お食事の後で結構です」


 申し出を受け入れたので、吟遊詩人の男性は笑顔を浮かべると、楽器を抱えて他のテーブルに向かった。


「さて、食事を……」

「おう兄さん! こいつは俺の奢りだ! 良かったら飲んでくれ!」


 再び食器を手に取ろうかと思ったら、大柄で日焼けした船員風の外国人の男性が、ビールの注がれたジョキをドンとテーブルに置いた。


「は、はぁ……」

「これはそっちの姉さんにだ!」

「ど、どうも」

「これは俺からだ!」

「あたしからもだよ!」


 他のテーブルを利用していた客が男女問わず、ジョッキやグラスを持って俺とおりょうさんの元に次々とやってきて、奢りだという飲み物や料理を並べていく。


(これは、とてもじゃないけど食べ切れそうに……)


 最初から料理は多めだと思っていたくらいだし、そもそも飲まない俺の前に置かれる酒類の注がれたジョッキは、有り難い話だがどうにも出来ない。


(料理は店の人に言って、持ち帰らせて貰おうかな)


 ガーリンさんが誘ってくれただけあって、この店の料理はどれもおいしいので、出来れば奢りの分は里に持って帰りたいところだ。


 飲み物の方は瓶入りとかなら持ち帰りも考えたが、ジョッキやグラスに注がれている状態なので、俺の分は、ガーリンさんとブルムさんに進呈しよう。



「では、これを」


 和紙にガラスペンで、おりょうさんと一緒に歌った曲の歌詞を書き込んだ。


 フレイヤ様から授かっている翻訳の力を活かして、歌詞はこっちの世界のヨーロッパでも使われていると思われるラテン語で記述した。


「有難うございます! それで、如何程お支払すれば宜しいですか?」 

「如何程?」


 手渡した紙片を見せて感激の面持ちの吟遊詩人の男性が、書かれているラテン語が読めるみたいなのでホッとしたのもつかの間、意味不明な事を言いだした。


「ええ。普段は私は自分で見聞きした事を歌にして稼いでおりますが、これは貴方から教わった曲です。ですから対価をお支払いするのは当然という事になります」

「そうなんですか?」

「そうですなぁ」


 吟遊詩人の男性の言葉を、ガーリンさんが肯定した。


「そういう事でしたら……でも、俺はそういう物の相場を知らないので」


 曲や歌詞という、実態の無い物の相場なんて俺が知っている訳が無い。


「では、私の気持ちという事で宜しいでしょうか?」

「ええ。勿論です」


 どうにも正解を出せそうに無かったが、吟遊詩人の男性が有り難い申し出をしてくれた。


(相手の方から言ってきてくれて、助かったな)


 些か他力本願が過ぎるが、対価を申し出てくれている本人に任せれば問題は起きそうに無いし、勝手に覚えて歌えばいいのにとか考えていたところで誠実な対応をしてくれたので、俺は吟遊詩人の男性に全てを委ねる気になっている。


「ではこれで」

「えっ!? 幾らなんでもこれは多過ぎですよ」


 驚いた事に、爽やかな笑顔で吟遊詩人の男性が卓上に置いたのは金貨だった。


「いえいえ。お教え頂いたこの歌で、私は貴方にお支払する額の何倍も稼がせて頂きます。そう考えると決して多い金額ではありません」

「しかし……」


 通信手段などが無い時代には、外国の珍しい話や情報を持つ吟遊詩人を貴族や王族が招いたと聞いた事があるので、そういう人種は機嫌を損ねなければ、見栄もあって相当な金額を出してくれるのだろう。


 いま居るような店で歌うというのは吟遊詩人にとっては、情報収集と稼ぐ手段の一つでしか無いのだろう。


(……受け取っちゃっていいのかな?)


 どうやら出した金貨が吟遊詩人の男性の全財産という事は無さそうだが、多くても銀貨一枚くらいだと考えていた金額とあまりにも掛け離れているので、素直に受け取るのが難しい。


「鈴白さん。受け取るのが宜しいですよ」

「ガーリンさん?」

「鈴白さんとおりょうさんの歌で店が儲かり、そちらの彼もこれから教えて頂いた曲で儲けるのです。誰も損の無い最高の取引です」

「それはそうなんですけど……」


 流石に商売人だけあって、ガーリンさんは非常に割り切った考え方をする。


「……わかりました、お受けします。貴方のこれからの旅の無事と幸運を、お祈りします」

「有難うございます。今日の幸運が、この先も続く事を、私の祈っておりますよ。それでは」


 結局は折れた俺の言葉を聞いて、芝居掛かった態度で別れを告げた吟遊詩人の男性は、口元に微笑みを浮かべたまま店を後にした。


「おりょうさん。奢られた料理は、持ち帰ろうかと思うんですが」

「そいつが良さそうだねぇ。里の全員分にゃ足りないけど、こっちに来れなかった戦乙女の姉さん方の土産にどうだい?」

「ああ、それはいいですね」


 肉が主体のこの店の料理と黒パンはワルキューレ達の口に合いそうだし、留守番と迎えを頼んであるのは四人なので、量的にも丁度良さそうだ。


「それじゃ、食事を再開しましょうか」

「そうだねぇ。ちと飲むのが大変そうだけど」

「……程々にしておいて下さいね?」


 困ったような言い方をしているが、幾つも並んだジョッキやグラスを前に、おりょうさんは御満悦だ。



「御馳走になりましたガーリンさん。それではまた」

「ええ。また良い儲け口がありましたら、宜しくお願いします」


 食事を終えて、商館で追加で買った物を受け取って支払いを終えてから、ガーリンさんが差し出してきた手を握り返した。


「小さなお嬢さん、食事は口に合いましたかな?」


 俺の手を離すと、ガーリンさんはすっかり気に入ったお糸ちゃんに笑顔で向き合った。


「はいっ! とってもおいしかったです!」

「それは良かった。お嬢さんも、またおいで下さいね」

「はいっ!」

「良い子だ」


 お糸ちゃんの素直な態度と可愛らしさに、ガーリンさんは笑顔を深める。


「鈴白さん。この後はどうします?」


 里で必要な物の購入と、盤上遊戯(ボードゲーム)や蜘蛛の糸の製品などの商談は終わったので、ブルムさんにこの後の予定を訊かれたのだった。


「せっかく海沿いに来たので、何か魚介類を仕入れたいですね」


 昼食後の時間帯なので水揚げされたばかりの物は無いと思うが、それでも街中よりは新鮮だったり、京や江戸では見ないような珍しい魚介類が手に入るかもしれない。


「そうですな。では少し歩いて港の方に行ってみましょうか」

「「「はい」」」


 はぐれてしまわないようにお糸ちゃんを俺が抱えて、全員で港の方に向けて歩き始めた。



「お。あれは牡蠣ですね」

「牡蠣? 良太、牡蠣の旬はもう終わって……ちと殻がごついけど、ありゃ牡蠣だねえ」


 ごつごつした殻の牡蠣が木箱に山盛りにされているのを見て、今は旬じゃ無いと言おうとしたおりょうさんが、首を傾げている。


「あれは真牡蠣じゃ無くて、岩牡蠣みたいですね」

「ああ、そう言えば、そんなのもあったんだっけねぇ」

「おりょうさんは、岩牡蠣は知らなかったんですか?」


 食に詳しそうなおりょうさんが、岩牡蠣を知らなかったのは意外だ。


「江戸じゃ冬場になりゃ、養殖された真牡蠣が多く出回るしねぇ。磯がある場所にでも行かなけりゃ、岩牡蠣なんざ滅多にお目にゃ掛かれないよ」

「成る程」


 岩牡蠣というくらいなので磯のある場所で採れるのだが、そうなると内海で波の穏やかな江戸湾では無く、少し江戸から離れた外海に面している場所という事になる。


 そういう場所から加護や権能などを使って、鮮度を保ったまま輸送をする事も可能だが、江戸湾で真牡蠣の養殖を行っていて味も良いので、裕福な好事家でも無ければ値が張りそうな岩牡蠣を食べたりはしないのだろう。


「せっかくだから、買っていきますか?」


 今のところは目についた(すずき)(かつお)と蛸、それと具足海老と呼ばれて余り人気が無い、元の世界で言う伊勢海老を買い込んである。


「岩牡蠣は真牡蠣と同じ様な食い方をするのかい?」

「そうですね。焼き牡蠣とかが良さそうです」


 現代のように殺菌の技術が無かった元の世界の江戸時代では、牡蠣は基本的には加熱調理をして食べられていた。


 残されている文献では酢の物などで食べていた事も確認されているが、酢による殺菌の効果に期待をするのは危険だろう。

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