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家主貞良

「こんにちはー」


 黒ちゃんと白ちゃんを伴って、俺は薬種問屋の長崎屋さんの暖簾をくぐった。


「これはこれは、鈴白様。ようこそおいで下さいました」


 顔見知りになりつつある番頭さんが、笑顔で俺達を迎えてくれた。


「すぐに店主を呼んで参りますので、少々お待ちください。鈴白様とお嬢様方にお茶をお出しして。くれぐれも粗相の無いように」

「畏まりました。どうぞこちらへお越し下さい」


 使用人の少年に命じた番頭さんは、店の奥の方へ歩いて行った。


「すぐにお茶をお持ち致しますので、どうぞお寛ぎ下さい」


 通された部屋は外国人の賓客の応接用の部屋なのか、椅子とテーブルが置かれて洋風に整えられていた。案内してくれた使用人の少年は、一礼して退出する。


「御主人、凄い扱いだな!」

「うむ。さすがはわが主殿よ」


 細かな彫刻の施された椅子やテーブル、ガラス製のランプシェードなど、室内の豪華な調度を見て、黒ちゃんと白ちゃんはしきりに感心している。


「俺は軒先でも良かったんだけどね」


 なんとなく居心地の悪さを感じながら、俺は二人の言葉に苦笑する。


「失礼致します」


 部屋に戻ってきた店員の少年は、丁寧な所作で各自の分のお茶を淹れてくれて、これも各自の分の茶菓子の載った皿を置くと、一礼して退出していった。


「ふぉぉ……ま、また見た事の無いお菓子が……ご、御主人?」


 黒ちゃんは見た事が無いと言っているが、皿に載っているお菓子は、おそらくは俺の知っている物だ。


「食べてもいいけど、手掴みにしちゃダメだよ? それと、後で来る長崎屋さんと、帰りに店員さんと番頭さんにもお礼を言うのを忘れない事。いい?」

「わかった!」

「承知した」

「それじゃ、食べてもいいよ」

「頂きます!」

「頂きます」


 待ちきれないと言わんばかりだが、それでも手掴みでは無く楊枝を使って、黒ちゃんは皿の上の茶菓子を小さく切り取って口へと運んだ。


 白ちゃんの方は、背筋を伸ばしたお手本のように優雅な所作で、お茶を一口飲んで茶菓子を口に運ぶ。


「……やっぱり、カステラだな」


 ザラメが底に沈んでる、茶色く焦げた部分の独特の味わいは、紛れもなくカステラだった。


(カステラって、江戸に伝わってたんだな……)


「失礼致します」


 食べながらそんな事を考えていると、部屋の外から声が掛かり、扉が開けられると、長崎屋さんが一礼してから入ってきた。


「本日は、ようこそおいで下さいました」 


 扉を閉めて座敷に入った長崎屋さんは、俺の正面の席に座って再び頭を下げた。


「お手をお上げ下さい。今日は長崎屋さんにお願いというか、御相談に伺いました」

「御相談、で、ございますか?」

「ええ。実は、先日買い求めた香辛料で、印度の咖喱(カレー)という料理を作ったんですが」

「……」


 トラウマのある白ちゃんが咖喱(カレー)という単語を耳にした途端、あからさまに嫌そうな顔をした。


「聞いた事くらいはございますが、咖喱(カレー)とはそれ程においしい物なのですか?」


 興味を惹かれたのか、長崎屋さんが少し身を乗り出してくる。


「うーん……使う具材にもよるでしょうけど、基本的には辛いのと香辛料の風味が強いので、やはり好みの問題だと思います」

「それはまあ、そうでしょうね」


 お腹がパンパンになるまで食べるほど好きな人もいるけど、今の時点では黙っておこう。


「あと、これは長崎屋さんの方がおわかりでしょうけど、安い料理にならないんですよ」

「材料に使っている物が物ですからね。良くわかります」


 薬種問屋を営んでいる長崎屋さんからすれば、安くない和漢薬の素材を混ぜ合わせて煎って料理に使うなどという行為は、暴挙に映っているかもしれない。


「それで、俺が先日売って頂いた種類の素材が入荷したら、また買い求めたいと思いまして」

「それは……鬱金(ターメリック)は国内産の物もあるので在庫が戻っておりますが、他はもう少しお待ち頂かなければ……」


 長崎屋さんが、申し訳なさそうに頭を下げる。


「あ、買いたいですけど、それ程緊急という事でもありませんので」


 適当な時間が取れていないだけで、前回と同じ量を調合出来る程度には、手元に香辛料と唐辛子は残っている。あくまでも買える時に買っておきたかっただけだ。


「そうでございますか。御不便お掛け致しまして……」


 再度、長崎屋さんが頭を下げる。


「いや、本当に……どうかお手をお上げ下さい。それで、和漢材料が入荷したら欲しいという方が、俺以外にもいるので、今日はそのお客さんを御紹介しようというのが、来店した主な理由です」

「鈴白様から、お客様の御紹介でございますか? そ、それは……まさか!?」


 どうやら、竜涎香を買い取って貰った時の話を、長崎屋さんは覚えていたみたいだ。


「ええ。鎌倉の源家です」

「やはり……畏まりました。出来うる限りの速さで、入荷してみせます」


 錯覚だろうけど、長崎屋さんの瞳の奥で、決意の炎が揺らいでいるように見える。


「いや、本当に、そこまでされなくてもいいんですけど……」

「これは源様がお相手だという事では無く、お客様の御要望へお応えしたいという、商人の意地のような物でございます。鈴白様がお気に病む事はございません」


 俺の言葉を、長崎屋さんはきっぱりと撥ね付けた。


(まあ、長崎屋さんにとっては大口の商談なんだから、急ぎたくなる気持ちもわからなくはないけど)


「わかりました。ここから先の商談は長崎屋さんと源家で直接行って下さい」

「鈴白様を通さなくても宜しいので?」

「ええ。鈴白の名を出せば話が通るようにしてありますが、以降は長崎屋さんにお任せします」


 今回は俺が咖喱(カレー)を源の屋敷で振る舞ったので仲介をしたが、別に俺が間に入る必要はどこにも無いのだ。


「しかし、それでは鈴白様の利益が……」

「うーん……竜涎香の件もですけど、俺は商人では無いので、あまり利益を上げる必要を感じていないんですよね」


 偶然手に入れた竜涎香を香辛料や製薬の道具と交換してもらったり、中古だがポンプを譲ってもらったりと、長崎屋さんへは少しでも御恩返しがしたかったので、今回の件はいい機会だった。


「わかってはおりましたが鈴白様は、なんとも欲の無い御仁ですなぁ」

「良く言われます」


 儲け話を自分から放棄するような俺に対し、長崎屋さんが呆れ顔になっているが、何時いなくなるかわからない世界で吝嗇(りんしょく)に励んでも仕方がないと考えているので、俺には苦笑いしか出来ない。


「ところで、話は変わるんですけど、このお茶菓子は家主貞良(カステラ)ですよね?」

「……」


 俺は半分ほど食べ残してあるカステラを指さした。そこへ黒ちゃんが熱い視線を注いでいるのを感じる。


「ご存知でしたか? ええ。長崎や大坂では既に広まっておりますが、ようやくこの江戸でも、満足の行く物が出来るようになりました」

「では、家主貞良(カステラ)というお菓子自体は、まだ新しいのですか?」


(元の世界で食べた物と遜色の無い出来のカステラからは、円熟味を感じるけど……気の所為なのか?)


「その言い方は正確ではありません。卵、小麦粉、砂糖、水飴から作る生地自体は普及しておりまして、中に餡を入れた焼き菓子などは売られておりますので」

「あ、もしかして、色々な形になってる……」


 俺は子宝祈願で有名な神社の、名物の焼き菓子を思い出した。


「ええ。あれの生地は、家主貞良(カステラ)と同じです。ですので、この様な形にしっとりと綺麗に焼けるようになったという事です」

「成る程……」


(基本形なカステラが一番簡単に作れるのかと思ってたけど、考えてみればオーブンとかもまだ電熱じゃなくて薪とか炭火なんだよな。平らに綺麗に焼く方が難しいのかもしれない)


 神仏から授かった権能や魔術を使えば、元の世界よりは火力調整なんかはし易いのかとも思うが、それでも満足な出来になるまでは、相当な試行錯誤はあっただろう。


「あの、このお菓子は、買う事は出来ますか?」

「ええ。卵を贅沢に使っておりますので、一包みが銅貨二十枚と、少々お高くなりますが」


 極端な高額には感じないが、食事にかかる金額からすると、確かに贅沢品に分類されそうだ。


「製造と販売をしている文月堂は上野ですので、後で店員に買いに行かせて、お届けさせましょう」

「えっ!? それは悪いですよ」


 そろそろ大前に戻って夜の営業の仕込みをしなければならないが、急げば上野を経由してもなんとかなるだろう。


「そう仰らずに。お得意様のお役に立つのも、商売の一環ですから。今日のところは、上客を御紹介下さったお礼です」

「そこまでの事では……じゃあ、お言葉に甘えて、そうだな……買えるなら五つお願いします。これ、代金です」


 確かに買ってきてもらえれば助かるので、俺は代金の銅貨百枚相当になる銀貨を一枚と、別に銅貨を十枚出した。


「これは、お使いして下さる店員さんに。剥き出しで申し訳ないんですが……」


(今度どこかで、ポチ袋を買っておかないとな……)


 黒ちゃんと白ちゃんが心付けを貰った時点で、自分が渡す機会を考えておくべきだったのだが、すっかり失念していた。


「これはお気遣い頂いて、恐れ入ります……大前さんの、夜の営業までにはお届け出来ると思いますので」

「わかりました。お願いします……って、あれ? 働いている店の名前を話した事ってありましたっけ?」


 大前の開店直前にポンプの件で来たが、その時点ではまだ店名は決まっていなかったはずだ。


「ああ、鈴白様はお気付きでは無かったのかもしれませんが、店員も含めまして、もう何度か大前さんを利用させて頂いておりますよ」

「えっ!?」


 休憩時間と、たまにお客さんの様子を伺ったりする以外は厨房で働き続けているので、長崎屋さんの来店には全く気がついていなかった。


「いやぁ、鰻という物があれ程おいしいとは思いませんでしたので、驚きました。夜の営業時間にも伺いましたが、元祖の蒲焼以外のお料理も、中々ですなぁ」

「過分な評価、ありがとうございます」


 長崎屋さんくらいの大店の主人なら、自前でも接待でも豪華な食事をする機会は多いだろうから、お世辞としても嬉しい。


「ははは。そんな御謙遜を。昼など、少し遅く行くと席が無いくらいの繁盛ではないですか」

「おかげさまで」


 ありがたい事に、一過性のブームのような事は無く、大前の利用客は増加している。


「なんと言っても鰻がうまい。しかしそれだけではなく、給仕の女性が綺麗どころばかり。これでは繁盛しない訳がございません」

「ありがとうございます」


 おりょうさんを筆頭とする給仕の女性達の前に話題が出たので、鰻自体の評価も悪くは無さそうだ。


(江戸では蒲焼を始めとする鰻料理は、受け入れられたと思っても良さそうだな)


「な、なあ、御主人、それ……」

「ん?」


 大前の事を考えていたら、半開きの口の端から涎を垂らしながら、何かを指差している黒ちゃんから声を掛けられた。


「た、食べないの?」


 指差す先には、俺が食べないまま放置していたカステラがあった。


「欲しいならあげるけど……」


 黒ちゃんに完全にロックオンされているので、このまま俺が食べてしまうのは気が引ける。


「本当か!? では頂き……」

「でも、白ちゃんと半分ずつね」

「うっ! わ、わかった……」


 黒ちゃんが物凄く真剣な表情で、家主貞良(カステラ)を切り分け始めた。


「俺などに気を遣ってくれるとは、我が主は情け深い方だ……こら黒。お前の方が大きくなるように切り分けるんじゃない」


 しみじみと語っていた白ちゃんは、黒ちゃんが不公平な切り分け方をしているのを目聡く発見して注意した。


「黒ちゃん……」

「ご、ごめんなさい!」


 俺が呆れたような視線を送ると、すぐに謝って反省しているみたいなので、これ以上は言わないでおいてあげよう。


「ははは。そんなにお気に召したのでしたら、まだ少し残っておりますので、お出ししましょう」

「お恥ずかしいところをお見せして……あ、俺の分は結構ですので」

「そうですか? ではその分も、お嬢様方にお出ししましょう。おい!」


 パンパンっと、手を叩いた長崎屋さんは、駆け付けた店員さんに耳打ちする。


「ところで、鈴白様を御主人と呼ばれてましたが、使用人の方ですか?」

「使用人……ですね。でも兄妹みたいな間柄なので、この子達が一方的に俺をそう呼んでいるだけなんですけど」


 黒ちゃんと白ちゃんとの難しい関係を説明するのは困難なので、長崎屋さんへは使用人という事にしておくのが良さそうだ。


「御主人やめちゃうの!? あ、あたいが意地汚い真似したから!?」

「俺の主では、いてくれぬのか……」


 とか思っていたら、俺の一言を聞いて、黒ちゃんと白ちゃんが絶望的な表情をする。


(なんでそこまで……)


「……二人の主人だよ。ほら、家主貞良(カステラ)食べてもいいから」

「やったー! 頂きまーす!」

「頂きます」


 ひと騒動起きかねないので、俺はこの場を収めるために折れた。


「えーっと……今後、俺の代わりにこの子達が来る事もあるかもしれませんので、その時は宜しくお願いします」

「畏まりました」

「甘やかさないようにお願いします。念の為に」

「それはまた、どうしてですか?」

「長崎屋さんの事を、お菓子をくれる人、みたいな認識をされないようにです」

「ははは。成る程成る程。でもまあ、鈴白様が御不在の時には、内緒で少し優しくしてあげましょう」

「それは……お世話掛けます」


 俺の目の前で宣言したら内緒にはならないのだが、どうやら長崎屋さんは二人が来たら歓迎してくれるみたいだ。


「でも、本当に甘やかし過ぎないで下さいね?」

「心得ております。少しだけ、ですよ」


 くくくっと、長崎屋さんは愉快そうに含み笑いをした。



「兄上、おかえりなさい!」

「おかえりなさいませ」


 大前に戻ると、遅れて江戸に戻ってきた頼華ちゃんと胡蝶さんに迎えられた。


「ただいま。俺の方が出迎えるはずだったのに、逆になっちゃったね」

「あはは。でも、出掛けた夫を迎えるのは、妻の努めですから……」


 頼華ちゃんが、ポッと染まった頬に手を当てる。


「あの、妻って……」

「お華様、こういう時は三つ指を突いてお迎えするのが作法ですよ」

「む。そうか」


 俺の問い掛けは無視して、胡蝶さんの言う妻の心得みたいな物に、頼華ちゃんが聞き入っている。


「成る程。こうか?」

「ふふん。御主人を迎えるには頭が高いな。こうだ!」


 跪いた白ちゃんをあざ笑いながら、黒ちゃんがゴツっと音を立てて、地面に額を打ち付ける。


「失礼致します。長崎屋の使いで、鈴白様にお届け物……」


 俺の背中越しに、跪いているというよりは土下座させられているようにしか見えない黒ちゃんと白ちゃんを見て、荷物を抱えた長崎屋さんの店員の少年の動きと表情が凍りついた。恐ろしい程のタイミングの悪さだ。


「……」

「ありがとうございます。これ、お礼です」


 俺は咄嗟に振り返って荷物を受け取ると、小銭入れの中から硬貨を一枚取り出して、無言のままだった店員の少年に握らせた。


「えっ!? こ、こんなに頂く訳には参りません!」


 良く見ずに手渡したのは銀貨だったようだ。確かに手間賃としては高額だが、今はそこは問題じゃない。


「どうもお世話になりました。長崎屋さんに宜しくお伝え下さい」

「……わ、わかりました。失礼致します!」


 俺と手の中の銀貨の間で何度か視線を往復させた店員の少年は、頭を下げながら妙に力強く挨拶をして去っていった。


(俺が口止めをしたと思ってるな、あれは……)


 思わず溜め息が出そうになるが、グッと堪えた。


「御主人、それって家主貞良(カステラ)か!?」

「黒よ、家主貞良(カステラ)とはなんだ?」

「おいしいお菓子だよ!」

「そうなのですか、兄上?」


 人の気も知らずに、黒ちゃんと頼華ちゃんは目を輝かせて家主貞良(カステラ)について話している。


「……みんなで食べようかと思ったけど、黒ちゃんと白ちゃん、お華ちゃんとお蝶さんは無し」


 あまり兵糧攻めという手段は用いたくないが、たまにはこういうわかり易い方法で反省を促す事も必要だろう。


「なんでっ!?」

「良くわからんが、黒と頼華とお蝶が悪いのだけはわかる」

「りょ、良太様、どうか私だけでもお許しを……」

「お蝶、貴様……兄上、悪い事をしたのなら謝りますから!」

「……」


 俺は無言で厨房へ歩いた。


「……良さん、いいんですかい?」


 騒ぎが大きくなったのを聞きつけて、嘉兵衛さんがやってきて俺に尋ねる。


「さすがに、店以外の人の前で、悪ふざけが過ぎますよ……」

「まあ、そうなんですが……」


 弁護するのが難しいと悟ったのか、嘉兵衛さんからは諦めムードが伝わってくる。


「でも、お蝶さん以外はふざけてる自覚も無いんじゃ?」


 嘉兵衛さんの言う通り、黒ちゃんと白ちゃんと頼華ちゃんには、何が悪かったのかもわかっていないのかもしれない。


「止める事もしないで乗っかってしまうのは、ある意味言い出しっぺよりも罪は重いです」

「わかりやした。でも夜の営業に影響が出ない程度で勘弁してやって下さいね?」


 店内の士気にも関わる問題なので、嘉兵衛さんに念を押された。


「自分達の分が増えると思ったら、初音さん達が張り切るかもしれませんよ」

「それはそうかもしれやせんが……」

「あ、これ、嘉兵衛さんと忠次さんと新吉さんで食べて下さい。家主貞良(カステラ)っていうお菓子です」

「ありがたく頂きやす。まあ良さん、程々で許してやんなさいな」


 カステラの包みを持った嘉兵衛さんは、切り分けるために包丁を手にした。


「ふぁ……おかえり、良太」


 可愛らしいあくびをしながら、二階の座敷で寝ていたらしいおりょうさんが姿を現した。


「ただいま、おりょうさん。疲れは取れました?」

「まだちょっと眠いねぇ……それにしても、なんか空気が重くないかい?」

「ちょっと、ありましてね」

「ふぅん。まあ察しはつくけどねぇ……」


 おりょうさんの視線の先では、頼華ちゃん、胡蝶さん、黒ちゃん、白ちゃんが、見た目にもわかる程落ち込んでいる。


「また、おふざけかい?」

「そんなところです。あ、おりょうさん、お目覚めに甘い物でもどうですか?」

「甘い物かい?」

「ええ。家主貞良(カステラ)というお菓子です」

「良太さん、お茶淹れましょうか?」

「ありがとうございます。初音さん達の分もありますから、良かったら一緒に」

「そ、そうですか?」


 初音さんが、頼華ちゃん達の方へチラッと視線を送った。


「ええ。切り分けてきますから、お茶の方お願いします」

「わかりました」

「「「「……」」」」


 頼華ちゃん達からの視線を感じるが、まだ甘い顔は出来ない。



 厨房で四等分に切り分けたカステラを小皿に載せて爪楊枝を添え、盆に載せて座敷へ運ぶと、お茶の注がれた湯呑が湯気を立てていた。


「どうぞ」

「ど、どうも……」

「「「「……」」」」


 座敷の少し離れたところに座った頼華ちゃん達からの、恨めしそうな視線を感じているのだろう、俺が勧めたカステラに、初音さん達は中々手を付けようとしない。


「おや、こいつは卵の濃厚な風味が……贅沢なお菓子だねぇ。お茶がおいしい」


 我関せずと、大振りに切り取ったカステラを口に運んで味わったおりょうさんは、幸せそうにお茶を飲んだ。


「あ、あたしも……うわぁぁ。卵の風味だけじゃなくて、こんなに砂糖が……」


 カステラ自体の甘さと、底に沈んでいるザラメに気がついて、初音さんの表情が蕩ける。


「このぉ、しっとりとした舌触りとぉ、歯応えが堪らないぃ……」


 目を閉じた夕霧さんは、堪らないと言った歯応えを確かめるように、モグモグと口の中で噛み締めている。


「ふぇぇ……この香ばしい茶色のとこだけ、いっぱい食べたいなぁ……これって、良太さんが作ったんですか?」


 小さい頃に、茶色いところだけを食べてしまって母親に叱られたのを思い出しながら、俺は心の中で若菜さんに激しく同意していた。


「いいえ。上野の文月堂ってお店で売っている物ですよ。俺も買ってきて貰ったので、詳しい場所は知らないんですが。値段は銅貨二十枚です」

「そうですか。少しお高めですけど、お土産には喜ばれそう。自分への御褒美にも……」


 若菜さんが何やら考え込み始めた。


ギギギ……


 妙に耳障りな音に少し振り返ると、目の端に涙を浮かべた頼華ちゃんの歯軋りだった。


「ううぅ……」


 黒ちゃんは呻くような声を漏らしながら、涙と涎を流している。


「「……」」


 胡蝶さんと白ちゃんは、完全に魂が抜けたような表情で、目を開けたたまま身動(みじろ)ぎもしない。


「ふぅ……」


 小さく溜め息をついた俺は、頼華ちゃん達の座っている方へ歩く。


「あ、あにうえぇ……ごめんなさいぃ……」

「ご、御主人……ごめんなさいぃ……」

「「……」」


 頼華ちゃんと黒ちゃんが、消え入りそうな声で俺に謝ってくる。胡蝶さんと白ちゃんは、謝る意志が無いのではなく、俺に対する言葉が見つからないみたいだ。


「……反省した?」

「しました!」

「した!」

「しました……」

「反省しております……」


 さっきの悪ふざけとは種類が違う、反省の意味が籠もっている土下座を四人がした。


「あのね、俺もみんなに好意は持っているけど、だからといって、好き勝手に悪ふざけをしていいという事にはならないからね?」

「今後は気をつけます」

「心得ておきます」


 俺が主に誰に対して言っているのかを察したのだろう、頼華ちゃんと胡蝶さんが返答して来た。


「ずっと一緒にいるって約束したけど、その言葉に甘えるような行動は……」

「ご、ごめんなさい! あたしバカだから、どんな事で御主人を怒らせるのかわかってなくて……面倒かけるけど、悪い事したら言ってくれればやめるから!」

「わかった。白ちゃん」

「は、はい……」


 顔を伏せたままの白ちゃんの身体が、ビクッと反応した。


「白ちゃんから見て、悪い事をしているのがわかっていて止めないのは、白ちゃんも悪い事をしているのと同じ事だからね?」

「承知した。今後は黒や、他の者の行動にも目を配ろう」

「頼んだよ? 信頼してるから」

「っ! そ、その主殿からの信頼を裏切る事は、決して無いと約束しよう」


 なんか白ちゃんは反省を促すというよりは、新たな誓いをみたいな感じになってる。


「それじゃ夜の営業の前に、手早く食べちゃってね」


 俺は腕輪の中に収納していた、カステラが切り分けられた小皿の載った盆を取り出し、四人の前に置いた。


「兄上っ!」

「良太様っ!」

「御主人っ!」

「主殿っ!」


 それぞれ、少し大袈裟な声を上げながら、伏せていた顔を起こした。


「「「「頂きますっ!」」」」


 一斉に食べた始めた四人を苦笑しながら見た俺は、先に食べ終わったおりょうさん達の分の小皿を片付けて厨房へ向かった。


「やっぱり、良さんは甘ぇなぁ」


 厨房の入り口で様子を見ていた嘉兵衛さんにからかわれた。 


「甘いのは家主貞良(カステラ)ですよ」

「へへっ。違ぇねぇ」


 照れ隠しに俺が言うと、含み笑いをしながら嘉兵衛さんが応じる。


「さあ、仕込みを始めましょうか」

「そうですね。おう、手前ら、始めるぞ!」

「「へい!」」


 嘉兵衛さんが忠次さんと新吉さんへ号令を掛けると、二人が威勢のいい返事をする。


 良くない雰囲気になりそうだったのをなんとか回避して、夜の営業への仕込みが開始された。

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