クラムチャウダー
「それじゃ遥君、買い物に行こうか」
「はい!」
「それは持って行くの?」
「あ……こ、これで大丈夫です」
俺が手にしたままのブーメランを指摘すると、遥君は少し悩んだ末に着物の合わせを開けて、そこに押し込んだ。
(動き難そうだけど……ま、いいか)
俺が作ったブーメランを大事に扱ってくれるのは嬉しいのだが、懐に何か入っているのが見え見えだし、少し身体も動かし難そうだ。
しかし、遥君自身はそれで満足しているみたいなので、これ以上の口出しはしない代わりに転んだりしないように気をつけてあげよう。
「白ちゃん。買い物に行くよ」
「承知した。こいつはどうする?」
座って寛いでいた白ちゃんが立ち上がり、型から出して冷ましていたパンを指差した。
「放置でいいかな? この後は粉にしちゃうんだし」
天然酵母を使ったパンなので、保湿をしないで放置しておくと日本の気候でも固くなってしまうのだが、パン粉にする場合にはその方が都合が良い。
「ふむ。主殿、良ければ少し、こいつの味見をさせてくれんか?」
パンに興味を持ったのか、白ちゃんがそんな事を言いだした。
「えっと……この場に居るのが四人だから、丁度いいかな」
「「えっ!?」」
偶々この場に居ただけの天后と遥君が、自分達も含まれている事に気がついて驚いている。
「この間の咖喱の時の無発酵パンを別にすると知っている人が少ないから、味見をして欲しいとは考えてたんだよね」
元の世界に行ったおりょうさんと頼華ちゃん、ブルムさんとドランさん、そしてワルキューレはパンを知っているが、全く知識の無い人間が食べてどういう反応をするのかというのは気になっていた。
もしも拒否反応が強い場合には、里の食事のメニューにパンを加えるというのを考え直さなければならないので、言い方は悪いがここで三人に実験台になって貰うというのは、俺にとっては好都合なのだ。
「味見をするなら焼き立ての方が良かったかもしれないんだけど……まだ温かいから、焼き立てって言えなくも無いか」
パンを敬遠する人の傾向は、食感や味よりは香りみたいなので、それが一番強い焼き立てで試せないのはちょっと残念だ。
裏返せば焼き上がりから少し経って今の状態だと香りがマイルドになっているので、純粋にパンの味を評価して貰えるとも言えるのだが。
「じゃあ、先ずは何も付けないで食べてみてくれるかな」
俺は二斤のパンの両サイドを包丁でカットして、それぞれを白ちゃん、天后、遥君に渡した。
「では……ほう。柔らかい事は柔らかいが、結構な噛み応えがあるな。この風味は俺は嫌いじゃ無い」
「それは良かった」
端の方を千切って口に入れた白ちゃんは、パンをそれなりの評価してくれた。
カナッペなどのパンをアレンジした酒のつまみがあるが、どうやら白ちゃんには出しても大丈夫そうだ。
「……変わった風味なのは焼けている時からわかっておりましたが、口に入れると窯で焦げた御飯に似てなくもない感じで、おいしゅうございますね」
「そうですか」
俺が作った物だからという事で、特に無理をしている感じでも無いので、天后もパンは大丈夫そうだ。
「……」
「遥君、おいしくないかな?」
「い、いえ! そうでは無いんですが……もう少し甘かったら、お菓子みたいだなって思ってたんです」
「ああ、成る程ね」
御飯もそうだがパンも味の主張が強くなく、遥君が言うように甘く味付けすればお菓子みたいになる。
そういう融通が利くところが、御飯と同じくパンが世界中で主食にされている理由だろう。
「じゃあ、残りはこれを付けて食べてみようか」
「これは……蜂蜜と乳酪か?」
「うん、そう。両方共パンには良く合うよ」
バターは生クリームを加工して作ってあったのだが、ここで出したのは料理の仕上げなどに使う無塩では無く、いずれはパンにと思って作っおいた有塩の物だ。
「む。これは驚いたな。ほぼ脂と塩味だけの筈なのに、ぱんに塗って食うとこれだけで一品料理のようだ」
「今後は咖喱の時とかに、白ちゃんにはパンを出すのも考えてるけど」
「ああ、俺一人が別の献立になるからか。こいつは旨いし、主殿の手間がそれで軽減されるのなら、構わないぞ」
「わかった」
実際問題としてカレーの時の白ちゃんだけのメニューは、中々に悩ましい物があったので、選択肢としてパンが使えるというのは俺としては有り難い。
「まあ。白様の仰る通り、少し頼りない口当たりだったのに、乳酪を塗ると豊かで濃厚な味わいになって。それなのに不思議と食べ易くもなるのですね」
「それは、パンがしっとりしたからでしょうね」
焼き立てだったり、生クリームなどを多めに入れて味を調整したりしてあるパン以外は、何も付けずにそのまま食べるのは中々辛い物がある。
バターやジャムなどを塗ると味が加わる以外に、パンが湿り気を帯びて食べ易くなるというのが大きいのだ。
「うまーい! 主人! 蜂蜜を使ったお菓子もおいしかったけど、これも凄く旨いです!」
「良ければ、もっと塗ってもいいよ」
「いいんですか!? 有難うございます!」
俺が許可を出すと遥君は感激の面持ちで、匙で掬った蜂蜜をたっぷりとパンに垂らすと、幸せそうに大きく口を開けてかぶりついた。
「俺もちょっと試してみようかな」
遥君が使い終わった匙を手に取り、蜂蜜を掬ってパンに垂らした。
元の世界の市販品の蜂蜜と比べると少し粘度が低いようで、匙を傾けると直ぐに流れ落ち、あまり留まる事無くパンに吸い込まれた。
「うん。遥君の言う通り、このパンには蜂蜜が良く合うね」
「はい!」
天然酵母で焼いた密度が高い噛み応えのあるパンに、里の蜂達が集めた力強さを感じる程に香り高い蜂蜜は良く合った。
俺が同意をすると遥君は嬉しそうに返事をして、パンの残りを口に運んだ。
「主殿。俺も蜂蜜を貰ってもいいか?」
「主様。私も宜しいでしょうか?」
「どうぞ、遠慮無く」
遥君のテレビCMみたいな見事な食べっぷりを見て、白ちゃんと天后も味に興味を持ったらしく、相次いで蜂蜜をパンに垂らした。
「乳酪を塗った時とは、全く違った味になるのだな。これは面白い」
「先程は食事でしたが、確かにこれはお菓子のようですね」
組み合わせる物でパンの印象がガラッと変わるのに、白ちゃんも天后も驚いている。
(パンは、概ね好評みたいだな)
里の住民の数を考えると、俺を除いた三人ではサンプルとして少ないのだが、とりあえずは否定的な意見が出なかったのは良かったと思う。
(でもまあ、パンをおやつにっていうのは当分は無しだな)
里の主食をパンにシフトするとかならば話は別なのだが、おやつとしてならば蜂蜜を使った飴やショートブレッドの方が簡単に、しかも量を作れるのだ。
しかし、以前にブリュンヒルドと話した感じではパンを食べたそうだったので、ドラウプニールに保存をするという前提で、ワルキューレ達の手を借りて焼くのはいいかもしれない。
「うむ。それだけで食っても頼りない味だが、ぱんには乳酪や蜂蜜などを受け止めるだけの力はあるようだな」
「そうだね。茹でたり焼いたりした腸詰なんかを挟んでもおいしいんだよ。後は挽き肉を纏めて焼いた物なんかも……」
「ん? 主殿、どうかしたのか?」
「あ、うん。白ちゃんと話してて、今夜の献立が決まったかなって」
「今の会話の中に、何かそういう要素があったか?」
「うん。挽き肉を纏めて焼いた料理にしようかな、って」
今の会話の中に出てきた食べ物関連というとパンと腸詰と、挽き肉を纏めた料理、要するにハンバーグだ。
ハンバーグは伊勢の滞在中に一度、里でも一度作ったのだが、子供達にはまだ出した事が無かった。
(丁度いい具合に、パンがあるんだよね)
以前に作った時にははパンもパン粉も無かったので、ハンバーグに肉汁が封じ込められていなくて、少しジューシーさが足りなく思ったのだ。
揚げ物のパン粉用に焼いたのだが、ハンバーグに混ぜ込む程度の量ならば、使っても問題は無いだろう。
「まあ、主殿が決めたのなら、俺は手伝うだけだが」
「お、俺もです!」
「私もです」
何を作るのか理解していなさそうなのだが、白ちゃんも遥君の天后も、快く手伝いを請け負ってくれた。
「それじゃ、今度こそ買い物に行こうか」
「うむ」
「はい!」
「主様、片付けの方はお任せ下さい」
天后の見送りを受けて、三人で買い物に出掛けた。
「お。浅蜊があるな」
「浅蜊ならば、小鍋立てか深川鍋か?」
「悪くないけど、それは両方とも冬場の料理だよね」
剥き身にした浅蜊を見て俺が声を上げると、白ちゃんは酒にも合う江戸風の調理を想像したようだ。
浅蜊の剥き身と豆腐や葱などを一緒に煮ながら食べる小鍋立ては、直ぐに火が通って食べられるので、せっかちな江戸っ子の好きな粋な料理と言われている。
同じく浅蜊の剥き身と葱を、昆布出汁で味噌や醤油で味付けされた深川鍋も、江戸を代表する料理と言えるが、どちらも季節的には冬から初春頃の寒い時期に好まれる。
尤も、深川鍋と同じ調理法で、そのまま御飯に汁ごと掛けた『ぶっかけ』と呼ばれる料理は、手軽なので浅蜊が出回る時期は多少気温が高くなっても、江戸では店でも家庭でも良く食べられている。
「まあ、汁物に使うのは変わりないけど」
「俺としては旨くて、咖喱じゃ無ければ構わんぞ」
「それは大丈夫だけどね」
騙し討ちでカレーを出したりするつもりは無いのだが、白ちゃんは少し警戒していたみたいだ。
「あれ? 今の時期に蛤があるんですか?」
剥き身を売っている魚屋の店頭に並んでいる桶に、蛤があるのに気がついて、思わず声を出してしまった。
「お。お目が高いね。そいつは若狭の方から活かしたまま運んできた物だよ」
「ははぁ……」
(関東だと雛祭りの頃の食べ物だけど、日本海岸だと旬が違うのか)
なんでも関東の太平洋岸でも東京湾と銚子辺りで旬が違うように、日本海岸では六月から八月くらいが蛤の旬だという。
「じゃあ、蛤も貰います」
「毎度っ!」
「主殿。幾らなんでも買い過ぎではないのか?」
「鮮度も育ち具合も良さそうだったから、つい……」
魚屋の店主がもう店仕舞という事で、安くするから残っている浅蜊と蛤をどうだと言われたので、夕食で使う予定の数倍の量を纏めて買ってしまったのだった。
「まあ、浅蜊も蛤も使い途が多いし。それに、里で使えばあっという間に無くなるよ」
「それはそうだがな」
浅蜊はさっきの話でも出たように、ぶっかけのような手軽な料理に出来るし、蛤もそのまま焼いても良いし、吸い物などに使える。
「早速、明日の朝は浅蜊のぶっかけか、蛤の吸い物にでもしようか?」
「うむ。いいな」
魚屋の店主の話だ日本海岸の蛤だけでは無く浅蜊の旬もこれからだという事なので、関東の旬が頭にあった俺と白ちゃんには、まだどちらの味も楽しめると知って嬉しくなっていた。
「ぶっかけ?」
「里ではまだ出した事が無いから、遥君は知らなくって当然だね」
手を繋いでいる遥君が、未知の単語を疑問に思って呟いた。
「遥も蜆は知っているだろう?」
「はい! 里で味噌汁で出た事があります!」
「浅蜊は蜆と似た貝で、少し大きくて味は上品だ。それを主殿が調理してくれるんだから、旨いぞぉ」
「凄くおいしそうです!」
「食べる前から、あんまり期待感を煽らないであげて欲しいんだけど……」
白ちゃんの説明に誘導されて、遥君の浅蜊とその料理に対する期待感が爆上がりになってしまった。
お陰で俺には初めて浅蜊を食べる遥君達に、下手な物を出せないというプレッシャーが伸し掛かって来ている。
「ははは、謙遜するな。今まで料理に関しては、主殿が外したのを俺は知らんぞ」
「まあ、人の口に入る物だから、常に気をつけてはいるけどね」
時々は、こっちの世界の人にとっては異端と思われそうな料理を作る時もあるが、素材や調理法が変わっていたとしても、あまり尖った味付けはしないようにはしている。
例えばカレーに関しても、俺の個人的な好みは少し辛めなのだが、後から香辛料を追加して辛くするのは幾らでも出来るので、初めて食べる人達用には少しマイルドな味付けに、という感じだ。
「そうだろう? 俺は主殿の作る食い物には全幅の信頼を置いているぞ」
「そう言うって事は、咖喱も食べるのかな?」
「む……」
少し口角を上げて話していた白ちゃんだが、カレーが話題に出た途端に、口が真一文字を通り越してへの字になってしまった。
「えっと、白ちゃん? 今のは少しやり返してやろうと思っただけで……」
「……よ、よし。主殿の作る物だ。咖喱だろうが何だろうが、食ってやろうではないか」
「別に、無理しないでもいいんだけどね」
元々、表面は静かだが芯は強気な性格の白ちゃんなので、俺の挑戦的な物言いで意地になってしまったらしい。
「い、いや。食うぞ」
「まあ、いいけど」
(こりゃ念の為に、カレー以外の物を用意しておいた方が良さそうだな)
遥くんも居るこの場で大見得を切ってしまった手前、白ちゃんは意地でもカレーを一口くらいは食べるだろう。
しかし、二口目以降も食が進むとは限らないので、何かカレー以外のおかずは用意しておいた方が良さそうだ。
「咖喱っておいしいですよね!」
「う、うむ。そうだな……」
(あーあ……)
遥君に無邪気に言われてしまい、引くに引けなくなってしまった白ちゃんは何とか微笑んで対応しているが、付き合いの長い俺にはかなり無理をしているのが見て取れる。
(とりあえず、明日の朝食は気合を入れて作ってあげよう)
無論、カレーもおいしく作るつもりではいるのだが、白ちゃんが冷静に向かい合えるかどうかがわからないので、せめて浅蜊の料理を存分に味わって貰おう。
「さあて。夕食の支度をしようか」
「うむ」
「はい!」
「はい」
笹蟹屋に戻る間に気持ちを切り替えられたようで、白ちゃんは冷静さを取り戻し、遥君は気合十分、天后は通常運転だ。
「それじゃ遥君と天后さんは俺の手伝いを。白ちゃんには貝を使った汁物をお願いするよ」
「はい!」
「はい」
「では、先ずは貝の下処理か?」
「うん。やり方を説明するからね」
作業台と流しに材料を出し、調理を開始した。
「先ずは蛤とじゃが芋と人参を洗って皮を剥いて、それぞれを小さめの賽の目に切ってくれるかな」
「承知した」
白ちゃんは任せても安心な腕前の持ち主なので、これで遥君とのハンバーグ作りに集中出来る。
「遥君は、俺が鉢に入れる材料を手で混ぜてね」
「はい!」
ミンサーで挽いておいた鹿と猪の肉と脂身、微塵切りにした玉ねぎ、卵、細かく千切ったパン、塩、胡椒、ナツメグを入れた鉢を遥君に混ぜて貰う。
子供五人と大人四人分なのでかなりの量だが、難しい技術は必要無いので遥君にまかせても大丈夫だろう。
「天后さんは赤茄子の種を取って、小さめの賽の目に切って下さい」
「畏まりました」
「主殿。言われた準備は終わったぞ」
「おっと。早いね」
予想以上の早さで、白ちゃんが材料の下拵えを終わらせたようだ。
「じゃあ鍋に乳酪を溶かして、賽の目に切ったじゃが芋と人参を焦げないように炒めて」
「承知した」
鍋の中で溶けたバターの香りが、厨房の中に広がった。
「そろそろ良さそうだね。そうしたら浅蜊と蛤を入れて小麦粉を少し振り込んで、酒と牛乳を入れて煮立ててくれればいいよ」
「味付けは塩か?」
「うん。バターの塩気があるから、最初は少なめに入れて味を見て」
「わかった。主殿、これは以前に伊勢で食ったあれだな?」
「そうだよ」
白ちゃんの言うあれとは貝を使ったスープ、クラムチャウダーだ。
「遥君。混ぜるのはもういいよ」
「はい」
「うん。いい具合だね」
遥君が小さな手で一生懸命混ぜてくれたお陰で、ハンバーグのタネは均等に滑らかになっている。
「主様。赤茄子を切り終わりました」
「じゃあ天后さんも一緒に。これくらいの量を手に取って、丸く纏めて両手の間でこんな感じに行き来させて、空気が入らないようにするんだ」
「はい! これくらいの大きさに……」
「遥君、大体でいいからね?」
「はい!」
そんなに厳密に同じ大きさと厚さじゃ無くても勿論構わないのだが、遥君は手本と寸分違わない物を再現しようと悪戦苦闘している。
(まあ、納得行くまでやらせてあげるか)
「主様。これで宜しいでしょうか?」
「うん。上出来です」
必要な数のハンバーグは俺と天后で作れば良いので、遥君には好きにやらせてあげよう。




