非常識
「飴の匂いで気がつくのが遅れましたけど、ぱんというのが焼ける匂いも凄く良いですね」
「天后さんは、良い匂いに感じるんですね」
「えっ!? な、何か、良い匂いに感じると拙かったでしょうか?」
「ああ、いや。そういう訳じゃ無いんですよ」
良い匂いと言った事を俺が咎めていると思ったらしく、天后が挙動不審になってしまった。
「この国ではパンは一般的じゃ無いので、焼ける匂いが苦手という人が少なからずいるんですよ」
「そうなのですか?」
「ええ。逆に外国の人には、御飯が炊ける匂いが苦手という人もいます」
「まあ……」
おそらく、外国人が御飯の炊ける時の匂いが苦手と言っただけでは、日常的に食べている国に住んでいる者としては『そんな馬鹿な』と、こうもすんなりと受け入れられなかったのではないかと思う。
逆に日本人にパンが焼ける時の匂いが苦手な者がいると先に説明をしておいたので、天后はそういう事なのかと納得してくれたのだろう。
「そろそろ取り出そうかな」
土窯の扉を開けると、厨房の中を香ばしいパンの匂いが満たした。
「窯の蓋を開けたら、更に香りが広がったな」
「そうだね」
「ひっ!? あ、主様っ。火傷をなさります!」
「え? ああ。大丈夫ですよ」
熱い物を扱う時用に蜘蛛の糸でミトンも作ってあるのだが、面倒なので手に薄く気を纏わせただけで天板を引き出した。
すると、その光景を見ていた天后が息を呑んで、顔を蒼白にしている。
「落ち着け天后。その程度で火傷を負う程、主殿はやわでは無い」
「そ、そうかもしれませんけど……」
白ちゃんとは一緒に行動するようになって長いので、俺のこの程度の行いで動じる事は無いのだが、天后はそうは行かなかったようだ。
「あー……これは俺が悪かったですね。すいません、天后さん」
天后も既に身内であり、俺が気を扱える事は知っている。
だから日常の料理や作業程度の事で、俺が傷を負ったりはしないという事を納得していると思っていたのだが……まだ知り合ってから日が浅いので、これは一方的な思い込みだったようだ。
驚かせてしまったので、俺は素直に天后に向かって頭を下げた。
「そ、そんな! おやめ下さい主様っ!」
「でも、悪い事をしたら謝るのは、当然ですから」
「そ、そうなのですけど……ともかく、もうおやめになって下さい!」
「は、はぁ……」
どうも俺が現状維持をしていると天后の精神安定には良くないみたいなので、言う事を聞いて頭を上げた。
「まあ、今回は主殿が悪いが、天后も主殿の非常識さに慣れていかないと、身体が保たんぞ?」
「何か酷い事を言われている!?」
長い付き合いの白ちゃんなら少しは俺を弁護してくれると思ったのが、それは甘い考えだったようだ。
「大体、天后だって式神という非常識な存在だろうに」
「そ、それを仰るのなら、白様も大妖怪である鵺という、非常識な存在ではないですか」
「む……」
「……」
ここまで常に下手に出ていた天后が、初めて白ちゃんに対してやり返した。
「あっはははは!」
「主殿?」
「主様?」
唐突に笑い出したので、呆気にとられた白ちゃんと天后が俺の方に振り返った。
「ああ、ごめんごめん。でも、俺達は揃いも揃って非常識な存在なんだなって思ったら、なんか笑っちゃって」
別の世界から来た俺を筆頭に、お留め武術の使い手、源氏の末裔の武人、大妖怪、元蜘蛛の妖怪、天狐とその眷属、陰陽師の式神、北欧の女神に仕えるワルキューレと、非常識な存在ばかりだ。
夕霧さんは忍びとしての教育を受けているし、正恒さんも武人では無いが気の使い手だったりするので、やはり一般人とは言い難い。
「と、とにかくですね。主様はもう少しお身体を大事にして下さいませ」
「はい……」
(本当に、あの程度はなんでも無いんだけどなぁ……)
そう思いはしたが口には出さず、心配してくれている天后の言葉は有り難く受け取っておいた。
「主殿。ぱんは焼き上がったのだろう? ならば出来上がった菓子と玩具を子供達に持って行ってやったらどうだ?」
「そ、そうだね。そうしようか」
(白ちゃん、有難う)
(なんの)
助け舟を出してくれた白ちゃんに、アイコンタクトと念話で礼を言った。
「主様。焼き上がったぱんは、何もしないでおいて良いのですか?」
「型から出して冷めるのを待ちます。食事にするなら焼き立てを食べるのも良いのですけど」
(焼きたてのパンを、里の食事でも出せたらいいんだけど……)
里でも一度くらい食事をパンにしてみたいと思うのだが、住人全員がお腹いっぱい食べる量を焼かなければと思うと二の足を踏んでしまうのだった。
もしも実際に行おうと思ったら、朝からひたすらパンを焼いて夕食で出すというのが現実的というか限界だろう。
「主殿。良ければ米を研いでおくが、今夜は飯で良いのか?」
「ああ、そうだね。お願いするよ」
実は夕食の献立に関しては現時点ではノープランなのだが、おかずの方を御飯に寄せるのは難しくないので、白ちゃんに米研ぎを頼んだ。
「承知した」
「主様、行ってらっしゃいませ」
白ちゃんの気遣いに感謝し、天后に見送られながら、俺は出来上がったキャラメルとブーメランを持って庭に向かった。
「えい!」
「おー。遥、上手だな!」
「次、俺ね!」
「糸ちゃん、行くよ!」
「は、はい!」
庭に出ると、男の子達は遥君を中心にしてブーメランで、風華ちゃんとお糸ちゃんがフライングディスクで遊んでいた。
「……ほいっ!」
「上手く受け止めたね」
「あ、主人! 有難うございます!」
返ってきたブーメランを見事に受け止めた焔君に声を掛けると、嬉しそうな顔をしながら振り返った。
「お菓子を作ってきたから、少し休憩しない?」
「「「します!」」」
「そ、そう……」
お菓子という一言が効いたのか、全員が声を揃えて返事をしてきたのだが、子供なのに中々の迫力だ。
「はい、どうぞ」
「「「頂きます!」」」
布の包みを開いてキャラメルを差し出すと、子供達が一斉に手を伸ばした。
「おおー! 甘くておいしいです!」
「甘くて、なんというか……濃い?」
「初めて食べる味です」
ショートブレッドや蜂蜜を使った飴などとは違う生クリームの味に、子供達は驚きを隠せないでいる。
「主人、もう一つ食べてもいいですか?」
「いいよ」
「わぁい!」
「俺もいいですか?」
「あ、あたしも」
「みんな、遠慮しないでいいよ」
里の子供達には比較的多く菓子を食べさせているつもりだったのだが、やはり育つ身体がエネルギーを求めているのか、焔君が口火を切ったら他の子達も次々に手を伸ばした。
「主人。これってどうやって作ったのですか?」
二つ目のキャラメルを口に入れる前に料理の好きなお糸ちゃんが、好奇心に勝てずに俺に訊いてきた。
「二つの材料を混ぜ合わせて煮詰めるだけだから作り方は簡単なんだけど、材料の一つが手に入れ難いんだよね」
「そうなのですか?」
「うん。牛の乳の加工品なんだけど、その辺で買える物じゃ無いからね」
「ふええ、牛の乳ですか……」
里では何度か乳製品を使ったメニューを出しているのだが、頻度は低いので入手が難しいという話にお糸ちゃんは納得してくれたようだ。
「うん。あとの一つは味醂だから、普通に買えるんだけどね」
「味醂!? この甘いのって味醂なのですか!?」
「う、うん……」
(やっぱり味醂を使ってるのって、意外なんだろうな)
煮物や焼き物の味や照りを付けるのに、里でも味醂は日常的に使っているのだが、そういう材料からいま食べているキャラメルの味に結びつか無いので、お糸ちゃんは戸惑っているのだろう。
「幸い、まだ材料はあるし、今度作る時にはお糸ちゃんを呼ぶから、手伝ってくれる?」
今日、白ちゃんが湯煎してくれた牛乳から、かなりの量の生クリームが出来るのだが、現状ではそれ程使い途も無いので、少しくらいキャラメルにしてしまっても問題は無い。
「そうなんですか!? 是非是非、やってみたいです!」
「う、うん。その内ね」
(本当に、料理が好きなんだぁ……)
キャラメルを味わって材料を聞いて、作り方にまで興味を持ったのは料理好きなお糸ちゃんらしいと言える。
「そうだ。ブーメランの追加分を作ってきたんだけど、これで一人に一つずつ行き渡るよ」
「「「わぁ」」」
俺が出した、それぞれが少しずつ違う形状のブーメランを見て、子供達が小さく歓声を上げる。
「しゅ、主人。どれを選んでもいいんですか?」
まるで宝物を前にしているかのように、焔君がブーメランから視線を外さずに俺に訊いてきた。
「いいよ。でも誰がどれをっていうので、喧嘩とかはしないで決めてね?」
「はい! ど、どれにしようかな……」
「あたしはこれがいいです」
「あ、あたしはこれが」
焔君が悩んでいる間に、風華ちゃんは変形のブーメラン型の物を、お糸ちゃんは最初に作った二つの内の一つの、オーソドックスなブーメランを選んだ。
女の子二人は特に形状に拘りは無いらしくシンプルな形状のブーメランを選んで、そこに男の子達から待ったが掛かったりはしなかった。
「……俺はこっちを」
「じゃあ、俺はこっちで」
特に争いも無く、潮君が変形の三枚羽の方を、焔君が四枚羽のブーメランを選んで丸く納まった。
「焔君。ちょっと貸してくれるかな」
「は、はい、どうぞ! でも、どうしてですか?」
俺がお願いすると、焔君は直ぐに四枚羽のブーメランを差し出してくれたが、顔には言葉と同じく疑問が浮かんでいる。
「この形は初めて作ったから、ちゃんと戻ってくるのか試してみたくってね」
多少は形状が違っていてもブーメラン型と三枚羽型は、先に作って実際に投擲してみて戻ってくる事が実証されているのだが、四枚羽型は他の二種類と比べると形状だけでは無くバランスも違うの、でちゃんと飛んで戻ってくるかという点に不安があるのだ。
焔君の腕前とは関係無い部分で、投擲したブーメランが戻ってこないと可哀想なので、試してみて回転の仕方や飛び方がおかしければ、その場で微調整を加えようと思って借りたのだった。
「じゃあ、投げてみるね」
「「「……」」」
(や、やり難いな……)
状況的に仕方が無いのだが、子供達が期待の込もった眼差しでじっと俺を見つめているので、これでブーメランのバランスが悪くて失敗、なんて事になったら目も当てられない。
「……っ!」
少しの間を置いてなんとか気分を落ち着かせた俺は、口の中で小さく気合を発するとブーメランを投じた。
「「「おおー!」」」
先に二つ作っていたので手が慣れていたからか、心配を他所にブーメランは子供達が視線で追う先で綺麗に弧を描き、やがて俺の手元に戻ってきたのをキャッチした。
頭に思い描いた通りに飛んで還ってきただけで、実際には大した事では無いのだが、それでも子供達は歓声を上げてくれた。
「有難うね、焔君」
「い、いいえ! 元は主人が作って下さった物ですから!」
「あはは。でも、もう焔君のだよ」
「はい! 主人みたいに、上手く還ってくるように練習します!」
「そ、そう……」
(そんなに一生懸命にならないでもいいと思うんだけど……まあ、何でも打ち込めるっていうのは良い事か)
俺としては、文字や計算などの勉強が疎かにならなければそれで良いと思っているのだが、遊びでも上手くなれば嬉しいというのはわかるので、その辺は焔君を始めとする子供達の自主性に任せよう。
「あ、そうだ。遥君、そろそろ買い物に行くつもりだけど、どうする? なんなら行かずにブーメランの練習をしててもいいけど」
「え、えーと……」
(やっぱり、ちょっと悩ましいんだな)
買い物は特に荷物持ちを手伝って貰う必要とかは無いので、俺一人で行っても構わないのだが、お供をするのは子供達にとっては娯楽の一種なのだ。
俺と白ちゃんと一緒に買い物に行くか、それとも自分の物になったブーメランの練習をするか、遥君は選択を迫られて悩んでしまっている。
「主人。遥が行かないんだったら、あたしが買い物に御一緒します!」
「えっと……料理のお手伝いは、あたしがします」
遥君が結論を出せないでいると、風華ちゃんが買い物に、お糸ちゃんが夕食の支度を手伝ってくれると申し出てくれた。
「えっ!? しゅ、主人! 買い物も料理も、俺が手伝います!」
自分が保有している権利が、風華ちゃんとお糸ちゃんに脅かされると思った遥君は、慌てて二人を遮って俺に主張してきた。
「う、うん……遥君が好きにしてくれていいよ」
「有難うございます!」
「「……」」
(この辺は、女の子の方が一枚上手だな)
ホッと一息ついた遥君とは対象的に、思わぬ機会が訪れたのに元の鞘に収まってしまい、残念そうな風華ちゃんとお糸ちゃんだった。
「あ、そうだ。お糸ちゃん」
「はい?」
「あのね。俺と年長者の何人かは明日、大坂に行く予定になってるんだ」
「そうなんですか?」
「うん。それで、明日はお糸ちゃんが俺の手伝いの予定でしょ?」
「あ……」
俺の予定と自分の予定というのが頭の中で一致していなかったのか、ここまで話が進んでからやっと、お糸ちゃんは料理や買い物をする機会が失われるかもしれないという考えに至ったのだった。
「しゅ、主人の御予定でしたら……」
「いや、あのね。最後まで話しを聞いてくれるかな?」
お糸ちゃんは子供ながらに迷惑を掛けないようにとか考えているのか、悲しそうな表情を俺に見せまいとして俯き、我慢に身体を震わせている。
「もう……最後まで話しを聞いてってば」
「ひゃあっ!?」
声掛けくらいではこっちを向いてくれそうに無いので、お糸ちゃんを抱き上げて顔同士を近づけた。
「しゅ、主人?」
「あのね、少なくとも昼は料理のお手伝いをして貰えないから、お糸ちゃんにはその代わりに、俺達と一緒に大坂に行かないかって訊こうかと思ったんだけど?」
「えっ!? あ、あたしも一緒に、大坂にですか!?」
「うん、そう」
潤んだ瞳を真ん丸に見開いて、お糸ちゃんが俺を見つめてくる。
「あ、あの、でも主人は、何かの御用事がお仕事で行かれるんですよね?」
「まあ、そうだけど」
「それなのに、あたしが一緒に行っちゃっていいんですか?」
「構わないよ。俺だって役に立つかわからないし」
「え、ええー……」
「いや、本当なんだってば」
商人では無い俺がブルムさんと一緒に行って、大坂で何か商談とかの役に立つのかはわからないが、出来れば里の役に立ちそうな物と食料品を手に入れられればとは思っている。
お糸ちゃんは信じられないという顔をしているが、実際に商売のノウハウとかは俺には無いので、普通に買い物をする程度が関の山だ。
「それで、お糸ちゃんは行く? それとも行かない?」
「う、うぅー……い、行きます」
少しの間、唸りながら考え込んでいたお糸ちゃんだが、未知の土地への興味が勝ったのか、きっぱりと言い切った。
「主人、お話中に申し訳ないのですが。それではあたし達は、明日の早い時間に里に戻るのですか?」
俺とお糸ちゃんの会話を聞いていた風華ちゃんが、
「そうなるね。朝御飯を食べ終わって少ししたらって感じかな」
元々、白ちゃんが明日の朝まで笹蟹屋に滞在して里に戻る予定だったから、同じタイミングでお糸ちゃんを除いた子供達も一緒に移動するという形になるだろう。
「みんなには予定と違っちゃった上に、直前になってから伝えるのは悪いと思ってるんだけど」
「そ、そんな事はありません! あたし達、主人にはお世話になりっぱなしなんですから!」
「そ、そう?」
(なんと言うか、見た目と違って考え方が大人だよな)
今から予定の変更も出来ないので、話が違うとゴネられても困りはするのだが、例え理不尽だろうがそういう我侭を言うのが子供だと思っていた俺は、風華ちゃんの大人な対応に驚かされてしまった。
比較対象として適当かどうかはわからないが、俺から見ると風華ちゃんと比べれば、一部のワルキューレの方がずっと聞き分けが悪いように思える。
「何か良さそうな物が売ってたら、お土産に買ってくるからね」
「「「はい!」」」
お糸ちゃんを地面に下ろしながら言うと、みんな元気良く返事をしてくれた。
お糸ちゃんだけ大坂に行けてずるいとか、一人くらいは言い出すかと思ったが、内心でどう思っているかはともかく、特に不平を漏らす子は居なかった。




