抹茶塩
「お疲れさまです、主様」
「天后さん。焔君は大丈夫ですか?」
黒ちゃんと一緒に居間に戻ると、天后とブルムさんしか居なく、焔君を含む子供達の姿は無かった。
「はい。あの後、直ぐに目を覚ましまして、主様からお預かりした氷を使って飲み物を与えて様子を見ましたが、特に具合が悪い感じではありませんでした。それでも大事を取って、早めに休ませましたが」
「そうですか」
焔君が早めに寝るという事で、他の子達も付き合ってあげたので姿が見えなかったのだ。
「天后さんにはお手数を掛けましたね」
「そんな……勿体無くございます」
何故か礼を言った俺の方が、天后に頭を下げられてしまった。
「焔君が担ぎ込まれて来た時には、何が起きたのかと思いましたが、大した事が無かったようで何よりですね」
「ブルムさんにも御心配をお掛けしました」
「……天后も、ブルムのおっちゃんも、御免」
焔君の事に関して責任を感じている黒ちゃんも、言葉を絞り出すようにして天后とブルムさんに謝罪した。
「わ、私は主様の指示に従っただけですので」
「まあまあ、黒殿。私は気にしていませんし、それは焔君もでしょう」
「うー……」
天后もブルムさんも責めたりはしなかったが、逆に黒ちゃんは感情の持って行き処が無くなったので、唸る事しか出来ないようだ。
「それよりも鈴白さん。風呂から上がるのをお待ちしていたので、例のアレ、お願い出来ますかな?」
「ああ、そうですね。では、お待たせついでにもう少しだけ」
「お願いします」
小鮎の天ぷらはドラウプニールに仕舞ってあるので、直ぐにこの場に出せない訳では無いのだが、酒器と食器を厨房に取りに行く為に立ち上がった。
「御主人! あたいも一緒に行く!」
「わかった。おいで」
「おう!」
正直、黒ちゃんに手伝って貰う程の事も無いのだが、俺が居ない状態で留まっていても辛そうなので、敢えて一緒に来るように促したら、パァッと笑顔になって立ち上がった。
「それは御主人の分?」
俺が酒だけでは無く、鉄瓶で湯を沸かして急須に茶葉を入れているのを、黒ちゃんが覗き込んできた。
「うん。俺は酒は飲まないし、天后さんも何も無しじゃね」
酒を飲んでいるのを、ただ見ながら一緒に居ても間が保たなそうだし、天后に何も出さないというのも悪いので、自分の分と併せて茶の用意をした。
「多めに用意しておくから、黒ちゃんも飲みたくなったら出すから」
「おう! って、御主人、それは?」
「ん? ツマミが天ぷらだけじゃ重いからね」
俺が天ぷら以外に小鉢に料理を盛り付けているのに、黒ちゃんが気がついた。
「黒ちゃんの分も、ちゃんとあるからね」
「おう!」
(蜂蜜酒よりも、こっちの方が嬉しそうだな)
蜂蜜酒の味も楽しみにしているとは思うのだが、やはり黒ちゃんは飲み物よりは食べ物の方に関心が高いようだ。
「こんなもんかな? それじゃ手分けして運ぼうか」
「おう!」
酒器と酒肴を盛り付けた器、茶器を黒ちゃんと手分けして持って、居間の方に向かった。
「お待たせしました」
「それ程でもありませんよ」
と、ブルムさんは返してくれたが、座卓の上には既に蜂蜜酒の入った大徳利が置かれているので、待ち遠しかったに違いない。
「ではブルム様、おひとつ」
「おお。これは嬉しいですな」
天后が大徳利を捧げ持つようにすると、ブルムさんは笑顔で酒盃を手にして酌を受けた。
「それじゃ黒ちゃんには俺から」
「お、おう!」
なんか黒ちゃんが緊張した様子で、俺からの酌を受けている。
「天后さんに何も無いと間が保たないと思ったので、これを」
「これは……お茶なのですよね?」
「外国のお茶に、蜂蜜と生姜を入れて冷やした物です」
「……何か濃い色ですね」
「そのお茶は、蜂蜜を入れると色が濃くなるんです。でも苦かったりはしませんから」
俺と天后の分に用意したのは紅茶なので、蜂蜜を入れると色が濃くなるのだが、見慣れていないからかやや表情が硬い。
「それでは、本日もお疲れさまです」
「「「お疲れさまです」」」
ブルムさんに合わせて、各自が酒盃や湯呑を掲げた。
「……御主人。これって匂い程は甘くないんだね」
「ああ、やっぱりそうか」
「って、御主人、知ってたの!?」
予想通りだったらしいのでその事を口に出すと、黒ちゃんがショックを受けている。
「いや、俺も飲まないから確証は無かったんだけど」
「うぅ……不味くは無いけど、そんなにおいしいとも思わない」
「私にはおいしく感じるんですけど、その辺は人それぞれですからなぁ」
黒ちゃんに同情しながら、ブルムさんは酒盃を傾けた。
「ううむ。香りは甘いが清酒よりも辛口ですね。では小鮎の天ぷらと合わせてみましょうか」
「ブルムさん。良ければこれを」
俺は天つゆ以外に用意した物を卓上に置いた。
「こちらは塩ですね。もう一つの緑色のこれは?」
「抹茶塩です。この間、抹茶を買ったので、試しにお出ししました」
ショートブレッドを作る時に買った抹茶を塩と混ぜて、天ぷら用に出したのだが、果たしてブルムさんの口に合うかどうか。
「どれどれ……ふむ」
ブルムさんは最初に塩につけて一口食べて蜂蜜酒を飲み、残りに抹茶塩をつけて小鮎の天ぷらを食べきり、蜂蜜酒も飲み干した。
「好みもあるでしょうけど、私にはつゆか塩が合っているみたいですね」
「抹茶塩は駄目でしたか?」
どうやらブルムさんも俺と同じで、抹茶塩は口に合わなかったらしい。
「天ぷらのタネや酒が、もう少し味の濃い物なら抹茶塩も良いのかもしれませんね。後味はさっぱりするのですが」
「成る程」
抹茶の味は濃くて小鮎や蜂蜜酒よりも支配的なようだが、それでも茶なので食後の口の中をさっぱりさせる効果は高いという事なのだろう。
「あたいも食べてみていい?」
「私も頂いて宜しいですか?」
「どうぞ」
黒ちゃんと天后も抹茶塩に興味を持ったらしいので、こんな事もあろうかと、少し多めに残しておいた小鮎の天ぷらを出した。
「ブルムさんには、天ぷら以外にもこんなのを用意しました」
「おお! 腸詰に乾酪ですね。これは間違い無く蜂蜜酒に合いそうです」
ボイルしてスライスした鹿肉のソーセージと、こちらもスライスしたチーズを出すと、食べ慣れている物だからか、ブルムさんが嬉しそうに微笑んだ。
ソーセージは茹でてそのまま出した方が肉汁が漏れ出さないのだが、羊では無く猪の腸を使ってあって太いので、食べ易さを考えてスライスした。
「後はこれです」
「これは、もやしですね?」
「ええ。この間水菜で作った料理を、もやしで作りました」
茹でたもやしを刻んだにんにくと葱と合わせ、塩と酢と胡麻油で和えたナムルなのだが、どちらかと言えば水菜の方がアレンジメニューっぽいの気がするが、順番としてはもやしの方が後になってしまった。
「ううむ。腸詰、乾酪、天ぷらで口が重くなったところで蜂蜜酒と、このもやしの料理を挟むとさっぱりして、幾らでも飲めてしまいそうですなぁ」
「そうなのかもしれませんが、程々に」
「ははは。わかっておりますが、この蜂蜜酒も絶品なのでねぇ」
俺の言葉を聞いて苦笑しながらも、ブルムさんは一定のペースを保ってツマミと蜂蜜酒を口に運んでいる。
「……御主人。これ苦い」
「……ブルム様の仰る通り、つゆと塩の方が合っているかと。いえ、主様のお作りになる物は、なんでもおいしゅうございますが」
「二人共、無理に食べないでいいから」
黒ちゃんは文字通りに、苦い物を噛んだ顔をしている。
天后は一見すると平静を装っているのだが、良く見れば能面みたいに感情を表さないようにしているだけのようだ。
「うう……御主人。あたいにもお茶頂戴」
「蜂蜜と生姜入りだけど。良ければ麦湯もあるよ?」
「麦湯がいいな」
「了解」
黒ちゃんは思っていた程はおいしくなかった蜂蜜酒に見切りをつけ、蜂蜜と生姜の味の紅茶も敬遠して麦湯に落ち着いた。
「御主人、ブルムのおっちゃん。これ、あたいも食べていい?」
黒ちゃんは卓上のソーセージとチーズを指差して訊いてきた。
「どうぞどうぞ。と、私が言うのもおかしいですが」
「いいよ。足りなければ、もう少し出すし」
「おう!」
俺とブルムさんの許可が出たので、黒ちゃんは待ってましたと言わんばかりに手を伸ばした。
「……あの、主様。こちらの料理は?」
「ああ。天后さんは御存知無いかもしれませんね。こっちが潰した鹿肉を腸に詰めて燻製にした物で、こっちは牛の乳を加工した物です」
ソーセージの方はそのままを説明すれば良いのだが、チーズの方は動物の乳を固めるのに利用される酵素の説明が難しく、かなりざっくりした言い方になってしまった。
「牛の乳と仰っしゃりますと、酪や醍醐のような物でしょうか?」
「微妙に違うんですが……似た物だと思って貰って大丈夫です」
牛乳を煮詰めて作る酪も醍醐も発酵食品では無いし、どちらかと言えば菓子の分類に入るのだが、世界的に見れば似たような味のチーズもあるので、今の説明で問題無いだろう。
「私も少し頂いても宜しいですか?」
「構いませんけど……」
(天后さんの口には合うのかどうか……)
醍醐とか知識としては知っているみたいだが、かなりの量の牛乳からほんの僅かしか出来ない物なので、天后が口にしているとは考え難い。
「あれ? そういえば天后さん。昼の料理は大丈夫でしたか?」
天后を使役していた安倍晴明の時代に、鹿肉とかを食べていたかというのも怪しいので、目の前のソーセージもそうだが昼のレバーも、口に合うどころか全く受け付けないという可能性も。
育ったもやしを使い、減らないレバーの料理をと思ってレバニラを作ってしまったが、沖田様も最初は抵抗があったみたいなので、少し配慮が足りなかったかもしれない。
「動物の肝の料理というのは始めて頂きましたが、主様の調理の腕前と味付けのお陰を持ちまして、非常においしゅうございました」
「そ、そうですか。なら良かったですけど、苦手な物があるようなら言って下さいね」
「過分な御配慮、有り難く思います」
(……こりゃ、自主的には言ってきそうに無いな。大裳さん辺りに訊くか)
どうも天后は俺の言う事に盲従しているフシがあるので、手間を掛けさせると思うような事を自発的に言っては来そうにない。
同じ式神である大裳も天后と似た傾向はあるが、多少は砕けた感じの性格に見えるので、訊いた事には素直に答えてくれるだろう。
「ん……鹿の肉は意外に癖が無いのですね。肉の意外にも色々と入っているみたいですが」
「ははは。鈴白さんが作る腸詰には、贅沢に香辛料が使われていますからなぁ」
「ええっ!? そ、それではこれは、物凄く贅沢な物なのでは!? わ、私などが食べて良かったのでしょうか!?」
「そんなに大した物じゃ……鹿と猪の肉とその加工品は余り気味ですから、今みたいな通常の食事以外の時間じゃ無ければ、もっと出しても構わないんですよ」
カステラの時と同じく、香辛料を使っているソーセージが高価で俺に負担を掛けるとでも思ったのか、天后が恐縮してしまったので、そうでは無い事を伝えた。
「香辛料にしたって、咖喱と比べれば大した事は無いですから」
今は元の世界から持ち帰ったカレー粉があるが、江戸の薬種問屋の長崎屋さんから買った香辛料で再現したカレーは、恐ろしく単価の高い料理になってしまった。
そんなカレーと比べれば、ソーセージの味付けや臭み消しに使った分の香辛料など、微々たる量だと言える。
「か、咖喱というのは、そんなに恐ろしい料理なのでございますか?」
「恐ろしいって……まあ、食べ慣れない人は驚くかもしれませんけど」
金銭面で言えば以前のカレーは、確かに恐ろしいと言えたかもしれないのだが、カレー粉を使う今のバージョンは少し高価なくらいで済んでいる。
しかし、伝統的な日本料理には香辛料が殆ど使われていないので、複数種類を組み合わせるカレーは、知らない人間からすれば驚異的な食べ物に映るかもしれない。
「御主人! お話聞いてたら咖喱食いたくなってきた!」
「前に作ってから、そんなに経ってないよ?」
元の世界から戻って、天后を含む一条戻橋の式神と戦う直前にカレーを作ったので、まだ前回から一週間は経っていない。
「黒ちゃんは明日には里に戻るんだし、週末じゃ駄目? っと、まだ週末は予定が決まって無いんだったっけ」
食の好みは人それぞれではあるが、黒ちゃんには悪いけど流石に朝からカレーは俺には強烈過ぎるし、ブルムさんや子供達にもちょっと厳しいだろう。
だから週末にと黒ちゃんに言おうとしたのだが、まだ大坂行きの予定がはっきりしていないので、安易に約束をする訳には行かない状況だ。
「なんなら咖喱粉を預けるから、里で作って食べてもいいよ?」
長崎屋さんから香辛料を買っていた時とは違って、カレー粉があれば野菜や水の分量にさえ気をつければ、殆ど失敗する事は無いだろう。
「か、咖喱ならなんでもいいって訳じゃ無くって、御主人が作ったのが食べたいんだよぉ!」
「それは……光栄だけど」
男の俺としては、こういうやり取りをする時には逆の立場が望ましいのだが、それでも黒ちゃんに料理を褒められて悪い気はしない。
「鈴白さん。こうなったら金曜は店を閉めて、夕方までに大坂から戻ってくるというのはどうですか?」
「えっ!?」
現代のように交通機関が発達しているのならば、ブルムさんが言うような短時間で京と大坂を用事を済ませて往復出来るが、こっちの世界ではそうは行かない。
「確か戦乙女殿達の愛馬は、空を駆けられるのでしたよね?」
「あー……でも、それは」
ブルムさんの言うように、ワルキューレ達の愛馬に空中を駆けて貰えば、地形を無視して一直線に目的地を目指せるのだが、そんな事をすれば大騒ぎになってしまうだろう。
「鈴白さんがお作りになる認識を阻害する布で、馬も乗っている人も覆ってしまえばどうですか?」
「あ」
(その手があったか……)
確かにブルムさんが言う通りに、認識阻害効果のある外套ですっぽり覆ってしまえば、異様な空を駆ける馬から関心を逸らせる筈だ。
航空機なんかが存在しないこっちの世界では、野鳥くらいしか空で目を引く存在は無いし、天気を気にする人以外は空を見上げるなんて事もしないと思うので、認識阻害の外套を使えば対策は万全と言えるかもしれない。
「それは、一考の余地がありますね……でも、店を休んじゃっていいんですか?」
「ははは。何を仰るかと思えば。鈴白さん、仕入れも立派な商売の内なのですよ? 今のように店を構える前は、必要な品を仕入れる為に何日も掛けて移動とかもしていましたしね」
「言われてみれば、そうですか」
那古野で出会った頃のブルムさんは行商人で露店で販売をしていたので、江戸に店を開いているドランさんのように、注文をした品を届けて貰うという訳にも行かなかっただろうから、物によっては仕入れにも時間が掛かったというのは良く分かる。
「仕入れだけでは無く大坂の方の商会の幾つかに顔を出して、この店の商品を売り込もうかとも思っています」
「成る程。そういう事なら、週末はそういう方針で行きましょうか」
テレビもコマーシャルもこっちの世界には無いので、口コミ以外に商品の宣伝をするとなると、自分で売り込みというか営業に行く必要もあるというのは理解出来る。
「では俺とブルムさんとおりょうさんと……後は同行する人と同じ人数分の戦乙女さん達ですね」
商売に関する事はブルムさんに任せているので、俺が一緒に行く必要も無いのかもしれないのだが、同行していればいざという時に、サンプルをその場で作ったりも出来る。
俺以上におりょうさんの同行の必要は無いのだが、先ずそう告げる時点で揉め事になるのが目に見えるし、週末に京に出て来て俺と一緒に里へ戻るのを楽しみにしているだろうから、お詫びの意味も込めて大坂行きに誘うのだ。




