無敵爺さん
「く、黒姉様……」
「焔! 痛かったら言うんだぞ?」
「は、はい……」
「黒ちゃん。あんまり無理には……」
焔君は黒ちゃんの前で大人しく……と言うよりは緊張で動けず、その表情は強張っている。
「ん? 焔、あたいに洗われるの嫌か?」
「い、いえっ! そんな事はありません!」
「だってさ、御主人!」
「そ、そう……」
(黒ちゃんにそういう風に訊かれて、焔君が断る訳が無いよなぁ……)
本人にそういう意識は無いのだろうけど、黒ちゃんは立場的に弱い焔君の反論を封じ込めろという、非常にずるい言い方をしている。
ただ、焔君が本当に嫌がっているかと言えば、緊張と恐縮をしながらも憧れの人に背中を流して貰えているというシチュエーションに夢心地かもしれない。
「そーら、ごしごしごし!」
口では力強く擦っているような調子だが、実際には焔君を気遣って優しく丁寧に、そして隅々まで黒ちゃんの手が伸びて洗っている。
「よーし! 焔、こっち向け!」
「えっ!?」
気持ち良さそうに洗われていた焔君の幼い顔に、一瞬にして緊張が漲った。
「あの、黒ちゃん……」
「ほら、ちゃんと綺麗にしておかないと、御主人みたいに女にもてないぞ!」
焔君が向きを変えたくない理由、それは自分の正面側を見せたくないのと、黒ちゃんの裸身を正面から直視出来ないからというのが俺には察せられたので止めようとしたのだが、被せ気味の言葉で遮られてしまった。
「もー、手間掛けさせるなぁ。うりゃっ!」
「ひゃっ!?」
体格差もあるし筋力の差は如何ともし難く、焔君は黒ちゃんの手によって持ち上げられ、あっさりと方向転換をさせられてしまった。
「あ、あ……」
「それじゃ洗うからな!」
真っ赤になって震えながら、声にならない声を出している焔君は、目の前で揺れる黒ちゃんのたわわな双丘から視線が外せないでいる。
「これで良し! さて最後の仕上げに、焔、立て!」
足の裏や指の間まで磨き上げた黒ちゃんは、焔君に立つように指示した。
「は、はいっ!」
「おう! じゃあ最後に、座ってて洗えなかった場所を洗うからな!」
「……え?」
洗えなかったり洗い難かったりするので、黒ちゃんが残しておいた部分、要するにお尻と股の間なのだが、言葉の意味を理解したのか、言われるままに立ち上がった焔君の顔に緊張が走った。
「く、黒姉様。そこは自分で……」
「遠慮すんなってー!」
「はぅ……」
決して強い力では無いのだが、お尻に伸ばされた黒ちゃんの手で洗われ始めると、焔君は妙な声を出して膝から崩れ落ちそうになったが、なんとか耐えている。
「なんだ焔? 疲れたのか?」
「い、いえ……」
「ここで最後だからな!」
「「あ」」
見ていた俺と俺と焔君では意味合いが違うのだが、何故か声が重なった。
「く、黒ちゃん!」
「ん? どうかした?」
「どうかしたじゃ無くて、そこは……」
「大事な場所だから綺麗にしないとな! ほーれ、ごしごしごし!」
敏感なので、もう少し優しくと俺が言う前に、黒ちゃんの手が焔君の股間で無遠慮に動き回った。
「ああああぁ……きゅぅ」
「ちょっ! 焔くーん!?」
すると、顔色が真っ赤を通り越して赤黒くなった焔君は、変な声を出すと黒ちゃんに向かって倒れ込んだ。
顔色を見る限りではどうやら興奮して頭に血が昇り、漫画のように鼻血こそ出なかったが、気を失ってしまったようだ。
(天后さん!)
(は、はいっ!? あ、主様でございますか!?)
思わず『メディーック!』と叫びそうになったが、馬鹿な事を言っている場合じゃ無いので、念話で天后を呼んだ。
俺も少し冷静さを欠いているが、呼ばれた天后の方も焦っているのが、念話の声から感じられた。
(ど、どうされました?)
(焔君が倒れたので、至急、風呂場まで来て下さい)
(畏まりました!)
一瞬だけ召喚を試そうかという気になったのだが、これ以上は場を混乱させたく無いし天后は遠くない場所に居るので、徒歩で向かって貰う事にした。
「お、おい! 焔!?」
「黒ちゃん、ちょっとどいて」
「う、うん」
急にぐったりした焔君を、黒ちゃんは抱きとめただけでオロオロと見ているだけしか出来ないでいるので、湯船から出た俺が代わりに引き受けた。
(とりあえず、石鹸を洗い流すか)
頭に血が昇っている状態なので本当なら冷やした方が良いのだが、石鹸まみれのままでは身体を拭く事も出来ないので、とりあえず手桶で湯を汲んで流した。
(ありゃ。焔君の身体の一部が……)
黒ちゃんから視覚や触覚による様々な刺激を受けたからか、異性として意識した訳では無いと思うが、石鹸の泡が流されると焔君の身体の一部が、しっかりと反応しているのが確認出来た。
焔君としては不本意な状態だろうと思うので、濡れた身体をタオルで拭いてあげながら黒ちゃんには見えないように気をつけた。
「主様! 参りました!」
「有難うございます」
風呂場の戸を勢いよく開けながら、天后が足を濡らすのも気にせずに入ってきた。
「これを布にくるんで、頭を冷やしてあげて下さい。目が冷めたら水分の補給を」
ドラウプニールで出した水を能力で凍らせて幾つか用意した氷を、桶に入れて天后の方に差し出した。
「畏まりました」
片手で焔君を抱き上げた天后はもう片方の手で桶を受け取ると、一礼して風呂場から立ち去った。
(多分だけど焔君は、自分の身体に起きた変化の理由がわかっていないんだろうなぁ……)
焔君を抱えた天后の後ろ姿を見送りながら、そんな事を考えた。
幼児にも淡い性感はあると聞くが、今回の焔君に関しては普段刺激を受けない部分が、黒ちゃんによって強烈な扱いを受けたから驚いただけだろう。
「焔……」
「黒ちゃん。焔君は大丈夫だから」
「う、うん……」
黒ちゃん的にはどういう状況なのか良くわかって無さそうだが、焔君が気を失ったのは自分に責任があると感じているようで、表情が落ち込んでいる。
「ほら。洗ってあげるから、座って?」
「う、うん……」
すっかりしおらしくなってしまった黒ちゃんは、言葉に従って俺の前に腰を下ろした。
「痛かったら言ってね?」
「うん……」
すっから乾いてしまった黒ちゃんの身体に湯を掛けてから、石鹸を泡立てた手拭いで背中を洗い始めた。
(……本当にこうしてると、普通の可愛い女の子なんだよなぁ)
胸や腰は女性らしく豊かだが、肩幅なんかは俺と比べて小さくて、一見すると黒ちゃんは華奢に思えるくらいだ。
そして玄武の能力を取り込んで、漆黒の表皮が硬質化していたのが信じられない程に、黒ちゃんの肌は滑らかで柔らかい。
尤も、玄武の事が無かったとしても黒ちゃんは元々が鵺なので、普通の人間とは違うのだが……。
「ねえ、御主人……」
「ん? ちょっと強かった?」
加減をして擦っていたつもりだが強くしてしまったのか、黒ちゃんが後ろを振り返りながら声を掛けてきた。
「そうじゃ無くて……焔、大丈夫かな?」
「天后さんが何も言ってこないから、大丈夫だよ」
黒ちゃんの問に無責任に応えている訳では無く、天后が対処に困って俺に念話を送ってきたりしていないので、逆に焔君が重篤な状態などにはなっていないという事だからだ。
「御主人」
「ん?」
「御主人は、焔がなんでああなったのか、わかる?」
「えーっと……」
(これは、なんと答えたもんかなぁ……)
焔君には自覚が無い、黒ちゃんを対象とした異性への目覚めだと思うのだが、それを伝えてしまって良いものか……悩ましいところだ。
「その、ね……里では焔君達は、男の子と女の子で分けて入浴してたし、黒ちゃんみたいな大人の女の人との入浴に慣れてなかったから、だと思うよ」
かなり迂遠な表現ではあるのだが、自分の発言をその場で省みて、間違ってはいない事を確認した。
「慣れてないから?」
「うん。ほら、湯屋とかに行ってたら、大丈夫だったんじゃないかな。頼華ちゃんも江戸で湯屋に行ってた頃は、落ち着きが無かったし」
(……嘘は言ってないよな? それにしても頼華ちゃんと一緒に湯屋に行ったのも、懐かしく感じるな)
一緒に湯屋に行っていた頃の頼華ちゃんが、利用客の男性の彫り物に目を奪われていたりした事なんかを思い出した。
「成る程……焔は慣れてなかったからかぁ」
「そうそう」
なんとか俺の説明で、黒ちゃんを納得させる事が出来たようだ。
(まあ、俺みたいに慣れちゃうのもどうかと思うけど……)
俺の周囲の女性陣は羞恥心がある割には、どういう訳か俺と一緒に入浴する事と、床に入る事を好む傾向にある。
慣れたと言っても、それは女性陣を意識しなくなったとか魅力を感じなくなったという事では無く、変に凝視をしたり表面上は平静を装えるようになっただけだったりする。
そもそも、まだ発展途上の頼華ちゃんですら十分に魅惑的なのに、おりょうさんを筆頭に抜群のプロポーションの持ち主達の一糸纏わぬ姿を入浴時に見ているのだから、これで意識をしなければそれは男として枯れきっているか不能、若しくは女性を愛せなくなっているという事だろう。
(お陰で、今みたいな状況は天国と地獄だけど……)
黒ちゃんは現代の発育の良いティーンエイジャーといった感じのプロポーションで、極端に胸が大きかったりはしないのだが手の平に余るくらいは十分にあるし、腰は綺麗にくびれている。
学校指定の制服などを着ていると目立たないが、夏場にボディラインにフィットしたファッションになると、プロポーションの良さが際立つタイプだ。
そんな女の子である黒ちゃんが、俺の目に座って前で身体を洗われている……まだ枯れたりはしていないが、そろそろ悟りは開けそうな気がしなくも無い。
「御主人、どうしたの?」
少し考え込んでいる間に手が止まっていたらしく、黒ちゃんが振り返りながら尋ねてきた。
「あ、ああ。御免ね。なんでも無いんだよ」
「ふーん?」
「さて、後は自分で出来るよね?」
「えー……」
「えー、って……」
俺が手拭いを渡そうとすると、黒ちゃんはあからさまに不満そうな顔をした。
「頭は洗ってあげるから、前は自分で、ね?」
「わかったー」
不承不承という感じではあるが、頭を洗うと言ったのが効いたのか、黒ちゃんは手拭いを受け取った。
「俺は少し温まってるから」
「はーい」
黒ちゃんに断りを入れてから、入れは湯船に浸かった。
「ふぅ……」
同じ風呂場に黒ちゃんが居るのだが、元の世界の短期滞在から戻ってから、一人で湯船に浸かるのは久々な事かもしれない。
人によっては『爆発しろ!』とか言いそうだが、目の前や肌が触れ合う位置に魅惑の裸体があるのに、見ているだけというのは生殺しに他ならず、決して羨ましいだけの状況では無いと声を大にして主張したい。
「よし! 御主人、頭洗って!」
「了解」
身体を洗い終わって、手桶でザバッと湯を浴びた黒ちゃんに呼ばれたので、俺は湯船から出た。
「いいって言うまで、目を開けないでね?」
「おう!」
少し前傾した姿勢の黒ちゃんの、頭全体に湯が行き渡るように掛けていく。
「洗うよー」
「おう!」
手に塗りつけた石鹸を泡立て、黒ちゃんの髪の毛に少しずつ馴染ませるようにして洗っていく。
「終わったから流すね」
「おう!」
少し癖のある黒ちゃんの髪の毛は、おりょうさんや頼華ちゃん程の長さが無いので、隅々まで丁寧に洗っても、終わるまでにはそれ程時間が掛からない。
「最後の仕上げをして……終わったよ」
「おう!」
石鹸で洗うだけだと髪の毛がキシキシになってしまうので、最後に薄めた酢を馴染ませて櫛通りが良くなるようにしてから湯で流した。
髪の毛も肌も綺麗になって、黒ちゃんは全身が艶々している。
「それじゃ御主人! お返しするね!」
「いや、俺は自分で……」
「す・る・ね!」
「……お願いします」
「おう!」
無駄だと知りつつ俺はささやかな抵抗を試みたが、結局は黒ちゃんに押し切られた。
「やっぱり御主人は、焔とは違うね!」
「そりゃあ……黒ちゃんだって、お糸ちゃんや風華ちゃんとは違うでしょ?」
「そうなんだけど……そういう事じゃ無くってね」
「ん? って!?」
気がつくと黒ちゃんの手が止まり、俺の背中に張り付くように身体を寄せてきている。
当然ながら俺の背中には、黒ちゃんの二つの胸の膨らみが押し付けられるようになっているので、その柔らかさを感じて俺の心臓が高鳴った。
「そこの形が、違うんだなぁ、って」
「そ、そこって……」
俺の肩越しに見ている黒ちゃんの視線は、座った俺の脚の間に注がれている。
「ちょ、ちょっと、黒ちゃん!?」
「やっぱり御主人は、大人だから?」
思わず手で隠した俺に、黒ちゃんは純粋な疑問の表情で訊いてくる。
(……こういう目をされると、困るなぁ)
黒ちゃんの瞳には変な感情が入っていないが見て取れるので、俺は一瞬で毒気を抜かれた。
「あのね……成長期っていうのがあって、女の子は男の子よりも少し早めに訪れるんだけど、そうすると男女共に体つきとかが変化していくんだよ」
「そうなんだ? 御主人は?」
「俺は成長期だと思うんだけど……この身体だと、どうなのかな」
運動はそれ程していないので劇的に背が伸びたりはしなかったが、声変わりをしたりというのはあったので、元の世界での話ならば胸を張って成長期だと言える。
しかし、こっちの世界で再構築された身体に関しては色々と規格外の性能なので、成長したり老化したりするのかというのも不明だったりする。
「とりあえず、今の俺の身体は大人に成り切る直前って感じかな」
「そうなんだ? じゃあまだ、色々と大きくなるの?」
「……多分ね」
黒ちゃんが『色々』と言いながら、視線が再び俺の身体の一点に注がれたのを感じたので、曖昧に返事をしておいた。
「有難う。後は自分で洗うから、黒ちゃんは温まってくるといいよ」
「……わかったー」
少しだけ不満そうにしていたが、焔君の事があったからか、黒ちゃんは大人しく湯船に入った。
(でも、本当にこの身体って、どうなるんだろうな……)
こっちの世界に来る際に再構築された現在の身体は、思い通りに動いて気を圧縮して蓄積出来るという超高性能なので、何度も助けられている。
しかし、こっちの世界ではおりょうさんや頼華ちゃん、黒ちゃん達と行動を共にするので、現在は便利なこの身体がいつまでも見た目が変わらなかったりすると、色々と不都合が起きるのは間違いない。
何よりも、俺だけがそのままでおりょうさんや頼華ちゃんの成長、そして老化を見守るだけという事になったら、精神的に耐えられる自信が無い。
(良太さんは、そうお考えだったのですね)
(フレイヤ様?)
ぼんやりと考えながら腕を洗っていると、俺の頭の中にフレイヤ様の囁くような声が聞こえてきた。
(そう、ですね……おりょうさん達と一緒に、成長して老いて行きたいです)
長生きとかも、少しくらいならば羨ましいとか思うのでが、これが不老不死とかという事になると話が違ってくる。
少なくとも大事な人達を見送って尚、自分だけが悠久の孤独を過ごすなんていうのは、想像するだけでも悪夢だ。
(大丈夫ですよ。少し老化のペースは遅いですけど、外見的には少しずつ変化していきますから)
(そうですか)
神様に造られた身体なので『不老不死です』って言われる可能性も考えていたので、フレイヤ様に老化する事を確認出来て本当に良かった。
(でもですね。あくまでも『外見的に』、ですからね?)
(え。それって……)
何やらフレイヤ様が、不穏当な事を言いだした。
(良太さんのその身体は使い終わるその時点まで、常に万全の状態だと思っていて下さい。あ、鍛えればどんどんマッチョになるとかでは無いですからね?)
(それって……年を経ても強い、拳法とか剣術の達人みたいな感じですか?)
物語に登場する拳法や剣術の師というのは、大概が髪の毛も髭も白くなっているのにやたらと強いという事が多いので、そういうイメージなのかと思ってフレイヤ様に訊いてみた。
(そうそう! それです! 良太さんでしたらきっとダンディに年を重ねて素敵になって、その上で強くなりますよ!)
(ははは……)
フレイヤ様の求めるイメージ通りになるのかはわからないが、どうやら俺はこっちの世界で年老いていくと、物語に出てくるような無敵爺さんになってしまうらしい。
「御主人、どうしたの?」
「何が?」
湯船の縁に両腕を預けた黒ちゃんが、俺を見ながら首を傾げている。
「何って、身体を洗いながら色んな表情してたから」
「そ、そうだった? 別になんでも無いんだよ」
どうやら黒ちゃんの指摘によると、俺は頭の中でフレイヤ様と会話をしながら、その内容によって百面相をしてしまっていたらしい。




