蜂蜜生姜水
「それでは、頂きます」
「「「頂きます」」」
ブルムさんの号令で夕食を開始した。
食卓にはうどんを盛り付けた大きな笊と、ドラウプニールに収納していたので出来たて熱々な天ぷらが所狭しと並んでいる。
「では最初は、小鮎から頂きますか」
「うどんのつゆとは別に、天ぷらのつゆの用意しましたので。色の濃い方が天ぷら用です」
二種類の器のつゆを指差しながら、ブルムさんとみんなに説明した。
「成る程」
「小鮎の天ぷらは、頭も骨も食べられますから」
「ほほぉ」
早速ブルムさんは小鮎の天ぷらを箸で摘み上げ、天ぷらのつゆに付けて口に運んだ」
「うむ。カラッと揚がった頭が香ばしく、身の甘さの後でほろ苦さが……これは旨いですね」
「うどんにも合うと思いますよ。うどんは黒ちゃんと焔君の労作です」
「おう!」
「しゅ、主人……」
「本当の事だよね?」
うどんの仕込みから茹でまで関わっているのだが、何故か焔君は恥ずかしそうにしている。
「おお。これはコシがあって喉越しの良い、素晴らしいうどんだ。黒殿、焔君、良く出来ていますね」
「ふぉ、ふぉう!」
「黒ちゃん……そんなに慌てなくても、まだいっぱいあるでしょ?」
買い物と夕食の支度でお腹が減っているのか、ブルムさんに返事をする黒ちゃんは、口いっぱいにうどんを詰め込んでいる最中で、返事が言葉になっていない。
「んんっ……ふぅ。そいじゃ次は、天ぷらを行ってみようかな♪」
うどんを飲み下して一息ついた黒ちゃんは、御機嫌な顔で生姜のかき揚げに箸を伸ばした。
「おおぉ! 御主人、生姜の天ぷら旨い! ガリガリした歯応えで辛味もあるけど、少し甘く感じるよ!」
「黒ちゃんが手伝ってくれたから、おいしく出来たね」
「おう♪」
(……うん。生姜の辛さの中に甘みがあって、海老の香ばしさと調和してるな。後味もすっきりしてる)
うどんは身体を冷やすと言われている食品なので、逆に温める効果のある生姜を薬味以外にも使って、多く摂取出来るようにした。
琵琶湖の海老は海の物と比べて淡い風味だが、それでも身の甘さと香ばしさはしっかりしていて、千切りの生姜の香りと辛さが味を引き立てている。
それになんと言っても、最初は生姜の天ぷらと聞いて消極的だった黒ちゃんが、喜んで食べているのが俺的には嬉しい。
「まあ……主様、この天ぷらは人参なのですか? カリカリの歯応えに、なんという甘さなのでしょう。この一緒に入っている緑色はなんでしょうか?」
「緑色は、刻んだ人参の葉ですよ」
「まあ! こうすると人参は、葉まで甘いのですね」
極細切りにした人参の天ぷらは、ゆるく溶いた衣を付けて高温で一気に揚げてあり、甘さと歯応えがスナック感覚になっていて天后が驚いている。
人参だけの天ぷらでも橙色が綺麗な料理なのだが、調理中に思いついて散らした緑の葉が歯応えと味、そして色彩的にもアクセントになって、試みは大成功だ。
「御主人! うどん、もう無いよ!」
「え? もう!?」
驚いた事にまだ夕食を開始してそれ程経っていないのに、大きな笊の上のうどんは殆ど無くなっている。
「はい、お代わりだよ」
「わぁーい♪」
ドラウプニールから取り出したお代わり分のうどんを、その場で小分けにしながら笊に並べると、黒ちゃんが間髪入れずに箸を伸ばした。
(しかし、みんな凄い食欲だな……)
俺も負けじと箸を伸ばすが、黒ちゃんだけでは無く子供達やブルムさんも、一心不乱にうどんを手繰って天ぷらを食べている。
結局、非常食用にと思ってドラウプニールに入れておいたうどんも、綺麗にみんなのお腹に収まって夕食が終了した。
「ブルムさん。風呂上がりのお酒の肴に、小鮎の天ぷらを少し取ってありますから」
「おお、それはそれは。では汗を流して来ますかな。みんな、行くよ」
「「「はーい」」」
「では主様、お先に」
焔君以外の子供達を引き連れて、ブルムさんと天后が風呂場に向かった。
「さ、俺達は片付けをしようか」
「おう!」
「はい!」
黒ちゃんと焔君からは、みんなを満足させた達成感と満腹感が笑顔に現れている。
そんな二人と俺は、使い終わった食器を分担して持って厨房に向かった。
「ねえねえ、御主人」
「ん?」
流しに並んで洗い物をしていると、黒ちゃんが話し掛けてきた。
「後でブルムのおっちゃんと一緒に、少しお酒飲んでもいい?」
「いいけど、黒ちゃんはお酒を飲むんだったっけ?」
今までおりょうさんと白ちゃんが飲んでいる時でも、黒ちゃんが酒を欲しがった事は無かった気がする。
「蜂蜜の酒は御主人が仕込んだって聞いたから、おいしいんじゃ無いかと思って」
「仕込んだって言っても、蜂蜜水と混ぜただけなんだけどね」
蜂蜜と水の割合を考えて混ぜただけを黒ちゃんに仕込みと言われても、苦笑するしか無い。
「それだけかもしれないけど、御主人はなんでもおいしくしちゃうから」
「今回は味見もしてないよ?」
発酵の様子を確認したりはしてはいるが、水と混ぜ合わせてから蜂蜜酒が出来上がるまでは基本的には放置であり、自分で仕込んでおきながらも酒なので、味見はおりょうさんを始めとする人達にお任せという、何時に無い程のいい加減さだ。
「なんかね、香りがおいしそうだったから」
「まあ、試してみるといいよ」
「おう!」
(黒ちゃんは蜂蜜酒にお菓子的な味を期待してるのかな? だとすると、がっかりしちゃうかもしれないなぁ)
蜂蜜酒は香りの中に甘さを感じるが、発酵によって糖がアルコールに変換されているので、味としての甘さは少ないと聞いている。
黒ちゃんが蜂蜜の芳醇な甘さを蜂蜜酒にも期待しているのなら、実際に飲んでみると落胆が大きいかもしれない。
(なんかお酒以外の飲み物でも用意してあげようかな……あ、あれを使うか)
黒ちゃんだけでは無く、風呂上がりに子供達にも飲める物をと考えていたら、ちょっとしたアイディアが浮かんだ。
「御主人、夜食?」
俺が竈に水を入れた鍋を置いて術で熱し始めたのを見て、黒ちゃんは何か料理をし始めたと思ったみたいだ。
「違うよ。ちょっとした飲み物をね」
「ふーん?」
珍しく蜂蜜酒を飲みたがる黒ちゃんだが、お菓子や食事程には飲み物への関心は無いらしい。
「……え? そんな材料で?」
「飲んでからのお楽しみだよ」
俺が沸いてきた湯に混ぜ入れた材料が意外だったのか、黒ちゃんは首を傾げている。
「後は冷やして、氷も用意しようかな」
混ぜ終わって味見をしてから鍋を冷やし、飲む時の為に術で水から氷を作って砕いておく。
「これで良し、と」
冷やし終わったら鉢に移しておき、後は氷を入れた器に入れて、飲む直前に水で薄めれば良い。
「味見してみる?」
「はい!」
「……」
焔君は興味津々といった感じで返事をしてくれたが、材料の組み合わせに味への不安があるのか、黒ちゃんの反応は芳しくない。
「じゃあ焔君、はい。少し薄めにしておいたから」
「有難うございます!」
氷を入れた湯呑に昼間に作った柄杓で鉢から掬った物を少量入れ、水を入れて掻き混ぜてから焔君に渡した。
「ん……わぁ。初めての味ですけど、おいしいです主人!」
「それは良かった。それじゃ俺も……うん。目が覚めるような味だね」
「はい!」
俺の言葉に同意した焔君も目をパッチリさせて、両手で持った湯呑の中身を、ごくごくと喉を鳴らして飲み干した。
「ぷはっ! 主人、おいしかったです!」
幼い顔に凄く爽やかで満足そうな表情を浮かべた焔君は、元の世界に生まれていたら飲み物のCMとかにスカウトされそうな程に可愛らしい。
「……」
「あ」
口を離した焔君が持っていた湯呑を、驚く間も無く黒ちゃんが無言で奪い取った。
「ちょ、ちょっと、黒ちゃん?」
「……な、何これ!?}
俺が窘めようと言葉を掛けるが、黒ちゃんは焔君から奪い取った湯呑に口を付け、僅かに残っていた飲み物の味に驚いている。
「こ、これ、おいしい!?」
「黒ちゃん……欲しければあげるけど、その前に焔君に謝ろうね?」
味見の時に返事をしなかった手前、黒ちゃんは俺に欲しいと言い出し難かったのかもしれないが、焔君から湯呑を奪うという行為は容認出来る物では無い。
「うっ……御免、焔」
「い、いえ。そんな!」
相手が敬愛する黒ちゃんなので、頭を下げて謝られている焔君の方が恐縮してしまっているが、こういう事にはけじめが必要だ。
(それにしても、黒ちゃんは初めての味へのチャレンジには、意外に消極的なんだな)
俺と一緒に行動をする前の黒ちゃんは、白ちゃんと一緒で野生動物をそのまま食べるような生活をしていたので、まだそれ程多くの種類の料理を食べている訳では無い。
だからなのかは不明だが、食材や調味料の組み合わせが、自分がこれまでに食べた物から逸脱している場合、今の飲み物やさっきの生姜の天ぷらのように、中々、最初の一歩を踏み出せないようだ。
(カレーは平気なのに、変だよなぁ)
白ちゃんの場合には、最初の出会いの時に香辛料の粉末を詰めた物を当てて驚かせたので、カレーが苦手というのは理解出来るのだが、黒ちゃんは特に辛さを意に介する事も無く、最初からおいしそうに平らげていた。
作って出した俺がこう考えるのも変なのだが、こっちの世界の日本の食事と比較するとカレーは刺激が強すぎる食品なので、もしかしたら白ちゃんの反応の方が自然なのかもしれない。
「もしかして黒ちゃんは、最初に食べた料理とかの時の印象が強いのかな?」
「ん? どうしてそう思うの?」
湯呑を揺すって氷を溶かして液状になった物を飲んでいた黒ちゃんが、俺を不思議そうに見てくる。
「だって同じ生姜でも、料理に入ってる擦り下ろした生姜とかは平気だよね?」
「おう! 後は煮付けに添えられてる針生姜とかも平気だけど、今日の天ぷらみたいにガリガリしてるのは、食べる前はおいしいとは思えなかったんだよ」
「あー……」
(成る程。見た目っていうのは、結構大きな問題だよな)
味では無く見た目が駄目で、フライになっていれば牡蠣が食べられるという人もいるので、どうやら俺は意図的にでは無いにしろ、黒ちゃんに無理をさせてしまっていたようだ。
黒ちゃんにとって生姜というのは、あくまでも料理の味付けをする為の物であって、天ぷらとかにして主役を張るというイメージが無かったのだ。
「それじゃ、もしかしてこれも?」
俺は鍋の中身を指差して、黒ちゃんに訊いてみた。
「だってぇ……なんで甘い中に、わざわざ生姜入れるの?」
「あー……そういう事か」
黒ちゃん的には辛い味と香りの生姜を、俺が甘い物と組み合わせたのが理解出来なかったらしい。
黒ちゃんも頼華ちゃんのように何でも食べる子かと思っていたが、実は保守的だったようだ。
「でも、甘酒には生姜を入れたりするんだよ? 西瓜に塩を掛けたりもするし」
甘酒に擦り下ろした生姜を入れると味が引き締まって好きだが、自分で言っておきながら俺は西瓜に塩は要らない派だったりする。
「えー……甘酒は、そのままの方が旨いじゃん」
「まあ、人それぞれだけどね」
ラーメンだって、豆板醤を入れたり酢を入れたり、胡椒が欠かせないという人だっているので、今回は俺の黒ちゃんへの配慮が足りなかったというのが結論だ。
だからといって焔君が理不尽な扱いを受ける理由にはならないので、黒ちゃんを謝らせた事に関しては当然だと思っている。
「次からはちょっと変わった料理を作る時には、事前に黒ちゃんに意見を聞くようにするよ」
「んー。でも、結局はおいしかったらか、次からはあたいも、食べたり飲んだりする前には、あんまり煩くしないよ」
一応は黒ちゃんの方も、食わず嫌いは良くなかったと思っているようだ。
「という訳で御主人! この飲み物、風呂上がりにあたいにも出してね!」
「了解。さて、そろそろみんな上がってるかな?」
後片付けから飲み物の味見とその後の会話で、それなりに時間が経過していた。
全員は上がっていないかもしれないが、それでも子供達の何人かは入浴を済ませているだろう。
「飲み物を持って居間に行って、様子を見ようか」
「おう!」
「はい!」
俺が盆に載せた湯呑を、黒ちゃんが砕いた氷を盛った鉢を、焔君が鍋を持って厨房を出た。
「主様。風呂の方はブルム様も、もうじきお出になると思います」
居間に入ると、女の子達の髪の毛の手入れをしていた天后がそう言いながら迎えてくれた。
「そうですか。風呂上がりに冷たい飲み物を持ってきたので、みんなでどうぞ」
「「「有難うございます」」」
天后と、髪の毛に櫛を入れられているお糸ちゃん以外の子供達が、お礼を言いながら群がってきた。
「はい、どうぞ」
「「「頂きます」」」
髪の毛の手入れを終えたお糸ちゃんと天后にも湯呑を渡すと、それまで飲むのを待っていた子供達が一斉に声を上げて口を付けた。
「あれ? 甘いのに……辛い?」
一口飲んだ潮君が、首を傾げている。
「主人。これ、おいしいんですけど、なんなのですか?」
「それはね、里で採れた蜂蜜に生姜の絞り汁を入れて冷やした物だよ」
「生姜に蜂蜜ですか!?」
説明を聞いて尚、潮君は驚きを隠せないでいる。
(やっぱり、こういう味の組み合わせって、あんまり無いんだろうなぁ)
一応、ひやしあめや咳止め飴のような、生姜と甘さを組み合わせた食品は存在するのだが、万人に好まれるかと言えばそうでは無い。
京から里への帰り道、おりょうさんと大地君と一緒に入った朱雀大路の茶屋で、試しにひやしあめを注文してみたが、二人には概ね不評だったのを思い出す。
俺的には生姜以外に入っていた肉桂の香りと合わせて、特徴のある京番茶と調和していると思ったので、やはり好みは人それぞれという事だろう。
「はぁ……ひやしあめと似ていますが、こちらの方が香り高く、豊かな甘さですが」
「里の蜂蜜のお陰です」
天后が満足そうに溜め息をつくくらいに、確かにおいしい。
蜂蜜と生姜と水だけでおいしいのだから、作った俺では無く、蜜を集めてくれた里の蜂達のお手柄だ。
「上がりました。おや、みんな何をおいしそうに飲んでいるのですか?」
風呂上がりで髪の毛と髭がしっとりしているブルムさんが、居間に入ってみんなの様子を見て不思議そうにしている。
「ブルムさんも、お酒の前に喉の乾きを癒して下さい」
「ほぅ? それでは……おお、これは、冷たくて甘くて辛くて不思議な味ですが、なんか元気が出る感じですね」
湯呑を受け取ったブルムさんは、少し怪訝な表情をしながらも口を付けて味わうと破顔した。
「鈴白さん、試しに石鹸を使ってみましたが、泡立ちも良くて売り物と比べても遜色の無い洗い心地でしたよ」
ブルムさんは宣言通りに、試作した石鹸を使ってみてくれたらしく、俺に器代わりの竹筒を差し出した。
「そうですか。風呂から上がって、肌が突っ張った感じとかは無いですか?」
「今のところは、特に何も無いですね」
ブルムさんは袖口から出ている腕などを見ているが、要するに言われなければ気にならない状態なのだろう。
「それじゃあ一先ずは灰汁と油は、試作した割合で作ってみる事にします」
厳密に量を測ってメモをした訳では無いが、燃やした米糠から出来る灰の量や、使った桶や柄杓の大きさから灰汁と油の大体の割合はわかるので、今回と同じ物なら特に問題無く再現出来るだろう。
里に戻ったら石鹸を流し込む型枠も作る必要があるが、これは術で土を固めて作ってもいいかもしれない。
「ブルムさん、俺が風呂から上がるまで、それで保たせておいて下さい」
「了解しました。それではゆっくりと味わって待つとしますかな」
ブルムさんは、まるで酒盃のように湯呑を掲げながら微笑んだ。
「黒ちゃん、焔君、行こうか」
「おう!」
「はい!」
二人を連れて風呂場に向かった。
「「「はぁ……」」」
掛り湯をしてから三人で湯船に浸かると、申し合わせたように揃って声が漏れた。
「御主人」
「ん?」
「今日は色々と御免ね?」
「別に気にしてないよ」
食わず嫌いだった事などを黒ちゃんは言っているのだと思うが、別に俺の方は引き摺ったりはしていない。
「俺よりは、焔君の方が」
「お、俺はなんとも思っていませんよ!」
俺の脚の上に座って湯に浸かってほっこり顔だったが、自分にお鉢が回ってきたので焔君が慌てて振り返った。
「でもなぁ」
小脇に抱えられて連れてこられたり、持っていた湯呑を奪われたりと、今日の焔君は何かと不遇だった気がする。
「そ、そうだね! よっしゃ! 焔、あたいが洗ってやるから上がれ!」
「「えっ!?」」
俺が驚く事も無いのだが、焔君と揃って声が出てしまった。
「く、黒姉さま、俺は……」
「遠慮すんなって! 特別だぞ?」
「……」
恥ずかしさや遠慮があるのか、焔君はささやかな抵抗をしていたのだが、顔を黒ちゃんの裸の胸に押し付けられるようにして抱えあげられると、全身を真っ赤にしてなすがままになっている。




