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心付け

「えっと、こちら元鵺の、黒ちゃんと白ちゃんです」

「おう! 宜しくな!」

「宜しく……」


 夜が明けて、朝食の席に着いたところで、頼永様以外の人達に黒ちゃんと白ちゃんを紹介する。


 黒ちゃんの乱れ放題だった髪の毛はブラッシングの後で、最後に残った黒ちゃん自身の細長い革の端切れをヘアバンドのように使って、おでこを出した形で頭の後ろで一纏めにした。


 白ちゃんの方は長い髪を三つ編みにした。今度リボン……は、あるのかどうかわからないので、飾り紐か髪飾りでも贈ってあげようかと思う。


「良太殿預かりとなった。二人共、もう悪さはしないと言う事だ」

「どう反応していいのか、困っちまうねぇ……」

「りょう姉上。兄上のなさる事に、一々驚いてはいられませんよ」

「頼華ちゃん!?」

「それもそうだねぇ」

「おりょうさん!?」


 呆れたような反応だったおりょうさんが、頼華ちゃんの言葉であっさり納得してしまったようだ。


「さあ、食事にしましょう」


 頼永様も、何事も無かったかのように朝食を始めようとしている。


(あれこれ詮索されるよりは、余程マシだけど……)


「それでは、頂きます」

「「「頂きます」」」


 黒ちゃんと白ちゃんも、ちゃんと手を合わせてから食事を始めたのを確認して、俺も箸を手に取った。


「主殿」

「どうかした?」


 慣れない食事だから戸惑っているのかと、話し掛けてきた白ちゃんを見るが、箸の持ち方も綺麗だし、御飯や味噌汁が口にあわないという訳でも無さそうだ。


「席に着いている者が一人足りないようだが、良いのか?」

「一人足りない?」


 鎌倉と江戸では同席して食べるメンバーは違うけど、給仕をしている胡蝶さんもこの場にいる。


「白ちゃん、誰の事を言ってるの?」

「ほら。いつも主殿の傍らにいる者だ」

「ああ。あの時たま、凄ぇ顔で御主人を見てる女な!」

「……女?」


 黒ちゃんの言葉に、おりょうさんが片眉を跳ね上げた。


「その女ってのは、どんな奴なんだい?」


 静かな動作で手にしていた茶碗と箸を置いたおりょうさんは、黒ちゃんに冷徹な視線を送る。


「ひぃっ!? な、なんか、がい……」

「黒ちゃん。ちょっと席を外そうか?」


 おそらくは「外人」と言おうとした、おりょうさんの視線に怯んだ黒ちゃんの口元を押さえた俺は、身体ごと抱えて朝食の席から脱出した。非礼な行いだが、後で謝ろう。


「あ。良太っ! 他にも女がいたのかい!?」


 背中におりょうさんの言葉が突き刺さるが、聞こえなかった事にしておこう。



「……黒ちゃん」

「おう! なんだ、二人っきりになりたかったんなら、そう言ってくれれば……」


 俺が割り当てられている部屋で向かい合った黒ちゃんは、照れくさそうに身を捩りながら、床にのの字を書いた。


「いや、そうじゃなくてね。あんまり俺の個人的な事を、他の人に言うのは……」

「もしかして悪い事をしてしまったのか? すまない御主人」


 座り方は行儀悪くあぐらだが、黒ちゃんは俺に向かって深く頭を下げる。


「あー……これからは気をつけてね?」


(こう素直な態度に出られると、これ以上叱ったりは出来ないな……)


「御主人を困らせてしまったか? すまない……」

「俺もうっかりしてたから、もういいよ。でも、これから気をつけてね?」


 叱られた仔犬みたいな顔をする黒ちゃんの頭を撫でてやる。すると着物の上に、にょきっと現れた蛇の尻尾が、ブンブンと振られる。


「それじゃ、戻ろうか?」

「いいのか、御主人?」

「大丈夫だよ。多分……」


(おりょうさんの御機嫌を取るには……急には思いつかないな)


「なあ御主人。こういうのはどうだ?」


 少し考えながら立ち上がった俺を、黒ちゃんが呼び止めた。


「ん? 黒ちゃん、何かあるの?」

「さっきの事なんだが……」


 黒ちゃんが、思わぬ名案を出した。


「それなら、納得してくれそうだな……」

「そうか! なら、あたいからそう説明するよ!」


 凄い顔で俺を見ていたらしいヴァナさんの件は、なんとか丸く収まりそうだ。


(良太さんを見ていたら、色んなところが凄い事に……)


 寝てないせいか、幻聴が……なんか色々と台無しだ。



「良太の知り合いの霊?」

「どうもそういう事みたいです」

「御主人にもお姐さんにも悪い事をした。ごめんなさい!」


 食事をしている部屋に戻った俺と黒ちゃんは、そういう風に事情を説明した。まったくの嘘では無いので、あまり罪悪感は感じないで済む。


「俺の行動が目に余るので、心配しているみたいです」

「あれはそういう顔では無くて、はつじょ……」

「あ、白ちゃん。御飯のお代わり貰ったら?」

「む。それでは頂こう」

「胡蝶さん、お願いします」

「畏まりました」


 白ちゃんにインターセプトされそうになったが、なんとか誤魔化せた。


(後で、白ちゃんにも言い含めておかないとな……)


「なんだ。それならそうと、言ってくれりゃあいいのに。良太も、逃げる事なんか無いんだよ?」

「食事の席で、する話題じゃないかと思いまして……」

「あたいのせいで、御主人に気を使わせてしまったんだ! ごめんなさい!」

「ああ、ほら、あんたもいつまでも頭下げてないで、御飯の続きしな」

「うん!」


 晴れやかな顔になったおりょうさんは、頭わ下げていた黒ちゃんを座り直させた。


「すっかり冷めちまったね。胡蝶さん、代わりの御飯と味噌汁を……」

「あ、勿体無いですから、俺はこのまま食べますよ」

「あたいも!」

「そうかい? なら、しっかり食べな」

「はい」

「おう!」


 こうして、朝から修羅場に発展するかと思われた事態は回避された。



 全員が食事を終えたところで、今日のスケジュールの確認をする。


「とりあえず、俺とおりょうさんが先に戻る形ですかね?」


 嘉兵衛さんの鰻屋、大前の昼の営業開始までに、なんとか浅草の大川端まで戻らなければならない。


「そうだねぇ……」

「兄上、姉上、私達も急げばなんとか……」

「それで頼華ちゃんと胡蝶さんが疲れちゃって働けないんじゃ、本末転倒なんだよね」


 元々身体能力の高い頼華ちゃんは、闘気(エーテル)で強化して俺と変わらないくらいの速度で走る事は出来るみたいだが、それを長時間維持する事が出来ない。回復も普通の人よりは早いだろうけど、それでも休息は必要だ。


「黒ちゃん、白ちゃん、界渡りでの移動は難しいんだっけ?」

「この中で出来そうなのは、御主人と頼華くらいだな!」

「おりょうさんには出来ないの?」

「多分だが、りょうには出入りする間の(エーテル)の維持が出来ないだろう」


 界渡りには非実体(エーテル)化する必用があるって言っていたので、俺と頼華ちゃんが大丈夫だというのは、(エーテル)を制御する技術があるからという事か。


「おりょうさんは武術を習得してますけど、闘気(エーテル)の制御は出来ないんですか?」

「出来なくはないんだけど……あたしのは、向かってくる相手の技と闘気(エーテル)の方向を変化させるっていう、ちょっと変わった戦い方なんだよ」

「受け流し的な使い方って事ですか?」

「そんな感じだねぇ」


(相手の技を捌いたり、流してからの投げとかの、合気道のような武術かな?)


 自分なりに、おりょうさんの習得している武術を推測した。


「じゃあ界渡りもダメですね」

「そうだねぇ。昼の営業には良太とあたしが戻れば大丈夫だろうから、頼華ちゃん、胡蝶さんと一緒に、夜の営業に間に合うようにって感じで、ゆっくりお戻り」

「わかりました!」

「そのように致します」


 頼華ちゃんと胡蝶さんが納得したところで、俺達も出発の準備をする。



「それでは頼永様、雫様。お世話になりました」

「良太殿、りょう殿、お元気で。黒殿と白殿も」

「おう! 頭領も元気でな!」

「世話を掛けた」


 深々と頭を下げる白ちゃんの挨拶には、これまでの様々な出来事に対するお詫びが入っているようだ。


「白殿、全てを水に流す事はお互いに出来ないが、良太殿を挟んで、新たな関係を築こう」

「うむ。御主人に恥はかかさない」

「なんかあたい達に出来る事があったら、言ってくれよな!」

「ははは。これは頼もしい。黒殿、その時は良太殿を介してお願いしよう」

「おう!」


 頼永様の言う通り、全てを無かった事には出来ないだろうけど、少しずつ信頼を勝ち取ろう。


「頼永様、ポンプの件をお願いします」

「わかっております。良太殿からは、萬屋のドラン殿と、長崎屋に宜しくお伝え願えれば」

「その件は、任せておいて下さい」


 どうやら受け入れられた咖喱(カレー)と、入浴の時におりょうさん達が持っていた石鹸を使って気に入った雫様から、仕入れに関しての仲介を頼まれた。俺を間に挟まずに、源家独自に動けば良いのではと思わなくもないが……。


「それでは、頼永様、雫様、改めまして、失礼致します」

「失礼致します」


 俺とおりょうさん、頼華ちゃんと胡蝶さんは、並んで頭を下げた。


「またのお出でを、お待ちしております」

「御二人の御健勝を、お祈りしております。頼華と胡蝶も元気で」

「はい!」

「行って参ります」


 頼永様と雫様、使用人の方達に見送られて、俺達は鶴岡若宮を後にした。



 鎌倉の関所を通過するまでは、黒ちゃんと白ちゃんに俺とおりょうさんの外套を着てもらった。髪の毛や肌の色を調整してもらったが、それでもこの二人の容姿は目立つからだ。


「外套も(エーテル)で複製すればいいのではないか?」


 出発の前に白ちゃんが指摘したが、確かに見た目には複製が出来た。


「その外套の迷彩効果までは、複製出来いてないみたいだよ」


 見た目を隠すというだけなら複製で用は足りるが、景色に溶け込むという迷彩効果の方は、どうやらこの外套固有の機能みたいで再現出来なかった。


(頼華ちゃんの分も含めて買いたいところだけど、萬屋に在庫はあるかな?)


 決して安くは無いが非常に便利なので、金額よりは在庫があるかどうかの方が問題だ。



 関所を過ぎて、少し歩いたところで街道を外れ、人目が無いのを確認する。


「では兄上、姉上、また後程! 黒、白、御二人をしっかりお護りするのだぞ!」

「おう! 頼華、任しとけ!」

「この命に掛けて」


 気軽な感じで頼華ちゃんに応える黒ちゃんとは対象的に、白ちゃんは顔も声も真剣そのものだ。


「白ちゃん、なんでそこまで?」

「なんでも何も、主殿の存在が、我々の存在全てに関わるからな」

「そうかもしれないけど……」

「白が死んでも、俺は生き延びて御主人を護るけどな!」

「俺だってそう簡単には死なん!」

「ああもう……ケンカはダメだってば。ほら二人共、行くよ?」

「おう!」

「承知した」


 殴り合いにでもなりそうだったが、二人は素直に俺の言う事に従い、非実体(エーテル)化して巴と苦無付きの鎖に入った。


「おりょうさん、行きましょうか」


 黒ちゃんから返してもらった外套を着て、俺はしゃがんだ。


「そ、そうだねぇ……」


 白ちゃんから返してもらった外套を着たおりょうさんは、既に何度か行っているのに、俺に背負われるのを躊躇っているようだ。


(そういえば、頼華ちゃんと胡蝶さんに見られながらというのは初めてか)


 おりょうさんが躊躇っている理由に思い当たったが、あまりモタモタもしていられない。


「……おりょうさん、背負われるのと、抱かれて運ばれるのと、どちらがいいですか?」

「っ!? わ、わかったよぅ……」


 外套で目立ちはしないだろうけど、横抱きにされて運ばれる自分を想像したらしいおりょうさんは、真っ赤になりながら俺の背中に身体を預けた。


「兄上、私は抱かれても……」

「……また今度ね?」

「言質は取りました!」

「では私も……」

「い、行くよ、良太っ!」

「はいっ!」


 頼華ちゃんと胡蝶さんの言葉は聞こえなかったふりをして、おりょうさんを背負った俺は、可能な限りの全速力でその場を後にした。



 多摩川の六郷の渡しの船に揺られながら、俺とおりょうさんは一息付いていた。関所の近くで頼華ちゃん達と別れてから、一時間強でここまで到達した。


(凄いな。これなら大坂まで一日どころか、半日で……)

(おう! さすがはあたい達の御主人だ!)


 俺にある程度存在を依存しているからか、白ちゃんと黒ちゃんの会話が、頭の中に伝わってくる。これは念話ってやつか?


「どうやら、大前の開店準備を手伝う事は出来そうだねぇ」

「そうですね。おりょうさん、眠くはないですか?」

「ちょっとね……昼と夜の間に、少し寝させてもらうさ」


 なまじ移動が早いから、おりょうさんに睡眠時間を稼いでもらう事も出来なかったみたいだ。


「……大丈夫ですか?」

「心配してくれるのかい?」

「そんなの、当たり前じゃないですか」

「っ! あ、ありがと……で、でも、あたしはそんなにやわじゃないから、大丈夫だよ」

「頼りにはしてますけど、無理はしないで下さいね」

「うん」


 小さ渡し船なので、端から身を寄せ合うようにして乗っていたのだが、おりょうさんは笑顔で更に身体をくっつけてくると、こてんと、頭を俺に預けた。



 渡し船から下りて、少し歩いてから再びおりょうさんを背負い直して、品川の関所の少し手前までを十分程で走破した。



「ただいま戻りました」

「嘉兵衛さん、ただいま」


 品川から先の江戸市中は徒歩での移動だが、それでも通常の大前の始業準備中には帰り着く事が出来た。おりょうさんと俺が寝泊まりしている竹林庵には寄らずに直行した。


「おお。良さん、おりょうさん、お帰りなさい」

「これ、正恒さんからです」


 俺は正恒さんから預かった四本の鰻裂きと目打ちを、嘉兵衛さんに手渡した。


「正恒から? こ、これは……あの野郎、粋な真似をしやがって」

 

 俺が発注に行っただけのはずの鰻裂きと目打ちの現物が、既にこの場にあるという事の経緯を、嘉兵衛さんは察したようだ。


「残りの一本も、すぐに作って送るとの事です」

「そうですか。そりゃあ助かる」

「それと、見込みがありそうな人は、今後は直接自分のところに来させるようにとも、言い付かって来ました」

「承知しやした。とりあえずは、こいつを使いこなさせてから、って事になりますがね」


 嘉兵衛さんが、獰猛な笑みを浮かべた。どうやら弟子入りした二人を鍛える気満々のようだ。


「じゃあ、仕込みに入りましょうか」

「ええ。ところで、おりょうさんはいますが、お華ちゃんとお蝶さんは間に合いそうにありませんか?」

「それなんですが、急ぐと言っていたんですけど、疲れて働けなくなっちゃったら、元も子も無いので」

「それはそうですなぁ。じゃあ、ちと配置を考えないといけやせんね……」


 御飯や味噌汁を盛り付ける頼華ちゃんと、おりょうさんと並んで優秀な給仕の胡蝶さんのカバーをどうするかを、嘉兵衛さんが思案している。


「あの、実は働き手を連れてきているんですけど」

「ほう? どの程度使える人ですか?」

「多分ですけど、一人は優秀で、もう一人は……未知数です」

「なんか妙に歯切れが悪いですね?」

「使ってもらって、ダメそうなら外します」

「未知数って、そんなにですかい?」


 優秀だと思うのは白ちゃん。未知数なのは勿論、黒ちゃんだ。


「凄く愛想が良いので、ちょっとした失敗なら、お客さんが許してくれそうな気はするんですけどね……」


 黒ちゃんはそういうキャラだとは思うんだけど、客商売に甘えは許されない。


「二人共、この人が店主の嘉兵衛さん。御挨拶して」


 入り口脇に控えさせておいた二人を呼び寄せて、嘉兵衛さんに引き合わせた。


「おう! お黒です! 宜しくお願いします!」

「お白という。宜しくお願いする」

「こちらこそ。良さん、また別嬪さんを連れてきましたなあ」

「綺麗なのは間違いないですけど、そういう基準で連れて来た訳では……」


 また大前の業務内容が客に誤解されないかと、少し心配になる。


「まあ給仕の数は必用ですから、難しい事は言いやせんよ」

「そうしてくれると……」


 嘉兵衛さんのこういう鷹揚なところには救われる。


「店の中の、どの辺の仕事をやってもらいます? お白ちゃんは接客でいいでしょうけど」

「その辺は、おりょうさんと三人娘に面倒見てもらいやしょう」

「そうですね。おりょうさん、すいませんけど……」

「仕方ないねぇ。でも、他ならぬ良太の頼みだ。任しときな!」


 頼もしい返事をしながらおりょうさんが、腕まくりをする。


「黒、白、こっち来な!」

「おう!」

「はい」


 黒ちゃんと白ちゃんの二人の事はおりょうさんに任せて、俺は嘉兵衛さんと共に仕込みを始めた。




「ありがとうございましたー!」


 昼の営業の最後のお客を送り出して表戸を閉めると、店内を静寂が包み込んだ。


「大丈夫でしたね」

「ええ。意外な事に、と言ったらお黒ちゃんに失礼ですが」


 やってもらってダメそうなら、接客から引っ込めようと申し合わせていた黒ちゃんだったが、本当に意外な事に、失敗らしい失敗は無かった。


「なあなあ御主人! この貰ったお菓子、食べていいか?」


 何故か黒ちゃんが担当したお客さんは、にこにこ笑いながら飴や饅頭などのお菓子を、「食べなさい」と言って渡してくるらしい。


(頼華ちゃんも、同じような事があったと言ってたな)


 お盆に載せた丼なんかを運ぶ姿は、よろよろしていて危なっかしいが、その必死さと、持ってきた時の笑顔に、お客さんはやられてしまうみたいだ。


「……御主人?」


 そう呼ばれた俺を見て、嘉兵衛さんが首を傾げている。


「っ! あ、あのですね、この子達は俺の実家に雇われていて、小さい頃から俺をそういう風に呼んでいたので……」


(かなり苦しい言い訳だけど……しまったな)


 黒ちゃんと白ちゃんと、俺の呼び方の申し合わせをしていなかった事に、この時まで気が付かなかった。


「そういう事ですか。良さんが主家で呼び慣れているんなら、あっしが気にする事じゃありやせん。無理に呼び方を変える事も無いでしょう」

「ははは……お客さんには失礼が無いように、言っておきますから」

「それなら、あっしからは何も言う事はありやせんよ」


 嘉兵衛さんは、昼の賄いを作っている新吉さんの面倒を見るために、厨房の奥へ歩いていった。


「主殿、何やら貰ったのだが、どうすればいい?」

「お白ちゃんも? って……お菓子じゃなくて心付けか」


 白ちゃんが着物の袂から、心付けの入ったポチ袋を取り出して俺に見せた。かなりの数だ。


「それは心付けっていって、勘定以外に接客が良かった時に貰える物だから、全部お白ちゃんのだよ」

「ふむ……では主殿、使ってくれ」

「え? いや、お白ちゃんのって言ったばっかりなんだけど」

「この姿だと、食事をしなければならない。俺とお黒の食い扶持は、主殿が出すのだろう?」

「それはそうだけど……」

「ならば、これは主殿が取るべきだ」

「……じゃ、じゃあこれも?」


 黒ちゃんもお菓子と、白ちゃんよりは少ないが幾つか貰ったらしいポチ袋を俺に差し出そうとするが、表情には、お菓子に対する未練があるのが見て取れる。


「……働いてくれたから給金は出るし、ここでは賄いっていう食事も出るから、俺には負担は無いよ。だから貰った物は好きにしていいんだ」


 鎌倉で源家を苦しめていたとは信じられないような白ちゃんの気遣いに、思わず溜め息が出た。


「しかし……」

「食費が足りなくなったら、二人にも少し出して貰おうかとは思ってるけど、今は大丈夫だから」


 尚も食い下がろうとする白ちゃんを諭そうとするが、納得出来ないみたいだ。


「貰った物を俺にっていうのは、お客さんの気持ちを蔑ろにする行為だよ。わかるね?」

「……わかった。ではこれは、俺が使おう」

「うん。黒ちゃんも、貰った物は好きにしてね。でも、お菓子は御飯を食べてからだよ?」

「うっ! わ、わかった!」


(注意しなければ、すぐに食べるつもりだったな)


 俺の言いつけを守って、必死にお菓子を食べるのを我慢している黒ちゃんの姿が可愛くて、苦笑するしか無かった。  



 休憩兼食事の時間になった。この日の賄いは、忠次さんと新吉さんが鰻裂きに慣れるようにと、捌く練習に使ったどじょうの蒲焼と、卵でとじた柳川だ。


 まだ鰻も高くないので、練習にも使えばとは思うが、どじょうはその気になれば、そこら辺の田んぼや用水路でいくらでも捕れるので、出費を抑える事が出来るのだ。


「御主人、このうまきっての、凄くうまいな!」

「ふむ。タレの味もいいが、この白焼きに山葵というのは、香りがなんとも……」


 黒ちゃんと白ちゃんには、店で出している料理の味見という事で、俺が作った鰻の料理も出した。人型に構築された身体は、ちゃんと味覚もあるみたいだ。


「良太さん、あの二人、お客さんへの受けが凄く良かったですよ」

「御迷惑を掛けたりはしませんでした?」


 心付けやお菓子の事を考えれば、初音さんの言葉を疑う余地は無いが、ほぼ厨房に籠もっていた俺にはわからない事もあったかもと、念の為に訊いてみた。


「全然、そんな事ありませんでしたよ。いつ運んでる料理をひっくり返すかって危うさでしたけど、何故か無事なんですよね」

「ははは……」


 まだ黒ちゃんは人型での行動に慣れていないのかもしれないが、それでも大きな失敗は無かったみたいだ。


「もおねぇ、黒ちゃんが動いてるとぉ、それだけでお客さんの注目集めちゃうんですよぉ。あたしぃ、自信無くしちゃいそぉ……」


 少し悔しそうに、夕霧さんが箸を咥える。


「そんな……夕霧さん目当ての常連さんも来てるじゃないですか」

「そうですけどぉ。はぁー……やっぱりぃ、根っからの可愛らしさには敵いませんねぇ」

「根っから?」

「良太さん。あたし達やお蝶ちゃんなんかは、あくまでもお仕事の顔をしているだけですよ?」


(これは夕霧さん達の普段の立ち居振る舞いが、根っからでは無いという事を言っているのだろうか?)


 若菜さんが、あまり聞きたくない情報を教えてくれた。


「そういう風には見えませんでしたけど」


 仕事だからという事でも、あれだけ客あしらいが上手ければ、それは既に才能だと思う。


「そんな訳無いじゃないですか。ここで働いている表裏が無い人なんて、新顔の二人以外では、お華様くらいしかいませんよ」

「まあ、そういうもんでしょうけど……」


 暗に俺とおりょうさんにも裏があると言われているんだが、完全には否定出来ないので黙っていよう。


「なんにせよ、お白ちゃんの接客は、私達には無理ですけどね」

「それは、どういう事ですか?」


 なんでも、白ちゃんの注文の取り方は、かなり独特のようだ。



「鰻丼の並を」

「ふむ。ここの鰻丼はうまいが、鰻と飯だけでは身体に良くないぞ」

「へ?」

「金が無いのなら仕方ないが、そうでなければ中入れとは言わんが、味噌汁と漬物の付く上にしておけ」

「あ、はい……」

「鰻丼の上を一つ」



 大体こんな具合に、客の注文をコントロールしているらしい。それでいて不思議と客からは文句が出ないし、何故か心付けまで貰っている。


「本当にぃ、凄いですよねぇ」

「ははは……」


 夕霧さん達が働き始めた日にも、俺が同じ事を思っていたのは黙っておこう。



「おりょうさん、俺はちょっと出掛けてきます」

「どこへ行くんだい?」

「ドランさんの萬屋と、時間がありそうなら長崎屋さんへも行ってきます」

「あたしも……と言いたいところだけど、少し眠っておこうかねぇ」

「そうして下さい。夜の営業までには戻りますから」

「わかったよ。気をつけて行っといで」

「はい」


 嘉兵衛さんにも断りを入れて、俺は店を出た。


「御主人、出掛けるのか?」


 店を出て、歩き出そうとしたところで黒ちゃんに呼び止められた。


「ちょっとね」

「あたいも一緒に行く!」

「俺も一緒に行こう」


 店の前で話し込んでたら、白ちゃんも外に出てきた。


「それじゃ一緒に行こうか。二人共、おとなしくしてるんだよ?」


 初めて頼華ちゃんが江戸に来た時に、好奇心から街中で暴走したのを思い出した俺は、二人に注意した。


「おう!」

「承知した」


 元気は良いが、どうも黒ちゃんはわかっているのか不安になる。


「それじゃ御主人、あたいがおとなしくしてるように、捕まえておいてくれ!」

「えっ!?」


 驚く間も無く、黒ちゃんが俺の腕に、嬉しそうな顔でしがみついてきた。


「お、俺も……腕を組んでやっても……い、いいぞ?」


 何故か俺の方が腕を組むのをお願いしているような感じの言い方をしながら、白ちゃんがチラチラと視線を送ってくる。


「白! 御主人と腕を組みたいなら、そう言えよ!」


 遠回しに察しろと言いたそうな白ちゃんに、黒ちゃんから剛速球が投げ込まれた。


「ばっ! お、俺は腕を組んだりなんか……し、したくなくもない……」


 非常に受け取り方が難しい物言いを白ちゃんがする。


「はぁ……白ちゃん、ほら」


 俺は黒ちゃんがしがみついているのと逆の腕を、白ちゃんに示す。


「っ! し、仕方ないな……」

「うんうん。仕方ないから、早くね?」

「そうだぞ白!」

「う……」


 腫れ物に触るような、恐る恐るといった感じで、白ちゃんが俺の腕に自分の腕を絡めてくる。


「それじゃ行くよ?」

「おう!」

「……」


 歩き難い事この上ないが、元気に返事をした黒ちゃんと、頬を染めて頷いた白ちゃんと共に、俺はドランさん萬屋を目指して歩き始めた。

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