海苔
「……あ、兄上」
「……ご、御主人」
「二人共、こんなところで何してるの?」
天后が沖田様とケイ卿の二人を応接間に案内したのを見送って、俺も上がって昼の支度をと思っていたら、店内への通路の入口のところで頼華ちゃんと黒ちゃんが、身を縮めるようにして立っていた。
「何をしているも何も、あの者をやり過ごす為に、息を潜めていたのです!」
「御主人から貰ったこれが、役に立ったよ」
「なんで室内でそんあ恰好なのかと思ったら、そういう事か……」
頼華ちゃんも黒ちゃんも室内なのに、外出用の迷彩効果のある外套を纏っているのはなんでなのかと思っていたら、どうやら沖田様から姿を隠したかったかららしい。
「なんで今日も、あの者達が来ているのですか!」
「まあまあ。説明は後でするから、その前にお昼の支度をしなくちゃね」
「お手伝いします!」
「あたいも!」
沖田様が店内にいるのが不安なのか、頼華ちゃんも黒ちゃんも俺を逃すまいと腕を絡めてきた。
「二人のどちらかは、焔君を呼んで来てくれないかな」
正直、そんなに手伝いは必要無いと思うのだが、子供達の順番を飛ばしたりすると悲しませる事になってしまう。
「そいじゃあたいが、焔を連れてくるよ!」
お願いをしたら、意外にあっさりと黒ちゃんが腕から離れた。
「お願いするよ。っと、その前に。黒ちゃん、もやしは?」
「厨房の流しに、笊に載せて置いてあるよ!」
「わかった。有難う」
「おう!」
黒ちゃんはバタバタと足音を立てながら、子供達の居る部屋に駆けていった。
「兄上。今日の昼はもやしの料理ですか?」
厨房に向かう俺の腕にぶら下がるようにしながら、頼華ちゃんが上目遣いにメニューを訊いてくる。
「うん。もやしが主役じゃ無いけどね」
「む? 野菜炒めとかですか?」
「惜しい。もう一捻りだよ」
「むむむ……楽しみは後に取っておきます!」
少しだけ考え込んだ頼華ちゃんだが、あっさりと降参をした。
「では兄上! 早速取り掛かりますか!」
「そうだね……っと、その前にこいつを」
「なっ!? そ、それは亀ですか!?」
ドラウプニールから取り出した桶に、手で持っていた袋からすっぽんを離すと、頼華ちゃんが驚きに目を見開いて指差している。
「亀は亀だけど、すっぽんだよ」
「す、すっぽん?」
「うん。知らない?」
特に怖いとかは無さそうだが、見慣れないすっぽんを俺が取り出したので、頼華ちゃんは純粋に驚いているようだ。
「すっぽんというのを聞いた事はありますが……」
「食べた事は無いんだ?」
「や、やはり食べるのですね……おいしいのですか?」
(まあ、すっぽんの見た目から、食べるってのは想像出来ないか)
最初から食べる物だと認識していなければ、見た目で抵抗のある食材というのは多々あるので、頼華ちゃんの反応が取り立てて激しいという事も無いだろう。
個人的には食べられて、しかもおいしいと聞いてはいても、昆虫食はちょっと勘弁して欲しいと思っている。
「無理には勧めないけど、すっぽんの身と汁は、驚く程おいしいよ」
「むぅ……兄上がそう仰るなら、そうなのでしょうけど」
「いや、そこまで盲目的に信じられるのも困るんだけど……」
実際問題として、頼華ちゃん程には甘い物が好きでは無いというくらいには味覚の違いがあるので、俺の舌を過信するのは勘弁して欲しい。
「まあすっぽんは、今日や明日に食べる訳じゃないから」
「そうなのですか?」
「うん。すっぽんは泥の中で生活しているから、綺麗な水の中で数日間は泳がせておかないと。それに……」
「それに、どうしたのですか?」
俺が言い澱んでいると、頼華ちゃんが顔を覗き込んできた。
「頼華ちゃんには見られちゃったから食べさせてあげるけど、里で全員に行き渡る程の量は無いんだよね」
「あー……」
いくら大きなすっぽんだと言っても、笹蟹屋での食卓ならともかく四十人近くの里の住人に行き渡らせるのは不可能だ。
限られた者だけが食べるか、それとも小さな身が入っているスープだけでも里の全員で分かち合うべきか、悩ましい問題ではある。
俺の言いたい事が理解出来た頼華ちゃんは、腕組みをして神妙な表情になっている。
「すっぽんはとても滋養があるから、頼永様が来た時にでもお出ししようか」
「それは良いですね! きっと父上もお喜びになると思います!」
「うん。それまでに数を買えるようなら、皆で食べればいいね」
琵琶湖の湖畔の店の女性店主の言う通りならば、これからの時期にすっぽんを買うのは難しく無さそうなので、何度か足を運んでみればいいだろう。
「貰い物のこいつで、一度捌く練習をしなくちゃね」
すっぽんの捌き方は、かなりざっくりとではあるが知っているという程度なので、貰い物で試すのが正解だろう。
「貰い物なのですか?」
「うん。成り行きで鰻の調理法を教える事になって、その御礼にってね」
「兄上は、どこに行かれても同じような事をされるのですね?」
「一応、その自覚はあるよ……」
江戸の嘉兵衛さんの時だけでは無く、伊勢でも椿屋さんで同じ様な事をしたので、頼華ちゃんに呆れたように言われても全く反論の余地が無い。
「ああ、兄上を批判するような気はありませんよ。成り行きとは言え、兄上は関わった者達を幸せにしてやっているのですから」
「そう、かな?」
「そうですよ!」
琵琶湖の湖畔のの店の女性店主に御礼は貰っているのだが、目の前の頼華ちゃんの笑顔が、俺にとっては何よりの御褒美だ。
「御主人! 連れてきたよ!」
「お、お待たせしました、主人!」
この場に居るのが年長者ばかりだからか、黒ちゃんが連れてきた焔君は緊張の面持ちだ。
「時間が遅くなっちゃったから、さっと作ろうね」
昼食を作るメンバーが揃ったので、俺は作業台に食材を並べていく。
「頼華ちゃんは、鹿の肝臓を一口大に切って水に晒して」
「お任せ下さい!」
数頭分もあるので一向に減らない、巨大と言っても良い鹿のレバーを頼華ちゃんがスライスし始めた。
「黒ちゃんと焔君には野菜を切って貰おうかな。こんな感じの細切りに」
黒ちゃんと焔君へのお手本に、人参とニラと葱を切ってみせた。
「御主人。もやしはこのまんま?」
「そのままと言いたいところだけど……三等分くらいにしようかな」
里で栽培したもやしの味を、出来ればそのままみたいと思ったのだが、一緒に調理する野菜と大きさを合わせないと火の通り具合が変わってしまうので、今回は黒ちゃんに十センチ程の長さの三等分に切り分けて貰う事にした。
「おう! 焔、やるぞ!」
「は、はい!」
「焔君、慌てないでいいから、慎重にね?」
「はい!」
名付け親である黒ちゃんと一緒の作業なので焔君は張り切っているが、刃物も火も扱うので慎重に行動して欲しい。
「さて、と……」
頼華ちゃん達にある程度は任せたので、俺はドラウプニールから取り出した炊かれた御飯を笊で洗って水気を切り、軽く油を振っておく。
多めに作っておいた猪の角煮をひと塊取り出して一センチくらいの角切りに、葱を微塵切りにして、卵を割解しておく。
中華鍋にラードを多めに出して炎の術で溶かし、更に温度を上げて煙が出るくらいまで熱する。
別の鍋で昆布を水から煮て沸騰寸前に取り出し、鰹節を一掴み入れてから一度熱を加えるのを停めた。
「兄上! 切り終わりました!」
「丁度良かったよ」
頼華ちゃんが切ってくれた鹿のレバーのスライスの水気を切り、醤油、酒、擦り下ろした生姜とにんにくで下味をつけてから片栗粉をまぶす。
下味をつけたレバーを中華鍋の中で煙が出ている油の中に入れ、僅かに衣に色がついた程度、時間にして数秒で炸鏈という穴の空いた中華の道具で取り出した。
レバーの油を切っている間に、中華鍋の油も一度捨ててから新たなラードと味付きの脂を投入する。
「御主人お待たせ! 野菜切り終わったよ!」
「で、出来ました!」
「丁度良かったよ」
黒ちゃんと焔君が切ってくれた野菜が、笊の上で山盛りになっている。
「じゃあ、一気に行くか」
少し油から煙が出始めた中華鍋に、先ずは細切りの人参を入れて柔らかくなるまで炒めたら、葱、ニラ、もやしを投入して更に炒め、軽く火を通されたレバーを戻す。
全体が炒まったら、レバー漬けていた合わせ調味料を掛け回し、軽く塩と醤油と胡椒で味を調整する。
みんなの分と、応接間の沖田様達の分を分けて皿に盛り付けて、鹿のレバニラ炒めの出来上がりだ。
「これでおかずは出来上がり。次は御飯行くよ」
軽く洗って新たなラードを入れた鍋が熱くなったところで、軽く油を振った御飯を投入して玉杓子で解しながら激しく煽る。
「おお! なんとも見事な兄上の鍋捌き!」
「御飯が宙に舞ってる!」
「す、凄い!」
(……照れるな)
頼華ちゃん、黒ちゃん、焔君が注目しているので少しやり難いが、失敗は許されないので鍋に意識を集中する。
「っ!」
御飯がパラパラになってきたので鍋肌に卵を細く流し入れ、更に鍋を煽って御飯が卵に包み込まれるようにする。
葱、ダイスカットにした角煮を入れて、こちらも味付きの油で調理しているので、控え目に塩と胡椒と醤油で味を整える。
出来上がった炒飯は、平皿に一人分ずつ盛り付けていく。
「後は汁を……これで出来上がり」
鍋の鰹節を取り出し、角煮を作る時に出た醤油ダレで味付けをして、刻んだ葱と手で千切った海苔を散らしたスープも出来上がり。
「す、凄い! 兄上が竈の前に立ってから全部が完成するまでに、十五分も経っていませんよ!」
「頼華ちゃん達が準備を整えてくれたから、ね」
角煮や鍋ごと蒸すようなスープなどの例外はあるが、中華は材料と調味料の下準備さえしっかりしていれば、強い火力で一気に作り上げてしまう事が殆どだ。
そんな中華の工程で一番面倒な下準備を頼華ちゃん達が分担してくれたので、結果として短時間での出来上がりに繋がったのだから、決して俺だけの力では無い。
「俺は応接間の方に運ぶから、みんなの分は任せたよ」
「わかりました!」
「おう!」
「はい!」
俺の分を含めて三人前の昼食を盆に載せ、残りは頼華ちゃん達に任せて応接間に向かった。
「お待たせ致しました」
「いえいえ。これは良い香りですね」
応接間で湯呑を傾けていたケイ卿が、笑顔で俺を迎えてくれた。
「口に合うといいんですけど……」
「……鈴白よ。これはどういう料理なんだ?」
肉を食べ慣れていないらしい沖田様が、ラードで炒められた料理の香りを嗅いで、眉間に皺を寄せている。
「こちらは鹿の肝と野菜を炒め合わせた物です」
「き、肝!?」
「え、ええ……」
昨日の昼食で振る舞った、猪の肉を使った饅頭と雲呑の時以上に、目の前の料理に対する沖田様の警戒心が激しく見える。
「ほほぅ。鹿の肉は数多く食べていますが、肝は初めて頂きますね」
「肝は食べませんか?」
「赤鹿の狩りの大会が開かれるので、練習がてら狩った獲物を食べますが、背肉や腿肉を焼いたり煮たりする程度ですね」
騎士を扱った作品では、鹿狩りの大会というのは良くあるモチーフなので、ケイ卿は肉は食べた事があるらしい。
しかし、猟師であれば足の早い内臓類は、仕留めて処理した者だけが食べられる御馳走なのだが、騎士であるケイ卿の食事は料理人か従者任せだろうし、肉があるのに敢えて廃棄するような部位を、という事にはならなかったのだろう。
「す、鈴白。肉はともかく内臓、それも肝を食うというのは……」
「え? でも、カワハギは肝をそのまま食べたり、醤油で溶いて刺し身をつけたりしますよね?」
「あ、あれは魚だから……」
「フグと違って、毒とかは無いんですけどね」
動物の、しかも内蔵という事で、沖田様は明らかな渋面を浮かべている。
「まあまあ、沖田殿。昨日も食べてみたらおいしかったのですから、今日もとは思いませんか?」
「むぅ……」
「食べてみてどうしても駄目でしたら、別の物をお出ししますので」
俺はレバーが好きなので、仮に沖田様が残しても二人前くらいは問題無く食べられる。
「それでは、頂きます」
「……頂きます」
ゲストであるケイ卿が食べ始めたので、かなり渋々という様子だが沖田様も箸を手に取った。
「こ、これは……」
「口に合いませんでしたか?」
レバーだけを一切れ口に運んだケイ卿が、箸を止めて目を見開いた。
「い、いえ。そうでは無くてですね。肝という事で独特の風味とかを想像していたのですが、濃厚なのに変な癖も無く、非常に豊かな味で驚いたのです」
「そ、そうですか」
ケイ卿の反応が悪い方では無かったので、心の中で胸を撫で下ろした。
「む、むぅ……」
ケイ卿と俺のやり取りを見ていた沖田様は、何故か箸でレバーと野菜をごっそり取って、目を瞑って口に放り込んだ。
「お、沖田様!? まだ熱いですよ!」
味が沖田様の好みに合うのかはわからないが、高火力で出来たてのレバニラ炒めは熱々だ。
「あ、あっつ!?」
「沖田様、水を!」
座卓の影で見えないようにしながら、ドラウプニールから麦湯の注がれた湯呑を取り出して沖田様に差し出した。
「ん……ぷはっ! た、助かったぞ、鈴白」
「え、ええ……」
騒いでしまった事を恥じているのか、沖田様は真っ赤になりながら礼の言葉を述べた。
「ははは。沖田殿が慌てて飲み込んでしまうくらいには、この料理は旨いですな」
「け、ケイ殿……」
ケイ卿は場を和ませようとしたのだろうが、沖田様は顔を更に赤くしながら身を縮こまらせている。
「ふむ。この米は、油で炒められているようですが、口当たりが軽いですね?」
「高温で一気に調理すると、そういう風に仕上がるんですよ」
中華は調理法も優れているのだが、実は使われている油の量も多くないので、ケイ卿が口当たりが軽く感じているのはその辺が理由だろう。
「……意外に旨いな」
今度は控え目な量を口に運び、渋い表情をしながら時間を掛けてもぐもぐしていた沖田様が、飲み込んでからぽつりと感想を漏らした。
「でしょう? 肝だけだと口当たりが重いかもしれませんが、たっぷりの野菜のお陰もあって食べ飽きませんよね」
「た、確かに……鈴白。食う前に色々言って済まなかったな」
「まあ、一般的とは言えない食材ですから、無理もありませんよ」
むしろ、反応としては沖田様が普通で、鎌倉の源家の人達やケイ卿がすんなりと受け入れた事の方が、どちらかといえばおかしいのだろう。
「ううむ。この国の料理は、魚だけでは無く野菜の扱いも上手ですね」
「お国では違うのですか?」
レバニラ炒めは技法としては日本の物では無いのだが、そこはケイ卿には黙っておこう。
「ブリテンでは野菜は、茹でたり焼いたりした物に塩と酢で味付けしただけか、肉と一緒に煮込んだりするといった食べ方だけですね」
「そ、それは……」
ブリテンの煮込むという料理は、おそらくはシチューやスープの類だと思うが、それ以外は本当に煮ただけ、焼いただけという、料理と呼ぶには無理がある物である可能性が高い。
うんざりしたように話しているケイ卿の様子を見ると、日本と比べてブリテンの食事事情は、決して豊かだとは言えなそうだ。
「ふむ。この汁は、魚と海の香りが調和していますね」
「出汁を鰹という魚の加工品でと昆布という海藻から取っていて、葱と一緒に浮かんでいるのも海苔という海藻だからでしょう」
「海苔? 言われてみればこの黒いのからは、確かの海苔の風味を感じますね」
「海苔をご存知でしたか?」
日本では朝の食卓でポピュラーな海苔だが、ケイ卿の滞在中の食事にも出されたのかもしれない。
「海苔はブリテンでも食べるのですよ。しかし……」
「?」
何故か海苔の話題で、ケイ卿が沈痛な面持ちをしている。
「ブリテンでは海苔を、砂糖と一緒に煮詰めて、ジャムにするのです」
「えっ!?」
(そ、そう言えば、そんな話を聞いた事があるな……)
口にした事は無いのだが、海苔をジャムにするのは聞いた事があったのを思い出した。
「鈴白。じゃむとはなんだ?」
「ジャムというのは、果物などを砂糖と一緒に甘く煮詰めた物で、保存食の一種です」
「砂糖で果物を? それは贅沢な食べ物だな」
「ええ」
甘さへの欲求を満たすのに果物を食べるのに、高価な砂糖を使って作るジャムを、沖田様は贅沢な食べ物だと思ったのだろう。
「しかし鈴白よ。海苔に砂糖ならば、佃煮と同じでは無いのか?」
「佃煮は醤油とかも入って甘辛ですから御飯にも合いますけど、海苔のジャムは砂糖だけですから」
「あー……海苔が甘いだけではなぁ」
甘い味付けだけの海苔のジャムの味を想像をしたのか、一度は無くなった沖田様の眉間の皺が、再び深く刻まれてしまった。
「母国の食べ物の悪口は言いたくないのですが、人に勧められるものではございません」
「「ははは……」」
ケイ卿の自虐的な物言いへのフォローが考えつかず、俺と沖田様は申し合わせた訳でも無いのに、揃って曖昧に笑って誤魔化した。




