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智拳印

「お、あるある」


 里の整備の為に岩を切り出した場所には、黒かったり白かったり層になっている部分が見える。


 俺はドラウプニールを使って腰にセットした巴を抜き放つと、先ずは黒くなっている部分に突き立てた。


「ん……」


 それ程深く刃を入れる必要は無いので、突き立てたまま黒くなっている層の上側の部分に沿って横に走らせる。


 続けて、抜いた巴を黒い層の下側部分に突き立てて同じ様に横に走らせてから、両側を縦に切り裂いた。


「……はっ!」


 四角い枠状に切り裂いた岩の表面に掌底を当てて、右足を踏み込むと同時に(エーテル)を放つと、奥の方でビキッという、何かが割れるような音が聞こえた。


「……よし、掛かった」


 放った(エーテル)によって入った岩の隙間の奥の亀裂に、伸ばした蜘蛛の糸が掛かった手応えを感じた俺は、戻ってきた糸の端を掴んで力いっぱい引っ張った。


 軋むような岩同士が擦れ合う音を立てながら引っ張ると、四角い箱上に切り抜かれた黒い岩が、重々しい音を立てて地面に落ちた。


「艶があるな……ガラス質かな?」


 切り出した岩の黒い部分は表面が滑らかで艶があるので、黒曜石などと同じ様にガラス質が多く含有されているのだと思われる。


「次は白いのを……」


 黒い部分と同じ調子で白い岩も切り出し、切り出した黒と白の岩を巴で大雑把に切って、断面に違う色が混じっていたりする物は、更に細かく切っていく。


「これは使える……これも、これも」


 転がっている石の一つに腰掛けた俺は、黒い物も白い物も、そのまま使えそうな物はドラウプニールに入れて、色が入り混じっている物は粒の大きさになるまで切り刻んだ。


 岩の原型を留めないレベルの粒を色分けして掻き集め、蜘蛛の糸で目の細かい袋を作って纏めた。


 そのままでも使える部分を取り除き、更に選別した粒上の石でも塵も積もればという奴で、袋に集めるとかなりの量になった。


「とりあえずテストで一つ……」


 袋の中から一掴み分の石の粒を取り出し、意識と(エーテル)を集中すると、土を形作って圧縮した時と同じ様に手の中で石の粒が、熱せられた蝋のように柔らかく変化していく。


「……思った以上に上手く出来たな」


 俺の手の中には細長い台座の上に騎士、ケイ卿を模したフィギュアが載っている、チェスのナイトの駒が出来上がっていた。


 実際に存在する、キングやクイーンやナイトにフィギュアが使われているチェスの駒を参考にして、顔の造作や体型を記憶にあるケイ卿にしてみたのだ。


 尤も、綺麗に塗装してあるフィギュアの駒とは違って黒一色なので、かなり近づけてじっくり見なければ、ケイ卿本人でも自分がモデルにされているとは気が付かないかもしれない。


「……悪くないけど、このままじゃイマイチだな」


 ナイトの駒と同様にキング、クイーン、ビショップ、ポーンも、フィギュア仕立てで作っていくのだが、単色でも悪くは無いのだが見栄えがイマイチなので、黒が主体の駒の方はキングの冠やクイーンのティアラの部分を白い石にしてみた。


 白が主体の駒の方も同じ様に、ナイトの盾やポーンの剣を黒にしてみると、それなりに見栄えが良くなった気がする。


 ルークの駒は戦車とかも呼ばれるのだが、一般的には城や塔と称される事が多いので、今回作る駒も煉瓦を積み上げたような塔を模した物にしてみた。


 ルークの駒には冠や武器は無いので、塔の入り口の扉と、屋上の部分の縁取りをそれぞれの駒の反対の色で施した。


「通常のセットはこれでいいとして……予備でクイーンを二つと、他を一つずつくらい作っておいた方がいいかな?」


 チェスにはプロモーションという、将棋で言う『成り』に該当するルールが有り、通常は最弱の駒であるポーンを最強の駒のクイーンにする事が多い。


 プロモーションに備えて予備のクイーンを用意してあるチェスの駒のセットもあるのだが、一般的には既に取っている相手の駒、特に上部が平たいルークの駒を逆さにして代わりに用いる事が多い。


 ケイ卿に渡す予定のチェスのセットは二種類を考えていて、一つは航海中に遊べるようにと思っているのだが、揺れる船の中では駒の紛失も有り得るので、その辺も踏まえてクイーン二つとその他の駒をワンセット、予備を用意しようかと考えたのだった。


「石で作った駒はそれなりに重いけど、フィギュアになった分だけ重心も上になってるから、倒れ易いよな……」


 駒を作るのにはそれ程苦労をしないという事がわかったので、予備も含めて数が増えても問題は無いのだが、航海中に遊ぶのには問題がある。


「……あ、盤に差し込めるような形にすればいいのか?」


 チェスの駒はそれぞれが台座に載っているような形なのだが、その下側に厚さが一センチくらいの円柱状の部分を作って、盤の方にはその部分を嵌め込めるように丸い穴を開ければ、多少の揺れなら大丈夫だろう。


 さすがに激しく海が荒れている時には気休めにしかならないと思うが、そんな時にはチェスをしている場合じゃ無い。


「思ったよりも順調に出来たから、他の作業もしようかな」


 出発が少し遅れた割には、材料の採集と作成の作業が順調だったので、琵琶湖の近くを回って帰るにしても、まだ時間的に余裕がありそうなので、里で行おうと思っていた作業をこの場でやってしまう事にする。


「……これでいいな」


 腰掛けて作業をしていた場所から十メートル程離れた東西南北、そして北東と南西の場所に、少し(エーテル)を込めた十センチ程の長さの蜘蛛の糸を、小石で動かないようにして配置した。


 これは簡易な結界で、俺がこれからドラウプニールで(エーテル)を集めても、察知されないようにする措置だ。


 察知されないとは言っても結界の中の俺はという事であって、周囲の(エーテル)の流れなどに敏感な者には感づかれてしまう可能性はあるのだが……。


「……」


 俺は結界の中心の場所に立つと胸の前で左手の親指を握り込む形で人差し指だけを立て、その人差し指を右手で包み込むようにして、密教の九字の印の一つである智拳印を結んだ。


 知拳印は大日如来が印相であり、仏の知恵の境地に入るという有り難い物なのだが、俺の場合は意識を集中する為に使っているだけで、特に深い意味は無い。


 智拳印を結んだ俺は目を閉じて呼吸を整えると、意識を周囲と同化させるように想念しながら、段々とその範囲を広げていく。


 単なる想像の産物なのかもしれないが、拡大した俺の意識は周囲の木や草の影に潜む鳥獣や虫などの動きが、まるでその場に同時に存在して見ているかのように感じている。


 意識を拡大し過ぎたり、見ている物に気を取られ過ぎると、この場にいる俺自身の存在があやふやになってしまう。


 近場に猟師などが踏み込んできたりしていないのを確認した俺は、拡大していた意識をゆっくりと通常に戻してから、閉じていた目を開けた。


「大丈夫みたいだな」


 小さく呟いた俺は、左の手首に嵌めたドラウプニールを弾いて回転させた。


(何度も見ても不思議な光景だなぁ……)


 唸るような音を発しながら、ドラウプニールが手首から少しだけ浮いた状態で回転し続けている。


 手首を中心にして回転を続けるドラウプニールは、周囲の(エーテル)を集めて俺に供給し、やがて俺の中に満ちて溢れた余剰分が漏れ出して、身体の中から光り輝くような状態になった。


 身体の中を(エーテル)が満たしたので、物凄い高揚感と浮遊感がある。


「さて、やるか」


 ケイ卿の依頼品の内、先ずは朱雀大路で見掛けた時の衣類と肌着の製作に取り掛かった。


「……」


 (エーテル)と一緒に精神を集中して、手から出した蜘蛛の糸を織り上げていく。


 上下の服は内側に斬撃や衝撃に対しての強度を増す付与を、同色の糸で織り込んで目には見えない形で施してある。


 和装の方も同じ様に上下を作って、肌着と靴下や足袋は予備や洗い替えを考えて三組作っておいた。


「次は……」


 十分に気合を込めてケイ卿の衣類を作り終えた後で気持ちを切り替えて、いよいよアーサー王の紋章入りのマントの製作を開始した。


「……」


 出来上がりが違ったりするのかは不明なのだが、いままで以上に精神を集中して(エーテル)を込めて糸を操り、マントの折り目一つ一つが強度を増すようにイメージしながら作業を続ける。


「……ふぅ」


 無限に(エーテル)を供給してくれるドラウプニールを使っているので疲労などする筈が無いのだが、かなり集中していた作業を終えた時点で小さく溜め息が出た。


「ついでに……」


 ドラウプニールのお陰で無造作に(エーテル)が使える状態なので、さっき採集した黒と白の石を使ってチェスの盤と駒のケースも作る事にした。


 チェスのセットには特に付与などを施す気は無いのだが、チェッカーボードと呼ばれる黒と白の盤を作るのはそれなりに面倒なので、ドラウプニールを使ったついでにこの場で作ってしまおうと思ったのだった。


 色分けをして作ったチェスの盤は一つは通常の物だが、もう一つは先に作っておいた台座の下側が円柱状になっている駒が嵌るように、四角い枠の真ん中を丸く窪ませて、航海中に少しくらい揺れても転倒しないように加工した。


「……作ったのはいいけど、重くなっちゃったな」


 当たり前だが、石で形成されているチェスの駒も盤も、木やプラスチックの物と比べるとかなり重くなってしまっているのと強度もかなりの物なので、冗談では無くいざとなったら駒は投擲武器に、盤とケースは防具の代わりになりそうだ。


 ある程度重さがある方が、航海中などに遊ぶには安定すると思うのだが、しっかり固定していないと落下して足にでも落としたら一大事になってしまうかもしれない。


「……大丈夫だな」


 ドラウプニールの回転を止めて、作業前にしたように周囲の気配を探ったのだが、害の無い昆虫とか以外は、かなり遠いところに野生動物や野鳥がいるだけで、潜んでいる人間はいないようだ。


 かなり作業に集中していたので心配だったのだが、どうやら杞憂に終わってようなので良かった。


「良し。次に行ってみようか」


 集めた物や作った物の全てをドラウプニールに収納した俺は、次の用事を済ませる為に琵琶湖の方向に向かって駆け出した。



「あの辺の店が良さそうかな」


 山中の道無き道を一気に駆け抜け、琵琶湖と京を繋ぐ街道に出たところで、通行人が驚かない程度に走る速度を落としたが、休まず一気に湖畔の店などが立ち並んでいる場所まで到達した。


 木や竹、藁などで作られている、屋台とか露店と言った方が相応しい作りの店が多いが、店構えとは裏腹に琵琶湖の水産物や農産物が豊富に並べられている。


「お兄さん、何かお探しかい?」


 俺が並んでいる商品を物色していると、人の良さそうな中年の女性が微笑みながら訊いてきた。


「えっと、小鮎はありますか?」

「勿論あるよ。生に焼いたの、それに佃煮だよ」


 女性が指差す先では、藁を編んだ平たい笊に、いかにも新鮮そうなピカピカの小鮎が並べられている。


 その隣には大きな鉢に盛られた佃煮があり、商品の並んだ縁台の隣に置いてある七輪の上では、頭を竹串で刺して並べられている小鮎が焼かれ、滴り落ちる脂で煙が上がっている。


「ほれ、味見して御覧」


 七輪の上から串を取り上げた女性は、小鮎の一匹を手で引き抜いて俺に差し出した。


「頂きます。ん……これは旨いですね」


 川に棲んで苔を食べている鮎の、俗に言う西瓜のような香りはしないが、ただ塩を振って焼いただけの小鮎は、小さいながらも脂が乗っていて豊かな味わいがする。


「そうだろう? 琵琶湖の恵みだよ」


 俺の感想、女性は笑みを深めながら胸を張った。


「それじゃあ……生の小鮎をあるだけ下さい」

「ちょ、ちょっとお待ちよ。あるだけって、ここに並んでるだけじゃ無いんだよ?」


 俺の申し出が相当に意外だったのか、商品が売れるというのに女性が慌て始めた。


「あ、そうなんですか? それは都合がいいです」

「……へ?」


 笹蟹(ささがに)屋に滞在中の人間に行き渡るには、数軒を回らなければならないと思っていたので、この店だけで大量に買えるというのなら俺には好都合だ。


 しかし、この辺の宿や料理屋の人間だとは思えない俺が、大量に買うえるのが好都合とか言い出したので、店の女性は呆気に取られている。


「こんだけあるんだけど……大丈夫かい?」


 店の縁台の下側にある大きな木箱の中から、桶に入った小鮎を取り出して見せてくれた。


 桶の中には小鮎が重ならないように並んでいるのだが、ぱっと見た感じでは五十匹くらいは入っていそうだ。


「ええ。全部お願いします」

「そ、そうかい? それじゃ桶ごと持ってきな」

「いいんですか? 助かります」


 当たり前だがレジ袋など無いので、手ぶらな俺を気遣ってくれたようで、木の桶をサービスしてくれた。


「さっき試食させて貰った焼き物は、どれくらいありますか?」

「そ、そうだねぇ。五匹刺してあるのが二十ってところだけど」

「それじゃ、焼き物も全部下さい」


 小鮎の塩焼きは御飯のおかずにも酒のつまみにも良さそうなので、買い置きしておけば後々便利そうだ。


「他にも何か買っていくかい?」

「いえ、これくらいで」


 他にも琵琶湖産の鱒などが並んでいるのだが、里では岩魚が幾らでも捕まえられるので遠慮をしておく。


「兄さん、いっぱい買ってくれたから、良かったらこいつを持っていきな」

「これは……鰻ですか?」

「そうだよ。水揚げがあったんで仕入れちゃみたけど、誰も見向きもしないんでねぇ」

「あんまり人気が無いんですね」


 女性が見せてくれた大きな桶の中で泳いでいる鰻は、長さも太さもかなりの物で、料理屋とかでも無ければ持て余してしまいそうなサイズだ。


「でも、いいんですか?」

「構いやしないよ。兄さんが買ってくれた分で、お釣りが出るくらいさね」

「ならいいんですけど」


(江戸でも伊勢でもそうだったけど、この辺でも鰻は人気がないんだなぁ)


 色んな見聞きしたデータから推測して、こっちの世界も元の世界の安土桃山時代くらいまでは殆ど同じみたいなのだが、火薬が武器として使えないというのも影響してか、その後の流れがかなり変わってしまっているのがわかる。


 元の世界では江戸時代に発展したと言われている鰻の調理法や食文化が、こっちの世界ではまだまだだったりする辺りにも、そういったバタフライエフェクトの影響が伺える。


「この鰻は、捕れたばかりなんですか?」

「いいや。三日前くらいに仕入れたんだけど、売れないんで家の湧き水の池に泳がせてたのを、桶に入れて出してるのさ」

「成る程」


(という事は、泥抜きは出来てるな)


 こっちの世界の琵琶湖の水質がどの程度なのかは不明だが、元の世界の現代でも泳げる程度には綺麗だ。


 少なくとも川の汽水域で捕れた鰻よりは泥臭く無さそうだし、その上で湧き水の中で三日も泳いでいたのだから、鰻屋で客に出す前の状態と同じだと思って良いだろう。


「あの、この場で捌いちゃっていいですか?」


 俺は小鮎の代金を手渡しながら女性に訊いた。


「兄さん、鰻が捌けるのかい? なら中に入って、そこを使うといいよ」


 女性が手で示す店の中には、調理し易い高さの台の上に大きな俎板が置かれていた。


「横の桶の水とかも、自由にして構わないからね」

「有難うございます。それじゃ遠慮無く」


 大量買いの客だったからか、笑顔の女性はサービスが良い。


 俺は縁台の脇を通って店の中に入ると、泳いでいる桶ごと鰻を俎板の脇に置いた。


(目打ちは使わない方がいいな)


 かなり大きな鰻なので、目打ちをして俎板に固定した方が捌き易いのだが、他人様の持ち物に孔を開けるのも気が引ける。


「おや? 包丁を持ってたんだね。なんか変わった形をしてるけど」

「ええ」


 客が居ないので背後を振り返っていた女性は、俺が出した鰻裂きを興味深そうに見ている。


「ん? 背開きにするのかい?」

「そうです」


 やはり関東風の背開きというのは、魚の下ろし方としては珍しいからか、女性の表情には思いっきり不信感が出ている。


「……えっ!? 骨を抜いちまうのかい?」

「骨を抜くのがそんなにおかしいですか?」

「だって兄さん、鰻ってのはワタを抜いたら筒切りにして焼くくらいしか……」


(ああ、やっぱりまだ蒲焼きどころか、開いたまんま焼く長焼きも無いんだな。という事は、蒲の穂焼きだけか……)


 骨ごと、又は骨を抜いて筒切りにして、たまり醤油や味噌を塗って焼く『蒲の穂焼き』というのが蒲焼きの原型だと言われているのだが。


 長焼きは、要は開きにして焼くだけの調理法なのだが、こっちの世界では鰻にそこまで手間を掛けるだけの価値が見出されていないのだろう。


「こうして開いてから串を打って、じっくり焼いて脂を落として醤油と味醂と砂糖のタレで味をつけると、おいしくなるんですよ」

「ちょ、ちょいと兄さん」

「はい?」


 何やら女性が焦った様子で俺に声を掛けてきた。


「そ、その、開いてタレで焼くってのを、ちょっとやって見せておくれよ」

「え?」


 なんでか、唐突に女性がそんな事を言いだした。


「いやね、琵琶湖では鰻以外にもいっぱい漁獲があるんで食うには困らないんだけど、どの店にも特色ってのが無いんだよねぇ」

「あー……」


 琵琶湖は大きいので、漁獲出来る種類も多いのだが、それでも漁師から仕入れられる物となると限られるので、並んでいる商店同士が同じような物を売る事になってしまうのだ。


 おそらくは加工品の佃煮なんかは店ごとに味の違いなどを工夫していると思うのだが、使える調味料や香辛料にも限りがあるので、差別化を図るのは難しいのだろう。


「んー……それじゃやってみますけど、長い金串はありますか?」

「金串? そんなもんは無いよ」

「そうですか……」


 期待半分くらいだったのだが、女性からの答えは予想通りだった。

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