黒と白
灯りも無い外で話すのも、という事で、頼永様が先に立って、俺が捕縛した鵺を運んで、人型に变化した鵺と祭壇のある別棟に移動した。
おりょうさんと頼華ちゃんも来たがったが、既に日付の変わった今日は仕事もあるし、特に頼華ちゃんは相当に眠そうだったので、少し強めに言って休ませた。
「さて、何から話せばいいんでしょうね……」
捕縛された鵺を囲んで座ると、口元に笑みを浮かべた頼永様が、視線を宙に彷徨わせながら呟いた。
(状況がカオス過ぎて、俺にもわからない……)
「じゃあ、あたいの事から話そうか?」
人型に变化している鵺が、元気良く手を上げた。
(猿の顔、狸の胴体、虎の手足、尾は蛇のはずだけど、顔は猿というよりは、胴体の狸に近いような……)
眼の前の少女? は、ぽっちゃり目のグラビアアイドルなんかにいる、親しみのある感じの狸顔で、笑うとなんとも言えない愛嬌があり、幼さを感じさせる。
ただ、その顔を含む肌は色素が感じられない程に真っ白で、逆にボサボサのセミロングの髪の毛や瞳は、光が吸い込まれそうな程の黒さだ。
歩いている時に見た感じでは身長は百五十センチ程度と小柄で、申し訳程度に虎縞の毛皮に包まれた胸と腰回りは豊かだが、脚が長く高い位置のウェストは綺麗に引き締まっている。
「ああ、そうだね。聞かせてくれる?」
「おう!」
鵺の説明によれば、萬屋で買い求めた靴に残っていた意識の残滓のような物が、俺と接触した事によって休眠状態から活性化して、活動を再開したという事だった。
「御主人に接触して、気のおこぼれを頂いてたんだが、これがまあ、とにかく質が良くってさ」
「あの……それは俺にはなんの影響も無いんだよね?」
靴を買って履いてから、特に不調のような物は感じていないが、念の為に訊いてみた。
「心配すんなって。普通の人間でも気は身に纏っているだろ? 御主人のそういった部分からちょっとだけ貰ってたんだ。食事で補える程度だけだよ」
あぐらをかいて座っている鵺が、以前から親しかった人間のように、笑顔で俺の背中を叩く。
「そんな状況で意識がしっかりしてきたら、偶然なのか、御主人が切り離された俺の身体を集め始めてさ」
「あー……」
心当たりがあり過ぎるので、俺は思わず間抜けな声を出してしまった。
「身体が集まったら、そこに気が満ちれば再活動出来るんだ。時間は掛かるけどな」
(再活動では無いけど、付喪神と同じような感じなんだろうか?)
「そしたらさ、元の身体に戻ろうかと思ってたところに、御主人が凄く良さそうな依代を作ってくれたんで、そこに移り住んだんだよ」
「良さそうな依代って、まさか……」
「そう。巴だよ」
鵺が、愉快そうに歯を剥き出しにして笑った。
「あ、もしかして、号と太極図を彫り込んだ時に起きた変化は……」
完成した巴の鋼の刀身に刻んだ太極図が、何故か白と黒に染め分けられたのを思い出した。
「刀身が二色になったのも、太極図に色が着いたのも、多分あたいが乗り移ったからだよ。迷惑だった?」
「いや。そんな事は無いよ」
鵺の力が介入しなければ、思い描いていた通りに巴は出来上がらなかったかもしれないので、これは結果オーライだろう。
「役に立った? それで、御主人が気を込めながら打ったから、巴が完成したら、あたいもほぼ完全に復活できる状態だったんだけど、柄と鞘が付くみたいだったから、寂しかったけどここで、御主人が迎えに来るのを待ってたって訳さ」
(完全復活出来る状態を察知して、飛ぶ方の鵺が鎌倉に呼び寄せられたという事なのかな?)
「あ、もしかして、頼永様や、この屋敷の人達の切り裂いた黒い靄は……」
「うん。あたいが喰った」
「そ、そうか……」
取り込んで悪影響が出ないのは良かったが、行き場がどうなっているのか気になっていた靄は、どうやら鵺においしく頂かれたみたいだ。
(話を聞く限りでは、巴の刀身の黒い部分、気を吸収する能力を、この子が定着させてくれて、今は制御しているって事で良さそうだな)
「フン! 自由ヲ奪ワレル、刀ナンゾヲ依代ニスルトハナ!」
「ふふん。自由を奪われて転がされてるお前が、言うんじゃねえよ!」
憎まれ口を叩く翼のある方の鵺を、人型に变化している鵺が鼻で笑う。
「えーっと……完全復活したみたいだけど、君はこれから、また人を苦しませるの?」
今回の件や、都に災厄を齎した件を考えると、返答次第では退治しなければならない。
「いや。そんな事はしないよ?」
なんで? と言っているような不思議そうな表情で、鵺が俺を見る。
(なんか本当に、邪気の無い狸顔だな……)
裏表の見えない表情と、澄んだ瞳の鵺に、思わず見惚れそうになる。
「あたいは頭が悪いんで、うまく伝わるかわかんないけど……鵺ってのは人の災厄や病なんかに対する恐怖みたいな物が、凝り固まって顕現した存在なんだよ」
「それは……人が生み出したって事?」
「そーいう事。得体の知れない存在に対する恐怖が、訳のわからない姿や鳴き声を。災厄や病を齎すという恐怖が、あたいやこいつの行動を『そうあれ』と決定付けたんだ」
災厄や恐怖と種類は違うが、後付けで御利益があるとされた神仏が、実際に御利益があるのと似ているのかもしれない。
「だからさ。御主人があたいに『そうあれ』と思って名前を付けてくれれば、性質が変わって災厄を齎したりなんかしなくなるよ」
「それはもしかして、この子も?」
敢えてこの子と、鎖で縛った鵺を指さして尋ねた。
「こいつの事迄はわかんないけど、多分あたいと同じだよ。でも、言う事聞かないんなら、滅しちゃえばいいんじゃないの?」
「ヒイ!?」
变化している鵺の言葉に、縛られてる鵺が悲鳴のような声を上げた。
「要するに、良太殿の胸先三寸という事ですね」
「……それでいいんでしょうか?」
「源としては、先祖から祟られている鵺が良太殿に使役されて、言う事を聞くようになるのなら、万々歳ですね」
頼永様が、期待に満ちた顔で言った。
(使役、なのか? 契約みたいに思えるんだが……こっちの分は悪くないみたいだけどね)
「聞きたいんだけど、俺がもし君達を従えた場合、俺が死んだ後はどうなるの?」
俺が死んだら解き放たれて、また暴れるというならば、滅する事も考えなくてはならない。それに俺は、死なないままで元の世界へ戻ってしまう可能性もある。
「死ぬ時にあたい達も一緒に連れて行くとか、人に祟らないように命じてどこかに封じるとか、色々出来るよ」
(そういえば、安倍晴明が一条戻り橋に封じた式神は、今でも命令を待っているって聞いた事があるな)
「じゃあ、俺が面倒を見るよ」
そこまで俺の命令に強制力があるのなら、放り出すよりは面倒を見た方が、源を始めとする人々に迷惑を掛ける事も無さそうだ。
「本当か!?」
「うん。でも、いくつかの約束は守ってもらうからね?」
とは言っても、それほど束縛するつもりも無い。基本的には街に住む人達のルールに準じてもらい、必要以上に俺から気を吸収しないなどの点は、徹底させようと思う。
「それじゃ、あたいに名前をくれよ。っと、名前は御主人だけが知っている物と、通称をな」
「その名前で、君の有り様が定着するんだね?」
「うん!」
「じゃあ……」
俺は「黒雷」という名を与えた。鵺が現れる時に雷を纏っているという伝承と、特徴のある黒髪から名付けた。
「頼永様。この子の事は、今後は黒って呼んであげて下さい」
「わかりました。今後共宜しく、黒殿」
「殿って、なんか照れるな!」
仕草や言葉からは照れが感じられるが、黒ちゃんの顔からは笑いが溢れている。
「俺は呼び捨てにはしたくないから……黒ちゃん、で、いいかな?」
「おう!」
「さて、君はどうする?」
縛られている鵺へ視線を移し、俺は問い質した。
「……滅セラレルノハ、嫌ダ」
「お前も、御主人の物になっちまえよ」
「俺の物って……」
「あたいはもう、身も心も御主人の物さ!」
「……」
胸を張った黒ちゃんに、鼻息も荒く宣言されてしまった。頼永様はそんな俺達を見て、ただ笑っている。
(怖い! 頼永様の笑顔、怖い!)
「さ、さて。どうする?」
内心の激しい動揺を隠しながら、俺は鵺に話しかけた。
「……イイダロウ。俺モ戦ウ事ハ嫌イデハ無イガ、謂ワレモナク忌避サレルノニハ、ウンザリシテイタ」
人間の想いで勝手に外見や有り様を決められて忌避されていた事に、鵺自身も辟易していたみたいだ。
「八幡神様の前での宣誓だから、嘘は通じないからね?」
「ワカッテイル」
俺は鎖に流していた気を止めて、拘束していた鵺を開放した。
「君も、人の姿にはなれる?」
「……俺ニモ、名ヲ与エテクレレバナ」
「あ、そうだね。じゃあ、君の名前は……」
黒ちゃんと対を成すように、俺は「白雷」をいう名を与えた。この名は陰陽太極図にもち因んでいる。
すると、白い煙のような状態になった鵺は、人の姿になった。黒ちゃんと同じ様にちゃんとした服は着ていなくて、胸と腰の周辺を、僅かに黒い鞣し革のような物で覆われているだけだ。
「これはまた……黒ちゃんとは色んな意味で対象的な姿だな」
狸顔の黒ちゃんのような親しみ易い感じでは無いが、百七十センチの俺と同じくらいの、胸や腰の主張は少ないが、スラリとした見事なバランスの肢体に、シャープな造形の美貌は、モデルや女優顔負けだ。
「ふん……醜いと言いたいのか?」
「そんな事無い。綺麗だよ」
「っ! ばっ、バカ言ってんじゃない!」
「でもなぁ……」
ただ、明らかに人と違う特徴も現れていて、艶の無い長く白い髪の毛と白い肌、瞳に関しては白目と黒目の色が逆になっていて、瞳孔は猫のように縦長だ。
「頼永様、この子は今後、白と呼んであげて下さい。俺は白ちゃんと呼ぶね」
「了解しました。白殿ですね。他の者達にも伝えておきましょう」
「綺麗なんだけど……黒ちゃん、白ちゃん、もう少し人間っぽい姿になれる?」
二人共、凄く美人なんだけど、色んな意味で人間離れし過ぎている。
「人間っぽいってのは、肌と髪の色を調整すればいいのか?」
「そうだね。あと出来ればなんだけど、白ちゃんは瞳の色と形を」
「なら、こんな感じに……」
「これでいいか?」
黒ちゃんと白ちゃんが呟いた次の瞬間には、二人共少し温かみのある色合いの肌と、艶のある髪の毛に変化した。
「うん。これなら大丈夫。今後は俺以外の人の前に出る時は、この姿でお願いね」
「おう!」
今の黒ちゃんの髪の毛は、正に漆のように艶のある漆黒だ。
(髪自体は綺麗になったけど、少し整えないとな……おりょうさんか胡蝶さんに相談しよう)
ボサボサで櫛られた事が無さそうな、黒ちゃんの髪の毛を見て思った。
「まあ、仕方ないな……主殿、髪の色はここままでもいいだろ?」
艶のある白へと変化した白ちゃんの髪はプラチナブロンドのように見える。瞳の方は色も瞳孔の形も、普通の人間の物と同じ様に変化している。
「うん。白ちゃん髪の毛は綺麗だから、色を変えちゃうのは勿体無いしね」
「っ! あ、ありがとう……」
もしかしなくても俺が褒めたので照れたのか、白ちゃんは頬を朱に染めた。
「あー! 御主人ったら、白ばっかり褒めてずるいぞ!」
「黒ちゃんも、可愛いって思ってるよ」
「本当か?」
「うん。本当に」
「ならいい!」
黒ちゃんは感情表現が開けっぴろげみたいで、嬉しそうに俺の首にぶら下がりながら、膝の上に乗っかってきた。肌や髪の色は人間っぽくしてくれたのに、何故か鵺の特徴の蛇の尻尾を顕現させて、凄い勢いで振っている。
(狸顔だけど、こういうところは仔犬みたいだな。あ、狸ってイヌ科だっけ?)
「……」
そんなどうでも良い事を考えていた俺と黒ちゃんを、白ちゃんがじっと見つめている。
(もしかしてだけど、羨ましいのかな? まさか、ね……)
クールビューティーという感じの白ちゃんの表情からだけでは、感情を読み取る事は出来ない。
「ところで主殿」
「何かな?」
白ちゃんが、黒ちゃんに蔑むような視線を向けながら、俺に話し掛けてきた。
「黒を刀に住まわせているようだが、俺はその鎖に住まわせて欲しいのだが」
てっきり、巴の白い刀身の部分に住みたいと言い出すのかと思っていたが、そもそも同居出来るのかもわからない。
「それは構わないけど、人間に变化して行動してれば、その必要は無いんじゃないの?」
黒ちゃんにしても、無理に巴に入ってもらう気は無い。極端な話、俺と行動を共にする必要も無いとすら思っている。
「このままの姿で行動すると、気が不足するのだ」
「ああ、そういう事か。でも、食事でも補給は出来るんでしょ?」
「この姿での食事というのは、それはそれで興味はあるが……」
「あー、あたいもあたいもー! あの咖喱ってやつと、鰻ってやつ食いたい!」
俺と行動を共にしていたのと同じな黒ちゃんには、情報が筒抜けなので、この辺も知っているようだ。
「食べさせてあげたいけど、咖喱は仕込むのに時間が掛かるんだよね。白ちゃんに最後の残りを使っちゃったし……」
正恒さんの家で作った香辛料のミックスを炒った物は、予想を遥かに超える消費量だったので、既に底を尽いていた。
「ちょっと待て。俺にぶつけられた、あの目や鼻が潰れそうに痛くしてくれたのは、もしかして食い物なのか!?」
「もしかしなくても、そうだよ」
「お前、あれは肉とか魚介入れたらうまいんだぞ!」
何故か黒ちゃんが、実際には食べた事が無いのに白ちゃんに自慢している。
「嘘つけ! あんなの、毒ではないか!」
「いや、決して毒では……それに、別に無理に食べさせようとは思ってないから」
「ふふん。物のわからない奴は、哀れだな」
「……貴様」
小馬鹿にした感じの笑いを浮かべる黒ちゃんに、白ちゃんが殺気の籠もった視線を向ける。
「はいはい。ケンカはやめて。二人共、仲良くしないとダメだよ?」
「わかったぜ御主人!」
「う……わかった」
黒ちゃんは元気に返事をした。白ちゃんも渋々という感じではあるが、矛を収めた。
「頼永様。俺はもう少し二人と話をしますので、先にお休み下さい」
俺は眠気も疲労も感じていないが、平気そうな顔をしているけど頼永様は、かなり眠いんじゃないかと思う。
「それでは、お言葉に甘えて休ませて頂きます」
「遅くまでお付き合い頂いて、ありがとうございます。おやすみなさい」
「おやすみなさい、良太殿。黒殿と白殿も」
「おやすみ頭領!」
「お、おやすみ……」
意外というか、黒ちゃんも白ちゃんも、もっと聞き分けが悪いのかと思っていた。神前での宣誓の効果もあるんだろうけど、俺以外の人にも挨拶とかの、礼儀を守った行動は出来るみたいだ。
「じゃあ、黒ちゃんは知っている事が多いかもしれないけど、街中で生活する時の事と、江戸で俺が手伝ってる店の事なんかを話そうか」
「おう!」
「わかった」
「それじゃあ始めよう。あ、夜中だから、黒ちゃんはもう少し静かにしてね」
「おう!」
「いや、だからね……」
黒ちゃんは、いい子だと思うんだけど、少し教える事は多そうだ。
「あのさ、ちょっと話が戻るんだけど、そもそも二人は、食事の必要はあるの?」
「基本的には無い。だが、活動して減った分の気は、適当な野生動物を捕食して賄ったりしていた」
「そうだな。でもあれは、食事ってよりは補充だけどな」
食べて補充は出来るけど、それは食事という行為じゃなくて、自動車の燃料の補給と同じみたいだ。
「この身体だと、人間と同じ様に食事を出来るが、気の補充という観点からすると、食事という行為には無駄が多そうだが……」
「そうかもしれないけど、せっかく食べる為に口があるんだから、噛み付く以外にも使おうぜ!」
「噛み付く以外に使ってなかったの?」
白ちゃんに対する黒ちゃんの言葉に、聞き捨てならない内容が含まれていた。
「おう! 後は、咆える時かな?」
「……今後は、色々と食べたりとか、別の使い方もしようね」
「おう!」
「咖喱以外ならな」
黒ちゃんは好奇心旺盛で、特に食事には興味がありそうだけど、白ちゃんは興味以前に咖喱がトラウマになっちゃてるみたいだ。
(出来れば殺したくはなかったから、カレー粉を使ったんだけど、白ちゃんには悪い事をしちゃったな……なんとかトラウマを払拭してあげられればいいけど)
そんな事を考えながら、結局、明け方になるまで黒ちゃんと白ちゃんへのレクチャーと、俺から二人への聞き取りは続けられた。
「すると、二人は元々、この世界の存在では無いんだね?」
「おう! 元の世界でふらふらしてて、こっちに呼ばれたような気がしたから出て来た!」
「……まあ、こいつの説明で間違ってはいない」
(えーっと、意志のあるエーテルの塊みたいな存在ばかりがいる世界にいた二人は、人の想念を受けて変化して、こっちの世界に顕現した、で、合ってるか?)
鵺を始めとする「この現象の原因はこいつなんじゃないのか?」という類の妖怪は、実体の無いエネルギー生命体のような存在だったようだ。
「ところで、鎌倉は霊的な護りもそれなりにあるはずだけど、どうやって侵入したの?」
「ああ。それは界渡りで……」
「界渡り?」
これまでの会話には無かった言葉が、白ちゃんの口から出た。
「おう! 元々、あたい達はこっちの世界の住民じゃ無いんで、そういう力があるのさ!」
「こちらの世界へ顕現出来るのと同じ様に、向こうの世界へも自由に行く事が出来るのだ」
「巴に憑依する時と同じ様に非実体化して、あたい達が元いた世界を通って、こっちの世界の別の場所へ移動する。これが界渡りだよ」
「向こうの世界では非実体化していなければ、異物と見なされて無差別に襲われてしまうのだ」
どうも話を聞くと、四神相応の設計をされている都や、ここ鎌倉に侵入出来たのも、この界渡りの能力だったらしい。
(そんな能力があるなら、どこにでも侵入し放題だよな……)
「ただ、界渡りは便利なんだけど、少し使い方が難しいんだよ」
「そうなの?」
この難しいというのが、黒ちゃんにとってなのか、それとも界渡り自体がなのか、ここまで聞いている限りでは判断が出来ない。
「界渡りを使えるのは、行った事のある場所、何かが目印になっている場所に限られる」
「知らない場所へ行くのには、使えないんだ?」
「そういう訳でもない」
「……どういう事?」
こういう事の説明は、黒ちゃんよりも白ちゃんの方が上手そうに思ったが、いまいち要領を得ない。
「俺にもうまく説明出来ないんだが……俺達が元いた世界は、こっちとは法則が異なっているんだ。わかるか?」
「それは……物理法則がって事?」
「いや、それとも違う。なんと言えばいいのか……こっちの世界よりも、身体が軽くて早く動ける、で、いいのかな?」
エーテル生命体みたいな物が存在する世界という時点で、既にかなり違うんだけど、どうもそういう違うのとは別の話みたいだ。
「……良くわからないな」
「すまんな。本当に俺にもうまく説明が……あっちの世界は、こちらの世界と重なり合っているのだが、例えばこちらの世界で江戸から大坂までは、約五百キロあるだろう?」
「そうだね」
「人間の足で徒歩なら……順調ならば到着までに三週間程度掛かるだろう。まあ主殿ならば、三日もあれば到着するだろうが」
「いやいや。御主人ならば、丸一日で着けるだろ!」
(黒ちゃんが無茶苦茶な事を言ってるけど、ちょっとチャレンジしてみたいな、なんて思ったのは内緒だ)
「ははは……そ、それで白ちゃん、話の続きは?」
「界渡りで向こうの世界を経由すると、大きく一歩踏み出しただけで、とんでもない距離を稼げるようになるから、ちょっと走れば大坂に到着する」
「ん? もしかして、身体が軽いっていうのと関係があるのかな?」
「そうかもしれないが、良くはわからない」
説明からすると、身体に掛かる慣性や重力の影響が少ない世界って事でいいのかな? あくまでも俺の推測だけど。
「だから、例えばここから江戸の、良く知らない場所を目的地にして界渡りで移動すると、手前過ぎたり大きく通り過ぎたりする事が考えられるし、左右の角度が少しズレただけで、かなり逸れてしまう事が考えられる」
「そういう事か……」
実体で動き回った場所へは便利に移動出来るけど、それ以外はコントロール、特にストップするのが難しいのか。
(後で二人に、行った事のある場所を確認しておいた方がいいな)
「あれ? それじゃ白ちゃんは、界渡りで逃げる事も出来たんじゃないの?」
「あれは、こっちの世界で実体化したところを、咖喱とかいうので驚かされて……鎖だけなら振り解けたが、主殿に気自体をガッチリ捕まえられてしまったからな」
「ああ、そういう事」
俺自身は、逃げられないよう気で鎖を強化しただけのつもりだったが、元々が気で構成されているような存在の白ちゃんにとっては、魂を直接捕まえられたような状態になっていたようだ。
「正直、向こうの世界でもこっちの世界でも、自分がそれなりの存在だと思っていたが、まさか束縛されて逃げる事を許さないような相手がいるとは思ってもいなかった……主殿は、自らを誇っていいぞ」
「おう! さすがは俺達の御主人だぜ!」
「ははは……」
褒められているのはわかるんだけど、正直、自分がどんどん人間離れしていくのは、ちょっと複雑な心境だ。
「お、そろそろ夜が明けるみたいだな」
黒ちゃんの言葉で、開け放たれたままの入口の方を見ると、外が明るくなり始めているのに気がついた。
「二人は、眠くなったりはするの?」
「睡眠は不要だ」
「気が不足すると、寝るのと近い感じにはなったりするけどな!」
二人共、おそらくは活動にも実体の維持にも気が必要なんだろう。
「吸い尽くされるのは困るけど、必要な分の気は、持っていって構わないからね」
(ヴァナさんの言う、圧縮して貯蔵されている気がどの程度の量なのかは不明だけど、特に不足を感じた事は無いから大丈夫だろう。いざとなれば周天の腕輪もあるし)
「さすが御主人。気前がいいぜ!」
「わかった。遠慮無く頂こう」
「……必用な分、だけだよ?」
大丈夫だとは思うが、一応、念を押しておいた。
「あ……」
基本にして大事な事を忘れていた俺は、思わず声を出した。
「なんだ?」
「どうした御主人?」
「頼永様以外の人達にも二人を紹介するけど、その前に着る物を何とかしなくちゃね」
(雫様が起きたら相談するのがいいか?)
「間に合わせでいいのなら、なんとか出来るよ?」
「そうなの?」
黒ちゃんから、意外な申し出が来た。
「おう! こんな感じでいいんだろ?」
鵺の姿から人に变化する時のように、黒ちゃんの身体の周囲に煙が発生して纏わり付き、見覚えのある色と柄の着物になった。ちゃんと着付けまでされている。
「あれ、その着物って、頼華ちゃんの?」
「おう! 見た事が無い物は難しいから、あのお嬢ちゃんの着物を再現した!」
「ふむ。そういう物で良いのなら……」
小さく呟いた白ちゃんの身体の周囲に煙が発生し、次の瞬間には俺が着ている袴付きの着物へと変化した。
「それは……着物を生み出したの?」
「そうではない。気をこういう見た目に構築しただけだ」
「今のあたい達の姿にしたって、気でこういう外見に構築してるだけだしな!」
「ん? 着物と違って、外見は誰かを参考にしてる訳じゃ無いでしょ?」
黒ちゃんも白ちゃんも、俺がこっちの世界で知り合った誰かと外見が似ている訳では無い。
「この外見は、多分だけど御主人の好みだな!」
「うむ」
「……へ?」
黒ちゃんの言葉に、白ちゃんが重々しく頷いた。
「あたい達には本来は雌雄も無いけど、今の姿は人間の女性型だろ? そこから考えられるのは、御主人の好みって事じゃないか?」
「俺の無意識みたいなのが、二人の姿に反映しちゃってるって事?」
「多分だがな。その……抵抗はしないから、好きにしていいぞ?」
「何言ってんの!?」
外見通りに凛々しい立ち居振る舞いをしていた白ちゃんが、急に変な事を言い始めた。
「何とは……勝者の権利だからな。滅せられたり、捕食されないのに比べれば、遥かに寛大な扱いだ」
「あー! 御主人、俺が先!」
「どっちが先とか無いからね!?」
「同時にとは……まったく主殿には敵わないな」
「そういう事じゃありませんよ!?」
(でも言われてみれば、二人の外見は、特定の誰かに似ているというのでは無いけれど……)
おそらくだが白ちゃんには、おりょうさんと雫様と頼華ちゃん、胡蝶さんと初音さんの外見的特徴が少しずつ反映されているのだろう。
黒ちゃんには夕霧さんと若菜さん。それと……かなりの割合で、ヴァナさんの成分が含まれている。金髪では無いが。
「あの、もしかしてだけど、髪の毛とか目の色以外に、他の人の姿になったりも出来るの?」
「この目で見た相手の姿になら、可能だぞ」
「あくまでも見た目だけだけどな! 細かい特徴までは、じっくり観察しないと再現出来ないぞ!」
(という事は、影武者とかに使えるな……そんなの使う機会は無さそうだけど)
二人を敢えて危険に晒すような事をさせるつもりは無いけど、出来る事を把握しておくのは重要だから、覚えておこう。
「とりあえず、俺の服も見せるから、変化させられるように覚えておいてもらおうかな」
「おう!」
「わかった」
俺は腕輪を操作して、作務衣を二人に見せた。
「御主人とお揃いだな!」
「う、むむ……着物よりは動き易いが、身体に纏わり付く布の多さは変わらないな」
「あれ、気を変化させた物だから、思い通りになるんじゃないの?」
見た目は着物や作務衣でも、実際は気で構成されていて、しかも身体の一部のはずだ。
「その通りなのだが、身体を動かす際の布の動きなどを不自然にならないように制御するよりは、一時的に布と同じような構成にしてしまった方が扱い易い」
「ああ、成る程ね」
伸縮性の無い布で作った着物で、足元をはだけさせずに大きく足を開いて走ったりしたら、不自然になるしな。
「服や着物なりの動作というのもあるから、結局は気でそういった物を構成してしまうのが、理に適っているという事だ」
白ちゃんは頭の回転が速いし合理的な考え方をするので、話が早くて助かる。
「それじゃ、みんなに紹介する時には、さっきの着物の色違いにしておこうか。後は、少し髪の毛をまとめたりした方が良さそうかな……」
黒ちゃんの乱れ放題の髪の毛と、腰までの長さがある白ちゃんの髪の毛は、そのままにはしない方が良さそうだ。
「御主人がやってくれるのか!?」
「うん。ちょっと髪を触らせてね?」
「おう!」
「……ま、任せる」
黒ちゃんは嬉しそうに、白ちゃんは何故か頬を染めながら、俺に背を向けて座り直した。




