目に毒
「しかし……みんな良く食べるなぁ」
「兄上の料理のおいしさが罪深いのです! お代わりを!」
「はいはい……」
(まあ、確かにおいしく出来たけど)
猪の角煮も切り干し大根の炒め物も、非常に御飯が進む感じに出来上がっているのは俺にもわかっている
のだが、合間にこんにゃくだけの具の狸汁を挟むと口がさっぱりするので、無限ループみたいになってみんなの箸が止まらないのだった。
「鈴白さん、まだ御飯はありますかな?」
「ブルムさんで最後ですね」
「なんと! 兄上、もう無いのですか!?」
間違い無く夕食を一番食べているのは頼華ちゃんなのだが、何故か御飯が無くなったのが不思議な事のように驚いている。
「もうって……一応、一升炊いたんだけどね」
食卓を囲んでいるのは九人だが五人は小さな子達なので、この構成で一升を炊いた御飯が無くなるというのは、ちょっとした異常事態だ。
(まあ、頼華ちゃんは育ち盛りだし、子供達も食欲が無いよりは……いいのかな?)
これから蒸し暑い季節になるし、食欲が無いよりはある方が勿論良いのだが、里での食事の支度が心配になってきた。
ちょっと真剣に、里の厨房の増改築を考えた方がいいのかもしれない。
「むぅ。腹八分目が健康には良いと言いますし、この辺にしておきますか!」
「ははは、そうだね……」
(これで腹八分目か……焼肉バイキングの時も、かなり食べてたからなぁ)
元の世界の滞在中に行った焼肉バイキングで、俺とおりょうさんがリタイアした時点でも、頼華ちゃんは嬉々として食べ続けていたのを思い出した。
「主様、お茶をどうぞ」
「有難うございます、天后さん」
一足先に夕食を終えた天后は幾つかの食器を片付けるついでに、食後のお茶を用意してくれていた。
「頼華様もどうぞ」
「うむ! ん……旨い!」
やっと御飯の茶碗と箸を置いた頼華ちゃんは、良い淹れ加減のお茶を喉を鳴らして飲んで、満足そうに笑った。
「じゃあブルムさん、片付けは俺がしておきますから、お先に風呂の方をどうぞ」
「では遠慮無く。みんな、行きましょうか」
「「「はーい!」」」
ブルムさんを先頭にして、潮君以外の子供達が後に続いた。
「天后さんも、お先にどうぞ」
「え? ですが、主様よりも先というのは……」
「なんとなく、こういう入り方をするのが決まりになっちゃってるんですよ」
俺を目上の人間として扱いたいらしい天后は気が進まないようだが、ここで例外的な行動をすると今日の潮君だけでは無く、今後に影響が出てしまうかもしれない。
「そ、それに私は、主様のお風呂のお世話をしませんと……」
「いや、別にそんな……」
(そういえば頼華ちゃんも、実家に居た頃は使用人に風呂の世話とかされてたんだったな)
今でも長い髪の頼華ちゃんは、入浴の時に誰かに手助けされる事が多いのだが、出逢った頃は服の脱ぎ着も一人ではしていなかったのを思い出した。
「天后よ! それは余がしっかりとするので必要無いのだ!」
「は、はぁ……」
「いや、そうなんだけど……頼華ちゃん、あんまり大きな声では言わないで欲しいかな」
別に胸を張るような事では無い筈なのだが、頼華ちゃんは自慢げに胸を張っている。
「……とりあえず、洗い物をしようか」
「そうですね!」
「はい!」
「あ、お手伝い致します」
結局、風呂場には行かなかった天后も一緒に、四人で厨房に向かった。
「潮君、流すからじっとしててね」
「はい!」
洗い物をしている間にブルムさん達の入浴は終わっていたので、今度は俺と頼華ちゃんと潮君の番だ。
天后は最後に一人で入るという事になったので、内心で胸を撫で下ろした。
「兄上! 余にもお願いします」
「了解」
普段は身体を流すくらいは自分でやる頼華ちゃんだが、おりょうさんがいないからか俺に甘え気味だ。
「それじゃお湯に浸かろうか」
「「はい!」」
先に入った俺は、潮君を抱えてゆっくりとゆっくりと湯船の中に下ろした。
「兄上! 余もお願いします!」
「……まあ、いいか」
頼華ちゃんとはかなりの回数一緒に入浴しているが、一糸纏わぬ状態で正面から抱き上げるというのは、心理的なハードルが高いのだ。
(……本当に綺麗だよなぁ)
まだ背は低く幼さは残っているが、しなやかさと柔らかさを感じさせる身体のラインは、女性として完成しつつある。
鍛錬を続けているので筋肉質な身体になってしまいそうな物だが、俺が手で支えている頼華ちゃんの身体には、妙な硬さは感じない。
「ふぅー……やっぱり風呂は良いですねぇ。気持ちいいか、潮?」
「は、はい!」
潮君からすれば頼華ちゃんは憧れの女性になるからか、俺に抱え上げられている姿を呆然と見つめていたのだが、声を掛けられたので我に返って慌てて返事をしている。
「ふぅ……」
「……」
目を瞑って満足そうに小さく溜め息をつく頼華ちゃんを、潮君はチラチラと見ている。
(あはは……ちょっと潮君には目には毒だったみたいだな)
里では男湯と女湯に分けているので、男の子達が女性の裸を目にする機会は滅多に無い。
その上、潮君達にとって頼華ちゃんは、おりょうさん達と同じ憧れの存在でもあるので、恋愛感情とかが湧いているのかは不明だが、見惚れてしまうのは仕方が無い事だろう。
「よし、潮! 特別に身体を洗ってやろう!」
「えっ!?」
「ほら、早く出るのだ!」
言うが早いか、ひらりと湯船から出た頼華ちゃんは、驚く潮君の手を引いている。
「ほら、行っておいで」
「は、はい」
躊躇している潮君を背後から抱き上げて、湯船の外に下ろした。
「では洗うぞ! 痛かったりしたら言うのだぞ?」
「は、はい!」
「うむ!」
手拭いで石鹸を泡立てた頼華ちゃんは、小さな身体を緊張で更に縮こまらせている潮君の背中を洗い始めた。
「どうだ潮。痛くは無いか?」
「は、はい。大丈夫です」
「そうか。では背中は終わったから、こちらを向くが良い!」
「えっ!?」
潮君は自分の身体の正面側を見られるのが嫌とかでは無く、頼華ちゃんの身体を、しかも至近距離で見てしまうという状況に動揺しているらしい。
「どうした潮。 もたもたしてると身体が冷えてしまうぞ?」
「……」
「……」
救いを求めるように潮君が俺を見てくるが、軽く頷くくらいしかしてやれなかった。
「ええい、まどろっこしい! さっさとこちらを向かんか!」
「ひゃあっ!? す、すいません!」
木の椅子に座っていた潮君の両肩を掴んだ頼華ちゃんは、お尻を支点にして強引に自分の方を向かせた。
「まったく……普段から綺麗にしておかねば、兄上のように女にモテんぞ?」
「そ、そうなのですか?」
「うむ! まあ余が兄上を好きなのは、綺麗好きなだからだけでは無いがな!」
何故そこで俺が引き合いに出されるのかは良くわからないが、頼華ちゃんは上機嫌で潮君の身体を洗っていく。
「よーし、綺麗になったぞ! 潮、頭から湯を掛けるから、目を瞑って開けるでないぞ!」
「は、はい!」
視線の行き場に困っていたらしい潮君は、頼華ちゃんから目を瞑る許可が出たので、あからさまに安堵を浮かべて目蓋をきつく閉じた。
「うりゃぁぁぁ!」
「頼華ちゃん、乱暴にしちゃ駄目だよ?」
そんなに力は入れていないと思うが、頼華ちゃんはかなりの勢いで潮君の頭をシャカシャカと洗っている。
「わ、わかっております! 痛くは無いな、潮?」
「大丈夫です!」
特に潮君が無理をしているという感じでも無さそうなので、それ以上頼華ちゃんに突っ込まなかった。
「では流すぞ」
「はい!」
「まだ目を開けるなよ。もう一度だ!」
「はい!」
頭の洗い方とは違って、頼華ちゃんは手桶で汲んだ湯で、潮君の頭に残っていた石鹸の泡を綺麗に流している。
「では余は自分の身体を洗うから、潮は温まるが良い!」
「はい! 頼華姉さま、有難うございました!」
「うむ!」
満足そうに潮君に微笑み掛けた頼華ちゃんは、再び手拭いで石鹸を泡立て始めた。
(雫様が弟か妹を産んだら、頼華ちゃんは凄く可愛がりそうだな)
潮君の身体を抱えあげて湯船に入れながら、そんな事を考えた。
「兄上。背中と髪の毛をお願い出来ますか?」
「いいよ。潮君はもう出ようか」
「はい!」
少し浸かっている時間が短い気もするが、潮君を一人で湯船に入れておくのは不安なので出るように促した。
「頼華ちゃん、潮君の身体を拭いてくるから、少し待っててね」
「わかりました!」
頼華ちゃんに許可を得たので、俺は潮君を抱えあげて湯船の縁を跨ぎ、そのまま下ろさずに脱衣所に歩いた。
「はい、終わったよ。喉が渇いてたら水とかを飲んでね?」
「はい! 有難うございました!」
身体中の水分を拭き取って服を着せた潮君は、礼儀正しく一礼して脱衣所から立ち去った。
「お待たせ、頼華ちゃん」
「いえいえ。宜しくお願いします、兄上!」
背中と髪の毛を洗えと御所望だった筈なのに、何故かこちらの方を向いた頼華ちゃんに、満面の笑顔で迎えられた。
「洗うから、背中をこっちに向けてね?」
「はい!」
(なんか妙にテンション高いな)
自分の身体を洗っている時点から頼華ちゃんは、少し鼻歌交じりな感じに御機嫌だったが、今は二人っきりになったからか、僅かな羞恥に混じってウキウキしているような感じが伝わってくる。
「あ、そうだ。頼華ちゃん、お願いがあるんだけど」
「なんでしょうか?」
滑らかな背中を丁寧に洗っている時に思い出した事があって頼華ちゃんに声を掛けると、身体を軽く捻って顔をこっちに向けた。
「明日、里に帰ったら……あれ? 前回とは順番が違ってるけど、明日、頼華ちゃんと入れ替わりにこっちに来るのは誰になるんだろう?」
前の週は黒ちゃんが最初に京に滞在して、次に白ちゃんという順番だったのだが、今回は一条戻り橋の安倍晴明の式神の件もあったので、色々とイレギュラーになるのは仕方が無い。
「明日は黒が来ますけど、それが何か?」
「黒ちゃんが来るのか……それじゃ頼華ちゃん、里に戻ったら白ちゃんに来てくれるように伝えてくれるかな」
「それは構いませんが……白を呼んでどうされるのです?」
こちらに顔を向けたままの頼華ちゃんは、可愛らしく首を傾げた。
「さっきちょっと話した砂糖を、江戸に行って長崎屋さんから買えないか、白ちゃんに交渉してきて貰おうかと思ってね」
長崎屋さんは白ちゃんと黒ちゃんを気に入ってくれているので、仮に砂糖の購入が無理だったとしても、顔出しをすれば喜んでくれるだろう。
「ふむ……兄上、それでしたら余が江戸に出向きましょうか?」
「頼華ちゃんが? それは助かるけど……あれ? 長崎屋さんと面識ってあったんだっけ?」
カレーが気に入ったので、源家の方でも長崎屋さんから香辛料を仕入れたという話は聞いているが、頼華ちゃんが直接面識があるのかは知らない。
「江戸を発つ前に、船の出港予定などを長崎屋に聞き込みに行きました!」
「ああ、そういえばそうだったね……」
本当は江戸を発つ際には、おりょうさんと頼華ちゃんは連れて行かないつもりだったのだが、黒ちゃんと白ちゃんへの口止めが徹底していなかったので、結局は長崎屋さんや大前の嘉兵衛さんから、詳しいスケジュールを聞かれてしまったのだった。
「んー、頼華ちゃんが行ってくれてもいいんだけど、一度里を経由してからだよね?」
「そうですね。余が戻らないと心配を掛けそうですし、里から正恒の家の裏に出られるようになりましたしね」
里には現在、頼華ちゃんの母親の雫様が滞在しているので、予定通りに戻らなければ確かに心配を掛けてしまうだろう。
里から正恒さんの家の裏山に出てしまえば、一度戻っても大したロスにはならない。
「なら、頼華ちゃんと白ちゃんの二人で行ってきて貰おうかな」
頼華ちゃんに詳しい内容を伝えておけば、白ちゃんに笹蟹屋に立ち寄ってから江戸に行くという遠回りをさせないでも済む。
それならば頼華ちゃん一人で行ってきて貰うというのもアリなのだが、ここは白ちゃんも同行して長崎屋さんに対しての心証を良くしておくのが得策だ。
「ん? 余が一人では何か不都合が?」
などと考えていたら、頼華ちゃんが自分一人で駄目なのかと疑問に思ってしまったようだ。
「不都合って言うか……頼華ちゃんは表向きには、源家を出奔した事になってるでしょ?」
「あ」
頼華ちゃんはつい先日、その事が原因で小田原の北条と戦になった事を忘れていたらしい。
「長崎屋さんに顔を出したからって不味い事にはならないと思うけど、念の為にね」
「そう、ですね」
顧客である源家の不利になるような事を長崎屋さんがするとは思えないが、暖簾を潜った頼華ちゃんが無自覚に名乗りを上げてしまったりして、周囲に存在を知らしめてしまうというのは考えられる。
その場合は頼華ちゃんと源家だけでは無く、長崎屋さんにとっても良くない事態に陥る可能性があるので、白ちゃんに同行した貰おうかと思ったのだ。
「後で口頭でも説明するけど、長崎屋さんに行ってしてきて欲しい事を文章にしておくから」
「わかりました。お手数をお掛けします!」
「あはは、手数なんて事は無いけどね」
律儀な事を言う頼華ちゃんに、笑って見せた。
「兄上」
「ん?」
「少し冷えてきましたので、洗うのを再開して頂けると」
「あっ! そ、そうだね。一度お湯を掛けようか?」
「はい!」
思っていたよりも話していた時間が長かったようで、良く見れば頼華ちゃんの背中の石鹸の泡も消えつつある。
俺は最初から洗うつもりで、頼華ちゃんの背中に手桶で湯を掛けた。
「「ふぅ……」」
頼華ちゃんの背中を流して髪の毛を洗った後で、お返しという事で俺の背中も流して貰い、お互いにさっぱりしたところで並んで湯船に浸かった。
特に申し合わせたりはしていないのだが、俺と頼華ちゃんから同時に息が漏れた。
「なんか兄上とこういう風に、二人水入らずで過ごすのは、久しぶりな気がしますね」
「そう、かな?」
「そうですよ! 姉上やみんなと一緒に賑やかなのも好きですが、こうして兄上と二人っきりというのは、余にとっては格別です!」
「うん……」
湯の中で身を寄せ、俺の肩に頭を載せてきた頼華ちゃんに、短く返事をした。
「兄上! 今宵は一緒に床に入れるのですよね?」
「えっ!? う、うーん……それで良いのかな?」
天后の俺への態度からすると、一緒に寝たいとか言い出す事は無さそうだが、子供達がどうするか……とか思ったが、頼華ちゃんに対して意見を言える子がいるとは思えない。
「そうですよね! では、そろそろ上がりましょうか!」
笑顔の頼華ちゃんは勢い良く立ち上がると、何故か俺に向けて両手を差し出すようなポーズを取った。
「……」
「兄上! 早く余を、抱き上げて湯船から運び出して下さい!」
目の高さ的に色々と刺激的な光景が飛び込んできていたので、視線を上げて頼華ちゃんの顔を見ていると、中々に難易度の高い注文をされてしまった。
「さあ、早くっ!」
「……仕方が無いなぁ」
笑顔だが不退転の意思を頼華ちゃんから感じたので、降参した俺は立ち上がりながら抱き上げた。
「♪」
(やれやれ……)
密着する御機嫌な頼華ちゃんの体温を感じて内心ではドキドキな俺は、見た目には平常心を装いながら少し早足で脱衣所を目指した。
「頼華ちゃんの髪の毛はつやつやだね」
俺が寝る時の部屋に場所を移して、元の世界から買ってきた鏡を置いて、俺は頼華ちゃんの髪の毛を櫛で梳いた。
漆黒で長い頼華ちゃんの髪の毛は、入浴と洗髪でいつも以上に艶を増しているように見える。
「兄上の料理のお陰です!」
「そうかな?」
このところ意図的に肉を消費しようとしているのが、里や笹蟹屋でメニューに現れているのだが、言われてみれば髪の毛や肌に良いというコラーゲン多めの食卓かもしれない。
(でもまあ、頼華ちゃんの場合は遺伝が大きそうだな)
頼華ちゃんの母親の雫様の髪の毛が綺麗なのを見ると、俺と出逢ってから変化した食生活が、直接の原因とは思えない。
「はい、終わったよ」
梳き終わった髪の毛を束ねて結い上げると、鏡の中に頼華ちゃんのいつもの姿が蘇った。
「有難うございます! では、明日の打ち合わせですね!」
「うん。先ずは長崎屋さんに行って、買えるようなら砂糖を」
「確か三十キロでしたか?」
「うん。望み薄だけど、長崎屋さんに訊くだけ訊いてみて」
菓子舗などが相手でも、こっちの世界で三十キロの購入は無茶な注文だと思うので、本当にダメ元だ。
「代金にはこれを。足りると思うんだけど」
俺は金貨を一枚、頼華ちゃんに差し出した。
「確かに、お預かりします。兄上、他に江戸で何か用事はございますか?」
「特には無いけど……長崎屋さんの方で時間が掛からなかったら、大前に顔を出してきたらどうかな?」
俺も頼華ちゃんも世話になった鰻屋の大前には、黒ちゃんと白ちゃん以外は江戸を出発してから顔を出していない。
「おお! それは良いですね! では時間があれば、嘉兵衛の腕前がどれくらい上がったか見て参りましょう!」
「……あんまり厳しい事を言ったりしちゃ駄目だよ?」
嘉兵衛さんの腕前は確かなのだが、元の世界の滞在中に老舗の鰻屋にも行ったりもした。
老舗だけあって長年受け継がれているタレの味と、裂きや焼きの技術が素晴らしかったのだが、開店してから数ヶ月の大前よりは良くて当たり前だ。




