フラグ
「それではこれにて。鈴白殿、色々と御配慮を有り難うございます。出来上がった外套を御覧になれば、きっと王もお喜びになるでしょう」
笹蟹屋の入り口まで歩き、草履を履いたケイ卿は俺の手を自分の両手で包み込むようにして握手をしてきた。
「御期待に応えられれば良いのですが……」
ケイ卿からの依頼品のマントは強度などには問題は無いと思うのだが、見せて貰った毛織物とは質感が違うので、出来上がった現物にどういう感想を持たれるかは少し不安だ。
「我が陛下は狭量な方ではありませんから、私の依頼通りにお作り頂ければ大丈夫ですよ」
「ケイ卿がそれ程に忠義を捧げているアーサー陛下のお姿を、遠目で良いから一度拝見してみたいですね」
アーサー王の外見の固定が何歳くらいの時点で行われたのかは不明だが、中世ヨーロッパでは成人した貴族は基本的に髭を生やす筈だ。
少年王というイメージの強いアーサーの、そういった外見的な部分も含めてどういう人物なのかが気になる。
「ふむ……お会い出来るかもしれませんよ」
「「えっ!?」」
俺と一緒に見送りに来ていたブルムさんと、驚きの声が重なった。
「そ、それはどういう?」
「ケイ卿、それは……」
俺が追求しようとすると、沖田様が苦虫を噛み潰したような表情でケイ卿に耳打ちをした。
「おっと。申し訳ありませんが、これ以上はお話出来ないのです。それではこれにて」
「店主、鈴白、邪魔をしたな」」
「「お気をつけて……」」
言葉の意味が気になって、俺もブルムさんも半ば上の空でケイ卿と沖田様を見送った。
「……まさかと思いますが、アーサー王の来日の予定でもあるのでしょうかね?」
「まさか……」
(なんか妙なフラグが立っちゃったような気がするなぁ……でもまあ、気の所為だろうけど)
現代とは違って航空網が発達している訳では無いので、ブリテンから日本に来ようと思えば海路でも数ヶ月、陸路なら年単位だ。
国務長官のケイ卿が来るというのも相当に無茶な気はするのだが、道中が無事だとしても、国王が長く不在になるというのは、色んな意味で現実的では無い。
「そ、そうですよね。ははは……」
「ははは……」
座るのも忘れて互いの顔を見合わせた俺とブルムさんの口からは、乾いた笑いが出た。
「「?」」
そんな俺とブルムさんを、一緒に見送りに出ていた天后とお糸ちゃんが、不思議そうに伺っている。
「……あ、兄上。あの者は帰りましたか?」
「頼華ちゃん? 沖田様の事なら、もう一人のお客様と一緒に帰られたよ」
「そ、そうですか。はぁぁー……」
相当な苦手意識が植え付けられているようで、頼華ちゃんは沖田様が帰ったのを確認すると、長く尾を引く溜め息をついて、目に見えて安堵の表情を浮かべた。
「あの、主人……」
「ん? お糸ちゃん、どうかした?」
俺の事を見上げながら、お糸ちゃんが声を掛けてきた。
「あの、沖田様から頂いた飴ですが、あたし一人で食べちゃってもいいのでしょうか?」
「ああ、その事か。うん、お糸ちゃんが貰った物だしね」
里の子供達は仲間意識が強いので、お糸ちゃんも沖田様から貰った飴を、自分だけで独占するのは気が引けたようだ。
「でも、一個ずつでいいから、他の子にも分けてあげるといいかな」
「はい。そうします」
俺の言う事になんの疑いも持たずに、お糸ちゃんは大きく頷いた。
「うん。それじゃお糸ちゃんも、みんなのところに戻ってもいいよ。っと、ついでに潮君に、厨房に来るように伝えてくれるかな」
「わかりました! 失礼します!」
ペコリと頭を下げたお糸ちゃんは、草履を脱いで店の奥に立ち去った。
「兄上。潮を呼ぶという事は、夕食の支度ですか?」
「そうだよ」
みんなと一緒に店の中に入りながら、頼華ちゃんの問い掛けに答えた。
「まだ時間は早いですが、何か時間の掛かる料理でも?」
「うん。難しくは無いんだけど、時間の掛かる料理を作ろうかと思ってね」
圧力鍋でもあれば時間が短縮出来るのだが、生憎とこっちの世界にはそんな便利な物は無い。
「主様。夕餉の支度でしたら、私もお手伝いを……」
「天后さんは、ブルムさんから店の事を習ってて下さい」
料理の手伝いもあれば助かるのだが、天后が笹蟹屋の従業員として働けるようになるのが、俺にとってもブルムさんにとっても一番助かるので、レクチャーの方を優先して貰う。
「畏まりました。少しでも早く、お役に立てるように致しますので」
「ははは。天后さんは優秀ですから、今日の夕食までには全て覚えるでしょう」
天后が妙にやる気になっているみたいだが、ブルムさんの言うのがお世辞で無いならば、子供達と同じ様に覚えが良いのだろう。
「安心しろ天后! 兄上のお手伝は余が務めるからな!」
「ええ。頼華様がお手伝いされるのならば、全く問題ありませんね」
「うむ! お主は中々わかっているな!」
天后もお世辞で言っている感じでは無いのだが、それにしたって頼華ちゃんはすっかり気を良くして胸を張り、得意満面になっている。
「ささ。兄上、参りましょう」
「う、うん……」
にこにこ顔の頼華ちゃんに手を引かれて、俺は厨房に向かった。
「これはまた……大量に作るのですね」
俺がドラウプニールから取り出した大きな猪肉の塊を見て、普段から食欲旺盛な頼華ちゃんも少し驚いている。
「手間が掛かる料理だから度々は作れないから、少し多めに作っておこうと思ってね。余っても俺達には、これがあるし」
俺は頼華ちゃんにドラウプニールを示した。
「それに、出来上がった料理的は、色々と他の料理への転用が出来るからね」
「成る程!」
俺の言う事に納得した頼華ちゃんが、軽く膝を打った。
「主人! お待たせしました」
バタバタと足音を立てて、潮君が厨房に駆け込んで来た。
「そんなに急がないでも良かったのに。もしかして他の子と遊んでる最中だったかな?」
「い、いえ! いいんです!」
潮君は良いと言っているが、実際はそうでも無さそうだ。
(悪い事しちゃったみたいだけど、呼ばなければそれはそれで落ち込んだりしちゃいそうだしなぁ……)
笹蟹屋での俺の料理の手伝いや入浴は、子供達の反応を見ているといつも以上に喜んでいるのがわかるので、ローテーションを守って確実に行わなければならなくなっている。
もしもみんなと遊んでいたからと潮君を呼ばずに、俺と頼華ちゃんだけで夕食の支度をしてしまったら、深く傷つけてしまっていたかもしれないのだ。
「……それじゃ始めようか」
「そうしましょう!」
「はい!」
考え込んでいた俺とは違って、頼華ちゃんと潮君は元気いっぱいに返事をした。
「教えるから、俺の言う通りにやってみてね」
俺は苦笑しながら、二人と一緒に料理を始めた。
「軽く茹でた肉を、こっちの調味料を合わせた鉢に一度浸けてから、鉄鍋で焼いて色と香りをつけるんだ」
「「はい」」
鍛えている頼華ちゃんは大丈夫そうだが、キロ単位の茹でた肉の塊を扱うのは潮君には大変なので、鍋から調味料の入っている鉢までと、油を引いてある鉄鍋までは俺が移動させた。
「……うん、良さそうだね。今度はこの調味料を入れた平皿に載せて、長めに蒸せば完了だよ」
頼華ちゃんが担当していた鉄鍋を持って作業台まで移動して、醤油、酒、生姜のスライス、吸い物くらいの濃さの鰹出汁を混ぜ合わせた物を張ってある平皿に、焼き色のついた肉を載せた。
潮君の担当していた分の肉も同じようにして、大量の湯気が上がっている蒸し器に入れて蓋をした。
「兄上。どれくらいの時間、蒸すのですか?」
「二時間くらいかな?」
「「二時間!?」」
どれくらいに蒸し時間を想像していたのか、頼華ちゃんと潮君の驚きの声が重なった。
「まあ豚とは違うから、そんなに時間を掛けなくても柔らかくはなると思うんだけど、味は染み込むからね」
「元々は豚の肉を使う料理なのですか?」
「そうなんだけど、こっちでは豚肉は売ってないからね」
東坡肉と呼ばれるこの料理の調理法は、昔は質の良くなかった豚の肉を柔らかくおいしく食べる為のやり方であり、長く火を通しても固くならない肉質の猪の場合には、二時間も蒸す必要は無いのかもしれない。
しかし、幾らおいしいとは言っても猪肉でも脂の多い部分を使っているので、長時間蒸す事によって適度に旨味を残しつつクドさを減らし、調味料に味を吸い込ませる事が出来るのだ。
猪の独特の旨味を損なわないように、本来ならガラスープを使うところを鰹出汁に置き換え、御飯のおかずではあるのだが、味が濃くなり過ぎないように調整した。
「あ、兄上」
「ん? どうかした?」
蒸し器をじっと見つめながら、頼華ちゃんが声を掛けてきた。
「この場でこの香りをずっと嗅がされるのは、余にとっては拷問です!」
「あー……」
言われてみれば窓や木戸は開けてあるが、換気扇なんか無い厨房には調味料と蒸される肉の香りが充満している。
「鍋は……大丈夫だね。出掛けようか」
火は使わずに気で鍋を加熱しているので、火事の心配は無い。
蒸し器の下の鍋の中の湯の量を確認してから、二人を促して買い物に行く事にした。
「そうしましょう!」
「はい!」
黙っていたが潮君も頼華ちゃんと同じ心境だったらしく、蒸し器を見つめながら元気良く返事をした。
「おかずの買い物はこんなもんかな……頼華ちゃん、潮君、もう少し回ってもいいかな?」
「「はい!」」
豆腐屋と八百屋と乾物屋を回ったところで頼華ちゃんと潮君に確認したが、二人共元気いっぱいだ。
「兄上、何かお目当てがあるのですか?」
「うん。ちょっと砂糖をね」
「砂糖ですか? それならば大量にあるではないですか」
俺が元いた世界から、砂糖を買い込んで持ち帰ってあるのだが、頼華ちゃんはその事を言いたいらしく、途中から小声になった。
「里で使うならそれで構わないんだけど、今日来たお客さんから昨日みんなと作ったお菓子を、納めてくれないかって言われててね」
「あの菓子をですか?」
「うん」
「成る程……確かに里の外部の者に、白い砂糖の事は洩らせませんね」
大型の作業機械とかが無いこっちの世界では、俺達が持ち帰った精白度の高い砂糖は色もだが、雑味の無い甘さの方も有り得ないのだ。
頼華ちゃんもそれがわかったので、神妙な表情をしている。
「しかし兄上。そういう事でしたら、その辺の店でお買いになるのですか? 砂糖は高価で入手困難ですよ?」
「そうなんだけどね」
まだ具体的には伝えてないのだが、ここまでの話で俺が必要としてる砂糖が、かなりの量だという事を頼華ちゃんは察したようだ。
「とりあえずは目に付いた店に入って、あるだけ買うしかないね」
「それしか無いでしょうね。潮よ、少し長くなるが平気か?」
「大丈夫です!」
「そんなにいっぱい回る気は無いんだけどね……」
京の壁で区切られている中だけでもかなりの面積なので、大路と呼ばれる広い通りに面した店を見て回るだけでも、かなりの距離を歩く事になる。
無論、時間的な制約があるので全ての店を回る気などは無いのだが、その事を伝える前に潮君は健気にも、俺達のお伴をする事を承知してくれたのだった。
「大丈夫だとは思うんだけど、潮君、肩車してあげようか?」
里の住人は子供達も含めてみんな健脚なので、潮君が付いてこれないとは思わないが、何しろ小柄なので、はぐれて迷子にでもなったら大変だ。
「えっ!? お、俺は、その……」
「潮よ。兄上がこう仰っているのだから、遠慮をするな」
「は、はいっ!」
(……多分だけど潮君は、頼華ちゃんに遠慮をしたんだろうな)
俺が問い掛けた時に潮君の視線が、一瞬だが頼華ちゃんの方を伺ったのを見逃さなかった。
どうやら潮君達なりの序列のような物の所為で、頼華ちゃんが居るのに一足飛びに俺に甘えたりする訳には行かないらしい。
「それじゃ持ち上げるよ?」
「はい!」
潮君の背後から両脇に手を差し入れた俺は、一気に頭の上まで持ち上げると、跨ぐような形で肩に座らせた。
「うわぁ! 凄く高いです!」
「喜んでくれたみたいだけど、落ちないように気をつけてね?」
「はい!」
一応、俺の方でも気をつけるつもりではいるのだが、触れている部分から伝わってくる潮君のハイテンションは、ちょっと心配になるレベルだ。
「むぅ……」
「頼華ちゃん?」
潮君に遠慮をするなと言っていた頼華ちゃんが、何故か不満そうに唇を尖らせている。
「あ、あの……主人、俺、下りますから」
「いややいやいや。潮君、そのままでいいから。頼華ちゃん?」
「す、すまん潮。兄上の仰る通り、そのままで良いぞ!」
遠慮した潮君が下りようとし、俺が少しだけ咎めるような視線を送ると、頼華ちゃんは慌てて言い繕った。
「で、ですがその……兄上、余にも少しくらいは」
「えーっと……これでいいかな?」
少し不安があるが、潮君を落とさないように軽く握っていた右手を離し、頼華ちゃんの方に差し出した。
「あ……はい!」
俺が差し出した手を暫し呆然と見ていた頼華ちゃんは、ぱぁっと花が咲くような笑顔になった途端に、ギュッと両手で握ってきた。
「……頼華ちゃん、両手だと歩き難いでしょ?」
「むふふ♪ 決してそんな事はございません!」
「そ、そう?」
(……ま、いいか)
両手で俺の手を掴みながらだと、どう考えても歩き難そうなのだが、本人が良いと言うのならば口を挟む事も無いだろう。
「じゃあ行こうか」
「「はい!」」
頭の上と右側からハイテンションな返事が来たので、俺は砂糖を扱っている店を求めて歩き始めた。
「……予想はしていたけど、売ってくれないないもんだな」
「そうですね。全部合わせても二キロにも満たないとは」
砂糖を扱っている商店では料理屋でも無い俺が相手だと、多くても三百グラム程度の量しか売ってくれなかったのだ。
一般家庭での砂糖の消費量が現代とは比べ物にならない程少ないし、多くの客に売りたいという店の都合があるので無理は言えないのだが、それにしたって五軒を回って二キロに満たないとは、予想以上に買えなかった。
「兄上。依頼されたのに必要な砂糖は、どれくらいの量なのですか?」
「ざっと三十キロ」
「さ!? そ、それは無理なのでは……」
「俺もそう思うんだよね」
まだ京の全ての店を回った訳では無いし、今日行った店で明日も買えたりはしそうなのだが、それでも頼華ちゃんが言葉を失うくらいには、現状からすると三十キロの砂糖というのは途方も無い量だ。
「まああんまり考えても仕方がないから、帰ろうか」
「そうですね!」
「はい!」
(……水飴でも作って、代用にするかなぁ)
麦芽が入手出来れば米を使って水飴が作れるので、更に煮詰めて濃縮すれば砂糖の代わりになる。
無論、味の方は砂糖を使ったショートブレッドとは違ってしまうが、決して不味い物にはならないだろう。
明日以降は少し変化球を交えて、出来る限りケイ卿の期待に応えられるようにしよう、なんて事を考えながら笹蟹屋に向けて歩いた。
「それにしても砂糖ですか……奄美にでも行けば少しは安く多く、仕入れられたりするのでしょうかね?」
「奄美?」
「ええ。我が国の砂糖の一大産地は、奄美ですから」
「ああ、そうだったね。でも、現地に行けば買えるっていう物でも無いと思うよ」
元の世界では藩主や相談役が有能だった事もあって、砂糖を専売にするなどして管理下に置いた薩摩藩が巨万の富を築き、後に倒幕の資金にもなったと言われている。
こっちの世界での詳しい状況は不明だが、恐らくは奄美で生産されている砂糖は薩摩に運ばれ、そこから廻船で長崎を経由して瀬戸内から大坂、そして関東方面にも運ばれるのだろう。
(……あれ? もしかして砂糖の流通には、長崎屋さんが一枚噛んでるか?)
砂糖は当初は食品では無く薬の材料として扱われていたので、薬種問屋である長崎屋が取り扱っているか、過去に取り扱っていた可能性は高い。
砂糖の直接の取り扱いが無くても、長崎屋は廻船を所有するなどして流通も手掛けているので、もしかしたら……とりあえずはダメ元で黒ちゃんか白ちゃんに行って貰って、相談だけでもしてみよう。
「兄上? どうされましかた?」
気がつくと立ち止まって考え込んでいた俺の顔を、頼華ちゃんが心配そうに覗き込んでいる。
「有難う頼華ちゃん!」
「ひゃあっ!?」
まだ事が上手く運ぶとは限らないのだが一縷の望みが見えたので、俺は無意識に頼華ちゃんを抱き上げた。
「うんうん。頼華ちゃんは頼りになるなぁ」
「えっと……あ、兄上のお役に立てたのなら、良かった、です」
抱き上げたので目の前に来た頼華ちゃんの顔は、真っ赤に染まっている。
「ご、御免ね」
自覚が無かったが声も大きかったのか、俺が頼華ちゃんを抱き上げている姿を、周囲の人達が笑顔で見守っていた。
俺に肩車されている潮君も、頼華ちゃんの顔を見下ろしている。
「いえ。ですが出来れば、二人っきりの時にお願いします」
「うん……」
俺が静かに地面に下ろすと頼華ちゃんはホッとした表情になったが、名残惜しそうに袖を掴んでいた。




