黄金の冠の紋章
「……まだお受けするとは言えませんが、具体的にはどんな物をお作りするのでしょうか?」
受注するかどうかを明言せずに納期に関する交渉は行ったが、まだ作成する衣類の種類や数などを訊いていないのを思い出した。
「先ずは、いま私が着ている一式ですね。それと私が普段着る衣類と、紋章を入れた外套を」
「ちょ、ちょっとお待ち下さい!」
「何か?」
慌てた俺とは逆に、静止されたケイ卿は落ち着いている。
「あの、紋章を入れた外套というのは、お国の専門の職人が仕立てたのでは無いのですか?」
「それは勿論そうですが。それが何か?」
「では今回作るのは、実用では無いのでしょうか?」
マントは日常的に使用する物なので、それなりに傷んでしまうから予備という事も考えられるが、朱雀大路を歩いている時に見たケイ卿のマントは綺麗な状態だった。
尤も、国賓として帝に拝謁するのだから、あの時ケイ卿が着けていたマントは実用品では無くて儀典用だったのかもしれないが。
「いえ。身に着けるつもりですよ」
「ですが、お使いの物とは材質が違うと思いますので……」
見た目からの判断だが、ケイ卿が着けていたマントは毛織物、それも羊毛製品だろう。
ブリテンというかイギリスは日本と比べるとずっと寒冷な気候なので、保温性の高い羊毛がマントなどの素材としては適している。
蜘蛛の糸で作った布は丈夫さや保温性などの実用性という面では問題無いのだが、良くも悪くも軽いので、羊毛で作った織物のような重厚感を出すのは難しいのだ。
「おお、忘れておりました。仮に私の衣類などが駄目だとしても、この外套だけはお作り頂きたいのです」
「こ、これは……」
ケイ卿がどこからか――恐らくは俺が持っている福袋のような道具からだと思うが――取り出したマントは、目にも鮮やかな青地に、三つの黄金の冠が描かれていた。
「もしや御存知ですか?」
「い、いいえ。凄く鮮やかだなと思いまして……」
ケイ卿に内心を見透かされているような気もするが、俺はなんとか驚きを抑え込んだ。
(なんでケイ卿が、アーサー王の紋章入りのマントを?)
青地に三つの黄金の冠の紋章の持ち主は、俺の知る限りではアーサー・ペンドラゴン王だ。
「この紋章の良さがおわかりになりますか。これは我が主君たる偉大なる王、アーサー・ペンドラゴンの物です」
「それを何故、ケイ卿がお持ちなのですか?」
失礼を承知で、ケイ卿に尋ねてみた。
「私が航海に出る際に王からお預かりしたのです。もしもの時にはこの外套を纏い、王の代理騎士として全権を振るえと」
「それは……」
アーサー王はケイ卿の同行者に、いざとなれば国務長官では無く王として従わせて構わないという権限を与えたのだ。
そして、もしもこのマントを纏っている時にケイ卿を害するような者が現れたら、それはケイ卿では無くアーサー王に牙を剥いたと見做すと言外に語っているのだった。
「えっと、何故これの複製を作る必要があるのでしょうか?」
ケイ卿が見せてくれたアーサー王のマントは正真正銘の本物であり、拝領品か一時的に貸与されたのだと思うが、それの複製品を作るという意図がわからない。
「沖田殿の着ている羽織が、素晴らしく丈夫な上に肌触りなども良いので、同じ素材で王のマントを作って頂き、帰国したら献上しようと思っております」
「そういう事ですか……」
伝承通りなら円卓に択ばれた騎士であるケイ卿が、アーサー王の不利益になるような事はしないと思っていたが、どうやらこの国で出逢った未知の素材でマントを作り、献上をしようと考えただけだったようだ。
「鈴白よ。主君を思うけい殿の願いを聞いてはくれまいか。私からも頼む」
「お、沖田様、やめて下さい!」
膝の上のお糸ちゃんをそっと脇に下ろした沖田様が、畳に手を付いて頭を下ろしたので、俺は大いに焦った。
「……お受けするのに、守って頂きたい条件があります」
子供達の件でお世話になっている沖田様に頭を下げさせてしまったので、無条件で受けたいところなのだが、ここで軽率な事をすると、俺だけでは無く周囲の人間や里に危害が及ぶ可能性がある。
「その条件というのは?」
「先ず、採寸をしますので着丈等の問題は無いと思うのですが、着物の方はともかくケイ卿が普段着られている衣類とは、着心地が違うというのを御承知下さい」
同じ織り方や編み方をされていても、コットンとシルクでは肌触りが全く違うので、いつも着ている衣類と違和感が生じる筈なのだ。
しかしサイズなどの問題以外は、着心地が違うと言われても直しようが無いので、予め承知して貰っておかなければならない。
「それは当然でしょうね。わかりました」
俺が話を受ける方向になったからか、ケイ卿は微笑みながら頷いた。
「それと、実は沖田様の着物と同等の品は、本来は商売としては受け付けていないのです。今回は特別という事で承りますが、作り手や入手先などはお答え出来ませんし、ケイ卿がどなたかに訊かれても、口を噤んで頂きたいのです」
「鈴白、それは……」
沖田様はケイ卿にこの店を教えたのを後悔しているのか、俺に向けて申し訳無さそうな表情をした。
沖田様の気持ちは嬉しいのだが、特に口止めなどをしていなかった俺にも責任があるので、後で謝ろう。
「国賓の方にこういう物言いをするのが失礼なのは百も承知ですが、御理解頂ければと」
(最悪の場合は、この店を畳んで貰わなきゃならないなぁ……)
京を守護する集団を指揮する立場の武人に頭を下げさせ、国賓である外国の騎士に様々な条件を呑ませようとしているのだ。
場所が御所や宮中とかならば、即座に無礼討ちにされても仕方が無いくらいの状況なのだから、これで話が拗れたらブルムさんや子供達の安全を考えて、京からの撤退も視野に入れる必要が出てくる。
「わかりました。と、言葉では信用出来ないかもしれませんので、この場で誓いを立てましょう」
「な!? け、けい殿、それは!」
「良いのです沖田殿。彼は私に誠意を見せてくれたのですから、今度はこちらの番です」
笑顔のケイ卿は立ち上がると、短剣を取り出した。
「きゃ……」
「糸。大丈夫だから騒ぐな」
「は、はい……」
殺気は微塵も感じないのだが、ケイ卿手にしているのが短いが剣だと悟ったお糸ちゃんが、顔を歪めて悲鳴を上げそうになったが、沖田様に口元に当てられた手で柔らかく制されたので、なんとか我慢する事が出来たようだ。
「大丈夫ですよ、糸。では……我が主君と祖国の名誉に掛けて、ここに誓いを違えない事を宣言する。もし疑うのならば、その手を押すが良い」
近付いたケイ卿は鞘から抜き放った短剣の柄を俺の方に向け、切っ先を自分の胸に当てた。
(信用出来なければ、そのまま自分に刺せって事か……)
詳しくはわからないが、これが騎士であるケイ卿の最上級の誓いの儀式なのだろう。
元の世界のブリテンの騎士ならば、主と聖ジョージに宣誓をするのだと思ったが、こっちの世界には一神教は無いので、仕える主君と国に対しての宣誓というのが最も重いのだろう。
「誓いの言葉、確かに受け取りました」
(まさか騎士の誓いの本物を、見る機会が訪れるとはなぁ……)
別にケイ卿が俺に忠誠を誓った訳では無いのだが、それでも本式の騎士の誓いなんて見る機会どころか、自分に対して行われる事があるなんて想像もしていなかったので、中々に感慨深い物がある。
差し出されているケイ卿の短剣の柄を掴むと、向きを逆にして差し出した。
「それでは採寸をしましょうか。沖田様、ケイ卿と別室に行きますが宜しいですか?」
ケイ卿が別室で俺と二人だけになるというのは、警護を担当する沖田様からすれば許可など出来る筈が無いのだが、念の為に確認してみた。
「けい殿、どうされますか?」
「既に一度信用したのです。それに私は、これでもブリテンの騎士ですから」
「という事だ、鈴白。私はここで糸に相手をして貰っているが、なるべく早めに頼むぞ」
「わかりました」
「……」
(……今度お糸ちゃんには、何か御褒美をあげないとな)
沖田様が子供を相手に酷い事をする訳が無いというのはわかっているのだが、お糸ちゃんは二人っきりになるとわかった途端に、僅かにではあるが顔が引き攣ったのだ。
お糸ちゃんのような子供にとって身内以外の人物、それも沖田様のような一般人とは違う格好をしている相手だと、優しいとはわかっていてもストレスを感じてしまうのだろう。
「それではこちらに」
「わかりました」
「……」
(御免ね、お糸ちゃん……)
ケイ卿と俺が別の間に向かおうと立ち上がる時に、お糸ちゃんが縋るような視線を送ってきたのを感じたが、心の中で詫びながら障子を開けて廊下に出た。
「着物の方は、いま着られている物と同じ形と色柄で宜しいですか?」
採寸した数値を書き込みながら、ケイ卿に尋ねた。
「ええ。この国の衣類に詳しければ色々と注文したいところなのですが、いま着ている物も気に入っておりますから」
それ程派手さは無いが、ケイ卿が着ている時代劇の大名のような装いは、不思議とマッチしている。
「ところで鈴白殿。その筆記具は珍しいですね」
「これですか?」
「ええ」
(しまったな……あまり気にしないで使ってたけど)
ここ最近は気軽に使っていたので、いつもの癖でケイ卿の前でもガラスペンによるメモ書きをしてしまっていた。
ガラスペンは技術的にはこっちの世界でも再現可能な筈だが、これまでに目にした事は無いので、まだマイナーな筆記具なのか、もしかしたら発明されていないのかもしれない。
「書いているのを拝見すると、墨を漬ける回数がかなり少ないですね」
「え、ええ。この溝に貯まるので、それなりに多くの文字数が書けます」
「おお、やはりそうですか!」
「……」
(沖田様の着物の事もそうだけど、この人の観察眼は凄いな)
見てわかり易い着物の色や柄では無く、ケイ卿は沖田様が着ている着物の素材自体に目を付けた。
今度はガラスペンのペン先の素材では無く、墨汁に一度浸して書ける文字数の多さに着目するという、驚くべき観察眼をケイ卿は発揮したのだ。
「その筆記具は、この国の製品ですか?」
「ど、どうでしたかね? 俺はたまたま江戸で目に付いたのを買っただけでして」
「おお、そうですか。それでは江戸に赴いた時に探してみるとしましょう」
(……多分見つからないだろうなぁ)
俺がガラスペンを買ったのは元の世界の東京都の蒲田の店なので、今は影も形も無いどころか違う世界の話なのだ。
誠実そうなケイ卿に嘘をつくのは心が痛むが、本当の事を言う訳にも行かないのが困り物だ。
「そ、それでは採寸はこれで結構です」
「そうですか」
「先程少し話しましたが、お届け先は江戸の長崎屋さんにしておきますので、ケイ卿が江戸の徳川屋敷に入られたら、お届けに上がるように手配致します」
「それでお願いします」
そこまで言ってから、俺はふと思い出した事があったのでケイ卿に尋ねてみた。
「あの、実は長崎屋さんとは少し取引があって伺っているのですが、もしかするとケイ卿も江戸では、長崎屋さんに逗留されたりするのでしょうか?」
江戸を訪れる外国の使節や商人などは、長崎屋さんが世話役を務めるという話を聞いた気がした。
「ええ。宿泊と、懐かしい母国の料理が長崎屋では食べられる筈ですから、今から楽しみなのですよ」
「ああ、成る程。それでしたら、徳川屋敷にお届けでは無く、長崎屋さんで受け取られますか?」
「言われてみれば、その方が良さそうですね」
(信頼には信頼を、だな……)
国賓であり、ブリテンの国務長官でもある人ではあるのだが、笑顔のケイ卿は俺に対して笑顔で、そして信頼を持って接してくれている。
その信頼に応える為には、こちらもケイ卿を信頼して事に当たらなければならないだろう。
俺はケイ卿の依頼品には、最高レベルの気を込めて作業を行う事を決意した。
「お待たせ致しました」
「沖田殿、お待たせした」
採寸を終えたケイ卿と俺は、応接間に戻った。
「おお、戻ったか、けい殿。それに鈴白も。済まぬが暫し待たれよ」
「お客様、主人、おかえりなさいです」
俺達が不在にしている間に持ち込んだのか、沖田様とお糸ちゃんは源平碁で対戦中だった。
戻ってきた俺とケイ卿に視線を移さずに、盤面を見つめている沖田様がの方が不利なようで、待っているように言ってきたのは次の一手を思考中だからみたいだ。
「……こっちだな」
「あっ! うぅ……負けました」
一般的なリバーシとは違う、黒では無く紅い駒を沖田様が打ち込むと、かなりの枚数の白い駒が裏返って、形勢が一気に逆転された。
そんな手があったのかと驚いた顔をした後で、残り少ない盤面の空き部分に打ち込んでも逆転は不可能だと悟ったお糸ちゃんは、悔しそうに負けを認めた。
「いやいや、糸は強かったぞ。もう何度かやったら、私が負けるだろう。これは相手をしてくれた礼だ。取っておけ」
「えっ!? しゅ、主人」
「頂いていいよ。ちゃんとお礼を言ってね」
沖田様がいつも持ち歩いている飴の袋を差し出されて、お糸ちゃんがどうすれば良いのかと戸惑っているので、問題無いと言い聞かせた。
「あ、有難うございます……沖田様」
「うむ! 次に会う時まで良い子にしていたら、またやろう!」
「は、はい……」
ちゃんとお礼を言えたお糸ちゃんの頭を、沖田様は少し乱暴に撫でた。
「では糸。もう私の相手はしないで大丈夫だ。他の子供達と遊んでくるといい」
「え、えっと……」
「うん。お糸ちゃん、今まで有難う。これを持って行って、みんなと遊んでていいよ」
纏めた駒を載せた源平碁の盤を、お糸ちゃんに示した。
「はいっ! そ、それでは、失礼します!」
可愛らしい顔を緊張させて、丁寧にお辞儀をしたお糸ちゃんは、応接間から退出した。
「良い子ですね」
「ええ。ちょっと頑張り過ぎてしまうんですが」
ケイ卿がお糸ちゃんを褒めてくれるが、その事を伝えるとまた料理とかを張り切ってしまいそうなので、本人に伝えるかどうか悩ましいところだ。
「さて、鈴白よ」
「はい」
「けい殿の衣類の発注を受けてくれたのは有り難いのだが、肝心の値段の話をしていないだろう?」
沖田様に言われて、受けるか受けないかと納期に関しての交渉しかしていない事を、今頃になって気がついたのだった。
「そうでしたね……価格に関しては俺の一存では申し上げられませんので、少しお待ち頂けますか」
「うむ」
「お待ちしております」
ブルムさんは既に昼食を済ませていると思うので、俺は応接間を出て店の入口の方に向かった。
「ブルムさん、ちょっと宜しいですか」
予想通りブルムさんは、笹蟹屋の店舗入口に面した小上がりにいた。
ブルムさんの隣には天后が座っていて、恐らくは午前中に話していた通りに店の業務に関するレクチャーを受けているのだろう。
「おや、鈴白さん。何か?」
「御相談と商談があるので、一緒に来て貰えますか」
「という事は、来店されているお客様と商談が纏まりそうなのですね?」
「ええ」
これだけの説明で、ブルムさんは理解してくれたようだ。
「それでは天后さん、ちょっと席を外します」
「畏まりました」
「では鈴白さん、参りましょう」
ブルムさんと連れ立って応接間に戻る。
「ブルムさん、ちょっとここで」
応接間のかなり手前の廊下の一角で立ち止まり、ブルムさんに小声で話し掛けた。
「ふむ? お客様には聞かせられない話ですかな?」
「ええ。実はですね……」
俺はブルムさんに、蜘蛛の糸で最高品質の衣類をケイ卿に納品するつもりだという考えを、掻い摘んで説明した。
「鈴白さんがそう決めたのでしたら、私には異論はありませんが、その上で何か問題でも?」
「問題なのは、納品価格なんです」
「な、成る程……確かに鈴白さんがお作りになる最高品質の製品は、値付けが難しいですな」
ブルムさんは俺が言いたい事を瞬時に理解してくれて、その上で表情を曇らせている。
俺が目一杯に気を込めた蜘蛛の糸は現代の超アラミド繊維以上の強度を誇り、その糸から織ったり編んだりした衣類は強靭なのに通気性も保温性も良いので、着心地を損ねる事が無い。
蜘蛛の糸で作られた衣類は気の伝導率が高く、最近施すようになった付与によって、斬撃や打撃、術への耐性が更に高くなっている。
これまでに作った最高強度の気を込めた製品は販売はした事が無く、俺が身内と認定している人達にしか渡していない。
中には伊勢の椿屋さんのように、礼金を渡してくれたりする人もいたのだが、その金額が俺からすると過分であり、ケイ卿と沖田様に対して提示する額の参考にならないので、ブルムさんに判断を仰ぎたいと思ったのだ。
「……ずるいやり方ではありますが、先方の御予算を伺って、そこから一割程度値引くというのでは如何でしょうか?」
「ああ、それはいいかもしれませんね」
こちらとしては損は何も無いし、ケイ卿の方は予算よりも安い価格で購入出来るのだから、Win Winだ。
「ただ、先方が特に御予算などを決めていない可能性もあるんですけどね」
「その時には……椿屋さんの値付けに準じましょうか」
確か椿屋さんは元になった着物と同額という事で、金貨で二十枚を支払ってくれた。
上等な反物を使った着物の仕立ては当然だが高額になるし、多少は延びたが特急仕上げには変わり無いので、その分の割増も考えれば、ケイ卿の依頼分一式で金貨二十枚は妥当な線かもしれない。
仮にケイ卿が提示する額がこちらの想定よりも低くても、どうせ元手は掛からない商品だし、取引の相手は遠く離れた国に住んでいるのだから、今後の事は考えずに安く売ってしまっても構わないだろう。




