祝福
「ええと……とりあえず話を進めましょうか」
「そうですね」
フレイヤ様がどれだけ気にしないように言っても、おりょうさん達の緊張感が解けるとは思えないので、何も解決しないままだが話を進めるという方針に同意した。
「ブリュンヒルド」
「はっ」
「貴方自身はどうしたいのですか?」
「っ! そ、それは……」
命令が与えられると思っていただろうブリュンヒルドは、フレイヤ様から自分の考えをと問われて言葉に詰まった。
「わ、私は、フレイヤ様の御心のままに……」
「ブリュンヒルド。私は貴女の考えを訊いたのですけど?」
「……」
(これはフレイヤ様が意地悪だよなぁ……)
騎士が仕える貴族や王族に何か意見をしたりするというのは相当に僭越な行為であるのに、フレイヤ様は貴族や王族どころか、超越者とでも言える女神なのだ。
ブリュンヒルドにとってフレイヤ様は、与えられた命令に従うだけの存在なのに……意見を求められるという想定外の事態なので困惑するのは当然だ。
(こほん……良太様、聞こえておりますからね?)
(あ、はい……)
さすがは神様だけあって、フレイヤ様には俺の心の中の声は丸聞こえだったらしい。
「答えられませんか? では命令です。貴女を含めた戦乙女全員は、現時点を持ちまして……」
「お、お待ち下さい!」
恐らくはヴァルハラに帰投とフレイヤ様は続けるつもりだったのだと思うが、その言葉はブリュンヒルドの声によって遮られた。
「なんですか、ブリュンヒルド?」
「あ……そ、その」
続きを言わせない事には成功したブリュンヒルドなのだが、妖艶に微笑むフレイヤ様に気圧されて二の句が継げないでいる。
「……何も無いみたいですね? それでは」
「お、お待ち下さい! わ、私は、ここに逗まりたいです!」
見た目にも苦しそうな表情で、ブリュンヒルドは言葉を絞り出した。
「……ブリュンヒルド。貴女を含めた戦乙女の役割はなんですか?」
「そ、それは……死せる勇士たるアインヘリヤル候補の選定と魂の回収。そしてヴァルハラに於いての彼らの世話と給仕です」
「それを放棄すると?」
「っ……」
フレイヤ様の指摘を受けて、ブリュンヒルドは再び押し黙ってしまった。
「フレイヤ様。もうその辺でいいじゃないですか」
「もう、良太様。あと少しでしたのにぃ!」
「そんな事だろうとは思いましたけど」
さすがにブリュンヒルドが気の毒になってきたので助け舟を出したのだが、逆にフレイヤ様の方が不満そうに頬を膨らませてしまった。
「え? ど、どういう事なのですか?」
ブリュンヒルドは俺とフレイヤ様の間で、視線を忙しく動かしている。
「フレイヤ様はブリュンヒルドさんの方から、ワルキューレとしての役割から下りたいと言わせたかったみたいですね」
「下りたいと言わせたかった訳では無いのですけど……」
膨らませた頬は元通りになったが、フレイヤ様は不満そうに口をへの字にしている。
「ブリュンヒルド」
「は、はいっ!」
後光越しにも表情が引き締まったのがわかるフレイヤ様に名を呼ばれ、ブリュンヒルドが居住まいを正した。
「貴女のその決意に免じて本日この時点から、戦乙女としての仕事を無期限で休止とします」
「そ、それは、アスガルドから追放という事でございますか!?」
ここに逗まると口に出してしまった時点で後戻りは出来ないと思うのだが、ブリュンヒルドにとって住処を追われるというのは相当にショックなのだろう。
「慌てるのではありません。私は無期限で休止と言った筈ですよ」
「無期限……休止」
フレイヤ様に言われてブリュンヒルドは、無期限で休止という意味を確かめるように口の中で反芻している。
「良太様がどれくらいでこちらの生活に飽きるのかは定かではありませんが、その間は貴女の好きにするといいでしょう」
隔絶されている式神以外には、俺がいつでも元の世界に帰れる事を説明してあるので、フレイヤ様がブリュンヒルドに語っている意味は理解している。
「でも、貴女がその間に良太様を振り向かせる事が出来るとは、限りませんけどね?」
「うっ!」
(そうなんだよね)
初対面の幻の炎の試練を突破した時から、ブリュンヒルドが俺に好意を寄せてくれているのはわかっているのだが、おりょうさんと頼華ちゃんという婚約を交わした相手がいる時点で受け入れるのは難しい。
「そ、そうですよぉ! いなくなっちゃうと思ってぇ、少し同情しそうになりましたけどぉ……良太さんに出逢ったのも好きになったのもぉ、あたしの方が先なんですぅ!」
ブリュンヒルドに負けてなるものかと、女神であるフレイヤ様に臆すこと無く、そしておりょうさんがいるにも関わらず、夕霧さんは顔を真赤にしながら自分の気持ちを主張してきた。
「むぅっ! それでしたらわたくしだって、数百年に渡る傷を癒やして頂き、我が子に纏わる因縁を解決して頂いた良太様を、ずっとお慕いしておりましたのですわ!」
なんか天までが、おかしな言葉遣いをしながら参戦してきた。
「……自分の旦那になる男がもててるってのを、喜ぶべきなのかねぇ」
「勘弁して下さいよ……」
状況がカオスになり過ぎて、おりょうさんが妙な事を呟いた。
「うふふ。まあ良太様がどれだけ別の女に染まっても、最後に私の下に来て下されば、それで良いのですけどね」
「えー……」
状況を楽しんでいるフレイヤ様は、どこかの世紀末覇者みたいな事を言いだした。
「ところでフレイヤ様。ブリュンヒルドさんはいいとして、他の戦乙女の人達はどうするんですか?」
「そうですねぇ……こちらに御迷惑が掛からないようでしたら、置いてあげて頂けますか?」
「いいんですか?」
ブリュンヒルド一人ならともかく他の八人もとなると、純粋にワルキューレの数が不足するだろうから、フレイヤ様の方から現状維持を言い出すとは思わなかった。
「他の娘達に仕事の皺寄せが行くので、決して良いとは言えないのですが……こちらの環境や食生活を気に入っているのを見ますと、ね」
「あー……」
仕事とは言え殺伐とした戦場を駆け回ってアインヘリヤル候補の魂を回収し、ヴァルハラでは世話や給仕という仕事をさせられていたワルキューレ達は、里では思い思いに楽しそうに過ごしている。
食生活に関しては、ヴァルハラでは魔法の猪であるセーフリームニルの料理が出されていたようだが、調理法や調味料は乏しかったらしく、何を出してもワルキューレ達はおいしそうに食べてくれる。
上司であるフレイヤ様やオーディンから与えられた仕事なので、これまではワルキューレ達は特に文句も言わなかっただろうし不満も無かったのだと思うが、里という新たな環境での生活や食を知ってしまったので、自発的にヴァルハラに戻ると言わないだろうというのは俺にもわかる。
「子供達も懐いていますし、興味を持った仕事もしてくれてますから、俺としては里に居てくれると助かりますが」
「良太様、お気を使われなくても宜しいのですよ?」
「そ、そんな事は……」
(無いとは言い切れないんだよな)
ワルキューレ達を追い出したい訳では無いので言葉を濁したが、時々聞き分けの悪いオルトリンデや、微妙に掴みどころの無いヘルムヴィーゲなどは、目に余るようになったら帰還を促す可能性が無いとは言えない。
「お任せ下さいフレイヤ様! 良太様の御命令に従わないような不届きな者は、場合によっては私の手で成敗致しますので!」
「いや、成敗は……」
「それは頼もしいですね。ブリュンヒルド、くれぐれも良太様に御迷惑をお掛けしないようにするのですよ?」
「はっ!」
「えー……」
フレイヤ様やオーディンの使徒であるワルキューレが成敗されてしまうと、その後にどうなるのかは不明なのだが、もしも消滅とかだと気の毒とかでは済まないので、最悪の場合にはブリュンヒルドを全力で止める必要がありそうだ。
「あ、あの……良太殿」
「雫様? どうかされましたか?」
「ど、どうかって……神様が目の前に降臨あそばしたのですよ!?」
「え、ええ……」
(しまった……雫様の事を失念してたな)
ブリュンヒルドの残留問題に引っ張られて、夕霧さんと天はフレイヤ様を目の前にしていても自己主張を展開していたのだが、雫様はその間ずっと緊張を強いられてきたらしく、少しだが顔が青褪めている。
「雫殿。その様に緊張なさらずとも、良太様の義理の母親である貴女に、何をする事もありませんよ?」
「も、勿体無きお言葉です……」
フレイヤ様はそれなりにフレンドリーに接してくれているように見えるのだが、そう簡単には雫様の緊張が解ける事は無かった。
「あ、あら? 良太様。何か良い考えはございませんか?」
雫様を緊張させたり恐縮させたりというのはフレイヤ様の本意では無いのだろう、俺にアイディア出しを要求してきた。
「そう言われましても……あ」
「な、何かございますか!?」
俺への期待が高まったのか、フレイヤ様の身に纏う後光が輝きを増した。
「フレイヤ様は愛の女神ですから、雫様のお腹の子に祝福とかを与えるというのは出来ませんか?」
「それは良い考えです! さすがは良太様ですわ!」
「おおっ!? ま、眩しい……」
感謝の言葉と共にフレイヤ様が太陽のような輝きを発したので、視線を向けていた俺はあまりの眩しさに手で目の周辺を覆った。
「し、失礼! つい興奮を致しました!」
輝きを増したのは無意識の行動だったのか、フレイヤ様は柔らかい後光のレベルまで照度を落としてくれた。
「あの、北欧の女神様。お言葉は有り難いのですが、我が源家は八幡神様を祀っておりますので、他の神の祝福というのは……」
「貴女が望んだのでは無く、こちらから与えるのですから問題ありません」
「そ、そういう物なのでございますか?」
「その通りです」
雫様に歩み寄ったフレイヤ様は、恐縮して立ち上がろうとするのを肩に手を置いて制した。
フレイヤ様は座らせた雫様に右手を伸ばし、人差し指でお腹に触れると図形、恐らくはルーンを描いた。
「元気で、強い子が生まれる事でしょう」
「あ、有難うございます。ですが、本当に宜しかったのでしょうか?」
雫様はフレイヤ様祝福を授かったのは有り難いと思っているみたいだが、八幡神様を信奉する気持ちが強いので、簡単には戸惑いを消し去る事が出来ないのだろう。
「源の奥よ。気にする事は無いぞ」
俺と隔絶されている大裳以外の、深みのある男性の声が聞こえた。
「八幡神様。降臨されたのですね」
「うむ。状況を見かねてな」
声の主はフレイヤ様と同じく後光を身に纏う僧形の男性神、八幡神様だった。
「なっ!? し、失礼を……」
「ああ、良い良い。身重でもあるし、そのままでな」
再び椅子から立ち上がって、慌てて床に跪こうとする雫様の動きを察し、八幡神様は先回りをして両肩にそっと手を置いて動きを止めた。
「し、しかし……」
「子は宝よ。それにそなた等の普段からの我への信仰を、疑ってなどおらぬ故な」
「あ、有難き幸せでございます……」
目の端に感涙を浮かべた雫様は、せめてもと八幡神様に頭を下げた。
「さて。フレイヤの祝福は特に問題は無いので気にせぬように」
「は……」
「まあ鈴白に関わった時点で、今後もこのような事は起きるのだから、あまり深く考えんように」
「は……」
「えー……」
フレイヤ様と俺との関わりが、巡り巡って今回みたいな事の遠因になっているのは否定出来ないのだが、雫様が八幡神様の説明であっさり納得しているのが、ちょっと納得が行かない。
「本当ならば降臨などせずに見守るだけにしておきたかったのだが、この浮気妻の余計な行いのお陰で、出向かざるを得なかったわい」
源家は鶴岡若宮に祀られている八幡神様の祭祀を行っているので、ある程度の祝福などは既に与えられていたのだろう。
しかし、フレイヤ様の降臨と祝福で動揺する雫様の事を考えて、八幡神様はわざわざ降臨して下さったのだ。
「だ、誰が浮気妻ですか!」
「ん? 説明をした方が良いのか?」
「むぅ……」
天照坐皇大御神様が名付けた北欧の浮気妻という二つ名はフレイヤ様にとては相当に不名誉だとは思うのだが、神話的事実なので覆す事が出来ない。
八幡神様に反論を封じられて、フレイヤ様は唸りながら押し黙ってしまった。
「この地にいる限りは、様々な面からの安全は保証されていると思って間違いが無いので、子が生まれるまでは細かい事は気にせずに過ごすが良い。強いて言うなら転んだりせぬように気をつけてな」
「わかりました。お気遣い感謝致します」
八幡神様が穏やかに語り掛けると、落ち着きを取り戻した雫様は返事をしながら頷いた。
「鈴白にとっても義理の母上の事だ。言うまでも無いと思うが宜しく頼むぞ」
「わかりました。でも俺は、ここにずっといる訳にも行かないんですけど」
「無論、出来る範囲で構わぬわ」
八幡神様から、苦笑するような雰囲気が伝わってくる。
「さあ。貴様の配下の者の処遇も済んだのであろう? 帰るぞ」
「ああん! も、もう少し良太様のお傍にぃ!」
「なあにが、ああん、だ。いい年の人妻が婚約者のおる男に対して色気付きおって」
「い、いい年とは心外です! 良太様の世界風に言うなら、神たるこの身は永遠の一七歳です!」
「「「えー……」」」
普段なら不敬だと思ってこういう反応はしないのだが、さすがに永遠の一七歳とか言い出したフレイヤ様に対しては、俺と八幡神様だけでは無く、おりょうさんと黒ちゃんと白ちゃんと夕霧さんからも呆れ声が出た。
「……これ以上貴様がここに逗まると、我の神としての威厳も損なわれそうだ。帰るぞ」
「いやぁーん! もう少しだけぇ!」
「それでは鈴白、達者でな。源の奥方も」
「はい」
「お、お世話になりましてございます!」
フレイヤ様の首根っこを掴んだ八幡神様は、反対側の手を軽く挙げて別れを告げた。
声を掛けられた雫様が慌てて頭を下げているが、普段は冷静なイメージなので、こういう姿は新鮮だ。
「えっと……祝福を授かって良かったですね」
フレイヤ様と八幡神様が立ち去り、隔絶が解除されて周囲の時間の流れが元に戻ったので、雫様に声を掛けた。
「え、ええ……」
フレイヤ様の女神としてはどうなんだ? という行動を目の当たりにした雫様は、無理もないが表情も返事も曖昧だ。
「ブリュンヒルドさんは、こっちに逗まれる事になって良かったですね」
「はいっ!」
雫様とは対象的に、ブリュンヒルドは実に清々しい笑顔で返事をした。
「そ、それじゃあ、これで解散にしますね。黒ちゃんと白ちゃん、それと夕霧さんは、悪いんだけど天后さんに一着ずつくらいでいいから服を作ってくれないかな」
「まあ。私の為に、有り難うございます」
現在の天后の服装は、古い中国の女官のようなイメージの服を着ているのだが、整った容姿と相まってこのままでは凄く目立ってしまいそうなのだ。
京に行ったら笹蟹屋の店頭にも立って貰う事になるので、見栄えが良いの事自体は悪くないのだが、目立ち過ぎるのは問題だ。
「外套は俺が作るから、普段着るような物をお願い」
外套に関しては認識阻害の効果が必要なので、俺が責任を持って作成する。
「おう!」
「言われてみれば、必要だな」
「わかりましたぁ」
俺には女性のファッションに関するセンスは無いので、黒ちゃんと白ちゃんと夕霧さんに一着ずつ仕立てて貰って、不足分を俺が京に行ってから作れば間に合うだろう。
「良太。あたしも作った方が良くないかい?」
「おりょうさんにはちょっと頼みたい事があるので、お手数ですけど俺の部屋に来て下さい」
「えっ!?」
「そ、そんな良太様! 確かにりょう様は正室ですが、昼からなんて!」
「あの、話をするだけですからね?」
「そ、そうなのかい?」
「おりょうさん……」
俺の部屋にと言ったら、おりょうさんが妙な反応を見せたが、どうやら変な誤解をしたのはブリュンヒルドだけでは無かったようだ。
「俺の部屋にある物の管理をお願いしたいんですよ」
「な、なあんだぁ」
何故かおりょうさんは、少し残念そうにしている。
「あ、ブリュンヒルドさん」
「なんでございますか?」
「昼の支度があるので少し急いで京に戻りたいので、俺と天后さんを戦乙女さん達の誰でも構わないので、馬で送って欲しいんです」
俺一人ならば界渡りで戻っても良いのだが、式神ではあっても天后が使えるかは不明なので、今回は確実な方法を取る事にする。
「黒ちゃん。服を作るのはどれくらいで出来そう?」
「んー。採寸があるし、あたいはそんなに上手じゃ無いから、三十分くらい欲しい」
「俺もそれくらい貰いたいな」
「あたしもですぅ」
普通に考えると女性用の衣類を、採寸から始めて三十分で完成というのは異常に早いのだが、俺も含めて里の住人には常識は通じなくなっている。
「それじゃ俺もそれまでに話を済ませてくるから、ブリュンヒルドさん、三十分後に出発という事で準備をお願いします」
「畏まりました」
「おりょうさん、行きましょう」
「わかったよ」
ブリュンヒルドが了解したのを確認して、俺はおりょうさんを連れて二階にある私室に向かった。




