天乙貴人
「も、申し訳ありません、兄上……」
「ご、御免ね御主人……」
俺一人だけ、すっかり遅くなった夕食を厨房で済ませていると、頼華ちゃんと黒ちゃんが申し訳無さそうに言葉を掛けてきた。
結局、頼華ちゃんを始めとする夕食の第一陣が、御飯だけでは無く肉も野菜もお代わりを要望してきたので、第二陣の開始が大幅にずれ込んだのだ。
その第二陣にも冷シャブが好評だったので食事の終了までに時間が掛かり、しかも御飯だけでは無くたっぷり用意していたはずの野菜類も、全て食べ尽くされてしまった。
その為、俺が自分で用意した料理は跡形も無くなったので、仕方無くドラウプニールの中に入っている売る程ある猪肉を茹で、以前に製麺機で多めに作っておいたうどんに載せて葱を散らしただけの物という夕食を作り、今になってやっとありつけたのだった。
頼華ちゃんと黒ちゃんはいっぱい食べた自覚があるので、俺があり合わせの夕食になっている事に責任を感じてしまっているらしい。
「まあ、これはこれでおいしいから、別に気にしないでもいいよ」
うどんに載せている肉は塩茹でしただけの物なのだが、つゆの方は冷シャブを作る時に肉や野菜を茹でた汁を濾して使ってあるので、塩と酒と醤油で薄く味付けをしてあるだけなのに、深さと複雑さがある。
(それにしても、みんな凄い食欲だったな……里で冷シャブをやる時には、用意する量に気をつけないと)
京は湿度が高いのでさっぱりした物をと考え、タレには食欲を増進させるという事で酸味を付けたのだが、予想を遥かに超えて効果は抜群だった。
里の総勢は単純に数だけで言うならば、現在の笹蟹屋に滞在している人数の倍以上なので、料理と御飯の量が比例して増えると考えると、ちょっと目眩がしそうだ。
「確かに、それはおいしそうですね」
「旨そう……」
俺が持っている丼へ送る頼華ちゃんと黒ちゃんの視線とが、少しずつ強まって来ているのを感じる。
「あはは……良かったら食べる?」
「良いのですか!? では、少しだけ!」
「あ、あたいも!」
(あれだけ食べたのに、まだお腹に入るのか……)
頼華ちゃんと黒ちゃんの食欲に半分呆れながらも、俺はうどんを茹で始めた。
「頼華、そろそろ入浴を……貴女はまた食べているのですか? しかも良太殿の夕食の邪魔をしてまで」
「は、母上っ!?」
茹で上がって丼に盛り付けられたうどんにつゆを張り、肉と葱を載せて二人の前に置いて、いま正に箸を付けようというところで雫様が厨房に入ってきた。
どうやら入浴をしようというのに頼華ちゃんが戻ってこないので、厨房まで探しに来たらしい。
「良太殿の分まで夕食を頂いたのに、その後でまでなんて……黒殿まで」
「は、母上、これは……」
「こ、これは御主人が、食べるかって訊いてくれたから……」
「言い訳無用です」
二人にも言い分があるし、確かに俺も許可を出したのだが、雫様からすればそういう問題では無いらしい。
「まあまあ雫様。作っちゃった物を無駄にするのもなんですし、頼華ちゃんも食べたら直ぐに行かせますから」
「しかしですね、良太殿……」
「「うぅ……」」
雫様から送られる視線の圧力を受けて、頼華ちゃんと黒ちゃんが丼を持ったまま呻いている。
「夕霧さん」
「はぁい?」
洗い物をしてくれていた夕霧さんに声を掛けると、手を止めてこっちを向いた。
「洗い物は俺がやりますから、頼華ちゃんが行くまでの間、雫様の入浴の手助けをお願いします」
「わかりましたぁ。それじゃ雫様ぁ、参りましょうかぁ」
俺が夕霧さんに頼んで、それが承諾された事によって雫様を入浴へと誘導した。
「……そうですね。頼華、下品な食べ方にならない程度に、急いでいらっしゃいね」
「は、はいっ!」
渋々という感じではあるが、雫様が夕霧さんを伴って風呂場に向かった。
「「ふぅ……」」
それを見て、頼華ちゃんと黒ちゃんは身体から緊張感が抜け、ホッとした表情をしながら小さく溜め息を漏らした。
「さあ、食べちゃおうか。でも二人共、慌てないでいいからね?」
「はい!」
「おう!」
笑顔が戻った頼華ちゃんと黒ちゃんは、うどんを片付けに掛かった。
「良太。片付けはあたしがやっておくから、あんたも風呂に入ってくるといいよぉ」
「もう終わりですから、最後までやりますよ」
夕食はうどんだったので食事時間は短くて済んだので、夕霧さんが抜けた分の後片付けに俺が入ったのだが、あと食器数個で終わるというところで、おりょうさんから言われた。
頼華ちゃんは俺よりも早く食べ終わって入浴中であり、同じく早く食べ終わった黒ちゃんは、洗い終わった器を拭いてくれている。
「雫様もそろそろ上がるだろうし、居間の方で待ってりゃいいさね」
「それはそうなんでしょうけど……」
なんでか、おりょうさんは俺を早く風呂に送り込みたいらしい。
(風華ちゃんが、我慢しきれそうに無いんでねぇ)
(あー……わかりました)
おりょうさんが小声で耳打ちをするので、黒ちゃんと並んで食器を拭いている風華ちゃんを見ると、そわそわと落ち着きを無くして、たまに俺の方を上目遣いに伺ってくる。
このままだと手元が疎かになって、食器を落としたりするのも時間の問題っぽいので、おりょうさんはとりあえず俺にこの場から風華ちゃんを連れ出させたいのだ。
「風華ちゃん。お手伝いはもういいから、お風呂に入る準備をしようか?」
「え? でも、まだりょう姐様と黒姉様のお手伝いが……」
風華ちゃんにとっては目上と言うか格上と言うか、そういう存在のおりょうさんと黒ちゃんが働いているのに、自分が作業をしないでこの場を離れるのが心苦しいのだろう。
「あたしと黒がいれば十分だから、良太と行っといでぇ」
「風華! 御主人の言う事は絶対だぞ!」
「は、はいっ!」
黒ちゃんに言われた風華ちゃんは、ビシッと背筋を伸ばして直立した。
「黒ちゃん……」
「ご、御免なさい! 風華、御免……」
ある程度の厳しさは俺も必要だと思っているが、恫喝するようなやり方は良くない。
黒ちゃんも俺の言いたい事がわかってくれたようで、風華ちゃんにも頭を下げている。
「や、やめて下さい黒姉様っ!」
目の前で頭を下げる黒ちゃんに対して、どうすればいいのかわからない風華ちゃんがアワアワしている。
「黒、その辺にしときな。風華ちゃん、悪い事をしたら謝る。それはあたしや良太でも当然なんだから、黒の気持ちを受け取ってやんな」
「は、はいっ! ですから黒姉様、お顔を上げて下さい!」
「うん。大声出して悪かったな、風華」
「ひゃあぁぁぁぁ……」
顔を上げた黒ちゃんは、親愛の情を示したいのか風華ちゃんを抱きしめた。
抱きしめられた風華ちゃんの方は、顔を真赤にして戸惑いとも悲鳴とも取れる声が長く尾を引いている。
「黒ちゃん、お言葉に甘えて、俺と風華ちゃんは行くから」
「おう! はい、御主人!」
「ひゃあっ!?」
声を掛けると、黒ちゃんは抱きしめたままの風華ちゃんをヒョイッと持ち上げて、俺に向かって差し出してきた。
「それじゃおりょうさん、後は頼みます」
「任しときな。風華ちゃん、良太にいっぱい甘えてくるんだよぉ」
「え、えぇー……」
おりょうさんの言葉をどう受け取ったのか、腕の中の風華ちゃんは俺の顔を見上げながら真っ赤になり、体温を急上昇させている。
「黒ちゃんも、頼んだね」
「おう!」
後は二人に任せて厨房を出た俺は、風華ちゃんを抱えて居間に向かった。
「はぁい、風華ちゃん、脱ぎ脱ぎしましょうねぇ」
「はい!」
俺が居間に入るタイミングで雫様と頼華ちゃんが上がってきたので、入れ替わりで夕霧さんも一緒に風呂場に移動した。
今は夕霧さんが風華ちゃんの脱衣を手伝って、俺はひと足お先に湯船に浸かっている。
「良太さぁん。風華ちゃん行きましたよぉ」
「わかりました。風華ちゃん、お湯を掛けるね」
「はいっ!」
手桶で風華ちゃんの前側と背中側から、一度ずつお湯を掛けた。
「それじゃおいで」
「はいっ!」
俺の方に両手を差し出すようなポーズの風華ちゃんの脇に手を差し入れ、持ち上げて湯船の中に招き入れた。
「はぁ……」
膝の上に載せた風華ちゃんは、目を閉じてリラックスしながら息を吐いた。
「気持ちいいね」
「はいっ! とっても!」
「あたしもお邪魔しますねぇ」
風華ちゃんの衣類を纏めた夕霧さんが、風呂場に入ってきた。
(……凄いな)
衣類という束縛から解き放たれた夕霧さんの雄大な胸が、歩く度に重そうに揺れている。
「りょ、良太さぁん。そんなに見られるとぉ、恥ずかしいですぅ……」
「す、すいません!」
自分ではチラ見のつもりだったが、夕霧さんの反応からするとガン見になっていたようだ。
「み、見ちゃいけないとかは言いませんのでぇ……」
「は、はぁ……」
許可が出たからと言ってジロジロ見るのも失礼なので、掛け湯をしている夕霧さんから視線を外して、汗が滲んできた風華ちゃんのおでこを拭ってあげる。
「し、失礼しまぁす……」
掛け湯を終えた夕霧さんが、縁を跨いで湯船に入ってきた。
「ふぅ……」
大人二人でも余裕のある造りの湯船なのだが、吐息を漏らす夕霧さんは俺に肌を密着させてくる。
「さ、さあ風華ちゃん。洗ってあげるね」
「はいっ!」
元気良く返事をする風華ちゃんを抱え直した俺は、そのまま立ち上がって湯船を出た。
「もぉー……」
「ん? 何か言いましたか?」
「なんでも無いですぅ」
声が聞こえたので、風華ちゃんを座らせてから振り返ると、何故か夕霧さんが頬を膨らませていた。
なんでもなくは無さそうだが、風華ちゃんに風邪を引かせる訳には行かないので、夕霧さんには申し訳無いが手拭いに石鹸を擦り付けて泡立て、目の前の小さな身体を洗い始めた。
「それじゃ雫様、ブルムさん、行ってきます」
「良太殿、皆様。御武運を」
「お早いお帰りをお待ちしていますよ」
子供達を寝かしつけてから、俺、おりょうさん、頼華ちゃん、黒ちゃん、白ちゃん、夕霧さん、天、そして里に残っているゲルヒルデを除くワルキューレ八人は、雫様とブルムさんに見送られて笹蟹屋を出てから、夜の東洞院大路を北上した。
全員が迷彩効果か認識阻害効果のある外套を羽織っているし、殆ど足音も立てないので、ごく偶にすれ違う通行人は俺達の事を気にも留めない。
やがて、一条大路と交差する場所まで到達した俺達はそこから西進して直ぐの場所にある、一条戻り橋に辿り着いた。
「では事前の打ち合わせ通りに、ブリュンヒルドさん以外の戦乙女さん達は四方に配置を」
「「「はっ」」」
小声で了承の返事をしたリーダーのブリュンヒルド以外のワルキューレ達は、各自が橋から三十メートルくらい離れた東西南北の位置に陣取った。
「天さん以外のみんなは、橋を取り囲む形に散開して下さい」
「わかったよ」
「わかりました!」
「おう!」
「承知した」
「わかりましたぁ」
「拝命致しました」
おりょうさん、頼華ちゃん、黒ちゃん、白ちゃん、夕霧さん、ブリュンヒルドは、橋を中心にした直径十メートルくらいの円を描いた陣を形成した。
おりょうさんはオープンフィンガーのグローブを両手に装着し、頼華ちゃんは薄緑を抜き放って備えている。
「天さん、お願いします」
「畏まりました、貴方様」
円陣に加わらなかった天には、外縁部のワルキューレ達を含む範囲の認識阻害を頼んであり、俺の隣で術に必要らしい言葉を紡ぎ始めた。
「……ハァッ!」
小さな気合と同時に、天の手から文字の書かれた紙、恐らくは呪符が飛び去り、四方に配置されているワルキューレ達の後方に落ちると、なんとなくだが周囲の雰囲気が変化したように感じた。
「貴方様。これで余程の術者が破るか、内の者が外に出ようとしなければ人除け出来ますわ」
「有難うございます」
俺達が全てを終わらせて外に出るか式神を逃がすかしなければ、天と同等かそれ以上の術者が意図的に破らない限りは、邪魔者が現れない空間が形成された。
「じゃあ、始めますね」
俺は事前に用意していた、蜘蛛の糸を編んで作ったロープを幾つかドラウプニールから取り出し、空中に放ちながら気を込めた。
俺の意思に従って広がったロープは二重の同心円を描き、内側の円に接するように六芒星が形成された。
二重の同心円に六芒星という図形は、本来ならば外部からの敵対的な存在から護る為の物なのだが、今回は内部に封じ込めて逃亡をさせない為に用いる。
「では貴方様。裏はわたくしが」
「お願いします」
天の言う裏というのは南西の方角を指し、鬼の通り道と言われる北東の鬼門の裏側の事だ。
六芒星の魔法円に加えてワルキューレ達が四方を、天が裏鬼門を、俺が本来の鬼門の方を抑え、遊撃におりょうさん達がいるので、万に一つも式神達の逃亡を許す事は無いだろう。
「……おい。どういう状況だかわかっているんだろう?」
みんなが取り囲んでいる中心部の橋まで歩み寄った俺は、誰の姿も見えない夜の闇に包まれた橋脚に向かって話し掛けた。
『……要件の察しはつくが、我らは主人の命令があるまで、この場に留まって待つように言いつけられている』
涼やかな若い男の美声で、殆ど間を置かずに返答があった。
声がすると同時に橋の上にぼんやりと、人と同じくらいの影のような物が現れた。
「少しは調べてきたんだが、お前が天乙貴人か?」
元の世界に戻った時に調べた、晴明の十二天将のリーダー格である式神の名を呼んだ。
『如何にも』
「お前らの主人は既に存命では無いのを知っているのか?」
『数百年もの間、命令が下らないので、そうでは無いかとは思っていた。だが、それがどうした?』
「何?」
主人である安倍晴明の死を認識していないので、式神達はこの橋から動かないのかと思っていたが、どうやらそういう事では無かったらしい。
『我等に形代を与え、現し世で行動出来るようにしてくれた主人である晴明様の命令だ。死んでいようがいまいが、従うのは当然である』
「お前等のような存在がこの場に留まり、いつ動き出すかもしれないという状況は、とてもじゃ無いが許容は出来ないんだ」
『それは貴様等の事情であり、我等は預かり知らぬ』
(まあ、予想の範囲だな)
式神が置かれている状況が俺の考えとは違っていたが、そう簡単にこちらの言う事を聞かないだろうというのは予想通りだ。
「お前達にも主人の安倍晴明にも、特に含む物は無いんだが……このまま放置も出来ないので無理にでも追い出させて貰うぞ」
晴明に形代を与えられた存在である式神が、実際にどの程度危険なのかというのは意見の分かれるところだろう。
しかし、ある程度の意思を持つ何発もの不発弾が、国の祭祀を司る存在が住まう大都市に放置されているという状況なのだから、撤去するのが最善と言えるだろう。
「っ!」
言葉を交わしていた影のような存在を無視して駆け出し、橋の欄干を蹴った俺は空中で巴を抜くと、橋脚の石組みの一部に斬りつけた。
(後で直さないといけないな……)
石組みの一つが壊れたくらいでは端が崩壊したりはしないと思うが、自分で壊した箇所を直すのは当然の責任だと言えるだろう。
『な、なんという事を!』
俺の行動が想定外だったのか、天乙貴人を名乗る式神が悔しそうに言うと、膝くらいまでの深さの川に降り立った俺の方に向かって来ようと動いた。
「おっと。逃さないよぉ」
『な、何だと!?』
音も無く近づいたおりょうさんが天乙貴人の、人間で言うなら両肩の辺りに手を置いて動きを封じている。
見た目通りの霊のような存在の天乙貴人は、自分の動きが生身の人間であるおりょうさんに封じられた事が信じられないようだ。
「旦那の手助けをするのは、妻の務めだからねぇ。きゃっ♪」
『ぐあっ!?』
自分で言った妻という言葉が琴線に触れたのか、おりょうさんが照れ隠しに振りかざした拳が、天乙貴人の顎の辺りに突き刺さった。
「姉上っ! 兄上の妻はこちらにもおりますよ! ふんっ!」
『ぐああぁぁぁぁっ!』
頼華ちゃんが斬り下ろした薄緑が霊体の一部、恐らくは腕の辺りを切断したので、天乙貴人が断末魔のような悲鳴を上げた。
「あ、あたしも妻候補ですぅ!」
『お、おお……私の身体が』
切り離されて密度を薄くした天乙貴人の霊体は、一部が薄緑によって霧散させられたのだが、辛うじて残った部分が本体に合流しようとしていたのを、夕霧さんが捕まえて吸収してしまった。
「くっ……りょ、良太様っ! 私の分の敵はまだですか!?」
「敵が出てくるのを期待されても困るんですけど……」
得意とする戦闘に自分が参加出来ないのが悔しいのか、ブリュンヒルドは他の式神が敵として出てくるのを期待しているらしい。
(天乙貴人はおりょうさん達に任せて大丈夫そうだから……)
「っ!」
無言の気合と共に、さっき斬りつけた石組みに巴の切っ先を突き立てた。




